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旅行記
           
オセアニア
グアム(平成12年2月12日脱稿)

      『何時でも何処でも好きなだけ、夫婦で旅行ができる人生が始まる』と一日千秋の思いで待ち続けていた定年(平成10年9月1日)だったのに“好事魔多し”とばかり、急に決まった次女の結婚式(平成10年11月29日)や初孫の誕生(平成11年1月5日)に加えて一向に仕事を止めようとしない妻の都合にも阻まれ、年金生活開始後の第1回海外旅行(夫婦別々の旅行は除く)は延び延びになっていた。

  しかし、運よく溜まっていたマイレッジ・サービスの有効期限は、我が夫婦の勝手な希望など無視するかのように後2ヶ月と迫って来た。
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はじめに

   定年間際なのに、職場関係者による特別な配慮に支えられて、平成10年の春には『トルコ・パキスタン・ベトナム』、夏には『ロンドン経由・南ア・ブラジル・アルゼンチン・パラグァイ・ロス経由帰国』と言う文字通り世界一周の海外出張に恵まれた。その結果、日本航空と全日空の累積搭乗距離(マイレッジ・サービス)が急増し、夫々2万マイルを突破。しかし、平成12年元旦になると3年前の搭乗距離は失効し、日本航空分は2万マイル未満となり、利用価値は激減してしまう。

   夫婦で出かけた最後の海外旅行は平成9年春の中国(西安・蘇州・無錫・南京・上海)だった。海外旅行にもすっかり慣れてしまった妻は友人との旅の方が楽しいらしく、私より一足先にイタリア・香港マカオ・韓国などに出掛けてしまった。私はそれらの国にはゴルフ友達を無理やり誘って、出かける羽目になるのが通例になり始めた。例えば今春(平成12年4月7日出発)、妻に数年遅れて『イタリア18都市13日コース』にゴルフ友達と4人で出かける予定だ。

   2万マイルで貰える往復無料航空券は、飛行時間数時間圏内のアジア路線に限定されており、2人とも初めての場所となるとその選択肢は限られてしまう。その中から選んだのが今回のグアムだった。両社とも昨年末は特別キャンペーン期間中でハワイも含まれていたが、私には海外初出張(米国)の帰途に立ち寄り済みだった。揉め事回避策として妻には言わずもがな、ハワイにも行けるとは明かさずに、候補地を相談。

   無料切符を満喫するには、パック旅行が季節的に高くなる頃が、内容は同じでも割安感が味わえて愉快だ。そこでクリスマス・シーズンを選んだ。マイレッジ・サービスに割り当てられている座席数は意外に少ないらしい。2ヶ月前に申し込んだにも拘らず、共に20番目位のキャンセル待ち扱いにされた。だが幸いにも、2週間後には夫々予約が取れた。パック旅行取扱の大手旅行社がコンピュータの2千年問題から予期せぬ集客難に襲われ、相次いでキャンセルしたのだろうか?

   日本航空の場合は名古屋空港から昼間の発着。全日空は関西空港からの不便な深夜発着。妻は勤務の制約(毎年変わるが、当時は小学校の講師)からやむなく全日空を選択したので、私は日本航空となり、グアムのホテルで落ち合うことにした。妻の独り旅は数年前の米国・ウィスコンシン州(長女のホームスティ先)行き以来、今回で2回目。『グアム空港への深夜の出迎えは不要』と言う等、海外旅行での我が負担もどんどん軽くなってきた。

   航空券は無料でも、ホテル代・食費・現地交通費・現地観光ツアー代は当然の事ながら別途必要となり、激安パックと比較すれば然したる価値もないのだが年初来の株価の回復も手伝って、僅かばかり増加した金融資産からお小遣いを捻出し、海外出張の付録と考えて気楽に出かけた。題して『61歳の回春旅行』。
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初日

[1]グアムの人文地理

   グアムは東経144度55分、北緯13度34分にあり、東経145度35分の根室よりも西、バンコック(13度44分)とほぼ同じ緯度にある常夏の島だ。面積541平方Km(淡路島593平方Km)。サイパンとは隣り合わせ。気温は年中28度、快適なリゾート・アイランドだ。この程度の情報でもいわゆる『ガイドブック』では殆ど省略。手元の『理科年表』と『広辞苑』から拾ったものだ。

