愛知・田原の風力発電騒音訴訟 7/7


6-4 風車被害の有無は造ってみないと解らない上空から田原市組原風力発電所

 仮に書面通りにに風車ができたとしても、「風」という自然を相手に、予測できない地形的要素が加わりながらも、理論通りに稼働し、影響も想定内で済むのかどうかは、実際に稼働してみて初めて解ることであり、こうした事に関しては、業界団体の最たる、一般社団法人日本風力発電協会でさえ、「風力発電に係る環境影響評価の基本的考え方に関する検討会(第3回:騒音・低周波音)」において以下のように敢えて指摘しているほどである。

事前説明
-騒音予測結果と環境基準との比較による評価を地域住民へ説明している
  説明不足などに起因し、心理的に風車が受け入れられ難くなっている

事後説明
-ほとんどの事業では、事後の説明責任を果たしている
  騒音・低周波音の測定の要望があった場合には、環境影響評価時の調査地点以外での測定も実施
  事後測定結果などを提示・説明することで、納得していただいた場合も多い
  環境影響評価規定(自主規制)による事前説明、事後説明の徹底を図る

 また、同文書(p.5)で、「風力発電施設に係る騒音・低周波音の苦情の発生状況」で、「苦情が寄せられたり、要望書が提出された施設64箇所。調査時点で苦情等が終結したもの39箇所。継続中のもの25箇所」。そして、「風力発電施設に係る騒音・低周波音の苦情への対応」では「JWPA会員の施設における具体的対策内容」は「調査時点で苦情等が終結したものが27箇所」「調査時点で苦情等が継続中のものが19箇所」と言うことである。

 46箇所中27箇所(59%)の終結を「ほとんど」と言えば、19箇所(41%)の継続は、少なくは無いから「多い」と言えようが、所謂”風車騒音苦情者”に対する姿勢とそれを支える己の事業に対するただただの肯定的姿勢はこの業界のそもそもの体質的数的感覚の異様さと言えよう。

 ともあれ事後の苦情により、一度建てられた風車が撤去されたという話は私は寡聞にして聞いていない。それは「合法的に貰ってしまった国から補助金」との問題などとの絡みもあろう。もちろん雷などで壊れて修理に金がかかりすぎるとか、思ったように稼働せずこのまま続けるための維持費の方が売電料より大きい等と言う、補助金の多さなどに目が眩んだ自治体運営の施設などは、損料を払ってでもやめるとかは有るのだろうが。こうした現況は、如何に事前手続きに”十全の遵法性”が有ろうとも、それはあくまで、書類(法的手続き)や口先(事前の地元説明)だけの話ではなかとうか。

 ”進行形の風車騒音苦情者”も事前説明に際して、大多数は、事後の状況を想像もできず、そもそも想像する気も無く、納得したか、地元のしがらみなどから反対の声を上げるまでもなかったのであろう。そして、設置後に苦情が発生後しても、実際に風車騒音の影響を受けるのは、言うまでも無くきわめて限られた近辺住民だけで、その他大勢の地域住民、行政は”知ーーらない”で済んでしまうのである。苦情者の苦情を認めたところで、その他の彼らにとっては何のメリットも無いのである。むしろ、少なくとも既に貰ってしまった地元への”区費援助”などのメリットは失いたくないであろう。


6-5 ”被害者、いや苦情者は、あなた一人だけ”

平成 2 6 年 (ワ) 第 6 1号 風力発電施設運転差止等請求事件」 答弁書」では、

( 9 ) 本件地域には原告以外に苦情者 がいないこ と............、..'... 49
「当時の総代は,原告以外には現在本件風車のある久美原地区内にお い て本件風車に反対する者はいないと説明 している。」

被告第2準備書面」では

9 苦情範囲の限定と多数の地区賛同者の存在
原告以外には本件風車 音に対する苦情の申立ても,本件風車に反対する声も聞かれない(乙第 54 号証)
久美原地区の圧倒的多数が被告による本件風力発電事業に賛同している(答弁書 4 9 頁) 。

