5.低周波音と脳

5−1.低周波音感の記憶

さて、ここらからやっと当サイトとしては本題らしくなります。 

 「古い神経回路が形成され、一生覚えている情報となる。これに要する期間は半年から
2年程度と言われている」という上記の記述が、当に、低周波音症候群発症までの「潜伏期」などと考えるとほぼ上手く符合する。また、その後、私や何人かの被害者の、「低周波騒音現場を去ってからも低周波音に敏感である」と言う、後遺症的症状(低周波音感知能力が落ちない=低周波音による非アレルギー性音過敏症)が長期記憶によるモノだとすればこれまた符合する。

その上、低周波音感が長い人類の歴史の中の太古の時代から命の危険を伴う自然災害とともに記憶としてDNA的に刷り込まれ、半ば本能的な記憶になっているとすると、人間にとって今更敢えて、神経回路を形成するまでもなく、単にその古い記憶情報を呼び起こせば済むことである。尚かつそれが現実の自然界に存在する低周波騒音より、新たなる人工的低周波音発生装置により頻繁に呼び出されれば「古い記憶」が学習するまでもなく即座に「現在稼働中の新しい記憶(と言うのものがあるとすれば)」として甦るのは必然であろう。

もちろん、元々記憶が有るなら、パッと反応しても良さそうなモノだが、そこがそれ、余りに古く本人も記憶が有ることを忘れているくらいであるから、仮に記憶があったとしても呼び起こすのに相当時間が掛かるわけである。それに個人により差があるのは当然であるが、これが潜伏期の個人差の理由の一つではなかろうか。まー、それに敢えて想像してみると、この低周波音感に伴う危険感のDNAへの刻まれ方の度合いが個人によって差があるのではなかろうか。例えば、祖先が、数度にわたり、火山爆発とか、津波とか、地震に被災した事があるとか、そして、それが現在に於ける平常時には何らかの個性の差、例えば、五感などの感覚差として現れているのではなかろうかと想像などはしてみるが、残念ながらそれは低周波音被害者の全数調査でもしないことには解らないし、先ず持って何を調査項目とすべきかも解らない。ただ、聞くところでは、低周波音被害者には同時に電磁波被害者も多いと聞く。
 
 人類の昨今の歴史では、本能的古い記憶が完全に削除されてしまっている人の方が多くても不思議ではない。これが私言うところの“低周波音不可聴者”であり、人間として低周波音感としては「退化」ではあるが、また同時現実の低周波騒音被害に対して抵抗力ができており、or完全に無知で、現在の世界においては暮らしやすい者とすれば進化とも言えよう
 

 ただし、先日(13/10/20)「NHKスペシャル|病の起源第3集うつ病 〜防衛本能がもたらす宿命〜」で、昨今の脳の研究では、現代蔓延している病の一つである鬱病は、勿論低周波音被害者は漏れなくなるのだが、「意外にも5億2千万年前に誕生した魚の研究から明らかになってきた。魚でもある条件を作ると、天敵から身を守るために備わった脳の「扁桃(へんとう)体」が暴走し、うつ状態になることが分かってきたのだ。さらに2億2千万年前に誕生した哺乳類は、扁桃体を暴走させる新たな要因を生みだしていた。群れを作り外敵から身を守る社会性を発達させたことが、孤独には弱くなりうつ病になりやすくなっていたのだ。そして700万年前に人類が誕生。脳を進化させたことで高度な知性が生まれ、文明社会への道を切り開いてきた。しかしこの繁栄は、皮肉にも人類がうつ病になる引き金を引いていた。…」

 と言うことで、鬱病の発症は、人類が進化してきた結果であり、これを癒すには原始の生活に戻るのが宜しいとのことである。そこまで行くのはこれまた苦労だが、中々興味深い番組であった。詳細は…


  5−2.低周波音被害の「右脳的左脳的」論

では低周波音の記憶を「非科学的俗説」とされている「右脳・左脳論」をひとまず「右脳・左脳論"的"」に考えてみよう。この「的」が一字付くだけで、物事はかなり曖昧に述べることが許されるらしい。即ち、低周波音感”獲得”の脳的過程を今度は、イチャモンを付けやすい、左脳・右脳と言う、器官として限定したものでなく、一般に言う左脳的・右脳的とすると「…風な」とか「のような」とか「…かな?」と言う意味あいを持たせることができる日本語として実に便利な魔法の一字なのである。

