「音と脳」 第1章
前章の「音と脳 序論」から早、既に半年以上が経ち、寒い寒い季節は巡り、暑い暑い季節になってしまいました。
その後もボチボチと脳関係の本などのページをペラペラと眺めてはいるのですが、このところ、任天堂DSの脳トレーニングの流行もあってか脳関係はブームらしく、脳関係の本は沢山出ており、ひとまずは一般向けに書かれた本を拾い読みしているところです。
松嶋菜々子のコマーシャルがかなり気に入ったので任天堂DSを買おうと思っていたのですが、品切れ状態が続き、結局今もって買わず終いとなっています。
不思議なことなのか、当然のことなのか、ゲームはしなくても、脳関係の本を読み、低周波音問題をあれこれ考えていると、自分の頭の中のどこそこかでシナプスがピピピと延びて、脳みそにグニグニと皺が刻まれ、何となく脳がトレーニングされているような気がしています。
1.低周波音症候群“左脳受容説”
1−1.右脳左脳問題
さて、最近の汐見先生からのお手紙で「低周波音症候群“左脳受容説”」を考えてみえるとお聞きして、この問題を私なりに考えてみようと思う。で、まずは、「右脳左脳問題」なるモノから考えてみる。
私自身「左脳」なるモノを最初に考えたのは、低周波音症候群の、当に「もし、あなたが、何か変だなと思っている内に、胸の圧迫感、息苦しい、吐き気、ふらつき、立ちくらみ、頭痛、頭に帽子をかぶったような感じ、耳の圧迫感・痛み・ふさがり感、目がクシャクシャする、肩の痛み・凝り、のどがはしかい、全身の圧迫感、手のしびれ、足が痛い・だるいなどを感じ、医者に行って薬をもらっても回復がはかばかしくない場合」(「低周波公害のはなし」汐見文隆 著 晩聲社)時であり、「頭蓋骨の中で脳みそがガクガクし、ブヨブヨになり首から上が疲れ切ってしまう」(「黙殺の音」(※1))と言う状態が少し治まりこの状態は一体何だろうと考える余裕がほんの少しできた時であった。
当時の私は、健康的にも、環境的にも、極地獄の中を這いずり回っており、もちろん、低周波音の「て」の字も知らない時で、汐見先生の著作から、ただただ、今の自分の状態は、低周波音症候群と言うんだ、と言うことを知るだけが精一杯な状態であって、およそ物事を考えるとか、本を読むと言うようなことができるような状態ではなかった。
今改めて右脳左脳問題を見てみると、日本では、角田忠信氏の「右脳と左脳−その機能と文化の異質性」(1981)に始まる。本著の本領は、目次にある「日本人の音認識の特徴」「脳の機能と文化の異質性」にあり、そもそも日本人と西欧人の音認識の差異の存在、そして、その差異は脳の構造に依る、とした点であり、現在言われている脳一般の働きをみる脳科学とは、少し視点が違うような気がする。しかし、実に、この「日本人の音認識の特徴」と言う点こそが、私が後に“低周波音症候群風土病説”に到った原点なのではあるが。
氏の著書は、発刊当時、画期的着眼として、一般的には右脳ブームの火付け役となった。しかし、現在では氏の“解りやすい”コンセプト自体が完全に肯定されているわけでは無いようである。発刊から20年以上も経てばそれなりに新しい“知見”により、状況が変わるのは当然である。しかし、それも、むしろ、肯定的よりも否定的な見解が出てくるのは世の成り行きとして、当然である。即ち、反証としての知見が出てくるのが当たり前のことであり、また、そうあってこそ「科学」であると言うことである。
しかるに、低周波音問題に関しては、昭和47年(1972年)に始まる、西名阪自動車道香芝高架橋公害当時は、低周波音による被害の可能性を示唆しながらも、その後、有耶無耶にせざるを得なかった事に始まり、30年以上経った今日では、否定的どころか、「低周波音部分はそもそも聞こえないから、その音による被害は有り得ない」と言うような、到底科学的とは言えない“科学的知見”でもって、「環境問題としての騒音から低周波音部分を全く除外する」様な方向がとられようとしている。と、早速と低周波音問題に直結してしまうのだが、本題の右脳左脳問題にもどろう。
1−2.「右脳左脳論」は俗説
まずは、2007/02/23の朝日新聞の報道で、「ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止」(※1)とされた「大変便利で、調べごとの導入に使うことに全く異存はない」と言われるウィキペディアの「右脳・左脳論」(※2)を見ると、
右脳・左脳論
脳機能局在論でよくある非科学的俗説として右脳・左脳論がある。これは左側が言語や論理的思考の中枢であり、右側が映像・音声的イメージや芸術的創造性を担うとし、例えば理屈っぽい人物は左脳優位、芸術肌の人物は右脳優位だとする説であるが、単純かつステレオタイプな解釈であり、そのほとんどは科学的な知見からかけ離れた通俗心理学に類するものであると批判されることが多い。
