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旅行記
           
日本
北海道(平成7年4月18日脱稿)

      北海道への旅は生まれて初めてであった。そのため季節は何時でも構わなかった。雪に埋もれた北の大地を訪れ、童心に帰り流氷にも乗って遊んだ。

      日本を代表するような温泉にも浸かり、久々に夫婦共々リフレッシュ出来た。
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はじめに

   今年の春休みにはゴルフ仲間と一緒に夫婦同伴で『香港・中国南部8日間』の旅を予定していたが、申し込み日の直前になって仲間の1人ひとりに個々の事情が発生し、この計画は当分の間延期せざるを得なくなってしまった。

   そのための穴埋め旅行はないものかと探していたら、幸いにも新聞の広告で国際ロータリー社の格安ツアー『北海道名湯スペシャル4日間の旅』を発見し、申し込んだ。数年分の確定申告を纏めて実施したら、税金が50万円強戻る事になったので、気楽に計画した国内旅行でもある。1人当たり 39800円でしかも1部屋2人だし、3食・添乗員およびバスガイド付きは安いと思った。
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第1日目

   1.名古屋〜千歳

   名古屋空港に 15.50集合。16.30発JAL859。座席がグループ毎の籤引きなのも気分が良い。飛行機の中では5冊も週刊誌を掻き集めて、相撲のテレビ放送をイヤホーンで聞きながら同時に『オウム真理教』の勉強もした。

   国内線の客は機内の雑誌や新聞は余り読まない。外の景色を見たり、飛行機そのものが珍しいのかそわそわしている。飛行機には殆ど最後に乗ったにも拘らず、雑誌は独占できた。  
          
   注目の貴の花が曙に敗れたのも機内で見た。着陸直前であったため業務上の放映をしていたが、NHKに切り替えての臨時サービスだった。新千歳空港には定刻の 18.05には着いた。北海道の日暮れは早い。既に外は暗くなっていた。

   2.千歳〜登別温泉

   応募者 120人に対し 123人も集まった。バスの割り当ては申し込み順だった。出発直前に申し込んだ私達は3号車だった。座席は毎日変わるが固定席だった。これも公平で気分が良い。この日はバスの中ほどの位置だった。暖房は利いていたが、中国で買ったミンクの帽子を被った。ロシア人が冬季に愛用している帽子とデザインも同じで大変珍しがられた。

   豊田市は春というのに、理科年表で気温を確認すると、こちらは豊田市の真冬並みである。防寒対策は真冬のゴルフ並みにした。正解だった。同行者が『寒い寒い』と連発していた。

   同行者には子供連れが多かった。春休みだったせいだ。引退した夫婦、孫を連れていた祖父、母子連れのグループも多かった。中年夫婦だけというのは何時ものことながら殆ど見掛けなかった。

   名古屋からの若い男性添乗員がまごまごしながら、バスの中で客の確認をしていた。違和感を感じたので『何年この仕事をしているんだ!』と苦情を言ったら、今回が初めての添乗業務だとかで、会社からは『この事実をお客さんに白状してはならない』と言われていたそうだ。現地バス会社の女性ガイドも乗り込んだ。千歳からの高速道路は渋滞もなく、約 100Kmで目的地の登別温泉に着いた。 
 
   初日の宿である登別プリンスホテルは駐車場が狭く、朝の出発時に大型バスのUターンが難しいとかで、雪道を遠回りして峠から下りながら到着した。山々は真冬のスキー場さながらの深い雪に覆われていた。途中ベテランバスガイドが沿線の案内をしてくれた。      

   3.登別プリンスホテル

   登別プリンスホテルは西武鉄道系で有名な『プリンスホテル』とは全く関係のない野口観光の経営だった。新聞広告ではその事には意図的にか、触れていなかったが立派なホテルだったので不満はなかった。大型の建物が4棟もあった。合計 500室はありそうだ。                     

   内3棟は回廊で繋がっていたが、泊まったのは30mも離れた位置に孤立して増築された建物だった。部屋はスイートルーム。和室とツインベッドの洋室から構成されていた。ゆとりのある立派な5人部屋だった。ガラス窓は2重になっていた。ベッドの布団は羽毛だった。

