猛暑お見舞い申し上げます。
旅行の追憶をいろいろ読しましたが、石松さんの旅行追憶記を拝読しますと自然に歴史を感受でき、現在の姿を知ることが出来ます。ありがとうございました。
体力維持を兼ねてのスポーツは、青年のスケジュールですね ・・・ 素晴らしい!!!
小生は、「何のために生きるか」 ・・・ そろそろ卒業しようと思っています。いろいろご教授頂き、感謝いたします。
@ がん先輩(闘病生活20年以上)・元愛知県工業高校校長・工
いつも感心して旅行記を読ませてもらっていますが、今回は驚嘆ですね。ところで、治安は如何でしたか。(何の不安も感じることなく、旅を楽しめました。今や外貨を落とす観光客は、大切なお客様扱いです)
小生はモスクワ空港でトランジットの際、スーツケースを開けられ弱ったことがありました。「マスコミ」に関しての記述のところでは、思わず手を打ちました。
戦後、日本の風潮を悪くした責任の3分の1は、マスコミにあると思います。
まだまだ暑さが続く折から、お身体ご自愛を。
A トヨタ同期・経
書中お見舞い申し上げます。
あの七月の耐え難い暑さからすると、朝方の外気は肌に涼しさを感じさせるようになりました。また、一昨日は夕方に、裏庭で初めてヒグラシの声を聞きました。それでも、日中の街路はひたすら秋の到来が待たれる灼熱地獄で、焼けたシートの暑さを考えると、車での外出もはばかられることです。
そんな中、石松さまには溌剌と日々スポーツに励んでおられるご様子、羨ましくも何よりのこととお喜び申します。この月は、ご予定になっている大変な奥様の手術を前に、盆供養の帰郷先で知人方にご挨拶をされてくるご予定とか。
焼けして精悍な顔の石松さまがどんな挨拶を考えていられるのか知る由もありませんが、お相手の戸惑う顔だけは想像出来ることです。
勿論、急逝した従兄弟と義姉の初盆を迎える小生も、そろそろ身辺整理等の支度に入らなくてはと思いつつ、何げなく日々を送ってしまっています。先ずは、この月の親戚縁者の集う機会から、一期一会を心に接してこようと思い始めている次第です。
さて、渾身の「ロシアの追憶」を拝読しました。茫漠とした大地と大河の国を相手にすると、旅行記も長編となるのは必然のようで、「現地現物主義」からするとお叱りを受けそうですが、お陰とこの掴まえどころの無い国のありさまが大分理解できました。
毎度のことながら、辛辣な質問を浴びせられた現地ガイドの”聞こえなかった素振り”や、翌日に答えを引き伸ばした苦心惨憺振りが目に浮かび、彼が少々気の毒に思えたことです。共通の航空工学を話題にされて、少しは彼の顔も立ててやったのでしょうが...。
私にとってロシアは、機会があったらエルミタージュ美術館を覗いてみたいと思ったことがある程度で、是非とも訪れたいと特別の興味を引く対象の国ではありませんでした。スエーデンの北にある大学を訪問したとき、近くの史跡等を案内して貰いながら、さして川幅もない橋の辺で、「川が凍結したあの年の冬、ロシアはそこまで攻め込んできた」と200年ほど前の事を話されたときには、日露戦争の挿話以上に生々しくロシアを感じたことでした。
10年近く前、娘がモスクワ経由のアエロフロート機でパリ在住の友人を訪ねたとき、給油の間を乗ってきた航空機の下に腰を下ろして過ごすしかなかったと聞いたり、知人からモスクワでは綺麗なお姉さんがカネ持ち日本人をカモにするよう手ぐすねを引いていると聞くに及び、いよいよ腰が引けるのでした。
そんなこともあり、今回拝見した詳細な国の紹介や旅行記で、旅行社には悪いのですがパック旅行1回分の費用が浮いてしまった気分です。いまだに”ブン蚊”国家であったり、資源大国ロシアのはずが実際にはまるで宝の持ち腐れになっている点、ガイド氏の言う”寒さ”と”広さ”が影響していると、温暖で狭い国土にひしめく日本人として理解できなくもありません。
解説していただいた通り、純朴なロシア農民達が国土をマルクス経済理論の実験場にされた挙げ句、過大な軍事費負担にあえいで経済的に破綻し、いきなり資本主義の大競争場に放り込まれたとは誠に無残なことです。
最近、経済出身の友人から近代資本主義経済理論の諸説を解説してもらう機会を得ました。彼ら経済学者は心理学者でもあるかと感じたのですが、資本主義経済成立の前提には、キリスト教に基盤を置く弱者保護の倫理感を求めているように理解しました。一旦、唯物史観でまとめられた社会が自由主義経済に参入したとき、どんな価値観の社会になるのかと、ロシアと中国の今後を興味深く見ています。
それにしても、旅行中に同室された元家電卸会社幹部氏のお話にはびっくりしました。経験豊富で能力も十分な男性ですら、60才を過ぎたと言うだけで時給750円の働き口しか無いのが日本の現状になっているのですね。
日本社会が、これまでに誇ってきた安定と秩序を大きく崩しつつあることを象徴しているように感じます。どうやら、武士階級が消滅した明治維新以上の変革が密かに進んでいることを表しているのかも知れません。何せ、社会に占める対象者の比率は当時の武士階級の比ではなく、これまでの生活基盤を脅かされて不安を感じているのは公務員を除き、民間サラリーマン、農業及び小売業従事者を網羅していると思います。
Y証券(山一證券?)で幹部に登用されていたと聞いた高校時代の同級生は、あの倒産後に消息を聞きません。安定の代名詞だった銀行に就職した者も定年を待たずに音信不通になりました。成長分野にあっても、経営幹部の判断誤りで多数の従業員が整理されることになるM自動車の例もあります。
機械サービスで回った日本国中の農村で、後継者の目処もたってこれから先も自立していけそうな稲作農家は数えるほどでした。両隣の街を含め、人口10万に満たない街では駅前近くの旧商店街にシャッターを閉めたままの店が目立ちます。
100万都市を誇る北九州市の副都心、かつては黒崎そごうと井筒屋百貨店黒崎店が競い合っていたJR黒崎駅前の1Kmもある長大なアーケード付商店街もシャッター通りと化していました。黒崎駅の乗降客数はJR九州では博多、小倉に次ぐ第3位というのに!
郊外に出店した大型ショッピングセンターに客を奪われた結果ですが、その大型店の間でも盛衰が激しく、街中には大きな更地が出来てしまいました。電器店に至ってはこの10年で個人専門店がどんどん無くなり、エアコン、テレビ、冷蔵庫を買い替えた大型店は全て別の店になったのですが、今やその全てが店仕舞をしてしまいました。故障修理を何処に頼んだものかと思案中のDVDは、浜松の大型店に出向かなくてはならない始末です。
この国民全階層を巻き込んだ大競争は、人口10倍で一人当たり所得が0.1倍(以下?)近い隣国が自由主義経済圏に仲間入りをし、あらゆる意味で敷居を低くしてきたことに起因していると思います。
駅前商店街や個人商店の崩壊原因は安価な輸入品の氾濫ではなく、消費者から見た駐車場などの利便性不足と、魅力溢れる商品の調達努力・能力の不足にあると思います。
問題は我が国の為政者で、この大変革期に多くの国民が安心して家庭を営んでいけるのにはどうすべきかとの答えを未だに準備できず、国境を越えた資本とモノの奔流にただ流されてしまっています。ロシアに劣らない日本での自殺者増加は、その期間の長短を問わず働く場を締め出され、社会から疎外されたと感じたことによる絶望からきていると理解します。
全国民に、人間としての尊厳を失わせること無く働く場を確保するにはどうしたら良いのか? それのみが、今や国と社会の指導者に問われていると思います。表に表れた数字の上だけの失業率を言うのではなく、その数字から漏れている大都市周辺のホームレスや、地方都市で途方に暮れている潜在(半)失業者が問題です。政治家がそれを数え忘れた振りをしたり、企業基盤の再構築であるリストラを人員整理と考えている経営者がいる限り、日本社会の将来に展望は開けないように思います。
乗り継ぎの韓国で、空港周辺での限られた観察からだけでも、日本に比較した経済発展の足取りの遅さに鋭い分析を加えられていて感心しました。確かに、非価格競争力のある商品を生み出し得ていないのは大きな問題です。
私の体験では、韓国企業の発展は一部の財閥系に限られており、それを支える中堅企業が育っていない点や、経験や情報が個人に抱え込まれる傾向が強く、組織内共通のものにして活用する意識の薄さが問題と感じました。
しかし、権力の集中しているトップは意思決定が早く、資本の効果的活かし方(投資・投機)では先見性に優れていると思いました。それが、一部工業製品で世界市場のシェアーを稼げている理由と感じています。そのための原材料の多くが日本からの輸出品であるのは彼らにとって問題ですが、それによって我が国競合企業がリストラを強いられるのも問題です。
とにかく、海峡が人・モノ・金の流れにとって何の障害でもなくなってしまった時代、日本が大陸や半島の人々と競って溌剌とした国であるためには、若い”人”を育て、壮・老の”人”も生かす社会にしていく以外にないものと思います。
どうも、例によって取り留めもない感想となりました。
B トヨタ先輩・工・まだ一度もお会いしたことのない方
その1。
何時もの大作・力作、速読するにも大変です。石松さんは新聞/テレビ/小説に無駄な時間を消費しない主義とのことですが、凡人は閑があれば寝そべったり、ロッキングチェアーでくつろいで、気楽にテレビ/新聞/小説相手の暇潰しです。
パソコンにも会計データ整理(氏は定年後友人とミニ会社を設立し、経理を担当されている)やE−Mail交信等で毎日相当時間のお付合いですが、小説にも匹敵するこの追憶記は椅子に腰掛け、パソコン画面で読了するにはそれ以上の根気と時間が必要でした。も少しボリュームが小さかったらさっと読破できたのでしょうが、読後感の送信が遅れてしまいました。
科学技術に優れ、資源も豊富な筈なのにロシアは何故貧しいのか、文中フルシチョフが10年でアメリカに追いつき追い越すと語った、とありますが、かつての2大国の一つも、今や弟分の中国ばかりが目立って、殆ど先進国からライバル視されることはなくなりました。
高速鉄道/道路も無く、自家用車も富裕の人たちにようやくの段階ですか。それでもモスクワ空港は同じ首都のハノイとは違うでしょう。ホーチミン空港はまずまずの国際空港ですが、ハノイは田んぼの中の田舎駅の印象でした。でも地下鉄の高速スカレーターは凄いんですね。
ハノイやホーチミン空港よりもちょっと建物が大きい程度と感じました。
読ませてもらいながら次の2箇所が難解でした。
P:15 自殺の動機が所得の絶対値ではなくその変化率にあるのは明白だ。
自殺の動機は勿論良くはわかりませんが、ソ連の自殺者がソ連崩壊後急増したのは、失業・実質所得の減少・将来への展望が開けない苦しみなどと推定しました。所得の絶対値がソ連以下でも徐々に向上している国では自殺者の増加がないからです。
ロシア人から見れば10倍の名目所得を得ている日本人は高嶺の花ですが、バブル崩壊後の日本でも自殺者が増えているのは、所得が減少している人たちが増えているからだと思いました。人は生活水準の低下には絶望感を感じると思いました。
P:28 既に非価格競争力のある輸出品が世界中で売れていて。ちょっと止まって考えてみましたが解りません。
非価格競争力とは価格を上げてもライバルがいないため、売れる力を意味します。燃費の良い日本車、性能に優れた電気製品、自動車用の鉄鋼製品など日本には無数にあります。これらは円高分をそのまま現地での販売価格に上乗せすることが出来ました。
非価格競争力のない商品とは、差別化できない商品のことです。
石炭・原油・天然ガス・半導体メモリ、農産物など、世界の税抜きの市場価格は一つに収束します。
又、誰でも作れる簡単な商品はライバルが多すぎるため、自己都合で価格を上げられません。上げれば売れないからです。中国製品も非価格競争力がありません。従ってどんなに外貨が多くなっても、元の切り上げが出来ません。韓国も同じです。
それから文中の挙母藩ですが、確かにパソコンで文字変換できません。しかし司馬遼太郎の著名な剣豪小説”北斗の人”では、千葉周作最後の試合は挙母藩が舞台で豊田市内の長興寺も取り上げられ、昔から有名だったようです。
ロシアの他、欧米の白人、中東アラブの少女や若い女性は魅力的です。でも年を取ればどこの国も同じで、平均寿命に差異が有るだけ年輪を重ねた夫々の人種のカオに落着くようです。貧しい国は違っていますか??