   日本との時差はたったの1時間、飛行時間は僅か3時間半。北部は珊瑚礁、南部は火山。最高峰は406mのラムラム山。滝や川、山間部には大きな湖もあり、貴重な水源地帯は米軍の厳重な管理下に置かれている。火山の影響か直近の地震による山崩れの跡も生々しく、ホテルは2軒も崩壊したそうだ。

   マゼランも到着。米西戦争後フィリピン、プエルト・リコ等と一緒に米国に帰属(1898)。人口は僅かに14万人。先住民・フィリピン人・韓国人に続き日本人も数千人いるそうだ。しかしハワイとは異なり、まだ米国大統領の選挙権は何故かない。

   グアムはGUAMなのに、GUMと勘違いしているのか、日本人には『ガム』と発音する人が多くてウンザリする。『グアムに行ってきた』と言うと、老婆心からか私が間違えているとばかりに、グアムには行ったこともない友人達から発音を『ガム』と訂正させられるとは!。因みにGUMとは『チューインガム』のガムである。

[2]空港⇒ホテル

   日本航空のサービスには全日空と比べて一日の長がある。グアムに到着したら、希望者全員に熱砂の海岸散歩用のサンダルをプレゼントしてくれただけではない。帰途は『ビジネス・クラス』に格上げしてくれた。スチュワーデスに『私は無料切符を使っているのに、どうして格上げしてくれたの?』『マイレッジ・サービスのお客様は格安パック旅行のお客様よりも、日本航空側への累積支払い金額が大きいため、ビジネス・クラスに空席があれば、ご利用頂くことになっているのです』

   グアム空港ビルに豪華さはないが、機能的な設計だ。しかし、パック・ツアーの客には宿泊ホテルからの送迎バスもあるが、フリーの客には公共交通機関もないと言うつれなさ。関係者はフリーの客が送迎バスに便乗するのを阻止すべく、一人ずつ名簿と照合している。その日のタクシー・ドライバーはフィリピン人だった。タクシー料金は日本並だ。空港出発料金はご多分に漏れずここでも復路(市内発空港行き)の約5割増。10分位乗った距離で21$。妻は乗車前交渉の結果、深夜なのに15$。どうやら、私は迂回されたようだ。

   5百室強の中規模(部屋数だけはグアム第3位)C級ホテル『グアム・プラザ』に到着。C級でもさすがはアメリカ。部屋の広さは優に40平方メートルもあり、イスタンブールで何度も泊まったヒルトン・クラス。設備や備品に贅沢さはないが不満もない。海外版のNHKも楽しめる。冷蔵庫内は空(日本のホテルでも目下激増中)だったが、ホテル内のコンビニでビールやオレンジ・ジュースを買い求めて詰め込む。当然の結果として飲み物は安くなり、年金生活者には有り難い。ホテルの予約は『新日本トラベル』経由で5割引。復活した円高のお陰もあり、1泊8500円は日本の同クラスホテルよりも断然安い。

   このホテルは8階建て2棟から構成され、煉瓦色の明るい壁面には夫々『グアム・プラザ』『ジャパン・プラザ』と書かれている。日本からの激安パック・ツアー客がお得意様らしい。到着直前にドライバーは『あの赤い色のホテル』と指差したが、見当も付かない。色の感じ方・表現方法には民族差が大きい。例えば、日本人は太陽の色を赤と表現するが海外では、白・黄・オレンジなど様々だ。

   高級志向の新婚客は少なかった。2台のエレベータの定位置は1階と6階だった。どの階でエレベータをコールしても2階差以内の位置から来るので、待ち時間が少なくて合理的だ。日本の新聞も半日遅れで到着。株価変動が気になる身には有り難い。

[3]都心の一人歩き

   妻が到着する前に少しは生の情報を仕入れるべく部屋から飛び出す。ホテルの中にも巨大な免税店(宿泊客は10%引き)があった。グアム全島が免税扱いなのに、個々の店が免税店と大書しているのは滑稽だ。『自店のみが免税店だ!』と言わぬばかりだ。当ホテルは都心最大の四つ角にあり、陸側に位置する以外はベスト・ポジションだ。海水浴には関心がないので、プライベート・ビーチは私には無用の長物だ。

   四つ角で横断しようとしても、なかなか青信号にならない。さすがは車社会のアメリカか?と感心していたら、押しボタン・システムだったのだ。押せば直ぐに信号が変わるが、早足で道を横断する時間しか許されない。歩いている人は昼間でも少なく、実に効率的だ。

