日本では梅雨入り前の涼しい季節なのに、ヨーロッパは一足早く夏。ロンドンでは数日前から異常高温のため、アスファルトが溶けて都市高速は閉鎖され、溢れた車で地上は渋滞。それでも夕方早めに着いた。
カムチャツカ半島の先端と同じ緯度(北緯51.28°)にある夏時間のロンドンは日もまだ高い。北回りの直行便とはいえ、夜行のエコノミークラスの長時間飛行で、疲れてはいたが興奮も覚めやらず、夕食までの自由時間を活かして街に出る。
2人での散歩などしたことはないので落ち着かない。地下鉄では街の雰囲気が味わえないので、地図を頼りにホテルから歩き始めた。ロンドンの美しさは同じ設計で高さも揃えた石とレンガ造りの、ナチュラルカラーの建物と街路樹の調和にあると感じる。道路側の玄関や壁面のデザインとツートンカラーの窓枠が美しい。散歩していると心が安らいでくる。
自然科学博物館・産業博物館などを閉館時間まで駆け足で見学。子供の勉強には最強の教材である。
海外出張の場合でも休日になると、私はデパートへ真っ先に行く習慣にしている。購買力とのバランスからデパートには結果として、国力(民度)が現れると信じており、日本との比較もできて興味深いからである。
欧州で格式が1番と言われている百貨店『ハロッズ』の各売場は、商品群毎に約1000uのコンパクトな面積に纏められており買い易い。しかし売り場面積は延べ 63000uもあり、しかも夫々の売り場の周囲が防火壁で囲まれている上に、増築を繰り返して来たためか、フロア全体を見通すことも出来ず、迷子になり易い。
大通りに面した建物の外観は彫刻で覆われて一見豪華に見えるが、内部は質素で且つ貧弱。地震がないためか柱はか細く、壁・天井・床の材料も実用本位。世界の一流品もあるが、ボリュームゾーンは中級品が中心。オーダー用の背広生地や、既製品でもカシミア 100%のジャケットは売っていない。ロンドンでは『高級品は伝統ある専門店の方がデパートよりも強い』そうだ。商売の棲み分けができているように感じる。
『ハロッズ』と雖も生鮮食料品、特に野菜・魚は貧弱。汚い、臭い。しかし牧畜の歴史が豊かな国だけあって、加工食品であるチーズやハム・ソーセージの種類と量は圧巻。出入り口では民族衣装で正装した中年の紳士風の店員達が、来客の選良意識をくすぐりながら恭しく案内役をこなしていた。
平成5年の秋、巨艦店『小倉そごう』が小倉駅前の1等地にオープンしたとき、地元の老舗『小倉玉屋』には衣装まで『ハロッズ』を真似したような、年配の案内人がいたのを思い出す。
欧州では大都市と雖もデパートはせいぜい 2,3店あるだけ。日本の大都市のように巨艦店がひしめき合っている国は何処にもない。コンビニも殆ど見掛けず、スーパーも少ない。都心では専門店が頑張っているが、込み合っている雰囲気はない。
所々に『マクドナルド』があるが、町の貴重な資産にもなっている景観をぶち壊すあのけばけばしい外観は、日本人である私にも異様に感じる。住民に嫌われるのも成程と思う。店はどこものんびりと商売をしている。これで経営が成立っているのだろうかと、ひと事ながら心配になってくる。
中心部の大型スーパーにも入ったが日本の最新型のスーパーの買い物のし易さとは雲泥の差。ごちゃごちゃしていて美観がない。結局古い建築資産を活用しているだけだ。惚れ惚れするような品質の商品には出会えなかった。国民生活をフローの面から評価する限り、日本が英国を抜き去ったのは明らかと感じる。
オックスフォード通りに面した、欧州最大の売り場面積(10万u)を誇る大衆デパート『セルフリッジ』前の高級紳士服地店(数年前セルフリッジの店員に紹介されて、タータンチェックのカシミア生地を2着・春秋冬用に背広生地を3着買った店。当時日本のデパートでは約30万円していたものが何と各 8.5万円だった)は今も健在。且つポンド安にも拘らずポンド表示でも生地は値上がりしていない。
カシミアも依然として安かったが経営者は代わっていた。買い物への関心が私は最近何故か急速になくなってしまった。観察した結果日本が上だ、と感じただけで十分に満足。年を取った証拠か?。
ロンドン観光のスタート。ウエストミンスター寺院は観光客で満員電車並みの押すな押すなの賑わい。芸術家・王家・政治家などにグループ別けされた墓で、中は満席だ。1人ずつ墓を造るより効率的だ。ウイスキーの『トーマス・パー』さんの墓は床に名前が掘ってあるだけ。人寄せパンダの類いなのに、それとは気付かない観光客から踏み付けられている。
バッキンガム宮殿の衛兵の行進は一般道路を交通整理もしながら、毎日飽きもせずに黙々と実施しているのは、何と根気のあることか。見る方は1回だけだから良いものの、やる方はどんな気持ちなのか?。俳優になった積もりか?。見物料は只でも、行進を見にきた外国人がホテル代などにお金を落とすから、国全体で黒字になると思えば熱意も湧こうというものか?。
