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近況報告
           
平成26年3月9日脱稿(75歳)


近況報告


  

昨年(平成25)八月二十日から後期高齢者の世界に突入。この日は人生にはたった一本しかない連続した時間軸の上での単なる通過点に過ぎない。しかし、精神的には『我、老いたり』どころか、五回もがんの治療で入院した私には『死も近い』、との意識に徐々に変わって来る切っ掛けの日となった。 


我がホームページのキーワードは『海外旅行記』だが、101ヶ国訪問の目標(自作の戒名⇒世界百余国漫遊大居士)を達成したら、何故か海外旅行への意欲も急速に消滅。ホームページの更新も今後は一年に1~2回程度になり、その存在意義も乏しくなった。 


でも不思議なことに、新しいテーマがどこからともなく我が脳裏に浮上してきた。余生で最も重要な課題は『ボケ防止』だ。原因が特定できるボケには医学的な対策もあるが、加齢とともに増加する原因不明のボケには対策がない。 


世の識者達が根拠不明な無数のボケ対策を偉そうに提案しているが、提案者自身が呆けてしまったとの笑い話は数えきれない。 


私は今まで1年単位の近況は年賀状に纏めて、随想のテーマの一つとしてホームページに転載して来た。継続は力なり、既に19回を数える。しかし、この程度ではボケ防止には何の役にも立たない。

我が熟慮の結果は毎月一回、短編ではあっても近況報告として纏め、ホームページに転載することだ。初回は3月中旬に発表する予定だが、次回からは毎月1日前後の発表を想定している。



賢人各位は自己体験と照合されつつ、旅行記への今までの読後感同様、揚げ足取りや酷評を高い目線から賜れればこれ以上の喜びはない。

 

昨秋のTunisia旅行で体力の衰えも自覚し、Tunisia旅行編の旅行記の『おわりに』に書いたように、死ぬ準備の一環として『断捨離』にも取り組み始めた。

 

仙人生活の自給生活を快適に過ごしつつ、生活環境の質の向上にも徐々に取り組み始めた。



三月



① 勝手口のアルミ製のドアの取り換え

 

   昨秋玄関のドアを網戸付の防犯扉に取り換えたら、期待以上の快適さを感じた。その体験から二月末に勝手口のドアも網戸付の防犯扉に取り換えた。勝手口のたたきにも北からの柔らかい光が差し込み、昼間の外出時に足元が明るくなった。

 

② 室内階段に取手をつけた。


  

   我が知人の一人が自宅の階段で転倒し骨折した。用心するに布くは無し。二月末に取手をつけた。階段は上りよりも下りが危険だ。右手が使えるように下るときの左側の壁に取り付けた。階段の左側には鉄筋コンクリートの壁にプリントされた合板が張られ、その間に断熱材が挟まれただけの簡単な構造だ。

 

   職人は、合板の下には外からは見えなくても木材の枠があるはずだ。それは合板の上から木槌で叩けば場所は特定できると断定。プロの技とは何かを再認識させられた。合板の上に敷居のような長い厚板を木ねじで取り付け、プラスネジの頭は釦状の丸い飾りで覆った。美観のためだ。その上に断面が円い中実の長い棒を取り付けた。出来栄えにも満足。

 

③ 雪見酒を満喫

 

 

   16日の朝、目覚めたら珍しくも雪景色。豊田市では雪が積もるような機会は滅多にない。積雪が融ける前に何としてでも露天風呂に入りたくなり、急遽43℃の風呂に飛び込んだ。自宅に露天風呂を造った醍醐味だ。

 

   赤い帽子は9年前にLebanonで買った帽子だ。緑色のマークはレバノン杉。熱い国で買った帽子と雪との対照性を表現したかったが、古くなった帽子はテニスで愛用していた結果か、流石に色褪せていた。

 

④ 白川郷

 

 

   撮影技術ではセミプロ級(写真展での受賞歴多数)の我が温泉旅行仲間から合掌造りの写真を拝受。ある時、たまたまテレビでの解説で合掌造りの横断面は正三角形と知った。今まで考えたこともない解説に驚いた。構造力学的に考えても、このトラス構造は合理的だ。

 

   逆さ富士の美しさは何度も写真で見たことがあるが、逆さ合掌造りは初見だ。

 孫が田園調布学園中高等部(6年制・私立女子学園。定員180)に合格

 

