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旅行記
           
ヨーロッパ
北欧(平成6年9月23日脱稿)

    人生も残り少なくなって来た。現役時代から老後に向けて軟着陸すべく、徐々に生活のパターンを変え始めていた時も時、妻が友人達と北欧旅行を計画していたのを知り、急遽参加した。

    予想以上に楽しかった。
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はじめに

  今回の北欧旅行は妻が知り合いの鈴さん・越さんと3年前から毎月2万円の積み立てをして計画していたものであった。女3人の旅行計画に突如闖入したので当初は迷惑がられた。しかし、ビデオ撮影のサービスやミニトラブルの解決にも多少の努力をしたので、結果としては歓迎されたと思う。
            
   その証拠に以前から計画していた男だけの海外ゴルフ計画に、皆が付いて行きたいと逆提案したことでも分かる。尤も男がゴルフをしている間、女性は観光に行く予定。結局女だけの旅行よりも夫婦一緒の旅行の方が便利と考えたのかも知れない。
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日程と主たる訪都市

   1994年8/25〜9/1(年休6日)名古屋・成田・アムステルダム経由北欧3国。スウェーデン(ストックホルム)ノルウェー(ベルゲン・ボルグンド・ファガネス・オスロ)デンマーク(コペンハーゲン)
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参加者の特色

  今回の参加者は広島大学定年後の教授夫妻・元NHKオペラ歌手で現在大阪にある音大の教授(講師?)・老人の独り旅3人・父(引退した高校教諭)と既婚の息子・婚前旅行1組・40代の独身男1人・その他は女性(オバタリアン・OL・母娘)であった。34人中、男は僅かに10人。日本では現役の夫婦が海外旅行をする習慣はまだ少ないようだ。         
                       
   3人の老人は『妻とは趣味が違う』とかで独り旅をしていたが本当の理由だろうか?。何故か無口で寂しげであった。北欧旅行に参加するような人達には旅慣れている人が多かった。添乗員は楽だったのではないか?。

   海外旅行に出掛ける年寄りには同類項が多い。何故か何時までも結婚しない子供への、実質的な縁切り宣言をしている人達である。今回の定年教授の場合には40歳近い娘がいる。親子は別居。『子供のことをあれこれ気に病むのも馬鹿馬鹿しくなって止めた。既に遺言状も書いた。葬式は不要と。残された人生は夫婦でのんびり旅行をしたい』そうだ。                      

   オペラ歌手には32歳の息子がいる。しかし一向に結婚する気がないらしい。『子供の人生に関わり合うのはアホらしくなった』ので止めた。奥さんとは趣味が合わないらしく海外旅行は何時も独り旅。横浜国立大工学部出身。一時民間会社に就職したものの退社して、どうしても行きたかった音楽大学に進み、NHKのオペラ歌手(嘱託?)として貧困に耐えてきた。それで息子には金に縁のある医学へ進ませた。自分の生き方を大切にして来た人である。
                
   昨年の欧州パック旅行(8ヶ国・13日間)で出会った老夫婦にも、40歳近い息子がいた。父親は山之内製薬の元役員。本人が台湾の工場長をしていた時に同伴した薬学者である奥さんは『中国語を勉強していたら中国に請われて、大陸で一時大学教授をしていた』そうだ。この夫婦の場合も『子供の世話はもう止めた。自分達の人生を大切にしたい』とのことでもっぱら海外旅行に出掛けているそうだ。
                 
   80歳にもなる父親の話では『20Kgの荷物が持てる間は海外旅行ができるそうだ』。まだ大丈夫らしい。『海外旅行では日頃は高くて飲めないサントリーの“山崎”を寝酒用として免税店で買うのが楽しみ』とかで、私は旅行中にコップ1杯の差し入れを頂いた。海外出張や旅行の際には『山崎』を買う癖が、私にもとうとう伝染ってしまった。
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質実剛健なゲルマン民族