   人口も少ない小さな島なのに、幹線道路は片側3車線。右左折用レーンにはセンターライン(1車線分の幅がある)のスペースを使うので渋滞もなく、さすがはアメリカ人の都市計画だと感心。目障りでしかも不格好な横断歩道橋もゴミもなく、ホームレスも乞食も見掛けず、美しくて且つ清潔な大通りだ。

   幹線道路を挟んで山側には有名なブランド店もある『ギャラリア』、海側にはショッピングセンター『プラザ』があった。客の7割は一見してそれと分かる日本人だ。こちらには食堂街もあり、大きなうどん屋・寿司屋・ラーメン屋もあった。両替商の手数料は主要通貨のうち日本円が一番安かった。他通貨は2〜3倍の手数料だ。1割を越えるものすらある。

   グアムのホテルはおよそ1万室。年百万人強の観光客が数日間滞在すれば、ほぼ年中満室だ。欧米人は殆ど見掛けなかった。アメリカ人は距離が近いハワイまで、ヨーロッパ人は地中海沿岸等に出かけるためか?。従って、グアムはアジア人に占拠されたも同然だ。韓国・台湾・香港人らしき人にも度々出会う。タクシードライバーによれば若者は、英語の次には先住民の言葉よりも、日本語の方を熱心に勉強しているらしい。私は意地でも英語で通した。

   年中常夏のためか観光客数の季節変動は小さく、観光業者には好都合だ。日本は夏冬共にシーズンが短く、業者には気の毒。レジャー関連の日本の物価が高くなるのもやむを得ないか?。円高と免税の相乗効果でビールも安い。缶ビールは原則として1$。6個ならば10%引き。水・ビール・ジュース・ソフトドリンク等の価格には殆ど差がない。製造原価よりも流通経費が大きいからだ。

   深夜、部屋の電話が鳴った。ホテルに妻が到着したのだ。独り旅の自信は一層強まったようだ。4歳年上の姉が夫の遺産を財源に、友達と海外旅行を始めるや否やのめり込んだ。昔からの友達はとうとう付き合い切れなくなったらしく、徐々に一人でパック旅行に参加するようになった。既に50ヶ国を突破。       

   年賀状によれば、昨年はシリア・ヨルダン・レバノン・イスラエル・ボツワナ・ジンバブエ・南ア(ブルートレイン)・済州島などなど。南ア以外は私には全て未訪問国。ブルートレインは勿論未体験。会う度に『どこの国が面白い?』と聞く。まだ36ヶ国の私には情報不足だ。『インドに行けば、人生観が変わるよ』と言うと、『不潔な国は嫌』と食わず嫌い。『妻が近い将来、姉のようにならねば良いが!』との不安が脳裏を一瞬掠める。
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日目

[1]オプショナル・ツアー

   ホテルで入手した観光パンフレットを広げてざっと数えたら、オプショナル・ツアーが60コースもあった。昼・夜・陸・海・1日・半日・買い物・食事・ショー・スポーツなど考え得る全てが勢揃い。マリーン・スポーツには飛行機を動員したコースもある。ホテル内には旅行代理店が数社も事務所を構え、至れり尽くせりだ。どのコースも原則としてホテルまで送迎バスが来る。主要ホテルを回遊して客を集めるシステムが定着している。

   文化遺産もさしたる自然の景観も殆ど無い小さな絶海の孤島なのに、老若男女のあらゆる要望を満たすべく、唯一の資産である常夏を生かしての観光開発努力は見上げたものだ。日本の観光コースは京都奈良は言わずもがな、大抵は文化遺産を眺めた後、温泉に入り、客室で懐石料理を食べると言うのが定番だ。料金だけはベラ棒に高く、業者の努力は無きに等しい。類型的過ぎて皆んな飽き飽きしている。日本各地の老舗観光ホテルが倒産するのは自業自得だ。

   ホテル内のJTBに出かけた。『何処の旅行社のお客様ですか?』『旅行社を介さずに、単独で来ました。質問の目的(意味)が分かりません』『グアムでは、オプショナル・ツアーの申し込みは、日本でご利用なされた旅行社の出先事務所が受け付けることになっています』。つまり、現地での客の争奪戦を避けるための自主規制が、こんな所にもあったのだ!。しかし、フリーの客は何処の旅行社でも申し込め、料金差もないと判明。やれやれ。日本人の考え付きそうな規制だ。

