6.専門家
6−1.DSM
もし、低周波騒音被害者の苦しみが、“専門家”が言うように“単なる気のせい”と言うならば、感覚的な病で見た目に異常がなければ、ほとんどの病気は恐らく“単なる気のせい”として放置しておける事になるのではないか。むしろ、“患者”が訴える様々な症状にそれらしい病名を付け「病気」とし、診療費や薬代を取る近代医学は「詐欺」ではないか、などと思っていたら、このところ、「これも病気? あれも病気? それも病気? へー、そんなのも病気!」と言うくらい、チョット気分が悪ければ、何でも病気としてそれらしい立派な病名が付き、その気になれば、ほとんどの人が病人と言えるような、何だかよくわからない新しい病名の精神の病がマスコミなどに登場している。
これらは全てアメリカ精神医学会(APA)が「権威あるマニュアル」として発行している『DSM』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders=精神障害の診断・統計マニュアル)に依るモノらしい。最新版のDSM-Wでは障害を17に分類している。
低周波音症候群は未だにマスコミにはほとんど出てこないが、DSMによる「自己判断」では、低周波騒音のせいで、私は少なくとも、以下の4つの障害の項目にはまってしまう事になる。
@ イライラ感を押さえるためアルコールとタバコの摂取量が増えてしまったので「物質関連障害」
A 低周波音はもちろん、バカ犬数匹が代わる代わるの吠え声or連れ吠え、子どもの叫声、近く野球少年が練習用の「木球」をカキーン、カキーンと打つ音、内職のおばさんが自動車部品の「ネジ」を小判のごとくジャラジャラさせる音、…が何時始まるかと怯える「不安障害」
B 不眠、過眠、概日リズム睡眠障害等の睡眠異常による「睡眠障害」
C ストレスに対する不適応反応である「適応障害」
そして、極めつきは“専門家”は「聞こえない音で被害はない」と言うのに、それでも被害はあるとする低周波騒音被害者は
D意図的に症状を作り出すいわゆる詐病の一種である「虚偽性障害」であることになる。
アメリカだったら大変な精神的“障害者”と言うことになってしまうのでは、と思うのだが、誠に有り難いと言うべきであろうが、一応、日本の医者はどの病名も付けてくれない。
「こころの風邪」と言われる鬱病は日本では未だに「詐病」呼ばわりされる場合が多く、これまでの「精神科へ行く=キチガイ」という社会通念が企業を始めとし、マスコミにもあり、結果として、患者側はそれを必要以上に隠すことを意識しなくてはならず、適切な処置が施されることなく、結果、9年連続年間3万人を超す自殺者の最大最終的要因となっている。
政府は07/06/08自殺総合対策大綱で”自殺を「追い込まれた末の死」と分析。心理的な悩みの原因を取り除いたり、精神疾患を治療したりすることで、「多くの自殺は防ぐことができる」と指摘”し、”相談体制の充実や精神科医による診断を増やすことで、自殺率の低下をめざす”と言うが、小手先で的外れである。なによりもまず第一にするべきは、「精神科へ行く=キチガイ」という社会通念を無くすことである。
幸いと言おうか、低周波騒音被害者の苦痛は、低周波音“専門家”達が実体を黙殺し続けている御陰で医学界からも無視され、「詐病」の中にも入れてもらえず、精神障害者とはされておらず、ありがたいと言えば有り難い事ではある。
まー、しかし、低周波音界の要請など関係なく、それなりの問題意識・認識があればその他の分野もこれほどまでに無視はしないであろから、私としてはどの分野も同罪と断罪するしかないのだが。
6−2.“専門家”は匿名
“専門家”はどの「界」にもいることは百も承知だが、“専門家”が関わる最近の事件では耐震偽装事件が記憶に新しところだったのだが、「人の噂も75日」で、一番肝心なことは、全然明らかにされることはなく、一般的にはとっくに幕引きとなってしまい、関係者以外の多くの人の記憶から消え去った感がする。
しかし、こういった本質が問題となる問題は絶えることがない。直近の出来事では「タミフル異常行動死」において、またまた、“専門家”が登場している。
担当医「関連否定できず」 タミフル異常行動死第1例 (2007/05/08 共同)
インフルエンザ治療薬タミフル服用後に異常行動を起こして死亡した「第1症例」として2004年に報告された岐阜県の男子高校生=当時(17)=について、診察した医師が「タミフルとの関連は否定できない」とした意見が、販売元の中外製薬作成の副作用報告書に記載されていたことが7日、分かった。