   北欧はゲルマン民族のルーツ。スウェーデン・ノルウェーはかつてデンマークに支配されていたこともあり、民族だけではなく町の雰囲気も大変似ている。レートは多少異なるものの、通貨の呼称も全部『クローネ』で同じ。アジア・アフリカに植民地がなかったせいか、非白人も殆ど見掛けなかった。
           
   主力都市は樺太(サハリン)よりも北。カムチャツカ半島の付け根やアンカレッジと同じ北緯60度近辺にあるものの、メキシコ湾流のお蔭で気候は温暖。市街地には針葉樹を殆ど見掛けず、大きな葉っぱの落葉樹と赤が中心の見栄えのよい美しい草花で町中が覆われていた。針葉樹には自然の厳しさを、落葉樹にはそれとは対照的に柔らかな暖かさを感じる。しかし、さすがに太陽が照らす角度だけは残念ながら低い。

   北欧はいずれも福祉国家。つまり重税で手取りは収入の半分。中堅サラリーマンの手取りは年約 200万円。おまけに消費税は20%前後もあり物価は日本並み。レストランでビールを飲むと小瓶が何と 700円。現役時代の生活も実に質素。外出着は若い女性でもジーパンが主力。青年が長髪を束ねて後ろに垂らしているだけという姿も多い。
                                
   人口密度は低く人口も少ないため、市内でも車のさしたる渋滞がない。自転車での移動も多い。コペンハーゲンの朝の通勤時に、中年の女性までもが自転車を乗り回しているのを見て驚いた。人口が少ないためか量産工業が発達せず、自動車には手が届かない人も多いらしい。

   都市計画が立派だったのか建物は高さ6〜8階くらいで揃っており、冬の寒さ対策もあってか、石・コンクリート・レンガ造りの耐久性のあるものが殆ど。大都市では1戸建の家を殆ど見掛けない。住居は玄関の庇もないビルタイプの集合住宅。塀もないので道の両側はすっきりとしている。視界には電線や広告の類いも少なく遠くからだと、見れば見るほど町並みは美しく感じるが、近付いて観察すると古い上に傷だらけで汚い。従って写真向き。
                         
   都市建設が完了しているので家を建てる資金の貯蓄も不要となり、現金収入が少なくても過去に建設された借家で、ゆったりと暮らせるのではないかと思う。但し自動車時代以前の町なので駐車場の確保が厄介。やむなく路上駐車も多い。こんな町並みの美しい町でも欧米の大都市同様、道路には紙屑が何故か散乱している。日本の大都市でごみが少ないのは世界的には別格。

   郊外や田舎には木造住宅が多い。木造と言っても3階建ての集合住宅が中心。とんがり屋根のデザインと外壁のペンキの色が緑の木々の中に鮮やかに映え、どの窓にも鉢植えの草花が飾られて美しく、どの場所にいても写真を取りたい衝動に駆られる。 100年以上も経った古い家も多いが、それを美しく維持する執念には驚く。しかしドイツやスイスに比べれば所得が低いせいか若干見劣りする。

   ゲルマン民族は、外向的な性格のラテン民族やアラブ民族とは異なり、おしゃべりに夢中とか大声を張り上げるとか、物を売り付けるとか言った習慣は少ない。そのため冷やかしの買い物もし難い。大国であった歴史もないため、英・仏・エジプト・トルコ・ギリシア・ローマ・中国のような、観光の目玉ともなる大袈裟な建築物は殆どない。宮殿も大変質素である。 
                 
   観光コースを何とか魅力あるものにしようと旅行社が選んだ物件は、宮殿・市庁舎・議事堂・美術館・教会・博物館・公園・オリンピック施設・城などであるが、豪華さには乏しく幾ら眺めても、私には感動が湧いてこなかった。しかし『ヨーロッパに来たのは初めて』と言う人達は、異文化との出会いの強い感動で、大変満足していたようだ。 

