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旅行記
           

温泉旅行平成24年
その3・
土肥温泉・第2東名

(平成24年8月31日脱稿)

   待望久しい第2東名(三ケ日〜御殿場、162Km)が平成24年4月14日部分開通した。現在の東名よりも山側に造られたので、津波の恐れも無い。現東名で連日のように発生していた渋滞も解消しそうだ。一度は第2東名を体験したかった。偶々トクーで伊豆半島の西海岸にある『土肥(とい)マリンホテル海音亭』を発見。これ幸いと考えクーポンを購入。仲間の都合から5月28日を選択。

   土肥温泉は2年前の平成22年6月24日の『土肥ホテル山海亭』に次ぎ2回目。早朝の海釣りが仲間には大変好評だった。今回も幹事が海釣りを企画。久しぶりに昔の温泉仲間・トヨタの大先輩である81歳・77歳、現ゴルフ仲間も参加された。

   前回の体験も活かし、行きは第2東名、帰途は現東名。SAや市場の比較もしたかった。前回は焼津の市場に出掛けたが、今回は沼津の魚市場に立ち寄った。日本に限らず世界各国どこでも、今なお対面販売が主力の市場ほどその国の生活文化が濃縮されている現場は無く、これ以上に面白い闘いの場所は私には無い。

   入るを図る道が閉鎖されている『細々と生きている年金生活者』の余生は、出るを制してエンゲル係数を如何にして下げるかに明け暮れる。市場に加えてその戦場は、遂にインターネットにまで拡大。本日(8/12)は『価格.com』で発見したロシア産の鮭を原料にしたスモーク・サーモン5Kgを宅配便で入手して超満足。お盆の酒の摘みだ。


  
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はじめに
   
   今回の旅行の大きな楽しみは温泉よりも第2東名の評価にあった。橋梁が沢山あったにも拘らず、その存在を殆ど意識しなかった。道幅も広く最小回転半径(300m⇒3,000m)も大きくなり運転しやすく工夫されていた(私は運転せず車内ではビールを飲んでいただけだったが・・・)。
   
   SAの評価もしたかった。今や高速道路のSAはトイレの提供場所からミニ・ショッピングセンターへと変貌しつつあった。浜名湖近くのSAに立ち寄った。部分開通から1ヶ月半も経っているのに大駐車場は満車。辿り着くまでのランプウエイも渋滞。大型ショッピングセンターの開店日のような混雑には驚き!

   5/6からの断酒を旅行時だけは解禁にした。約3週間ぶりの飲酒は、大瓶一本を飲み干せなかった青春時代に戻ったような快適な酔い心地を味わえた。でも、缶ビールをたった1個飲んだだけなのに車から降りた途端、よろよろと体がふらついた。
   
   断酒が肝腎機能(初めが肝心などと使われる正調日本語としては、肝腎ではなく肝心と書くらしい。でも私は、がんにも罹らず24時間フル稼働している最強の臓器である心臓よりも、腎臓のほうが飲酒の打撃を受けやすいと独断し肝腎と書くことにした)の復活に効果があったと、6月初めの2回もの血液検査だけではなく、体調の変化からも確信していた。
   
   人体の構成材料の更新には時間が掛かる。最短部材は3ヶ月足らずで更新される血液、最長は2〜3年も掛かる骨。脳味噌と神経を除く部材はその中間か? 完全に体調が回復するまでは断酒を節酒に変更した後も暫くは掛かりそうだ。
   
   SAは本格的な食堂やオープンカフェのような簡易レストランと土産物売場だけではなく、今や道の駅で人気沸騰中の産直市場も導入されていた。満員電車並みの混雑には驚いた。数箇所のレジはいずれも長蛇の列。提供されている商品を因数分解すると、殆どは食品関係だ。衣類・家電や家庭用品は当然のことながら殆どない。事前の市場調査の徹底振りが分かる。帰途には現東名のSAの現状を観察するのが一層の楽しみになった。

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土肥温泉



   今回の旅行には7年前の愛知万博(2005年日本国際博覧会)までは、一緒に温泉旅行に出掛けていたトヨタ先輩にも声をかけたら6人になった。仲間の車の都合(法定定員は7人だが窮屈すぎる)で同行者は6人を上限にしている。大先輩の一人は81歳。超元気な爺さん。当面の生存目標は5年後の86歳とか。今回の土肥温泉の目玉は海釣り。この日に備えて釣り好きの仲間が、仲間用の釣り道具一式まで準備。