厚労省は「報告を受けた後、専門家の意見を聞き、因果関係は『否定的』とされた」としてきたが、専門家の氏名や意見内容を一切記録していないことも判明。因果関係の判断が逆転した経緯が分からないというずさんさに、遺族らからは「不可解な対応だ」と批判の声が上がっている。
中外製薬が作成し、厚労省所管の医薬品医療機器総合機構に提出した副作用報告書によると、男子高校生は04年2月上旬、発熱のため医療機関で受診。インフルエンザと診断され、タミフルを服用後に突然自宅を飛び出し、国道のガードレールを乗り越え、トラックにひかれて死亡した。
記事では、厚労省は「専門家の意見を聞き、因果関係は『否定的』」とした「専門家の氏名や意見内容を一切記録していない」としているが、そんなことは「絶対」に有り得ないことである。
専門家が何万人もいる業界の“ちまた”で起きた問題ならまだしも、あの耐震偽装事件でさえ“犯人”は直ぐに解ったのである。ましてや、政府がわざわざ「意見をお聞きした」様な”御用専門家”のお名前やお話になったことどもに関し、「専門家の氏名や意見内容を一切記録していない」等と言うことは有り得ない事である。
と、断言できるのは、こんなに無名で、社会的にも全く問題になっていないような低周波騒音被害でさえ、汐見先生と低周波音被害者達が環境省に交渉に赴いた際(04/11/17)には、環境省は、「参加者の氏名を名乗らせ、録音を録っていた」事実からも明らかである。
仮に、この場合は逆に良く解らない無名の内容と人であるから録音を録ったとするなら、タミフルの場合は、例え記録がないとしても、そうする必要がないまでに、渦中の問題であり、それに関しては周知の”著名な専門家”と内容のはずで、記録なんぞの有無に拘わらず厚労省の担当者はペラペラと言えるはずである。
これは決して「ずさん」ではなく、民主党の長妻昭衆院議員が年金問題で述べている、「なぜ、政府はゴマかすのか? 一部の解決策を示し、それ以外は逃げ切るという、これまでの不祥事対策の成功体験を踏襲している」と言う官僚的体質の最たるモノであることは言うまでもない。余程都合の悪い内容なのであろう。(この問題もマスコミのその後の後取材はなく胡散霧消してしまった)
そして、更に救いがたいのは、常に取材のために出入りしているはずのマスコミに、こういった行政の態度を糾弾しようとする姿勢が全く見られないことだ。まー、己にとって都合の良いことだけを流し続ける行政は、マスコミにとっては大事な「おまんまのタネ、ネタ」でも有るわけでもあるから、それを右から左に流し続ける“御用マスコミ”として政府のスポークスマンに完全に成り下がったとしても不思議ではない。
結果それ以前には、下記のような発表が有ったのだが、この中に、上記の「専門家」達の中に朝日新聞の記事にある人々が含まれないとすれば、一体どんな“専門家”が他にいるのであろうか。
厚生労働省は30日、インフルエンザ治療薬「タミフル」の服用と異常行動の関連を調べている同省研究班の3人が、タミフル輸入販売元の中外製薬(東京)から寄付金を受けていたとして、研究班から除外すると発表した。これまでに明らかになっている主任研究者の横田俊平・横浜市立大教授らのほかに、データを分析していた文部科学省系の統計数理研究所の藤田利治・教授側に06年度6000万円が渡っていたことが新たに判明。このうちタミフルの研究に627万円を使っていた。
(中略)
横田教授や中外製薬も同省で相次いで記者会見。横田教授は「誤解を招いたのは遺憾だが研究は公平性が保たれている。研究を完成させるためにも続けたかった」。中外製薬は「寄付について厚労省は是認していたと思っていたので驚いている」と述べた。
「地獄の沙汰も金次第」とは本当によく言ったモノだ。公害問題ももちろん金次第だ。産官学がグルと疑われるような状況では、「研究の公平性」がどうして保ち得よう。
結局、この問題も風邪の季節が終われば終焉を迎えてしまい、「人の噂も75日」で風邪の季節が終われば終わるのであろう。
6−3.NBM
話しは飛んで、ひょんな事から最近、大学の教育学、社会学の若い先生と知り合いになった。
彼の博士論文のテーマは少年非行などの「特殊な状況を個々に調査分析することにより、そこから一般論ないしは問題の本質を見つけ出そう」とするモノだったようだ。こう言った研究方法は脳科学だけでなくやはり幾つかの分野で最近導入されているようだ。しかし、いずこも同じようで、彼の当該学会でもまだまだ主流とはなり得ないような方法論なのだそうである。どこにでも守旧勢力は有るモノだ。その具体的な活動として、彼はこのところ多くの人の「話し」を聴き、特に高齢者の話しを聞き、分析研究することにより、その中から「何か」が掴めるのではないかと考えているようだ。
