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随想
           
燃料電池車(平成14年1月31日脱稿)
  
    『さようならエンジン燃料電池こんにちは』の読後感
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はじめに

      テニス仲間から受信したメールに記載されていたアドレスの方々に、昨年来メールの発信を続けていたら、その中の一人(未だお会いしたこともない方)から、同氏の著書の紹介を受けた。

      早速、豊田市図書館から同書を借りて読み、氏から求められていた読後感を以下のように纏めた。
  
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私にとっての読書とは

社会人になった頃からの私にとって、読書とは著者との知的闘い、若しくは知的交流と考えるようになった。良書に巡り合えると、優れた人物との出会いに似た喜びを感じるからである。

読書をしている間は、貴重な人生の時間の一部を著者との交流に使っていることになる。逆にミリオンセラーの著書ともなれば、読者が使った時間の合計は、優に一人の人生をも上回るほどになる。それ故に、中身のないミリオンセラー書の執筆は、人殺し以上の犯罪に思えてならない。

私には、その書物と付き合うか否かを判断するために、前書き・目次・後書きを、読むのが永年の習慣になっている。前書きには著者がその書を書くに至った動機や苦労が、目次には内容を表わすキーワードが、後書きには本文で述べたかったことに関する、違った視点からの要旨と、本文を読んでくれた読者への感謝の気持ちが、何らかの形で書かれているのが普通だからだ。

前書きや後書きは書物の飾りでは決してない。それどころか、本文を超えるほどの価値が書き込められていると、私には感じられる。そこには著者から読者へ託された簡潔で大切なメッセージが迸っているからだ。それ故に、それらは本文と三位一体となって、読者に語り掛けている書物の重要な構成要素だ。

私は短い旅行記を今までに26編、概算延べ百万字くらい書いたが、何時も最も努力を払っていたのは、『全体の要旨・はじめに・おわりに』の部分だ。この3点は、書物の場合と同様、本文全体以上の価値があると信じているからだ。

   本書の後書きと本文との関係は大変希薄になっている。本文で読み取ったと私が感じた内容と、後書きに書かれた著者からのメッセージとが一致したとき、私はその本を読んで本当に良かったと、密かに著者に感謝する癖が付いている。
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書名

書名は書物の単なる識別符号ではない。中身を的確に著わす工夫が凝縮されていればいるほど、著者の気品や風格も感じられて、私は大好きだ。

昭和30年代の半ば、私の大学生時代に『銀行よさようなら、証券よ今日は』とのスローガンが、証券業界から唱えられ、銀行業界から大反発を食らった事件があった。それ見たことかと言わぬばかりに、程なく第一次投資信託ブームも終焉に向かい、山一證券が倒産した。私も何時かは証券市場でお小遣いを稼ぎたいと思いつつ、株式市場の推移に人一倍の関心を持ち続けていた。

爾来、日経・週間ダイヤモンド・週間東洋経済などの愛読者だ。退職後、なけなしの退職金を元手に、東海東京証券豊田支店に出掛けては、毎朝約1時間、博打稼業を楽しんでいる。積年の夢が実現したのだ。そんな体験もあって、私にとって前記のスローガンは、未だに忘れなれないほどの強烈な印象と共に脳裏に刻み込まれている。

本書の書名は、当時顰蹙を買った証券業界のキャッチフレーズの真似を連想させ、品位を自ら落としている。

古来、換骨奪胎し損ねた二番煎じのタイトルにはがっかりすることが多い。かつて、フランス軍に占領されていたベルリンで、ドイツの大哲学者フィヒテによる『ドイツ国民に告ぐ』との、歴史的な連続大講演があった。敗戦後の日本では『君らこそ日本を』と言う本が出版された。私は中学生の時にこの本を読んで、白けてしまった記憶がある。フィヒテの猿真似を演じても、私の琴線に触れるような共感は生まれなかったからだ。
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技術解説のスタンス

私の体験では技術解説は技術論文を書くよりも難しい。対象としている技術分野の、世界と日本の現状を細部に至るまで把握し、各技術をバランスよく取捨選択し、極力客観的に長短を評価し、読者をして納得できるように、今日までの成果と今後の課題を洞察して纏めることは、狭い分野に限定され、しかも自己体験が中心となる論文執筆に比べ、格段の努力が必要になるからである。この種の仕事は、功なり名を遂げた斯学の権威にこそ相応しいと感じている。

