3.低周波音感
3−1.低周波音と耳鳴り
低周波音被害は基本的に騒音源が無くなるか、被害者が引っ越しでもしない限り続く。結果として、被害は長期にわたる場合が多い。従って、多くの被害者には外因的にも、内因的にも何らかの聴覚障害が少なからず発症する場合が少なくない。
問題が極めて短期に解決しない限り、仮に問題が解決した場合も、騒音に対するトラウマ的状態は、完全に忘れ去る人もいるようだが、多くは、その後も「音に非常に敏感になる」と言う後遺症的症状が残る。これが私言うところの低周波騒音被害からの“音アレルギー”の常態でもある。
医学的には、特に被害者が比較的高齢の場合は、耳鼻科的には耳鳴りと診断される場合が殆どである。しかし、私も高齢になったのか最近時々耳鳴りがする事があるが、低周波音と耳鳴りの音とは根本的に異なる。
一番の違いは、耳鳴りは、「ジーーー」(蝉の鳴き声と似ていると言われるが鳴り方は似ているが音質が違う)と頭の中で発生し、外から聞こえてくるわけではない。一方、低周波音はあくまで「ドーーー」とか「ウワーー」であり、明らかに周波数が低く、尚かつ体外から聞こえてくるのである。
即ち、低周波騒音被害と耳鳴りの根本的な違いは、聞こえてくる場所と周波数が根本的に異なると言うことだ。
医師に「もっと低い音なんですよ」などと周波数の違いを訴えると、医師はそう言った知識がないので、多分“低周波音性耳鳴り”などという「本当にそんなのがあるの?」というような“病名”を付けてくれる。
更に問題なのは被害が超長期にわたる場合は、VAD的に、これは耳管内の繊毛の損傷だが、蝸牛の損傷に到り、聴力を全く失うと言う事例がある。是非とも、専門家によるより広範なデータ収集を望みたいものであるが、いわゆる耳鼻科の医師にその知見なるものが全く無いので何ともならない。
と言うことを前置きにして、当稿の本題である現実的な低周波騒音と右脳左脳問題について、「推論」してみよう。
3−2.低周波音感”獲得”の過程
私は、低周波音感の”修得”には、学習説(or経験説、環境説)も生得説も遺伝説も全てに可能性があると考える。即ち、
@まずは、何を置いても、継続的に、間断的or不規則的低周波音の存在という外因があり、
Aそれに個人的な「何らか」の要因が反応し、
B更に、低周波音の継続という状態が継続し、
C低周波音感に「スイッチ」が入り、低周波音感の獲得となる。
Dその間の脳の煩悶と言おうか混乱が肉体と精神に反映する状態が低周波音症候群となる。
E問題解決後も完全に記憶が消え去ることなく音アレルギーとして残る。
と今のところひとまず考えている。
低周波音感“修得“の直後からしばらく、上の過程で言えばB〜Dの期間になるが、この状態が永久に続くのかと思い、死を決意したことも何度もある。しかし、汐見先生の診断で一大決意をし、引っ越し、6年以上たった今も、まだなお、かなりの音アレルギー症状は残るモノの、音により死にたいとまでは思わなくなった。
従って、私の経験からすれば低周波音の呪縛から“離脱”するには、もちろん個人差に依るであろうが、“ほとんど“(と言うのは今の日本では完全に騒音から隔絶された状況を確保することは、自分や家族の社会状況からもちろん物理的にも容易ではない)騒音と隔絶された環境で相当時間をかければ“離脱”できないことはないと思う。
3−3.低周波音感”獲得”の脳の学習的過程
低周波騒音被害者の低周波音感”獲得”までの脳的過程を学習説(or経験説、環境説)的に推論してみよう。
「ドヮーーー」とか、「ウワン、ウワン、…」という音を、主にその継続性のため、耳が「音楽のように連続的な音程(トーン音)に対しては、左耳が強く早く反応」する事により、本来音楽ではない騒音を“あたかも音楽的に聞いてしまう”と同時に、か、あるいは、そう言った状況が続くためにか、脳までが“「音楽」のように”判断してしまい、本来音楽ではない騒音を音楽と“誤解“してしまい、反応・処理をしようとするのではなかろうか。