[2]マイクロネシア・モール

   グアム最大のショッピング・センターに出かけた。人口が少ないのに何故採算が取れるのかに、関心があった。ホテルをグループ分け(A〜D)したコース別の巡回バスが30分間隔で走っている。バスは最近になって有料化。有料化しても客が減らないことに気付いたらしい。独占の強みだ。

   2階建て、売り場面積7万平方メートル(豊田そごうの2倍)に200店以上ものテナントがひしめく。生活必需品を扱うスーパーも併設されていたが、何故か入り口は別だ。

   客は観光客が主だ。中核テナントらしきものはなく、小さな店の集合体だ。大駐車場を備えてはいるが地元民用。レンタカー利用者は少ない。建物は鉄骨造りで実用本位。冷房も軽く入れている程度だ。中には大人も楽しめる小さなレジャーランドもあった。高級品は少なく御土産品やTシャツなど気楽に買える実用品が中心で、目の保養にはならなかった。御土産に半額セールス中のチョコレートを24箱買ったら、旅行カバンの半分が埋まってしまった。

   中央部は吹き抜け構造。大きな吹き抜けを取り囲む2階の回廊には各国の郷土料理店がびっしり。米・中・日・韓・タイ・ベトナム・イタリア・ロシアなど数え切れない。殆どの観光客には自国料理も食べられる。価格も意外に安く、ラーメンやうどんも日本と似た値段だ。

   観光客は御土産を買わねばと張り切っているのか、平均客単価は1万円を越えそうだ(注。日本の一流デパートでも客単価は5〜7千円、コンビニは7〜8百円)。客が疎らでも商売は成立するようだ。テナントが撤退して歯抜けと化した場所がない。年中、安定して客が来る強みだ。

   スーパーも覗いた。生鮮食料品から日用品まで生活必需品は全部揃っている。島内産品は一部の野菜と果物だけだ。時節がら大きな七面鳥も売っていた。豚の足1本大のハムもある。買いたかったが、持ち帰るのが大変なので諦めた。どの商品も日本より3〜5割は安い。円高と免税だけでは説明できない安さだ。日本の流通業の効率の悪さは何時まで続くのだろうか?

   さすがに南国。果物の種類も多い。原則として量り売り。売り場には『お客様の便宜のために』と称して、随所にバネ秤が天井から吊されている。日本ではパック化された商品の重量を確認できないどころか、量目不足が周期的に話題になるのは、何とも情けない。

   レジ配置も合理的だ。購入点数が少ない人専用のレジがあった。但し、支払い手段は現金のみ。カードの客は信用調査に時間が掛かるのだ。海外の大型スーパーではしばしば見掛けるが、日本ではまだ出会ったことのないレジ・システムだ。日本では単身者や男の買い物点数は主婦に比べ圧倒的に少ないのに、この種のサービス精神がない。

[3]海岸

   事前に調査済みだったので迷わずに行けた。幹線道路と海岸との間にはホテルが連続してあり、海岸へ抜け出る迷路のような細道を探すのに最初は苦労したのだ。2度も行き止まりに突き当たり、前進を阻止された。

   やっと海岸に辿り着いたが、そこで遊んでいる人は少なかった。臨海ホテルの利用者はプールで泳いでいたのだ。海岸には店もなく散歩していても詰まらない。湾曲した弧に沿ってそそり立つホテル群を眺め、写真を撮れば最早仕事は見つからない。ビーチサンダルの履き心地を試しただけで終わった。

[4]プラザ

   グアムと言うのに、ここではハワイの御土産屋がのさばっている。ハワイアン・チョコレートだけではない。衣類・玩具・食べ物・小物商品・飾り物など、圧倒的な物量だ。とは言ってもメイド・イン・ハワイは少ない。それらに比べれば、グアムの名を関した商品などなきに等しい。

   ハワイの特産店に入ったら突然『首飾り』を掛けられた。『無料』と言う。貰っても有難みの湧かない飾りだが、旅の道連れにしばらくの時間、首に掛けたまま、過ごした。

   ハーゲンダッツのアイスクリーム屋があった。人だかりがしている。プラザの冷房は軽い。喉が乾く旅人にはオアシスだ。ソフトクリームのように食べ尽くせる容器に入れて売るのだが、容器の加工精度が悪く、解けたアイスクリームが漏れ出して食べ難い。結局手まで汚れ、文字通りお手洗いに行く始末。日本製品が懐かしい。

