ホームページ転載以前に査読を求めた折の親友の読後感
「戒名=お金」ではない。やはり戒名は故人の人生の集積だ。お互いに位階勲等とは無縁だから、やはり石松氏の人生にふさわしい立派な戒名が3人の子供の仏壇に祭られるのがいいと思う。
それに戒名代など10文字(大居士)でもたかだか数百万円の話だ。9文字(居士)なら百万未満だが、それでは石松氏にはふさわしくない。夫婦同格だから奥様も大居士に対応する「清大姉」となる。まして庶民用の「信士」「信女」レベルでは困る。
我が返信
単なる見解の差。葬儀屋が紹介しただけの僧侶が人の人生を超短時間で評価し、金を取るシステムには不快感を感じるから、只でも戒名は欲しくない。戒名で人生を飾るような成金趣味は私には全く無い。
戒名をスタートにして、その後に続く意味不明な法事で僧侶が遺族からお布施と称する集金をするシステムにも不快感を感じている。カトリック教会がかつて発行した免罪符と同罪。守銭奴仏教界に洗脳されてしまった日本人の愚かさにうんざりしている。
我が妻子の考えなど気にする動機が無い。彼らの義務は私の考えを尊重することにある。
日本人全員が私と同じ行動をとれば、年間死者数が百万人(近い将来には1.25億人/80歳=150万人)とすれば、仏教界の葬儀の年間収入はたったの数百億円に激減するのだが・・・。更に仏壇業界は売り上げゼロ!!
その2。・・・僅か一ヶ月で戒名不要論へと心境が変化したそうだ。
私も最近心境変化、仏教界と訣別しようかと思っている。少なくとも戒名は不要。
@ トヨタ同期。工&経済・1年で依願退職・米国の4大学院修了・国内公私立5大学教授歴任・義弟は住職・受験時代の全国模試2桁常連だったそうだ!
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壮絶ながんとの闘いに対処せられ、人生を達観されたことが、今回の決断ではないでしょうか。
考えてみれば、当たり前のことのように感じられます。子供は兎も角、孫曾孫まで巻き込むことは無いですよね。
小生も同じ考えにしたく存じております。質素なお別れ会等で十分と思っております。後は子供たちが考えれば良いのではないでしょうか。
A ゴルフ仲間・昨年大腸がんの手術⇒陰茎への転移発見⇒今年外科手術。寛解を祈念しつつ・・・。
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お久しぶりです.随想,[仏教界との訣別]とは驚かされるタイトルでした.
言っておられる内容はよく理解できました.私(家内含め)もほぼ同じ考えを持っています.考えを持っていることと実行するかしないか,出来るか出来ないかはかなり不透明です.もう暫くの人生経験が必要と思っています.
仏教界からの訣別が出来るか出来ないかは,その人のものの考え方,理工科系か文系か左脳型か右脳型かにもよるものではないでしょうか.もっと,突き詰めればその人の生まれ育った環境にも左右されるのでしょう.
先祖を崇め敬う精神は重要なことであり,そのために生き様を律することも必要で,社会の安寧発展に貢献した宗教も多々あったことでしょう.
一方,これらの善良な市井の人々を食い物にする宗教も後を絶ちません.精神の弱みにつけ込んだ新興宗教などが代表格でしょう.彼らも目的は金を稼ぐことです.
石松先輩は金稼ぎ手法では既存の仏教も同類だと言っておられて,訣別を決意されたと感じました.
金稼ぎの荒さでは,薬九層倍,坊主丸儲けと言われるように昔から労せずして金稼ぐ代表と衆目の一致した見方なので,まるでブランド品を欲しがる若い男女の見栄を旨く経営に取り込んだ経営本部の戦略であり,これに真っ向から立ち向かうかどうかの購買者の意識の変化が起こっているのではないかと感じています.
B 高校後輩・工
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拝読いたしました。今の仏教会の有様では、到達された境地にむべなるかなと思います。唯、私の場合は石松さんの処までは行くことが出来ず、平凡の域に留まっております。
私のきっかけは母の死です。私は生前に実父をなくし、母1人子1人でしたが、母は私の養育のために再婚しました。私は実父の姓のままで入籍しませんでした。30年後、養父の死後私は母を九州から呼び寄せ、10年間介護しつつ一緒に暮らしました。亡くなる日は朝から手を握り過ごし、夕方息を引き取りました。その夜(通夜は次の夜)、妻に断り、母と同じ布団で過ごしました。
我が浄土真宗は、死者に接しても、葬儀に出ても、塩で清めることを拒否しております。死者とは成仏であって、仏に塩とは何事か、ということです。母と共に一晩を過ごしつつ、我が宗派の教義に助けられたと思いました。
岡崎市の経営する公共墓地を永代借用しました。確か、10万円程度でした。永代借用は、墓地を引き払う時に売買の手間を省くために市が引き取りやすくするためです。
浄土真宗の戒名は、貴賤を問わず「釈○○」の3文字です。女性は「釈尼○○」。それでも、私の母に対する情は止みがたく、院号をいただきたくなり、僧侶にお願いしました。金額は随意に、ということでしたがそれでも要求し、15〜18万円という言葉を引き出しました。それでお願いし、本山西本願寺から門徒証と袈裟を送られてきました。
妻を亡くしたときも、慕情止みがたく、同じく布団で同衾しました。戒名も母同様、院号を得ております。回忌の法要は親子の近親者のみで行っており、僧侶へのお布施は3万円としております。それでも、僧侶は喜んで来てくれて、我が子達共、歓談しております。
現在、母と妻との交流は、経典を手に仏壇でお経を唱える時だけです。お経を唱えながら、往事を思い、回顧にふけります。心の休まる時でもあります。
以上のようなことから、これ以上の仏教への深入りはしておりませんが、否定するまでの心境には至っておりません。
私が死ぬ時、愚息は私がやったと同じようにすることでしょう。相も変らぬ形で、残ることでしょう。
宗教観は個人の自由、その人生観、生き様の反映。それぞれに意義深く、深く納得するものであります。
C トヨタ&大学後輩・工・退職後に再度猛勉強⇒技術士の国家資格を取り、東奔西走しながら大活躍中