騒音、雑音は、本来、脳的には、表1によれば、右脳が持つ「イメージ記憶、直感・ひらめき、芸術性・創造性、瞬間記憶、潜在意識」という無意識脳としての機能により、「無意識的に、高速大量に自動的に処理し、単なるイメージとして」一時的記憶として“聞き流し”的に処理してしまう音であり、また、本来そうすべき音なのである。

表1 左脳、右脳の働き
左脳 右脳
言語認識 イメージ記憶
論理的思考 直感・ひらめき
計算 芸術性・創造性
じっくり記憶 瞬間記憶
顕在意識(意識脳) 潜在意識(無意識脳)
ストレス リラックス
情報を逐次処理する 情報を並行処理する
細部を捉える 全体像を捉える
話し手の内容を理解する 話し手の感情を把握する
幸せや喜びの感情を担当 怒りや不快の感情を担当

騒音には色々な定義があるが、脳的には私は“右脳的に処理すべき音”を「騒音」と定義したい。意味を持たない音(人間の言葉も含めて)は低周波音に限らず、本来的に、“右脳的に処理される音”(=聞き流す音)なのである。例えば、他人の話など全然聞いていない様な人は他人の話をほとんど右脳的に処理しているのであろう。これを巷では「勝手×××」という。

しかし、低周波騒音の「現場」では厳として、
@物理的に騒音源から去り得ない(=「騒音源を絶つ
or引っ越す」ことができないと言う状況と
Aその結果としての騒音の時間的な断続的
or継続的刺激が繰り返さる。
B従って、右脳は時間をかけて何度も低周波音のイメージを受ける事になる。

C詰まるところ、脳としては、右脳的に簡単に処理できるはずの騒音を、左脳が持つ「言語的認識、論理的思考、計算、じっくり記憶、顕在意識」という意識脳としての処理をせざるを得なくなり、
「ゆっくり少量ずつ処理」せざるを得ない状況になる。

Dいわば、一種どころか立派な“学習”により、記憶として定着されていく状況となり、
E騒音の一時的記憶は左脳に「一生覚えている記憶」として定着される。
F
人間にとっては都合が悪いことこの上ないが、脳的には“都合の良いことに”この記憶が人類の長い歴史の中で殆ど本能レベルとして記憶されているとすれば、“学習”も“定着”もかなり容易なのではなかろうか。

G従って、例え仮に、低周波騒音被害者が小康を得たとしても、一度、右脳の窓口である左耳が低周波音により刺激されると、左脳にストックされている記憶が「何とかの一つ覚えのごとく」直ぐさま甦り、
H右脳は「この音、知ってる、知ってる」とばかりに直ぐさま活動をスタートさせていく、
Iしかし、その音は楽音ではなく騒音であり「不安や怒りや不快の感情」を伴うのである。

と言う図式を考えてみた。

5−3.コントラビリティの欠如

騒音問題の根本原因の一つに、「騒音源を自分で簡単に排除できない」という物理的特色がある。最終手段として騒音源を元から絶ってしまったのがピアノ殺人事件に代表される、これまでの衝撃的な騒音事件の結果の根本的背景にある。特に低周波騒音は個人的にはもちろん、公的にも排除しがたい(orし得ない)と言う、決定的な閉塞状況にある。

これを騒音のコントラビリティの欠如(=支配権がない)(※1)と言う。この如何ともしがたい状況が被害者にもたらす心理的要因は、当初は怒り最終的には無力感をもたらす。この状況が継続すると右脳が持つ無意識脳としてのリラックス感は否応なく決定的に抑圧され、ストレスとして発現する。これが低周波音なら単一の症状に特定できない様々な低周波音症候群症状となり、その結果が“音アレルギー”となるのではなかろうかと考える。
 
 このストレスによる鬱的状態の結末は、本人次第なのだが、体力・気力があれば、怒りと共に、実の無い闘いに入るか、騒音源の破壊に向かうかであるが、怒りのエネルギーが尽きた後は、諦めて騒音地獄の中で死を待つか、自殺するかであろう。

この「騒音源に対する支配権の欠如」を解決する素晴らしい方策を日本の低周波音問題の権威、山田伸志先生は前掲著書「トコトンやさしい振動・騒音の本」(※2)で「うるさい音のスイッチは隣につける」と言う画期的で素晴らしい決定的な方法を提案している。しかし、氏も言われているように、もちろん「全く現実的な方法ではない」。

実際にこうすれば、大は基地騒音の元である飛行機やヘリ、煩い工場の操業騒音、…、から、果ては道路に低周波騒音を撒き散らす馬鹿音マフラーの騒音も、隣の家の室外機の音、私事では、近隣のバカ犬どもの吠え声まで(犬にはスイッチは無いが)全ての騒音問題の根本的要因の二つの内の一つである心理的要因は簡単に排除できる。まー、もちろん第一原因の「騒音源の排除」迄できるのだから、問題は一気に解決できることにはなる。

