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わが家の出来事
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   2004年/6月の出来事

私の最も苦手な梅雨に入りました。お外には気楽に遊びに出られないし、
家の中までジメジメして気分が晴れません。居眠り後もなんとなくスッキリしません。
この時期、みなさんはどう過ごしているのかな?(06/12/2004記)

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6/19

6/20
「環境美化・自治区懇親会、そして防犯パトロール」

 おじちゃんとおばちゃんは、この2日間、自治区活動に終日奉仕。頑張りました!!

 ← 6/19
 役員による懇親会の準備
人出不足でおばちゃんも助っ人に借り出されました。








 ← 6/20
 台風6号が接近していましたが、なんとか天気は持ち応え、予定通り環境美化と自治区の懇親会は終了。







 ← おじちゃんは、皆が懇親会を楽しんでいるのをよこ目に、役員仲間と黙々と役目を果たしました。

 この夜、いつものように防犯パトロールも実施。日曜日と言うのに帰りは10時半を廻っていました。役員って大変だね。


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6/12
「ホタル鑑賞会」

 こっちの水は甘〜いぞ!に誘われて地元のホタル鑑賞会に出かけました。

 参加者は、昨年より少ない三百数十名でしたが、鑑賞会の名に相応しく沢山のホタルに遇うことが出来ました。
これも関係方々の努力のおかげです。感謝!!



















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6/10

「岐阜県の子ノ原(ねのはら)高原へ」

 おばちゃんは梅雨の合間、仕事仲間と岐阜県大野郡高根村の子ノ原高原へ「わらび狩り」に行ってきました。朝2時に起き支度を整えて集合場所へ。中央自動車道を使い、降りてからR41号でしばらく走り、更に地道で奥へ奥へ。わらび狩りや周りの景色を楽しんで帰りは夜になりました。結構強行軍だったようですが、いい想い出ができたと喜んで帰って来ました。

 ↓休憩所として提供して下さった槙村さんの別荘でわらび狩りの準備














 ←白樺とレンゲツツジが綺麗な野原でのわらび狩りは今までにないとっても楽しいものでした。

 槙村さん有り難うございました。楽しい想い出が又一つできました。














2004年/5月の出来事

春の連休に入って、まさに「五月晴れ」と言うにふさわしい、いい天気が続いています。
日中になると戸外は気温がグングン上がり、初夏を思わせる暑さです。
でも、私がいつもいる家の中は丁度いい温度で、快適な居眠りが出来ます。長生きできそう!
(05/02/2004記)

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5/29

/30

「”とよかもふるさと文化まつり“とホタル観察会」

 「とよかもふるさと文化まつり」が豊田市千石町の豊田スタジアム一帯で始まり、おじちゃんとおばちゃんは孫達を連れて出かけました。来年4月の合併を目指す豊田加茂地区の七市町村と、三好町が参加したイベントで、初日は各市町村の名産品の販売やコンサート、展示会などが行われました。

 スタジアム横の屋外会場には、各地の名産品が楽しめる「とよかも食堂街」が登場。五平もちや手作りソーセージ、竹筒入りの炊き込みご飯などが人気を呼んでいました。特設ステージでは足助町の市民グループによる「棒の手」公演や三好町のソーラン踊りなどが披露され、集まった観客から大きな拍手を浴びていました。

 稲武町で二百四十年続く古橋家が日露戦争に備えて蓄えた百年前のコメの試食会も開かれ、用意した二百食が午前中になくなるなど好評でした。
 スタジアム内のコンコースでは「物の博物館」として豊田工業高等専門学校と愛知工業大の学生がマイコンカーや、階段を昇降するロボットなどの操作を体験できるコーナーを設置。家族連れらが学生らの指導を受けながら、ロボット操作に挑戦していました。
 午後4時からは、加藤登紀子さんのトークコンサートが開催され、多くの人達が歌とおしゃべりを楽しみました。