私にはその生涯を幸せに生きた人の場合、柔和で綺麗な顔をしているように思います。精神的にも肉体的にも苦労した人の顔には、美とかやすらぎを感じません。同じ日本人でも拉致被害者の顔は、最早平均的な日本人ではなく、北朝鮮人に似ています。中国からの帰国子女も中国人に似ているように感じます。
最近のおば様族は”冬ソナ”ヨン様ブームとかで 韓国美青年にはまってるとのことですが これも一過性の社会現象です−−これ解りますか??
私にはその理由は全く分かりません。日本女性の一部の馬鹿が韓国人と結婚したいといっているそうですが、一層解りません。
その2。
早速の詳しい解説有難うございました特に”非価格競争力”はよく解りました。非現実的、非凡、非常、非常識、非科学的等の非は、後ろの否定(反対)の為に使われるので、これから解釈し解らなくなったものです。そういえばこの語句どこかでお目にかかったような気もしてきました。
『非』の解釈は貴台のご指摘の通りと思います。価格競争力があるという意味は、安いから売れるという意味であり、非価格競争力があるとは高くても売れるという意味だからです。
ただ厳しく貧しく一生を送っても 人夫々に美しく老いていけるように思いますが。
隣人が豊かに暮らしているのに、たとい貧しくとも僻まず、羨ましがらずに生きていける人は幸せですが、私が知る限り少ないですね!『細々と生きている年金生活者』の典型例と自己評価している私をすらも、広い世間には羨ましがる人が稀にはいると知った時には文字通り驚愕しました。
C トヨタ後輩・工・ゴルフ仲間
立秋を過ぎたと言うのに猛暑の日々が続いていますが、お元気にお過ごしのことと思います。
さて「ロシアの追憶」拝読させていただきました。私はまだロシアの地を踏んだことがありませんので、貴兄の目を通して様々なロシアの現実を知ることが出来ました。5フィートの鉄道ゲージ、今だ整備されない高速道路、原発と地域暖房などいずれも「現地現物主義」の実感から得られたものでしょう。最初の1ページと最後の第11章でロシアのすべてを簡潔にまとめているのはさすがだと思いました。
かつて欧州に出張した帰りにモスクワ空港に立ち寄ったことがあり、その時の印象は薄暗い空港内で小銃を小脇に抱え込んだ女性兵士がパトロールし、みやげ物屋には埃をかぶったような商品が僅かばかり並べられていた、と言う陰鬱な雰囲気でした。そして夕暮れ迫るモスクワを飛び立ち、窓から広大なロシア平原を見入っていました。周りが流れる河川の少ない原生林であれば、ホテルに蚊とり線香が準備されているのも、むべなるかなです。
ところでソ連、ロシアにはある種の警戒感を本能的に抱きます。5歳の時、外地(現北朝鮮・平城近郊)で終戦を迎え、白昼機関銃を構え土足で踏み込んで略奪・暴行の限りを尽すソ連兵におびえた日々。そして夜の逃避行。
ソ連が昭和20年8月8日、日ソ中立条約を破棄し宣戦・布告、日本が降伏した8月15日の3日後の18日に参戦してきたことを学校の社会科で知り、その非情さに怒りを覚えたのでした。
歯舞、色丹、国後、択捉の北方四島は149年前の1855年(安政元年)「日露通好条約」で確定した日本固有の領土であり、国際的にも認知されているにもかかわらず、現在も不法占拠され続けています。
地勢学的には世界地図を逆さにしてみるとロシアにとり日本が如何に目障りな存在かが見て取れます。まさに南へ進出する際の出口を塞ぐ大きな砦、まさに浮沈空母であり凍てつく大地の民にとってこれほど障害になる国はないでしょう。
1855年の「日露通好条約」締結交渉にあたっては幕府勘定奉行川路聖謨の誠意と毅然たる態度は、ロシア使節プチャーチンをして尊敬を受けるほどであったと言われています。外務省も先人の達識に学びロシアとの領土交渉を進め、北方四島の返還を実現させてほしいのです。
それにしてもミサイルが頭上を飛び越え、国民が拉致されても穏便に事を納めようとしている国を、狡猾なロシアはどう見ているのでしょうか。先日のアジアカップサッカーにおける日本に対する悪意に満ちた中国の仕打ちにも、通り一遍の抗議で幕引き。このような国にまだODAが必要でしょうか。
D 大学教養部級友・工
「ロシアの追憶」を拝読。いつもながらの大作に市販の旅行案内書に無い感動を覚えました。正確な観光の描写もさることながら、パック旅行の仲間との会話に興味を惹かれました。
中でも帰途、ロシアの航空会社による重量管理の厳しさに対して、「仮に重量オーバーになったら、添乗員に代わって私が航空会社と交渉します。重量管理は乗客の体重と荷物の合計で決めるべきだ。ロシア人に比べれば日本人は10Kgも軽いではないか、と言うつもりです。」に仲間は一斉に喝采。
おそらく、パック旅行の仲間は観光コースのことより、石松さんとの出会いを楽しい思い出にしたことでしょう。
E トヨタ先輩・工・ゴルフ&テニス仲間
「ロシアの追憶」興味深く拝読しました。何時ものことながらよく事前調査され、現地現物の観察考課もあらゆる分野にわたっており勉強になりました。蚊についても全く予想外のことでしたが、蚊の卵は冷凍になっても生きているということでしょうか。
植物の種子、動物の精子・卵子・受精卵の長期冷凍保存能力には驚愕されます。しかし、冷凍マンモスは食べられても、冷凍人間が生き返るとは思いませんね。
外国では異民族に支配されたケースが多く日本は稀な国だとの御指摘、改めて気付きましたが、国全体がもう少し外国並に愛国心を持つようになりたいです。漂流民、殺人・自殺考、偽者等興味ありましたが、この中で発泡酒をビールの偽物との位置付けには異議があります。
ビールと称するなら偽物ですが、発泡酒は国の税制を笑う工夫品だと見ていますし、今や麦芽を全く使わない「雑酒」がヒットしています。石松博士(ご本人が私をからかうときに使われる常套句、接尾語)に考察していただきたい点は味覚論議で麦芽の使用率が如何に大切かと言う点です。その上で我がDraft One族を笑っていただきたいですが。
ゴルバチョフ(自分は彼も偉かったと思っていますが)とエリツインによって自由を得たロシアは今観光大国でもあるとのこと。今後益々普通の国に発展して行くと期待していますが、これと対比して最近起きた北京での日中サッカー試合での抗日活動を見ると一党支配の洗脳教育の恐ろしさと、この中国が何時の日に普通の国になるのか、少人化が進み、小国となる日本が心配になりました。以上簡単ですがお礼に代えて。
『弱い犬ほど、よく吼える』の典型例が、戦後続いている、中国や韓国・北朝鮮の日本に対する行動と評価しています。実質的には何の影響力もありません! 直接の関係者の総てが永眠すれば、早ければ後40年(第二次世界大戦の終結から起算して百年後に相当する2045年ごろ)、遅くとも22世紀ともなれば、抗日活動は歴史の彼方へ消え去ると考えています。
ロシアは対日行動では一足先にすっかりおとなしくなりました。韓国もトーンが落ちてきました。中国がもう少し豊かになれば、衣食足りてなんとやら、に近づくと予想しています。
F トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間
残暑お見舞い申しあげます。
ご無沙汰しています。貴兄の近況とロシア旅行記拝見しました。いつもエネルギッシュに活動されている貴兄に感服しています。何事にも人一倍興味と関心を抱き続けることは若さを保つ秘訣ではないでしょうか。
海外旅行、今年2月にニュージーランドへいきました。仕事では行かなかったところを優先的に旅していますが、ロシアはもちろん、エジプト、インド、南米諸国など一杯残っています。
5月に四国遍路の2回目(高知〜松山)を歩き終えましたが、その感想をやっと素原稿に整理してみました。推敲不十分でお恥ずかしい文章ですが、前回同様お届けします。末筆ながら奥様のご回復と貴兄のご健康をお祈りいたします。
18756文字にも達した、素晴らしい巡礼体験記でした。
G トヨタ同期・経・元テニス仲間・リタイア後に横浜へ移転
ロシア旅日記を楽しく一読(一部斜め読みでしたが)し、改めて「石松節」の健在が確認でき、嬉しく思いました。貴殿との触れ合い(ゴルフのみですが)とかEメールを通じて、私の率直な感じたことを申し上げると、2回の大病を克服された、石松さんを改めて見直したと同時に、最近はなにか人間的に大きくなられたような気がします。
読後感他です。
1、バレー(白鳥の湖)観劇。
芸術の評価法がわからないとの事。物理的評価とは異質(揶揄的に述べたと思いますが)のもので、主観評価ですから、素人は楽しめたら良いのではないでしょうか。その中で琴線に触れるものがあったら、最高ですね。
私は環境を整え、体調・気持を良い状態に維持し、緊張感を高めて毎日稽古(能楽)に取り組んでいますが、思い通りに出来た時の気分は最高です。これは素人の楽しみ方ですが・・・・
2、がんとの上手な付き合い方。免疫力がキーポイント。
同じ事を私の趣味の先生が数年前強調されたのを思い出しました。この先生は現在82歳で健康そのもの(17歳年下の私よりスタミナがあります)ですが、3年前に大腸癌を患った方です。貴殿同様、癌とわかった時猛勉強し、良いと言われたものは片っ端から実行したそうです。暇になったら、癌に関する本を執筆したいぐらい、と酒を飲みながらおっしゃっていました。
3、旅日記とは関係ありませんが、文中に貴宅の集中冷暖房のフレーズがありましたので、フト我が家の事を紹介したくなりました。
我が家も32年前の新築時、当時の流行であった、セントラルヒーティングにしまた。20年前の改築時には、ファンコイルユニットを2部屋追加し、家中配管がされています。15年前にボイラーが故障し、暖房のみ個別に切り替えました。
冷房は使えたので、故障するまで使う積もりで今日まできました。毎年、チラーを動かす時、ここ10年はいつも、大丈夫かなと心配しながらスィッチを入れていました。前から「大艦巨砲からスタンドアロンへ」と思っていましたが、ある出来事をきっかけにようやく実現できました。
解体・撤去費は結構かかりましたが,永年の念願かない、ホッとしているところです。(昔、大西利美さん[元トヨタ副社長]がこれからは、スタンドアロンの時代だよ、と言っておられたのを思い出します)
30年前の空冷エアコンのCOP(応用熱力学の専門用語。成績係数。出力する熱エネルギー/入力した電気エネルギー)は冷房で1.5〜2。一方水冷のCOPは5くらいでした。しかも、冷凍機やクーリングタワーは屋外に設置するため、室内はきわめて静か。三相200ボルトの低圧電力の従量電力費は安かったので、調査不十分のまま不用意に私は飛びつきました。しかし、皮算用とは異なり電力費は安くならず誤算でした。
契約電力費は10月〜5月の未使用期間中には減額されるとは言え、意外に高くつきました。補機(クーリングタワーの扇風機・冷却水や冷温水の循環ポンプ)の電力費、老朽化による部品の取替えや補修費も馬鹿になりません。稼働時間が長い冷温水循環ポンプの寿命は意外に短く、今は三代目。しかもクーリングタワーからは循環水量の1〜2%が霧化・蒸発し、水道代金も加算されます。統計によれば総コストの4割は補機に掛かると、後で知りました。
一方、空冷エアコンの性能は急上昇。COPは6を突破し、暖房コストも灯油並まで低下。騒音も激減。私も思い切って2年前にセントラル冷房は個別のエアコンに変更。しかし、エアコンの急速暖房力には未だに不満なので、セントラル暖房は継続。とは言え、これもボイラーが破損すれば撤去の予定。機械室は倉庫に転用の予定。
セントラル冷房の撤去と同時に実施した水周りのリフォームで都市ガスの契約を解除し、電磁調理器に変更したにも拘らず、夏場の月間電力使用量は1300KWhから半減。なんとも苦々しい体験でした。
4、「死ぬ前の挨拶計画」順調ですか?