かつて、昭和47年1月号の日本精機学会誌(精密機械)に『乗用車のスタイル・デザインからプレス型彫りまでのソフト・ウェア』を実名で、昭和51年7月号の日本機械学会誌に『自動車工業におけるCAD/CAMの例』を所属長のゴーストライターとして執筆させられた。また、日本塑性加工学会他あちこちで、似たようなテーマで講演させられたことが、何度かあった。

たまたま、CAD/CAMの技術分野の歴史は浅く、その道の権威が国内には少なかったことに加え、学会誌の編集委員がトヨタ自動車に於ける当分野の開発状況を知りたかったためか、当社に執筆依頼が舞い込み、私にそのお鉢が回って来たからに過ぎないが。

『エンジンと燃料電池技術に関する、性能・操作性・信頼性・コスト・問題点・今後の課題などが、読者に鳥瞰できるように纏められていたか』との視点で、本書を評価すると、若干の不満が残る。

ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの燃費比較には詳しいが、後者の最大の欠点である振動・騒音の大きさには全く触れていない。私にはディーゼルエンジン付き乗用車を使う気は全く起きず、もっぱら静かさと操作性第一主義で、燃費などは全く気にせずに、プログレ(通称、ミニセルシオ)を愛用している。

我が体験では、プログレは欧州で何度か乗ったロールスロイスやベンツよりも静かだ。燃料電池車の静かさは大きな長所と私は評価しているが、著者には排出ガスによる地球環境悪化への関心は強いが、車内環境の改善には関心がないようだ。

燃料電池の性能の経時変化についても全く触れていない。白熱電灯はフィラメントが切れる直前まで、その明るさは大して変わらない。ガソリンエンジンも性能劣化速度は小さい。一方、蛍光灯の場合、寿命は長いが、明るさはどんどん低下する。私は寿命前でも暗くなれば、惜しげもなく蛍光灯を取り替えている。燃料電池も蓄電池のように初期の性能が使用中にどんどん低下するのではないかとの疑問が、私には払拭できない。単なる総寿命の比較は余り意味を持たないと思っているからだ。

燃料電池車が普及するためには、高電圧作動の軽量高出力モーター、高効率周波数変換装置、高性能蓄電池など、周辺装置の技術開発も不可避だが、何故か本書には触れられていない。本書を書くからには、電気関係に関する一層の情報収集とその評価努力は不可避と思えるのに、著者には何故かそれらへの関心はないようだ。

本書に紹介されている技術で私が知らなかったものは、エマルジョン燃料の燃焼プロセスに関する仮説だけだった。208ページに書かれている化学反応式は大変独創的だ。氏の発案か否かは不明だが、未だ仮説段階のようだ。きちんと実証されれば、優に学位論文に値する。
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望まれる多面的な技術評価

著者はガソリンエンジンと燃料電池とを燃費とコストで比較しているが、操作性も大変重要だ。

我がプログレは瞬時に始動し、豊田市の厳寒下(−5℃)でも暖機運転なしで即、運転できる。燃料電池車に同じ始動性能を求めると、巨大な蓄電池が必要になる。そうした負の面の解説は何故か省かれている。


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歴史的考察

188ページには、『蒸気機関車がディーゼル機関車、電気機関車に取って変わられたと同じように、エンジンも燃料電池に取って代わらざるを得ない』と書かれているが、私には何故その結論に自動的に到達するのかに疑問が残る。そうならば燃料電池機関車がディーゼル機関車に、取って代わることがあっても良い筈なのに、世間では話題にすらもなっていない。

蒸気機関車の熱効率は5−7%。常温からの始動時間は通常6時間以上。従って運休時間帯でも火を炊き続けている。しかも、機関士は灼熱と煤煙と騒音に囲まれた最悪の労働環境を強いられる。それらの全てにディーゼル車は優る。電気機関車はディーゼルに比べ静かで制御性にも優れている。にも拘わらずその普及が遅れたのは、莫大な電化工事費が必要になったからだ。今日に至ってやっと、日本から蒸気機関車こそ実質的に姿を消したが、鉄道の全線電化は未だに完成していない。

たとい燃料電池が筆者の予想通りに進歩したとしても、筆者の予言『燎原の火のごとく一気に広がるであろう』とは行かないであろう。電話・自動車・高速道路・新幹線・24時間稼動の国際空港・耐震優良住宅・水道・公共下水道・都市ガスなどの遅々たる普及の歴史の原因は何だったのか!