大多数の研究者が特定の精神機能の中枢とみなしている領野は今のところ、末梢との神経接続が解剖的に調べられている初期知覚領野・運動野を除けば言語野しかなく、これは脳の損傷と失語症の間に因果関係があるためである。絵画を描くための中枢や音楽を処理する中枢は今のところ確認されていない。
前述の通り、言語など高次機能との関連においても左右の活動に差があることも示されてはいるものの、fMRI(一言で言うと「外部からの刺激や課題を行うことによって活動した脳の様子を、画像化する方法」)などによる脳活動の測定はあくまで相対的な活動の増大を示すものであり、その部位がその精神活動を行う中枢であるとか、その部位がその精神活動を専門に処理しているといった根拠にはならない。また芸術などを対象とした脳機能イメージングでは右半球にも活動のピークがあるといった程度であり、多くの研究では左半球にも活動の増大が認められる。左半球全体が論理処理のために活動しているわけではない。また左半球だけが論理処理をしている根拠は無い。
「右脳を鍛える」と称する訓練等があるが、それによって「イメージ能力」や「創造性」が向上し、それが右半球の神経活動と関係しているという科学的根拠は基本的に無い。
脳機能イメージングでは神経接続関係を調べられない。右半球と左半球に活動のピークが認められる場合でも、「右脳と左脳が協調して働いている」といった論の根拠にはならない。
この説に関しては、この説で用いられる左脳、右脳という用語からして学術用語として用いられることは基本的になく、解剖学的な定義などは不明確であるとみなされている。
と言うことで、「右脳・左脳論」自体を、「非科学的俗説」としている。確かに、最近の脳関係の本を読んでいても、脳の状態は複雑で左右という大きな区割りだけでは考えられない面もある。更に、そもそも脳機能が必ずしも局在しているかどうかも確定できていない様でもある。しかし、4つに別ける血液型による気質・性格分類や2つに別ける脳の認知の男女の性差レベル的以上には正しい論ではなかろうか。
これまでの研究により、恐らく、基本的な点に於いては、右脳左脳、男女差による脳の部位による基本的な論は正しいのであろう。が、しかし、世の“大多数の研究者”と言われる人たちは、有無を言えないような明確な証拠が出てこない事には納得しない様で、それまでは、あくまで、“俗説”とする様である。
しかし、その姿は、私には、単に、“大多数の研究者”達は、トップランナーが、「何かで転ける」のを密かに期待しながら、走り行く姿を、羨望の目で見ている図に見えてしまう。
もしそうでないなら、積極的に反証を示し否定するか、対抗しうるような仮説を提示して、論争するか、完全に否定すれば良いのだが、“大多数の研究者”達はそれができないから、「まー、ねー」と曖昧否定的に傍観しているのであろう。
否定もせず、単に処理済みとしようとすることは認めたことであり、角田忠信氏は今なおトップランナーであると考える。
いずれ有無を言わせないDNAのような詳細な脳地図が創られるのであろうが、それにはDNA解明に要したであろう何倍かの時間が必要なのであろう。いずれにしても脳に関しては余りに未解明部分が多いようで、文字通り今後の研究に待たれると言うのが現状のようである。
等と言っている内にも、2007/05/14の朝日新聞によれば
カラスの脳地図
「カラスの脳は、知能をつかさどる領域がほかの鳥類に比べ広範囲にわたっていることが、慶応大のグループの研究で分かった。同大の伊澤栄一准教授(比較認知脳科学)は「カラスの知性を裏付ける結果。知能はチンパンジーなど大型の類人猿にも匹敵するのでは」と話している。
カラスは体重に占める脳の重さの割合が、ハトの約2.5倍あるとされている。道具をつくったり仲間を欺いてえさを隠したりするため、知能が高いといわれてきた。
伊澤准教授らはハシブトガラス6羽を使い、脳の断面を1ミリずつ約50枚採取。さまざまな役割を持つ領域が脳内でどのように位置しているかを示す「脳地図」を描いた。
と言う事なので、トップランナー達の研究は日進月歩であるようだ。
※ 1「黙殺の音」拙著 私が如何にして低周波音被害者となり、その問題解決のためには地道な永続的な行動しかないと考えるようになった経緯を綴ったモノ。
今の状態で拙著内の表現を考えるとなかなか的確な表現であったと思う。それは、日本脳神経外科疾患情報によれば
