Enlightenment and Healing Hermitage 鹿野苑 本文へジャンプ
プロフィール


○法 名: 茲法海(しほっかい)
 この法名はあるゾクチェンリンポチェから頂いたものです。チベット語の意味は“益々広がるダルマの海”という法名でした。それを漢字で表しました。ゾクチェンの瞑想法を2人のリンポチェから別々に伝授されてから今日まで続けてきていますが、山頂で大空を見ながら行う瞑想はたいへんに素晴らしく、肉体の境界がなくなり、大空と一体となる境地は如何なる言語思考体験をも超絶しています。「名は体を表わす」、まさに拡大していく法の海と化すのです。身心脱落大安楽現成します。
○俗 名: 安井(やすい) 宏親(ひろちか)

○クリヤヨガとの出会い:
 私がクリヤヨガと最初に出会ったのは、ヨガナンダ著『ヨガ行者の一生』(現在は「あるヨギの自叙伝」とタイトルが変わっています)でした。図書館で偶然見つけたこの本を拾い読みをしたのが契機となり、早速書店にその本を注文して読み始めました。読み進むほどにどんどん引き込まれていきました。毎日就寝前に1時間ほどこの本を読むことが習慣となりました。
 そのうちクリヤヨガを知りたいという気持ちが高じ、ヨガナンダがアメリカに設立した協会に連絡を取り、クリヤヨガの通信教育を受け始めました。5~6年かけてファースト・クリヤから上級クリヤまでヨガナンダが教えるすべてのクリヤ行法習得することができました。また、ヨーギ・ラマイヤの「ババジのクリヤヨガ」のすべてをマーシャル・ゴーヴィンダ師から学びました。学んでわかったことは、ヨーギ・ラマイヤの「ババジのクリヤヨガ」はプラナクリヤヨガプラナヨガ)ではないかということです。ババジは12人の高弟それぞれに異なるヨガを教えました。ラジャヨガをサンカラに、タントラヨガをブラーマニに、クリヤヨガをラヒリマハサヤに、マントラヨガをニムカロリババに、タントラ・クリヤヨガをヘイラカンババに、そしてプラナヨガをスワミサティスワラナンダに伝えたのです。ラヒリマハサヤのクリヤヨガプラナヨガとはまったく異なります
 私は公立学校の数学教師をしていました。教職に精励する一方で、クリヤバン(クリヤヨギ)として霊性の開発専念していきました。朝4時に起床して6時過ぎまでクリヤヨガ瞑想を行い、夜帰宅した後、クリヤヨガを2時間ほど行ってから食事や仕事をする生活が20年ほど続きました。
 ヨガナンダが教えるクリヤヨガに専念するなかで、しだいにババジ-ラヒリマハサヤ直伝クリヤヨガ本来のクリヤヨガを求めるようになっていきました。何か大きな力の導き手によって自然と方向づけられていったのです。