著者にはそれらの真因を歴史的なスパンで検討した後に、燃料電池の普及速度を検討すると言った考察態度が全く見受けられない。性能・信頼性・コストなど、どれ一つを取ってみても、グローバル・スタンダードになり得ると評価された画期的な技術が、未だに確立していない燃料電池の普及には、気が遠くなるような関係者の努力が残されていると、私には思えるのだが。

一つや二つの要素技術に画期的な進歩があったとしても、システム全体からみれば、部分に過ぎないのだ。全技術要素がシリーズで必要なシステムの場合、たった一つの要素技術が未完成であったとしても、全体の未完成と同じ重みを持っている。人工衛星の打ち上げに失敗し続けた、先進各国の歴史を取り上げるまでもない。

燃料電池が動力源として真に優れたものならば、その性能こそが死命を制する自動車競走・戦車などの軍用車・戦闘機などに真っ先に使われるだけではなく、燃費が重要なタンカー等の大型船舶・巨大発電所・大型旅客機などにもどんどん採用が検討されているはずだ。しかし、今に至るまで、とんと、私の視野にその話題は現れてこない。言うまでもなく、未解決技術が山ほどあるからだ。
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蛇足

揺籃期にある技術も完熟期にあるものも一緒くたにして、収集した資料を同格に並列的に無差別に並べただけの技術解説は、電算機で文献検索をし、それらに含まれるキーワードを使って自動的に編纂された報告書の価値と何ら変わりがない。著者の存在意義はそれらの技術を著者独自の技術史観と知見により評価後、再加工して、読者に分かりやすい情報として提供することにこそある。

著者は54ページで、予想外に早く進む燃費改善の根拠に、ロビンズ博士の、『技術者が本気になりさえすれば、3倍どころか10倍にもでき、しかも達成年度は2004年よりもっと早められる』との発言を引用しているが、何の具体性もない放言を神の言葉のように、無邪気に信じているようだ。
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おわりに

著者はあとがきに『自分の知見をより多くの人々に知ってもらい、よりクリーンなエネルギー変換技術の到来を早めることが、自分の使命ではなかろうかと考えるに至り、本書を出版することを思い立った』と、述べている。

しかし、門外漢である素人の私ですら知っているような陳腐な情報を書き並べたくらいで、企業の命運を懸けて日夜努力しているプロ集団に対して、著者が目指した崇高な目標の実現を早めさせるために、本書が多少なりとも役立った等と、どんな方が評価してくれるのであろうか?
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燃料電池技術に関する我が所見

1. 燃料電池の特徴と限界

世の中には燃料電池が人類のまるで救世主であるかのように高く評価している向きもいるが、私はこれらに代表される全面的な普及論には大変懐疑的である。

燃料電池の本質的な難点はその反応温度にこそある。化学反応の速度は温度に大きく影響される。通常、温度が10℃上がると、他の条件が同じならば、化学反応速度は2倍になる。最適反応温度が高いと、始動時に燃料電池を使用可能温度まで加熱する時間が必要となり、結局のところ蒸気機関車と同じように始動性が落ちることになる。従って、低温でも高速で反応できるような画期的な触媒等の開発が大変重要だ。とは言え、反応温度の低さが逆に利点となり且つ、小電力で済む意外な応用分野も、後述のようにないわけではない。

内燃機関ではガスの燃焼温度が高いが故に反応速度が速く、結果として小さな装置で大出力が得られる。一方、燃料電池が重量当たりの出力で内燃機関に追いつくのは、本質的に難しい。内燃機関と比較する場合は、最低でも燃料電池+電気モーターの合計重量がその比較対象となる。この比較で、内燃機関に勝てる燃料電池は我が知る限り発表されてはいない。その上、水素などの気体を燃料として使う場合には、容器の軽量化と言う大きな課題が残されている。

燃料電池は大型化によるコストダウンが大変困難である。内燃機関は大型化しても部品点数が比例して増加することはない。従って生産台数が同じならば、大型化による原単位のコストダウンが容易である。しかし、燃料電池の大型化には反応装置が比例して大きくなると言う決定的な欠点がある。従って大規模化すればするほど、在来技術との競争力は落ちる。従って、応用分野は小さな電源で済む用途から先ずは探すべきだ。