   私はこの冬の寒波を避けた籠城生活での飲酒三昧により、愚かにも体調を崩しただけではなく、去る4/10〜4/19のモロッコ旅行の疲れも完全には取れないまま。万一に備えてライフジャケットも幹事が手配してくれていたが、早朝の海釣りでの波止場(コバルト堤防)からの転落死を恐れて敬遠。
   
   一人のんびりと朝風呂に浸かり、ビールを満喫。仲間は豊漁でのご帰還。大きな釣り用のクーラーボックス(断熱容器)に入れてお土産に持ち帰った。殆どは小さな鯛。でも、一人当たり100匹以上もの豊漁。ご家族には大好評だったとか。羨ましかったがセックス同様、体力が無ければ釣りすらも楽しむことはできない無念さ。

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魚釣り

   釣りに出掛けた仲間の報告は我が想定外。波止場の足元が真っ黒になるほど魚が押し寄せてきた。魚の殺到振りは養殖場での餌撒きと同じだったそうだ。正しく入れ食い状態。

   幹事以外の参加者は子供時代の釣りから起算すると、半世紀以上も経過しての体験だったそうだ。釣り道具の進歩にも驚いていた。



   81歳の超元気なお爺さん。ゴルフ名人。私が何度挑戦してもドライバーの飛距離で負け、パターの正確さでも負け、なかなか勝てない。前立腺がんの放射線照射治療を愛知県がんセンターで受け、引き続き女性ホルモン投入治療を1年間。一時は人相が女性化していたが、やっと元のイケメン爺さんに戻られた。



   喜寿も過ぎた愛妻家兼恐妻家・囲碁名人・ゴルフでもテニスでも準備体操はラジオ体操。伴奏音楽なしでも間違えない几帳面さ。何よりもフォームが綺麗。最新のIT機器を常に購入しては挑戦される若々しさには驚愕。奥様は超才媛⇒予期せぬ苦労⇒維持費(化粧品や衣類)が掛かる。舌戦には負ける!!



   喜寿も過ぎたゴルフ名人。毎年100ラウンド以上もプレイされていたのに、流石の元気爺さんも忍び寄る加齢には勝てないらしく、昨年からは回数を少し落とされた。クラブ競技に参加しても入賞が難しくなると、面白くないらしい。空き巣狙いの多発地帯にお住まいの影響か、夜間の防犯活動には地域の老人仲間と共に超熱心。



以下は本人自筆の自己紹介。   

学生時代に柔道では、講道館大学全国大会の東海代表で参加。スポーツは他に、相撲・陸上中距離・テニス・スキー・スケート・野球・卓球・水泳など。テニスでは筋力を遺憾なく発揮。

五木ひろしのカラオケ名人。芸名は『藤ゆたか』。愛車クラウンには特注の音響設備装備。家ではオーデイオルーム(外への音防止)を作り、ステレオ機器を備え、歌&サキソホーン・エレクトローンなど練習。

豊田市文化会館・みよし市サンアート・東郷文化会館などのカラオケ発表会で年間20回程、歌とサキソホーンで出演。プロと同じ白のスーツの舞台衣装も調達。音大卒でジャズのライブをやっている息子より若い人に、アルトサキソホーンの個人レッスンを約8年間受けている。セミプロ並み。

釣りも趣味。釣りの生産性は、歳は取っても初心者同然の大先輩達とは格段の差。一度に5匹! 写真やビデオ撮影も趣味。



   加齢現象には立ち向かえず、元気な翁達も遂にはお疲れのご様子。



   朝食会場。畳の間であってもテーブルと椅子形式が増えてきた。膝の痛みで座れなくなった老人宿泊客対策だ。



   朝食後、天城グリーンガーデンを散策した。石楠花(しゃくなげ)の多くは最盛期を過ぎていたが、種類も多く最盛期の花も散見された。巨木の中の散歩では心が癒された。

   天城グリーンガーデンでは、毎年4月上旬から6月上旬にかけて約500種13,000本のシャクナゲが開花します。4月中旬〜5月にかけては「石楠花祭り」がにぎやかに行われます。天城の自然の中で、野鳥のさえずりを聞きながらリフレッシュしてください。数々の山野草も見られます。 ※2003年4月1日より無料開放となりました。