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大変興味あるテーマです。小生も戒名や墓についてはいろいろ考えることがありましたので、貴兄の見解も一理あるなと思った次第です。
白州次郎は添付の写真にあるように遺言で「葬式無用、戒名不用」のわずか2行で人生を締めくくっていますが、Noblesse Oblege を実践し、当時のGHQをして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた傑物であればこそ、戒名不用と言い放つことができたのではと感じいっています。
気持ちとしては小生も戒名不用といいたいのはやまやまですが、凡夫の戯言と周りからは一蹴されそうで、軽々には口に出せることではないなと自戒しています。 しかし、いずれにしろお布施の多寡で文字数が増えたり減ったりするとは、俗臭プンプンで文字通り噴飯モノです。
墓は郷里にありますが盆暮れの墓参がやっと(注。現住所山口県⇒郷里佐賀県)で、東京在住の子や孫の時代になるとさらに縁遠くなるのは仕方のないことです。先祖に対する尊崇の念などは時代とともに変わり行くもので、後に続く者たちに任せるしかないと思っています。
ところで貴兄は「我が希望を遺族に遺言のように強要するつもりは全く無い。死後の処置は彼らの自由だ」。と言いながら@の我が返信では「彼らの義務は私の考えを尊重することにある」と言うのは矛盾していませんか。
石松追記
@ 強要=尊重 ではない。我が考えを慎重に検討した結果、戒名が欲しくなったなら勝手にしろ程度の意味。
A 白洲次郎に関する記事(インターネットから)
80歳まで1968年型ポルシェ911Sを乗り回しゴルフに興じていたが、1985年(昭和60年)11月に正子夫人と伊賀・京都を旅行後、体調を崩し胃潰瘍と内臓疾患で入院。同年11月28日死去。83歳没。墓所は兵庫県三田市の心月院である。
夫人の正子と子息に残した遺言書には「葬式無用 戒名不用」と記してあった。実はこの遺言書のフレーズは、次郎の父親が死去した際に残した遺言の内容とまったく同じであった。そして次郎の墓碑には正子が発案した不動明王を表す梵字が刻まれているだけで、戒名は刻まれていない。
D 大学教養部級友・工
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「仏教界との訣別」を拝読。同感です。私も、残された家族が世間と付き合って行くために葬儀を省略するわけにいきませんが、必要最小限の規模にしてもらいたいと遺言するつもりです。
先日、ぷらちな倶楽部主催の「後悔しない葬儀」セミナーを受講しました。葬儀社(株)ティア(創業12年、名古屋証券取引所上場)の葬祭営業部長が講師です。葬儀の事前準備、中でもお寺さんを事前に決めておく必要性を痛感しました。
葬儀屋任せにしておくと葬儀屋にとって都合の良い坊さんをあてがわれ、すべてがお寺の言いなりになるからです。お寺から葬儀屋へ多額の報酬のキックバックがあるとか、お布施もお気持ち次第と言っておきながら死者の地位や門構えによって法外な額を要求されることもあるとか?
早速、市内の私家の宗派の3寺を調査。そのうち2寺の住職と面接しました。「戒名は要らないからその分安くしてもらえないか」の問いに、「普通の3〜4文字ならお布施(の金額)に含まれています。院など位の高い文字を入れると8万円追加になります。京都の本山に登録するための費用です」
生前から寺の檀家になることをそれとなく要請されるところもありました。私は葬儀のお経をあげてもらうだけの付き合いのお寺を候補とし、家内・子供の了解を得ました。
パソコンに「葬儀の準備」ファイルを設け収録。あの世へ旅立ちの準備の一端です。
E トヨタ先輩・工・ゴルフ&テニス仲間・大学の公開講座やあちこちの講習会に出かけて今尚勉強される方。
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葬式、なかなかの命題でしょうか。誕生〜いろいろな区切り〜死。ひとことで言えば死者の弔いを契機に、集った者がその関係を深めるのが本来の姿か。お別れの会、なんていうのは、まさしくそれか。それとはかけ離れたものは、廃れていくのではないでしょうか。
社員関係の葬式の掲示板に目を通すと、家族葬が相当増えてきています。そもそも、坊主と呼ばれる時点で、下に見られているわけで、庶民は昔からその実態をお見通し?○○丸儲け、スグに出てくる単語は坊主。なかにはすばらしい人もいるでしょうし、そのような人に当たればまた得るものもあるのでしょうか。
母の葬儀は簡単に済ませましたが、お通夜に出てくる親戚の数を読み間違い、食事(寿司)の数が少なかったのは、明らかな失敗でした、ご参考になれば(笑)。
一周忌、三回忌は亡き母の兄弟だけに来てくれと言い、見たくもない親戚は呼びませんでした。わざわざ呼んで、不愉快(見るだけでも)な気分になるなんて、馬鹿馬鹿しい。
祖母が亡くなり半年、遺産分割も進みません。たいした相続でもないのに、なにか勘違いしてる人がいるのでしょうか。遺言書もあるにこしたことはない、のかもしれません。
それでは、次のお題を楽しみにしております。
F インターネットの掲示板を通じてお付き合いを始めたものの、未だお会いした事も無い方
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難しい課題でご返事するのに困る次第です。督促を受けましたので現状のみ報告します。
お寺については、実家の宗派は臨済宗(妙心寺)ですが、豊田市には少ないようで(若林にあるとか聞きましたが遠いので)宗派には拘らないことにするつもり。ロイヤルのゴルフ仲間(グランドシニア)で岩倉町のお寺の方が居られ、寺も地味なので近い将来色々相談依頼しようかと今は思っている所。
墓地は40年程前に市が古瀬間で募集した時借用契約しましたが、当時の土地ブームと同じと勘違いし約2.5m角と広いのにしましたが、そんな大きな墓を作るのは馬鹿らしくなりどうしようか困っている次第。今は墓を作らない、例えば永代供養等ではどうか、と考えていますがもう少し先になったら真剣に考え、先のお寺の方とも相談するつもりです。
貴兄のように「仏教界との訣別」と言う大上段に構える気はありませんが、縁があるのは一親等迄であると承知して仏教流で決めるつもりです。以上ご返事まで。
G トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間。いつも直ぐに読後感を拝受するのに、今回はなかなか書いていただけなかったので読後感を督促した方。
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佛教界からの訣別宣言拝読、貴殿らしい考えで行き着くところはこうなるだろう、ということは容易に想像できます。そして小生も考えさせられるところ沢山ありました。
日本には寺がコンビニの倍あるというのはなるほどと思いました。小生は今は刈谷市に住んでいますが、富士松村大字西境(注。愛知県)が生まれた時の住所でした。大字はそのころは150軒前後の集落でした。そこにお寺が3寺もありました。一つは尼寺で檀家はなかったので今は建物だけで誰も住んでない。この大字でコンビニは2店あるので全国では過疎になったところもあるので7.7万寺というのも
納得の数字です。
7年間で喪主を3回続けてやった経験から、仏教の葬式や戒名もおかしいと思いながら地元のやり方でやってきてしまい、自分の時もきっと子供たちが同じような格好でやるだろうと思ってます。三河の百姓の5代目ともなると檀家寺との関係はもう変えようもありません。
戒名なども田舎ではこの家は院号付かどうかも、今までのお寺への貢献度(普請の時の寄付金など)で決まっている。小生ももう院号は決まっているらしい。それによって葬式代も自動的に決まってしまう。坊主のところに100万円持っていきました。坊主にとっては今年は檀家で何人死んでくれるかが年収に関係するわけです。
我が家の檀家寺の宗派は浄土宗(永観堂)です。お墓もお寺の隣に昔からあり、昔は小さな石塔が沢山あったが父親が一応纏めた。それでも花立を3対も作ったのだからお墓花の用意が大変です。なるべくこのようなものは小さくした方が子孫には楽になるというものです。そんなことでお寺との付き合いはなるべく少なくするように努力してます。毎年のお盆の行事も大変ですので、極力お盆の時期は日本にいないように海外に出かけます。今年は北海道に逃げ出す予定です。
今の仏教は確かに葬式仏教ですが、仏教そのものというかシステムとしての仏教にはいいところもあります。例えば死後の7日ごとのお参り、49日忌、一周忌などは悲しいときにはその日が早く来ないかと思い、それが一つ済むと悲しみがだんだんとへっていくような気がしたのも事実です。
他の宗教にこのようなものがあるのかどうか知りませんが、悲しいときには線香を焚いて仏壇の前に座っているのが一番リラックスしたのものです。どうも人間というものは理性だけではうまくいかないものですね。あの頃は自分でもよくわからない心の状況でした。
実は今月10日から敦煌西安に5泊6日で見物にいきます。貴殿の旅行記にあるのではないかと見てみましたが、昔の西安はありましたが最近はいってないようですね。シルクロードの向こう側はいかれたがこちらの出口か入り口知りませんが敦煌側まだですね。行かれるつもりはあるのですか。
(注。西安と西トルキスタンの間にある東トルキスタンには、元気であれば何れ出かける予定です。今は遠隔地を優先。7/31-8/19には南部アフリカ11ヶ国へ出かけます)
暑さに向かう折、ご自愛の程を。
H トヨタ先輩・工・海外駐在歴20年余・超アフリカ通・奥様が永眠された結果、毎年海外のリゾートホテルに長期滞在して余生を満喫されている方。
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「仏教界との訣別」を拝読いたしました。石松様の次の海外旅行先がどこになるか楽しみにしているのですが、お元気でお過ごしのご様子で何よりです。世界地図を塗りつぶしながら、毎日、テニスやゴルフで体力を養っておられるものと拝察いたします。
さて、仏教界から訣別されるそうで!!今の仏教界の在り方を考えれば、我が石松様がそのような決断をされるに至ったのは当然のことに思います。仏教が6世紀に百済から伝えられたとき、倭国の大王と豪族達は大騒ぎだったそうですね。曽我氏一門だけが許されて受容れ、仏像に一族の繁栄を託したようです。
それが後に、ローマ時代のキリスト教と同じく国家鎮護の宗教として朝廷と貴族層に受け入れられ、民衆支配の一ツールとして各地に国分寺が建立されたと学びました。しかし、鎌倉仏教の各派は民衆の苦悩救済を願い、釈迦の教えに近づけたのではなかったかと思います。
ところで、我が家は曹洞宗です。それに深い意味は無く、両親の実家が共に曹洞宗であったため、母が脳卒中で急死したときにバタバタと実家の寺の住職に枕経を上げてもらったのが始まりでした。当然のように、父の葬儀も同じ住職に厄介になり、数年前に本堂を新築した折には割り当ての60万円を寄付しました。
医者によれば私は痛風腎だそうで、肝心なその機能は1/3に衰え、朝方は腰痛で暫くベッド上でゴロゴロしている昨今に、70年使い続けた各部品はそろそろ寿命がきたようだと実感しています。しかし、能天気にも我が葬式のことは別に気にもとめていません。
それは、曹洞宗の教えや、跡を継いだ若い住職の説教が気に入っていて、我が葬式で修証義や般若心経を上げてもらいたいと思ってのことではありません。ただ、最新の宇宙論にも通じる「色即是空」「空即是色」はいささか気に入っていて、中東のユダヤ教から発したキリスト教やイスラームの“神”にすがる世界宗教よりは仏教の方が余程ましだと思っています。子供の頃、高名な物理学者がキリスト教徒だと知って酷く裏切られた思いをしました。一方で、現在の葬式仏教を擁護する気持ちはいささかもありません。
私は、葬式とは残された者達のためにあるものだと思っていますから、残された者が気の済むように好きにやってくれれば良いと思っています。その火葬や葬儀のカネが勿体無いと思えば、我が遺体を水の出た川に流してくれてもいいし、火葬後の灰を花壇の肥料にしてくれても結構です。それを伝えてはありますが、遺言にはしてありません。
多分、世間体を気にする愚妻は、隣近所や親戚並の葬式をすることになるでしょう。この一年、父方の最後の叔父と母方の最後の叔母を送りました。数十年来逢わなかった従兄弟・姉妹と顔を合わせ、お互いの老けぶりを笑い合って心温まる一時でした。