   団体旅行の悲しさ。7時半に着くや否や夕食だった。本当は温泉に先に入りたかったのに!。夕食は鍋物・刺身・茶碗蒸し・オードブルなど料金が安いのに、たっぷりとあった。料理だけで満腹したので御飯は食べなかった。
         
   オプションの毛ガニは1匹4000円だった。カニの本場に来たのに食べずに済ませるのはアホらしい。夕食の料理が多かったので注文は2人で1匹にした。ところが出されたカニは期待に反し、冷凍物で味はイマイチだった。カニ専門店ではないからやむを得ないか?。オプションは高く付くのが常識と考えるべきか?。  

   カニはともかくとして、ビールも高かった。1本 800円には驚いたが我慢するのもこれまたアホらしく、1本だけ飲んだ。ホテルの設備の豪華さと料金とは釣り合いが取れてはいた。そんな事もありなんと予想していたので部屋では、持参のサントリー(オールド)の水割りを飲み続けた。   

   地域自慢はどこにでもあるらしく、評価項目には触れもせずに『登別温泉は日本一だ』と強調。湧出量なのか、温泉の品質なのか、源泉の数なのか、はたまた何なのかさっぱり分からない。しかしそんなことは私にはどうでもよく、食事を終えるや否や温泉に飛び込んだ。                     

   残念なことに露天風呂への出入り口のドアには『雪が落下する恐れがあり入湯はご遠慮ください』との張り紙がしてあった。気が付かない振りをして、露天風呂への出入り専用のドアを開けて外へ出た。温泉に足を入れたら水だった。泉源が閉めてあった。傍らの石に腰掛けてゆっくりと涼んだ後室内に戻った。   
                             
   その後のことである。数名が次から次に露天風呂目指して外へ出てはがっかりして舞い戻ってきた。この調子だと泉源を止めない限り、張り紙の効果は全くないことが分かる。『悪い見本を見せてしまったと恥じるよりも、軒先の雪を除去するサービスこそ肝心だ』と思った。他の3棟の露天風呂には入れるそうだが、面倒なので行くのは止めた。

   正面カウンターの真横にあるエレベータホール前の1等地で、アイヌの親子がキーホルダー製作の実演販売をしていた。アイヌ人とは何処にも書いてなかったが、濃い髭のある風貌から推定した。木工品の加工技術の熟練度や速さはさすがに大したものだ。彫刻の題材の意味を解説してくれたが、キーホルダーは新品の在庫を既に沢山持っていたので、申し訳ないとは思いつつも買うのは止めた。

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第2日目

   夜の間にタップリと雪が降っており、一面銀世界だ。オプションの熊牧場見学希望者が2&3号車には1人もいなかったので、2台の出発は予定より1時間遅くなり、ゆっくりと朝風呂が楽しめた。風呂から眺めた庭園の雪景色や石組みの露天風呂の雪の眺めも、満更捨てたものではなかった。ホテルの朝食はバイキング形式だった。20〜30種類くらいもおかずがあったが、好奇心にも駆られて全部の料理を少しずつ食べた。夕食よりも気に入った。

   今日の指定席は予想通り最前列の特等席だ。昨日被った人目を引く毛皮の帽子のお蔭だ。バスの走行距離はこの日が最長なので、この位置には満足だ。途中の休憩時では一番最初にバスを降り、一番最後に乗ればよい。ホテルのすぐ近くに地獄谷があった。湯気がもうもうと立ち込めている。温泉を引くためのパイプが露出しており、折角の美観を損ねている。       
                
   1.地獄谷〜苫小牧〜富川

   父と息子の2人連れに出会った。息子の高校合格を祝っての旅行だそうだ。ジーパン姿の若々しい父親は何かと息子の面倒を見ていた。『親に遠慮する必要はない』と語り掛けていた。新雪の中の散歩道を歩いた。20cmくらい靴がめり込む。新雪は靴が汚れないので全く気にならない。同行者は早々とバスに戻ったが、防寒装備十分な私達は、制限時間一杯まで有効に使った。