2. 先ずは携帯用の代替電池

燃料電池の最初の実用的な用途は、小形の乾電池や蓄電池の代替分野である。乾電池も蓄電池も重量当たりの電気容量が、ライバルの燃料電池に比べれば大変小さいからである。

電気が絶対的な強みを発揮できるのは、電子回路の駆動と照明分野である。前者の典型例には携帯電話や携帯パソコンがある。後者には古典的な懐中電灯がある。この分野では、反応温度も振動騒音も低い燃料電池には格好の出番だ。幾ら燃料電池の熱効率が高くとも、反応温度が高ければ、断熱や廃熱処理が大障害となり、これらの携帯分野への活用は難しいと思う。

3. 定置式家庭用発電機

日本の一般家庭の契約電力は高々30−60アンペア、つまり3−6Kwである。そのため、電力会社の送電網が全国の住宅街に蜘蛛の巣のように張り巡らされ、景観を損なうだけではなく、送電ロスも大きく、コスト増の要因にもなっている。

家庭に小形の燃料電池を設置すれば、廃熱は給湯や暖房にも使え一石二鳥となる。しかも燃料に都市ガスを使えば、新たなインフラも不要である。その上にガスは電力と異なり、分配中の損失もない。

蛇足だが、都市景観悪化のもう一つの要因は電話網にある。しかし、こちらは一足早く携帯電話に代表されるように無線化が急速に進んでいる。電話網が撤去されるのは、最早時間の問題となった。電話と家庭向け小電力の配電網が消え去る日を私は、熱望している。 

   車載用では車からの加振対策、スペース対策、燃料容器の軽量化など難問が山積しているが、家庭用では、これらは然したる問題とはならない。

4. 大型ビルやコンビニなどの自家発電

これらの消費電力は、高々50−5000Kwの世界だ。この世界こそ燃料電池の大活躍場所だ。コンビニでは、システムの設置面積は駐車スペース1台分で十分だ。ビルの場合は地下室に燃料電池を収納すれば都市景観にも影響せず、且つ需要側の消費電力の日中変化は小さく、廃熱需要も大きい。つまり、熱電併給が歓迎される用途だ。

しかし、マイクロガスタービンという強力なライバル技術がある。燃料電池時代が真に到来するか否かは、この両技術の決着次第だ。現状では信頼性ではガスタービンが上だ。コスト競争は今正に始まったばかりだ。

5. 車載用

電力の用途の内、意外に苦戦しているのが移動式動力分野である。従来の電力システムは配電網が必須となるため、せいぜい鉄道に使われている位で、自動車などの移動機関では内燃機関に完敗している。いわゆる充電式電気自動車は特殊な用途に使われているだけだ。燃料電池も移動機関で競争力を持つには未だ壁が厚い。

本書で取り上げている車載用の燃料電池の本格的な登板は、上記の3用途で燃料電池が勝利して、信頼性も十分確認された後の事だ。勿論それ以前に試作車に始まり、各自動車会社も先進技術に意欲的な姿勢を世間に見せるためにも、コスト割れ覚悟で製品化を進めるであろうが、本格的な普及には既存車両の寿命が尽きるまでの時間も加算すると、30−40年以上の時間が掛かると、私は予想している。

環境を重んじ、価格を考慮せずに買ってくれる消費者は10%以内の存在に過ぎないからだ。電算機だって、本格的に普及するまでには、実に半世紀も掛かったのだ。かつての3種の神器のような単発技術で且つ,競合製品のない真空地帯への普及で済んだ、単価の低い商品の普及速度とは本質的にパターンが異なるのだ。

6. 最後まで難しい大型用途

10−100万Kwクラスの燃料電池は試作品すら発表されていない。規模のメリットが見つからないからだ。この分野の用途は主として電力会社を除けば、鉄鋼業のように電力を大規模に消費する製造業だ。大型旅客機に仮に搭載できても、所詮はモーターを使うプロペラ機になり、スピードではジェット機に太刀打ちできない。

