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旅行記
           
アジア
マレー半島(平成7年7月11日脱稿)

      不潔な環境の中に貧困と雑踏が渦巻いていると、欧米人に長い間蔑視され続けていた我がアジアにも、いつの間にか緑溢れるガーデン・シティが実現していた。               

   政治家が良きリーダーシップを発揮し、国民もその期待に応えて実現した『シンガポール』と『クアラルンプール』の美しさに身を置くと日本の哀れな実態が思い出されて心底悲しくなって来る。
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はじめに

   アジア各国で自動車部品の国産化を促進するための『技術支援センター』を、設立する価値があるか否か、設立するならばどこの国がベストかを検討するのが出張の目的だった。第1回目は1991−3/10〜3/30に、シンガポール・マレーシア・インドネシア・台湾へ、第2回目は1991−8/25〜9/5にタイへと出かけた。

   以下は第2次世界大戦後、マラヤ連邦として一時は同一国でもあった『シンガポール』と『マレーシア』についての追憶である。
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アジアを超えた国・シンガポール

[1]シンガポール空港

   シンガポール空港には既に何度か立ち寄ったこともあった。しかし今まで、空港の外に出るチャンスは残念ながら全くなかった。空港のビルは直線状の細長い建物で、初めての人にすらも迷子になる心配を全く感じさせない、解り易い親切なレイアウトになっている。                      

   ブルーノックス・ジャパンにその後出向した『伊』さんとは、一部の国だったが一緒に行動した。空港では新婚旅行に出かけた『舛』さん(妻に長い間ピアノを習っていたし、職場も同じだったのでよく知っていた)夫妻とバッタリ出会った。お祝いの声も掛けて2人の初々しい写真を撮ってあげた。

[2]クリーン・シティ

   シンガポールも香港も共に都市国家であるが、その性格には天地ほどの差がある。前者は徹底した管理主義国家、後者は徹底した自由主義国家である。シンガポール空港から市内へ向かう道路には美しく維持管理された並木も映え、紙屑などのゴミ類は植え込みの中にも殆ど落ちていない。
               
   『ゴミを捨てれば罰金を取られる』と言う法律の威力は、国の隅々にまで浸透しているようだ。世界一のクリーンさがキープされているらしい。とは言え、詳細に観察すると所々にゴミが見つからないわけではなかった。『ゴミも落ちている』と言う証拠写真を何枚か撮る努力を逆にしてしまった。

   アジアの都市は何処に行っても独特の匂いが立ち込めている。生ゴミが腐り掛けたようなすえた匂い、表現も困難なドブ川や屋台の匂いの類いである。羊肉とオリーブの匂いが強く漂う、乾燥した国々である中東とは明らかに異質の香りに取り囲まれている。

   永年に渉る政府と国民の努力の成果が実ったのか、シンガポールではどの街角からも懐かしいあのアジアの匂いが消滅していた。大した努力だ。最初は厳罰でスタートしたにしても今や習い性となって、国民は自発的に協力しているようだ。

   その昔、パナマ運河の開鑿工事でアメリカが取り組んだ抜本対策を思い出す。スエズ運河の開発成功で一躍名を挙げたフランスのレセップスですら、パナマ運河の開発には失敗した。風土病で作業員がばたばたと倒れたのだ。後を引き継いだアメリカ政府はマラリヤ退治のために、沼地や熱帯雨林に発生していた蚊を撲滅させる仕事から始めたのであった。

[3]ヒルトン

   郷に入らば郷に従うのか、この世界的に有名なホテル(ヒルトンを名乗ってはいても殆どはチェーン店。ホテルの経営者はホテル運営のノウハウ料と名義料をヒルトン・インターナショナルに支払うシステム)の道路側には、大きな十二支の彫刻が吹き抜けの2階の幅一杯に飾られていた。動物1匹分の大きさが1部屋の窓ほどもあった。これから類推するに恐らくはヒルトン・インターナショナルの直営店ではなく、アジア人であるオーナーの趣味であろう。

[4]都市計画

   淡路島とほぼ同じ位の狭い面積に、大阪市ほどもの大勢の人間がひしめいていながら、緑豊かでしかも大変にゆったりとした印象を受ける町である。政府主導で都市計画を強行したにも拘らず、その成果の素晴らしさには国民も十分に満足しているようだ。未だに土地問題を解決できない日本人の愚かさが情けない。