しかし、あくまで騒音は騒音であり、所詮音楽ではない音を、頻繁に、かつまた、長時間継続的に聴取せざるを得ないと言う状況が続くことにより、流石の脳も本来の音楽とは異なった「音」を“音楽”的に処理をさせられている事に気付き、脳の確信的混乱が始まる。
この、脳が気付くまでの期間が潜伏期間であり、脳の確信的混乱状態が仮面鬱病的に現れた諸症状が低周波音症候群ではなかろうか、と言う仮説を立ててみたい。
もちろん、この潜伏期間は、騒音源の強さ、音質、受音者側の感知の個体差等により、現時点に於いてはランダムに千差万別の様に見えるのは当然である。
ひとまず、現時点としたのは、騒音源の数値化は容易であろうが、個体差の感覚認知度の数値化が容易ではなかろうと考えるからである。が、もし、それが可能になれば、数値化・数式化の好きな“科学者”としても追試が可能になるわけだからおもしろい状況になるのではなかろうか。しかし、これには何時実現するか解らないような各界の共同研究を待たなければならず、当面現実的には有り得ない状況ではあるが。
3−4.“低周波音神性説”
と言うことで、低周波音感の修得には“学習(させられ)説”(or経験説、環境説)が必須であることは明白であるが、それのみでないことは、同じ環境or似たような環境にあっても、「被害者は家族の中で自分一人だけ」と言う状況が通常で、だれもが低周波騒音被害者となる訳ではないことは多くの事例から明白である。となると、完全に個々人の生得的(遺伝的)要因、あるいは資質的要因を考えざるを得ない。
低周波騒音被害者の統計的データとしては、現在の所「非被害者と比べて、格別に聴感が鋭いと言うわけでもなく、強いて言えば低周波音に対して我慢強くない」と言うくらいのデータが有るくらいで、資質的なデータは何ら無い。それはこれまでそう言った観点から調査が全く成されていないからである。
被害者を多く知る方の話しでは、低周波騒音被害者の多くは味覚に「うるさい」と言う様な感覚的な要素と、理屈っぽい等と言う性格的な要素が代表的に言われる。前者についてはあくまで相対的な問題であり、レベルの特定は難しく、後者については加害者や行政などと渡り合っていく内に表出された後天的要素であるかも知れず、単なる十分的要件内のモノとも考えられるので、詳細な調査検討が無くては特定できないが、これも現状では困難である。
この内、感覚的要因としての可能性の一つとして、聴感の鋭敏さを考えてみたい。それは人類が進化の過程に於いて生得した要因で、今から180〜200万年の昔の人類の出現時からの音と人間との関わりから考えると言うより想像してみたい。
そのころ人類がおかれた環境を映像的に上手く表現している一つとして、1968年にアメリカで公開され、日本では10年後の1978年に公開されたスタンリー・キューブリック の映画「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンの「遠い昔、ヒトザルが他の獣と変わらない生活をおくっていた頃」というのがピッタリであろう。
そのころの音と言えば、日常的には、思い浮かぶのは、まずは、「自然の音」か「動物が移動に伴って発する音」か「鳴き声(人間の声も入るのだが)」くらいだったであろう。その中で人間にとって最も重要であったのは家族や仲間の意志の疎通としての同類の「鳴き声」であったろう。それに匹敵するほど、いやそれ以上に重要なのは、他の人間や動物の「鳴き声」であったろう。それは敵か味方か、要は、自分の命は安全か否かと言う、生死を判定する重要なモノであったはずだ。
一方、ヒトザルが住みそうな環境での自然音は、水のせせらぎ、風で木や葉が擦れ合う音、海辺ではプラス波の音くらいしかなかったであろう。
しかし、時として生じる脅威の自然音は雨、雷、嵐であったろう。そして、極めて希には、時として決定的に生死を左右するような可能性のある地震、地滑り、火山の噴火、洪水、津波などの大きな自然現象(今で言えば自然災害)には、今日で言う低周波音がともなっていた。しかもこれらは予兆的に超低周波音を発する。