   期末なのか閉店なのか、酒を3割引で売っている店があった。本物か偽物か分からないが、免税品を3割引で売って採算が合うのだろうか?。ロイヤル・サルートもびっくり価格の6000円。『瀬戸物の瓶を包んでいるビロード製の布袋は何故ないの?』と聞くと、『その分、安くしてあります』との曖昧な返事。並行輸入品なのか理由は不明。

[5]ギャラリア

   こちらはプラザとは対照的に欧州の装身具や化粧品のブランド・ショップとTシャツなどの軽衣料の御土産屋だ。建物の外観はギリシア建築風で洒落ているが、1階建て。食料品や飲食店もなく、詰まらない。地の利だけではマイクロネシア・モールには太刀打ちできないようだ。
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日目

[1]南部ひとめぐりコース(1日コース)

   北部は軍事施設が占拠し、観光地は南部中心だそうだ。マイクロバスにほぼ満席。日本人ばかりだ。煙突産業がないためか空気が澄んでいる。唯一の汚点は火力発電所だった。絶海の孤島をいいことに、排煙脱硫処理もせずに煙モクモク。ふと巨大な建物の壁面を見たら、日本の商社の名前。こんな所で手抜き工事をしているとは、情けない。

   島民の住宅街を通過。程ほどサイズの屋敷(100〜200坪)にこじんまりとしたカラフルな平屋建て(30〜50坪)。花木が芝生に映えて美しい。典型的なアメリカ式住宅だ。本国に比べれば格落ちとは言うものの、日本よりもゆとりがあり、幸せだ。コンクリートやブロック造りが主。島には材木になる木がないためか。

   老ガイドは日本語が上手い。韓国人だった。人里離れた所ではあちこちで山火事を発見。毎日のように発生するらしい。観光客が道端に捨てたペットボトルやガラス瓶のレンズ効果で乾季には枯れ草が燃え出す。自然鎮火はなく、消防車が出動。道路に沿って電柱が並び、頂上には電線、中程には電話線が張られている。火事は道路際で発生するから、電話線が焼け落ちる。その修復工事を目撃した。確率的には日本人が犯人と言えなくもないが、観光グアムの悩みだ。

@ジャングル

   最初の観光スポットはジャングルの中の散歩。ガイドが珍しい花・木・果物の説明をしてくれるが、直ぐに忘れてしまう。『庭に1本の椰子の木があれば、一家が不自由しない』と何度も聞いたことがあるが、定量的な解説を受けた体験は今までになかった。今回のガイドは物知りだ。

   椰子の木の寿命は50〜100年。1本から年に約100個の実が採れる。若い実のジュースは飲めるが、熟すとまずい。熟した実からはココナッツを掻き取る。椰子の殻は蚊取り線香の代用品になる。タワシも造れるし、燃料にもなる。幹は加圧加熱成型すると、食器やお玉など軽くて丈夫な民芸品的な日用品ができるだけではなく、燃料にもなる。葉は屋根の材料だ。『な〜るほど』と納得。

   やがて、小さな滝もある広場へ出た。そこでは、先住民の老人が椰子の葉による帽子作りを実演。出来立ての帽子・お皿・果物籠などが展示されていた。また、観光客相手にココナッツを椰子の実から取り出す実演を見せる若者もいた。ココナッツは椰子の実の内側に厚さ15mmくらいに張り付いた白い果肉である。地上に固定した半円形の目立てされた金属製の刃へ、下向きにした半割りの実を擦り付けて掻き取ると、下の容器に落ちて行く。

   観光客に向かい『どなたか、やって見ませんか?』。待っていましたとばかりに手を上げる。ガリガリ擦ると、初体験でも程々に上手く行く。終わったら、椰子の葉で編んだ帽子をくれた。その途端、引っ込み思案だった観光客が我先にと、挑戦。挑戦しなかった人にも希望者全員に御土産配布。妻は帽子をもらった。

   次に、若者はココナッツ・キャンディ作りを実演。フライパンに砂糖を入れカラメル状に焼き、ココナッツと香辛料を入れ掻き混ぜると完成。少しずつ観光客に配る。美味しかったが、塩味抜きが物足りない。ぜんざいも塩味で一層美味しく感じるので、『どうして、塩を入れないの?』『塩辛くなるからさ』。先住民の若者には『塩が持つ隠し味』には未体験だったようだ。             