○クリヤヨガディクシャ拝受:
 「ヨガ行者の一生」を読み重ねるうちに、不死の大師ババジへの思慕の念が高じていきました。純粋にババジにお会いして直接教え導いてほしいと願うようになったのです。こうした至純な思いが、自身の心を純化していきました。町を歩いていても普段は見過ごす路傍の草花がとても美しく輝いて見えるのです。通りすがりの見ず知らずの人々に対しても、愛が流れていくのです。私が見ている世界は一変し、光り輝く浄土となりました。歩いている人々、電柱、家々、草木、小鳥や猫、犬、昆虫のすべてが美しい光に包まれ、無声映画のような静寂のなか一体となって在るのです。見ているだけで自然と涙が流れてくるほどに感動に酔いしれるのです。この世界は本当に美しいと実感しました。
 こうした状態が1週間ほど続いたある日、その奇跡が起きました。よく晴れたその日、部屋の窓辺に佇み、庭の花壇に咲く花々をその美しさに見とれてみていました。暖かな陽光が空からさんさんと降り注ぎ花々輝かせています。物音一つしない静寂が当たり一面を覆い、この世界から私を残して一切の生命体消えてなくなったように感じていました。には歓喜が漲り現世の浄土深いくつろぎを堪能しつつ、安んじてその場に身をおいていました。やがて、天上界から濃い紫色をした深いしじまベールが降りてきたことに気づきました。そのベールが私のところまで降りてきて触れたとき、私は知ったのです。本当の静寂の意味を。今まで体験した静寂とは本質的に違うのです。今までの静寂はイミテーションであったのです。薄っぺらな中身のない静けさだったことを知らされたのです。本物の静寂魂を震撼させる強烈な歓喜をともなった静謐そのものの濃密さをもっていて、しかも限りなく透明優しく温かいのです。このとき私の今までのあらゆる経験や体験してきたものは薄っぺらな模造品にすぎなかったことに気づかされたのです。わたしたちイミテーション世界存在し、そこで喘ぎながら生きているのです。その真実の静謐のなかで初めて宇宙の原動音OM響きを聴きました。このプラナヴァ(聖音OM)の洗礼こそ真の洗礼なのです。インドの聖典には、『彼は、しだいに神聖を取り戻し、聖音OMを聞き、シッダ(聖者)となる』と記されています。聖音(オーム)浸って洗礼受けることが、人間の第二の誕生なのです。だれでも、この過程を通らずには、真の内なる世界、神の国を体験することはできないといわれています。
 静寂聖音と天上から清らかに燦燦と降りそそぐ三位一体のなかで、私はうっとりとして恍惚酔いしれていました。
 そのときです、肩より下に垂れた長い黒髪と腰布だけを身につけた若いヨギが花壇のある庭にスタスタと素足で入ってきたのです。私はとっさに「神様(ババジ)が来てくれた」と思いました。私の強い望みかなった喜び胸が高鳴り躍りました。
 しかし、次の瞬間、その喜びは失望へと変わったのです。(ババジ)たる若いヨギは私に眼をくれることもなく、私の存在をまったく意に介さずに私の目前を足早に通り過ぎ、隣の家の玄関に入っていってしまったのです。そのときの私の落胆たるや天上から地の底蹴落とされたごとくでした。私は失意のあまりその場に崩れ落ち、しばらく呆然としていました。自分の罪深さ心底気づかされた思いでした。
 私は改心し、気をとりなおして立ち上がって隣家を向いて祈りました。「神様(ババジ)は私のところに来てはくれなかったが、隣の家族が神様(ババジ)の祝福を受けて幸せになってください」と衷心からそう願うことができたのです。自分を忘れ他人の幸せ心から願ったのはこのときが初めてでした。
 ああ、神は“愛”であり“慈悲”そのものなのです。決してわれわれ一人たりとも見捨てることはありません。われわれが謙虚になり、自分の罪深さ気づき改心したときに必ず慈愛の手を差し伸べてくれます。そして、わたしたちが全てのこだわり捨てて、愚に生きること、愚に還ることができたとき、孤高の人として真実の生を生き切ることができるのです。人間からへの転換、釈尊が『犀の角のように一人歩め』といった“一人(いちにん)”として、臨済が『一無位の真人』といった“一無位真人(いちむいしんにん)”として、禅の十牛図で説く“痴聖人(ちせいじん)”として楽しく喜び溢れて、そしてすべてに感謝して今の瞬間を生き切るのです。ワンネスの状態です。これが第二の誕生として魂の花を咲かせた姿であり生き様なのです。
 私が一切のとらわれこだわり捨て虚心坦懐心を開いたとき、神様(ババジ)は私の目の前の空間に突然姿を現したのです。まさに物質化したのです。ブラバッキー夫人のところに物質化して現れたクートフミ大師、モリヤ大師の様にです。(ヒーリングのページコラム)
 私は驚きと共に食い入るように神様(ババジ)を見つめました。神様(ババジ)のそのはとても印象的でした。私の一切を認め、私の全存在大きく深い慈愛で包み込み、そしてすべてを許し受け入れているのです。批判評価ジャッジなどの裁き一切感じられません。こんな深い愛は今まで感じたことはありませんでした。母親に抱かれる乳飲み子のような、いやそれ以上に深い安らぎを憶えるのです。
 神様(ババジ)は私に近寄り、クリヤヨガディクシャ授けてくれました。そしてその場で、私をニルビカルパサマーディ導き入れてくれたのです。ヨガナンダが著書『ヨガ行者の一生』で言及した“宇宙意識の体験”と同じものです。このときの体験はあまりにも超絶したもので、とても言説では表現できないものです。物質界から精神界までのあらゆる存在界秘密のベールが一気に取り除かれ霊眼の前明らかとなりました。
 宇宙意識のサマーディに入る前に神様(ババジ)シャクティーパットによって真のクンダリーニの目覚め起こりました。甲高いキーンという金属音が徐々に近づき大きくなってくると、金縛りのように体が動かなくなりました。そして尾骨先端渦巻く強力なエネルギー突然生じたのです。私は何が起こったのかわからず動揺しました。その渦巻くエネルギー脊柱回転して上り始めました。そのエネルギーの流れ乗って、私の意識上昇開始して頭頂から抜け出て行こうとします。私は死を予感しました。この直後、死の恐怖との壮絶な戦いが待っていたのです。その死闘の末に驚くべき新天地開かれてくるのです。それが“意識の卵”の存在です。ニーチェがいった「人は地中深く地獄の底まで降りていかなければ、天国に上がることはできない」を身をもって体験したのです。ここではこれ以上述べませんが、あなたがクリヤヨガディクシャを受けるときに必要ならばお話しようと思います。
 ただヨガナンダが言及した“宇宙意識の体験”とがこのときにした実際の“宇宙意識の体験”とは本質において異なることに気づいたのです。それは前に述べたサハスラーラにある“意識の卵”の存在です。(コラム)このことには私の知る限りヨガナンダは言及していません。
 クリヤヨガディクシャを授ける人を“クリヤヨガ・アーチャリア”といいますが、クリヤヨガ・アーチャリアとは一度でもニルビカルパサマーディに入ったことがある人のことです。あなたもクリヤヨガの実践を通してニルビカルパサマーディに入ったとき、クリヤヨガ・アーチャリアの資格を得ることができるのです。
 神様(ババジ)との邂逅が実現できたわけは何だと思いますか。それは聖師(ババジ)に対するシュラッダー(信仰心、愛)です。
 「われわれの苦痛取り除き不安解消し、平安与えてくれるものは、われわれにとってすべて、真の師である。これらは同じ働きをする。その反対のもの(われわれの苦痛不安増すもの)は、われわれをそこなうものであり、避けなければならない」とインドの聖典はいいます。あなたの真の師、それは身近にいる誰かかもしれません。その人に愛を注げば必ずもっと大きな愛があなたへ還って来ます。そしてその愛は奇跡を生むのです。






