   北海道の高速道路は札幌周辺に少しあるだけだ。40Kmで苫小牧に着き、ここからは一般道路に入った。北海道の人口は東京都の半分と言っても、この辺りは人口も少ないし、除雪は完全だし渋滞もない。

   沿線の新しい豪邸には必ず2〜3uのサンルーム付きの玄関がある。室内の暖気確保のためだ。ポストは室内側のドアに付いている。沿線に店はあっても大型スーパーはなく、コンビニ風の店も少ない。商売はやり難そうだ。

   苫小牧の大工業団地にはいすゞ自動車のエンジン工場があった。広大な荒れ地にポツンと建てられていた。米国への輸出基地となっている。東京からよりも海上輸送距離が短縮される事にいすゞは魅力を感じての立地、と昔聞いた事があるが、こんな寒々とした僻地に追いやられた従業員の苦痛は、どのように評価していたのか聞いて見たいものだ。

   富川から日高平野を縦断して『日勝峠』を目指す。北海道の地名の付け方には2種類あるようだ。アイヌ語の地名の漢字化と合成語だ。日高と十勝の国境の峠名は後者だ。『狩勝峠』は石狩と十勝の国境の峠だ。

   富川は『シシャモ』の産地で有名だそうだ。ドライブインでは簾のように紐で編んで乾燥させたシシャモを売っていたが、やせ細っていたので買う気は起きなかった。おなか一杯に卵が詰まっていてこそのシシャモだからだ。

   2.日高

   日高平野は酸性度が高く耕作には適さないとかで、牧場が多い。一見したところ墨のように黒い土である。畑には向かないというのが信じられない。黒土の影響か雪は殆どない。牧場には牛馬が放牧されているが、体は黒土で文字通り真っ黒に汚れている。馬を競馬用に訓練する大型の共同設備もあった。

   昼食は日高ウェスタンファームで食べた。銀鮭の切り身を主菜にしたバーベキュウみたいなものだった。料理名が尤もらしく付けてあったが忘れた。自製の紅鮭の燻製を毎日のように食べている私には、加熱すると色が白っぽく変化する銀鮭は、安っぽく感じられて食欲が進まない。                 

   テーブルを挟んで向き合った2人が小さな鉄板の上で調理しながら食べた。仲間は横一列に並ばされたのでお互いに知らない人と向かい合って食べることになり会話も途絶え勝ちだった。鉄板の上では双方の材料が干渉し合う結果、調理も遠慮し勝ちだ。
                               
   その上、店の責任者が1階のお土産の宣伝を長々と喋るので、料理をゆっくりと味わうどころではなかった。まだ食べ終わらない内に、別の団体が席に着いた。店の責任者が先程と全く同じ台詞でお土産の宣伝を始めた。思わず苦笑した。ここは大型観光バスの溜まり場になっていたのだ。

   1階は北海道の物産売り場として賑わっていた。カニとコンブが主力だ。日高コンブが北海道では有名らしく、1等検〜6等検まで等級分けされていた。1等検の場合、1Kgが4000円もしていた。こんな所で買うと荷物になるので旅の終りに買うことにした。コンブの等級の付け方や品質の見方を店員に聞いたが、全く答えられなかった。『私達はあてがわれた物を売るだけ』だそうだ。

   3.十勝〜足寄

   日勝峠からは十勝の大平原が眺められた。周囲の山々は未だ雪に閉ざされて真っ白である。ここからは長さ 140kmもの北海道を代表する十勝山脈が、森進一の歌で有名な『襟裳岬』まで続く。あいにくの曇りで大山脈の眺望は無理だった。が雨も降らなかったのでよしとすべきか?有名な『狩勝峠』は直線で20Km北にある。

   山道の要所要所に落雪避けの屋根がある。この屋根の上には30〜50cmくらい土が盛られ木が植えてある。種を蒔いたのか高さが揃った1〜2mの木がびっしりと生えている。美観のためだそうだが、落雪時には緩衝剤にもなるのではないかと思う。