 午後8時から豊南交流館で「ほたるの観察会」があり、夕食後みんなで参加。チビ孫が昼の遊び疲れでダウン、重い荷物となりました。ホタルの数もj時期が早かったせいかチョット寂しかった。









 5月30日
 おじちゃんとおばちゃんは、今日も孫とお付き合い。豊田スタジアムでは、「とよかも日本一広場」として、約五百個の風鈴を星形のやぐらに飾る「夢かけ風鈴」(旭町)、町民ら二百人によるオカリナ演奏「フジオカリーナ二百人コンサート」(藤岡町)などが披露されました。

 孫達はミニ消防車に乗せてもらったり、2時間近く順番を待ってはしご車で地上30メートルを体験。有意義な一日だったと喜んでいました。







 ↑地上30メートルのはしご車の上から豊田市駅方面を撮影。でも、ドームの屋根は更に高い。

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5/23

「自治区の防犯パトロール」

 日曜日の雨上がりの夜、おじちゃんは他の役員と一緒に防犯パトロールをしました。夜も大分暖かいので、これからの時期、問題の火種となりそうなところがいくつか見受けられました。でも、パトロール員には何ら権限がなく「地域のみんながいつも気にしてみているよ!!」と、無言で訴えるしかありません。

 担当地域を巡回すると汗ばむ季節になりました。
でも、地域の方々が安心して暮らせる街になればと願いつつ黙々と。







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5/22

「自然観察会・・・愛知県昭和の森にて」

 おばちゃんは今日も元気よく、午前中は「豊田市自然観察の森」のネイチャーセンターで開かれたインタープリタの定例会に出席、午後は藤岡町の「愛知県昭和の森」で開かれた自然観察会に参加しました。













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5/21

「ふるさと泰阜村を歩く」

 例年より早い時期の上陸が心配された台風は、予想よりスピードを上げ未明に太平洋上を通り雨だけを降らせました。明け方にはその雨もやみ快方に。
 おばちゃんは朝4時半に起き、リュックサックに色々詰めて六時前に車で駅に向かいました。名鉄の土橋(つちはし)駅で乗車、知立(ちりゅう)経由名鉄本線で豊橋へ。ここで友達の間瀬むつみさんと合流し、飯田線に乗り換えて田本駅で下車、案内役をかって下さった泰阜村収入役の木下長門さんの出迎えを受けました。
 間瀬むつみさんのご両親も来て下さり大峰山を散策。その後、みんなで「焼肉のながわ」に寄り、山菜料理をいただき、帰りは温田(ぬくた)駅で乗車し戻って来ました。家に着いたのは、午後9時半を廻っていました。
 電車を使っての、のんびり、ゆっくりのぶらり旅を満喫できたと、とっても喜んで帰って来ました。お付き合い頂いた木下長門さん、むつみさんのご両親には感謝!!

 デジカメを持っていったのですが、大峰山山頂での眺めのよさにみとれ、撮影するのを忘れてしまいました。UPする映像がなく後悔しています。

 左:JR飯田線
   中部天竜駅にて
   間瀬むつみさんと

 右:田本駅で
   (もちろん無人駅です)
   泰阜村収入役
   木下長門さんと




 ↑JR飯田線(単線)の中部天竜駅では時間調整の為30分間も止まっているんだよ。
 右:断崖絶壁にへばり付くように伸びるプラットホームがある田本駅。
電車は1日上下それぞれ、8、9本しか停車しません。一番近い集落まで約10分急な山道を登ります。このような環境にある駅は、乗降客が殆どいない為、降り立つともうそこは自分だけの世界になり、周りに広がる自然の風景を独り占めです。

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5/16

「秋の刈り入れが楽しみ」

 おじちゃんとおばちゃんは孫達を連れて、おじいちゃんとおばあちゃんが住む泰阜村に田植えを手伝うため早朝4時半に起き出かけました。







 ↑狭くて田植機が入らないため手植えの水田もあり。孫達も中に入って田植えに奮闘。
    おじちゃんの従兄弟の小林さんにお願いしての機械植え。↑

 途中、田植機のVベルトが切れ、田植えが不能になるアクシデントに見舞われ、予定通りには進まず。
 残りは明日、小林さんがやって下さるとのことで日没をもって終了し、夜は慰労会で盛り上がりました。
翌日、豊田で予定があったので午前零時にお暇し豊田に帰着したのが午前2時半という強硬な一日でした。