   
 ヘイラカンババ(オールドヘイラカンババ)
 ヘイラカンババは、1890年位にクマオン山中のナイタール東にある小さな寒村に、突如光とともに現れたと伝えられています。ヘイラカンババが行う奇跡は驚異的で、並外れていました。生活も並外れていて、食物や水は一切取らず、眠ることもしなかったそうです。高く積まれた薪の上に座し、それに火をつけさせ、炎の中に数日間座っていたこともありました。
 ヘイラカンババは、「
人が偉大な魂になるためには、誠実さと慈しみと愛を持たねばならない」と常に人々に教えていました。あるとき帰依者がコレラに罹りました。激しい嘔吐と下痢が短期間続くと彼は息も絶え絶えとなりました。ババはいつもと変わらず慈悲深く哀れに思い「私はおまえの代わりにこの体を去ろう。私が去っても嘆き悲しむ者はだれもいないのだから」と話しました。帰依者は不思議なことにたちどころに回復をしましたが、反対にババが同じ病となり、そして告げました。「私が肉体を去ったら、命のない体を火に葬り、灰はガンガの川に流せ」と言い終わるとすぐにババは肉体を去りました。帰依者は嘆き悲しみながらもババの指示に従いました。帰依者はすぐに自分の町アルモーラに戻ると、ババが他の帰依者の家に数日滞在していることを聞きました。彼自身がババの葬儀をしてきたので、俄かには信じられませんでした。急いでその帰依者の家に行ってみると、何ということだろう、ババがちゃんと座っていました。彼はババの体に触れるまでは自分の目を信じられず、しかもあまりのショックに半年間正気に戻らなかったそうです。ババは常に優しい表情で、慈愛に溢れた眼差しをして、情けに満ちた行動をとり、すらりとした容姿に子供っぽいしぐさ、シャツと帽子だけを身に着けているババの現存をただ見るだけで人々は平安を経験しました。
 1922年の秋、ヘイラカンババはチベットに旅をして、西ネパールの国境沿いにあるインドのアシュコートの町で旅を終えました。そしてカリ川とゴリ川の分岐点で、そこは急流でかなり深かったのですが、イエスキリストのようにババは川の上に踏み出し川の真ん中まで歩いてゆくと、ヨギの座り方で座し、光に変わると姿を消されました。