当時は当然、建物などの遮蔽物はなく、“動物密度“も低く、とにかく「音」そのモノ自体の存在が非常に少なく、言うまでもなく、今日の様に喧噪による「マスキング」は無かったはずであるから、相当遠くの音まで聞こえたと想像できる。近くでは、足音、息遣いはもちろん、ヒョッとしたら人間を含む動物の心臓の鼓動まで聴き取れたのではなかろうか。ここらが時代劇で言うところの「殺気」ではなかろうかと思っている。増して、遠くまで届くことのできる低周波音ともなれば何キロも先のモノまで聞き取れたであろう。
そんな中で、常時、低周波音を発し続けていたモノとしては、海の波、大河の流れ、滝、火山活動くらいが想像できるのだが、それらは今日でも「神」として崇められ、「悪魔」として恐れられているモノから、人類は経験的に(超)低周波音を伴う自然事象に対して脅威感、恐怖感を生得し、人類のDNA的資質となっていったのではなかろうか。
そんな中で、低周波音感の特に鋭敏な者が巫女となり、あるいは長老が先祖からの言い伝えや経験により、大災害の危機を低周波音から感じ取り、予知し、逃げるように宣い、一族を絶滅の危機から救った、などと考えれば、非常におもしろい訳である。
この低周波音を伴う自然によってもたらされる状況は太古の昔も今も何ら変わりはないのだが、喧噪の今日では人類の感覚の退化の一段の昂進と相まって予兆することが困難となっている。
多分、こういった考えがまとまった「説」として有るはずであると考えて、ネットで検索したのだが、ヒットしない。
となると、これは“新説”なのかしら?と言うことで、これらをまとめて、ひとまず、“低周波音神性説”と呼ぼう。
ところが、こう言った説に仮に名前が有ろうが無かろうが、これを知ってか知らずか、恐らく知ってのことであろうが、500年以上も昔から巧妙に低周波音神性説を利用していたのが、キリスト教なのである。
低周波音は一般的に音響的には、迫力を増す効果が大である。それは映画をTVで見る場合と映画館で観る場合や、音楽をラジカセと大型のステレオ装置で聞く様な場合の差で、前者ではスピーカーの再生能力から低周波音がカットされているからである。これは”一聴“瞭然である。
因みに家庭用のステレオ装置のスピーカーでは低音部は45〜50Hz程度までを再生できるのが一般的である。TVも最近の大型化に伴いスピーカーも良くなったのか、高音、低音ともにかなり良い音が出るようになった。そこで、NHKに確認したところAM放送では50(60)Hz〜7,500Hz、FM放送では50(60)Hz〜20,000Hz範囲内の音はカットしないで送信していると言うことであるので、超低周波音は絶対聞こえないモノの、受信側の機器の性能さえ整っていれば低周波音部分の半分くらいまでは聞こえるはずではある。因みにTVはFM放送である。
そこで、メーカーに再生側の性能を確かめたところ、オーディオ機器は別として、TVの再生音声周波数帯は機器やメーカーによる差異はあるモノの、50〜15,000Hzくらいで、数値的には劣るのだが、数値的には低周波部分は十分に出るはず、なのだが、実は、そこにスピーカーの性能という壁があり、実際に聞こえそうなのは、200〜12,000Hzくらいのようである。従って、基本的にはTVでは低周波音は聞こえないので、低周波音に関する内容をTVで放送しても音的に訴えるのはできない訳である。
話しをキリスト教に戻すと、時代とともに、人間の数こそ増えたモノの、中世になって教会の鐘が何キロも先まで鳴り響く時代まで、恐らく人類の出現時に近い音環境は続いたのであろう。恐らくその後も近代文明が始まる19世紀までは同じ様な状況が続いたはずである。教会の鐘の煩さについては→ニュージランド、イギリス、ルーマニア。
ただ、そんな当時でも必要に応じて人工的に低周波音を発することができる唯一とも言える例外は教会のパイプオルガンであった。
