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随想
           
トヨタ新聞(昭和54年3月16日〜平成5年2月19日脱稿)

   かつてトヨタ自動車では毎週金曜日に社内報『トヨタ新聞』が発行されていた。1ページ目の最下欄に朝日新聞の『天声人語』のようなコラム欄『けいてき』、後年に改称された『しかい』があった。警笛、視界の意味が込められていた。年初に管理職の中から25名が指名され1年に2回執筆させられた。テーマは自由であるが字数は決まっていた。

   私はどういう風の吹き回しなのか、けいてきで2回、しかいで1回、合計3回も指名された。コラムの書式はスペースなしの編集。段落にはを入れて解りやすくしていた。このホームページでは新聞での指定書式は無視し、読みやすくするために段落ごとに改行した。

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昭和54年3月16日
       
      日本人の名目所得は今や世界のトップクラス。活用可能な国土が狭いため、高価な土地と食料を買わされることさえ我慢すれば、日本は名実共に一流国の仲間入りを果たしたとの所見にしばしば出合う。

▼そもそも物の取引は価値イコール価格という方程式を、満足すると相互に認めたときに成立しているはずである。ところが日本で欧米品は、同レベルと見なされている国産品よりも格段に高く、欧米で日本品は現地品並みの価格で売られている。この矛盾をどう判断すべきか。

▼欧米人が産業革命を起こし、以来二百年間にわたり人類の進歩に貢献し続けた事実を日本人が高く評価しているだけでなく、ノーベル賞を独占し、先端科学技術から芸術・ファッションに至るまで、今なおリーダーシップを執り続けている彼らへの尊敬と信頼の念からではあるまいか。 

▼日本人が、明治以来彼らから受け取った情報に匹敵する独自の成果を挙げ続けて初めて、日本は一流国グループへの入会金と会費とを払ったことになるのではあるまいか。そのときにこそ国際摩擦も根本的に解消されよう。 

▼日本の小型車技術は世界一との世評がある。それが真実ならば“桃李もの言わざれども下おのずから蹊を成す”ように、豊田市は日本語を必死で話す欧米人であふれ、われわれは彼らにいやでも追い回されているはずだ。 

▼既に始まっている低燃費・高品質車の世界競争でさすがはトヨタ車だと、欧米人が本心から敬意を払いながら喜んで買ってくれる車を開発することこそ、彼らに借りを返し、日本を真実一流国に押し上げるための、われわれに課された応分の義務ではあるまいか。(I)

蛇足。文末の(I)のIは石松のイニシャルを表す。あれから27年が経った今、豊田市には外人が溢れるようになった!
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昭和54年9月21日

      化石燃料はたかだかあと百年で枯渇するーとの推定根拠があいまいな情報にしばしば出合う。それがもしも真実ならば、燃料資源小国に住む日本人は、供給制約に起因するエネルギー超高価格時代を、とりわけ心不安なまま、座して迎えさせられることになる。

▼太古の昔、地球は炭酸ガスと水とわずかばかりの窒素ガスに覆われ、大気中に酸素はほとんどなかった。その後植物が出現し、炭酸同化作用を通じて炭酸ガスと水とを分解し、酸素と有機物とを永年にわたって蓄積した。物質不滅の法則を信じる限り、炭酸ガス中の膨大な炭素は、植・動物体を経た後、化石燃料と石灰岩の状態でこの大地に埋もれていることになる。

▼そのうち、石灰岩は炭酸ガスを内部に含んでいるので、酸素の相棒であった炭素と水素の大部分は、化石燃料に変わったと推定できる。その量は大気中の酸素量から逆算すると、優に人類の数万年分の消費量ほどにもなる。この数百倍にも達する推定の差はどこからくるのか。

▼人類の苦悩は、自らの繁栄を維持するに足る化石燃料を容易に発見し、低コストで採掘する技術も、代替エネルギーの開発技術も十分には持つに至っていない点にある。科学技術が確実に前進する限り、エネルギーの超大量供給技術は、いつの日にか必ず完成する。その日まで、人類は省エネルギーに徹することにより、何としてでもやっていかなければならない。