大変楽しく死ぬ前の挨拶巡りをしました。最後だから、皆に自慢話を聞かせてくれと要求。ある女性は毎年固定資産税を何と500万円も払っていると言いました。ある男性は、巻紙に墨で今生の別れの挨拶を書いてきました。
私に胃がんの名医を紹介していただいた命の恩人、福岡市中洲の飲み屋『リンドバーグ』のママさんを訪ねてお礼の言葉を述べたら、美女軍団が一斉に起立して私の方を向いて目礼。歓談していたお客様が何事ならんと驚く始末。今回お会いした方々はママさんを初め誰一人と雖も、私から会食費や飲み代などを受け取ろうとはしませんでした!
私も貴信でその話を聞き、感心しました。出きる事なら私もやりたいな・・・・と思っていましたら、石松さんが即実行とは改めて貴方の行動力には敬服しました。私はその前に、未だ滑り足らない(スキー)、踊り足らない(仕舞・舞囃子)、吹き足らない(笛)、打ち足らない(小鼓)、謡足らない(謡曲)と欲で凝り固まっているので、そちらに力を入れています。
H トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間
その1
今回は、10時間以上もかけて読ませて頂きました。
当初、添付ファイルが見つからなかったのですが、某氏から転送して貰いました。それを判読するのに数時間かかりましたので、正味はどれくらいでしょうか。ともあれ、私なりの読解力の許す範囲で近来まれなほど、一生懸命読んでみました。
某氏の好意に応える意味もありますが、今年は日露戦争100周年の年なので、ロシアに興味を抱いた故でもありました。残念ながら日露戦争には直接触れておられませんでしたが、私なりにヒントは得られました。
日露関係史に触れると、それだけで大テーマとなり、観光から脱線するので敢えて割愛しました。
[読後の感想]
1、全体の印象
これだけの長文を作成される文才と同時に気力、体力に先ずもって敬意を表します。尤も、できれば、本文と参考部分は分けて(注)書きでもしていただけると、もっと読みやすくなるように思いますがいかがでしょうか。例えば参考文献や、ロシア以外の事例(豊田市の市名由来など。)生意気言って申し訳ありませんが、今後の参考までに。
本題から離れるときは括弧にしたり、蛇足と断わったりして、それと解るようにしましたが・・・
2、前書き
○ 輝かしい実績を残しながら、国民の生活水準は今尚、発展途上国並のままであるのは、一体、何故なのか? ………
■ 恐竜が滅びたのと同様、国にもある程度の適正規模が求められるのかも知れませんね。それに大きいだけで極寒のシベリアなどは、これまで領土としての有効性が発揮されてこなかったように思います。
しかし、領土の広さが天然資源の確保に繋がる限りその有益性は変わらず、今後のロシアは決して軽んじることは出来ないと思います。
○ 我が心の中で何時までも消え去らぬ海外への関心・・・
■ 私はこの6月フランス旅行をしましたが、いわゆるツアーではなく、夫婦二人で1か月滞在してきました。事前の調査も大してやらず、ガイドさんもいなかったし、加えて語学力も不足という三重苦の旅でしたが、逆に失敗を重ねながらも現地の人に接したり、現地の生活ぶりを覗いたりするには面白い側面もありました。
時間さえあれば、一人旅ほど面白い体験はありません。私は単独出張時で訪問国の駐在員が多忙な時は、大喜びで密かにあちこちの探訪を繰り返しました。
○ ロシアを世界一の大資源国と無条件に評価するのは正しいか?
■ 世界一かどうかは別として、又現在は資源を有効に活用していなくとも、将来性には期待ができるかも知れないし、ロシアの潜在的国力をどう評価するかの問題かも知れませんね。
○ 民族の定義は色いろあるが、ロシアでは簡単明瞭だ。ロシアの民族は言語のみで分類される。
■ そうですか。でも、そう単純に割り切っていると、又分裂するように思いますけれど。
かつてのソ連の分解は未だ不十分と思います。現在のロシア国内の異民族集団である各共和国は、チェチェンを初め何れ独立すると思います。ロシア民族から見れば実質的な陸続きの植民地の管理コストが、益々高くなると推定するからです。
○ 大津事件を当時の日本政府が日露戦争の引き金になることを恐れたのは、当然の判断であった。
■ ロシアはその頃の日本から見れば大国でした。けれど、臆せず戦うことが結局国を守る結果となりました。さて日本の自衛隊、イラクの反米闘争、どうなるのでしょうか。
○ ロシア各地の火力発電所は意図的に都市内に建設され、蒸気タービンの冷却水が地域暖房に使われている。
■ 日本の原発も東京の度真ん中に作ったら、世論の動きも変わってくるでしょうね。
私もそう思います。米英仏が太平洋で核実験してきた問題と同じです。原発が安全と主張するなら、先ず都心に作るべきです。それが否ならば、せめて電力会社の本社や研究所は総て原発構内に移動すべきです。原発は当初エネルギーコストが下がると誰もが思っていましたが、最近は誤算だったと解って来ました。原発が真に復活するのは遠い将来、化石燃料が少なくなり、価格が上昇した遠未来だと思っています。
○ ロシアではどの標準時間の場合でも、長針の位置は同じ
■ これって当たり前と違いますか? 尤も時差30分という国もあるようですが・・。
国際標準時に対し、N時間+30分の標準時間を設定している国は少数ですが存在します。ロシアのように11個も標準時があると、東西の両端では最大1時間の誤差を避けるために30分差の標準時間も気楽に設定するのではないかと、気を回す読者への老婆心から触れました。
○ ソ連が成立して以来、軍需産業は大発展したが、後回しにされたインフラの整備は大変な負担が予想される。
■ 日本は平和産業ばかりで発展したのでしょうね。加えて優秀な若者が戦争に取られないから経済が発展したといえませんか。
ここで書きたかったのは軍備に全国力を投入したとの主張です。軍需産業・軍隊・その他、その他。
○ ロシアは公衆トイレが絶無に近い。
■ パリでも苦労しました。なお、青森の公衆トイレは綺麗でした。
ロシアやパリだけではなく、欧州各国何れも公衆トイレが少ししかありません。私にはその根本理由が解りません。単なる推定ですが、本質的には欧州人はケチケチ集団だと思っています。一方、エジプトではチップを貰う叔母さんの自己負担でトイレットペーパーを用意する習慣のため、その紙の質の悪いこと、悪いこと!
一方、日本の高速道路のサービスエリアとデパートの無料トイレは美しさ、清潔さ共に世界一! その影響は高速道路の利用料金の高さや商品価格などに埋没され、隠されてはいますが・・・
○ ロシアは何故貧しいか? 結局は国力の総てを軍事に注ぎ込み、自滅した・・・
■ アメリカのように両方凄い国もありますけれど・・・。システムの問題もあるかも知れませんね。
かつての大英帝国は同時に2ヶ国と闘える海軍力を維持する方針でしたが、最終的には挫折しました。今や空母すら手放す状況。敵を知り己を知れば、百戦危うからず、を思い出します。貴台の主張、システムの問題とは何を意味するのか不明ですが、近代戦は総力戦。国力とは何かを考えさせられます。
○ 観光地には、五体満足な乞食も散見された。
■ フランスでもよくみかけました。因みに日本では禁止されています。
流石は法律家! 日本では乞食稼業が禁止されていると知りませんでした。でも、時たま見かけますが・・・
○ 意地でも発泡酒は飲まないことにしている。
■ 発泡酒、うまいですよ。尤も、何か有害物質でもはいっていると嫌ですね。
○ 林野庁は赤字現業官庁の代表格。何と57歳で退職させられた。
■ 公務員も厳しいようです。彼らの仕事振りはもう少し見直してやるべきかも知れません。
○ スーパー
今回の旅行で唯一体験したロシア人の生活情報との接点だった。
■ スーパー見物はいつか奥様と同行なさるといいかも知れませんね。私の場合も家内の意見を聞きながら見物したら楽しく思いました。又そこで買ったもので美味しかったものを、日本へのお土産にしたら喜ばれました。
スーパーは生活情報の窓口だけではなかった。日経朝刊8月27日の5ページで小樽市の珍事が紹介された。小樽市は財政難から70歳以上の高齢者に交付していたバスの無料券を本年4月から廃止。閉店間際に実施される恒例の食材の割引販売に群がっていた高齢者が何と消滅し、店員も愕然!