以前にも紹介したイギリスBBCニューズによれば、
イギリスの科学者はコンサート・ホールでパイプオルガンの17Hzの超低周波音を6.8dBで発する実験をしたところ、平均で22%の聴衆が奇妙な感情を持つことに気付いたそうである。その意外な感情とは、「極度の悲しみ、寒気、不安、背筋を伝うおののき」の感覚であるという。
教会や大聖堂でのパイプオルガン演奏家は、500年間にわたり、この世のものでない(weird)経験を聴衆にもたらし続け、それは「神」によるモノであると人々に思わせたのではないか。
※BBC NEWS Science・Nature Organ music 'instils religious feelings
そもそもパイプオルガンは「10世紀はじめになると修道士たちによってオルガンが礼拝に使用されるようになっていき、11世紀には巨大化し、13世紀には教会の楽器として確立されるまでに定着した」そうであるから、音楽と言うより音そのものがほとんど無かった時代に、音楽として高音で天国的な雰囲気を醸し出す一方、当時は低周波音等と言えば自然現象に伴うモノしか無かったはずの時代に、低音で迫力を盛り上げると同時に不安を煽り地獄を連想させ、パイプオルガンの向こう側に全能の神の存在というような何らかの超常現象的存在を想像させたとすれば、キリスト教恐るべしとしか言いようがない。
私事で恐縮なのだが、3月の娘の結婚式を教会式でやったのだが、そこには中程度のパイプオルガンがあり、その圧倒的な迫力はステレオなどでは到底体験できないモノであった。まー、ナマのパイプオルガンを私が聞きたかったという理由も加味されての教会式だったのであるが、まずは間違いなく、ステレオのようなモノのない時代なら、これより遙かに小さなモノでも、現在の我々には想像できないような圧倒的な音響効果を与えてであろうと思わざるを得ないと確信できた次第である。
いずれにしても、そもそもどう言った遺伝子的資質がキーとなって低周波騒音被害者へのスイッチが入るのか明確にできないし、さらにはそもそもそう言ったキーが有るのかどうかトント不明な現況では、低周波騒音被害者の発生を個人の単なる特殊な生得的(遺伝的)要因のみに限定することなどはできない話しである。
むしろ、低周波音を感知できる人間なら本来的に低周波騒音被害者になる可能性は持っているとしたほうが正しいのかも知れない。そう思わざるを得なくなったのは、私が低周波音の話しをするまで低周波音のことなど意識したことなどなかった人がその後、低周波騒音が気になり、被害者になり掛かっていると言う話しを聞いたからである。
3−5.宏観異常現象
しかし、まー、こういった考えは今日「宏観異常現象(こうかんいじょうげんしょう)」と呼ばれるモノの一部であろう。これは地震が発生する際の前兆現象として、動物の異常行動や地下水、地鳴りなどが起きることで、「本来民俗学や広義の社会科学(人文科学)における伝承や迷信として分類されるものであり、これらの原則を逸脱して感覚的に論じることは厳しく戒められなければならず、これらの多くには何らの科学的な根拠や裏づけ、信頼性などが認められている訳ではないという点を、まず理解しておく必要がある」そうだが、東海地震が直撃する可能性が最も高いとされる静岡県の地震防災センターでは「このような前兆現象に関する情報を幅広く県民の皆様から収集し、地震の予知に役立てようというのが宏観異常現象収集事業です」※として、真剣に、その情報を収集している。
”予定被害当事者”としては、映画「(新)日本沈没」の何とか大臣の台詞の「確率と再現性」の科学に頼って、”分子が何十年いや何百年に一度という限りなくゼロに近いから心配ない”などと暢気に言っているわけにはいかない。確率を考えたら宝くじは絶対に買えない。