   バナナの葉の秘密も知った。生の葉は裂けやすいし、切れやすい。しかし、加熱すると丈夫になる。その利用法の一つは、最後のショー『蒸し焼き料理』にあった。焼け石の上にバナナの葉で包んだ材料を置き、上から土を被せる。既に蒸し焼き済みの料理も用意されていた。

   若者は徐(おもむろ)にバナナの葉を広げ、『イグアナ料理』と言ってお客さんに振る舞う。最初に食べた私がすかさず『これは、チキンにそっくりの味だ』と言うと、ガイドが『私は、コメントする立場にない』と発言。彼の真意は即座に伝播。その頃には、次の団体がやってきた。先住民も忙しい。無料の御土産作りに追われている。

A細道

   ここまで連れてきたガイドはバスの中で休憩。先住民のガイドに代った。新ガイドがジャングルの中に開かれた一人ずつしか通れない細い道伝いに植物の説明を始めた。日本語は殆ど話せない。中途半端な英語による説明だ。同行者のために自主的に通訳をかって出た。途端にかれは私を『ガイドさん』と呼び始めた。

   花が咲いている木が次々に現れてくる。道を作った後に木を植えたのか、美しい木を探して道を作ったの分からないが、素晴らしい花木や野生のランに見とれる。終着地には池があった。そこは小川の源流だった。

   ガイドから受け取った食パンを千切って池に投げ込むと、突然無数の魚が現れた。余程餌不足の状態にあるのだろうか?

Bトロピカル・フルーツ・ワールド

   最近、果物公園が各国で流行し始めたようだ。花や珍木中心の植物園だけでは、魅力が足りないらしい。ここも今なお拡張中だ。休憩所では絞りたての砂糖入りフルーツ・ジュースのサービス。

   タイヤ付きトロッコを連結し、大型のトラクターがゆっくりと引いていく。未舗装のでこぼこした坂道をのろのろと下る。道路に沿って無数の果物の木が現れてくるシステムだ。立て札の説明を読むのに忙しい。パパイアは移植しないと、大きな実がならないそうだが、何故だか理由はさっぱり分からない。

   南国とはいえ、椰子のように年中収穫できる果物ばかりとは限らない。雨季や乾季に刺激を受けるのか、季節限定の果物もあり、実も花も今は付いていない種類も結構多かった。

Cチャモロ料理

   昼食は海岸に面したレストランでのチャモロ料理だった。韓国人の経営だった。客の殆ども韓国人だ。子供連れの家族旅行客が多い。韓国が豊かになったと実感。海岸にはプールもあり、屋外で食事をしている客も多い。泳いでいる人はいない。どうやら、グアムでは海に入る人は少ないようだ。何となく不潔感が漂う。海岸の砂は珊瑚の破片。ハワイのように砂を運び込んで海岸を美しくする程の努力はしないようだ。

Dタロフィフィの滝

   ロープ・ウエーに乗り、谷を下るとグアム最大の滝に出会う。滝と言っても華厳の滝のように垂直に落ちる滝ではなく、急斜面の岩場を流れ落ちる滝だ。小さな島にそれ以上の滝を求めるのは無理。

E横井ケーブ

   再びバスでグアム観光の大目玉『横井ケーブ』に出かける。横井さんの本物の住居は米軍管理地内にあり立ち入り禁止。それ位のことでは諦めない観光業者は類似の立地条件を探し出した。近くに小川がある、地下水位の低い竹藪だ。

   バスの到着地点には『横井ホール』があった。内部は御土産物屋だ。ここでは缶ビールも2〜3$に値上げされている。客も多い。傍らの別棟は『グアム歴史博物館』だ。原始生活から横井さん発見までの歴史上のトピックスがジオラマで展示されていた。建物の外壁には『英雄・横井さん』との看板も見掛けた。

   『横井ホール』横の細道を下り始めた。往復の客が擦れ違える幅を確保した階段と立派な安全柵の付いた道だ。途中に朽ちたバナナの木があった。砂糖黍に似た毛糸のような根だ。すかさずガイドが『バナナの根は椰子同様とても浅く短い。しかも日本の木と異なり細い根ばかりです。バナナは芽が出て3年目に花が咲き、実がなると枯れ、株の根元から新しい芽が生えます』