   東京都では美濃部都政時代に高校の学区を狭めた。その結果、日比谷などの超有名進学校は没落し、6年制私立中高一貫校が小学生の青田刈りを開始。私立学校の経営は経費節減などの管理努力よりも、進学実績を上げれば済む単純な世界だ。

 

卒業生を製品と考えれば、出荷品質さえ高めれば業績も安定する製造業と変わることはない。応募者が殺到し入学試験が必須となれば潰れる心配もない。

日本の私立中高一貫校の中ではまれな、全寮制の学校が愛知県にある。海陽学園だ。愛知県蒲郡市の三河大塚駅から歩くこと15分。名前のとおり海に隣接した風光明媚な広大な敷地に、“日本のイートン校”と呼ばれる学校が姿を見せた。

海陽学園の設立は2006年、ほかの私学に比べると歴史は浅い。だが、第1期生の東大合格者は13人(1期の卒業生は101人)をたたき出し、私立が弱いとされていた「公立王国・愛知」でトップ校の仲間入りを果たし、業界関係者を驚かせた。


様子見だった富裕層の受験生が殺到。偏差値も一気に上昇。学長は元東大工学部長中島尚正氏。

田園調布は、1918大正7年)に実業家渋沢栄一らによって立ち上げられた『理想的な住宅地「田園都市」の開発』を目的とする田園都市株式会社[2][3]により開発、1923大正12年)8月から分譲された。 大田区田園調布の大部分の地域が第一種低層住居専用地域第2種風致地区であり、東京でも有数の高級住宅街である[4]

現在、大田区田園調布(でんえんちょうふ)以外に、田園調布本町(でんえんちょうふほんちょう)、田園調布南(でんえんちょうふみなみ)の住所表記もあるが、旧「大森区田園調布」に相当する地域で、大田区田園調布の南側に位置する。また隣接する世田谷区側に玉川田園調布(たまがわでんえんちょうふ)の表記があるが、田園都市株式会社が多摩川台住宅地として田園調布と一体に造成・分譲を行った地域である。

現在の住人[編集]

 

田園調布学園中高等部はその周辺の才女を掻き集めたのか、折からのリケジョブームか東大・京都大・東工大だけではなく、早慶だけでも毎年50人前後も合格者を輩出している進学校だ。

 

私は3年前に初孫娘が慶応藤沢中学に合格した折に、5kg超の天然鯛をお祝いに届けたが、今回も同じように長崎県の壱岐の魚屋から届けさせた。

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長女が荊妻に送ったmail

 

オパからお祝いの鯛が届き、写真を送るようにと言われています。

 

カメラで撮影したので現像に出す予定でしたが、うっかり裕一郎さんがそのカメラを持って海外出張に行ってしまって(来週の木曜まで)写真を送るのはまだ先になりそう。

 

仕方ないので、とりあえず代わりに携帯で撮った写真を添付します。オパにこの写真を送ってあげてください。

 

よく見ると、後ろの方の赤い膝掛け毛布の上にワンコが座っています。

 

 

関取が優勝した時に片手で鯛をぶら下げているような写真を撮って送れと言ったのに、小6には重すぎたようだ。尚、関取の場合は10kg前後の鯛だそうだ。

 

長女一家が住んでいるのは町田市。長女も次女も片道1時間。婿は東名を使ってトヨタ自動車東富士研究所まで一時間。みんな方向はバラバラだ。

 

⑥ 河津(かわづ)桜

 

温泉旅行仲間6人で3/3-4伊豆半島の温泉旅館に泊まり、河津桜を見に出かけた。豊田市の染井吉野よりも1ヶ月は早く咲く桜として超有名だ。

 

地元の有志が桜の苗木を寄贈し、プラスティックの短冊に名前と管理番号を書き込んで木に結び付けていた。多い人は何と100本以上の寄贈。桜の季節には地元民総出で観光客のお出迎えと駐車場管理・交通整理・無数の露店営業。川筋の道路は満員電車並みの混雑。外国人も多い。

 

朝市の露店のような店で『仏手柑(ぶっしゅかん)』を発見。初めて見た珍しい柑橘類だ。中身はなく周辺の皮をジャムなどに加工するそうだ。

 

果樹苗 カンキツ 仏手柑 1株

 