I トヨタ先輩・工・早々と依願退職されて帰郷。郷里の会社で一大出世。200を超える発明考案や特許取得⇒人類に大貢献された方
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仏教界との訣別を読んで。
小生の仏教、お寺さんとの馴れ初めは義母の葬儀が起因していると思います。義母は永らく(義父の死後)独りで暮らしていました(北陸の金沢)が、年を召してきたことと、病気のことを考慮して小生の家に転居させました。愚妻の希望と小生の責任からのことです(愚妻は一人っ子)。
義母、愚妻、小生三人でささやかな暮らしを始めました。四ヶ月ぐらいの経過後かと思いますが、浴室での転倒による胸部骨折で入院。MRI検査の結果、脳内出血と判明し長期入院となりました。 経過は順調でしたが再び脳内出血を起こし昏睡状態となり、処置もむなしく帰らぬ人となりました。入院後七ヶ月目でした。
義母の葬儀は小生が喪主(愚妻の希望で)として取り仕切りました。葬儀は葬儀社に全て任せました。(葬儀社とかお寺さんとかにかかわりが無く、何も知りませんでした)この葬儀を通して、浄土真宗本願寺派・香昭山・一念寺住職との繋がりを得ました。
一周忌、三回忌には、お寺さんに来ていただきお経を上げて頂きました。もちろんお布施は差し上げております。こんな関係で、春のお彼岸、盂蘭盆会、秋のお彼岸法要にはお寺へ出向きお経をあげ、住職のお説教を聴いて帰ります。
私共があげるお経は、正信念仏偈・念仏和讃・仏説阿弥陀経等です。小生としては深く宗教(仏教)について考えた事はありませんが、お寺での読経、毎朝の仏壇での読経で先祖の供養と、自分自身の平穏無事の生涯を終える事が、小生の仏教との交わりと思っています。
石松先輩の言う「仏教界との訣別」に対しての読後感としてのお答えとは思っていませんが、凡凡人である小生が書ける精一杯のことです。お布施、葬儀、仏壇等についてはまたの機会にいたします。
J 福岡県立東筑高校後輩・早大・東海東筑会幹事長・毎年の懇親会や諸活動で大変お世話になっている方
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貴兄の決断に多くの方が賛意を抱きながら、実際自分が真似できるかというとなかなか難しい、とお考えのようですね。
実は、私もかねてより「俺が死んでも葬式などしなくていいぞ!」と家人に言っていました。それに対して、妻は「私が先に逝ったときは、そうしてくれてもいい。どうせ私には分からないことだから。でもあなたが先なら、多分そうなる筈だけれど、私は近所や親戚から何を言われるか、言わないまでも思われるかと考えるとそんなことは出来ないので、一番質素ながらこの辺りの風習にあわせたやり方にするわ」と言っていました。
7年前、足助町で17年間独り住まいをしてきた養母が階段から転落死したとき、数日後に近所の人からの通報でかねてから懸念していた最悪の結末に遭遇しました。
その葬儀と忌明け法要が済んだ翌日に私はつぎの文書を持って檀那寺に檀家としての関係解消を申し入れしました。
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○○寺住職 ○○○○様
養母○○三十五日忌法要終了の御礼および今後の仏事執行方法について
過日は新緑の香嵐渓一の谷にて亡○○の忌明け法要を執り行いましたところ、変則的な形式ではありましたが、特に遠来のお客様より「足助の観光資源の素晴らしさを見なおしました」等と好評を博すことが出来ました。
ご住職様には、施主としての心得の至らなさに対して何かとご教示賜りまして、無事終了することが出来ましたことを、改めまして心より御礼申し上げます。
ところで、○○寺様には弊○○家の菩提寺として永年にわたりお世話戴いてまいりましたが、今回の法要を以って檀家としての立場を返上させていただきます。と申しますのは、寿々家の建物を当分空家とすることに相成りまして、将来的にも私どもの住屋とする予定がございません。二人の娘たちも関東地区に居住して居りまして、三河に戻る気持がないことを表明しておりますし、「賃貸住まいをやめてマンション購入を考えています。いっそのこと、私たちと一緒に住みませんか。年寄りが○○さんのように、いつまでも頑張っていると同じようなことになり兼ねないから…」と申します。
2月の半ば、豊田の拙宅に数日泊まりにきた○○は一日中昔話を話しつづけて、聞いている側がへとへとになるほど元気でした。「足助の家の整理を私たちが手伝いましょうか」という呼び掛けにも、「そんな世話はしてもらわなくていい。自分でちゃんと出来るから」ときっぱり断ったものでした。「足腰は弱ったけれど、頭はまだボケていないからね。私は百まで生きるんだから!」と意気軒昂だった母の急逝に接し、私どもは「まだ娘夫婦の世話になるような歳ではない」と思いつつも「誘ってくれるうちが華」と考え直さざるを得ない心境でございます。
昨24日に横浜へ戻った娘たちは、本日マンション申込の1回目の抽選結果を知らされる予定になっており、これに洩れたとしても次々応募しつづけることでしょう。こうした状況の中で○○寺様に初盆、一周忌、その他のお世話をいただけるか否かは真に不確実という他なく、上記の如く判断させていただくことに致しました。
今後の仏事行事につきましては、幸いなことに私の実家の親近者に四名仏門に仕える者が居ります(その一人は今回の法要にも列席しました)ので、よく相談のうえ親鸞聖人ひいてはお釈迦様の教えに反しないようお勤めさせていただく所存でございます。
なお、○○寺様にも故鶴吉以来、月々の命日のお参りを数十年間にわたり勤めいただいて参りましたが、同様にお取り止めいただくことになりました。
以上、永らく○○家の仏事全般お世話になりましたことを、重ねて御礼申し上げますと共に、誠に勝手な申し出ではございますが、事情をご斟酌いただければ幸いに存じます。
平成十四年五月二十五日
○○○○拝
追伸:直接お話しさせていただく積もりで参りましたが、お留守の場合に備えて書面をしたためました。なお、妻○○も同行の予定でしたが、葬儀以来三十五日忌までの疲れから臥せっており、失礼させていただきました。