○ 世界最大の大砲
■ 1586年(天正14年)にそんな大砲があったというのは凄いですね。尤も、性能面について言えば、例えば、日露戦争の時も、数ではロシアが勝っていても性能では日本の方が勝っていたようです。
日本人の品質第一主義は、戦後に始まったものではありませんね。昔から究極を窮めることに生き甲斐を感じる国民性があったと思っています。製造業だけではありません。日本の農産物は外国人から見れば、芸術品です。ロシア人のいい加減さとは対照的です。海外工場で一番苦労するのは、ちゃらんぽらんな従業員への5S教育(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ。言葉をローマ字表記すると総てSで始まるから5S)です。
私のゴルフ友達は自宅の芝生の中に生えてくる雑草を、毎朝早起きをしてはバケツを片手に何とピンセットで抜き取っていました!
○ 地下鉄
最初の予定には無かったが、ロシア人ガイドに地下鉄に乗りたいと要望。
■ パリでも地下鉄によく乗りました。東京の地下鉄でも上手く乗り継ぎが出来ないのに、パリでは失敗続きでした。でも、後から思えば楽しい経験でした。
パリの地下鉄路線名は番号で呼ばれており、電車の先頭には終点の駅名が表示されていたし、固有名詞が覚えられない私には大変利用しやすかったのですがね。ホームに出ると壁面には広告がなく、大きな字で駅名が20mくらいの間隔で書かれてもいたし・・・
○ 私にはバレーに限らず芸術の評価法が解らない。
■ 確かに芸術の場合、人によって評価が異なることが多いようですね。有名な作家でも生前は評価されず貧しかったなんて話はよく聞きます。でも、逆に言えば自分流の楽しみ方でいいのではないでしょうか。
私もよく解りませんが、バレーもオペラもパリで見に行きました。事前にちょっとCDで聞いて行ったら楽しみが増えました。
美術館もよく行きました。ルーブルやオルセーより、ピカソ、ロダン、コクトーなど個人の美術館の方が展示の数も手ごろでゆっくり楽しめました。
追伸
■ 素朴な質問ですが、帝と公とはどう違うのですか。モナコでも公国と言っていますよね。英語ではプリンスですか。
帝国、王国、公国の絶対的な区別は私には解りません。幾何学の回答とは異なり主観依存ですが、大体の解釈としては
@ 帝国は支配下に複数の王国があり、その頂点にいるのが皇帝。
手元の世界史の大学受験参考書では、ペルシア帝国、ローマ帝国、東ローマ帝国、インカ帝国、アステカ帝国、サラセン帝国、神聖ローマ帝国、モンゴル帝国、ティムール帝国、ムガール帝国、セルジュクトルコ帝国、オスマントルコ帝国、ロシア帝国、スペイン帝国、大英帝国、ドイツ帝国、オーストリア帝国、大日本帝国(ちょっと大げさ)・・・。皇帝と天皇とは同格扱い。
A 王国は王様が支配している国。
王家が断絶すると公爵(プリンス)から王を選んだ国もあったとか。
B 公国は公爵が支配している小国。
現在の公国は国の機能の一部は密接な関係にある隣国に依存していますね。リヒテンシュタイン公国はスイスに軍事を委託。公爵の資格がわかりませんが・・・。ロシアは建国のいきさつから王様が誕生しなかったので、大国になってもモスクワ公国などと言わざるを得なかった?
その2
帝国などの用語について。
貴兄のご説明、辞書を引いても同様の解説があり、ほぼ了解しました。しかし、細かいことを言うとやはりよく分かりません。
1) 例えば、天皇は現在でもemperorと訳しますが、日本帝国とは言いません。尤も、天皇をemperorと訳するほうがおかしいのかも知れません。
2) 大英帝国の場合、kingが支配しているのに、Empireでした。大辞林によると、〔British Empire〕は、17世紀以降、イギリス本国および世界各地の植民地・保護領などを含めたイギリス帝国の称。その名称は1931年まで用いられた。
3) 公国は2種類あって、1国内で公爵の支配するdukedom(かつてのフランスのブルゴニュなど)とリヒテンシュタインやモナコのように、他国に軍事等を委託する小国の場合があるように思われます。モナコの公は英語ではprinceといっているようで、princeの意味は我々が考えるのと少し違うのかも知れません。(因みに、イギリスの女王の夫はprince)
そもそも、国ごとに勝手に?つけた名前を日本語の翻訳で論じているわけですから、貴兄が言われるように、「幾何学の回答とは異なり」正確さを期することは難しいのでしょう。けれども、お互いに知りうる範囲で情報交換することでいいのではないかと思います。
インターネットからの検索。
大日本帝国(だいにっぽんていこく)は、明治維新から1946年まで用いられた日本の国号。
慶応3年(1867年)徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜が、天皇に大政奉還したことを受け、朝廷は王政復古を宣言した。これにより討幕派の薩摩藩や長州藩が中心となり出来上がった明治新政府が帝政国家を目指し、大日本帝国を名乗った。
これが国号として公式に表れるのは、明治22年(1889年)の大日本帝国憲法の制定の時であるが、その後も「日本」「日本国」「大日本」「大日本国」「日本帝国」「大日本帝国」といった国号が乱用され、正式な国号として大日本帝国に統一されたのは、昭和11年(1936年)である。
第二次世界大戦終戦の翌年である昭和21年(1946年)に、敗戦後の新しい国家体制を作るべく、国号は日本国に改められた。
________________________________________
貴台のご意見に賛成。各国が勝手に名乗り、日本語には整合性抜きで翻訳しただけと思います。北朝鮮等は天皇の称号を認めたくないためか、日王という言葉を使い始めました。
国号を何と命名するか、その頂点にある方を何と呼ぶかは、それぞれの国がそれぞれの国の言語を使い、自由に決定している結果、世界全体としての統一性はないのが、当たり前と言うことでしょうか。例えば、ナポレオン皇帝とはいっても、フランス帝国という表現にはあまり出会いませんね。
I トヨタ後輩・法
『ロシアの追憶』 興味深く読ませていただきました。
毎回思うのですが大変な力作ですね。 同じ物を見ても、豊富な関連知識、深い洞察力、鋭い感性の助けを借りなければ、これだけ示唆に富んだ紀行文は書けないと思います。
冒頭に挙げられている今回の4つの目的に関連する記述は、勿論面楽しく読ませていただきましたが最後の
ロシアにとっての20世紀とは一体何だったのだろうか? 社会主義が目指したかの壮大な実験は何だったのだろうか? 国民は草臥(くたび)れ儲けだったのだろうか?
のくだりは、まさに至言だと思うと同時に、まだ世界の各所でこうした無益な実験(?)が繰り返されていることに心が痛みます。
J トヨタ後輩・工・パソコン通
ロシアの追憶コメント(序章)
ロシアはつかみどころがない国である。高校世界史にでてくる帝政ロシアの拡張主義と南下政策、シベリア鉄道すらないときの陸路極東への進出と領土拡張(カムチャツカ、アラスカ、日本近海まで)。満州、朝鮮をめぐっての日露戦争、昭和に入ってのノモンハン事件、終戦時の満州侵攻、シベリア抑留。朝鮮戦争そして東西冷戦。
左翼学生の愛唱歌であったロシア民謡が支配した歌声喫茶。宇宙開発・科学技術競争や軍拡競争。更に途上国への援助競争と革命の輸出。日米安保の仮想敵であった極東ソ連軍。そして日本人にとっては突然のソ連崩壊。など日本をめぐる19-20世紀の世界史でロシアの動きは非常に多彩であった。
そういえば1945年に消滅した帝国陸軍の仮想敵も明治以来ロシアであった。関東軍はもっぱら対ソ戦に備えていた。終戦をはさんでも、ソ連が軍事強国であるかぎり、地理的に軍事対象国であることは変わるはずがない。
私は1993-1996年当時モスクワ空港経由で何回か欧州と成田を往復した。空港の規模の小ささ、照明の暗さ、天井の低さ、航空便数の極端な少なさが印象的であった。これはとても米国に対抗するような国の首都の空港とはいえないと思った。免税店は商売気がなく良心的とも言えた。
空港の外には出たことはなかったが、ロシア上空は何十回と今日まで飛んだ。東独はともかく、ポーランドの地上風景はかなり寂しく、ヨーロッパロシアに入るとさらに寂しく、森林、原野、たまに粗放な農地であった。シベリア上空は成田行きの場合大圏コースで北極圏を通るが、冬は何もかも凍結していた。それでもところどころに灯火が見えるのが印象的であった。
1993-1995年の国連勤務は丁度、旧共産圏が援助提供国から援助受入国に転換した直後であった。勤務地がウィーンであったので、旧ソ連・東欧の実情についてはよく見聞することができた。日本にいたころは理解できなかったが、共産主義の後遺症はひどく、また市場経済への移行は非常に大変だと思った。親しかったアメリカ人課長によれば、ソ連は70年間の共産主義という愚行で、国富はすっかり使い果たしたといっていた。
しかし国富の喪失だけでなく、人間の質の劣化がもっと深刻な問題である、と認識した。野生の動物を檻に入れることは1日で可能であるが、檻の生活に慣れた動物を野性に戻すのは何十倍も大変である。
檻の中の権力闘争には長けても野生の生活(=付加価値を作り出すこと)は不可能になってしまった。共産圏政府からの出向の国連職員は権力闘争の本当のプロという印象で、共産党組織は本当に恐ろしい人間を作ると思った。組織を離れればロシア人は大陸的で善人が多かった。
その後2001-2002年と日本政府の援助調査団員としてモルドバ共和国に延べ180日滞在した。旧ソ連15カ国のうち、飛び出したバルト3国を除く12カ国で作ったCIS(独立国家共同体)のうちの1国である。CISは、ロシアとその身内にちかいベラルーシ、ウクライナの3国、中央アジアの「○○スタン」5カ国、コーカサスの3カ国、そしてウクライナとルーマニアに挟まれたモルドバの12カ国で構成されている。
モルドバに来て知ったことは、国連時代に接触の多かった東欧諸国と旧ソ連は、相当に違うということであった。共産主義をやった期間の差、植民地支配といえるモスクワと周辺国の関係、そして徹底的な中央集権体制などである。その結果独立後も自立できない周辺国として、モルドバの漂流状態は続いている。CIS加盟国ではないが、モンゴルが似た状態である。
援助は上水道関係であったが、都市集中暖房、効率度外視のシステム、インフラの貧しさなどは、まったくこの追憶記に出てくる話と同様であった。ロシアよりは更に深刻であって、都市集中暖房はストップしているところが多かった。ロシア製のミニバスは乗り心地が最低で、道路条件のいい都心の近距離の移動以外には使えなかった。
このように、私はロシアを周辺からずっと見てきたが、いよいよ本論に入ることにする。
(つづく)
ロシアの追憶コメント(本論1)
1. ロシアは資源大国か?
