第5話 奪われた力
エンプレスのようにあまり体力が無い身体では多少息が上がるほどの坂を、ゆっくりと歩いていく。小さな黄色い花が、小道の両側で風に揺られていた。
「ランス」
ようやく上りきり、家の前で掃き掃除をしている1人の青年に声を掛ける。
「やあ、エステス。エンプレスも。久し振り」
晴天よりも濃い青色の目を細めて、テンパランスは笑う。一つ年下の彼は、快活そうな見た目を裏切らない、まっすぐな性格の持ち主だ。
「久し振りね。元気だった?」
きっと、聞くまでもないけれど。
尋ねられた本人もそう思ったのか、肩を竦めてみせた。
「見ての通りだよ。レンも元気だよ。今、上の階の片付けでもやってるんじゃない?」
つられて、2階を見上げる。ここからでは壁しか見えなかったが。
「悪かったわ。急に押しかけちゃって」
「いや、構わないよ。賑やかになるし、俺は大歓迎だ……ああ、ちょっと待って。ほうき、片付けてくるから」
小走りに小屋へ駆けていく背中に、素直に感謝する。彼の笑顔にも言葉にも陰りは見えず、いつも心が軽くなる。年に数度、同居人であるストレングスと大陸に遊びに来てくれる時くらいしか会えないが、彼等はとても良い友人だ。
ほうきを置いて軽くなったのか、テンパランスは先よりも少し速い速度でこちらに戻ってくる。普段から動き回っているのだろう。息切れをする様子は、微塵も感じられない。
「ごめん、ごめん。立ち話もなんだし、中に入ってよ」
「ええ、お邪魔するわ」
さり気なく荷物を持ってくれた彼の後に続く。
「それにしても、思ったより早く着いたね。馬車が無かっただろ? レンが言い忘れたって、心配してたんだ」
「そうね、停留所では驚いたけど……親切な人が、ここまで送ってきてくれたのよ」
「へえ。この先にある畑の人かな? 確かに、とても良い人だ……」
「だよ」と続くはずだったろう言葉は、上の階からした玻璃が割れる音に消されてしまった。思わず、3人で顔を見合わせる。
「何かひっくり返すような物、あったかな?」
困ったような顔であごを掻きながら玄関の戸を開こうとした彼の裾を、エンプレスが引っ張って止める。首を横に振る彼女の眉間には、珍しく皺が寄っていた。
「違う……2人いるよ」
「え?」
「レンお姉ちゃんと、もう1人いるよ」
極度の弱視の分、妹は感覚を耳に頼っているところがある。それで足音の奇妙な点に、いち早く気付くことができたのだろうか。
「……ただの掃除ではなさそうね」
呟くが早いか、エンプレスを置いて階段へ駆ける。
「こっちかっ」
段を転びそうな勢いで駆け上がり、飛び込むようにテンパランスが部屋に入る。遅れて部屋に入ろうとするも、戸口のすぐそこで停止した背中に危うくぶつかりそうになった。
何事かと思ったが、彼の目の前に張られた鎖を見て、前に進めないのだと分かる。壁には鎌が突き刺さっていた。その柄から出ている鎖を辿ると、窓側にいる少年の右手に行き着く。もう一方の腕には、ストレングスが捕らえられていた。
黒い髪に、浅黒い肌。大きな金色の瞳。
どれもが特徴的な容姿は、テンパランスには見覚えがあるものだったらしい。
「おまえは、たしか……デス?」
当たっていたのか、少年が笑った。金色の瞳が、楽しげに輝く。
「悪いけど、レン姉ちゃんはさらっていくよ。取り戻したければ、北の森まで来られたし」
「はあ?」
「じゃあね」
デスという子供が腕の力を入れたことで抜けた鎌を、屈むことでなんとか避ける。再び顔を上げるも既に遅く、デスとストレングスの姿は窓辺に無かった。
慌てて窓から身を乗り出し、下を覗く。大人の女性を抱えたデスが、子供とは思えない速さで走っていく様が確認できた。
「ええっ? なんで、あんなに速いんだよっ」
テンパランスが大声を上げるのも、無理はない。下手な荷馬車よりも速そうだ。
しかし、驚いてばかりもいられない。衝撃からいち早く立ち直ると、隣りを叱咤する。
「驚いてる場合じゃないわ。早く追わないと」
「ああ、そうだった」