   北欧では高速道路を見掛けなかった。国土は広くても、大部分の人が住んでいる場所は南部の狭い地域に限られているためか、移動距離が短く高速道路のニーズが少ないせいかも知れない。しかし、ベルゲン〜オスロ間のノルウエー横断 500Kmのバスの旅では、舗装道路とはいうものの原則として片側1車線でしかも路肩が狭く、地形の影響もあってか道はくねくねと曲った上に坂道も多く、バスが擦れ違い困難な場所も散見された。奥三河の県道並であった。
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素晴らしいフィヨルド

   結局北欧旅行の観光目玉は自然そのものになる。ノルウエーの大西洋岸にある世界一のゾルネ・フィヨルドには迫力があった。長さ 180Km・最大深さは1300mもあるとか。しかもくねくねと曲がっており、内陸部にはフィヨルドの三叉路すらもある。氷河に削られてできたフィヨルドの断面はU字形。日本の山にあるV字形断面の渓谷とは全く異なった印象を受ける。           

   両岸は1000〜2000mの切り立つ岩だらけの絶壁。その上には氷河があるとかで、無数の滝が形成されている。両岸には道もなければ人家もなく、日本では見ることもできない雄大な沈黙の世界である。フィヨルドは川と違い入江の一種なので、水は静止しているが、高速の大型観光船のデッキから前方を眺めると、海水が急流のように迫って来るように感じられる。入り江の幅は1〜4Kmもあり、かつ端から端までが水面なので、広い所では湖のようにすら感じる。

   内陸部では氷河の跡が細長い大小の湖に変化している。人口過疎地帯でもあり、生活廃水も少ないためか水は澄んでいる。『酸性雨の影響で魚も殆どいない』と本には書いてあるが、本当だろうか?。樹木の先端が枯れているのを見掛けなかったし、空気も大変澄んでいた。メキシコ湾流の影響で雨も多く国土は緑に覆われている。その結果、あちこちにある大小の川に清らかな水が満々と流れているのを見ていると、心底から心が洗われるような気がしてくる。ニュージーランドに一見似ている。
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質素なパック旅行

   オスロ〜コペンハーゲン間の船旅はクィーン・オブ・スカンジナビアであった。 26500トン・ 607室・1750人乗りの豪華客船による1泊旅行であったが、実のところ失望した。銀行・免税店・レストラン・プール・サウナ・映画館・カジノ・バー・ディスコ・子供用プレイ室など一通りのものはあった。10階建て・3連エレベータなど大型船に相応しくはあった。               

   しかし、何しろ船の大きさに比較し定員が多い。1等船室とは言っても狭い4人部屋(泊まったのは2人)の両側に2段ベッド、バスタブ抜きのシャワールーム、ミニバー用の冷蔵庫もない。つまり質素な北欧の生活そのもの。定員を多くすることで料金を下げ、客を多くして採算性をキープしているのだろうと思う。それに高価な蒸気タービンの代わりに、ディーゼルエンジンを使っているのではないかと思った。客室まで振動が響くし騒音も大きい。とても海に浮かぶ豪華ホテルとは言いがたい。                             

   風もたいして吹いていないのに、船が若干揺れるため何となく歩きにくい。日本の船会社は豪華船を作ったばっかりに、逆に苦労している。有名な『飛鳥』は3万トンクラス、 300室 600人乗り位だったと思う(乗ったことはない)。この位だと部屋は都市ホテル並みのゆとりは確保できるものの、旅費が高過ぎて日本では客が集まらず、アメリカ人相手のカリブ海クルーズでやっと息を繋いでいる。

…………………………………平成9年1月24日追記…………………………………

   日本でも大型客船による海外旅行が昨年(平成8年)から爆発的に流行り始めた。2ヶ月間世界一周の旅である。退職金を手にした老夫婦が一生に一度の贅沢(夢)とばかりに 300〜600万円/人をはたいて参加するそうだ。