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住職はざっと目を通して、「はい、分かりました。承知いたしました」ということになりました。
文中で娘たちに横浜移住を勧められているようなことを書いていますが、当時はそうすることなど念頭になく、ただこの住職との関わりをなくしたいという気持ちのみでした。
80代の住職は豊田市○町の拙宅にまで出向くことが困難な状況でしたが、長男に引き継ぐべく、教職を定年前に辞めさせていたので、「息子は車に乗ります。貴家に伺うことは厭いません」ということになると思われました。
この住職は何かにつけて細かい指図をすることで、故人もかねてより私どもに不平不満を言っていたものでした。例えば、「○回忌のお勤めをする場合は仏壇に7段の花餅を飾るのが正式のやり方です。今時そこまでやってもらえる家はありませんが、寿々家さんの女将には古式ゆかしい伝統を守っていただけるかと……」といった調子で何度となく電話したり近所へのお参りに来たとき話して間接的に住職の意向を伝えたりしていました。
養母は「面倒なことを押し付けられて、あんな坊さんとはもう付き合いたくない」と内輪で愚痴をこぼしながらも、「さすが寿々家さんの女将は違う!」とあちこちで吹聴してくれる住職の指図を無視する気にはなれない様子でした。
仏壇が長年薄暗く湿気の多い部屋に置かれていたために傷みがひどいことを話せば、仏壇屋を紹介しようとする、養父の納骨が済んでいないことを知ると「京都の本山へ納めるのがよい。私が同行してあげる」という、いずれも親切心の表れかも知れないけれど、口利き料やお布施が狙いではないか、と感じられたりしたことも屡(しばしば)でした。
三十五日忌の法要が済んで、会食の席に着いたときに住職が私に挨拶をするよう促したので自分の席で話し始めようとすると、「そこでは駄目だ。こちらへ出てきて立って挨拶するように!」と指示され、そのようにしようとしたら、お客様を見下ろして話すのもよくないからやはり座りなさい」という。……こんなやり取りが他にもあって、閉口したが妻は私以上に腹立たしく感じたようです。住職が一足先に帰ると、親戚の人たちからも「あんな言い方はおかしい。酷い!」という声が出ていました。
こうした背景があって、寺への絶縁状持参に及んだわけですが、「嘘から出たまこと」というか、4年後の横浜移住に繋がりました。この地でなら表立った葬式などしなくても済みそうです。
K トヨタ先輩・工・メールでいろいろ幅広い分野から情報を紹介して頂いている方
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その1
初めて、メールを致します。永松勝文さんの郷里、甘木の後輩で、昭和21年生まれのシニア団塊の世代のはしりで、アメリカに憧れた一人です。
トヨタを退職後のがんの闘病記は感動と言うよりは、壮絶な闘いですね。
世界各国に向けた旅行の挑戦は、病魔を打ち負かしているとは思いますが、生きるとは!幸せとは!そして死とは!(少し書きすぎかもしれませんが)読者の一人として、考えさせられます。
この年になると、少しの感動で、胸も目頭も熱くなります。私も学生時代はサイクリングと登山を混ぜたようなクラブに入っていて、日本中を周り、その後の人生でも、旅行が1番の生きがいになっております。土曜、日曜は毎週と言って良いほど、どこかに行きます。
そして、やはり、何かがあり、この繰り返しですが、石松様の旅行記の裏に秘められたものを考えながら、私はまだ健康だから、感謝もしたりするものです。
まずは、ご挨拶申し上げ、今後の執筆を期待いたしております。盛夏 PS機会ありましたら、今後もメールをさせていただきます。 ご迷惑でなかれば・・・・。
その2
随想のー仏教界との決別ー咄嗟に色々な推理が駆け巡りましたが、納得できても、現実の宗教界は、各国とも大きな勢力として、信者の支持をえて、政治や種種の権力に利用され、また利用していることも事実ですね。
私の実家は浄土真宗で、周知のことですが、親鸞や、歎異抄の唯円、そして中興の祖と言われている蓮如など、幼少の頃から聞いたり、また本を読んでも、果たして、現代の社会で、本当に死に直面して行く中で、浄土の悲というものが、支えになるものか常に疑問のままです。
五木寛之も親鸞をはじめ、この種の作品を沢山執筆してますが、死を考えた場合、地球上の人間という動物が単に消滅するだけで、なんの道理もないともいえます。人間の知恵は、人生の恐怖を和らげる手法を身につけ、あらゆる方法で、緩衝することができます。
石松様が旅行したり、ブログを立ち上げたり、テニスをしたりしている行為こそが、私には生きてる人の感動を覚えるものです。
永松様の紹介で、本当に人生の邂逅(かいこう=めぐり合い)の不思議さを感じます。次の旅行記楽しみにいたしております。
L 未だ会った事も無い大学後輩(経)の知人
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碧南市の高橋さんのブログに貴兄のホームページを紹介したら、訪問者の一人から書き込みがありました。最初の読後感を書いた人の記載内容に驚愕したものと思われます。
仏教界との決別を読んで 投稿者:お遍路さん99ヶ所 投稿日:2009年7月24日(金)00時23分38秒
kay1938さんの投稿にあった「仏教界との訣別」というところを読みましたが、そんなにお金がもらえるならこのお坊さんすごいお金持ちになってしまうと思った。
私も佛行ともうひとつ本業があり、兼業でないととても佛行だけでは生活はできません。ガソリン代も払えないので自転車でそこらじゅうを走っています。本当にわずかばかりのお布施をいただいているのが現状です。どなたかお亡くなりになった時は、お安く読経しますのでよろしく。
M トヨタ先輩(工)の知人経由の訪問者
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尊敬する貴兄の、心の内を正直に吐露されたこの度の「仏教界との訣別」を読ませて戴きました。
冒頭に記載されております「インターネット」からの引用に記述されておりますこと、即ち、「今から 2,500年前に インドでお釈迦様が始めた仏教には、戒名の制度や習慣が存在したのでしょうか?