追憶記にあるように、陸地面積に比例した資源以上のものがあるかどうかははっきりしていない。ただし、開発・探査が進んでいないという意味では、世界陸地平均以上に、未使用で残っている資源の割合は大きいかもしれない。シベリアの森林(寒冷地なので再生産不可能な鉱物資源と同じ)や天然ガスなどがそれにあたる。
かりに陸地平均並みとしても、陸地面積は広大だから人口1人あたりの天然資源は多いといえるし、1国としての天然資源の量も世界各国で上位かもしれない。こういうイメージが資源大国ロシアという見方を作っているのかもしれない。
また絶対水準からみて資源が豊かであるかないかとは別に、現実に外貨を稼げる商品として資源しかないという現状がある。各国ビジネスマンにとっても、各国政府にとっても、ロシアの魅力は一義的には資源である(あるいは資源大国としてのイメージに振り回されている)と思う。
広い国土に点在する所得の低い1億余りの人口のマーケット価値は、資源大国の魅力よりは劣るのではないかと思う。かりにマーケットとしての価値を認めても、それは資源収入あっての購買力である。
資源の消費地において、商品としての競争力がなければ資源ではない、というのはまったく同感で、広大なシベリアから長距離を輸送して採算が合うのは、現存する資源のうち一部であろう。そういう意味でも資源大国というのは幻想的要素があるといえる。資源の開発技術や経営管理能力は別にロシア人が担当する必要はなく、政情が安定しており、採算が合えば、世界最高水準のものを投入することは可能である。
2. ロシアは今なお大国か?
大国の定義というのも難しいが、それは省略することにして、単純に考えることにする。まず超大国でありえないことは明白であるが、大国、準大国といえるだろうか? 人口が日本よりやや上、国民1人あたりGDPが日本の十分の一とすれば、要するにGDPは日本の十分の一、すなわち韓国なみの経済規模となる。
購買力平価で比較すれば日本の十分の一以上であるという議論がでてくるが、結局1億4千万人の人口の持つ力如何ということになる。高い自殺率(追憶記にあるように真剣に取り組むべき問題、日本でも)、高い失業率、多いアル中患者、低い出生率(数字失念、日本よりはるか下と記憶?)、がたがたのインフラから見て、とてもこの1.4億人は国際競争力のある集団とはいえないと思う。
元気な若者に期待するとしても、健康人口に換算して数千万人と評価すれば、やはり人口規模で今の韓国並み、経済国力では昔の韓国並となる。
そもそもロシア製の消費財はモルドバにはまったくなかった。安価な消費財を量産・輸出している中国とは非常な格差である。結論としてロシアは大国ではないということになる。準大国でもないだろう。イメージとしての大国は残っていても実態は中クラスの国、それも余り健康的でない病身の中クラス国といえる。輝かしい歴史を持ちながら没落した三井鉱山や鐘紡を思い出す。
それではあの拡張主義のロシア人のエネルギーはどこへ行ったのか? 共産主義は一時的にはロシア人のエネルギーを引き出し、長期的にはまったくスポイルしてしまった。若い世代が健全な社会を作れるかどうかは判らないが、多くのマイナスの遺産を持ってのスタートであるから、かなりの長期間を要する話である。
少なくともロシア建国以来の発展・拡張史は終わり、衰退、長期低迷の時代に入ったといえよう。明治維新と西南戦争で蓄積エネルギーを使い果たした鹿児島県に似ている。しかし鹿児島県は共産主義にスポイルされたわけではないから、中央直結のいい空港と、いい高校(ラサール)、それに九州新幹線の先行開業と、まだ昔の気迫は残っている。
今回の追憶記は条件に恵まれた大都会、首都近郊、外人観光客で潤う観光業者、超高級ホテルなどを見ているので、平均像よりは明るい面を見てきていると思う。厳冬に集中暖房の止まった零下40度のアパートや失業者の群れ、お湯の出ないホテルやびっくりするほど汚いトイレなどを見てまわれば、ロシアについて更に深刻なイメージが生まれたであろう。
3. ロシアのインフラのひどさ
ライバルであったアメリカの高速道路(最近は傷んでいるが)などのインフラ整備に比べて、インフラ軽視のロシアの歴史は驚きである。道路、鉄道、水道その他全部だめだと思う。当初の設計計画思想や建設にも不備があるが、それ以上にメンテナンスが極端に悪い。しかもだんだん悪くなっている、といわれている。
共産主義時代には多少は回ってきた修理予算も、今はほとんどもらえない現場が多い。税収や料金収入が確保できないからである。インフレ予算をやめようとすれば、修理費は配賦できない。いままでの10年間はだまし、だまし使ってきたがもう限度だといわれ、鉄道などもこれからは事故が多発するだろうといわれている。
私はかねてシベリア鉄道に興味を持っていた(大陸横断鉄道はまだアメリカしか経験していない)が全区間寝台車に乗った人の話しでは、とんでもない苦行だそうで絶対に薦めないといわれた。日本海側の各県では、環日本海開発の議論が相変わらず盛んであり、その中の柱の1つにシベリア鉄道ランドブリッジ構想があるが、これはまったく無責任な発想である。トヨタ自動車での部品輸送実験の通りの状態である。
保守費用を確保するメカニズムが機能していないのだから、これは鉄道技術とは別の問題である。しかし共産主義後遺症とは別に、鉄道は世界的には斜陽交通機関であり、シベリア鉄道を含むロシアの鉄道に、再生の可能性があるかどうかはわからない。なおモスクワ、ペテルブルグ間は私のデジタル地図では直線で640キロ。追憶記の500キロ(ガイドブックからの単なる孫引きでした)よりは長い。
4. 牛肉のまずさ
モルドバではじめて、鶏、豚よりもまずい牛肉を2年間体験した。それまでは牛肉は「肉の王様」と信じていた。まずい原因は野草だけの飼育にあるようである。餌として穀物を与える必要があるらしい。
松阪牛は米国人も美味しいと評価している。層状に脂肪と蛋白質が組み合わされた霜降り肉は柔らかくてかつ美味しい。そのためには穀物肥育と中年肥りが必須。高価な飼料代と体重増なしの肥育期間の長期化がコスト高となる理由。
ビールを飲ませるのは箔付けのための単なるパフォーマンス。松阪肉のまがい物は世界に冠たるハンバーグ。蛋白質と脂肪を撹拌して作るが、この程度でも世界的に人気があるのは、安い割には美味しいからである。
ところで、パナマでも同様の理由で牛肉はまずかった。パナマは共産国ではないが、商品競争力のある牛肉を作ろうという気迫のない国で、運河収入という不労所得と、ヨーロッパ仕込みの社会主義思想に汚染されている国(社会主義思想は東側世界の独占物ではない。西欧も非常に汚染されている。そもそも社会主義思想は欧州社会全体の産物である。だから私は、通貨としてのユーロは信じない)なので、牛肉はやはりまずかった。
(つづく)
ロシア追憶記コメント(本論2)
1.韓国の国民1人あたりのGDPは、なぜ10000ドルで止まったのか?
それは追憶記に書いてある通りである。日本の1人当たりGDPは「エンカルタ百科(デジタル百科)03年版」によれば38000ドルに達しルクセンブルグに次いで世界2位である。東独を併合したドイツは22000ドルと低迷している。
ルクセンブルク公国の一人当たりGNPが世界一になっているのには、特殊な事情がある。大手鉄鋼会社などの本社があり、法人所得が個人所得に計算上加算されているからだ。人口は僅か41万人強なので、法人所得の影響が大きく働く。人口35万人強の豊田市が、『豊田共和国』になると、一人当たりGNPは一挙に倍増し、ルクセンブルクを追い抜く。
戦後、大阪府から本社を東京都に移動した大会社が増えたため、府民所得は形式的に落ち、その分都民所得がかさ上げされたのと同じ理由だ。国民の豊かさをGNPで比較する場合には、法人所得を除いた計算法がより現実的である。ルクセンブルクに行けば直ぐに分かるが、私にはオランダやベルギーの方が民度は高いと感じられた。
アジアではシンガポールが20000ドルでイギリスと並んでいる。アジアでシンガポールに次ぐ地域は、独立国ではないのでエンカルタには掲載されていないが、香港、台湾が次いでいる。「シンガポール、香港、台湾、韓国」の順位となっている。この4国・地域の発展を支え、またこの序列の原因となっているのは英日の植民地経営であり、またその期間の長さが重要である。
イギリスの植民地経営のうまさには一応定評があるところであるが、もしシンガポールや香港の植民地経営の期間が35年であったならば、今日のシンガポール、香港の繁栄は絶対にありえない。
韓国経済の「基礎学力不足」は、日本の植民地経営の期間が「わずか35年」であったことと深く関係している。ここに来て、畑を耕した深さ、浅さの問題が表面化したのである。この基礎学力不足の問題を解決する方法は簡単に見つかるはずがない。当面は10000ドル経済になったことを、幸運と思い感謝するしかない。
日韓併合当時の韓国経済にはまったく基礎がなく、日本の植民地経営はほとんどゼロからスタートしている(この項は、インターネットで意見を公開している太田述正元防衛庁審議官の記事を参考にしている)。
なお最近の韓国は経済面だけでなく政治面でも混迷しているが、太田氏によれば、戦後の歴代韓国大統領の中で、韓国の発展を正しく引っ張ってきたのは3人の軍人大統領だけだという。朴大統領は日本の陸士卒の満州国軍中尉であり、後継の2人は韓国陸士卒であるが、韓国陸士を作った軍人たちは、日本の旧軍の軍事教育を受けた韓国人たちであった。
要するに3人の軍人大統領の教育基盤は日本陸軍であったという。もはやそういう世代が消えた今日、これからの韓国政治は混迷の時代に入るのではないか、と太田氏は危惧している。
韓国ブランド品にも、岩のりにも、キムチにも、大韓航空機の整備不良(私もNYで経験あり)にもこの基礎学力不足が反映していると思う。しかしインチョン空港はいい空港である。計画されている4000メートル平行滑走路4本が完成したらすばらしいと思う。
これに対し、わが関空は、地盤の沈下、経営の沈下、財務の沈下の三重苦だそうである。これは運輸官僚による経営の必然の結果であるが、トヨタ自動車が深く経営に関与する中部新空港では、このようなだらしない空港建設を再演することなく、空港経営の模範演技をぜひ見せて貰いたいものである。
2.日露関係をどう考えるべきか?