宝くじを買う人は、もう一つの確率論、即ち、例え分母が如何に大きかろうとも、最終的には自分が分子の1になるかどうか、即ち、「当たりかハズレか」の“二分の一の確率理論”に基づいているからだ。この自己中心的“二分の一の確率理論”無くして、ダレが一等当選確率約10,000,000分の1のジャンボ宝くじなど買うであろうか。だから「夢を買う」のであるが、地震の場合は多くの人が一気に悪夢を買わせられることになる。
その悪夢が、30年ぶり、40年ぶりに集中的に正夢となっているのが、年金問題である。先頃「100万件の内の84件」が漏れていると言うような報道があったが、これはもちろん、科学的統計論の確率論で行けば0.0084%と言う「誤差の範囲内」と言うより統計論的には「ゼロ」として無視して良い数値なのであるが、その一件が自分である可能性と言う”二分の一の確率理論”的には非常に高い確率となるので、問い合わせが殺到するのは当たり前であろう。
我が家では、他の保険も、この際にと、全て洗い直しをしているところである。
今日今現在、科学的で無いが故に科学的でない等とは言えない。今日の非科学が明日突然科学の常識になるかも知れないのである。
3−6.古代人の聴感閾値
宏観異常現象こそ古代の彼女or彼の能力の予言能力のノウハウの一つであったのであろう。では一体彼らの音感はどのくらいであったのかと考えてみると、ヒョッとして、象並みだったかしれない。
象の長距離コミュニケーション
象は足を通して低周波をキャッチすることができることも、最近発見された。ゾウの足の裏は非常に繊細にできていて、そこからの刺激が耳まで伝達される。かれらはこの音を、30km〜40km離れたところでもキャッチすることができる。
この領域は、まだ研究が始められたばかりだが、雷の音をキャッチしたり、こちらでは雨が降っていると認知できるように、40kmのゾウの存在も認識できるのではないかと考えられている。
象の長距離コミュニケーション 坂本龍一のELEPHANTISM
今でも、アフリカやモンゴルの草原の狩猟民の中には、視力5.0とか10.0等と言う人がいるそうだから、視力1.5からすれば3〜6倍以上の視力と言うことになり、聴力とは単純に比較できないが、それに近いモノであるとすれば、当時の人類は当然素足で歩いていたことでもあるから、ヒョッとしたら、現代のゾウの能力くらいは持っていたのではなかろうか、と、思ってはみたのだが、日本一有名な忍者ハットリくんの聴力にして、「8.1キロ四方の音を聞くことができる」そうで、どうも、とても象には敵わないようだ。
因みに私の低周波音感知能力は”絶好調”の頃で、道路際の室内にいて、早朝約500m先からダンプカーの近づいてくる音が聞こえたくらいである。一方、今調べてみると釜山タワーで私が聞いた地下鉄の超低周波音は約2kmくらい先からだったようだ。
3−7.聴覚心理学
などと、考えていたら、何と、「聴覚心理学」と言う分野の方のズバリの文章があった。
聴覚が飛躍的な発展を遂げた時期は二つあります。一つは、2億年くらい前に哺乳類が出現したときです。このころの哺乳類は、小さく、弱かったため、大型の爬虫類が活動しない夜に、昆虫や植物などの食べ物を取るような、夜行性の動物でした。初期の哺乳類は、必要に迫られて、鋭い嗅覚と聴覚とを獲得したのではないかと考えられます。闇の中でも、敵、餌、仲間などを見つけるために、嗅覚と聴覚とは大変重要です。聴覚に関しては、暗がりで敵や異変に出会ったときに、どの方向で何が起こっているのかを素早く感知する能力が、今日の人間にとっても生死を決することがありえます。闇の中に限らず、危険や変化を察知することは、聴覚の重要な役割であり、哺乳類が出現したときに、この機能が飛躍的に発展したようです。
人間が爬虫類、とりわけトカゲなどに対してこのような嫌悪感を抱くのは哺乳類創世記においてまだ健在だった恐竜は哺乳類の祖先の捕食者であり、それ故といわれている。