その答えは「 ノー 」です。戒名はお釈迦様の始めた仏教には存在せず、後世になって作られたもの。従って戒名 ( 宗派によっては法名、法号とも言い、戒名が無い宗派もあります
)が無ければ、死者が成仏できない、あるいは極楽浄土に行けないなどというのは仏教の 基本 を知らない者の言葉か、あるいは無知 (?) な衆生を「たぶらかして」カネ
儲けをはかる、僧侶や葬儀屋の勧誘、宣伝文句に過ぎない」と記載に私も全く異存ありません。
貴兄は冒頭これを記述し、もって、まずは「戒名」が仏教の教えから逸脱したものであることを我々に知らしめた後、独自の見解を述べられております。
曰く、「戒名さえなければ、この種の芋づる式に現れる習慣とも縁が切れすっきりすることになる。戒名とは、守銭奴仏教界が考え出した濡れ手に粟の集金システムの中核であることは明白だ。たったこれだけの単純な理由から、私は戒名を拒否するのと同時に仏教界とも訣別することにした」
確かに、昨年秋から暮れに掛けてのサブプライムローン破綻に端を発する経済危機に瀕して、企業の多くが派遣切りをした結果多くの失業が出た際に、湯浅誠さんのように東大大学院法学政治学の博士課程出身の人で自ら彼らと同じ生活をし、ホームレス支援活動に生涯を捧げている人がいるのにも拘わらず、仏教界で援助に乗り出した人や、お寺さんが緊急に食事を振舞ったという話を私は寡聞にして知りません。欧米では教会が食事を世話したと聞きました。一事が万事で、現在の仏教界の姿を如実に示していると思います。その意味で貴兄の見解は良く理解できると存じます。
さて、しかしながらなのですが、私として貴兄に反論することは極めて畏れ多いことと存じますが、全く考えを異にします。「戒名」や「葬儀」「法事」「墓地」等の仏教に付随する慣習、諸行事などは仏教の本質から逸脱したもので、お釈迦さまの教えを理解しない人たちの造り出した(あるいは創り出した)まるで価値ないものであると思うという点では反対するものではありませんが、だからと言って、「仏教」そのものを否定するあるいは「仏教」から訣別するということは、理解に苦しみます。「仏教」とは、というより、「宗教」とは、そんな底の浅いものではないのではないでしょうか。
ドストエフスキーも記しておりますが、「神がなかったら文明はない」「宗教のない文明はない」のではないかと思います。
私は、無神論の人が居ても、それはそれで、その人なりの信念でしょうから、尊重します。しかし、たかが「お布施」や「法要」の有り方に不審を抱くからと言って、「仏教」を否定するのは如何かと存じます。たとえ、守銭奴の如き坊主が居て、高額の「戒名料」を請求してきたとしても、遺族が支払える範囲なら払えば、そのお陰で坊主の生計の資となることで功徳を施して上げれば、別に問題はないと思いますし、仏教が存在する意義とはまるで関係ない話なのではないでしょうか。
日本人はそもそも「寄付」をする人が少ないことの方が問題です。所詮お金持ちになったあるいはお金持ちであったとしても、そんなことは人間としての価値に全く関係ないことと思います。ささやかに家族が日々食べて行けるだけのお金があれば、それ以上何を望む必要があるのかと思います。金銭にこだわらないという信条を持っている積もり(参考までに個人的なことを書かせて戴きますと、私は親からの相続を放棄しました。また、義父母からの相続も拒否しました)ですが、この現代の資本主義の世に於いて生活している以上、多少は金銭についての私なりの考えがありますので、宗教を語る前に若干、資本主義についての私の偏見を述べさせて戴きます。
@ 何故銀行では、高額を貯金すると高利子とし、少額の貯金には低利子とするのか、そもそも私には分かりません。「資本主義の原理をまるで分かっていないで、良く現代の社会で生活できているなあ」と友人に言われたことがあります。しかし、私は高額を預けられるお金持ちに、高い利息を払ってやる必要はない、むしろ貧しい人たちの少額の貯金に対してこそ高利子を付けて上げるべきと考えております。(余りに経済を知らないアホな者の戯言と嘲られることでしょうが、敢えて主張したいと考えております)
A 私はスポーツ(野球や相撲等)を見たり、芸術(音楽、絵画、彫刻等)を鑑賞したり、テレビで大河ドラマを見たりすることが好きです。しかし、スポーツのスーパースターや俳優や、著名な芸術家が余りに高額の報酬を得ることは、良いことではないと思っております。
現代の世の中には飢餓に苦しんでいる人たちがどれほど居るか、身近な問題としても派遣切りに有って住む家もなくなり、まともな食事にも有り付けない人が多くいるのに、一方で何億という収入を得ている人がいる世の中は、その人たちが悪いというより、そのようなことを許す社会構造、無制限の自由放任の資本主義体制が良くないと思います。貪欲の限りを尽くす米国の金融界の幹部連中であろうと、前述のスターたちであろうと、社会構造さえ変えれば、もっと適正な報酬で暮らすようになるはずです。
B こういうことを言うと、才能ある人を優遇しないなら、社会の進歩はなくなるし、人は努力をしなくなり、共産主義国家の失敗を再現することになると主張する人がおります。では、現在メジャーリーグで活躍するイチローのような世界の記録を塗り変えるような偉大な人材の報酬に対し、同じく物理や化学やその他の学会のスーパースター、即ちこの世界で歴史的な新発見をしたり新理論を創り上げて人類に貢献した人に、メジャーリーグのスターに匹敵する報酬をもって報いているでしょうか。ノーベル賞を受賞した人が一生の間に得る収入はどれほどでしょうか。やはり、アメリカ的というべきかアングロサクソン的というべきか、とにかく彼らが築き上げた現在の世界の経済体制は間違っていると私は思います。