   ↑ピーマンの苗の植付け              ↑夜の慰労会


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5/9
「お母さんありがとう!」

 おばちゃんに、お嫁さんから綺麗なお花とケーキのプレゼント。とっても喜んでいました。
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5/2

5/4

「若葉の季節も雨模様」

 
おばちゃんが、緑花祭りのボランティアを務めた都合で、2日午後5時に泰阜に向かって出発。飯田で買物をして、おじいちゃん、おばあちゃんの待つ金野に帰りました。

 今回は久しぶりに大勢が集まり、賑やかな春の一日を過ごせたと喜んでいました。

 3日の午前中は、全員で協力して障子の張替えをして、おじいちゃん、おばあちゃんに感謝されたそうな。

 おじちゃんは、おばちゃんの風邪がうつって、期間中最悪の体調だったようです。

 私はと言うと、いつものように家で退屈なお留守番をしていました。








 左:恒例のバーベキュー
これを楽しみに集まります











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5/1
花と緑のまちづくり 2004年」

 4月30日から始まったこの祭りに、今年もおばちゃんが風邪で体調不良にもかかわらず29日の準備から協力。

 場所:豊田スタジアム
     5月2日まで





 おばちゃんは、豊田市森林組合のブースで「草木染めと紙すき」を担当しました。











2004年/4月の出来事

春の心地よさを体全体で感じることのできる季節になりました。
近くの山も冬の茶色から白っぽく変化し、芽が動き出したことを知らせています。
私と言えば、「春眠暁を覚えず」状態です。(04/04/2004記)

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4/29
「自治区の畑つくり」

 役員並びにOB有志で、今年も集会所の後ろに畑作りがありおじちゃんが参加。皆さん慣れない農具を握って苦戦しましたが、畝をつくり、ナス、トマト、ピーマン、カボチャ、レタス、トウモロコシ等の苗を植付け、何とか格好だけは整えました。

  ← もう四年もやっているとのことで道具使いがなかなか堂に入った方もいました。土も畑の土らしくなってきました。








 ← うまく収穫までこぎ着けられるかどうか?は管理人の坂本さんの腕次第。と言うことでお任せすることにし、おじちゃんの最も得意とするバーべキューで仕事を締めくくりました。









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4/25

「第16回 中京泰阜会」                          写真集は ここ

 早いもので結成以来16年、会員の高齢化が進み、少しづつ参加者が減る中での総会が名古屋覚王山のホテル“ルブラ 王山”で開かれました。会員二十余名と泰阜村から20名弱が出席し、楽しいひと時を過ごしました。今回は、おじちゃん、おばちゃん揃っての参加。昨年、村民の仲間入りをされた長野県知事の田中康夫さんも加わってとっても有意義な一日だったそうです。懇親会が終わってから、珈琲屋さんで役員による簡単な反省会。帰りに"赤池”で途中下車し、広島焼き(お好み焼き)屋さんの"やすおか”を副会長の佐々木さんと訪ね、更にラーメン屋さんに寄って帰宅は10時過ぎてたかな〜。おじちゃんの足取りは怪しかった。