▼ガソリン自動車は化学工業の原料としても使える最も利用価値の高い成分を燃料として使っている。それだけに低燃費車の開発にいっそう努力することは、当社が国際小型車競争に勝ち残るためだけではなく、われわれ自動車業界に課された人類への応分の義務でもあるまいか。(I)
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昭和55年4月4日

      食料の王様は牛肉。米麦でもマツタケ、カズノコでもない。耕地不足のため世界一高くなる牛肉を、無念にも食べざるを得ない日本人のために経済学者がそれを安くできる名案を提言。

▼輸入税を下げて小売値を安くする。すると消費が高まるから、単価は下がっても牛肉店の売り上げは増す。一方、国産牛の肥育農家の値下がり損は関税で補てん。その結果、消費者、流通業者、生産者、外国業者だけでなく、貿易摩擦の火種が一つ消えることにより内外の政府すら受益者になる。さて、被害者が一人も出ないというこの論理は成立するであろうか。

▼食欲にも限界がある。牛肉で満腹すれば、豚、卵、魚、米をはじめ、比較劣位の食料需要は落ちることになる。食品価格が需給関係で決まることは古来明白なので、牛肉を安くすることは、結局、全食料品の暴落を招くことになる。

▼日本では国民総支出のうち個人消費に60%弱、外食を含むエンゲル係数は35%。従って国民生産の約20%は食料の生産加工・運搬・販売によるものである。つまり、5,500万人の労働人口の20%、実に一千万人を超える人々が食品関連産業で生計を立てていることになる。提言の実施がこの人々の所得減を招くことは火をみるよりも明らか。同じ日本人である彼らの犠牲のもとで、残りの日本人が分厚いビフテキに舌鼓することが許されて良いはずがない。

▼今や日本人の賃金水準は金属四業種の労使の良識ある話し合いに託されている。その影響力が牛肉の数倍にも達する自動車産業の経営は全日本人の運命への洞察を抜いては考えられない。名実共に全法人の頂点に立つからして、われわれ労使に課せられた応分の責任は誠に重い。(I)
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昭和55年10月17日

      日本全体の地価は、なんとアメリカとカナダの合計値に匹敵するそうである。とすると日本人が130平方メートルの宅地につつましく生きるのもアメリカ人が1エーカー(約4,000平方メートル)の屋敷にのぴのびと暮らすのも、地代はほぼ同じということになる。日照確保のためのほんのわずかな空間を、どのように活用するかが、今や平均的日本人の私的課題にすらなっている。

▼子供の頃筆者は農作業を手伝わされていた。そこには苦痛の中にも親子が同じ目的のために汗を流し、対話する快さがあった。また統計によれば、日本人の野菜摂取量は一人年間百キログラムであり、そのために必要な畑は、わずかに十平方メートル。これらに心を動かされて体も動かそうと家庭菜園に取りくんだ。

▼幸い土地は高くても土は安い。深さ60センチメートルまでの粘土は山砂に入れ替えた。毎秋、農家からワラを買い、土と交互に積み重ね、2週間に一度水をかけ3ヶ月目に切り返し、半年かけて堆肥に変えた。野菜は全部で70種類。10冊の参考書を読み比べ、どの本にも書いてある栽培法は正しいと信じることにして、標準作業を忠実に守った。結果は大豊作で処分に困るほどよくとれた。

▼しかし、キュウリだけは今年も全滅。参考書を再読し、トヨタ会館と豊田市の図書館で、キュウリに関する本を全部読んだ。やっと真因らしい少数見解「キュウリは風でつるが傷つき、傷口からウィルスが侵入しやすい」を発見。わがミニ菜園は3メートルのがけの上にあり風当たりが強い。これだけのことに気づくのに5年間かかった。

▼アメリカの自動車メーカーの新小型車が次々と発表された。やっとトヨタ車のノウハウがつかめたと、5年後に彼らが感服するような車を造りたいものだ。(I)
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平成4年8月21日
 