   十勝平野には大農場が広がり、ヨーロッパの雰囲気がある。1枚の畑の面積は優に2〜3町歩はある。畑の境界には高さ10〜15mくらいに達する木が数m置きに植えてある。防風林も兼ねているようだ。畑の根雪を溶かすために、トラクターで黒い融雪剤を撒いていた。すでに撒かれていたところには雪が殆どない。効果は鮮やかだ。                              
    
   水田は何故か大変少ない。なだらかな傾斜のままに耕作されている畑が殆どだ。民家が少なく、1戸当たりの耕地面積には恵まれているようだ。農家の納屋や農業用機械倉庫が異様なほどに大きい。

   道路の両端には10cmくらい高くした歩道がある。道路の雪解け水は歩道へ流れ出さずに、内側に埋設されている側溝にすのこを介して流れ落ちる構造になってはいるが、段差の内側には塵芥が溜まり大変汚い。タンク車から高圧ホースで水を吹き付け、泥水を歩道の外側に吹き飛ばしていた。真っ黒に汚れた水が放物線を描いて数mも吹き飛ばされていた。民家が道路沿いに建っていないからこそできる作業だ。
   
   根雪の残る北海道では、除雪不十分な道路の場合、路肩が何処にあるのか分からなくなる。その対策として、高さ2〜3mのポールが15m置き位に立ててあった。雪国の安全に不可欠とは言うものの、大自然を深呼吸しながら味わいたい旅行者には何とも目障りだ。

   足寄(アショロ)を過ぎた辺りから、沿線には野生の鹿が増えてきた。道路脇の熊笹は食べ尽くされ、鹿の口が届く高さまでの木々の皮はむしり取られている。最初の頃は鹿も少なく、もの珍しさもあってか見付ける度に車内で喚声が上がり、一旦停車して貰っては写真撮影を繰り返していた。その内にドンドン鹿が多くなり、とうとう10m置きくらいに現れるようになると、森林被害の方が私には気になり始めた。

   4.阿寒湖

   夕方、阿寒湖に到着した。『マリモ』で有名なカルデラ湖である。マリモは成長が大変遅く、直径6cmになるのに 200年も掛かるそうだが本当だろうか?。阿寒湖へ注ぐ川の流れでマリモが回転することにより真円に近付くそうだ。土産物屋で売っているマリモは養殖だそうだ。                     

   阿寒湖の表面は完全に凍結しており、歩くこともできた。真冬には諏訪湖と同じように中央部に氷の山脈ができるそうだ。湖岸ではアイヌの民族衣装を借り、全員で記念写真を撮った。

   ここは一大観光地になっていて御土産屋が軒を連ねている。毛皮専門店もあったが輸入品だそうだ。地元産がこんなにあるはずがないと思って尋ねた。あちこちの店を覗いているうちに、30分は瞬く間に過ぎてしまった。

   5.屈斜路湖〜川湯温泉

   時間に余裕があったので翌日の予定を繰り上げて、屈斜路湖に出掛けた。この湖の岸では温泉が湧き出しており、砂を掘って穴をあければ即露天風呂になる。誰かが掘りっ放しにしていた浅い小さな水溜まりに、手を入れたらなるほど暖かかった。これならば真冬さえ避ければ、十分に露天風呂として使える。

   湖岸から20〜30mは温泉の影響で水も凍らず、大型の白鳥が何百羽も飛来して遊泳していた。湖畔の餌売り場の売店は既に閉まっていたので餌は撒けなかったが、学習効果も十分蓄積済みなのか、白鳥は人影を見付けると集団で近寄ってきた。同行者は早々とバスに舞い戻ったが、今回も私達夫婦は約束の時間までたっぷりと外気を吸った。

   川湯温泉は屈斜路湖のすぐ近くにあった。温泉が川のように流れていたから『湯川温泉』と名付けたかったが、先に開発された函館の『湯ノ川温泉』(こちらには『ノ』がある)に名前を先取りされたので『川湯温泉』と名付けたそうだ。網走の刑務所の囚人が道路を開通させた結果、この辺りの開発が急激に進んだ。