余談だが、旅客機の開発目標は最終段階に突入している。地球上の最遠隔地間距離の2万Kmに対し、現在既に15000Kmまでは無給油で経済的に飛行できるようになった。最早目標は指呼の間に迫った。実現すれば、現在の超大型ハブ空港は不要となり、任意の都市間をノンストップで旅客機が飛び回るようになる。任意の都市間になると、一度に搭乗する客も少なくなるので、中型旅客機で十分だ。

その代わりに、2万Kmの搭乗時間をせめて半日にして欲しいものだ。そうすれば、夜行便も不要で、正に快適な世界旅行の時代が到来する。これだって最初のジェット機が誕生して、半世紀も掛かるのだ。ボーイングが開発中の音速旅客機が目指しているものが、正に我が理想とするものだ。エアバスの800人乗りスーパー・ジャンボ旅客機は航続距離が短く、事故が起きた場合の惨事は、メーカーや運行会社の命取りともなりかねない。

大型の発電分野では、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた複合システムに加え、ガス火力と原発が三つ巴の戦いを挑んでいるが、徐々に決着が付き始めている。

原発は一次冷却水が使えないため、タービンに供給する二次冷却水の蒸気温度が低くなり、熱効率は30%強。天然ガス等の火力発電の場合は蒸気温度が原発よりも上げられるが、それでも熱効率は40%強止まり。

ガスタービンの熱効率は蒸気タービンよりも低いが、廃熱回収ボイラーで蒸気を発生させて蒸気タービンも回せるので、熱効率は何と50%を突破。しかもガスタービンの耐熱材の開発余地は今なお高く、効率上昇余地を残している。しかも、これらは今尚大型化するほど原単位が下がる傾向にある。当面、燃料電池がのこのこと出てくる余地はない。

7. 蛇足

原発の発電コストが安いと言う電力会社の発表には、私には大いなる疑問がある。電力会社は電力の性格上から需要にぴったり合わせて発電している。需要超過分の電力を貯蔵する実用的な技術がないからだ。フライホィールや蓄電池による対応程度では、かつての竹槍や松根油の類だ。揚水発電のための揚水需要はフル稼働せざるを得ない原発の救世主だ。

需要に対応した発電量が不足すると、電圧降下、最悪の場合は停電にまで至る。発電機から見れば、需要とはブレーキと同じ。しかも悪いことには全発電機は連動した同期運転下にあるため、ブレーキが強すぎると、最悪時には全発電機の回転が止まることになる。かつてのニューヨーク市の大停電事故がその典型例だ。これらの事故を避けるために、電力会社は最大電力需要以上の発電力の常時維持と言う宿命下に置かれている。

かつての最大電力の発生は暖房期に現れたが、現在は冷房期、なかでも高校野球の決勝戦がある昼間だ。野球にはトンと関心のない私は、国民全体のために何故決勝戦をナイターにしないのかと不満たらたら。日本の電力需要に占める家庭の比率が高まるにつれ、季節変動は大きくなるばかりだ。

電力会社は電力の需給状況をリアルタイムにモニターしながら、急激な需要増加には1分以内にフル稼働できる水力(揚水水力を含む)発電で対応し、それでも足りなければ、即応性では劣るが火力発電で対応している。この場合でも、中規模の発電能力で群管理(スイッチのオン・オフが1台ずつ出来るため、総出力の微調整が容易の意)もできるガスタービンの即応性は大変有効だ。

電力会社は、一旦建設すればその後の主な稼動費が核燃料だけで済む原発を、ベース電力源として、昼夜に渡り100%稼動させている。その結果を使って、原発はコストが安いと喧伝している。しかし、どんな設備でもフル稼働させれば、コストが下がるのは当たり前だ。

原発の真のアキレス腱は、需要に応じてリアルタイムに出力を上下させ難い点にあるのではない。もっと本質的な問題点は、放射能で汚染され、寿命尽きた発電所の撤去と、使用済み核燃料の後処理費用が幾らになるのか、未だに不明な点にある。我が株式同様、いわば含み損を抱えた状態にある。これらをきちんと計算すると、原発に当初期待されていた低コストが取らぬ狸の皮算用だった、とがっかりするのが落ちではないか、と言うのが我が推定だ。

著者からは『さようなら原発 水素エネルギーこんにちは』の読後感も求められています。近々長女一家がドイツから一時帰国するなど多忙なため、3月末までには読み終えて読後感を纏め、賢人各位の評価を仰ぐ予定です。
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