この追憶記の直接の主題ではないが現在の日露関係をどう考えるべきか? 南北朝鮮と中国は隣国である。アメリカも同盟国でもあり、また太平洋は広いが川のようなものであるから、アメリカも隣国である。太平洋が川であるとは、1975年にカリフォルニアの海軍大学院に短期留学したときに実感した。しかしロシアも間違いなく隣国であるが、戦後59年間没交渉に近い。
伊藤博文は、日露戦争の終了後わずか4年後に、日ロ関係の関係修復を当時のロシアの実力者政治家ウィッテとハルビンで交渉しようとでかけて、同地で暗殺された。それに引き替え59年の膠着状態は、冷戦構造などいろいろな事情があったとしても余りにも長い。
現在日ロ交流を望んでいるのはロシア側であるが、日本側が北方領土返還に固執して没交渉状態が続いている。ロシア側も交流は望んでも領土を返還してまで交流促進ということではなさそうである。わずかに鈴木宗男代議士が風穴を開けたが挫折してしまった。
日本側でも経済界は交流促進(資源大国や市場幻想からか?)で、その意向を受けて通産省などもJETROや関連機関を使い極東ロシアの調査などを若干やっているが、遅々として進まない。外務官僚の中の強硬派が領土返還に固執して、交流を阻止しているといわれているがよくは知らない。
しかし、そもそも北方領土はそんなに重要か? 北海道ですら、面積のほとんどは過疎地である。北海道の更に先の根室沖の島々がそんなに重要であるとは考えられない。水産資源があるというがそんなものは購入すればいい。事実、日本は魚の輸入国になりつつある。かつて小沢代議士の4兆円の北方領土購入案が伝えられたことがあるが、とんでもない話である。
私は北洋漁業で遭難死が報道されるたびに悲しくなる。こんな危険な仕事は仕事もない外国人に委ね、日本人は付加価値の高い商品を輸出し、魚は輸入すればよいと思っている。クジラ漁もそろそろ引退時期だ。クジラは刺し身に出来る一部を除き、余り美味しくはないからだ。
とは言え、北方領土は日本の固有領土。民族の誇りと密接な関係もある。この返還をロシアに強力に且つ不断に迫るのは、対ロシア交渉にかかわる無数の案件を日本側に有利に展開させるために一番役立つ強力な切り札になるからだ。相手の最大の弱点になっている。
羊肉も美味しくはないが、それを神からの贈り物等と言って有り難がる経典の民(ユダヤ・キリスト・イスラム教徒)にせっせと食べてもらい、日本人は海外の広大な牧場で穀物肥育させた美味しい和牛を輸入すればよいと、予てから考えていた。
国境に固執すれば、これはゼロサムゲームであるが、実際は灰色ゾーンがあっていいし、特に平時に国境線の変更に固執するのには無理がある。中国だって台湾返還は気長に待って日本の敗戦で回収した。ドイツは、オーテルナイセ以東の広大な国土を放棄している。
日ソ中立条約とか、千島の範囲、固有の領土などという議論はくだらないと思う。日本側だって1941年の関東軍特別大演習は対ソ不意打ち侵攻の準備であった。結局侵攻の隙が見つからないうちにチャンスを逸してしまった。戦争とはダイナミックなものであり、地図を書き換えるものである(軍隊には立法作用(=既存秩序を変える)がある)。
ODAをロシアにも与えれば、日本とのパイプは太くなる。日本型式の製品が浸透してゆく。民間ベースでの投資の誘い水ともなる。日本のODAで得意な土木インフラ整備をロシアでも推進すべきである。援助というが資金のかなりは日本企業に還流する。幸いにロシアは混迷中で、中国への進出と違ってバスに乗り遅れるというあせりは必要ないかもしれない。しかし日本が進出しなければライバルの欧米主要国が進出することになる。
そもそも地政学的に極東地方のロシアは、日本の経済圏に組みこまなければ発展しない。日本としては南に豪州、北に極東ロシアを資源フロンティアとして交流を促進すべきである。
またロシアのこれからの経済発展のためにも、日本を含む外資の進出、観光客の流入は非常に重要である。要するに彼らに外の世界を知らせること、新しい技術やノウハウを与える必要があるが、それには日本を含む先進国との交流が不可欠である。
(つづく)
ロシア追憶記コメント(本論3)
1. 世界を知るということの難しさ
地球は狭くなったとか、情報は瞬時に伝わるというが、必ずしもそうではないという話。1993年にウィーンで国連勤務のときに、ルーマニアで科学省関係者に市場経済の特徴について講演したときに、講演終了時の質疑応答で、市場経済が依然何もわかっていないことが判明し、がっくりしたことがある。
そこで海外旅行の経験者を聞くと、約半数が経験ありだったが、行先は隣国のブルガリアだけがほとんどであった。当時は1ドル札が現地では大金であって、国立図書館でも西欧の新聞雑誌の購入は不可能で、援助での寄贈に頼っているとのことであった。これでは世界は動いている、変化しているといっても、理解するのは難しいことになる。それから11年たって多少は改善しているであろうが、まだまだ大変であろう。
日本では明治維新の元勲、井上馨も当初は品川の英国公使館に対しテロ攻撃をやっていた。今のイラクでも攘夷派が暴れている。いずれも世界情勢が読めていないが、イラクのテロ撲滅も米国側には、目途は付いているらしい。
2001年にモンゴルで市場経済について講演したときの反応も同様であった。ビジネスマンは理解できるが、肝心の経済の民営化政策を取り仕切っている政府官僚や経済学者が市場経済を理解できず、民営化は遅々として進まない。
ロシアよりも改革のエネルギーや人材にとぼしいCIS周辺国では依然共産党(=保守派)が支配しているところが多く、外資も寄り付かず混迷している。共産党には人材が集中しており、彼らの牙城を崩すためには、外国の援助や観光客の流入は重要である。
単なる講演ではなく、現地現物をみるチャンスを与えるからである。しかし観光客の受け入れ態勢がないだけではなく、観光客を嫌う攘夷体制のCIS周辺国もある。こういう国は結局沈没してゆくしかない。
日本国内でも、企業内で意識改革と騒ぐ人がよくいるが、終身雇用制にどっぷり浸かっていては意識改革もむずかしい。大きな改革は追憶記にあるようにエリツィン型、あるいは織田信長型でなければできない。勢いと犠牲者の数量が重要である。明治維新は西南戦争だけで数千人死んでいる。
2. インフラの未整備(つづき)
米国では市場原理によって地域間分業も発達している。全米で消費される野菜、果物はカリフォルニアとフロリダで主に集中生産され、ハイウエーで消費地に運ばれている。高速道路網が発達しているから、このような地域分業が可能である。イギリスでは鉄道の時代になって、ジャガイモの値段も一物一価になった。輸送手段がなければ、価格を平準化する手段がない。市場経済は交換経済であるが、運べなければ交換できない。
ところで旧ソ連は計画経済ののもとに極端に地域間分業を推進した。いまその弊害が特定産品や部品のみの地域別集中生産体制ということで各地域を苦しめている。ところが、この偏在した産品を輸送するインフラが不備では、地域間分業がそもそも成り立たない。
パソコン搭載の全世界航空時刻表によれば、ロシアの都市間の航空便は極端に少ない。特に極東地方の各都市は孤立状態であるといっても過言ではない。物流にはビジネスマンの移動を伴う筈だが、それがまったくない。貨物も動いていないと想像せざるを得ない。地域分業で作った中間製品は輸送されず、結局使われずに終わったのではないか?
旧ソ連のGDPはこういうムダ製品の数量積み上げであったのであろう。ソ連崩壊後、GDPは急減したというが、こういうムダな作業をやめたのも理由であろう。そもそも共産党にとって統計とは「当面、都合のよい数字」に過ぎない。過去の高い生産水準の統計をそのまま信用することはできない。
モルドバでも過大設備や使い物にならない工場などいっぱいあった。設備投資のむだだけでなく、生産工程でもムダの連続であったに違いない。官僚統制の計画経済では、効率や改善はタブーだったようである。
中国の国内線のフライト数は年々増強されている。ボーイングやエアバスの世界最大のマーケットである。北朝鮮の高麗航空は北京と瀋陽に各週2便(機体はツボレフとイリューシュン。クワバラクワバラである)しか飛んでいない。
他に瀋陽から平壌へは中国南方航空が週2便(機体はM90)乗り入れている。インチョン空港の繁盛とはすごい格差となったものである。こういう格差をもたらした北朝鮮の政権は自滅させるのが正解であって、てこ入れする小泉総理は血迷っている。ロシアの航空網は北朝鮮型である。
(つづく)
ロシア追憶記コメント(最終回)
1.インフラの悪さ(つづき)
ヒットラーの戦車の進撃を道路事情が阻害したというのは初耳であったが、そもそも戦車が悪路や道路のないところを走行できるというのは誤解である。短時間の戦闘時にはそういう行動もとれるが、長距離の移動には整備された高規格道路が必要である。しかし高規格道路の走行にはキャタピラーはかえって不便なので、トレーラーに搭載して運んだりしている。最近、陸上自衛隊もコスト削減のためにゴムタイヤの戦車を作り出したそうである(コマツの話)。
インフラの悪さとは別であるが広軌鉄道も不便であろう。モルドバ(旧ソ連)・ルーマニア国境駅では台車交換のために国際旅客列車は5-6時間停車している。スペイン、インド、スリランカ、モンゴルも鉄道は広軌であるが、スペインも欧州各国との交流には不便であろう。
2.紅と専
紅(思想)と専(専門)とは中国共産党での分類である。農村出身でまた外国を見たことがなかった毛沢東は専門家を嫌った。専門家は自分の中に判断基準があるから、共産党に盲従しない。それを嫌ったのである。毛沢東は文化大革命を発動して専門家集団を壊滅させた。
ところでロシアでの紅(思想)と専(専門)の関係はどうか? 人工衛星やミサイルの話を聞くと専門家は一応、大事にされていたかとも思うが、モルドバでの工場廃墟やでたらめな水道設備計画を見ると、やはり紅(思想)支配の世界、すなわち権力闘争とゴマすりの明け暮れだったのではないかと思う。2002年当時でも、モルドバ用水公社の実力者総裁(電気屋)は精神病ということで追放されつつあった。保守派の共産党大統領による、技術人脈の粛清である。
中国問題は本稿の主題ではないので省略するが、2004年夏になっても本来は専門家集団であるべき北京の超一流大学や超一流病院で、依然紅(思想)は幅を利かしている。北京中医薬大学付属病院で、「薬王(超名医の称号、中国の歴史で唐代に1人存在、したがって中国史上2人目)」の称号を持つ内科医は、医学部学生なら誰でも知っているホルモン名を知らなかった。ヤブ医者以下の素人に過ぎなかった。院内に掲示されている経歴では表彰無数回であったが。彼の診察室には江沢民直筆の額があった。