   ここの温泉の酸性度は日本一とかで、お湯が目に染みて痛かった。ここの温泉は濁っていて風呂の底も見えず、硫黄の匂いも強く温泉らしい感じがとりわけ強かった。風呂では『福岡組』『熱海組』など別のパック旅行者にも出会った。

   『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』とは、ここの温泉の濃度のようなものか?。皮膚の弱い人のことも考えてのことであろうが、大浴場は吹き抜けの2階建てになっていて、中2階には『淡水風呂』があった。体はこちらで洗い温泉に浸かりたい人は空中回廊みたいな階段を降りて1階へ行く。
                  
   亜硫酸みたいな温泉の影響か、水道器具は鼠色に錆び果てていた。高温の源泉を使った風呂からスタートし、淡水で薄めると同時に水温も落として3段階に変化して行く。好みの風呂に入れば良いようになっている。
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第3日目

   1.硫黄山

   快晴。朝の気温は零下3度まで下がったが風もなく寒さは感じない。硫黄山へと出掛ける。快晴の中で記念撮影。硫黄山の山裾では地底の穴から高温の蒸気が快音を伴って吹き出していた。お湯が単に流れ出ている所よりは温泉地帯らしく感じる。傍らには白樺の雑木林もあり、景色も悪くない。

   2.摩周湖

   霧で有名な『摩周湖』が快晴のために、丘の上から全体をくっきりと眺められた。水面は何故か全く凍っていない。 100mを越える外輪山風の絶壁付きの山に完全に取り囲まれている。湖岸に降りて行く道もない。生活排水が構造的にも流れ込まないので湖水が透明な筈だ。酸性度が高く魚もきっといないのだろう。これなら当分の間、透明度の高さはキープできそうだ。        

   水の色は日光が反射して紺碧だ。トルコで眺めたエーゲ海の色そっくりだ。木々に咲いた樹氷が美しい。久々に壮快感を味わう。丘の上には2階建ての休憩所兼売店があった。売っているものは、今迄出会った店とさして変わらないがマリモは流石に多かった。氷で冷やしただけの缶ビールが 350円もした。観光地の物価は何処も高い。

   3.網走

   網走の刑務所は丘の上に移築され『網走監獄館』という名前の博物館として保存されている。独房の一部は明治村にも移築されているが、こちらの博物館には全部がそっくり移されている。集団で入居する大部屋は文字通りタコ部屋だ。長い丸太を枕として共同で使う。一端を杵で叩けば全員を一度に起こせる。
         
   大浴場やお説教の部屋、囚人による北海道開拓作業のジオラマなど1時間では足りないほどの見所がある。脱走犯の事例説明になると格別に熱心だ。『ここにはこんなに腕利きの牢破りがいた』とあんまり強調されると、囚人を褒めているのかと勘違いし兼ねない。

   最後に無料の甘酒が振る舞われた。博物館の運営は第3セクターの独立採算になっているのではないか?。関係者がとにかく驚くほどに親切だ。出入り口の道路の両側に新雪がぽっかり積もっていたので、ホテルから無断で借りたガラスコップに雪を詰め込み、ウィスキーを雪割りにして飲んだ。飲み終わってコップの底を見たら、煤煙によく似た固形分がドッサリ残った。

  4.網走海鮮市場

   昼食を食べた網走海鮮市場の2階の大食堂は数百名も入れそうな大きさで、予約の大型弁当が既に並べてあった。御園座の幕間食堂を大きくしたような感じだ。パック旅行の単価の違いか、弁当には上下がある。朝食で満腹になっていた上に、トイレ休憩に立ち寄るドライブインでも缶ビール(高い!。DSの2倍、 350円もする。どうやら価格は横並びで統一しているようだ)を飲んだり、ウイスキーの雪割りを飲んだりしていたので、食欲は殆どなかった。           