C 自由放任主義的経済理論を基礎付けたと言われるアダム・スミスは、「道徳感情理論」で人間は生まれつき道徳を備えていて、経済活動は人間が潜在的に備えている道徳観に基づき自然に調和して行くものであると言いました。だから、自由放任と言ってもある種の規制が自然に働き、ほど良く収まって行くと信じていました。
しかし、現在のアメリカの金融界の人たちの言動を見ていると、まるでアダム・スミスの言うが如き善意を潜在的に持った人たちではないと思います。世界にどれほどの飢えている人が居ようとも、自分さえ何百億の資産を手にしさえすれば、それを恬(てん=あっさりしている)として恥じない破廉恥な連中です。人類の持つ悪念の一面を示しているのではないでしょうか。
さて、今回の貴兄のご見解は金銭問題や資本主義についてではなく、あくまで「宗教」「仏教」に関するものでした。上記の記述は少し道を外しているようですので、本筋に戻さねばならないのとは言え、私如き浅学のまた深い信心を有しない者には、荷が重いのですが、感じたまま考えるままを書かせて戴きます。
@ 私の家は代々「浄土宗」です。家内の実家は「浄土真宗」です。前者は「法然」を開祖とし、後者は「親鸞」を開祖とし、親鸞は法然の弟子だった訳ですが、大雑把に言うなら法然の教えは「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることと戒律を守れば極楽浄土へ誰でも行けるということと思います。
しかし、弟子の親鸞は戒律をまるで無視したように肉食妻帯を認め、法然の「悪人往生」を更に過激にして「悪人正機説(悪人こそ弥陀が救済してくれる)」まで行ったことであると思いますが、私は若い頃、この考えがどうしても理解できなかったのでした。何故悪人の方が善人より救われるのか。そのようなことを教えとする宗教は信じるに値しないとさえ考えました。
A しかし、長ずるに及び、人間誰しも自分自身善人と言えるような人は居ないのではないか、誰しも他人に言えないような恥ずかしむべきことを過去にしているという思いを抱くようになりました。詰り、誰しも悪人と言っても良いような存在なのではないかと思うようになりました。自分で気付かないで、他人を傷つけていたり、差別意識で人を見下したり、騙したり、恨んだり、等々の悪徳の数々をなしてきていないでしょうか。私自身はとてもではないけれど、善人とは言えないと思っております。
但し、世の中に大きな災いとなるような悪をなさなかったのは、それだけの影響力のある社会的な地位に立たなかったというより、社会的には底辺に近いところで蠢いている存在である為に、何をなそうと全く社会に何の影響も及ぼさなかったというある意味の幸運に恵まれたに過ぎないというだけのことです。このように考えると、親鸞さんの説く「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は凡愚にして悪人の私に取って、救いの言葉であり、まことに有り難い教えと思うようになりました。
B これは仏教の話ではなく、キリスト教についてですが、私は長らく「イエスキリストの復活」について、全くのまやかしの話であり、有り得ない話である、このようなことを信じることがキリスト教の信者になる前提条件というのは信じられないことと考えてきました。しかし、これについて遠藤周作氏の解釈で霧が晴れるように理解できるようになりました。
イエスがゴルゴタの丘で十字架に掛けられたのは歴史上も事実でしょうが、裁いたのはローマなのか、ユダヤ教衆議会なのか、何故なのか、何故弟子は全く罰せられていないのか等事実の多くは不明とのことです。
遠藤氏の推定では、イエスの逮捕からゴルゴタの処刑場連行までの間、殉教者ペテロやヨハネなどの弟子たちはエルサレムの近くの場所に隠れていた、ユダヤ教衆議会の大祭司と妥協をはかって身の安全を保証してもらった、即ち、イエスを裏切ったのではないかと想像しております。自分たちの罪を全て師に償わせた悔いと恥ずかしさに慄(おのの)いたと想像されます。
聖書によると十字架に掛けられたのが正午で、息を引き取ったのが午後3時ということですから、3時間の言語に絶する苦悶の中でも裏切った弟子への恨みの言葉を吐くどころか、弟子たちの救いを神に祈って死んで行ったことに、弟子たちは衝撃を受けた。今までに想像できなかった無私の人間を目の前に見て、余りの驚愕と衝撃に「この人はまさに神の子なり」と感嘆の叫びが発せられた。イエスは死んだかも知れないが、彼らの心には永遠にイエスは蘇り生き続けたのではないか。これが「イエスキリストの復活」なのだというのですが、この遠藤氏の解釈は多くの敬虔なるキリスト教の信者の一部からは顰蹙(ひんしゅく)をかっているそうですが、私はまさに正鵠を射ていると考えるようになりました。
C これは私の解釈ですが、人は自分の持っている倫理観や人間観、そして経験の範囲でしか他人を理解することはできない存在だと思います。イエスに会う前まではユダヤ教の信者であったであろう弟子たちは、イエスといえども自分を犠牲にしてまで(血を分けた人ではない)弟子をそして人類全体を救おうとすることなど想像できなかったのではないでしょうか。そのような人間がこの世に生存することは有り得ないと考えていた、いやそのようなことすら全く考えもせずに生きてきたと思うのです。そんな虚弱な精神(と彼らは考えたでしょう)ではあの過酷な時代のそして過酷な歴史を背負ったユダヤ人があの過酷な地で生きて行ける訳はなかったと思います。
ところが、イエスは彼らの想像をはるかに超えていた。従って、この世の人とは思えなかったのではないでしょうか。それが「イエスの復活」となった、彼らはイエスの死以後、どのような苦境にもめげずに死も恐れず布教に邁進し殉教して行ったと思うのですが・・・。
D さて、仏教の話に戻りたいと思います。禅の曹洞宗の始祖「道元」の話が私は好きで、ときどき自分を戒める為に、いつも思い出していますので書かせて戴きます。