   元気な仲間3人は坂道を更に上へと登ったが、思うように足が動かなくなっていた私は『桐一葉、落ちて天下の秋を知る』を真似て痩せ我慢。満開の石楠花1本で満足して引き返した。



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帰途

@  焼津魚センター(71店舗・8,028平米、食堂1,050席)

   伊東温泉旅行(平成24年1月30日)の帰り道では沼津魚センターに立ち寄ったが、干物センターと名前を変えて欲しいほどの干物の洪水。私は骨の多い干物よりも取れたての鮮度第一主義。焼津はマグロの水揚げ量は日本一らしい。

   まずは腹ごしらえの昼食。市場内のマグロ尽くしの寿司屋へと直行。1皿2貫(105円)の回転寿司とは一味違う、新鮮で且つ大きなネタに超満足。

   広大な市場で同業者が価格競争をしている世界は、デパ地下とは似て非なる別世界。デパ地下では値切れないが、ここでは徹底した自由競争。私は脂肪過多の大トロよりも中トロが好き。数軒覗いては価格交渉。底値が幾らになるのか見当が付いた所でお気に入りの店に直行。

   マグロは家庭用の冷蔵庫で冷凍(急速冷凍が出来ない!)すると、イカとは異なり極端に食味が落ちる。已む無く2Kgで我慢。序に荊妻から頼まれていた『シラス干し』と『桜海老』も購入。タカアシガニも買いたかったが発見できず残念。

A  東名の浜名湖SA

   浜名湖SAはかつて東名一の売り上げ(年商50億円)を誇っていた。でも、今後浜名湖SAがどうなるのか心配だった。第2東名のSAとの競争に耐えられるのか、現状を見学したかった。

   何という悲惨さ! 客は殆どいない。浜名湖を見下ろす最適な場所に建つレストランの浜名湖側の出入り口は閉鎖。駐車場側にある玄関のみ開けて細々と営業。主力となっていた土産物売場も人影は疎ら。店長らしき人物は茫然自失の状態で店内を巡回していた。

   交通量は東名と第2東名とにほぼ二分されていたが、東名は通過交通が主力の大動脈に戻り、観光客は第2東名に集中していたのだ。この現象は事前に新聞やテレビでの報道で知ってはいたが、これほどの惨状とは予想すらもできなかった。

   トラックが中心の物流業界のドライバーと観光客とでは、SAの活用方法は明らかに異なる。前者の目的はトイレ・燃料補給・ワンコイン前後の簡単な食事。立ち寄るたびに観光土産を買うはずが無い。

   リピーターになった観光客は景観に乏しい第2東名に飽きるのも早いと推定している。現東名に戻るのも時間の問題。かくして徐々に双方の客数が接近しても、交通量の絶対値が増加しない限り、現東名のSAの客は半減した状態で落ち着くのだろうか?

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おわりに

   栄枯盛衰は世の常とはいうものの、吉田兼好のように『折節の移り変わることこそ、物事にあわれなれ』と、気楽な言葉を吐きながら生きていくことは出来ない。庶民は、イソップ物語の『アリとセミ(キリギリスに非ず)』の蟻のように、この地上を這いまわりながら働かざるを得ないのだ。

蛇足

元は『アリとセミ』だった。セミは熱帯・亜熱帯に生息し、ギリシアなど地中海沿岸にも生息していて、古代ギリシアでは文学でも取り扱われている。

しかし、ヨーロッパ北部ではあまりなじみが無い昆虫のため、ギリシアからアルプス以北に伝えられる翻訳過程で改編された。日本に伝わった寓話はアルプス以北からのものであるため、日本では『アリとキリギリス』というタイトルで広まっている。

   私には現東名のSAの行く末が気になっただけではない。日本を代表するような有名温泉地帯に林立していた観光ホテルが、放漫経営をしていたわけでもないのに幾つも倒産し、廃墟となっている現状を目撃するにつけ、余命幾ばくも無く死ぬ準備に突進しているのに、日本の将来が心配でならない。

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読後感

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