   殆どは箸も付けずに食べ残した。それでも車の運転から解放されたほろ酔い加減の旅の方が気にいっていたので、勿体ないとは思わなかった。   

   1階の海鮮市場は豊田そごうの『北海道物産展』の大型版だ。生きているカニもどっさりキープされている。豪華だったので買いたかったが荷物にもなるし、帰り着く前には死ぬだろうと思って諦めた。現地だと言っても観光客相手のこの種のドライブインは値段が高い。            
                    
   日高コンブを買おうとしたら、昨日の店よりも2割も高い。『2割引け!』と言ったが1割しか割り引かなかったので見送った。その代わりに定価が印刷されている加工食品『紅鮭のコンブ巻き』を買った。これはホテルと同じ価格だった。

   5.オホーツク海

   海鮮市場の横はオホーツク海である。天気さえよければここから知床半島の山並みが見えるそうだが、生憎の曇天で途中までしか見えない。海の色は鉛色で重苦しい。北洋漁業の自然の厳しさをふと連想した。流氷は既に殆ど姿を消していたが、海岸にはまだ多かった。
                          
    500mくらい離れた位置には流氷がどっさり残っているのが分かったので、時間を気にしながらも妻と大急ぎで出掛けた。『流氷は既に小さいので乗るのは危険だ』と言われてはいたが、大きいのを選んで飛び乗った。ぐらぐらと揺れた。海は遠浅なので危険は感じなかった。

   流氷の氷でオンザロックを作りたかったが無理だった。流氷の上にはたっぷりと雪が積もっており、氷そのものが深い水中に没しているために取り出せなかった。海岸にはまだ雪が2mも積もっている所もある。海岸通りへの近道を適当に探して歩いていたら、靴が雪に突然めり込んで膝まで没し、靴の中は雪だらけになってしまった。      
                         
   網走の海岸沿いには湖が何故か多い。北海道1の大きさを誇る『サロマ湖』はすぐ北にあるとは言うものの、観光コースには入っていない。細長い網走湖の北側の道路を通りながら層雲峡へと向かう。北見平野にはまだ未開拓地が残っている。人口が少ないのか家も少ない。北海道には瓦葺きの家がない。除雪に便利な鉄板屋根が目立つ。どことなく豪華さを感じないのは偏見か?。

   6.北見平野〜石北峠

   北見平野にはこれと言った印象に残る観光資源がなかった。旅の疲れと酒の飲み過ぎも手伝って結局半分は寝てしまった。所々低い峠を越える場所もあった。

   その時のことである。2号車が左の山側へ反転した。左のタイヤが約1m落ちている。運転手が運転中に行程表を確認していて起こした事故だった。右側は絶壁だったので不幸中の幸いと言うべきか。2号車の客は1&3号車に便乗する事になり半分乗り込んだところで、臨時にチャーターしたバスが早くも到着して乗り直し。事故車よりも遥かに立派なバスだ。この間僅かに15分。

   程なく『石北峠』に到着。この名前も石狩と北見から1字ずつ取った合成語だ。この峠を過ぎるといよいよ大雪山国立公園だ。道の両側の山肌が段々急俊になってくる。『銀河流星の滝』をバスから降りて眺める。滝の殆どは凍結していた。ほんの一部に雪解け水が流れていた。轟音が聞こえ、水飛沫が飛び散る滝ならば臨場感もあって楽しいが、時節がら沈黙されてもやむを得ない。

   7.層雲峡

   層雲峡は石狩川の上流だ。北海道で付けられた地名の中では抜群の冴えだ。中国の山水画の世界を連想させて、到着する前から大きな期待を持たせてくれる。近付くにつれて峡谷美が迫ってくる。谷沿の坂道の両側は 100mを越える絶壁だ。

   秋の紅葉はさぞかし美しいことだろうと思う。札幌の雪祭を真似たのか、河原に雪像の残骸が放置されていた。ほんの1週間前までは雪祭をしていたそうだ。骨格の構造材を片付けるにはまだ雪が多くて邪魔だ。   

