エコキュートを買う前に
エコキュートは本当に”経済的にお得”で、静かなのか


"科学的"知見の欺瞞 3/12


2−3.エコキュートの騒音

 より詳しい理解をと思い、電力会社、ガス会社、機器会社などに電話したが、いずれも自分が関係する機器についてはそれなりに説明してくれるのだが、「比較」と言うことになると彼らも難しいようである。仕方ないので今ネットで解る資料で、騒音という視点で見てみよう。

 手近の電力会社の「オール電化 Q&A」「Q.エコキュートの動作音はどうなの?」を見てみると、下のようだ。

エコキュートの動作音はどうなの?
各メーカーによっても異なりますが、平成15年度以降に新登場する機種では、39dB程度と、 平成14年度以前に発売されていた機種(43dB)に較べ、静音性は大幅に向上しています。

※39dBと43dBを較べると、実際に聞こえる音のレベルとしては半分以下。騒音として認識されにくいレベルの音です。

家庭用ルームエアコンの室外機45dB程度、ガス給湯機48db程度と較べても、それ以下の水準となっていますが、ご近所への配慮は必要です。

※ちなみに電気温水器は基本的には無音です。

2−4.音の計算

2−4−1.騒音か静音か

 ここで注目してほしいのは、

@「39dB43dBを較べると、実際に聞こえる音のレベルとしては半分以下。」

 と言う点であるが、たった4dBの差で聞こえ方が半分になるという。何とも理解しがたいが、音の計算ではこれが成り立つことになる(のだそうだ)。

A「騒音として認識されにくいレベルの音です。」

 確かに39dB43dBは「虫の音」と「鳥の声」との差くらいであろうか(環境計量必携「一般環境の騒音レベル」参照)。どちらも時としては心が和むが、煩いときには煩い。「43dBが騒音で、39dBは騒音では無い」という理論には疑問がある。

B「家庭用ルームエアコンの室外機45dB程度、ガス給湯機48db程度と較べても、それ以下の水準」

 確かに「ガス給湯機48db」と比較すると、48-39=9となり、音の計算で行くとエコキュートの騒音は計算上ガス給湯機の8分の1と言うことになるのであるが、それが充分に静かであるかどうかはこれまた疑問である。

2−4−2.算数が通用しない音の世界

 
かのアルバート・アインシュタインは「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」という名言を残しているそうだが、一応、日本的に解釈すると「常識とは高校生までに身に付けた固定化された、片寄った、考え、考え方、モノの見方の集まりのことをいう」などと訳せよう。

 世には「自分の常識が日本の常識、世界の常識などと思って居る人々が少なくない。これが養老孟司氏言うところの
バカの壁」の中だと思うのだが、これが集団となると始末が悪い。その一例が”学会”などと言うモノであり、専門家集団などであろうが。

 ではその集団が常識とする音の計算法を少し勉強してみよう。私の時代の高校は、今時の高校のように社会、理科に「選択」等と言う生徒に優しい制度はなく、文系であろうが、理系であろうが、授業では、社会は「地理、日本史、世界史、倫理社会、政治経済」を、理科は「地学、生物、化学、物理」を勉強しなければならなかった。要はそれらの単位が卒業には必要であったわけである。さらに国立大の入試では理系、文系関係なくそれぞれ2教科選択することになっていた。今思えば、常識を学ぶには良い制度であると思う。

デシベル 比率
 0dB 1倍
 3dB 2倍
 6dB 4倍
10dB 10倍
20dB 100倍
30dB 1000倍
40dB 10000倍












デシベル 比率
 −3dB 0.5倍
 −6dB 0.25倍
−10dB 0.1倍
−20dB 0.01倍
−30dB 0.001倍
−40dB 0.0001倍


 しかし、物理では「39dBと43dBを較べると、実際に聞こえる音のレベルとしては半分以下」と言う様な計算までは習わなかった。昨今の高校物理を見てもそうだが、「音の問題」は殆ど入試に出ない。従って、誰もと言って良いくらい高校レベルでは殆ど勉強しないのではなかろうか。従って、43−39≦21.5=43÷2 と言う計算は習ったかも知れないが記憶にはない。
 と、しつこく言い訳するのは、実は私自身 43−39≦21.5=43÷2 と言うのが音の世界の"専門家"では”常識”である、と言うことが解るまでに随分と掛かったからである。くどいが、「”常識”であると」と言うことが解っただけであって、”常識”の中身が解ったわけではない。
 
 この考えの基本中の基本は「音は距離の2乗に反比例して減衰する(小さくなる)」と言う事である(と思う)。で、難しいところを省いて、手っとり早く言うと、音は「がまの油売り」的に3dB小さくなる毎に、1→1/2→1/4→1/8→1/16→1/32,…と小さくなっていく(らしい)。これが1+1=2と同じ「約束事」となる。もっと解りやすくした一覧にしてみると左のようになる。詳しくはdBデシベルの話し 音の大きさ。


2−4−3.波と洗濯機orウグイスと洗濯機

  右記の騒音に関する「がまの油売り」的計算は「人間の感覚」にとって本当なのか! 
 例えば、次の事例を考えてもらいたい。(音圧はいずれも上記本による)

 @静音設計前の「洗濯機の音は60dB」「浜辺(十八鳴浜)の波の音は70dB」「大波の打ち寄せる大洗海岸80dB」とある。残念ながら私はどちらの海岸にも行ったことがないのでその「騒音」がどれほどのモノか解らないが、大洗の浜辺の波の音は洗濯機の騒音に比べれば20dB大きいのだから、音理論計算的には実に100倍の騒音となる。同時に浜辺は10倍の騒音という事になるはずである。

A「うぐいすの鳴き声」「さんごしょうの海岸」「中尊寺の境内」、そして、「洗濯機」。これらはいずれも測定された音圧的には60dBそうだ。

 従って、音の専門家的には「同じ煩さ」として考える訳だ。

 これらが素直に「そうである」と言えるなら、あなたは紛う事なき“音の専門家である

 「何かおかしいジャン」と思うあなたは私と同じ「音の素人」である

 しかし、この「何かおかしいジャン」と言う点こそが、当に騒音問題のバイブル的位置にある「聴覚感覚」から発している。

 もし、“科学的”と言われる「感覚閾値」が科学的に正しいとするならこの話は当然正しいことであり、あなたも私も間違っており、理科のテストなら当然×になる。しかし、他の教科のテストではどうであろうか。例えば、国語のテストで“「うぐいすの鳴き声」と「洗濯機」の音を比べて述べよ”と言われて「同じ音圧である」などと書けるのは音の"専門家"だけではなかろうか。私なら一応、

 「問題自体に意味がなく、比較することが不適切である」とするであろう。

 人間の感覚と物理的数値に連関性を探るのは一つの手段としてそれなりの合理性は有る。しかし、最終的に「数値で感覚を律する」こと自体に根本的な誤りがある。これこそ当に「科学が意識を切り刻んで殺してしまう」と言う事なのである。

 
”科学的”と言われる感覚閾値なるものは、実は人間としての「感覚」を無視した理工学者の「独断」の偏見である

 



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