しかし、現実としては、騒音源を黙らせることはできないわけで、この状況は、職場の上司による「言葉による暴力」でノイローゼや鬱になってしまう状況とか、親からギャーギャー言われ殺人に到る子どもの場合とかに似ている。特に後者の場合、子どもは家庭という現場から簡単に逃げるわけにはいかないから切れてしまった子どもがバットで親を殴り殺す状況に到るのである。

※1「近隣騒音をめぐるコントラビリティの諸相 公的介入の諸限界と被害者運動の可能性の検討を中心に」 大門信也(2005/10 法政大学 大学院紀要)

  ※2「トコトンやさしい振動・騒音の本」山田伸志 日刊工業新聞社

 この本の特色は流石に長い間低周波音問題に関わってきた著者らしく類書には非常に珍しく、低周波音関係にかなりの紙数を割いていることである。但し、問題に対する踏み込みは立場の問題も有ってであろうが低周波音被害者が望んでいるようなモノではない。むしろこれから騒音を出そうとしている人たちに対する啓蒙書と言えよう。


   5−4.低周波音感の左脳性

低周波音被害が左脳の活用を勧める語学の学習と似ている点の一つに、“学習の進んだ”低周波音被害者が低周波音を実に様々に事細かに具体的に低周波騒音を「言葉」で表現しようとする点にある。その表現は各人各様で千差万別であるにもかかわらず、それぞれに言い得て妙で中々に上手く表現している。
 
しかし、それは一般の人にはなかなか理解しにくい表現である場合が少なくない。それは、まずは、一般の低周波音非可聴者は具体的に低周波音なるものが聞こえない訳で、目に見えるモノなら具体的にそのモノなら見せて説明すればまだ解りやすかろうが、形のない低周波音と言うモノを低周波騒音被害者達は単なる“音”のイメージを、考えに考えた末に、あたかも意味ある言葉かのように脳が処理し、それを述べているからである。
 従って、一般の人が低周波音問題を理解し難いと言うのは、恐らく原因そのモノの想像からして難しいからではなかろうか。こういった状況は実は低周波音の"専門家"と言われる人たちにも有るのであり、それ故に彼らは現実の低周波音被害の苦しみを想像できない可能性が有るのである。

もちろん、現在の低周波音“専門家”達もそれなりに調査研究しているではあろうが、元々発想力が乏しいし、何時までも結果を出さない方が研究も続けられて「色々な面から」都合が良いのかも知れない。

 当然ながら、私の論には、いわゆる、騒音関係における学術的
or科学的な裏付けの類は何ら無いので、もちろん「俗説」である。

5−5.低周波騒音被害者は貴重なモルモット

そもそも、脳の研究に際し、当初から最も寄与しているのは精神障害者の調査研究で、もちろん、これは脳に限ったことでなく、悲しいことであり、仕方ないことなのかも知れないが、障害者、或いは被害者という、普通とは違う状況に陥った状況の人間の存在があって初めてその被害に対する調査研究が始まるのである。

こう考えれば、低周波騒音被害は「脳と聴覚」との研究にも当に素晴らしい事例であり、低周波騒音被害者を単なる“面倒な苦情者“として処理するのでなく、研究素材の「モルモット」として考え、彼らの苦痛の症状を「科学的」に調査研究することにより、精神、心理、脳、等の分野において、脳と聴覚の「神秘」に近づく事ができるかもしれない素晴らしい成果が得られることは間違いないなどと考える。
 しかし、現実は、被害者の多くは自分が多いに迷惑を被っている被害者であるにも拘わらず、世間的には変な苦情を言う人などとは思われたくないので、秘密にしておきたいと思っている場合が少なくない。
 
 これは今日では余りに多くの自殺者などを出したがために異常者の看板を外そうとしている鬱病などと似た構造である。これはそう言った社会的認識を造ってしまう社会環境、極論すれば、経済と政治に問題が有る。こう言った面からの専門家の考察がほしいモノである。

しかし、これまでも何度も言っているように、そう言った発想は少なくとも現況の低周波音“専門家”達はもちろん、その他の分野からも専門性という視野狭窄と閉鎖性と言う知見の狭さゆえにほとんど出ていない。正面から対峙しているのは、私が知る限りではわずかに社会学的アプローチが有るのみである。(※)

本来ならば最低限、心理学、音響学の分野から何らかのアプローチが有って然るべきであると考えるのだが、この問題に関する徹底的なタブーのごとき黙殺は恐ろしい限りである。