   貴重な国土は、都市計画によりオフィスや商業サービス地域・住宅・工業・港湾・緑地帯等と、きちんと分けられている。国民の住宅取得資金積み立てを国家が支援する一方、鉄筋コンクリートの高層分譲住宅を政府が建設しており、持ち家率は先進国の水準を既に抜き、80%を越えたそうだ。積み立て金が一定額に達すると低利の融資が受けられ、分譲住宅が買える制度だ。

   借家と雖も統一規格の高層住宅なので、スラムを感じさせるような家は何処にも見掛けなかった。僅か30年間で到達したとは思えない程の素晴らしい成果に驚く。                                 

   高層住宅のトイレは否でも水洗化せざるを得ないので、ある種の香りの元凶ともなるバキューム・カーも街頭で見掛けなくなっている。但し、現状ではかなりの量が生のまま海へと垂れ流されているのではないか?とも思った。飛行機から眺めた海面が汚な過ぎるからだ。

[5]傾斜型産業政策

   工業地域は商業地域とは反対側になる、広大な埋め立て地域に集約されていた。世界的な物流基地としての地の利を活かした、石油精製・石油化学とハイテク機器の組み立て産業にこの国の産業構造は特化しているようだ。     

   国内市場が小さいため民需を中心にした量産型の加工組み立て産業では、人口の多い韓国などの発展途上国に敵わないことも、当然の事ながら十分に考慮しているようだ。自動車工業への進出はスイスのようにあっさりと諦めている。

   政府が提供している工業団地は、インフラが整備されている造成地だけではない。設計を統一した工場建屋付きの工業団地も分譲住宅のように準備されている。
        
   平均的な日本人とは異なり中国系の人には『たとい小さな会社であろうとも、社長になるのが人生の大目標、夢』と言う人が大変多い。『寧ろ鶏口と為るとも、牛後と為る無かれ(史記)』との司馬遷の名言は今尚、彼等の人生観の根底に生きているようだ。この種の事業意欲旺盛な若い起業家に貸与するための賃貸工場建屋だ。

[6]アキレス腱の水資源

   島国であるために食料品の国内調達は最初から諦めているが、水の調達には執念を燃やしている。島の真ん中には緑地帯の原生林がキープされており、ど真ん中を縦断する高速道路からは、溜め池が林間のあちこちに見え隠れしている。山らしきものも無く、従って川といえるほどの流れも無い。投資効率の高い大型ダムは作れず、浅い池で我慢するしかない。                 

   結局、天然の雨水だけでは足りず、不足分は燐国のマレーシアから購入している。もともと両国は同じ国でもあったためか、国は分離しても相互の協力態勢は自然に生まれるようだ。中国に水と食料を依存せざるを得ない香港のような存在か?。それとも『地獄の沙汰も金次第』になるのか?。

   シンガポールとマレーシアとは長さ1200mくらいの道路橋、及びそれに平行して架けられている鉄道橋で繋がっている。さらにそれらと並行して直径1mくらいの導水管が3本敷設されていた。

   マレーシアからは原水が2本の導水管でシンガポールに送られ、シンガポールで浄水処理した後、残りの1本の導水管で半分は返送するのだそうだ。原水の調達費用はマレーシア、浄水化費用はシンガポールの負担になっているのも解り易い。

   浄水化前の水が森の中の溜め池に貯水されていたが、藻が発生して水面は真っ青になっていた。にも拘らずホテルの水には匂い1つなく、飲んでも全く支障がない。アジアで生水が飲める珍しい国だ。

[7]屋台村

   アジアの大都市の歩道を占拠し名物ともなっている屋台群は、駐車場みたいな壁のない鉄筋コンクリートのビルの中に集約化されていた。騒音源にもなる換気扇は、風が吹き抜けるので不要となり爽快だ。日本でも数年前からあちこちに屋台村が流行しているが、ルーツはシンガポールなのであろうか?。
         
   今や豊田市にすら屋台村が2ヶ所(土橋&豊田市駅前)もあって大繁盛だそうだが、酒を飲むと車が使えなくなるので残念ながら私は行ったこともない。

…………………………………追記(平成9年5月9日)………………………………

   平成8年12月15日に同期の友人5人のおだべり会を、駅前の『おいでん横町』で開いた。一度は行きたいと思っていたからだ。壁面に沿って10軒以上の屋台があり、中央部にはどの屋台にも属さないテーブルと椅子が置いてあった。テーブル上には、テーブルの番号が印刷されている注文用の伝票があった。

   伝票を持参して好みの屋台に出かけ、料理を注文する。テーブルに引き返して待っていると、給仕が伝票と料理を運んできた。テーブル番号が書いてあるので誤配は起きない。料理と引き換えに代金を支払うシステムだった。生ビールを初め酒の種類も多い。

