愛知・田原の風力発電騒音訴訟 6/7


6.思うに上空から田原市組原風力発電所

6-1 感覚公害の野放し

 こうした比較的最近問題になっている音、臭い、光などの感覚公害認定の難しさは、「被害の有る無し」を、これまでの”科学的知見”により客観的に判断することが難しいことである。騒音・振動分野に限っても、エコキュートやエネファームのようなエコ機器や風車の様に、これまでの法の間隙を縫い、低周波音の様に法規制のない事を良いことに、”被害の最前線が野放し”にされているのである。因に風車からは超低周波音は問題になるほどは出ていないと結論づけているが、何とも規制しようのない場合にはこうした科学的・法的を採るわけで、こうした仕儀が、こうした被害がこれからも増え続けるであろう根本的直接的な原因である。

 さて、こうした状況を風車事業者に限って、事業者側から見てみると、平成24年度 風力発電施設の騒音・低周波音に関する検討調査業務 報告書で提示された「風車の騒音目標値:35dB」は、一般社団法人日本風力発電協会(JWPA)等による「風力発電施設から発生する騒音等の評価手法についての考え方」によれば、

  目標値:35dBが適用された場合、国内全体の陸上風力発電導入ポテンシャルは現在環境アセスメント中の案件の70%以上が縮小または中止となる。
  目標値:35dBが適用された場合、現在問題なく稼働中の風車もその多くが抵触→ 夜間の発電停止、さらには建替が不可能となる

と言うことで、事業が成立しないと言うことであろう。

 だが、これは明らかに単なる被害誇大視の”脅し”で、「現在環境アセスメント中の案件の70%以上が縮小または中止」とすれば、逆に完全に問題無く造ることができる(=人間に影響を与えることなく造れる)モノが実はまだ30%も有り、後の70%は何らかの支障があるわけで、それを騒音とすれば、事後の状況について”事前に近隣住民にご理解”いただかなければならないと言うことを述べているに過ぎない。しかし、その”ご理解”が「説明不足などに起因し、心理的に風車が受け入れられ難くなっている」そうだが、それは今回の様な事案を含め当然のことである。事実において、風車騒音に苦しんで居る人々が存在し、そうした人々が容易に救済されないとなれば、そうした可能性が自分に及ぶかも知れないと考えた場合に「心理的に風車が受け入れられ難くなっている」のは当然である。そうした結果を招いたのは間違いなく事業者であることに間違いは無い。

 と言うことであるが、今回、乙側の言うように「風車音は,環境影響評価法改正前からある環境基準に従う」とすれば、少なくとも現在の風車には適用されないわけなのだが、それでも、「現在問題なく稼働中の風車もその多くが抵触」と言う自覚が有るならその限られた”良心”に従ってはどうであろう。更に、「少しは抵触しない」訳で、そうしたモノは現在も人間に騒音などで問題などで影響を与えていない訳で、そうしたモノだけが日本国における本来の風車の数なので有るはずだ。

 国の「地球温暖化対策」という誘い文句に踊らされた、世界では既に終わっていると聞く”風車バブル”と思い素直に撤退すべきであろう。


6-2 ”風車問題の専門家”はfew(頭数が少ない)である

 ついでながら、一般社団法人日本風力発電協会(JWPA)等による「風力発電施設から発生する騒音等の評価手法についての考え方」p.3に述べられているので”便乗”するが、「委員の重複」である。

調査事業を実施した際の検討に関わった委員と、その結果を基に検討を行う本検討会の委員に重複があるのは不適切ではないか

☆風力発電施設から発生する騒音等の評価方法に関する検討会(本検討会)
☆環境省請負業務平成24年度風力発電施設の騒音・低周波音に関する検討調査業務
☆風力発電施設の騒音・低周波音に関する検討会
☆健康影響に係る小委員会
☆受託者: 中電技術コンサルタント株式会社
☆環境省請負業務平成23年度風力発電施設の騒音・低周波音に関する検討調査業務
☆風力発電施設の騒音・低周波音に関する検討会
☆受託者: 公益社団法人日本騒音制御工学会