その後、心理学の生涯発達を研究している上の娘によれば、この方法は、既に10年くらい前から学問的にトレンドとなっている「ナラティブ」という方法論の様である。
このナラティブというのは考えてみれば格別目新しいことではなく、民俗学などでは古老の話を聞くなどと言うことはメインの作業である。
医療の面で言えば、医師の問診みたいなモノなのだが、問診との根本的な違いは、“話し”が「聞き手」の質問により進められるのではなく、あくまで全面的に「話し手」の意志によりなされることである。例えば、医師に「今日はどうしました?」と聞かれた時に「どこどこが、何時何時から、こういう風にどうこうである。…」などと訴える部分を拡張したようなモノである。
ただ、この方法では話し手にある程度「話しの展開」ができる能力がなくてはならず、結局は、問題点を明確にするために医師の質問が必要不可欠ではあるが。
実はこの「話し手の能力」と言う点がこの方法の難点でもあるようで、仮に一般の診療でこれをやっていたら、患者の待ち時間は今より相当長くなるのは確実だ。
では、医学ではこれがどのように導入されるのかという具体的説明は以下の講演会の宣伝文句を参照。
斎藤清二 (富山大学保健管理センター教授・所長)
医療/医学における新しい概念であるナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM)は、 新たなパラダイムをもたらす可能性のあるムーブメントです。
NBMは「物語り」あるいは「語り」という観点から、医療/医学の全ての分野を見直そうというもので、 医学と他の専門分野、特に人間科学(Human Sciences)を構成する諸科学との幅広い学際的な交流を特徴としています。 認識論としてのNBMは「構成主義」を背景とし、実践論としてのNBMは広義の「対話」そのものといえるでしょう。 また、研究論としてのNBMは、広義の「質的研究法」をそのキーワードとするものです。
一般医療の実践という観点から見ると
1. 患者の語る「病の体験の物語」をまるごと傾聴し尊重する。
2. 医療におけるあらゆる理論や仮説や病態説明を、「社会的に構築された物語」として相対的に理解する。
3. 複数の異なる物語の共存や併存を許容する。
4. 医療従事者と患者との対話の中から新しい物語が創造されることを重視する。
という点を特徴としています。
NBMは、医療における生物医学的方法論の過剰な重視への警鐘であるとともに、「医のアート」の再認識と再発掘であると言えるでしょう。
今回は医学と人間科学のコラボレーションと題し、認識論、実践論、そして研究論を通じて示唆に富んだ興味深い切り口を ご呈示いただけるものと期待しています。学生・院生・教職員をはじめ、学内外からのご来訪をお待ち申し上げます。
私的には、実にこれこそ、脳科学の方法論と共に、「参照値は被害者にあり」という考えに直結する願ったり適ったりの考えである。
「医学と人間科学のコラボレーション」とは何とも響きの良い言葉である。低周波音問題には完全に欠如している視点である。
と、まー、こういった問題は超マイナーな低周波音問題だけかなどと思っていたが、あに図らんや、2007/05/19付けの読売新聞の社説によれば、
日本人の2人に1人が、がんになる。3人に1人が、がんで死ぬ。もはや“国民病”だ。
この病気を減らしたい。不運にも患者になった場合は、不安や痛みの少ない、適切な治療を受けられるようにしたい。
政府の対応を強化するため、昨年6月に成立した「がん対策基本法」に基づいて、「がん対策推進基本計画」の策定が進んでいる。がん死亡率の低減や治療施設の充実など、10以上の項目について10年後の目標を定めて対策を記す。
日本のがん対策は、これまで欧米先進国よりも劣ると言われてきた。
放射線治療や、抗がん剤治療の専門家が少ない。告知の問題、治療を支える体制の不備などが原因で、痛みを軽減する緩和治療も十分ではない。
政府として患者の実態を把握する仕組みが整っていないため、国際的に標準とされる適切な治療が受けられているかどうかさえ分からない。
計画案を検討しているのは、がん患者や専門医たちで作る厚生労働省の「がん対策推進協議会」だ。すでに3回の会合を開いたが、懸念されるのは、患者と医師、専門家の意識のズレだ。
患者たちは、日ごろの病状への不安や治療への不満に即して、極めて具体的かつ詳細に施策と目標を提案している。
と言うことである。当に「患者たちは、日ごろの病状への不安や治療への不満に則して、極めて具体的かつ詳細に施策と目標を提案」とまで行かないといけない様である。