   各屋台ご自慢のメニューも合計すれば数百種類に達し、どんな偏食狂にも食べたくなる物がどこかにあり、相乗効果があって大変合理的だ。シンガポールと全く同じシステムだった。

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   屋台村ではインフラ(電気・ガス・水道・排水・トイレ)が完備しているので食器も清潔になり、料理も安心して食べられる。調理の匂いが都心に立ち籠めることもない。屋台を利用する習慣のない欧米からの観光客の目には、不潔で景観も壊すとの悪評もあった屋台隠しになるだけではなく、都心の美観の維持管理も解決し一石二鳥だ。
                                 
   しかしここに限らず、アジアの屋台には酒がないのが私には物足りない。伊さんと屋台見物に出掛けた折り、料理にはいまいち魅力がなくて手が出せなかったが、ドリアンを食べたり、椰子の実のジュースを飲んだりした。ここの屋台村には生鮮3品(肉・魚・青果)のマーケットも併設されていたのだ。

[8]アジア版ブルートレイン

   シンガポールからマレーシアを経由してバンコックまで、直通の国際列車が走っている。中欧〜東欧〜中東(終着駅はイスタンブール)へと走り抜ける有名なオリエント急行(ブルートレイン)のアジア版だ。車体が文字通り青かった。出張者としての私には、ノンビリと汽車に乗るような時間はもちろんないので、外から指をくわえて見ていただけである。

[9]多民族国家

   国土面積の小さな国なのに多民族が、目に付くような人種摩擦も起こさずに仲良く雑居している。中国人・マレー人・インド人・西洋人が住み付いた結果、狭い国なのに公用語は、中国語・マレー語・タミール語(インド人)・英語と4種類もある。

   夫々の民族が部落のように固まって生活している古くからの住宅地域もある。中国人が住んでいる地域へ行けば、そこはもう典型的なチャイナタウンそのものだ。けばけばしい広告、中華料理店、線香の匂いも絶えない伝統的なスタイルの中国系寺院、ありとあらゆる物を売っている華僑の小さな店などがひしめき合っている。中国人は何処の国に住んでも自分達の生活様式を頑固に守り続けるようだ。                         
   
   インド人が住んでいる地域には、地獄を連想させるような奇妙な形の、恐ろしげな動物や苦しげな人間の彫刻を建物の4面の外壁に 100体以上も満載した、ヒンズー教の『スリ・マリアマン寺院』があった。『人間の一生と天国や地獄』なのか、何を表現しているのか見当も付かない。私にとってはヒンズー文化との初めての出会いでもあった。                                
   
   典型的な多神教であるヒンズー教の場合、個々の神様を文盲の教徒に解りやすく説明するためには、外観の異なる彫刻で表現する必要に迫られたのであろうか?。これでは『アッラー』のみを神と崇めかつ、偶像を徹底的に嫌うイスラム教徒が、ヒンズー教徒を不倶戴天の敵と見なすのもなるほどと納得せざるを得ない。

   大部分の人がモスレムであるマレー人のモスクが、緑滴る林の中から突然姿を現すと『アレッ』と思わずにはいられない。中東の砂漠や荒れ地の緑乏しい環境下に鎮座しているモスクばかりを見慣れていたので、モスクの背後の景色が変わると理屈抜きに、勝手に反射的に不自然さを感じてしまう。いつの間にか残念ながら私にも、偏見が染み付いて来たようだ。

   都心の大通りを取り囲む一帯は、ニューヨークが熱帯に移動して来たようなものだ。高層ビルがニョキニョキ。日本の大型超高層ビルとはイメージが異なる。ニューヨークの平均的なビルのように建築面積が小さいためか、見上げても強い圧迫感は感じない。しかもビルの形は自由奔放だ。日本のオフィス・ビルは容積率の規制枠内で機能性と効率性を最大限に重視するから、美観を無視した直方体形状のデザインになり、優雅さなど何処にも感じられなくて残念だ。

   シンガポールは不毛の島だったためか、先住民が残す文化遺産のような観光資源らしき物はなかった。しかしその後移住して来た各民族が、夫々の出身国の文化を大切に引き継ぎながら生きて来た結果、小さな国でありながら数ヶ国を足早に観光旅行したような気分が味わえて、初めての旅行者には効率的だ。

