第4話 荷馬車

 この国の最南端の港からは、ハミット島への連絡線が日に数本出ている。自分達が到着した時には、既に昼過ぎすぐに出る船が停泊していた。
 2人分の乗船券を買い、隣りの売店で出来合いの食べ物を見繕う。今から乗るホバー船は、見た限り立派とは言いがたい。船室に船と椅子はあっても、食事は出てこないと踏んだのだった。
 実際に乗り込んでみて、予想は正しかったのだと知れる。だだっ広い部屋に、机と椅子が並んでいる。前方に番組を楽しむために設置された画面と、簡易の売店がある。飲料水や菓子は買えるようだが、やはり昼食と呼べるようなものは置かれていないようだ。
『間もなく出航致します』
 女性の声で放送が流れ、やがて独特の浮遊感に襲われたかと思うと、ゆっくりと景色が動き出した。空は晴れ渡り、海面が輝いている。弱視のエンプレスでも光の具合は感じられるのだから、窓側の席を選んで正解だった。
 思えば、こうして妹と船旅をしたことは記憶に無い。冷めてはいるが食事を楽しんで、他愛も無い話をする。これがただの旅行だったなら、どんなに快適だったろう。
 柔らかくも苦い船旅は、意外にも短く感じられた。
『間もなく到着致します』
 港が近いことを告げる放送が流れる前から、船は島の横を走っていた。
 大陸から近い北部は砂漠になっていて、降りられる場所も町も無い。したがって島の南東部を目指すのだが、途中で空飛ぶ研究所の姿が目に入った。微かだが、塔の影も見えた気がした。その度に、他の乗客がざわめく。情報番組に取り上げられたうえ、学生が連休に入ったことも手伝って、観光客が増え始めているのかもしれない。
 これは自分には、少々都合の悪い話かもしれなかった。
「ゆっくり調査ができるかしら……」
 溜め息を吐く合間にも、船は徐々に岸に近付いている。島でやるべきことを頭の中で素早く整理すると、高ぶった心が少し落ち着いた。
 港からは馬車に乗り、いったん知人の家に行くことになる。多少遠回りではあるが、妹を砂漠に連れて行くことは戸惑われた。病院から連絡した時は、快く歓迎してくれるとの答えを貰っている。本当は「港まで迎えに行く」とまで言ってくれた。さすがに気が引けて断ったのだが。
「……知らなかったわ」
 こんなに早く後悔するとは、思ってもみなかった。自分の詰めの甘さを呪いたくもなる。
 停留所に着いて、初めて知ったのだ。最初の目的地である西へと向かう馬車が、朝と晩にしかないということを。昼間は一度北へと向かい、それから南に向かうしかないということを。
「今から北に向かうくらいなら、夕方まで待っても一緒じゃない」
 文字通り、肩を落とす。自分1人なら歩いた方が早そうだが、妹にあまり無理をさせるわけにもいかない。屋根の下の長椅子に腰を落ち着けて、待つことにした。北を目指す観光客を乗せた馬車が、目の前を通り過ぎていく。少し恨めしく思いながら、昼食のついでに買った棒菓子を妹と半分にして頬張った。
「君達は、今の馬車に乗らなくて良かったの?」
 足元にあったはずのひなたが、不意に陰る。顔を上げると、1台の荷馬車が止まっていた。
「ええ。私達は、西に行きたいのよ」
「西か……だったら、途中まで乗せていってあげようか?」
「えっ?」
「西なら、ついでだからね」
 ここからでは陰になって顔が見えないが、声から若い男だと分かる。少し戸惑いを覚えたものの、結局は彼の言葉に甘えることにした。
 荷馬車の上は意外に高く、揺れる。今までにない体験に、青年と自分との間に座ったエンプレスは楽しそうだ。馬車を引く馬の頭と、ゆったりと流れる農村の景色が視界に入る。ホバーカーでは聞くことができない、車輪が土を踏む音。のどかな道程というのも、悪いものではない。
 しばらくは風に揺れる緑の穂を楽しんでいたが、ふと荷馬車の主に目を遣る。手綱を操る腕が、どことなく不慣れに感じるのは気のせいだろうか。麦わら帽の下から覗く髪の色は白く、教授達を助けたという青年を思い起こさせる。こんな感じの人だったのだろうか。
 視線を感じたのか、青年が振り返る。帽子を目深に被っているため表情は読み取りにくいが、とりあえず笑ってはいるようだ。
「どうしたの? 僕の顔に、何か付いてる?」
 幸いにも不快には思っていないようだが、失礼ではあったろう。
「ごめんなさい。そうじゃないの」
「じゃ、誰かに似てたのかな?」
「ええ……ま、そんなところ」
 曖昧な答えに、短く「そっか」と答えただけだった。彼には、追求する意味も無いのだろう。
 沈黙が落ちた後、思い出したように青年が再び口を開く。
「そう言えば、お客さんは『塔』のことは知ってる?」
「ええ。番組で見たわ」
「じゃ、お客さんも目的は『塔』なのかな?」
「ええ、そうね」
「やっぱりね。そういう観光客が増えてるんだよ」
 彼は、愉快そうに笑った。
「島の人間としては増収になるから良いんだけどね……お客さん、こっちじゃ逆方向だよ。塔に向かうなら北に行かなきゃ。皆も馬車に乗ってたでしょ? 連絡線から見えなかった?」
「微かに見えたわ。塔に行く前に、知り合いの家に行くのよ。妹を預けなきゃ」
 エンプレスの柔らかい髪を撫でた。置いていかれることに不満を抱いているのか、彼女の頬が膨れている。
「行くのは大変だから、懸命な判断だよ……と言いたいけど、君でも無理だよ。砂漠の真ん中でしょ? 歩くのも難しいし、だいたい行ってどうするの? 疲れるだけだよ。実際、多くの人間が町の中で立ち往生してるしね」
「……疲れるのは、嫌い?」
 それだけ並べ立てられると、初対面でも分かってしまう。そうでなくても大抵の人は、疲れることが好きではないだろう。
 そんな質問が来るとは思ってもみなかったのか、青年は目を丸くする。それから呆れるでもなく、怒るでもなく、透き通った空を思わせる晴れやかな笑みになった。
「うん、嫌い……かな? よく分からないや。楽しいことが、僕の全てだからね」
 こちらも、ついその表情につられてしまった。
「私も全てとは言わないけど、楽しいことは好きだわ。友達と話したり、買い物したり……知らないことを学んだり」
「怖いとは思わないの?」
 なんて率直に質問をする人だろう。
 彼の真っ直ぐさに、思わず苦笑する。
「そうね……多少は、怖さもあるかもしれない。でも、おもしろいとも思うの。人と出会うのも、そう。たとえ一時だけでも……今、こうしていて私は楽しいわ」
 返事に詰まってしまったのか、青年は無表情だった。それが徐々に赤くなっていくと、ぶっきらぼうに丘の上を指差す。
「ほ、ほら、見えてきたよ。あれじゃない? 目的の場所」
 確かに丘の上には、2階建ての家がある。白い壁でできたそれは、青い空とよく合っていた。まぎれもなく目的地だ。
「そうよ、ありがとう」
 坂の下で降ろしてもらい、小銭を渡す。
「本当に助かったわ」
 半ば慌てるようにして動き出した馬車を、妹と見えなくなるまで見送ったのだった。