   その河原を正に見下ろす1等地に層雲峡プリンスホテルがあった。1,500人も宿泊できる巨大ホテルだ。ここでも和室付きのスウィートルームだった。しかし、大きなホテルの2階の端っこに近い部屋を割り当てられたため、大浴場へは水平移動で 100m、それから9階へエレベータで登ることになり不便極まりない。大型ホテルは何回も温泉に入りたい者には不便だ。
                 
   ホテルの大広間では夕食が既に用意されていた。バス会社の営業担当役員が事故のお詫の挨拶に来た。『創業25年で初めての事故』と言ったが本当かどうか?。客の何人かは念のため病院に行った。部分的な出血者も骨折者もいなかったので大したことはなさそうだ。お詫びに参加者全員に飲み物が1本サービスされた。7時のNHKニュースで事故が早速報道されたそうだ。翌日の新聞にも報道された結果、皆満足げだった。

   夜明け前に9階の大浴場に出掛けた。外は快晴だ。真っ青な空を背景にして、真っ白い雪に覆われた高さ2290mのコニーデ型火山(大雪山)が目の前に聳え立つ。荘厳さが漂う。温泉に入ったり出たりしながら、今や遅しとご来光を待つ。
   
   ところがところが、予期せぬ位置から太陽が出てきた。大雪山の稜線からではなく目の前に塞がる低い山から出てきたのであった。最初から光は眩しくて正視もできない。でも風呂から眺められたから我慢して暫く山々の変わり行く色の変化を観賞した。
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第4日目

   1.層雲峡〜旭川

   パック旅行の募集時点では昼頃に千歳空港を出発する予定だったが、今回は飛行機の都合で 18.15発に変わっていた。ラッキーだ!。昨夜の事故へのお詫びの意味も込めて、札幌市内観光が無料で追加され、各バスには差し入れの飲み物やお菓子類も積み込まれた。

   早朝の冷気を切って快晴の中、層雲峡を後にして旭川へと向かう。バスの後から窓越しに眺める大雪山は、朝日に白く輝き、神々しささえ感じる。この辺りは北海道の地図から連想していた地形とは大きな違いがあった。地図では北海道の中央部は茶色に塗り潰されているので、北アルプスのように周囲は山また山からなる山岳地帯かと思っていた。

   ところが『上川盆地』は大変広く且つ極めて平坦であった。そのため海岸に接する大平野のように感じてしまった。この平野の度真ん中に、直径20Kmくらいの大雪山が聳え立っている。山が占めている面積が大変狭いのだ。30分足らずでバスは平らな盆地に来てしまった。どこまで来ても大雪山の頂上が美しく映える。

   旭川は北海道第2の人口を誇る大都市とは名ばかりで、大型ビルも見掛けず小さな地方都市にしか映らず拍子抜けだった。車窓からきょろきょろする気も起こらず、心は既に札幌に飛んでいた。

   2.旭川〜札幌

   北海道の高速道路は未発達だ。札幌を起点に小樽・室蘭・旭川までの3本があるだけだ。しかしこの沿線だけで北海道人の8割が住んでいるような気がする。旭川から札幌までは1時間強の距離である。

   石狩平野はさすがに広い。山々ははるか遠くに見える。ところが石狩炭田の全盛時代に開けた中小都市があるだけではなく、札幌の衛星都市も散在するためか、旭川から札幌までは殆ど切れ目なく家並が続く。北海道の自然の雄大さはもはや感じられず、愛知県の過密ぶりとさして変わらない。道東部分と違い雪も少なく、水田の雪も殆ど溶けていた。

   待望の札幌に着く。厚別川にダンプで運んだ雪が山のように捨ててあった。薄汚れた雪だ。除雪により札幌の埃は清掃されているかのようだ。札幌の中心部をバスで30分余り回って観光後、テレビ塔の下で解散した。集合時刻は 15.00だそうだ。

   3.札幌

   札幌に来たからには何はともあれ、札幌ラーメンを食べに行かねばならない。テレビ塔の回りを探したがそれらしき店がない。地下街にもない。丸井今井百貨店にも出掛けたが専門店がない。あちらこちら尋ね歩いて、札幌を代表するアーケード街『狸小路』の一角でやっと『豚骨ラーメンの専門店』を見付けた。