 左:総会の様子

 右:挨拶をされる"日本の改革のリーダー"田中康夫長野県知事

 “情熱と行動の人”を感じました




 左:記念になるいい写真を撮らせて頂きました

 右:浅野美智子さん(役員)指導によるフラダンス 
 松島村長、田中さんはじめ多くの方が参加
 酔いも手伝ってか見事な手つき腰つき



 左:間瀬むつみさん(役員)のグループによるゴスペル

 右:校歌の斉唱









 ← 役員によるミニ反省会後の記念写真
    ・・・会員の減少と役員後継者がいないのが悩みの種です


 松島貞治村長が近く名古屋で講演されます。参加費無料です。時間のある方は是非お出掛け下さい。 詳しくは ここ から

 日 時: 平成16年5月10日(月) 13:30〜16:30
 会 場: 名古屋栄ビルディング・特別会議室(12階)
 テーマ: 「自立に向けた自治体の挑戦」


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4/24
「防犯パトロール」

 五月連休が真近なこの時期、冷たい強風が一日中吹き荒れました。高山では日中雪が舞い、明朝、平野部でも霜の心配があると報じられています。そんな中、新組織で防犯パトロールを行いました。元気な若者10名が灯りのもとに輪をつくり、話をしているのを見かけました。

 寒かったとは言え、12月から2月までのパトロールに比べれば、歩くにはもってこいの陽気です。街路灯に照らされた新緑の樹がとってもいい雰囲気でした。






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4/18

「海上の森を歩く会・・・春を目と口で感じよう!」

 愛知環状鉄道の山口駅前に午前9時半、お弁当と水筒持っておばちゃんが行きました。午前中は山野草を採取して味わい、午後、オプションの観察会にも参加。帰りは夕暮れになりましたが、穏やかな天気に恵まれ海上の森の春を感じることができ、とっても有意義な時間でした。

 左:カスミザラが綺麗な大正池

 右:道の脇に咲くコバノミツバツツジ









 ← ハルリンドウ











     ↑ シノダ池にて


【海上(かいしょ)の森 豆知識】
 当初、愛知万博がこのエリア(面積:540ha 通称:海上の森)を舞台に開催される予定でしたが、計画の見直しにより一部のみとなりました。海上は自然の里山であり、人の暮らす里です。
 地名の由来は、太古には海岸線にあり海所とも呼ばれた。張州府志では「武田信玄の置戌の塁なり」と伝えている。古塁の置かれた物見山は、標高312mで七城ヶ峰とも呼ばれ、ここから三河湾・伊勢湾・稲葉山城・清州城などが一望できた。(幡山村誌より)
 この地から縄文式土器が出土していることから歴史は古く、猿投神社所蔵の古い地図によれば、猿投山のふもとまで海で、現在の瀬戸市街地のほとんどが海であったらしい。したがって古代人は住む平地がないので海辺に住んでいたところから、「海上(カイショ)」と呼ぶようになったと古老が話していた。山口の発祥の地は海上である。1780年ごろの和歌(山口八景)に「海辺にはあらぬ其の名をたたえてもくまなく照らす秋の月」とうたわれている。(セトダス:瀬戸青年会議所発行より)

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4/11

「元気なおばあちゃんに戻って欲しい」

 多治見のおじちゃん、おばちゃんと一緒に小田原の大おばあちゃん(92歳)のお見舞に行ってきました。ペースメーカーを入れたところ、原因不明の熱が出て集中治療室で治療が続いています。入院してから一ヶ月近くになり、一時は心配される状態が続いたようですが、今は、意思疎通ができるまでに回復していたので少し安心しました。

 東名高速道路を使って3時間半の距離、結構遠かった。

 ← 富士川SAにて
 天気がよく春霞ながら富士山が見えました。




















 ↑小田原を訪ねたのは20年振りかな? 元気なお2人にもお会いできてよかったです。

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4/10
交通安全を願って春の立哨活動に参加」

 おじやんが地域の代表の方々と立哨活動をしました。










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4/3

4/4
「気持ち新たにスタート!!」

 新年度に入り初めての役員会が3日の夜7時から、組長会が4日午前9時から開催されおじちゃんが出席しました。今年もまた忙しそう。


 左:自治区集会所前の桜が満開(4月3日撮影)

 右:新役員により今年度の自治区事業計画などが討議された





 ← 新しい組長16名を迎えての初会合












2004年/3月の出来事

3月になりました。この一週間、冬に戻ってしまったような寒さが続いています。
先日おばちゃんの携帯に、「灯りを点けましょボンボリに お花をあげましょ・・・・・・」の歌声と共に
それを歌っているチビ孫の動画が送られてきました。休日はなかなか忙しくて「遊びに来るように」と
声を掛けてあげられないようですが元気な様子が分る。便利な時代になりました(06/03/2004記)