   シンガポール川の河口はこの国の守護神である、高さ8mの『マーライオン』の像が何故か川の方に向けて建てられている。頭はライオン尾は魚の形をした、タイル張りの白い像である。道路と反対側の突端に設置されている上に、柵で観光客からガードされていて近付けないため、後ろ姿しか写真には撮れない。
        
   観光客へのサービスの積もりか、相似形をした2〜3mほどの小さなマーライオン像が道路の方に向けて建てられていた。セーヌ川の河原に立つ小さな『自由の女神』は、ニューヨークの女神のルーツだそうだが、こちらの小さな像はそれとは逆にコピーの方だ。

…………………………………追記(平成8年1月12日)………………………………

   この追憶記を読んだ大学時代の友人(日本航空)が『三菱商事の駐在員から、マーライオンは実物が小さくてガッカリする世界の3名物の1つ。他の2つはスフィンクスとコペンハーゲンの人魚姫と聞いた事がある。つまり小さい像が先に作られたはずだ』とFAXで知らせてくれた。

   びっくりして各種のガイドブックを調べたが、その事に触れている記事が見つからない。真実を確認したくなるのはエンジニアの職業病である。早速、社内の元駐在員等に質問したが、伝聞情報のみの曖昧な話ばかりであった。そこでやむなく、その昔お会いしたシンガポール共和国大使館の『黄』参事官に調査を煩わしてしまった。

   即日『最初に小さいマーライオンが作られた。しかし、小さ過ぎて観光客をガッカリさせてしまった。それならばと言う事で大きい像が追加された』との回答を得た。クィックレスポンスに感嘆するだけではない。真実を知る喜びを心底味わった。

   ついでのことだが、一昨年の秋に人魚姫を見た時に私はがっかりはしなかった。ロダンの『考える人』と同じようなブロンズ像であったが、憂いを帯び悲しみを秘めたその表情を見ていたら、心の奥底まで染み入る感動を誘発させられたからである。           

   絵画のように表情を複雑な色彩効果で表現出来なくとも、筋肉の微妙な変化でかくも感情を豊かに表現出来るものかと、写真からは汲み取れなかったその素晴らしさに触れられた。

   それに引き換え、ギネスブックに載せてもらいたいばっかりに、無意味な巨大人工物作りがこの日本で流行しているのは何とも情けない。

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[10]ジョホール・バール

   シンガポール自体が小さな島であるためか、マレーシアとの間にある狭い海は、海峡とは言わずにジョホール水道と呼んでいる。豊後水道や紀伊水道のネーミングの類いだ。                       

   車でマレーシアへ行った時、シンガポール側でガソリンの残量が75%以上あるか否かのチェックを受けた。産油国であるマレーシアの安いガソリンを買いに行くのを阻止するためだ。パスポートと荷物の簡単なチェックがあっただけでスンナリと国境は越えられた。この国境を越えてマレーシアからシンガポールへ通勤している人も多いそうだ。

   マレーシアはモスレムの国。丘の上には西マレーシアでは一番美しいと言われている『アブ・バカール・モスク』があった。複雑な形が素晴らしいだけではなく、緑の背景を強く意識したかのような輝く白を基調にした色彩も見事だ。すぐ近くには、このモスクにも負けず劣らずに美しいサルタンの王宮もあった。         

   車で市内を1周したが、マレーシアとシンガポールとの国力の差は隠しようもない。両国は簡単に往来できる上に、ジョホール水道を挟んで双方の生活が丸見えであるため、マレーシア人の心境や如何と心が痛む。

   マレーシアからシンガポールへの電話は、正式には国際電話を使わねばならないそうだが、目と鼻の先の距離にあるため携帯電話の使用は勝手放題。隣接国同志では何処でも起こり得る、物理的にはもともと無理な規制だ。

[11]クロコダイル

   伊さんは愛妻家(恐妻家?)である。奥さんへのお土産の品物選びに忙しい。結局『クロコダイル』のハンドバッグを買われた。さすがはこの国が誇る特産品だけあって、シンガポール空港の免税店にすら10個もないのに、市内の専門店には在庫が 100点以上もあった。帰国後確認したら、松坂屋名古屋店や名古屋三越本店でも店頭在庫は数点あるかなしかだった。それにしても、何故どれもこれも色は黒一色なのか不思議だった。

   店員に『どんな物がよいか』と質問すると『淡水性のワニの1匹物、縞の模様のハッキリした皮』だそうだ。人間には『どんな分野でも序列を付けるための理由を考え出す』性癖があるようだ。