   週刊誌によれば、日本人には2ヶ月は残念ながら長過ぎるようだ。最初の1ヶ月の間は気取りもあってか、何とか上品に振る舞っているが、その後は、陰口・悪口が盛んになり、険悪になるそうだ。
                   
   現役時代の社会的地位が頭をもたげるのか、指示欲、取り仕切り欲、説教欲を押さえられない人が多く、お里が知れるらしい。日本人がゆったりと船旅を楽しめるようになるには、まだ若干の時間が必要のようだ。

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   パック旅行のせいかホテルも質素だった。ヒルトン・シェラトンとは別世界である。しかし、必要なものは揃っていた。ツインベッド・ミニバー・電話・テレビ・机と椅子・箪笥・洗面具・応接セット・バスタブの他、必ずズボンプレッサーがあった。出張で泊まったヒルトン・シェラトンではスィートルームでも何故かズボンプレッサーはない。ランドリーサービスを利用しろと言うことなのかも知れない。
                                   
   更に、トイレットペーパーやバスタオル等の品質も見劣りした。しかもバスタオル類は1回分だけ。熱い朝風呂でタップリ汗を流した後、ビールを飲みたいのに。またスリッパ・靴磨き用手袋・ボタン取り付け用の裁縫セットなどは勿論ない。北欧と言うか、ゲルマン民族の習性と言うのか、質実剛健の伝統を感じた。
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グルメとは縁のない食事

   朝食は何処でもバイキング料理だった。北欧は伝統的に冬場は保存食で暮らしていたのであろうか?。ハム・ソーセージの類いは何故か塩辛かった。野菜類はさすがに北国のためか品質は勿論、種類の数も日本の比ではない。中でも人参はどこでも屑物クラスだった。
                             
   その中でピーマンだけは何故か大きくて立派であった。スーパーでは『1個売り』をしていたくらいだ。果物類も野菜同様、輸入品があるとは言え貧弱だった。西瓜の色は赤いのに甘みは少なくキュウリみたい。ジュース類は 100%とはいっても還元もので、絞りたてではなかった。
         
   しかし、さすがに牧畜の国。ヨーグルトやチーズ類は質量共に立派だった。牛乳は種類も多いがゆで卵はたったの1種類。ヒルトンではジュースは目の前で絞るし、ゆで卵はゆでた時間別に1,3,5分と分けられている。またハム・エッグも指定した材料を選んで目の前で調理してくれる。トーストも好みに合わせて焼いてくれる。

   楽しみにしていたビールは冷却不足の上に、泡不足の物が多くて物足りなかった。日本のビールに慣らされていたからではない。現に去年ミュンヘンのビアガーデンで飲んだ生ビールには満足したのだから。それでも『ゲルマン民族だなあ〜』と思ったのは、ジョッキに計量用の線が必ず引かれていたことである。ドイツでは更に徹底していて、ジョッキやコップそのものに『くびれ』が付いていたのを思い出す。   

   北欧の夏は短い。繁華街では道路にまで椅子とテーブルを持ちだし、のんびりと飲み物片手に男女が静かに語らいながら、長時間粘っている。ヨーロッパ人はどこの国でも、埃もものかは、屋外にあるテラスに出るのが何故か大好き。

   昼食も夕食もパターンは同じだった。最初はスープかオードブル。次が魚か肉かのメイン。最後に出るデザートはアイスクリームか果物。日本のファミリーレストランのセット料理レベルである。料理にはそれぞれの国の特色が出てはいた。醤油はないけれども、オリーブ油やヤシ油は使わないので日本人には食べやすい。しかし、何故かあまり美味しくはなかった。化学調味料を使っていないような気もする。           
                        
   北欧は世界3大漁場の1つ。海鮮料理に期待していたががっかり。小さなザリガニタイプの海老は食べるのも面倒。手長海老も小さくて食べた気がしない。刺身になるような新鮮な魚には出会わず。町の魚屋を覗いたけれども食べたくなるものが少ない。唯一スモーク・サーモンだけは少しましだった。それでも塩辛い上に生魚に近く、舌にとろけるような高級感はなかった。      

