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随想
           
特許裁判(平成16年4月1日脱稿)
   
       先般(平成16年1月30日)、元日亜化学工業の中村氏が発明した青色ダイオードの製法特許に関する報酬として、会社に200億円の支払いを発明者にせよとの判決が下りた。

       その直後から、日本中の関係者や識者に加えて、マスコミの俄素人評論家まで百家争鳴。門外漢の私までもが、知人・友人から判決に対する評価を問われるに至った。

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はじめに


   判決後、雨後の竹の子も顔負けするほどの意見・評論を新聞は勿論、今をときめくインターネットの各種ホームページでも濫読したが、これと言って『卓見』と感じたものは無かった。俄作りの思いつき発言は、大衆には受けても、歴史に残るほどのものがないのは世の常。屋上屋を架すだけのことだが、枯れ木も山の賑わいと心得て、我が愚見も此処に発表し、賢人各位との議論の出発点としたいと思います。

   賢人各位からご意見を賜ることを楽しみにしつつ・・・。
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特許の評価法

   民間会社の社員が発明した特許の絶対価値を評価する方法は、色いろと考えられているが、大きくは2種類に分けられる。   

   第1の例は、他社がその特許を購入した場合である。その場合の特許料は殆どが利益になる。その代表例を[3]に紹介した。その延長に他社の特許を侵害した場合がある。日本企業が米国企業から多額の請求を受けた例は多い。半導体の基本特許(テキサス・インスツルメント社のキルビー氏が発明した特許)、自動焦点カメラ(米国ハネウェル社の特許)などなど。支払額が数百億円になったものもある。

   第2の例は自社製品に採用された場合である。この場合は発明者の取り分は、大変小さくなるのが通例である。その話題を[4]に紹介した。その場合、特許の報奨金は、その特許により会社が得たと推定される利益額に比べて、著しく小さくなるのが当然と判断している。それは何故か?我が論理は以下の通りである。

   そもそも、会社の従業員は社長であれ、一般従業員であれ、与えられた職務を誠実に遂行することと引き換えに応分の給料を得ている。その成果は給料と引き換えに会社に帰属している。特許による独占利益であれ、製造現場の創意工夫に基づく原価低減であれ、設計者の工夫による材料転換の採用に基づく原価低減であれ、社長が陣頭指揮をして獲得した大型商談であれ、本質的には同じである。

   会社の利益の源泉は特許とは限らない。100年の歴史を持つ自動車製造業の場合は、特許の貢献度は技術革新の最盛期にある新興ハイテク産業に比べれば比較的小さい。ロータリー・エンジンの開発ではマツダは儲かるどころか、大赤字に至った。車の売れ行きに関しては技術分野よりも、むしろ外形デザインの影響力の方が格段に大きい。しかし、デザイナーにデザイン料金を支払うことはない。

   更には日産や三菱自動車の事例が示すように経営者の能力も功罪共に大変大きい。特許発明者だけに特別の報奨金を支払う論理的理由は全くない。その代わり、研究開発に失敗しても、研究費の一部を当事者に請求する習慣もない。

   特許による利益を最大限獲得したいのであれば、中世の錬金技術者(歴史的には全員失敗したが、科学の進歩には大いに役立った)のように、自らリスクを負い、発明し、事業を起こして製品化して売り出すか、他社に特許を使わせて、特許料を獲得するのが筋である。
   
   以上の自明の理由から、日米共に特許発明者に対する報奨金は大変小さい。日本企業が支払った米国企業への特許料は発明者に対するものではなく、特許の保有者である会社に対してである。それだけに保有会社は日本企業が特許違反をした直後に提訴する事はせず、十分に製品が売れた後、突如として特許侵害を持ち出してきている。収穫を最大にするためである。担当者は特許侵害の訴えが無いことで、愚かにも安心していたのだ!
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購入特許の例

@ 外国に売れた、日本で最初の特許

   我が小学校時代(昭和20年代)の国語の教科書に、豊田佐吉の苦闘の人生が紹介されていた。その佐吉の自動織機に関する特許が、産業革命を起こした英国にあっても、名門と称されたプラット社に100万円で売れた。貨幣価値の換算が難しいが現在の価値では、10〜20億円であろうか?