6−4.逆カクテルパーティー効果
先ほど、下の娘が結婚し、その披露宴のビデオの編集をしていて改めて気付いたのだが、その中で出席者全員に私がインタビューして廻った部分があるのだが、後でビデオを見てみると、何を話しているのかほとんど聞き取れない。
もちろん、音源(話し手)に近い場合にはそれなりに話しの内容は解るわけで、当たり前のことなのだが、音が聞こえるかどうかの第一条件は、あくまで音源への相対的距離、即ち、音の大きさ(音圧)であることを改めて確認したわけである。
インタビュー中の私は当にいわゆる「カクテルパーティー効果」の真っ直中に居たわけである。それこそ科学的に考えれば、実に当たり前のことなのだが、数匹のバカ犬どもの吠え声と近所の親子の爆音マフラーを除けば、日々ほぼ静音な生活を送っている私としては、ここまで効果的な「効果」なのかと驚きを新たにした。やはり、こう言ったときにこそ別マイクと言うのが有るのだなーと反省しきりである。
撮影時は全部聞き取れていたモノが、ビデオの音という録音状態になった瞬間から、音は内容の如何に関わらず、物理的特性のみを持つモノとなってしまう。当にこの、結果記録が全てという考えこそ理工系学者の「聞こえない音で被害があるはずはない」と言う考えと直結するのではなかろう。
カクテル効果が有効に働くには、聞き手側と話し手側にお互いの意図とそれに基づく対象への注目と言う、人間的な意識により、お互いの「聴感の指向性感度」がググッと高まり、喧噪の中でも会話ができる訳である。これは単に聴覚に限ったものではなく、眼などでは瞬時に焦点が調整されるのであろう。人間の聴覚のピンポイントの焦点合わせがカクテル効果の正体なのであろう。人間の能力は凄いとしか言いようがない。
これと似たような現象が先日あった。孫を連れてきて、私と大声でベチャクチャ話していた娘が突然、「はーい」と返事をしたのだ。一体何事かと思ったら、遠くに居た孫の呼び声を聴いたのだそうだ。私には全然聞こえなかった。我が子の声にパッと反応する母親の音記憶は凄い、等と娘に話したら、娘が「さっきお父さんが始まった(この時爆音マフラーのアイドリングが始まったのだが)と言ったとき何が?で全然何にも聞こえなかったから同じ様なモノだよ」と言ったのだが、低周波騒音被害者があらゆる低周波音にパッと反応するのと本質は同じなのだが指向性が全然違うと言うことだ。
6−5.疑似音響状況
と言うことで、実に、当たり前の事なのだろうが、「生」の音響状況でなくては、例え、ステレオ録音でビデオの映像を見ながらでも、カクテル効果の効果足るべき「選択的な聴取」はできないと言うことである。実は、何度も見るとカメラに話しかけている口の動きから発している言葉はある程度解ってくる。ここらが読唇術の基本なのであろう。しかし、そこには結婚式の場というおよその下地の理解が有るから解るのであり、映画などで偶に遠くの映像の口の動きから話の内容を読み取る様なシーンが有るが、全く状況の解らない話しの内容を理解することは難しいそうだ。
という些細な身の回りの経験から考えると、「実験室の音」はあくまで擬似的に周波数、音圧を勘案して創られた音であり、さらにそれらは録音されたモノであり、なおかつ、幾つスピーカーがあろうとも、そこから出る音は、それは決して現実のナマの音ではなく、ましてや騒音現場の騒音とは全く別物である。言わんや、聴力検査に使われる「ノイズ」は「現実音」としては有り得ない音なのである。
「参照値」作成に際して使われたであろう様な実験音は、単に聴覚の閾値を数的に計測するのにはそれなりに意味があるのだろうが、人間的要素、就中、「何ともし得ない“この場”に一生いなくてはならない」と言う、騒音の現場に於かれている騒音被害者の切羽詰まった心理的要因などは全く加味されていないと言うより加味し得ないのである。
敢えて言えば、被験者達に、仮に騒音現場と同じ周波数、音圧の音を聞かせ、「あなたが聞いている音はこんな音でしょう?」と聴いたとしても、恐らく、「似てはいるがそれは違う」と答えるしかないのではなかろうか。何故なら、被害者は自分の騒音源の物理的特性、簡単に言えば、何ヘルツ、何デシベルの音と言うことを知っているわけでもなく、あくまでナマの音を心理的圧迫の中で聞いているのだから。詰まるところ「事件は現場で起きているのであり、実験室で起きているのではない」のである。そう言った意味では「低周波音の暴露実験」はできるかもしれないが、「低周波"騒"音の暴露実験はできない」のである。
この「現場の心理」と言うことを良く現しているのが下記の話しである。