   店内は満員だ。大きなスープの鍋が2つある。1つは濃い、骨がはみ出る程入っている原液の鍋だ。その隣では原液とお湯を調合して何時でも使えるように準備された大鍋が沸騰している。この店の麺は断面が太い。チャンポンの太さだ。ラーメンを準備する都度、味を確認して出している。さすがに美味しく満足した。塩加減も客の希望に合わせている。大盛りを食べたら満腹になってしまった。

   一服後、有名な二条市場に出掛けた。海老・カニを中心とした海産物の専門店が集積したマーケットだ。たらばガニも安い。1Kg3000円見当だ。買いたかったが重たいので止めた。ドライブインの海鮮市場よりも断然安い。

   時計台はこの春から改装中で外部からしか見学できず残念。北海道庁旧庁舎は建物その物よりも、都心に残された広い庭園が今となっては大変貴重に思える。雪祭も終わった 100m通りはごみが散らかったままで大変汚かった。雪解け直後の水溜まりもあちこちにあり、下を向いて歩かねばならなかった。

   札幌はかつて冬季オリンピックの開催準備と共に大発展を遂げ、今なお人口の膨脹が続いている。明治初期に立てた碁盤割りの都市計画が今尚益々威力を発揮している。都心部に聳えるビルの建設は一昔前に終わったようだ。古いビルが多く、また延べ床面積が10万uを越える大型ビルは全く見掛けなかった。夫婦で数時間散歩したのも久し振りだった。

   札幌市は高度成長時代に、一瞬にして人口で福岡市を抜き去っただけではなく、神戸市、京都市もゴボウ抜きにした。今や、東京23区・横浜・大阪・名古屋に次ぐ日本第5位の人口を誇る大都市になっただけではなく、人口の伸びが止まった名古屋市すら追い越す勢いで、旧6大都市と言う言葉をスッカリ死語にしてしまった。

   しかし、都心には大都市の風格を感じさせるものがないのは何故か?。超高層の大型ホテルがない。超大型デパートの集積がない。札幌民衆駅(追記。平成9年3月18日。新札幌駅に大丸が進出すると発表。売り場面積は札幌一)が小さい。新幹線がない。建設中の大型建築工事を見掛けない。全九州の設備投資額の半分以上が集中している、現在の福岡市の活気がこちらにはないのが寂しい。それにつけても今後の両都市の行く末の比較が楽しみだ。

   とは言え、新千歳は日本の北の玄関口に相応しい立派な国際空港だ。2都市(東京〜札幌)間の旅客数世界一に恥じない規模と使い易さだ。旅客ビルの巨大な空間にお土産物屋が 100店近くも入っているのに、何処も大賑わいなのはご同慶の至りだ。

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おわりに

   昭和26年、中学1年の時に使った日本地理の教科書では、北海道を『未開発資源の宝庫、狭い国土に人がひしめく日本の宝』と紹介していた。『北海道さえ上手く開拓すれば、戦争で廃墟になった戦後の日本でも何とか生き延びて行ける』との教科書執筆者の祈りが込められているように、子供心にも感じたものだ。

   ところが執筆者の期待と予想をはるかに越えた経済発展の結果、北海道の代表的な資源『石炭・木材・漁業・水田』が無用の長物になったどころか、逆に日本国民のお荷物になってしまった。今後は『産業資源』から『観光資源』として、北海道の再開発が進む事を祈らずにはおれなかった。しかし、少なくとも九州生れの私には、苦労までして定住したくなるような魅力ある土地とは思えなかった。

   ともあれ短い旅だったが、初めての北海道は楽しかった。旅費が安くて助かっただけではなく、久し振りに夫婦の会話も弾んだ。職場やスポーツ仲間に北海道旅行を何度か宣伝していたら、近々職場で定年も近付いてきたある方が、夫婦で出かけるそうだ。どんな印象を話してくれるか楽しみだ。
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