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3/27
「今期最後のお勤め・・・地域防犯パトロール」













 
午後8時から一時間、地域内のパトロールをしました。今回は特に異常なし。
夜間だいぶん暖かくなり、パトロールも楽で、同時間帯に散歩をされている方にもお会いしました。
近くの公園の桜が咲き始めていました。

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3/25
「卒園式」

 「みどり保育園」で中孫の卒園式があり、おばちゃんが行ってきました。

























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3/21
「もうすぐ一年生」

 久しぶりに次男家族が来ました。中孫が今春、小学校に入学で、おじちゃんとおばちゃんが真っ赤なランドセルと学習机をプレゼント!

 ← ランドセルがやけに
  大きく見えま〜す











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3/14
「自治区定例総会」

 早いものでおじちゃんが自治区の役員になってからもう直ぐ1年が過ぎようとしています。1年間を締めくくる総会が開催され、来年度は書記を務めることになりました。

 左:共に頑張った現役員

 右:これから宜しく!
   (新役員と)




















 ↑ 近所の寿司屋さんで退任者の慰労と新任者との顔合わせ昼食会


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3/9
「おくれビナ」

 ひな祭りは、もうとっくの昔に終わりましたが久しぶりに長男家族がきて一緒に夕食を取りました。チビ孫は相変わらず元気で、1人はしゃいで帰りました。













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3/6
「市民大学特別講座」

 市の教育委員会主催による市民大学特別講座「自然と人間との架け橋=インタープリテーションという仕事」という講座が産業文化センターで開催されおばちゃんが参加しました。

 インタープリテーションとは、「通訳」と言う意味です。ただ、環境教育や自然教育の場面では、異言語間の通訳と言う意味ではなく、自然や歴史・文化と人間との間の通訳=橋渡し役という意味で使われています。最近では、新しく開館した博物館などの解説員のことを「インタープリター」と呼んでいるところもいくつかあるそうです。「伝わる」とはどういうことなのか? 「言った」と「伝わった」とは大違い。「言ったはずです」では、何のためのプログラムだったのか。しっかり伝わるためのいろいろな試行錯誤。山梨県西北・八ヶ岳の麓の清里高原で、20年間に渡って自然体験型の環境教育プログラムのために実施してきたインタープリケーションの実際を楽しいお話と、美しいスライドでご紹介いただき参考になりました。


        講師:川嶋 直氏(財団法人 キープ協会常務理事 環境教育事業部長)


2004年/2月の出来事

「さむい、さむい」と言っている間に1月も終わりました。立春を過ぎたのにやっぱりまだ寒いです。
私は最近コタツの中で居眠りすることの心地よさを覚え毎日のように楽しんでいます。
童謡”ネコはこたつで丸くなる”そのままです。(09/02/2004記)


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2/29

「里山観察とお花炭つくり」

 おばちゃんが市の公園緑地協会主催の講習会に参加しました。

 左:お花炭の素材

 右:準備をする参加者

 缶に素材を入れ、蓋が飛ばないように針金でひと巻きする。





 お花炭ってなに?

 平安時代の茶人たちが、木炭以外にも色々な植物を炭にして、その姿を観賞したもの。一旦は途絶えたと言われていますが、短時間でできることから山形県など一部で復活、最近各地で行われるようになりました。

 ←缶をコンロにのせ、煙が出なくなるまで焼きます。





 ←おばちゃんの作品

 炭の種類:黒炭
 低温(400〜700度前後)で焼いたもので、断面に光沢が無く、柔らかいのが特徴。着火しやすく、燃え方も早く、扱い易い。



 場所:豊田市自然観察の森   講師:大畑孝二さん(日本野鳥の会レンジャー)
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2/28