道元が入宋して最初に上陸した地で、手違いで船に1ヶ月ほど残されてしまった。このとき、禅寺の炊事係の老僧「典座(てんぞ=炊事係の役職名)」が来たそうです。
道元「貴方は随分の御歳のようだが、未だに炊事係りなのですか?」
典座「外国からお見えの人よ!貴方は何か禅というものを誤解しているようだ。禅とはこういうことをすることなのです」この言葉で道元は頓悟したとのことです。
E 長くなってしまいましたので、結論を申し上げたいと存じます。宗教を信じようと信じまいとそれぞれの自由です。無神論の人だからと言って私は拒絶することはありません。但し言えるのは、私たち普通の人間は常に悩み、常に苦しみを抱えて生きています。ですから、人は心の安寧を少しでも得るためには「神を信じ」「宗教に心の支え」を得たいと思うのではないでしょうか。
貴兄のように世の中に対峙し何ら助けを求めず自分を信じ、正々堂々対決して行ける人は宗教の支えがなくても生き抜けるでしょう。そのような方が「仏教界との訣別」をすることはある意味、それ自体が仏教でいうところの一種の「悟り」なのかも知れないと思います。
N トヨタ後輩・工・いつも貴重な読後感を賜わる方・古希近い高齢に至った今も尚四六時中働き続けながら社会貢献をしている偉人・難読文字には石松が勝手に振り仮名を添えました。
石松の追記
仏教・キリスト教・イスラームの何れも開祖は当時の民衆の精神的な悩みを救済すべく登場した。
日本の仏教界が取り組むべき『民衆の精神的な悩みの救済活動』とは何か。経済弱者の救済は政府の主業務。私は仏教界にお布施を通じて所得の再配分をするのを期待しているのではない。でも、先進各国の中でわが国の自殺者の人口比率が突出しているのは、日本の仏教界の怠慢ではないか、と思っている。自殺予備軍である鬱病患者などが住職に相談に押しかけている様子はない。
仏教界が厳守すべき『不易流行』が逆になっている。仏教界での『不易』とは『民衆の悩みの救済』、『流行』とは今日取り組むべき課題の中では『自殺者の減少活動』と確信している。私が訣別したくなったのは『国民が喜んで寄進したくなるような宗教活動をサボり続け、守銭奴と化しているわが国の仏教界』であって、仏教界を含む宗教の存在意義を否定しているのではない。
我が友人や知人に『戒名を付けて貰えば極楽浄土へ行けるそうだが、極楽浄土や天国とはどんなところと想定していますか? 働く必要も無く、酒池肉林も享受できる世界でしょうか?
私には悩みこそ多いものの生きている今こそが極楽浄土に思えるのですが・・・』。その返事は『・・・』
インターネットから
2004年
WHO によると、人口10万人あたりの自殺者数は日本が世界10位、先進国の中では1位。45〜64歳の中高年男子の自殺者数が急増した。不況によるストレスの増大が理由とみられる。
ちなみに前回調査
(1999)
では日本は世界23位だった。
主な国の自殺者数(人口10万人あたり)
リトアニア(47.7人)
ロシア(38.7人)
日本(24.1人)
フランス(17.5人)
ドイツ(13.4人)
アメリカ(10.4人)
イギリス(7.5人)
参考:世界全体の自殺者数は年間100万人(40秒に1人)、殺人や戦争の死者の総計を上回る
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石松兄は仏教界と決別をされたようですが、私は昔から無宗教者でした。とは言っても無神論者ではなく、人智を超えた宇宙天地創造のなにものかの存在を信じています。
タイで過ごした8年間でタイ人の葬儀の在り方や死生観を知ることが出来ました。彼らは死者(或いは死体)を穢れたものと見なします。
葬儀では僧侶が必ず4人で読経しますが「この世に絶対に戻ってくるなよ〜」と唱えているそうです。そして死者の形が残らないように火葬、それから散骨です。きれいさっぱりなくします。
従って墓を持ちません。もっとも中国系タイ人は墓を持つ人もいますが。彼らも輪廻転生を信じていますが、生まれ変わってくるのは「この世」ではなく、全く別の世界だそうです。別の世界で生まれ変われるのは、人間とは限りません、犬猫などの畜生道に落ちるかもしれないのです。
再び人間として甦るかどうかは本人の現世での徳(ブンといいます)の積み方に懸かっていますいます。徳を積むために毎朝回ってくる托鉢僧へ食物の寄進(徳を行なう=タン・ブン)をし、何かにつけお寺に行ってささやかでもなんらかの寄進をします。
これらの体験や見聞から、葬儀は家族だけで済ませ、火葬、散骨で墓はもたないことにしようと思っています。
遺骨をちょっとだけ混ぜた小さなセラミックプレートに名前・年月日・好きな言葉などを刻んだものをカミサン、子供達それぞれに残そうと思っています。残された者たちが、常日頃は机の引き出しにでも入れておいて、命日に思い出したら取り出して、机上に置き、花でも飾ってくれるのもよし、忘れて引き出しに入れっぱなしにするもよし、と思っています。
もっともカミサン自身は樹木葬にしたいと言ってますが・・・・・。多分死んでからまで一緒の行動はしたくないと思っているのでしょう(笑)
O 大学級友・工・食道がんとホームページの先輩
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全く突然で本当に失礼します。貴兄の「仏教界からの決別」を読んで。
人の側頭葉に埋め込まれた、死すときに見る「光」が遺伝として存在する事をご存じでしょうか。全く知りません。証拠を明示できない現象を信じる気はありません。だからこそ人は宗教に趨り、その為に争うと思います。
なかなか理性の通りにはいかないでしょう。またお考えが変わる日をお待ちしています。
お腹立ちでしたら、どうぞお許し下さい。路傍の小石より。
P 全く知らない方。平成22年7月19日受信。
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