振り返ると、いつからそこにいたのだろう。頭の中で状況を整理しきれていないらしいエンプレスが、呆然と廊下に佇んでいた。
彼女の顔を見て、テンパランスは更に慌てる。
「エンプレスは、どうするんだ? 預かるどころの事態じゃないぞ」
「一緒に連れていくわ。耳は私達よりも良いし、頼りになるかも」
話題に上っている彼女は悲しげな顔で、こちらを見上げている。
「レンお姉ちゃん、さらわれちゃったの?」
ようやく事態を飲み込めたらしい。
膝をついて彼女と同じ目線になると、華奢な両肩に手を乗せる。
「そうなの。エンプレスも手伝って。頼りにしてるわ」
「うん。私、がんばる」
いつになく力強い表情に、思わず顔がほころぶ。
彼女なりに、少なからず負い目を感じている節があるらしいことは薄々気付いていた。それが晴れた顔に、少し安堵する。
「さっそく追うわよ。車はある?」
「あ? ああ、下に……」
「じゃ、行くわよ」
エンプレスの手を引き走り出すが、テンパランスが追ってくる様子が無い。1階に下りたところで、ようやく動き出したらしい彼に上から呼ばれる。
「『行くわよ』って、エステスが運転するのか?」
こんな時に、なんて察しの悪い。
「当たり前でしょ。いいから、鍵持ってきて。早く」
つい苛立った声は、家中に響いた。それに驚いたのか、彼は更に慌てる。
「わ、わかったよ。先に車庫に行っててくれ。外出て左の、俺がさっき、ほうきを片付けたとこだ」
「知ってるわ。急いでよ」
念押しした直後に、何かをひっくり返したような音とテンパランスの悲鳴が聞こえる。幸い、割れ物は無かったようだ。
「……お約束よね」
溜め息を一つ吐いて、妹と共に外に出る。玄関のすぐ左にある車庫……と言うより物置と言った方が正しい気もするが、引き戸が完全に開けられたままになっていた。田舎とはいえ、少々無用心だと思われる。中に入ると、テンパランスが使っていたほうきも、壁に立て掛けられていた。
物置の奥に止められている白いホバーカーに近付いて、運転席を見る。屋根が無い車は掃除がされ、綺麗な状態だ。計器を見ると多少古い車種のようだが、操作できないことはない。
「お待たせ」
車を観察していると、息を切らせたテンパランスがやって来た。手には荷物が三つある。一つは乱雑に詰め込んだのだろう、口から袖のようなものが覗いている。後の二つは自分達の物だ。彼に持たせてそのままだったのを、見事に忘れていた。
「悪かったわね、荷物」
「いや、別に構わないよ」
本当に気にしていないらしい彼は、鍵だけを手渡してくれる。
「これ、誰が乗ってるの?」
「あー元はエンペラーのだけど、今はたまにレンが買い物に乗るくらいかな」
「そう……たまにでも動かしているなら、問題ないわね」
あまり乗らなさ過ぎるのも、機械には悪影響だ。その点に気を配らなくて良いことに安心して、後部座席に妹を乗せ、自分は運転席に座る。
「何してるの? 早く乗りなさいよ」
「あ?ああ」
鋭い視線を向けると、彼は戸惑いながら助手席に荷物を乗せ、自身はエンプレスの横に落ち着いた。
「……どうして、助手席じゃないのかしら?」
「い、いや、別に深い意味はないんだけど」
しろどもどろのテンパランスにはどうにも釈然としないものを感じるが、今はそれを追及している暇などない。
「ま、いいわ。行くわよ」
棒状の鍵を差し込み、小さな画面に免許証を触れさせるとエンジンが掛かる。空気が噴射される音と共に、独特の浮遊感が身体を襲った。ゆっくりとホバーカーを発進させ、とりあえず物置から出す。
しかし、癖があるのか、いまいち勝手が掴めない。なんとなくアクセルが硬いような気がする。
思い込み踏み込むと、車は急に速度を上げた。座席に身体を押さえつけられる感覚に、正直自分でも驚いたのだから、後ろから抗議があっても文句は言えない。
「おっわ、危ねえぞ」
「ああ、悪かったわ」
速度を少し緩め、鏡を片手で調整する。個人車両に乗りなれていないらしい2人の姿が、運転席からでも確認できるようになる。彼等は顔を引きつらせながら、お互いの身体にしがみ付いていた。
……やはり、釈然としないものを感じる。