「寒さ和らぐ」

 おばちゃんは先週に引き続き、「豊田市自然観察の森」のネイチャーセンターへ「野鳥の観察と識別講座」にお出かけ。おじちゃんは、夜、防犯パトロールに参加しました。

 放置自転車を片付けたり、たむろする若者に早く帰るよう一声掛けたりしました。









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2/22

「野鳥の観察と識別講座」・・・講師:大畑孝二さん(日本野鳥の会レンジャー)

 森の自然案内人(ガイドボランティア)のステップアップ講座が「豊田市自然観察の森」のネイチャーセンターとその周辺で開かれ、おばちゃんが参加しました。観察の仕方や識別、カウント方法を勉強。いつもなんとな〜く見ていた野鳥も、習性などを教えてもらうと面白くこれからは興味を持って観察が出来そうです。

 一期生、二期生が20名弱集まった。運悪く久しぶりの雨降りとなったが、真剣に勉強。









 シジュウカラとヤマガラの巣

 昨年、巣箱に作ったものを清掃して取り出したもの。

 白く見える方がシジュウカラの巣で、綿のようなものを敷き込んであった。
 茶色だけのものはヤマガラで植物の繊維を柔らかくして使っている。何れもフカフカで愛情のこもったベットだ。

 ↑池の水鳥を観察する受講生


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2/21
「節分草を訪ねて」

 おばちゃんの予定が急に変更になり時間が出来たので、予てからの念願だった鳳来町名号の石雲寺裏山に咲く「節分草」に会いに行ってきました。雪解けの季節になると、白く可愛いらしい花を付けると言うこの植物は、中部山地の日陰に野生するキンポウゲ科の多年草で、二月の節分の頃に咲くことが名前の由来。花の直径は約2cm程ですが、花びらのように見える箇所はがく片で、花弁は蜜腺に変化しています。

 左:石雲寺全景
 節分草だけでなく、梅やロウバイも良かったです。









 花の蜜に誘われて、ミツバチもたくさん通っていました。










 ← 道中の作手村にあった「海洋センター」
 山の上にこの施設、いったいなんだろうと不思議に思いカメラに収めました。

 週の後半は天気がよく暖かな日が続いています。今日も五月初旬の気温とか。標高の高い所の日陰には、まだ汚れた雪が残っていたものの、車内は暑さを感じるほどのドライブ日和でした。バイクでツーリングを楽しむ多くの若者に遇いました。本格的な春だ!!




 先日、飯田市立病院に入院中のおじいちゃんが21日(土)に退院できるとの嬉しい連絡を田舎からもらいました。高齢になってからの入院生活は、長引くと良くないと心配していただけにホ〜としています。近いうちに連休を取って様子を見に帰ろうと思っています。

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2/14
「マイバッグ運動」

 エコライフ(地球環境にやさしい生活)を促進しようと豊田市では、買い物袋持参運動を進めています。スーパーや商店で多く使用されるビニール袋は貴重な資源である石油を原料としているだけでなく、焼却などの処分時にも地球環境によくありません。当自治区では役員が交代で、定期的にトヨタ生協メグリア五ヶ丘店で立哨を行い、買い物客の皆さんに買い物袋持参を働きかけています。今回はおばちゃんが参加しました。市の調査によると、持参率が平均15%程度なのに対し、当地区では25%と感心の高さが伺われます。市全体、一年間で原油200リットル缶1500本弱の削減がはかれたとされています。

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2/7

2/8

「はやく元気に!」

 6日夜、細木のおばあちゃんから久し振りの電話。おじいちゃんの急を知らせる内容で肺に穴が開き診療所から救急車で飯田市立病院に入院の報でした。おじちゃんとおばちゃんは支度を整え翌朝見舞いに出掛けました。運悪く7日は、道中ずっと雪降りで道路は圧雪状態。はやる気持ちを押さえながら慎重に運転し、まず細木に行きおばあちゃんを乗せて病院へ。病室に入ると以外に顔色のよいおじいちゃんの姿がありホッとしました。少し話をして、また明日顔を見せることを約束し病院を後にしました。その晩は、おばあちゃんの所に泊めてもらいました。最近おじいちゃんは怒りっぽくなり対応に苦慮しているとのことでしたが、傍に居なくなるとやっぱり淋しいと漏らしていました。

