(パキスタンの旅行記からの引用)
忘れもしない。明日はトルコとパキスタンへの出張と言う昭和63年7月24日早朝、起床しようとしたら右足の親指が何となく痛い。気が付かないうちに突き指でもしたのだろうか?との疑問を感じたものの思い当たる節がない。その内に見る見る痛みが増してきた。出張には行けるのだろうか、との多少の不安が出てきた。出勤のための車の運転はトルコン車なので、取り敢えずは左足の操作で何とかなった。
やっとこ机に着いたが痛みは増す一方。トイレに行く時には最早まともには歩けなくなってしまっていた。人に気付かれないような姿勢で歩く努力をしたが、抜き足差し足の微速度歩行になってしまった。何故こうなってしまったのか理由は全く思い当たらなかった。
その時である。同じ職場の酒さん(事務系、トヨタ記念病院から異動)が『石松さん。痛風じゃないの?』と声を掛けてくれた。その瞬間まで『痛風』と言う病名すら知らなかった。彼は痛風患者を病院内で見慣れていたのである。痛風の窓口は整形外科だと教えてくれた。
病院に着いた頃には、微風が当たっただけでも飛び上がるほどに痛くなっていた。病名の語源は調べずとも体で解った。『明日からトルコへ出張なんですが大丈夫でしょうか?』。医者(トヨタ記念病院副院長、スポーツ医学に詳しく時々NHKにも出演)は即座にしかも自信たっぷりに『もちろん大丈夫』と言ったが、私には不安が消えなかった。
『外国で万一再発した時のために、痛風の英単語を知りたい』。『Goutだ』。早速、患部に注射。患部への張り薬、消炎剤、尿酸降下(排出)剤をくれた。昼までには痛みは消えた。麻酔剤にも似た薬の威力をこの時ほどあり難く感じたことは、生まれてこの方体験したこともなかった。
医師がくれた小さな本によれば痛風患者の平均死亡年齢は、53歳(昭和31〜40年)、60歳(41〜44年)、63歳(45〜54年)とのことであった。寿命が伸びてきた原因は良質の尿酸降下剤の発明らしい。殆どの人は尿毒症で死んでいるそうだ。爾来、痛風との長い付き合いが続いている。死ぬまで直らないと聞いて憂鬱だった。あの注射の薬は尿酸を中和させるための、アルカリだったのではないかと今では邪推している。
その後の痛風に関する勉強から、痛風の4大原因(老化現象、食べ過ぎ、運動のし過ぎ、酒の飲み過ぎ)を知った。日常生活と定期的な血液検査の組み合わせ結果とから、私の場合の主たる原因は酒の飲み過ぎにある事が解った。酒はアルコール量でビール大瓶に換算して2本以下/日を目標にしたが、節酒がこんなに苦痛だったとは予想もしなかった。
尿酸の積極的な排出のために、砂糖抜きの薄い紅茶を毎朝3gも30分掛けて飲んでいるが、午前中はトイレへ行く回数が増え煩わしい。ゴルフの場合には用足し後に出発しても40〜50分後、クラブハウスに到着するや否やトイレに駆け込むはめになる。
しかし大量の水分の摂取効果として便通が大変爽やかになり、大腸癌だけは心配しなくなった。人間の消化器官は口から肛門まで1本のパイプラインで構成されており、口から水鉄砲のように水圧を掛ければ紅茶が体内を貫流して清掃は完了。3g以上の紅茶を一度に飲むと肛門からそのまま過剰分が出てくることも解った。お負けに大量の水分は血液を浄化して老廃物も尿へと排出してくれる。
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