07/05/17の衆院安全保障委員会は、米軍基地を抱える自治体の首長を参考人として招き、国の安全保障に関する意見聴取をした。宜野湾市の伊波洋一市長は米軍普天間飛行場の現状を説明し、基地の即時閉鎖を訴え、「宜野湾市民は激しい騒音で日常生活を破壊されているだけでなく、騒音による身体的な苦痛や墜落するのでは、という心理的な不安の中で暮らしている」と強調している。
この「心理的な不安の中」というのが、当に「ナマ」のナマたる所以である。
かく言う私も、年間70,000回(1日平均192回)の飛行回数で国内最悪の爆音被害をもたらす米空軍嘉手納基地周辺での100dBを超える轟音は数値的には「何と酷い」とは解る様な気がするが、その現場に住む「現場の心理」を具体的に感じ取ることはできない。ましてや、基地問題が持つ社会的、経済的、政治的背景なども考えると、「心理的な不安」と言うよりその状況から抜け出すことができないという状況が持つジレンマは想像を超えるモノであろう。
7.脳科学は非科学
今しばらく脳科学の視点から低周波音問題を見続けてみたいと思っているが、脳科学分野におさまらず最近ベストセラーにもなり、とっても解りやすい脳の本「進化しすぎた脳」のお終いを読んでビックリ。
“脳科学には限界があります。即ち、「ヒトの脳の研究は、単純にいま表面に現れている相関関係を追うだけではダメで、汎化とか予測とか記憶などの要素を考えなくてはいけない。そして、もちろん考慮しなくてはいけないのが自発活動。脳の活動の大半は自発活動が占めている。自発稼働の大海から埋もれた意味のある情報をちゃんと抽出できるかと言うことである。
…、しかし、自発活動が起こって、脳回路はそれ自身をどんどん書き換えていく。つまり、もう二度と同じ状態をとりえない。二度と同じ状態はとりえない。…。
脳の回路のシナプス状態の組み合わせの数は、2の1000兆倍あり、宇宙全体の星の数を遙かに超えている。それだけ膨大数の要素が、絶えず時間とともに変化していくのだから、脳が再び同じ状態に戻ると言うことは確率的に言ってもありえなさそうだ。
…、(ところが)、科学というのは「再現性」を重視する。しかし、脳には再現性がなく、二度と同じ状態にはならない。…、(従って、)こういうことを学会とかで話すと、いろいろと猛反発をくらうんだ。そんなもんは科学じゃないと。“
私は低周波音“専門家”達の低周波音被害理論における「再現性の無さ」をもってして、低周波音理論の非科学性を非難し、脳科学に辿り着き、これこそ最も科学的であると論を進めて来たつもりだったが、その脳科学には「再現性」がないという、現在の科学の条件からは「科学性を否定」されてしまうと言う、何とも、皮肉なお話で今回はひとまず幕とする。
なお、ここまでの脳の話しは自分のために解りやすくするため「脳機能局在論」の初歩の初歩に基づいて展開している。しかし、上記、池谷氏はHPの中で以下のように述べている。
中枢神経系において、神経細胞は巨大かつ精細な「ネットワーク」を形成している。反射などの単純な運動から、思考・意識・情動といった脳の高次な活動を含めた動物の所為・行動はすべて、この神経ネットワークの活動に基づいて実行されている。こうした自明な事実があるにもかかわらず、従来の研究の多くは、ひとつひとつの神経細胞を個別に解析したり、せいぜい単シナプス伝達(つまり、わずか1ステップの神経細胞の繋がり具合)を解析する程度にとどまっており、それゆえに過去の知見は、“ネットワークから切り離された独立存在としての神経細胞”の理解を越えていない。このアプローチでは中枢神経系の挙動の全貌は解明できない。
権力は単純系を数値的な似非科学的理論で煙に巻き、一般素人の低周波音被害者を摩耶化す。これを簡単に言えば、「聞こえるか聞こえないか」「聞こえなければ被害は無い」と言う、超簡単理論を低周波音の理工学系の”専門家”は創り上げる。因に理工学系しか”専門家”は今のところいないので、これが科学的知見なるものになる。かくして、被害者の苦しみは単なる「気のせい」として有耶無耶にされる。
しかし、脳、神経のお話の奥は深く宇宙の果てを含めた全体にも相当する複雑系の様であり、他分野からこの問題に興味を持つ専門家が現れればより多く解明されるであろうが、低周波音犯人説を実証しても産業的にも政治的にも利得とはならないであろう。ひょっとしても学問的にも。
2007/06/13,07/06/25,07/08/25
最後まで読んでくれてありがとう
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