東京方面からは平日にもかかわらず大型バスが数十台も勢ぞろい。溢れ出てくる観客は当然のことながら老人と、産卵期も終わったような老婆。バスの駐車料金は無料なのに自家用車は500円。こんなところにも見えざる神の手は関係者の行動を支配しているようだ。

    地元の有力者に『桜は咲いたが、梅は未だか』、とのセリフを普及させたら、と言ったら『梅は殆ど植えられていません』。

 

   満開の桜の中央部には小鳥。『百見は一聞にしかず』。あそこに小鳥が留まっていると幾ら教えられても、私には発見できなかったが、小鳥が鳴いた途端に分かった。音声は四方八方に伝わるからだ。『雉も鳴かずば撃たれまいに』とよく似た表現だ。

 

 

川岸の河津桜の色は染井吉野よりもピンクの度合いが強い。梅の花に近い色だ。

 

 

⑦ 河津七滝

河津七滝かわづななだる)は、静岡県賀茂郡河津町を流れる河津川の、約1.5kmの間に存在する7つのの総称。河津町観光のメインスポットである。

七滝沿いには河津七滝温泉の温泉街があり、これらの宿泊施設などでは、以下のそれぞれの滝の名称を部屋名として使用しているところも少なくない。



  何故か、地元では滝を『ダル』と呼称している。滝の前には『伊豆の踊子』の主役二人の銅像が緑青に覆われてはいるものの、絶好の写真撮影の背景に使われている。

  超寒がり屋の私は前列左側から二人目の、今にも死にかけている弱弱しい老人。股引を三枚履いても寒い。滝を鑑賞するためには坂道を登らざるを得ない。翌日は大腿筋や脹脛に激痛が発生。30℃に暖めた居間の電気炬燵に入って寝込んでしまった。


 


   セミプロ級のカメラマンが今回の旅行の総集編を作ってくれた。夕食は小さいながらも伊勢海老やアワビの刺身など13品の懐石料理。私は残念ながら摘み食い。ホテルのロビーには超大型の雛人形。マンション族には場所を取る大きなひな壇は売れないらしい。

   一拍二食6,700円にも年金生活者は超満足。ホテルの手配は私が旅の守護聖人と呼んでいる前列右端の壮年。3/12のゴルフでは何とバーディ。座席三列の自動車の提供と運転を引き受けていただいた方。私は仲間からドライバー手当として2,000円集めたものの1,000円しか受け取ってもらえずがっくり。前列左端の囲碁聖人がSAで奥様への御礼との名目で名物を買われて渡したら、何とか受け取っていただいた。私は車中では何時もビール三昧。

   阿弥陀で二部屋に分かれたが、超寒がり屋の私が室温を30℃にしたいと言ったら、同室者二名は隣室へ夜具を抱えて移動。

   自殺の名所らしい城ヶ崎海岸の景観も立派。太公望には寒さは障害にもならないようだ。

 



読後感

石松さん、こんにちは!
毎度のホームページ送信、ありがとうございます。

最近は、80歳超の元気な先輩方の生き様を見て&学ぶ事に努力を心掛けています。彼らの共通点は〝好奇心・意欲〝 を持って居られる点ではないでしょうか。基本は〝健康〝でなければならないと実感しています。その為には適度な〝運動〝 が…。

特に朝のラジオ体操とウォーキングが朝の息吹を感じて、とても心身に良いと実施しています。先日の検診で身長が60歳を過ぎてから〝2.5cm”低くなった事がショックでした。

これからも、示唆に富んだメールを期待しています。お元気で!

① トヨタ後輩・まだお会いしたこともない方

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 彼方の活力にはボケは入り込む余地はありませんね、鼓舞されています。

小生も日々の日課になった歩きはもう二年経過しました、最近では二時間くらいは歩くようになりましたが、なんとか持続できています。まさしく継続は力ですね。足は第二の心臓とも言われるようですので、ラストまで自力で歩けるように心掛けたいものです。

こういった心境になれますのも、石松様の”ガッツ”が刺激になっていますからです。加齢は未体験なルートに兆戦するわけですので、誰しもが予測できないのですから、明日はどのような楽しみがくるのかと想像するようにしたいものです。---と自己に言い聞かせています。


 
➁ 名古屋グリーンテニスクラブで出会った方。次回はゲームをしましょうと言って別れた直後に成人病で倒れられ、ゲームはしないまま。10年間もプールでのリハビリ。tennisは出来くても日常生活には復帰できた頑張り屋

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