 この件に関しては、誠に同意である。ことあるごとに低周波音問題関係者を調べているが、風車に関しても、政府が思うところの「学識経験者・有識者」としての”役者””few”なのであろう。それに関しては一覧表にしてあるので、拙サイト「”黙殺”の音は”明殺”の音となった 3/3」の後半辺りをご覧いただきたい。


6-3 環境基準

 さて、こうした問題の”決着”は、最終的には、因果関係と受忍限度と言うことになるのであろうが、受忍限度のひとまずの目安となる”足切り線”は、便宜上”科学的”に数値を決めた基準値と言うことになり、最終的にはそれを越えているかどうかが”一番簡単な目安”となる。

 それを打破するような場合は、病気にでもなってしまっていると言う「健康被害の立証」が一番解りやすいのだそうだが(「騒音における「受忍限度」について」)、そうした場合に次にはその病気と原因との因果関係を明らかに示すことがなかなか難しく(少なくとも低周波振動被害に関しては現在因果関係を国は認めていない)、特に騒音の場合には人間はまずは苦しさのため”誠に遺憾ながら”現場を去ることもできるので、そう簡単には寝込むまでには至らず、(諄いが、私はこうした被害がある事自体を知らず(1999年当時)、重篤に陥り、一時は死ぬしかないと思うまで)、傍目的には”言うことが少々過激”になったりする程度で、さらには医学的検査などでは、たいていの場合ほとんど何も出ず、見た目では解りづらく、詰まるところ睡眠薬や精神安定剤をあてがわれるくらいで終わってしい、本当の苦しさは被害者本人や被害経験者以外にはほとんど理解されない場合が多い。低周波振動被害者などはその最たるモノだ。

 で、話を戻すと、まー、可聴域騒音被害の”参照値”的役目を果たすのが「環境基本法に基づく環境基準」となろうが、そもそもにおいて、「環境基準」そのものをどのように理解・判断するかがこれまた面倒で難しい。

 甲側は、4.(甲)準備書面の「うるささの受忍限度は等価騒音レベルのみで判断することはできない」に尽き、(環境基準値と言うより等価騒音レベルでの測定に疑問を持つ?)

 乙側は、そもそも、「本件風車音は環境基準に違反しない」「本件風車音が環境基準を超えない」「環境基準 (55dB 以下)を十分下回っている」ので問題ないとして、環境基準遵守の立場か、と思うと、”越えるような”流れの中では、”仮に越えても、「風車騒音の程度を騒音に係 る環境基準によって判断すべきではなく」”「環境基準に許容限度や受忍 限度の性格を持たせることはしていない」「環境基準値を上回る場合であって も,直ちに受忍限度を超過し違法となるものではない」「環境基準を超えたからといって直ちに人の生命身体の安全影響が現われるものではない。」(いくつかの判例)、「環境基準は ,「環境対策において実現させたい数値目 標であ り,国民の権利義務を定める法規 としての性格を有するものではない。」「環境基準」は,我が国では,『環境対策において実現させたい数値 目標 であり,国民の権利義務を定める法規としての性格を有する ものではな い。』 などと、己の主張により、パッパと立ち位置を変える、非常に都合の良い”二面相モノ”であるらしい。

 受忍限度をどう判断するかは、これまた難しいモノらしく、本来なら”疑わしくは原告の有利に”と行きたいところであるが、これまでの公害裁判のいくつかの流れを見ていると、受忍限度内とか因果関係が不明などとして決して原告が有利になどなるわけでは無い。で、多くの判例なるモノが闊歩することになるのであろう。しかし、風車騒音には今のところ判例は無いのでは?、とすれば今回の判決は結構VIPだとは思うのだが…