   この特許料は佐吉から長男の喜一郎に、国産自動車の開発資金として与えられた。トヨタ自動車の出発点である。

Aナイロンの特許

   敗戦後、当時の東洋レーヨン(現在の東レ)は資本金7.5億円の時に、世界最大の化学工業会社、デュポンからナイロンの製法特許を何と300万ドル(当時のレートでは1ドル=360円)、約11億円で購入した。これも現在価値は幾らになるか見当もつかないが、金や原油の価格上昇を考慮すると、我が独断では100億円位かと思う。

B 電気コタツの特許

   我が祖国で古来愛用されてきた、世界的に見れば珍しい暖房手段としてコタツと火鉢がある。熱伝達には、伝導・対流・放射(輻射)の3種類がある事は中学生でも知っている物理学の初歩知識である。にも拘らず、誰もがやぐらコタツの裏側下面に熱源を置き、赤外線を放射させて下部を暖めるとの発想には至らなかった。

   このことに気付いたのは家庭電器(または電気、電機)メーカーではなく、真偽は未確認だが、何処かのおばさんと聞いたことがある。関係者にとっては正に青天の霹靂。びっくり仰天し、発明者に多額の特許料を払って一挙に製品化。昭和30年前後に起きたいわば事件である。寒がり屋の私は今でも7月中旬〜9月中旬以外は、電気コタツを愛用し続けながら、無名のおばさんに感謝している。

   当時の東京芝浦電気(現在の東芝)は、コタツのやぐらには朴(ほう)の木が軽くて、強度があり、狂いも少ないと評価し、何と全国の材料を買い占めるほどの事件を起こした。出遅れた松下電器産業はコタツの足が直立に付けられるのは使い難いと判断し、足を斜めに取り付ける工夫をした上に、赤外線に加えて、暖かく感じるオレンジ色の可視光線も発生させる熱源を取り付けた。

   日立製作所の自称誇り高きエンジニア達は、赤外線を含まない可視光線を付け加えるのは、物理工学的には無駄な上に邪道だと言外に松下電器の製品をこき下ろした。私はコタツの中が明るいと何かと便利だったので松下製品を買った。日立製作所には売れる商品を作るとの発想が乏しかった。

   しかし、大手3社他各メーカーのエンジニア達がどんなに知恵を絞っても、やぐらの下面に熱源を取り付けるとの基本特許から逃げる事はできなかった。

   当時の特許料が幾らになったかは知らないが、おおよその見当はつく。全国で3000万台のコタツが売れ、平均単価が5000円、特許料を製品価格の1%と低めに仮定しても、15億円になる。現在の物価水準に置き換えると・・・。 

   蛇足。昭和33年前後、週刊朝日には大宅壮一の『日本の大企業』取材シリーズが連載されていた。昭和33年8月中旬、お盆に30円で買った週刊朝日に『東京芝浦電気』が紹介されていた。その中で喝破された、日立・野武士、東芝・旗本、三菱・殿様、松下・商人、ソニー・モルモット論は今尚、我が記憶に新しい。

   尤も、その後、東芝はモルモット扱いにしていたソニーに完敗し、日立はこれと言って世界に誇れる製品(商品)は未だに開発できず、鳴かず飛ばず・・・。全国から秀才を掻き集め、更には数え切れないほどの特許を保有している大手電機会社の従業員が、いつも低賃金で喘いでいるのは何でだろうか?
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社内活用特許の例
 
  25年くらい前の記憶である。私が所属部の特許管理者を兼務していた頃、所属部のある優秀な技術員(本人は旧帝大卒・長男は東大合格)から相談を受けた。

   『自分の特許により、ある部品の原価が下がった。生産個数がわかっているので、原価低減の総額はこれこれとなる。それにしては、特許の報奨金が安すぎるとは思いませんか?』

   私はこれに類する不満もしくは自慢は耳にタコが出来るほど聞いていた。特許部の見解を確認することも無く、即座に私見を述べた。私の見解の方が妥当と確信していたからだ。

   『貴方が日産やマツダクラスの中堅自動車会社に勤務していたのなら、貴方の論理で計算される貢献度は各社の生産台数に当然の事ながら連動して、小さくなりますね。その差は企業力ですね。貴方の貢献ではありませんね。

   車が売れるためには、車に必要なあらゆる構成部品の加工、車両の組み立て、完成車の販売にかかわるセールスマンなど無数の人の努力が必要になりますね。それだけではない。工場の建設費を初めとした膨大な資本費も投入されている。それらの準備や支援が無ければ、貴方の特許から当社は一銭の利益もあげられませんね。つまり、貴方の特許で得られた利益は、無数の関係者や出資者にも分配されるべきものですね。そうすれば貴方の取り分は、今ですら多すぎるかもしれませんね』