   ワニは喧嘩して噛み付き合うので、1匹ずつ隔離して養殖することになり飼育効率が悪い。従って価格が高くなるんだと強調する。私も出国時に『ツレション』でついフラフラと空港の免税店で10万円台の安物を1個買ってしまった。
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アセアンの中核国・マレーシア

[1]クアラルンプール…その1(1990)

   マレーシアには今までに3回入国した。最初の2回は1990年にベトナムに出張した時に立ち寄ったケースだ。今でこそ関西空港からベトナム南部の商都、ホー・チー・ミン市(旧サイゴン)へは直行便が飛んでいるが、当時のダイヤには直行便もなく、日本からはクアラルンプールかマニラかバンコック等で、1泊しなければベトナムには行けなかった。しかし出張の場合には、私はこんな制限を常に大歓迎している。

   クアラルンプールの都心に到着した時、その余りの美しさにここも同じアジアなのかと心底驚いた。高さが優に20mはある、伸び伸びと育っている並木のある大通りに沿って、1本1本、デザインも異なる(一説によれば、既存のビルと同じデザインのビルでは建築許可が下りないらしい)美しい高層建築がゆったりとした敷地の中に建っている。       
                   
   道にはゴミを滅多に見掛けない。町全体のイメージはシンガポール(初めて出かけたのは翌年の事だが)そっくりどころか、緑が深い分だけこちらの方が美しい気さえする。シンガポールと美観競争をしているのだろうか?。その日のホテルは極楽浄土(桃源郷)を意味すると言う『シャングリラ』だった。

   シャングリラ・ホテルの南面には大きな庭園があった。日本にはガラス張りの熱帯植物園が各地にあるが建物や散水装置などが邪魔となり、熱帯植物の本物の迫力を味わうには豊かな想像力が要求される。青天井の庭園で熱帯樹が伸び伸びと育っている空間に身を置いた時、寒い国の温室の中の熱帯植物園が如何に興ざめなことか、健気な設立の趣旨を思い出すに付け悲しくなるほどだった。
      
   里芋そっくりの7〜8mもある大木を見ると、『逆ガリバー』や20年前に子供達と一緒に見ていた人気テレビマンガ『みなしごハッチ』になった様な気もしてきた。        

   熱帯樹の花は原色が何故か多くしかも花びらが大きい。温帯に位置する日本の桜や梅の小さな花とは逆だ。迫力が違う。邪魔な蚊も蠅も飛んでいない。ハンモックに揺られて1日中、ビールを飲みながらこの空間で過ごせたら、文字通り『シャングリラ』にいるとの実感が味わえそうだ。

   ベトナムからの帰りにも往きと同じシャングリラに泊まった。雑踏に加えて埃まみれのベトナムと、静かで美しいクアラルンプールの間に広がる天地の差を噛み締めながら、街路樹に覆われた都心の歩道を散歩した。ホテルでは黒人(マレーシアには黒人もいる!)のポータが私を覚えていて、ベトナムの現状に付いて質問を浴びせかけた。       

   クアラルンプールの都心には景観も素晴らしいゴルフ場があった。空港への送迎の途中に道を迂回しながら、現地会社の中国系営業マンがほんの僅かだったが、観光の見所を紹介してくれた。ゴルフ場の近くまで来ると、視野に入るのは緑と花が溢れる自然だけで、高層ビルは樹木に遮られて全く見えない。『こんな所でゴルフができたら天国だ』と思いつつ、指をくわえながら帰国の途についた。

[2]クアラルンプール…その2(1991)

   クアラルンプールでは、取締役の蛇川さんとたまたま同じホテルで出くわした。お陰で予定を変更して、三菱車の組み立て工場である『プロトン・サガ』を見学するチャンスにも恵まれた。社長は60歳を既に越えた方で、ここが人生で最後の職場との認識が強く、悟りの境地に到達されているようにお見受けした。こういう方は大変親切である。秘密主義はとっくの昔に捨てられているようだ。
                  
   更に、蛇川さんが仲人をされた盛大な結婚式に参列されたことがあったとのことで、一層話が弾んだ。久し振りに日本語で会話が出来る機会になったせいもあってか大変嬉しそうだった。工場見学も率先してご案内して頂けただけではなく、私のダイレクトな質問にも知り得る限りの情報を持ち出してご解答された。

   日本の中堅『会社人間達』がこの方のように、ライバル社員との情報交換も伸び伸びと出来る心境に、現役時代に到達するのは何時のことやら、と溜め息が出て来る。

   マレーシアは錫の大産地だ。熱帯樹林を地表で剥ぎ取り、露天掘りで錫鉱石を採取した後に出来た大きな池が随所にあった。表土を覆う筈の腐植土は大変薄い。落ち葉は高温多湿の気象条件下で直ちに分解され、スコールで有機物は流されてしまうのだろうか?。