日本でも、学術会議第三部元部会長(=全国医学部教授のチャンピオン、金沢大学医学部長→同校学長二期)は金沢星稜大学学長としては、学問嫌い、学者嫌い(専門家嫌い)、恫喝政治、4年間連日大学経費で飲み食い。結局理事長に追放された。私企業としての私学を経営危機に陥れる「雇われマダム」を、未亡人理事長は今春渾身の力で切った。
虚業の世界はともかく実業界は大丈夫かと思うが、国際的にはトヨタ自動車以上に有名ブランドであるソニーの出井会長は、最近ワースト経営者として英文ビジネス雑誌で報じられた。私は2000年にスリランカでテレビの彼の発言を聞いて見識無い人だと思った。トヨタの薬王たちが、企業官僚に堕落せずにタイトルにふさわしい人であり続けることを祈るものである。
3.ロシア各地について
黄金の鎖も名前だけしか知らなかった。その他は現地を見ていないのでピンと来ない。しかし広い国土は中身なくても魅力である。モルドバから国境河川越しに見たウクライナの小麦畑は壮観であった。
(おわり)
J トヨタ同期・工&経・私大教授
氏は読後感ならぬ『対ロシア観』としての立派な論文(5回、合計10074文字)を寄稿してくれましたので、氏の略歴を紹介します。
東大工学部(船舶)卒・トヨタは1年で退社・東大経済学部3年に編入学・在学中は東京都立夜間工業高校でアルバイト。昭和電工に入社・同社を退社後防衛庁にキャリアとして入庁・防衛大学校教授・10年余で防衛庁を退庁。国連職員に転職・湾岸戦争前はイラクに駐在・湾岸戦争時には学識経験者としてテレビにも出演。
豊田学泉大学教授・東京都立工科大学教授・青森大学教授を歴任後、現在は金沢経済大学教授。最近の海外出張(公募されている政府系各種海外調査に応募し、採択されては出掛けているアルバイト)は毎年延べ約半年。北京美人の奥様は漢方医学に詳しく金沢経済大学の講師。
氏にとって防衛庁時代はソ連の勉強は必須事項。自ずから、今回の読後感の執筆には力が入ろうというもの。私は氏と時々出会いますが、その都度、乏しい知識と弱々しい論理力を総動員して議論を嗾(けしか)けては、時間が経つのを忘れています。
トヨタの先輩でパソコン通のメール仲間から、ご本人のホームページに私の『ロシアの追憶』を載せたとのメールを受信。黒色の背景に黄色の文字で我が拙文を浮き上がらせて頂いている。この方法だと何故だか目が疲れず大変読みやすい。しかも、文字化けの恐れも全くない。今後、賢人各位にお届けする追憶記はこの方式を採用しようかと思い始めた。
コピーしたアドレスの矢印をクリックすると、ご本人のホームページが呼び出される。本文をスクロールすると、最後から2行目の左端に青色で書かれた『himekuri日記』という文字が出てくる。それをクリックすると、左側に暦が3個出てくる。
一番上は一月(ひとつき)分の日付、真ん中は2004年、一番下は2003年の月暦。暦の右側に本文が表示される。月暦に書き込まれている赤い星型のマークをクリックすると、一番上の日付暦がその年月に対応して表示される。日付暦の中に書類のマークがある場合に、そのマークをクリックするとその日の記事が現われる。
2004年5月27日には追憶記の全文が一括して、5月29日〜6月3日では冒頭に的確な写真等を1枚追加して頂いた後、追憶記が分割して掲載されている。5月28日の冒頭には日程表、その後に氏の的確なコメントやアドバイスが記されている。私の旅行期間5月28日〜6月3日とは必ずしも一致しないが、なるべくあわせる配慮がなされている。氏の気配りに心から感謝。
5月27日・・・全文
5月28日・・・氏のコメントやアドバイス
5月29日・・・前文〜第1章
5月30日・・・第2章
5月31日・・・第3章
6月 1日・・・第4章
6月 2日・・・第5章〜第6章
6月 3日・・・第7章〜第11章
氏のhimekuri日記には多彩な定年後の生き様と交友関係の深さが滲み出ている。私が発信したメールが、2004年3月8日に『Iさん』との仮名で、出ていた。
K トヨタ先輩・工
遅れましたが,読後感を送付します。
今回も石松先輩の追憶記により,擬似ロシアの散策を十分楽しませて頂きました。有難う御座いました。
今回は特別に"コレ"と思って自分なりに追求してみようと思った読後感はありません。遅れているロシアの産業基盤の回復に、日本の技術は相当役立ちそうだ。欧州の物真似の多い建築文化であるかも知れないが,ロマノフ王朝時代を含む過去1000年以上の歴史を持つロシアは、ロマンに満ち溢れた国だなと感銘しました。
ロシアが現在観光ブームの真っ只中にいる要因としては,21世紀の環境スタートの世紀に相応しい広大な自然を持ち合わせている事と、資本主義の効率化に汚染されていないノンビリした気質が国民に残っている所が、ロマンを感じさせる為かなと思いました。
過去の為政者の失敗は国のボタンの掛け間違いであって,これから修復していけば過去の犠牲は取り返せる。ロシアにはその可能性大なり。ロシア国家はこれからは欧米,中国及び日本と違った、ロマンのある国家造りを目指していると思いますし,私自身そう願います。回復後は日本の脅威になりますが,その時はその時で正々堂々と戦いましょう。
今回はこんな所です。
L トヨタ後輩・工
こんにちは。先般はロシア追憶の長文を頂き、ありがとうございました。
いつも細やかな観察に感心する次第です。ロシアの最近の状況が目に見えるような内容です。そこいらの観光ガイドブックよりも理解しやすいことが書かれてあります。お礼が遅くなってしまいましたことお詫び申しあげます。
郷里での親交も無事に済まされてホットされていることでしょうが、まだまだこれからが楽しむ人生です。一日一日を大切に過ごされることを願っています。奥様の手術は無事に済まれたのでしょうか? よろしくお伝えください。
私は昨日まで北欧4ヶ国の旅をして来ました。一年の中で夏の期間6〜8月を本当に楽しんで暮らしている様子がわかりました。冬の期間は到底日本人には耐えられない寒々とした日々だと思われます。
石松さんのように紀行文には出来ないので残念ですが、やはり自分の目で見て肌で感じて初めてその国の様子が分かります。ではまだまだ残暑厳しいですので、身体に気をつけられてお過ごしください。
M 経営コンサルタント・荊妻がパック旅行で知り合いになった方
12時pm過ぎまでかかって読ませていただきました。
日露戦争とか、第2次大戦のことで、いいイメージがない国でしたが、 実際に行かれた印象を拝見しますと、それぞれの歴史や環境が、現在の状況に繋がっているのだなと感じました。
あと、中国との比較をしていただけると、面白くなるかもと思います。 たとえば、今日のテレビ(8/28の世界不思議発見を意味する)で、北京は、風水で都市が、設計されていると言っていましたが、モスクワは、それに相当するものはあるのかというようなこと等、いかがですか?
世界の古都に由来する今日の大都市の殆どは自然発生的に膨張した。碁盤目状の都市建設がなされたのは中国の古都、ローマ帝国のミニ植民都市、米国・オーストラリアなどの植民地からスタートした近代都市。日本では京都(平安京、古都)と札幌(近代都市)くらい。後はパリを初め、部分改造に過ぎないと思っています。
中国は北京だけではなく、省都の拡大地図集で、どの都市も道路が碁盤目状に配置されていることを知りました。しかし、上海だけは例外です。自然発生的に無秩序に発展すると、中国でも他国と何ら変わらない町が生まれてしまう歴史的な証拠になっています。広い国土と強大な権力者の存在抜きには、合理的で住み易い都市計画の推進は難しかったと思います。
風水にどれだけの価値があるのかは、私には解りません。敢えて言うならば、こじつけ、虚構の類と思っています。
N トヨタ後輩・工・テニス仲間
貴兄の推敲に推敲を重ねて書き上げられたであろう「ロシアの追憶」の読後感を大変遅くなってお送りすること、まずはお詫び申し上げます。
推敲を重ねたのではないかと推察しましたのは、誤字脱字がなく、また内容が大変深みがある紀行文であり、著者の知的レベルの高さのみならず、見識の高さを示しておりまして、日頃なじみの薄いロシアの歴史、風土、地理、文化等に関する教科書にもなる内容と感心致しました。
実は今までも追憶記は脱稿した都度、文章力と博識においては自他共に一目を置いていた学生時代の友人に査読をお願いしていました。自分で書いた原稿に含まれる誤字脱字は勿論のこと、思い違いなどの自己チェックは大変難しく、第三者の査読は大変有り難く、友人の好意の賜物です。ワープロ時代以降は、上記の事項に加えて更に変換ミス対策までもが加わりました。
現役時代に論文など活字になる原稿(延べ数十回)を書かされた場合は手当たり次第、職場の関係者・知人・友人に査読を併行して頼んでいました。我が原稿の完成度の高さに気付く人とは、まともな原稿を書いたことのある体験者だけです。『ロシアの追憶』の執筆には、今尚人差し指だけによる遅々たる入力なので、累積100時間前後も実は掛かっています。
査読依頼の成果としては、例えば天下に名だたる機械学会誌や精密機械(精機学会誌)に掲載された原稿の場合、査読担当の一流の学者と雖も一言もコメントを出せませんでした。著述とは著者と読者の知的闘いと今でも確信しています。そのように思うからこそ、賢人各位から賜る珠玉の読後感を読むのは無上の楽しみになっています。
まず、お断りしておかねばならないことは、これは全く個人的な性向によるものなのでしょうが、以前からロシアあるいは少し前のソヴィエト連邦には親近感が沸かずにおりました。共産主義が嫌いとかいうのではありません。
世界を見渡してもあり得ないようなツァーリの絶対的強権性、あのスターリンの信じられない粛正の数々、大韓航空機撃墜事件時の国防大臣だったかの嘘を平気で並べ立てる振る舞い、国民性として独裁を好む体質、中でも第2次世界大戦の終戦間際、突如として対日宣戦布告を行い、多くの日本人を捕虜としてシベリアへ抑留したやり方などは、何とも許せない気持でした。
勿論、一般のロシア人は人柄が良いと言いますし、貴兄も書いて居られるドストエフスキー、トルストイ、チャイコフスキーとか尊敬する人たちも沢山おりますし、最近の話題で言えば、オリンピックで見せる体操(含新体操)、シンクロナイズドスイミング、バレーボール等々鍛錬された美しき女性など世界の頂点に立つ人たちも多くいて、立派な民族だと思う面もあります。
こうした人柄も良く、美貌(若きときと注釈が必要でしょうか)にも恵まれたロシア人が、一度政治の世界にて振る舞うとき、どうしてああした我々の想像を超えることを平気でなすことができるのか、私に取ってそれこそ七不思議の一つでした。
