中学3年(昭和28年)の冬、手がかじかんで字が書けず、受験勉強に支障を来した。その時『足温器』の存在を知った。2,500円もしたが、大変合理的な暖房器だった。足の裏を暖めるだけではない。血液の循環を通じて、さながらセントラル・ヒーティングのように全身を暖めてくれるのだ。成長するに連れて、寒がりの程度は酷くなってきた。
高校時代以降、冬は寒くてとうとう寝付きも悪くなってきた。そこで『コードレス電気あんか』を買った。このあんかの原理は、高分子化合物の潜熱を利用するものだった。50度辺りに融点があり、内蔵している電熱器で密封してある物質を溶融させた後は、コードを外しどこへでも持ち運びが出来た。眠る時に足先が暖まれば安眠できたので、朝起きた時には冷めて凝固していても支障はなかった。湯たんぽよりも使い勝手が良かった。
就職後入居した新築の第2豊和寮の寒いセントラル・ヒーティングには不満極まりなかった。窓際に設置されていた放熱器のカバーを外し、放熱用のフィンを剥き出しにし、扇風機で風を吹き付けた。この工夫の結果、室温は17度から19度に上昇した。しかし、我が快適温度である28〜30度には、ほど程遠かった。
結婚後は冷蔵庫のある生活に変わり、毎日酒を飲む習慣が生まれた。酒は寝付きを良くはしたが、その後も体質が変化したわけではないので、11月〜4月までは、電気毛布は必需品だった。10月〜5月まで電気こたつを使う、非活動的な生活から抜け出せたのは、我が家に移転した昭和49年12月7日からだった。
数年前、ベッドの上に敷いていた木綿の布団を、羊毛の敷き布団と羽毛布団の組み合わせに取り替えたら、羽毛布団は軽すぎて頼りなくその上に木綿の布団を重しとして乗せた。その結果、電気毛布を何とか追放出来たが、セントラル・ヒーティングに毎年2,000リットルの灯油を使う生活からは、今なお抜け出せないままだ。
寒がり屋の唯一の利点は夏に強い事にある。セントラル・クーリングの運転期間は大変短く、6月下旬〜9月中旬である。
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