   
物質化して臨在したイエス・キリスト
 わたしは言う 『あなたがたは神である。あなたがたはみな、いと高き者の子である』
          (詩篇82:6)
 すべての魂、すべての花、すべての原子のうちに偏在するキリスト意識の輝く光のなかで、キリストとともに復活した、汝の不滅なる真の自己を見つめよ。
  パラマハンサ・ヨガナンダ


    パプテスマのイエス
 
ヨハネがイエスにパプテスマ(洗礼)を与えている絵画です。そのとき、鳩がイエスの体のなかに入ったことによってイエスはキリスト(救世主)になったといいます。頭上に画かれた鳩が、聖音OMを象徴しています。 







































    モーゼが荒野で上げた蛇
 イエスは言います。「ちょうどモーゼが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければならない」。これはモーゼが荒野で行ったように、杖(脊柱)に沿って蛇(クンダリーニ)を上昇させなければ天国に入れないことをいっているのです。


        観音菩薩像
 この観音菩薩の頭頂に如来の顔が乗っています。如来とは悟りを開いて仏陀となった存在です。菩薩は悟りを開いて如来になろうと修行している存在です。修行者の到達目標が如来として頭頂、すなわちサハスラーラに鎮座していることを表しています。
 私は、ババジから与えられたサマーディでこの事実に気づかされました。すなわち、“意識の卵”の存在です。

 
    サマーディと物理学
 今、リサ・ランドール博士の「5次元宇宙」が注目をあびています。彼女の理論を簡単に説明すると、歪曲した“バルク”と呼ばれる5次元空間に漂う薄い“膜(ブレイン)”が、われわれの住む4次元空間(縦、横、高さ、時間)です。物質を構成する素粒子フェルミオンすべてと電磁気や核力を生む素粒子ボソンの多くはこのブレインからは決して外に出ることはできません。ボソンの中では唯一重力をつくるグラビトン(重力子)だけがこのブレインの外に出ることができます。このことが自然界にある4つの力の中で重力だけが極端に弱い理由になっています。こうしたブレインは無数にあり、それらのブレイン間をグラビトンは行き来するのです。こうしたブレインたちはグラビトンを交換しながら広大な5次元空間に漂い、浮いているのです。
 サマーディに入り、宇宙意識に至るとリサ・ランドール博士の提唱する5次元宇宙と似た状態を実際に体験します。4次元の我々が住む宇宙をはるかに超えていきます。まるで4次元物質宇宙がブレインのように見えるのです。ただし、ブレインは1つしかありませんが。リサ・ランドール博士は真実にきわめて近い宇宙論を提唱していると思われます。