さて、上述のことが原因でロシアに近づかないのではなく、たまたまそのチャンスに恵まれなかったに過ぎないものであり、貴兄の言われますように、現地現物でなくしては、何事も評価したりすべきではないのでしょう。
その点において、直接に現在のロシアに触れて来られた貴兄のこの紀行文は、私に取って大変貴重な社会時評の論文とも言えるものです。前置きはこのくらいにして、貴兄の旅行記に沿って感想を箇条書きにて書かせて戴きます。
@ まず、貴兄の観察の「何と、蚊が多かった」は確かに現地現物の最たるものでしょうが、それだけで留まらないのが、貴兄の凄いところだと思います。原因は何かを鋭く突き止めて行かれる探究心に衰えがありません。
「ロシアの原生林は平原にあり、雨が降っても水が流れず、水溜まりと化すから」ではないかということを直ぐに気付かれる点には敬服致します。アルプス地方を除く欧州各国はやはり平地が多いと思いますが、夏の夜、野外で食事したりして談笑している風景を良く見掛けます。
日本などでは蚊が多くてとてもあれほど、そこここでできることではないと思っていたのですが、あれはロシアに比べて水溜まりが少ないからなのかも知れないと思った次第です。
A 「ツァーリ」についての貴兄の記述ですが、「イワン3世」が使い始めたとあります。以前尊敬する司馬遼太郎の「ロシアについて」という本を読んだときに「イヴァン4世」が称したのが最初と書いてあったように記憶していましたので、司馬さんほどの人でも勘違いすることがあるのかと思ったのですが、もしかすると私の記憶が間違っているのではないか、その方があり得ることだと思い返しまして、昔読んだ本を見つけてみました。
するとやはり「イヴァン4世」と書いてありました。そこで、百科事典でみてみましたところ、「ツァーリ」の称号をイワン3世がビザンティン帝国から引き継ぎ、イワン4世(雷帝)が自称したとありました。
ご指摘の件については、私は単に解説書からの孫引きでしたので、本日グーグルのインターネットで検索したら、下記の記事が出ました。3世が外交文書で用い始めたのをどのように評価するかに尽きる問題と思います。
ロシア皇帝の称号。ドイツ語のカイゼルと同じく,専制君主カエサルのロシア訛り。東ローマ帝国滅亡(1453)後,最後の皇帝の姪ソフィア=パレオローグと結婚(1472),その紋章「双頭の鷲」を受け継ぎ,ローマ帝国の後継者を自任したモスクワ大公イヴァン3世は,時に外交文書などでこの称号を用いた。
1647年,戴冠式を行ったイヴァン4世が,正式にこの称号を採用,ピョートル大帝が北方戦争に勝ち,インペラトルの称号をとるまで(1721)用いられたが,その後も併用され,一般にはロシア皇帝をこの称号で呼んだ。19世紀末から1946年までブルガリアの君主もこの称号をとる。なお普通名詞として,皇帝・帝王・王・第一人者の意味にも使われる。
まあ、どうでも良いことかも知れませんが、司馬遼太郎さんがどれほど本を読み、調査をしてものを書いたかを知る機会となった追悼記念の「司馬遼太郎展」のことが印象深く思い出されたものですから、少し横道に入ったことを書いてしまいました。なお、司馬さんの本に、かのスターリンは独裁者「雷帝」をたたえていたと書いてありましたが、何となく分かるような気がします。
B「ターミナルの駅名の付け方が、ロシアではユニークさがあった」ということが記述されております。確かに日本にはない付け方と思いますが、欧州では結構ありますので、ロシアに限られたことではなく、むしろ西の国々に倣ったことかも知れないと私は思いますが、正確なところは知りませんので、博識で且つ調査精度の素晴らしい貴兄にお教え戴きたいと存じます。
ロシア及び欧州で汽車に乗ったのはたったの3回に過ぎません。ターミナル駅名の付け方は終着都市名が欧州では一般的とは知りませんでした。鉄道は英国が発祥の地。ロシアは欧州に憧れていましたから、名前の付け方まで真似したのだろうとの説には真実味が感じられます。
C キャビアの種類は容器の色で青・黄土・赤に識別されていて、価格のランクがあり、この順で安くなるという話はまるで知りませんでした。また、「正露丸」の語源が日露戦争に由来し「征露丸」であることも初めて知りました。
更に、ロシア暦からグレゴリー暦に切り替えた為に1918年2月1日から2月13日は存在しない空白時間であるという話は大変興味深く思いました。流石に博識な貴兄ならではの記述と思いました。こうした話を教えて戴きまして、大変感謝致します。
なお、ついでながら、貴兄に教えて戴きたいのですが、日本でも古くは陰暦が使われていたと思いますが、「日本史年表」での記載は新暦に換算しての年月の記載なのですか? それとも、陰暦のままの記述なのでしょうか?「世界史年表」の記載では統一した暦でないと前後関係が誤ったことになるのではないでしょうか?
歴史年表が現在どのように統一されているのかは、残念ながら存じません。しかし、日本でも大陰暦から太陽暦に切り替えた時に、空白期間は発生しました。念のためにと、またもやクーグルで検索すると下記の記事が出ました。今やインターネット様様です。
今日が大晦日???。1872年(明治5年)に太陰暦から太陽暦への切り替えが行われ、陰暦の12月3日が明治6年1月1日となりました。そのため、この年は今日12月2日が大晦日となりました。
D 以前の貴兄の旅行記に比べ、最近驚くようなバタリティと切れ味の良い発言と行動という面はやや薄れてきたように思いますが、逆に円熟味が増して益々優れた紀行文となってきていると思います。
しかし、例えばロシアへ向かう途中、ソウル空港の正面玄関の吹き抜け空間に展示してある「松」を見つけて、空港職員に問い質す会話など貴兄一流の機智と洞察力に富み、ついに職員に偽物であることを白状させてしまうところなど、今もって往年の一流スターの輝きと言ったような冴えを感じます。
E グム百貨店やスーパーでの観察や地下鉄乗車の経験、ロシアホテルの評価に関する記述等は、貴兄の素晴らしい例の抜群の記憶力と工学的な視野に富んだ見方と高い見識が示されていて、以前から感心しているところですが、今回も流石と思いました。
帰国後のニュースでは、クレムリンの前にそそり立つ、美観もない要塞のようなロシアホテルは改築されることになりました。
まさに「ロシア人の生活水準は報道通りか?」を現地現物で見極めてくるというロシア旅行の目的の一つを的確に把握し、それを具体的に数字を使って解説してくれていて、分かり易く且つ面白く思いました。
F 帰国の途に付くサンクト・ペテルブルグ空港でのカウンターの重量管理について、貴兄の対応の仕方はやはり貴兄独特の切れ味を示しておりまして、感心するばかりです。
高杉晋作がこうした切羽詰ったとっさの場合を切り抜ける天才的な才能があったということを、前述の司馬遼太郎さんが書いておりまして、こうした人の天賦の才によって日本の歴史が転換して行くのだということを学んだのですが、きっと貴兄が幕末に居られたら、歴史に名を残す活躍をされたのではないかとふと思いました。
褒め殺しもことここに到と、過ぎたるは尚・・・。
G モスクワ空港での貴兄の人種観察は本当に面白いと思いました。韓国の女性の人相は日本人にそっくりだけれども、男性の場合は少し異なり、知的水準の高い人や社会的ステータスの高い人は日本人にそっくりだが、庶民の場合は違いが分かるというコメントに同行の人たちが皆賛同したとのこと。
その原因は何なのでしょうか。両国の男女がほぼ似たような環境下で生活しているのに、女性は両国で同じ人相をしていて、男性は異なるというのは何故なのでしょうか。面白い着眼点と思います。生活の仕方や男女の役割が両国で違うからなのでしょうか。
イギリスに行くと労働者階級とインテリあるいは上流階級の人では背丈から顔つきまで異なると言いますが、男女ともそれぞれの階級で釣り合いが取れているようですので、これは生活水準や知的レベルの違いに依存すると考えてしまうのですが、現在の韓国と日本人では生活水準が多少違うとはいえ、男女で大きな違いがあるとは言えないように思うのですが。
未だ、いろいろ書くことがありそうですが、明日を期限とするというお話なのに、本日書き始めまして、この辺までしか書けないものですから、ここでキーを置かせて戴くことにします。
この読後感を書かれた方は、褒め殺しの超名人。今回は褒める対象が発見できなかったのか、読後感が待てど暮らせど舞いこまなかったので9/1までに送信されたい、と催促をしました!
貴兄が益々冴えを保ち、且つ精力的で衰えない記憶力で旅行記を記述して居られるのに対し、私の方は冴えをなくし、中味の薄い感想文しか書けなくなっていることに気付きました。しかし、このままお送りしないのも約束違反のような気もしまして、敢えて送らせて戴くことにします。
O トヨタ後輩・工・何時も褒め殺しの読後感を書いていただける方
先日、長野安曇野の穂高山麓でゴルフをしてきました。赤トンボが飛び交い、コスモスが咲き誇り、空は高く澄みわたり、山は秋たけなわです。
ロシアの追憶・台風と送信いただき有難うございました。いつもながら周到な事前準備による情報収集と、それによる見学のポイントとその分析、旺盛な探究心、ガイドとのやり取り等興味深く拝読いたしました。現在のロシアの一部を垣間見た気持です。
台風の想像を絶する膨大なエネルギーにただただ驚愕。台風18号が上陸し地震の頻発する日本で、そのエネルギーを現在の風力発電とか地熱発電の規模でなくもっと大掛かりに、取り込み利用できるようになればわが国も、資源大国、資源輸出国になるのでしょうけども!!!
ロシアの追憶26〜27P韓国のスープは 参鶏湯(サムゲタン)だと思われます。ひな鶏のお腹にもち米、朝鮮人参、なつめ、栗等を詰め長時間煮つめた夏バテ防止に食べる滋養強壮食品です。韓国では殆どのスープ類は塩,胡椒、唐辛子味噌、キムチ等で自分流に味付けして食するようです。
来年、私が出生し5歳まで育ち且つ親父の病没の地、旧満州国奉天省瀋陽県蘇家屯街穂高町に兄弟で訪ねるべく計画しています。どんな方法でいくのでしようね。
以上、ロシアの追憶・台風 送信の御礼まで 2003..9.12.
P 高校同期・リタイア後に韓国語の勉強を始めた韓国通
ロシア旅行記拝読させて頂きました。旅行先の事前調査はもとより、帰国後も調べるなど真摯な態度には頭の下がる思いです。
ロシアのホテル事情、インフラの整備状況などから判断して、ロシアにはあまり行く気が起きません。但し、エルミタージュ美術館だけは、是非行って見たいので、北欧三国とサンクト・ペテルブルグを巡るツアーを探すことにしました。
これからも、外国旅行に関する情報をいろいろ教えてください。テニス、ゴルフも含め、今後ともよろしくお願いします。
Q トヨタ後輩・経・ゴルフ&テニス仲間・リタイア後に中国語をマスターした中国通
|