   鉱山の跡地には明るい茶色の地肌だけが残り、灌木も生えず草も見掛けない。『一度破壊された熱帯雨林は砂漠化し、ちょっとやそっとでは再生出来ない』との俗説は正しいと実感した瞬間、新しい疑問が生まれた。

   熱帯雨林は酸素の供給源になり得るのだろうか?。かつて私は昭和54年9月21日号のトヨタ新聞の『けいてき』欄で次のように主張した。

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   『化石燃料はたかだかあと百年で枯渇する』との推定根拠があいまいな情報にしばしば出合う。それがもしも真実ならば、燃料資源小国に住む日本人は、供給制約に起因するエネルギー超高価格時代を、とりわけ心不安なまま、座して迎えさせられることになる。

   ▼太古の昔、地球は炭酸ガスと水とわずかばかりの窒素ガスに覆われ、大気中に酸素はほとんどなかった。その後植物が出現し、炭酸同化作用を通じて炭酸ガスと水とを分解し、酸素と有機物とを永年にわたって蓄積した。物質不滅の法則を信じる限り、炭酸ガス中の膨大な炭素は、植・動物体を経た後、化石燃料と石灰岩の状態でこの大地に埋もれていることになる。                
   
   ▼そのうち、石灰岩は炭酸ガスを内部に含んでいるので、酸素の相棒であった炭素と水素の大部分は、化石燃料に変わったと推定できる。その量は大気中の酸素量から逆算すると、優に人類の数万年分の消費量ほどにもなる。この数百倍にも達する推定の差はどこからくるのか。                    
   
   ▼人類の苦悩は、自らの繁栄を維持するに足る化石燃料を容易に発見し、低コストで採掘する技術も、代替エネルギーの開発技術も十分には持つに至っていない点にある。科学技術が着実に前進する限り、エネルギーの超大量供給技術は、いつの日にか必ず完成する。その日まで、人類は省エネルギーに徹することにより、何としてでもやっていかなければならない。                 
   
   ▼ガソリン自動車は、化学工業の原料としても使える最も利用価値の高い成分を燃料として使っている。それだけに低燃費車の開発にいっそう努力することは、当社が国際小型車競争に勝ち残るためだけではなく、われわれ自動車業界に課された人類への応分の義務でもあるまいか。(I)[注。Iとは、石松のイニシアル]

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   熱帯雨林は炭酸同化作用を通じて炭酸ガスと水とを分解して酸素を供給すると同時に、炭素と水素は植物体内に蓄積している。しかし樹木が寿命に到達して倒壊し、バクテリアにより酸化分解されて水と炭酸ガスになれば元の木阿弥ではないか?との疑問である。   

   しかし、温寒冷地では事情が多少は異なる。短期で見ても一部の植物体は腐植土・腐葉土の形態で地表に蓄積されている。長期で見れば、泥炭・亜炭・石炭などに変化している。マレーシアの赤土を見た瞬間、熱帯雨林は材木資源としての価値は不変だが、酸素の供給源としての価値説には疑問が残ったままだ。

   マレーシア政府は錫鉱山の跡地の有効利用策の1つとして、池がたくさんある美しい公園を開発中だった。その一角には綺麗なレストランがあって、池面を這って吹き寄せるそよ風を皆んなで楽しみながら、テラスのテーブルで昼食を摂った。荒れ地でも植林した苗木は恵まれた気候の下でスクスクと育っていた。いずれ緑も遠からず復活するに違いない。

   近くにはニューデザインの巨大なモスクがあった。戦後建てられた大資源国のモスクのデザインは、中世のドーム建築の伝統である石造りにこだわる事もなく、形状自由度の高い鉄骨コンクリート造りを活用して、自由奔放だ。イスラム世界ではアラビヤ語から他言語への『コーラン』の翻訳は一切認めないほどに保守的な面がある一方、モスクのデザインには干渉しないようだ。
            
   マレーシア人の案内人は胸を張って『このモスクは世界一大きい』と言う。蛇川さんは『あちこちで、世界一と称するモスクを見た。ここの世界一は敷地面積なのかな?』と呟く。 
                                