   とはいえ車の運転から解放され、朝から晩までウイスキーの水割りとビールを飲み続けていたので、料理の味は実の所どうでも良かった。結局グルメの旅を目的にするなら、海老・蟹は米・豪・ニュージーランド、西洋料理は仏、中華はアジアの一流店に行くしかない。日本の物価は世界一と言われても尚、当然のことながら日本料理は日本で食べるのが、世界で一番安くてしかも一番美味しい。
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ささやかな市民生活

   コペンハーゲンにはディズニーランドのモデルになったと言われているチボリ遊園地があった。 150年前に資産家が国民に寄付した。夏期の4ヶ月しか開いていないが、毎日4万人も来るとか。大人が多い。美しい花や木に加えて、園内は11万個の美しい電球で飾られ、28もの各種レストランがありどこも満員に近い。大きな観覧車などの遊具も多い。大きな池にはバイキングの海賊船を浮かべてレストランに転用。アンデルセン記念館もある。                         

   僅か10万坪の狭い公園なのに都心にあるため、交通のアクセスもよく貴重な存在だ。お城の外観をしたレストランもあった。今から見れば資金とハイテクを総動員して作られたデイズニーランドには見劣りがするものの、 150年も前に作り、その後延々と手を加え続けてきた努力はたいしたものである。ストックホルムにも小型のチボリ遊園地があった。

   コペンハーゲンの都心には歩行者天国があった。デパートや専門店があり大勢の人がいた。デパートの買い物客には日本と違い男子が多い。サイフを握っているせいかも知れない。食料品売り場はさすがに主婦が中心。子供や学生・OL風の人は少ない。不思議なことに、道行く人は買い物袋をあまり持っていない。遊びに来ただけ。日本の繁華街の風景とは大違い。

   ゴルフ場もテニスコートも見掛けなかった。公園の芝生は青々としていたので北国のハンディはないと思う。国民の関心はスキーにあるのだろうか?。昨年夫婦で回った欧州旅行でも、英を除く独・仏・伊・スイス・リヒテンシュタイン・オーストリーではゴルフ場を全く見掛けなかった。            
    
   結局ゴルフは英米日系国に流行しているだけ。夏場のスポーツは何だろうか?。コペンハーゲンの飛行場近くで、1ヶ所にサッカーコートが20面もありそうな広大な施設を見たが、人はいなかった。ジョギングをしているほんの僅かな人に出会った。
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おわりに

   40歳の検診のときに肺活量が4900CCに落ちていたのを知りがっくり。何時の間にか入社時に比べ1000CCも縮退していた。対策として仲間を集めてゴルフとテニスを始めた。50歳の検診時には 500CCも復活していてホッとした。トヨタ少年サッカースクールに参加していた長男の、日曜送迎が中1になると共になくなって以来8年、休日の全てはゴルフとテニスに明け暮れている。
               
   昨年春突然、妻に『越さん夫妻は毎月1度日帰りで温泉に行き、予約したフランス料理を食べている。鈴さん夫妻は退職金の一部で買った、共同所有式の臨海リゾートマンションタイプの別荘に、毎月1泊している。あなたは妻子をほったらかし!』と苦情を言われてしまった。 
                         
   その瞬間妻に約束した。『では、お金が続く間、毎月1回温泉に1泊、目標は取り敢えず百回。毎年1回、海外パック旅行』と即答したのは、実のところ前々から考えていたことだったからである。それ以来約束通りに実行してきた。当分続けようと思う。既に夫婦で出掛けた国は12ヶ国。目下、次の計画を立案中。
      
   今回の旅行中に両夫人にその後の状況をお尋ねしたら『石松さん!。奥さんのお話しをまともに信じていらっしゃったの!。1年に多くてもせいぜい数回ですよ』との予期せぬご回答ではあったが、いいきっかけになったと思っている。     

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