 翌日は雪もあがり晴天になりました。正月おじいちゃんに頼んでおいた黒竹を自分たちで切ることにしました。“ちゃるま”で教室の資材として使う物の一つです。おばあちゃんの応援も得て一時間ぐらいで作業を終わりました。しばらく乾燥させ、雪が解けた頃おばちゃんが取りに行く予定です。その後、おばあちゃんに体に気をつけるよう声を掛け細木を出発、正午頃病院に寄りました。駐車場で弟家族に出会い話をした後病室へ。午前中の見舞い客で疲れたのか昨日と比べ顔色が優れず心配しました。ベッドとトイレは7〜8mの距離ですが行き来が辛く息切れがするようです。また、老人特有のもの忘れも激しく、朝尋ねてくれた方も思い出せず、周りに置いた物もすぐ分らなくなってしまうようです。歳だから仕方がないとは言うものの、私たちにとっては悲しい現実ですが受け止めなければなりません。自分たちが何もしてあげられない無力さと、病院生活は物忘れと足腰の弱りが急速に進行するのではと不安を覚えました。長居は益々不調を助長すると思い早々に暇を告げ病院を後にしました。その後近くで買い物をし、遅い昼食をとって豊田に向かいました。この二日間、気の重い帰省でした。夜鳴る電話のベルに「もしや?」と不安を感じる毎日が暫く続きそうです。

     *急な話にビックリし、いつも外出時に携帯するデジカメを今回は忘れてしまいました。

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2/5

「住民票移転、その後」

 知事の住民票移転、村長「泰阜が課税」 ・・・2/5 asahi.comより記録として転載
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 田中康夫知事が住民票を長野市から下伊那郡泰阜村に移した問題で、松島貞治村長は4日、「知事の住所は泰阜村にあり、生活の本拠も村にあると確認した。住民税を課税する方針だ」とする回答書を長野市の鷲沢正一市長に送った。また、同村選挙管理委員会も「3月の選挙人名簿の定時登録で登録する」旨の回答書を同市選挙管理委員会に送った。
 松島村長が同日、記者会見して明らかにした。鷲沢市長が先月26日付で松島村長あてに送った「課税権に関する協議申入書」に対するもので、一問一答の形で回答している。
 松島村長は、課税権が同村にある理由として、(1)知事は昨年9月26日に転入届を出しており、現在、住民票がある(2)本人の(泰阜村に)居住する意志は固い(3)私の家が住所であり、知事は多忙の中、村に戻り、行事に参加するなど地区民としての責任を果たしている。ペーパーだけの住民ではない、などを挙げた。
 回答書で松島村長は「長野市の理解を得るなかで、課税する方針」としており、必要があれば鷲沢市長との協議に応じる考えも示した。
 さらに松島村長は私見とした上で、「知事は法律、制度、規定は本来、住民の生活を良くするためのものであり、実態に合わなければ変えるべきだと考えていると思う。今度の行動は、その問いかけであって、評価は県民が下すべきだろう」と述べた。
 これに対し、鷲沢市長は「回答書を見てから対応したい。泰阜村のみなさんとケンカをする気も全くないし、事務的に進めるつもり」としたが、「長野市と泰阜村とがこんな状態にならなくてはいけない原因を作る必要があるのかと言いたい」とも話した。


2004年/1月の出来事


2004年、新しい年になりました。元日以来いい天気が続いています。
この天気のように、今年一年も平穏無事であって欲しいと念じています。
(04/01/2004記)


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1/31

「地域の安全を願って」

 おじちゃんは自治区の役員としてパトロールに参加。この寒空のもと若者達が灯りの下に集まり話をしていたとか。大した元気だね。
 また、自転車の乗り捨てらしきものも発見。でも、手がかりになる表示が無く、どうすることも出来なかったそうです。住所、氏名、連絡先は書いておいた方がいいかも?(若者は格好悪いと思っているようですが)