  ※低周波音心理の種々相 科学技術批判の社会学」朝倉惠俊 日本図書刊行会


5−5.低周波音被害者の脳的証言

絶対音感や英語脳のような臨界期の点を考慮せずに、低周波音感知者もこれと似た経過「最初は右脳、その後は左脳」という経過を辿るとするとして、クドクドともう一度、私の辿った、ではなく今も辿っている経過を被害者として思い出し、理屈付けてみよう。

@最初この「うざい」音は一体何だろうと思う(右脳でキャッチ)。
Aそれが度重なり、あるいは、継続し、不快感は増し(右脳は諄いと思っている。学習モードにしようかどうか判断している)
Bどうしたらこの騒音源を取り除けるか、これまでの自分の持てる知識をフル回転させる(この時点で既にデータベース的左脳をフル回転させているはずで、完全に左脳モードに入る)
Cしかし、結論はでない。それもそのはず、脳のどこにも元々データが無いのだから仕方ない。

Dその間も、解るも判らないも関係なく、否応なく、休むことなく低周波騒音の“特訓学習”は続く(左脳はもう飽き飽きしているが、右脳もどうしようもない)。これは、一種の洗脳と同じなのであろう。私の場合、自分の異常な状態は低周波音症候群というモノであると言うこと自体を知るまでに
11ヶ月掛かった(この時点で学習が始まり右脳モードに入ったと思う)。
Eその後も騒音現場での“特訓学習”は、現場を去るまでの半年以上続いた。


F結果として、一時的記憶であるべき低周波音感は、どうしようもなく仕方なく「一生覚えている記憶」として私の左脳にしっかりと定着された、

 これが低周波音症候群の機序と考える。

私の場合、低周波音症候群の諸症状が現れるには1ヶ月は要しなかった。この間が低周波音症候群発症までの“一般的“な「潜伏期」に当たるのであろう。

引っ越し後、「これで”あの音“によって目覚めさせられることはないのだ。絶対に無いのだ!」と聴力の可能な限りと思う感じで耳を最大限に澄まし、「低周波音は聞こえない、聞こえないはずだ!」と自分自身に言い聞かせ、納得させるのにしばらく掛かったのを覚えている。条件的に「絶対に大丈夫」で「実際にも聞こえない」と言う確信に到った時、頭の「こり」がスーッととれていくような感じがした。この時点で、コンピュータで言うところの「最近使ったファイル」から低周波音がひとまず削除されたのであろう。

だが、「低周波音は聞こえない」とほぼ確信に到った後に肉体的症状は一気に深刻さを増した。多分、それまで何とか生体を維持していた脳、身体の緊張感が解放され、体が本来あるべき「酷い」状態になったのであろう。

そして、ゆっくりと回復に向かい、不快感を伴いながらも以前に近い状態になるには更に数ヶ月を要した。更に、何とか脳みそが働き、考えられるような小康状態を回復するには引っ越してからマル2年掛かった。

記憶装置には多分使用頻度により”階層“があると思うのだが、多分この時点で低周波騒音の記憶は少し下の方の層に行ったのではなかろうか。音アレルギーがあると言うことは多分まだまだ”中層“より上辺りをウロウロしているのであろう。

“専門家”は「気にしない様」にを勧めるが、そんなことはできないし、そうしよう思えば一層気になるのがこの”病気“の特色である。「病は気から」と言うが、では逆に「気を無くせば病がなくなる」のか。病があるから「気」が有るのではないか。

5−6.低周波音感修得の“才能“

体の感覚的技術的能力が必要となる、自転車に乗れるか、泳げるかなどには、何とも解らないが、自動車の運転技術はかなり年齢が行ってからでも、時間と当然としてのカネさえ掛ければ修得できるように、“低周波音感”獲得の“特訓学習”には、多分、臨界点などはなく、年齢や個体状況の差により“修得”に要する期間は異なるであろうが、高齢になってからの低周波騒音被害者が多いことからも、低周波音感の“獲得”に臨界点が無いのであろう事は間違いない。

“低周波音感獲得”は、多分、絶対音感の獲得より遙かに“苦痛”の道を歩まねばならないのであろう。その“才能”には、生得説も学習説も遺伝説等何もないが、少なくとも”学習”の過程が必要であることは判っている。

 元々、産官学から見事に黙殺され、「全面的に無い事になっている」事象なのだから、そもそも“科学的見地”から実証的「説」など生まれようが無い。まして、修得のためのマニュアルも教育機関もない。ただ、“強制的修得環境”だけは世に多々ある。