 多次元時空による力の場と物質場の統一そして般若心経
 時空を非常に小さな点ではない領域を持った素領域と考えます。その素領域の内部は(4+n)次元空間とし、時空点xi上にはZAのn次元空間(アイソ空間)がファイバーとしてのっているファイバーバンドルと考えます。重力を考慮して多脚場と呼ばれるテンソル場を導入します。これはアインシュタインの「等価原理」を表現するもので、局所的に重力加速度を消す座標系(局所慣性系)の存在を仮定します。さらにファイバー上に底空間とファイバー方向に直行する座標系をとると、底空間方向の4個の座標系のn次元成分にゲージ場Ajmが導入されます。こうして導入された多脚場とゲージ場によって自然界にある4つの力を幾何学的に統一しようとします。多脚場を用いて(4+n)次元空間の計量テンソルをつくれば、これから諸量の運動法則を与える(4+n)次元不変作用積分から運動方程式をつくることができます。またこの計量空間に幾何学的な対称性をもちこむために、キリング・ベクトル場を課すことが要求されます。このキリング・ベクトル場を要請することによって、空間が定曲率空間になることが知られています。こうして素領域のイメージに近い空間が実現されるのです。さらにキリング・ベクトル場はリー代数をつくり、これによって特徴づけられる幾何学的構造がもちこまれます。キリング・ベクトル場のリー代数からリー群が決まり(リー群の単位元での接空間がリー代数である。すなわちリー代数はリー群を局所的に近似している)、このリー群が非可換ゲージ変換を引き起こしています。計量テンソル場とゲージ場を規格化することによって、重力定数とゲージ相互作用の結合定数が関係付けられます。これは驚くべきことで、考えている極微の素領域(極微の真空)と宇宙全体の巨視的な物質分布が相互に関係しているということです。般若心経の「色即是空、空即是色」の世界観が最先端の物理学理論によって証明されたともいえるのです。
 力の場(整数スピン場)の幾何学的な統一は上記のようになされますが、物質場はどうでしょうか。これも多脚場を用いてディラック・スピノール(半整数スピン場)が得られます。このスピノールが従う波動方程式にはクリフォード代数が現れてきます。レプトン‐クォークの多様性を記述するのにも十分な理論であると思いますが、まだ完成はしていません。
 

※ 宇宙の時空間Mを5次元として、ある時間軸上の1点で切断した4次元時空が我々の宇宙である。コボルディズム理論によるとどんな境界のないコンパクト4次元多様体K1,K2も互いにコボルダントであることが証明できる。すなわち異なるトポロジーをもつ4次元多様体K1,K2をつなぐ5次元多様多Mが存在する。しかし、Mが物理的に意味のある多様多(ローレンツ計量を持つ)であれば、K1,K2のオイラー数は等しいということがわかっている。しかもMの因果律が破れていなければ、K1,K2は微分同相である。量子論的な宇宙生成が量子力学におけるトンネル効果によって生じたと仮定しよう。ポテンシャルのトンネルを抜けて無から宇宙が生じるのであるが、宇宙が生じるまでのトンネルの中の状態はユークリッド時空Nで表すことができる。トンネルを通り抜けたとき宇宙はローレンツ時空として姿を現す。ユークリッド時空とローレンツ時空の境界は平面に埋め込まれている全測地的多様体である。このユークリッド時空Nのリッチテンソルが正であれば(これは物理的に自然な仮定)、Nの境界Kは連結でなければならないことが証明できる。つまり、生まれ出る宇宙は1つしかないのである。2つ以上あったらそれらの境界は連結していないからである。このように宇宙の対生成は禁止されるのである。しかも宇宙のトポロジー変化も同様に禁止される。宇宙5次元ローレンツ多様体Mのトポロジーを考えてみる。Mの種数が1以上であったとする。するとMのホモロジー群で境界でない1次元輪体が存在する。この中で時間的に閉じた輪体をとることができるであろう。このことは因果律の破れを意味する。したがってMの種数は0でなくてはいけない。同様にMの4次元境界ローレンツ多様体(現在の宇宙)も種数0である。「ポテンシャルのトンネル内のユークリッド計量多様体から宇宙誕生時のローレンツ計量多様体に変わるとき、トポロジーの相転移が生じるか?」☆は興味深い問題である。これはリーマン‐ロッホの定理から直接導かれると思われるが、因果律が成り立つことを要請をすれば、トポロジーの相転移は起きないと考えられる。4次元、5次元ローレンツ多様体は等質で平坦なものである。これは、私がサマーディに入って体験したこととみごとに符号している。
☆上記課題の別解として、計量から接続を求め、それから特性類を構成するいわゆるチャーン‐ヴェイユ理論を用いて両空間のコホモロジー群を計算し、トポロジーの違いを確かめることができる。
 


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