   新横井ケーブは垂直に2m梯子で降り、水平に3m背を屈めて移動し、突き当たりにある梯子で地上へ戻るような構造だった。本物はL字形なのに、偽物は凹型だ。一方通行にしないと押し寄せる観光客が捌けないのだ。

   ガイドの特別サービスで予定外のコースも案内してくれた。小さな離島の見える海岸には『火炎樹』もあった。マゼランの上陸記念碑、日本軍の大砲や陣地、米軍上陸地など。

   途中、妻の提案で賛同者から1$ずつチップを集金。最長老にチップの手渡しを頼んだら『石松さん、差し上げて。私はその任に非ず』と辞退された。最後に着いたグアム・プラザで降りた客は我が夫婦だけだった。ガイドの厚意に感謝して、チップをお渡ししたら、予期せぬ事に『良かったら、どうぞ』と果物のお礼。  

   後で妻に『チップのお礼だろうか?』と問い掛けると、『あなたへの個人的なお礼と思うよ』と一言。ガイドが案内し易いようにと、サクラ役じみた質問を多発していたのだ。

[2]ナイト・ショウー

   ディナー・ショーとカクテル・ショーとあったが、満腹していたので、後者を予約。前者はディナーの後、後者と合流してショーを見る。27軒ものホテルまで路線別の大型バスが送迎してくれる。
                
   ロビーで30分も待たされたが、開場と共に劇場内に飛び込み中央部、前から2列目のテーブルを確保。最前列は横向き、2列目は正面向きなのでベストポジションだった。妻は突然私が居なくなったので、『何処へ行っていたの!。探し捲ったわ』と、事情も確認せずにぶつくさ。

   ラスベガスで鍛えた踊り子だそうだが、白人から黒人まで皮膚の色も様々な男女の踊り子が舞台を狭しとダイナミックに走り回る。男子は180〜190cm、女子は170〜180cm位もあろうか?。踊り子が大きいほど迫力を感じるのは、深層心理に我が低身長があるためか?

   後半はマジック・ショーだった。本物を見るのは久し振りだ。得意技では大型の虎2頭も駆使。虎を刺激させない配慮か、カメラ撮影は禁止。素人に見破られるようでは、成り立つ商売では無いとは承知しつつも、手品の種を発見しようと目を皿にして観察したが、結局トリックの原理は最後まで解らなかった。
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日目

[1]イルカ・ウオッチングとシュノーケル初体験

   ホテルから10Km位離れた小さな船着き場から高速ボートに乗った。船頭は『イルカが出る場所は決まっている』と自信たっぷり。海上をあちこち移動したら程なくイルカを発見。意外に小さい。1〜1.5m位だ。数頭ずつが群れを成して海面にほんのチョット飛び出しては弧を描く。水族館などの派手なイルカ・ショーのような演技は無いが、イルカ側は観光客には慣れているようだ。船の回りに集まってきたのか、船がイルカの群れに近付いたのかは解らなかったが。

   シュノーケルの体験場はホテル街の近くだった。ホテル街は波が静かなタモン湾に集中していたのだ。船頭は船をブイに係留。全員ライフジャケットを着用させられた。シュノーケルは初体験だ。道具は見よう見まねで使ったが、直ぐに慣れた。幼稚園児にも難なく楽しめるようだ。口呼吸にさしたる違和感はない。水面に両手両足を広げて大の字になり、浮遊しながら水中メガネで海中観察。ライフジャケットの浮力で浮くため、何時までいても疲れない。

   熱帯魚はどれも小さいが、種類と数は多い。手掴みできる程の至近距離までやってくる。珊瑚も若干見掛けたが、沖縄で見たほどの美しさは無かった。海水が濁っている。ホテルの生活廃水の一部が垂れ流しされているらしい。観光グアム最大の汚点だ!。古いホテルほど酷いらしい。ヒルトンの沖合にはヘドロが溜まり、海水浴はできないそうだ。

[2]スーパー・ブランド店

   繁華街の外れに石造り風、2階建ての大型店があった。中心街には最早、建設適地がなかったのだ。面積は『ギャラリア』の2倍、ブランド数は5倍以上か?ここには日欧米のスーパー・ブランドが30店以上も集結していた。内部には吹き抜けがあり、回廊式になっている。ビルの壁面に沿って割り付けられた各テナント毎に専用の入り口がある。防犯対策のようだ。大ブランド店の場合は1階とその真上の2階にも入居し、店内には専用階段すらあった。福岡市の川端通りに平成11年春オープンした『スーパー・ブランド・シティ』の小形版だ。