 “科学的見地”から実証的「説」など生まれようが無い理由は、

 (低周波音の)短時間のばく露実験では(生理的影響は)明確でないという結論になっているが、長期間のばく露でどのようになるかということは実験もないし、結論づけることは難しいということが現状である。これを影響がはっきり現れるまで実験しようと思うと、まさに人間の人体実験になってしまうので、影響があった場合の回復が明確でない実験はできない。

 生理的や心理的と判断される苦情は非常に多岐にわたり、かつ個人差が大きい。人間へのばく露量(低周波音のレベル)と反応(生理、心理的影響度)とを明確に結びつけることはきわめて難しいのが実情である。

「資源環境対策 Vol.37 No.11(2001)」の「特集/低周波音騒音問題の最新事情」 

時田保夫(空港環境整備協会 航空環境研究センター所長)(肩書きは同誌発行時による)


 と言う尤もらしい人道的・科学的事情がある。時田氏言うところの「人体実験」は「低周波音の長期間に渡る曝露により影響があった場合」などと言う言い回しは、既に長期にわたり現実に人体実験をされてしまった、あるいは今当にされている被害者からすれば、「人工的に造られた被害者が居ない限りそう言った被害はない」と言っていることと同意であり、この事には何度も触れているが、ふざけるのもいい加減にしろと今もって思う。

実験などするまでもなく、現実の目前に「被害」を訴えている”被害者なる人間”が厳として存在するのであるから、まずは「それら」をじっくりと「観察」することである。

「それら」をどこまで調べたかも一切表明することもなく、恐らく「それら」を「観察」したという話しも聞かない。本来それこそ「科学的知見」なるものになるはずであるが、寡聞にしてそう言った作業は何ら行われておらず、当然の結果、積み重ねられるべき知見は依然何もないまま黙殺放置されている。

低周波騒音被害については、観察的実証データは汐見氏がこれまでにも多くを提示しているが、他からの支援が全くない。観察データは上記の山田氏こそ多く持っているはずで、環境省はそれらを知っているはずだが、「低周波騒音に関する科学的な実証的実験データは何もない」事になっている(※)。もし、本当に何もないなら、環境省もマニュアルなど作る必要はなかろう。

行政の長期に渡る意図的とも思える問題放置は、法的な裁定という場においては「知見がない」と言う理不尽極まりない根拠となり、この問題を実質門前払いにしている。更に驚くべきは、一部かどうか定かではないが昨年(2006年)辺りからT弁護士会内に於いて”低周波音事案対応マニュアル”(?)様なモノが出回り始めたと聞く。そこには、「”参照値”を超えていないような低周波音問題の事案は扱うな」と言うような事が記されていると聞く。

 私は「低周波音問題産官学三位一体陰謀説」を唱えたが、こんな状況であるとすると、新たに「法」を加え、完全無敵の「産官学法四位一体陰謀説」としなくてはならない。これでは独裁国家と同じではなかろうか。


「低周波音問題」主要登場人物

 これまで私のサイトをご覧になっていた方々には今更の事では有ろうが、時田氏が出てきたついでに、低周波音問題を黙殺し続けていいる低周波音関係のお歴々を超簡単に紹介しておこう。実は実質的にこの”業界を仕切っている”人々は少なく、環境省が平成16年6月22日に作成した「低周波音問題対応の手引書」を実質的に検討作成した「低周波音対策検討委員会」にほとんど顔を並べている。

時田保夫 (財)小林理学研究所空整協→(財)小林理学研究所 と渡り歩いた今のところの日本の低周波音関係のドン?
山田伸志 山梨大学工学部教授を今年退官。2007/04より放送大学の山梨学習センターの所長。×××××のつもりか昨年より騒音SOSの理事長。それ以前は理事。これが関係しているはずはないが(実は被害者を救済しているのだが、一方、まとめて押さえていると言う見方もあるが)、平成19年度環境保全功労者等として07/06に環境大臣表彰を受けた。
犬飼幸男 山田氏と共同で「参照値」をつくった。騒音SOSの理事。
佐藤敏彦 横浜市営地下鉄事件で世界中の資料を調査し、「低周波音が人体に影響を与えるという知見は無い」と”証明”した人。その功績かどうか解らないが検討委員会の委員になっている。
塩田正純 現在は工学院大学の教授。騒音SOSの理事。
廣瀬 省 元環境庁大気保全局長。社団法人 全国環境保全推進連合会理事長。厚生省系のエリートでしょうか?
落合博明 低周波騒音被害を理解していない低周波音の専門家。

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