ネルソンの記念碑がたつトラファルガー広場や、ピカデリーサーカスの広場はバッキンガム宮殿前とならんで、ロンドン観光の目玉になっている。中国の天安門広場のようなだだっ広さもないし、周囲の建物の大きさともバランスがとれ威圧感もない。セント・ポール寺院はやや小振りではあるが、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院の荘重さといい勝負。建物の内外の全てが彫刻品のように感じる。
大英博物館では今回も残念ながら『ロゼッタ・ストーン』と『マグナカルタ』を見落とした。妻に見せたいもの(ミイラや西アジアの彫刻品等)を案内しているうちに閉館時間になってしまった。英国が国家権力を振るって各地から略奪した戦利品の展示館(正面玄関の壮麗な建物すら、トルコのベルガマにあった石造りのペルガモン神殿の移築物)ではあるが、入場料が無料な上に、同じ場所で世界史の勉強も効率よくできて、来館者には便利。
地元の小中学生も先生に引率されながら団体で勉強に来ていた。継ぎ足しだらけの巨大な建物であるために、1筆書きのルートでは全館が回れず、時間の少ない外国人にとり、動線に無駄が出てしまうのが惜しい。
朝露を踏んで、都心の住宅街を夫婦で散歩。古い家でも庭や建物の外観を綺麗に維持すべく住民が努力しているのは立派。普通の民家は集合住宅が基本だが、1戸当たりの床面積は意外に狭い。私もヨーロッパ人に触発されて最近は園芸にも時間を割き始めた。自動車時代以前に建てられた家が多く、狭い路地に青空駐車。垣根に蔦を絡ませ緑と花に工夫を凝らしている。庭木の剪定も行き届き、雑草や落ち葉も殆どなく、不断の努力が伺える。
朝のハイドパークやケンジントンガーデンは、緑と花に囲まれ気分爽快。木と木の間隔を十分に取り、縦横共に伸び伸びとした巨木に育てているので、雄大さもあり見ていて気分がよい。日本人は公園でもゴルフ場でも成長後の姿を考えず、植林事業のように木を何故か密植するため、樹形をわざわざ悪くしている。後で間引きをしても樹形は回復しない。乗馬用には未舗装の専用泥んこ散歩道がある。
テームズ川の反対側は急に寂れ治安が心配だ。都心側の川岸までは管理が行き届いている。河畔にある薔薇の小さな花壇に見とれた。
ロンドン塔内の宝石展示館には金細工品・ダイヤモンドや王冠の類いがあるが、余りにもキンキラキンのためか逆に軽薄に映って魅力を感じない。オスマントルコの宮殿だったトプカピ博物館の方が、宝石類の種類や数は圧倒的に多い。昔の資産とは金銀宝石・彫刻絵画と建物しかないことに結局気付かされる。牢屋の中には水攻めの井戸や攻め具があった。何処の国でも昔ほど苛め方が凄惨だ。タワー・ブリッジがすぐ側にあった。
『ロンドンは人口 800万人』と言ってもそれは大都市圏(大ロンドン)の人口であり、中心部は 600万人。予想以上に小さな街である。観光名所も繁華街も中心部の直径数Kmの円内に集中しているため、旅行者には大変便利である。それにしても何回来ても風景が変らない街である。
街が小さいだけではなく、建物も小さい。延床面積が10万uを越えるような大型ビルは殆どない。ひょっとすると『セルフリッジ』が最大のビルかも知れない。国会議事堂も小さいし、敷地も狭い。新宿副都心のような大型高層ビルもない。その一方、1戸建の民家も殆どないため、日本のようにごみごみとした印象もない。肩肘張らずにのんびりと住むには手頃な環境に感じる。
『イギリスの栄光も今は昔』といくら言われても、かつてのローマ帝国の栄華が今に至るまで物的証拠の形で、ローマに厳然として存在しているように、今日のロンドンでもそれは十分に確認できる。イギリス連邦の本部ビルの正面に加盟国の国旗が数十本も、へんぽんと翻っているのは壮観だ。政治力はなくともミニ国連の風情がある。正しく栄華の象徴に感じる。
ロンドンは今や生きている人種の博物館でもある。旧植民地からの逆移民達が大通りを闊歩している。あらゆる人種を一度に見る事ができると言っても過言ではない。世界の中心だった貫禄が伝わる。これこそが真の国際都市である。
海外で違和感を感じていた問題に両替があった。日本では何処でも日本円間の両替は無料でしてくれる。その習慣に馴染んでいたため、外貨の交換で手数料を取られるのに、奇異な感じを最初の頃は払拭できなかった。銀行の利子は経過時間の裏付けがあって初めて発生するが、両替作業には利子が発生するほどの時間は掛からないのに、手数料を取られると言う不満だ。
しかし、お金は銀行の商品であると考えれば、外国人にとって両替とは手持ちの外貨で、商品である現地の通貨を買う事であり、銀行が『お金を売る』と表現するのにも、慣れるに連れて自然な感覚で受け止められるようになった。尤も、時には手数料を10%以上も取られることがあるので、極力カードを使うことにした。カードだと銀行間取り引きの決済になるのでお金の卸値、つまり手数料は無料になるからである。
|