      NHKの「信長」を見るたびに視界が広がってくる。ユーラシアの極西から極東まで出張してきたポルトガル人の勇気に驚く。移動時間で換算すれば、当時の地球は太陽に匹敵する大きさ。日本は彼の地から見れば月よりも遠い最果ての地にある。

▼発展途上国民の車所有欲は同じ所得だった頃の日本人よりもはるかに強い。鉄道網も運行密度も薄く生活圏は気の毒なほど狭い。車さえあれば移動距離は徒歩の十倍以上、従って生活空間は百倍以上に広がり、人生の質まで変わる。過疎地では車が東京よりも普及しているのと同じ理由だ。

▼かつて私は2,3の発展途上国に当社が事業進出可能か否かを調査する機会に恵まれた。自動車関連の原材料・部品会社の工場視察を中心に生産技術・部品品質・経営状況を知るのが課題だった。出来るだけ大量の情報を持ち帰るべく、訪問先ではダメモト覚悟でビデオの撮影許可を申し出た。予期に反し各社とも残念ながら当社には、日本ましてやトヨタに隠す価値のある技術はない。ありのままを関係者にお伝えになり、調査目的に役立てて頂ければ望外の喜びであるとの即答を得た。

▼社長自ら熱意を込めて案内された。右肩には大型ビデオカメラをかつぎ、左手にはマイクを握り、現地現物の情報を集めた。どの国でも経営幹部の当社への信頼の厚さ・期待の大きさが目にまぶしかった。当社トップの決断の下、多くの人の努力に支えられ、幾つかの国では工場が今まさに建設中である。

▼私には日本は島国の小国との認識が身にしみ込んでいた。しかし本当は大きい国なのだ。南米南端のブランコ岬からアフリカ西端のベルデ岬に広がる大西洋に、橋がかけられる長さが北方領土から沖縄までにはある。世界には当社はもちろん日本の支援を待つ国が至る所にある。その期待に応えるには日本よりも小国であったポルトガル人ほどの勇気は必要としない。(I)
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平成5年2月19日
 
      日本人は数値化されたものは正しいとの、数値信仰民族へいつのまにか洗脳されていたのではあるまいか。入学試験シーズンでいつも話題になる偏差値だけではない。毎日のマスコミ情報は数値の洪水である。数値が少ない情報は価値が乏しいとマスコミも国民も思っているようだ。

▼もちろん、単位が物理量(長さ・質量・時間の組み合わせ)で表されている数値は測定誤差の範囲内で正しいからここでは考えない。問題は物の価値を数値で代用している分野である。その典型例が商品・土地・株の世界だ。普通の日本人には自分で適正価格を考える習慣がない。すべては人が考えてくれた結果にどっぷりの毎日だ。効率的だが物の評価能力を磨く機会を奪われたようだ。

▼ある時、筆者は中近東へ技術調査に出かける機会に恵まれた。小さなお土産を求めてバザールに立ち寄った。そこでは商品に何と正札がない。値段は売り手と買い手との交渉で決まるのが商売の鉄則だ。売り手は商品価値を弁説さわやかに論理的に説明してくれる。しかし、残念なことに筆者には物の価値を判断する能力が乏しい。ブランド名はどこにある?と質問すれば、あなたは商品よりもマークが欲しいのかとの反論。

▼日本中を震撼させたいわゆるバブルの崩壊は、物の価値を正しく評価する能力を失った上に欲が絡んだ結果、与えられた情報をいつものように鵜呑みにした人々への、見えざる神の手による貴重な教育ではなかったか。

▼それにしても日本人は、変わり身の何と素早い民族であることか。百貨店の得意客が郊外の専門店へと流れているそうだが、不景気だけが理由とは思えない。ブランドの神通力も除々に落ちてきた。7千年の歴史に鍛えられた中近東の方々の購買技術も取り入れ始めた。マークUが予想以上に売れているのも、日本人が物の価値を自分で評価し始めたからだと信じたい。(I)
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