名古屋大学の公開講座で先週 生命農学研究科 市岡孝朗助手の「越境する昆虫ー侵入昆虫の脅威」を受講。
近年 交通機関の目覚しい発達により海を越える人間・物資の移動が盛んになってきた。それとともに多くの生物が、本来の生息地を離れて異境の地に侵入している。一般的に天敵のいない地に侵入する為、持ち前の移動力と増殖力により異常に繁殖し、在来生物を絶滅に追いやるなど、侵入先の生態系に深刻な摩擦を起こし、時には人間生活にも影響を与えている。自然保護の重要性をここでも再認識した。
数年前から、施設栽培(ビニールハウス)のトマトの受粉を効率よく行う為に、ヨーロッパから「セイヨウマルハナバチ」を輸入している。(在来の蜂はこの受粉が出来ず、人手に頼っていた)この蜂はビニールハウス外へ出て野生化すると、競争力が強い為「在来のマルハナバチ」を駆逐する。
「在来のマルハナバチ」に依存してきた植物種の受粉を「セイヨウマルハナバチ」が担うことが出来なければ、その植物種を脅かすことになる。こうした事態を受けて、逸脱を防ぐ処理を厳しくする規制の制定が求められている。
「セイヨウマルハナバチ」の輸入箱には「このハチは利用がすんだら、焼却してください」と記されているそうだ。輸出業者の責任逃れだろう。受粉作業を手伝わせて、挙句の果てに焼き殺すとは!儲ける為には何でもありか!豚肉や鶏肉を食べるために家畜を殺すことは容認しているわけだが、それと、これとは話が違う、と思う。
(注);オーストラリアなど固有生物の多い国は、産業上利益をもたらす生物あっても、外来生物の持込はほぼすべて禁止している。
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講演の貴重な要旨を拝受させていただき有難うございます。
私は、昨今の環境保護運動には大きな疑問を感じています。彼らの主張は大抵の場合『現在の生態系を、何としてでも守れ』の一本槍です。
生命発生以来の歴史は、自然淘汰・適者生存の放任状態でした。その間には、気象条件の大変動、大造山運動、大隕石の衝突、などなどで、生物種はどんどん入れ代わってきました。今や人間が大繁殖して、生物の生存環境が大きく変化してきましたが、歴史的にみれば、環境変化のひとつに過ぎません。
外来種も大いに結構。在来種が消滅しても代わりのものがあるので心配無用と考えています。無数の蜂の管理など出来るはずがありません。使用済みの蜂は、ご苦労様と言って、自然界に放出すれば充分です。
人類にとって生態系の本質的な価値とは、リサイクル能力だと思っています。酸素の供給・食物の提供・動植物の残骸の分解などによる自然の浄化・各種資源の提供にあります。
家庭菜園を手がければ分かることですが、合成肥料だけでの栽培は無理。完熟牛糞堆肥などの有機質肥料は不可避です。微量元素が供給されるからです。今後、人間のために合成食料が出来ても、自然界から得られる無機塩類・微量元素抜きで生きていく事は無理と予想しています。そのためにこそ必要な生態系の維持には努力するニーズがあります。
ニーズのない生態系の生物は、むしろ積極的に消滅させたいと思います。既に天然痘は消滅したことになっていますが、消滅させたい病原菌候補は他にもあります。
生態系の中で、人類にとって価値あるものは何か、消滅させたほうが良いものは何か、慎重に検討して、もっと快適な生存環境を創造する努力をこそ、優先すべきだと思っています。
困ったことには、科学(医療)技術が進めば進むほど、かつては自然淘汰されたはずの人たち(多重がんに罹った私も)が生き延びるようになり、その人たちを支援するための社会コストが増加してきました。蜂を焼き殺せと主張する人たちは、社会のお荷物となっている穀つぶしの老人(賢人各位も一部は含まれますぞ!)や要保護者を焼き殺せ、と言っているのと同じと判断しますが、賢人各位のご見解を承りたく・・・
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