   元々優秀な氏は、即座に我が説に納得した。
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青色ダイオードの場合

   中村氏は会社に冷遇され、研究環境に関する充分な支援がなかったにも拘らず、世界的な発明をされた事は、衆目も認め、素晴らしい業績である事は決して否定されることはない。しかし、企業の従業員と言う立場に変わりはない。報奨金が僅かなのは理の当然である。特に日亜化学工業のような小さな会社であればなお更である。

   かつて、日本の超大企業であった日本製鉄は溶鉱炉の操業に卓越した技能を有した定年退職後の作業員を『宿老』(小学生時代のうろ覚え。漢字を間違えているかもしれない)と称して、課長待遇を生涯に渡って与えていたそうだが、大企業の余裕の象徴でもあった。しかし、今やこの種の話は絶えてなくなった。ましていわんや、日亜化学工業に於いておや。   

   報奨金に不満があって、会社を依願退職されるのは本人の自由であり、第三者がとやかく言う問題では全くない。しかし、日本で一流を自負する企業はこの種の不満分子はトラブルメーカーになることを警戒して、幾ら優秀でも滅多と中途採用する事はしない。その点、アメリカは大学であれ、民間会社であれ、気楽に採用する代わりに、実績を上げられなければ、辞職させるのも平気である。中村氏のご成功を期待したい・・・。
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今回の判決の意義

  古来、シェクスピアの『ヴェニスの商人』に限らず、裁判にかかわる話題には事欠かない。我が国でも名裁判として有名な、三方一両損の大岡捌きもある。昭和33年、冤罪裁判としての『菅生事件』では『疑わしきは罰せず』との名言を残した。受験勉強から解放された大学一年の春だった。

   新聞各紙を掻き集め、受講中だった『法学概論』と比較し、読み比べながら論理を追った。そのときに、判決文は証拠に基づき論理的な結論を誘導するという手順に於いて、自然科学の論文の書き方と、瓜二つであることも知り、密かに驚いたものだ。

   今回の判決には、特許の報奨金のあり方に関する話題こそ世間に提供したものの、それ以外には特別の価値を感じるどころか、些か不快感すら感じた。

   裁判の迅速化のためにも源流管理こそは重要である。その意味に於いても地方裁判所こそは熟慮した名判決を出し、控訴されても判決が覆されないような論理で固めて欲しいと願わずにおれないが、報奨金の計算論拠たるや無きに等しい、乱暴な二分法である。日産のゴーンの報酬は毎年2500億円が相当であると言っているようなものだ。

   所詮、控訴されることを想定し、判官贔屓(ほうがんびいき)を匂わし、世間に話題を提供しようとする卑しい魂胆に過ぎない。敗戦直後、法を守り闇米を買わずに餓死された山口判事とは月とスッポン!

   最高裁に辿り付くまでに、裁判での議論だけではなく、民間やマスコミから溢れ出てくる無数の見解をも熟慮しながら、上級裁判所の裁判官が着地点を考えてくれる筈だから、日亜化学工業に特別な損害は発生しない筈、との打算も見え見えである。何とも情けない。

   日本の製造業の場合、いわゆる研究開発費の売上額に対する比率は、付加価値率が高い製薬業界などの特殊例を除けば、概ね3〜5%。これだけの支出を永久に負担できなければ、業界内の敗者になりかねないからだ。

   自動車製造業の場合、海外子会社から取り立てる、特許を含めた総てのノウハウ料金である、いわゆる『ロイヤリティ』は通常売上額の数パーセント以内である。所詮、研究開発費の回収に過ぎない。並の特許だけではなかなか利益には結びつかないのだ。

   今回の最終結果は幾らになるのであろうか?当特許による会社の利益が1200億円という推定が正しいものとした場合ですら、日本の従来からの事例を基礎にするならばその1%。科学立国を目指すべき無資源国の日本人技術者を鼓舞する目的を入れても2%。今回の判決額(200億円)の1/10前後にすべきであると、愚者私は判断すると共に、予想していますが、賢人各位のご見解はいかが?   
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おわりに

   おりしも、本日(平成16年4月1日)から各国立大学は独立法人に変わり、主力大学には『法科大学院』が開設された。かつては年間600人前後の合格者を出していた司法試験も徐々に枠を広げて倍増してきたが、更に今後は又倍増される予定だ。

   司法関係者の人数が増加すれば、裁判関係者ももっとじっくりと考える時間が確保されるはず。それに相応しい、海外からも注目され、グローバルスタンダードになり得るような名判決をこそ期待したい。
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