 と、2回の書面において、乙”作文”では、”文句(=苦情=被害者)を言っているのは(原告)あなた一人だけ。後のみんなは賛成”と言う様な主旨が述べられ、あたかも甲が”クレーマー的特別の単独の存在である”かのような印象を与えようとしている気配がうかがわれる。

 ”苦情者の孤立化”と言う手法は、このサイトでも何度も述べているように、これまで長きにわたり低周波振動被害者に対し、国策的と言えるまでに採られ続けてきた手法で、”海外知見”が大好きな環境省は、現在でも世界的にはと言うより英語では既に”被害者”と言っているにも関わらず、延々と”苦情者”と言い続け、何ともクレーマー的印象、時にはキチガイ的に扱い、知る人しか知らないと言う被害状況を良いことに、全国各地の被害者を孤立化させると言う手法は、”上に習え”の末端行政にも行き届き、その状況は多くの自治体では全く変わっていない。

 と言うことに鑑みれば、風車被害のように、元々住民が少なく、当然ながらそうした地域では前近代的な区長、総代と言った”長老的支配力”が残っており、当然ながら”地域合意”に従わない者には、村八分的状況が予想される訳で、今や、そうした地域には、日本的には十分なウインドファームとして複数の風車群が建設されはずで、如何に過疎と言っても人里の近くに多くの風車が造られれば、狭い日本、必ず近辺に複数の”苦情者”が日本の各地に出現するようになり、”あんた一人がキチガイ”説はもはや通用しないのである。ただ、依然そうしところの”苦情者”は現代社会の例に漏れず、多くが、ネット環境の無い”高齢苦情者”が多い。


6-6 裁判官がfew

 さて、甲によれば今回の裁判はこのまま行けば「かなりの確率で負ける」そうだ。その最大の原因は、今回の裁判官のメインが前回の「仮差し止め」の判決を出したのと同じ裁判官であるからと言うことである。「えっ、ジャー、もう一回やったって同じで、意味ないんじゃ無い」と思うのは私だけではないと思うのだが。

 甲の思いは、『弁護人は「風車特有の基準が必要で、この裁判で社会全体の意識が高まれば」と話した』であり、『「裁判所は全ての状況を見て判断してほしい」』2014/04/10 東日新聞、である。当初、今回の裁判は三人の合議制で、以前とは異なった視点が出て、変わった判決が出るのでは無いかと期待したのだが…。

 言うまでも無く私は裁判に関しては全くの素人で、裁判は裁判の専門家に任すべしと言う考えで、ひとまずは裁判員制度には反対なのだが、一応、「仮処分申請」と「本訴訟」の違いらしい点は、聞くところでは、「仮処分」の申請は一人の裁判官が、ぱぱっと読んで○×を決めるらしく、「本訴訟」は一応3人の裁判官の合議審と言うことらしく、一応、前回とは違った別の判決を期待できるのだが、裁判官3人と言っても、実のところ「裁判官の人数が少ない支部」では、豊橋もこれに当たるらしいが、@裁判長の判事はベテランで忙しい、Aその下の若手の判事は「私は今回初めてこの事案に加わったので、よくわからないのでお任せする」と言うような雰囲気で、結局、実に、B「仮処分」の判決を出した、経験5年未満の判事補(?)が判決を起案する様なのである。

 と言うことで、少なくとも、Bは前回と逆のような結論は出せまい。俗に言えば、最悪。前回も、今回も、一体全体何のための裁判だったのか、と言うことである。

 であれば、裁判官を替えろ、と言うところであるが、それが「裁判官の除斥・忌避・回避」と言うことであろう。それは、、「裁判官が当事者と密接な関係にあること(第23条第1項第1号〜第3号)」「裁判官が事件と密接な関係を有すること(第4号〜第6号)」が「除斥」と言って、「その職務執行を排除する」わけで、”自分の前回判決を正当化する”という点は「裁判官が事件と密接な関係を有することにはならないのだろうか? それとも家族が当該電力会社の社員とかのレベルでなければ「密接な関係」とは言えないのであろうか。ともあれ、「除斥原因以外の裁判の公正を妨げる事由」を何か考え、「忌避」というのはできないのだろうか。まー、そんなことをすれば裁判官と言うより"裁判所の心証は最悪"なんだろうが…。


  HOME