 右:防寒着で身を包み出発の準備

 左:若者に話しかけるパトロール隊員







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1/24
「三人寄れば・・・」

 久しぶりに孫3人が我が家に集まり1日遊んで帰りました。大きい方の孫2人は、前日授業が終わってから来て泊まっていました。部屋いっぱい足の踏み場もないほど折り紙や新聞紙を広げ、一時はネズミの巣のようでした。方言ではこのような状態を「らんごく」と言います。

 左のように小さな物を手がけているうちはよいのですが、右の写真のような新聞紙を使った大作を幾つも作ると部屋中大変な事になります。







 午後9時を過ぎてくると孫達に疲れが見えてきて、「さようなら」の時間になります。私も二階から居間に降りてチョットご挨拶。実は「これからコタツでゆっくり温まることが出来るウッシッシ」と密かな喜びが・・・。









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1/17
「雪降りは何故か嬉しい」

 今年初めて、うっすら雪が積もりました。太平洋側の低気圧が発達し通過した影響とか。湿った重たい雪で、日中はミゾレになりました。

 私は一日中こたつで、ニャンにゃんニャンでした。


 おじちゃんとおばちゃんは、「姪2人がセンター試験受けるけど足は大丈夫だったかな」って心配していました。(写真は午前9時半頃撮影)

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1/5
「チビ孫が元気に」
 年末に風邪で入院していたチビ孫が元気になり遊びにきました。

 新聞紙でおばちゃんとオモチャを作り、部屋中に広げて喜んでいました。

 私もチョット膝の上に抱かれて喜ばせてあげました。本当は膝が狭いので、気分はイマイチなのですがお正月限定の特別サービスです。




お年玉をもらった時のチビ孫 ”おもしろ語録”
 2004年・・・「ポストに入れよかな?」 ←お年玉袋の「のし」が切手に見えたらしい。
                          「オイオイ本気かよ?」と親が。

 2003年・・・「一つもらったから、もういらない。」←お金の有り難味の解らない幼児は欲がない。
                 おじさん、おばさん等が次々に差し出す”お年玉”を懸命に断っていた。
                 が、それを見た親が「そんなこと言わないで」と慌てていた。

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1/3
「元気に新年を迎えることができ感謝!」

 2日、3日とおばちゃんの実家にもお邪魔しました。こちらも大学や高校受験を控えた子供がいて、いつもより少ない顔合わせとなりました。







左:おじいちゃんの健康が今ひとつ優れず心配なものの、今年も揃って写真におさまることができHappy!
右:左京川百年公園にて 今年の初客だったようです。ビールとラーメンを注文。これが旨かった!


 ←梅畑にはいい香りの花が咲き、春の訪れを告げていました。










 どの位前だったか記憶にない程久しぶりに、蜂の子ご飯をご馳走になった。昨年捕ったものを煮付け、お正月、皆に振舞おうと冷凍庫で保存しておいてくれたらしい。親の嬉しい心遣いと、昔懐かしい味がとっても美味しくおかわりをしたほどだ。見た目が悪いらしく、甥や姪は食べられなかった。今の子供たちは、皆そうなのかも。

 伊那谷の有名な食べ物は、蜂の子、いなご、蚕のさなぎ、ザザムシと言われるが、ザザムシ以外は幼い頃よく口にした。昔、田舎では貴重な蛋白源だったと思う。今では高価な蜂の子には手も出せないが、蚕のさなぎは飯田近辺のスーパーマーケットならば何処でも手に入るので偶に買って食べてみる。なんとも言えない昔懐かしい味だ。

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「この一年 いい年でありますように!」

 左:初日の出

 右:霧にけむる田舎の朝
前日の雨も上がり、一面霜が降り元日に相応しい美しい朝でした。








 ← 恒例の元日バーベキュー:昨年大変お世話になった小林夫妻にも来て頂き「今年も宜しく」と賑やかに


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