   ついでに私も『パキスタンのラホールでは壁で囲まれた屋根のない境内の収容能力は10万人で世界一と自慢するモスクを見た。トルコのイスタンブールにあるアヤソフィアはドームの直径では世界一のモスクと聞いた。サウジアラビアのメッカには何と50万人が一度にお祈り出来るモスクがあるそうですよ。ここのモスクは東南アジアでは一番大きいという位のことじゃないですかねえ!』     

   何の分野であれ、『これは世界一』と自慢する人には『2番目は何処にありますか?』と質問することにしている。不思議な事に、未だかつて答えられた人に出会った試しがない!。この種の郷土自慢の類いは聞き流す他ない。

   道中、ゴム園を見た。ラテックスを採取するゴムの木は、観葉植物のゴムとはまるで違っていた。葉が小さい上に薄い。あれがゴムだと教えてくれなければ分からない全くの別物だった。

[3]マラッカ

   マライ半島とスマトラ島の間にあるマラッカ海峡や、ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルで有名な『マラッカ』は、クアラルンプールから車で日帰り出来る距離にある。香料で有名な『モルッカ』はインドネシアのセレベス島とニューギニア島との間にある島々であり、ここのマラッカと発音は似ているが、全く別の地名である。

   クアラルンプールからマラッカまでは程々のレベルの高速道路(有料だったかどうかは忘れた。自分で運転しなかったので記憶にない)があった。交通量が少なく当分の間はマラッカまでの観光道路と感じるほどだ。高速道路の沿線には観光客を退屈させないようにとの工夫なのか、所々に新観光資源が開発されていた。

   途中、見晴らしのよい丘の上には展望台があった。道路からちょっと離れた位置に駐車し、花が満開の散歩道を 200mほど楽しめるようにもしてあった。別のところには鰐園があった。ここの鰐はクロコダイルのハンドバック用なのか大きくても全長1m程度だ。また大きなネットが張られ、蝶々が飛び回っている公園があった。ネットの中には各種の花が咲いた木や草花が、餌にするために植えてあり、果物も実っていた。

   従業員の目を盗んで、名前も知らない珍しい果物をこっそり数個もぎ取って食べていたら見つかってしまった!。『これはまずいことになった』とお詫びの方法を考えていたら『これの方が熟していて美味しいよ』と高い位置になっていた果物を道具を使って取ってくれた。同じ公園の一角には熱帯魚の水族館があった。さすがに地元だ。熱帯魚の種類が多い。じっくり観賞したかったが時間不足で残念。

   ドライバー(マレーシアではドライバーでも英語が少しは分かる。助かる!)は『マラッカは水が少ない上に生水は危険だから果物を持参した方がよい』と言う。果物屋で満腹するまで、瑞々しい珍しい物を選んでは食事代わりに食べに食べた。何しろ安いし、新鮮だし、美味しい。満足。

   マラッカは長い歴史を刻んだ町だ。華僑の貿易商が軒を連ねた古い中国人町では、2階建ての倉庫のような石造りの家がくっつきあって道路の両側に並ぶ。廃墟のように感じたが、まだ活動しているそうだ。店の標識は流れるような達筆で書かれている。ネオンサインもなく、東南アジアのチャイナタウンとは全く異なる、静かな中世の生きている化石のような街道だ。

   マラッカ海峡の海水には透明感がない。粘土を薄く溶かし込んでいる感じだ。海峡を挟んで西側には、日本全体よりも面積が広いスマトラ島がある筈だが、マラッカの海岸側からは遠過ぎて見えない。

   道端にはオランダ人が建てた赤いレンガ造りの教会、ポルトガル人の砦跡がある丘の上には古い教会とフランシスコ・ザビエルの像があった。丘への坂道の両側にはマレーシアの腕も確かな画伯達が、自作の風景画を観光客相手に売り付けていた。海岸の公園には牛が2頭、大きな『馬車』を喘ぎながら引いている姿の置物が1セットあった。高さは7〜8mもあった。

   マラッカの一角には、今なおポルトガル語を喋るポルトガル人の末裔がひっそりと生き延びているそうだが、残念ながら出会えなかった。海岸には根元の土が海水で洗われて、今にも倒れそうになっていた高さ15m位の大木群があった。この辺りの木は海水を被っても枯れない種類のようだ。

   帰路には一部迂回して、内陸部の水田地帯を通った。住民はどこに住んでいるのか、人家はほとんど見掛けず、天水だけを当てにしているような水田だった。塩害もあるのだろうか、日本では見たくとも見れないほどの貧弱な出来の稲だった。収穫高は1反に2〜3俵あるだろうか?。