人類が言葉を獲得したときにも、聴覚の飛躍的な進化があったと考えられます。この過程は数百万年前に人類が出現した段階で、既に始まっていた可能性があり、150 万年くらい前に現れた原人(北京原人など)の段階では、彼らが集団で移動しながら狩猟、採集に基づく共同生活を行っていたことから、言葉による基本的なコミュニケーションが確立していたのではないかと考えられます。
中島祥好 「耳と心 聴覚心理学入門」
と言うことであるが、やはり残念ながら著者によれば「心理学的な聴覚へのアプローチは少ない」そうで、是非とも頑張ってほしいモノである。いつでもモルモットになりますよ。
3−8.現代人の音感
低周波音の持つこの「命の危機」への予感が数百万年の人類の発達過程で決定的記憶として人類のDNAに残っていたとしても少しも不思議ではない。低周波音感を失うと言う人類としての機能的退化は、喧噪と低周波音源に満ちた今日の時代に生きる人間としては、むしろ生きやすさという点では優性的でむしろ生物学的進化であろう。
しかし、人工的な低周波音発生物であるモーターが出現したのは19世紀前半、そして、エンジンの出現した19世紀後半になってからのことで、実にほんのここ100年のことで、人類種誕生から50万年と言うスパンから見れば、ホンの一寸前のことである。さらに、車のアイドリング、ボイラー、空調室外機、大型換気扇など昨今騒音源として一番問題になっているモノが身近な住環境に登場したのはつい”今し方のこと”と言えよう。
ほんの60年の私の歴史から見ても自動車を初めて購入したのが30数年前、エアコンとガスボイラーを自宅に付けたのも30年ほど前で、ちょうど私たちの世代の歴史とともに身近に低周波騒音源が増えてきたとも言える。そう考えると我々の世代とともに環境が破壊されてきたことは間違いなく、我々の世代は環境破壊者の先兵だったとも言える。
最近業界が普及に励んでいるエコキュートによる被害者が出始めていると聞く。私も近所のモノを幾つか確認してみた。現在私が住んでいるところは、ほぼ新築が最終段階に入った団地なのだが、昼間は殆どゴーストタウン化してしまうので静かそのモノで、鳥の声の方がうるさいくらいだ。ただし、“犬飼育率”が50%を超えようとしている地域なので、そのバカ犬達の吠え声を除けばであるが。
と言う条件でエコキュートの稼働音を聞くと、確かに音圧は小さく、メーカーにもよるであろうが、聴感的には10メートルくらい離れれば低い「ウーン」と言う音は、もし、それ以外の音がしていれば昼間なら聞こえない、と思って良く見たらそれはソーラーシステムの蓄熱装置であった。エコキュートは基本的に昼間は稼働しない。
そう、そこでエコキュートが問題なのは、実にその点で、本来なら完全静寂であるはずの深夜から早朝にかけて8時間稼働し続ける、その稼働音は「騒音として認識されにくいレベルの音」(宣伝文句)であろうが、確実に38dBなにがしかの低周波騒音を発し続けると言う点である。
エコキュートの騒音は小さいと言うことで、恐らく難聴などの肉体的被害は生じないだろう。しかし、もし、あなたに低周波音感獲得の生得的(遺伝的)要因があり、もしその騒音に気付き、「嫌だな」と”スイッチ”が入ってしまったら最後、音が如何に小さかろうと、耳(脳)は騒音源を探し求め続け、それに伴い聴覚がドンドン鋭敏化するという“耳のダンボ化現象“が始まり、どんどん明確に聞き取れるようになるはずだ。
人によっては音が出ていないときでさえ、音がしているように感じるかも知れないが、それは決して、耳鳴りでも無く、気のせいでもなく、低周波音感の鋭敏化に依るモノであり、極端なことを言えば「耳でなく脳が聞いている」のである。また、それは、その後、騒音源を絶つことができないという「支配権の欠如」により、一層心理的にダメージを受けるであろう。
と言っているのは私であり、”専門家“は誰一人そんなことは言っていないので”権威”を盲信する方はご安心頂きたい。
しかし、エコキュートによる低周波騒音被害は各戸の敷地面積がそれほど広くない閑静な住宅地でこそ起きる可能性が高いと考えるのだが、実際の被害もそうなっているようだ。