「脳は頭蓋骨の中で脳脊髄液という液体のなかに浮かんでいます。その液体は脳室という脳の中の液体で満たされた部屋の中にある脈絡叢という構造物で作られます。脳脊髄液は一日に500ccもつくられ、脳の部屋(脳室)、脊髄周囲、脳の表面を循環し、最後に頭頂部の静脈に吸収されます(図7)。この流れがどこかで堰きとめられると水頭症という状態となり、頭痛、吐き気、意識の低下などが起こります。」
と言うことなので、「堰きとめられる」までは行かなかったものの、流れが非常に悪くなっていた、あるいは、実際に見ることができない音の実験を視覚化するために洗面器に水を張って低周波音を出すと小さな波が立つのだが、脳脊髄液がどのくらいの速さの流れか解らないが、少なくとも低周波音は脳脊髄液に対し通常とは異なる波立ちを与えていたことは確かであろう。その波が仮に極めて些細なモノとしても、三半規管の内部をリンパ液が流れることにより、有毛細胞が刺激されることで、前神経から脳に刺激が送られ、体(頭部)の回転が感知できるしくみがあるのだから、不必要で異常な「さざ波」が何らかの変化を脳に及ぼさないはずはなかろう。
※1「ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止」
http://www.asahi.com/digital/internet/TKY200702220331.html (リンク切れ)
※2「右脳・左脳論」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1−3.英語耳・英語脳
まずは、ウィキペディアがいみじくも、
「右脳を鍛える」と称する訓練等があるが、それによって「イメージ能力」や「創造性」が向上し、それが右半球の神経活動と関係しているという科学的根拠は基本的に無い。
と、述べている、“「右脳を鍛える」と称する訓練等”の一つで、子どものお稽古事分野で以前から注目され、早期教育の必要性の宣伝文句の基盤となっている、英語耳とか英語脳から見てみる。
以下は右脳記憶・右脳開発を英語学習方法に取り入れているとしている「ミミテック聴覚右脳学習法」というHPからの引用だが、素人には解りやすく説得力有る説明である。
左右両脳の機能、役割の研究は、1981年にアメリカのスペリー博士がノーベル賞を受賞したのと前後して世界的に研究が始まったばかりで、まだまだ脳の働きのすべてが解明されているわけではなく、我が国ではスペリー博士より先んじて、七田式右脳教育を主宰する七田眞氏が、子供の潜在能力開発を実践的に行って国内外でも知られるようになりましたが、まだまだこの分野は未知な領域だといっていいでしょう。
しかし、今日までに左右両脳には、はっきりとした役割の違いがあること、また私たち人間はわずか3%しか脳を使っていないことなどが解き明かされ、解明とともに未開の脳をいかに開発させるかといったノウハウも積極的に模索されるようになってきました。
これまでに明らかにされた左右両脳の役割で、まず一番大きな違いは、左脳が言語と論理で理解認識思考する顕在意識脳であり、右脳はイメージで認識記憶思考する潜在意識脳であるということです。
先に、脳は全体のうちのわずか3%しか使われていないと述べましたが、実はこの3%は、そのほとんどが左脳の働きなのです。
左脳は、言語で理解、認識し、論理的に分析、判断をする脳で、じっくり計算し、じっくり記憶します。また、記憶容量が小さいため、短期記憶する一方、どんどん忘れていきます。それに対して右脳は、言語で認識するのではなく、イメージで瞬間的に記憶認識し、記憶も計算も大量かつ高速で行っていきます。
要するに、写真を撮るように一瞬にイメージで記憶してしまうわけです。見るもの聴くもの体験することなど、印象が鮮やかで強烈であればあるほど右脳はイメージ記憶として長く潜在意識内に保存していきます。そして、必要な時にサッと記憶をよみがえらせたりして、ひらめきや直感力を引き出す役割をはたすわけです。
左脳が未発達な赤ちゃんや幼児は右脳のイメージ記憶だけを使って母国語をマスターしてしまいます。そして、徐々に発達する左脳によって少しずつ論理的に言語を認識するようになるのです。
小学生以上の時期になってしまうと、ほぼ完全に左脳優先の生活パターンが定着してしまい、右脳学習はむしろ苦手な作業になっていきます。
しかし、右脳の窓口である耳を刺激してやると、眠っていた右脳は再び活動をスタートさせていきます。つまり、耳を幼少の頃の耳に戻してやれば、まさに赤ちゃんの時期にフル回転していた右脳の働きを取り戻すことができるのです。