[4]ゲンティン・ハイランド

   マラッカからの帰途、クアラルンプールから車で1時間強の避暑地、ゲンティン・ハイランド(雲の上の高原)へと出かけた。ドライバーが『ロープウエーでどうぞ。山上駅で待っているから』と勧めてくれたが、山肌の植物相の変化が真近に観察出来る車による登山を選んだ。熱帯の大きな羊歯類がジュラ紀の植物のように生い茂っていたのは壮観だった。温室とは迫力がまるで違う。

   1700mの山の上に 700室もある巨大な高層ホテルが聳え建ち、その屋上には直径70mはありそうな大カジノがあった。遊びに来ている華僑のおばさん達の元気のよさには困惑するほどだ。カジノでの飲み物は世界中何処でも只で、飲み放題。ここでも見学がてらまずは1杯。

   山腹には簡素な構造の農業用ハウスがあった。その中では何と『貝割れ大根』と『茸』を栽培していた。クアラルンプールに駐在している日本人向けの高級食材の供給基地だ。案内してくれたドライバーはトヨタ関係者の観光案内だけでもマラッカには50回以上も行った事があると豪語するだけあって、案内のポイントは熟知しているようだ。

   高原には珍しい蝶々の飼育小屋があった。山腹には目が覚めるように美しいゴルフ場があったのでクラブハウスに立ち寄り、しばしの休憩を楽しんだ。残念ながらプレイする時間がない。

   山裾にはサソリの飼育場があり、育ったサソリの上から透明なプラスティックスの溶液を流し込んで、ペン立て・文鎮などに加工したお土産も売っていた。熱帯特有の大きな美しい蝶々を箱の中に並べたお土産類もあったが、見て美しくても昆虫収集の趣味のない私には買う意欲は起きなかった。

[5]バツー洞窟

   日はトップリと暮れてしまったが、クアラルンプールから13Kmの地点にヒンズー教徒の聖地があった。1878年に発見された洞窟に建てられた寺院である。幅の広い 272段の階段は上り下りの混乱を避けるためか柵で3列に分断されていた。何故2列にしなかったのかは分からない。

   階段下には門前市が百m以上も道の両側に広がっていた。夜店みたいなものだ。善男善女がひっきりなしにウヨウヨ歩いている。クアラルンプールの都心の繁華街を気取って散歩しているあか抜けした人達よりも、親しみが持てる。売っている雑貨や食料品にも庶民性が溢れていて、好奇心がくすぐられ満足した。

[6]露天風呂

   バツー洞窟の近くに、地元民が細々と使っている露天風呂があるそうだ。既に午後9時過ぎになっていたが『何としても入りたい』と言ったら、ドライバーが親切にも案内してくれた。到着するまでに出会った途中の店で洗面器とタオルを買ってくれた。                   

   谷間のジメジメとした狭い草原に温泉はあった。暗がりの中を透かして観たら、近所の子供たちが水浴びをしていた。外国人らしき観光客は全くいない。無舗装の駐車場に車を止め、海水パンツに着替えた。

   直径5〜10m位の浅い池が3つあった。泉源は1つで、高度差のある池から池へと流れていくようになっていた。その間に温度が少しずつ下がる。最初の池は5分とは入れない温度だった。    
   
   硫黄の匂いは薄い。池の中の手入れは全くされていない。まさにどぶ池だが照明もない真っ暗闇なので、汚さは気にならない。着替えの際に泥まみれになる足元に気を取られて、ウッカリ貴重な海水パンツを忘れてきた。用済み後の洗面器は遠慮するドライバーに受け取ってもらった。
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おわりに

   国土の美しさとは、人口と面積との比率とか経済力とかとは無関係のようだ。シンガポールとクアラルンプール、ドイツやスイスの美しさに接する度に『これは政府と国民の美学の問題である』と益々確信するようになった。

   シンガポールは狭い国土にひしめく程の国民がいても、美しい。マレーシアは、フイリピン・ベトナム・ノルウェー・フィンランドとほぼ等しい33万平方uの国土に、僅か1,700万人が住むだけの恵まれた環境にある上に、国を挙げて努力するから『やっぱり』と納得がいく程に美しい。ベトナム人は貧しいけれども、一所懸命に清掃するから、道路はいつも綺麗にキープされている。

   私はせめて自宅の猫の額程の庭の草だけでも『今年こそは綺麗に、むしり取り続けたい』と決心だけはしているものの、土日の全てをゴルフとテニスで潰しているため、結局の所三日坊主からは脱皮出来ず、草ぼうぼうの中に蚊が飛び回っている自然と同居しながら生きている。ああ! !。
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