 ◆◆◆

 2人の『客』から見えない場所まで来たことを見計らって、道端に馬車を留める。
「ありがとう」
 後ろに小高く積まれたわらをどかすと、後ろ手に縛られた中年男性の姿があった。その目は怯えたように、こちらを見ている。
「本当に助かったよ」
 笑顔をくれてやっても、目の色が変わることはない。自分は縛り上げた以外、特に乱暴を働いた覚えもないのだが。思わず肩を竦めてしまう。
 先ほどハイプリースティスから渡された小銭を男の腹の上に放ると、荷台を蹴って空中に上る。そのまま少し高度を上げて、唐突に思いついた。
「ああ、こうして登場したから怖がってるのか」
 自分にはこれが当たり前になっているから、すっかり忘れていた。他の人間には、人が浮き上がるということが理解不能なのだ。
「ま、どうでもいいけど」
 おかげで手早く先回りし、送り届けることができた。これならワンドも文句はあるまい。
「さて、そろそろ連絡取らないと、うるさいかな」
 体制を変え、空を駆る速度を増す。自分とは似つかない、白い鳥を目指して。
「今度は、どんな命令が下るのかな……そろそろ飽きてきたんだけどね」
 悪態はつくものの、つまらないわけじゃないのだ。この夏は、何かが変わる予感がするから。