左脳は言語と理論でじっくり思考し、記憶したり計算する意識脳(顕在意識脳)です。コツコツ努力し積み上げる直列型の許容量の小さい脳であるため、どんどん忘れないと 次の情報を記憶できないので短期記憶脳です。また、肉体脳であるため緊張した意識集中によりイライラのベータ波脳波状態であり疲れやすく 持続力が無くストレスがたまります。
現在の学校教育は特にこの左脳一辺倒の言語と論理的思考の左脳記憶学習に偏っています。
一方、右脳は本能的能力から発達した脳で見たまま聞いたまま、感じたままにイメージ、5感、直感で 瞬間的に記憶したり、情報を取り込む無意識脳(潜在意識脳)です。瞬間的に大量の情報をイメージとして記憶したり超高速で計算してしまいます。無限な許容量を潜在意識に記憶しますので、必要時に瞬時に直感的にアウトプットできます。
と言うことなのだが、ここで、右脳左脳のそれぞれの違いと言われるモノの内主なモノを整理しておく。どこの図を見ても左右が逆になり、何度見ても混乱するが「自分の頭を上から見た」形になっている。
左脳 | 右脳 | |
言語認識 |
|
イメージ記憶 |
論理的思考 |
直感・ひらめき |
|
計算 |
芸術性・創造性 |
|
じっくり記憶 |
瞬間記憶 |
|
顕在意識(意識脳) |
潜在意識(無意識脳) |
|
ストレス |
リラックス |
|
情報を逐次処理する |
情報を並行処理する |
|
細部を捉える |
全体像を捉える |
|
話し手の内容を理解する |
話し手の感情を把握する |
|
幸せや喜びの感情を担当 |
怒りや不快の感情を担当 |
1−4.右耳左耳問題
パソコンに例えると、左脳はハードディスク、右脳はメモリーと言った感じになろうか。しかも、右脳は超巨大なメモリーというのだから、確かにそれを活用しない手はないと考えるのは当然である。「鍛える」事ができるなら鍛えたいモノだ。
たまたま保存しておいたのを思い出したが、2004年に以下のようなニュースがあった。
左耳は音楽・右耳は言語、互いに役割分担…米大研究
【ワシントン=笹沢教一】耳の働きには左右で違いがあることが、米カリフォルニア大とアリゾナ大の乳児約3000人に対する聴覚測定の研究でわかった。
右耳は主に言語を強調して脳に伝え、左耳は音楽に対して同様の反応をするという。これまでも左右の聴覚機能に違いがあるとする説があったが、耳自体の働きは同じで右脳と左脳の違いによるものと考えられていた。
今回の結果は、乳幼児の教育や聴覚障害の治療、リハビリなどに役立つものとして注目されている。10日付の米科学誌サイエンスに発表された。
研究チームは、乳児の聴覚測定と同じやりかたで、小さなマイクを外耳道に入れ、特定の音を聞かせて、内耳から発する「耳音響放射」と呼ばれる小さな音を測定した。耳音響放射は、内耳の感覚細胞が音を神経への信号に変換する際に振動して生じたもので、単なる音の反響ではなく、感覚細胞が特定の音に反応した結果が反映されると考えられている。
測定の結果、左右の耳音響放射には明らかな違いがあり、右耳は言語のように断続的なかちかちとしたクリック音に対し、より強く素早く反応、音楽のように連続的な音程(トーン音)に対しては、左耳が強く早く反応していることが確認された。
脳の聴覚中枢にも左右の違いがあり、言語や会話などは左脳が、音楽には右脳が反応しているとされ、左脳は右耳、右脳は左耳を制御している。研究チームは、左右の耳の違いが左右の脳の違いを助ける役目を持っていると推定しており、「人工内耳の移植など一部の外科治療の基準にも変更を迫る発見」としている。
2004/09/10(読売新聞)
即ち、赤ちゃんに話しかける時には右耳寄りに、子守歌を聴かせるときには左耳寄りが良いのであろう、と思ったりしたのだが、自分の子どもはもう大きくなってしまい試しようがない。
これは右利き左利きとも関係するようだが、
左利きの人の病気にも特徴がある。左利きの場合は睡眠障害や斜視になりやすく、聴覚障害になる確率は、右利きの約2.5倍。さらに、あらゆることを左手で行うような左利きの場合は、アレルギーや花粉症などの免疫系の病気になる確率が右利きの約2.5倍にもなるともいわれている。利き手によってかかりやすい病気にも違いがあるわけだ。healthクリック
と言うことである。
ここで、思わず我が家の例を考えてみた。長女は生まれながらは左利きだったが、当時は、お稽古事の習字、そろばん、等に不便であろうということで、矯正してしまったが、彼女の下の娘はまだ、2才なのだが、実に矯正など恐れ多いほどに、余りにも極めて自然な左利きなので、親は左利きで行くことにしたそうだが、実はアレルギーがとても酷く、可哀想である。改めてじっくりと孫のお守りをしてみよう。