少し不満に思いながらも、しばらくはそのままの速度で車を走らせる。特に道という道もなく、計器で方向を確認することだけ気を配れば良かった。視界は良好で、飛び出しや衝突の心配など微塵も無いのだ。
正面に森が見え出し、速度を緩める。その頃には、後ろの2人も落ち着いて座っているようになっていた。エンプレスが目を閉じている。眠っているのだろうか。
微笑ましく思ったが、それは違った。彼女はただ、耳を澄ましていただけだったのだ。風をきる音の他に、何かが聞こえるようになっていたのだろう。
「お姉ちゃん、止まって」
珍しく鋭い声に反応して、ブレーキを踏み込む。前のめり気味になって止まった車の前に、空から勢いよく大きな塊が降ってきた。
「なんだあ?」
完全に寛いでいたテンパランスが飛び上がるほどの揺れが収まり、前を見てみる。そこには、探していたはずのデスが倒れていた。素早く車から飛び降り、しゃがみ込んで意識を確認する。気絶はしているが、息はあるようだ。
「ごめん、ごめん。手加減は、したつもりなんだけどな」
頭上から声がし、振り仰いで見る。驚いた。
「ちょっと手元が狂っちゃったかな」
青い目を細め、楽しげに笑っている青年の顔は、常識としているものより上にあった。彼は自分の背丈より、更に高いところで浮いている。左腕には、ストレングスが抱えられていた。彼女は、気を失っているようだった。
「レンッ」
テンパランスが届くはずのない青年へ飛び掛かろうとするのを、エンプレスが必死に裾を引っ張ることで止めている。2人して、車から転げ落ちそうな勢いだ。それを、青年は首を傾げて見ている。
「大丈夫、少し眠っているだけだよ。デスがあんまり酷く扱うから、速さに付いていけなかったみたいなんだ」
テンパランスの動きが、一瞬だけ止まる。デスの名前があまりにも、すんなり出てきたせいだろう。
「……デスの知り合いか?」
尋ねられ、青年は少し考えるように眉を寄せる。
「知り合いではないけど、君達のことも知ってるよ」
はためく白い髪。この顔は、どこかで見覚えがある。
「ハイプリースティスに、テンパランスに、エンプレス。でしょ?」
指を差して、得意気に笑う。つい最近、これと同じ顔を見た気がする。
「特に、君のことはよく知ってる。会うのを、楽しみにしてたんだ」
こちらを、彼は真っ直ぐに見た。
「エステス」
嬉しそうに自分の愛称を口にする彼とどこで会ったのか、思い出した。
「あなた、荷馬車で送ってくれた男の子よね?」
彼は2、3度瞬きをしてから、微笑んだ。
「そうだよ……そうだな、早く話したくて、つい近付いちゃったってとこかな」
「あの時は、ありがとう……ついでに、レンも返してくれると嬉しいんだけど」
遥か上空から、何か低い音が近付いてきている。
「この状況でお礼を言うなんて、本当におもしろいな。でも、ストレングスは返せないよ。命令だからね」
「命令?」
その時、6人に巨大な影が落ちる。
「そう、上の人からの命令」
青年が指差す天には、巨大な機械がゆったりと移動していた。滑らかな曲線が多用され、前方は長細く尖り、左右は翼のように大きく広がっている。下から見上げると、優美な黒い鳥に見えた。
「ペンタクルエース……」
テンパランスの呟く声に、振り返る。
「あれが?」
「そう。大陸の科学者が集う場所」
完全に影になってしまい、ここからでは青年の顔が見えない。しかし、きっと笑っているのだろう。
「お迎えが来たから、そろそろ行かなきゃ。じゃ、またね」
「おい、待てよ」
テンパランスの制止の声などもちろん聞くことなく、ストレングスを連れたままの青年は、巨大な鳥に向かって舞い上がっていってしまった。こうなると、自分達にストレングスを取り戻す術はない。
「どうするんだよ、あれ。反則だろっ」
「とてもじゃないけどホバーカーじゃ、あの高さまで飛べないわ……」
地団駄を踏んで悔しがるテンパランスと考え込む自分の意識をさらったのは、エンプレスの新たな気付きだった。
「お姉ちゃん、人がいるよ。向こう……」