   客は少ない。『何時も少ないの?』『今年は2千年問題が影響しているのか、冬休みなのにグアムへの観光客が少ないのですよ』。客の殆どは日本人。従ってこのビルの中の公用語は実質的に日本語だ。目の保養にと商品を観察していたら、瞬く間に2時間が過ぎた。

[3]クリスマス

   街中に豆電球の飾りが溢れている。トナカイやサンタクロースなど電飾の形も色とりどりだ。ギャラリアの中では小中学生の男女による混成合唱団が指揮者を取り囲んで歌っていた。ほとんどが有色人種だ。しかし、表情は生き生きとしている。日頃の訓練の成果の披露宴だ。伴奏は残念ながらカラオケだった。大勢の買い物客が取り巻く。

   プラザに隣接する高級ホテル・アウトリガー[注。ホテル名は、太平洋の珊瑚礁諸島で使われている小船に取り付けられた、転覆や横転防止用の腕状の板(アウトリガー)に由来]のロビーでは生演奏付きの歌や静かな合唱が続く。

   150Kgはありそうな巨体のサンタクロースを借景に写真を取っていたら、両膝を椅子代わりにして妻と座らされ、ホテルマンが写真を撮ってくれた。もちろん無料。

   クリスマス・イブと言っても街は静かだ。日本の騒々しさはイブに相応しくなく、気違いじみていると自然に解る。酔っ払いは全く見掛けない。日本人も借りてきた猫のようにおとなしい。

[4]海鮮料理

   海外では何故か海老と蟹を食べずにはおれない。日本では甲殻類が高過ぎ、生きた伊勢海老や毛ガニを滅多に口にしない生活の反動だ。JTBに出かけ、『お勧めのレストランは?』『アイランド・フィシッシャーマンがいいと思います。グアム最大の海鮮料理店で、500席もあり、無料送迎バスもあります』

   プラザホテルから中年夫婦、母娘など3組乗車。途中客を拾いながら数キロ離れた郊外に移動。夕食時間なのに店内は閑散としていた。ここでは店内にある売り場(生簀もある)で材料を選び、重量を計って代金を支払うと同時に、用意されている調理方法を選択。後は座席で待つシステムだった。アジア各国や沖縄では普遍的な海鮮料理サービス法だ。
 
   JTBで見たカタログでは溢れるほどの魚が写っていたが、この日は客同様魚も少なかった。調理代込みとは言うものの意外に高い。高級品は今や世界中何処に行っても高いのが常識だ。殻付きの蠣が1個3$もする!。蠣は熱帯にいるはずもなく、輸入品だ。日本よりも高くなるのは当たり前だ。

   次女が新婚旅行(オーストラリア)の御土産に、別送してきた『生きたダンジネスクラブ=蟹』を発見。大きい物が1匹約60$。傍らには『レッド・ロブスター』。こちらも1匹約60$。待つこと約20分。その間はビール等で時間潰し。

   ダンジネスクラブの石のように堅い殻は食べやすいように割られていた。最初はお品よくナイフとフォークを使っていたが甲殻類には不便な道具だ。結局は、あらゆる道具の中で使い勝手ナンバーワンの指を動員。ソースを使った調理法だったので、手も口も究極の汚れ状態。お絞りを何度も請求。

   甲殻類は中身が取り出してあれば短時間で食べ終えられるのに、自分で取り出しながら食べると時間が1桁増しになるだけではなく、夫婦の会話も途切れて終うのが、玉に瑕か?。最後にアイスクリームを食べたら満腹。ホテルへの帰りのバスは食べた人から順々に乗れるシステムだった。一緒に来た仲間を待たせずに済んでよかった、よかった!。
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日目

[1]アドベンチャー・リバークルーズ

   12月26日は加茂カントリーの仲間の年末恒例の懇親ゴルフ・コンペだった。そのためやむなく妻よりは一足早く、25日午後の帰国だ。最後の午前中を生かせるツアーとして、アドベンチャー・リバークルーズ(11:30ホテル帰着予定)を選んだ。チェックアウト(正午)時間までに帰られなかった場合を想定し、ホテルの支配人と交渉し、最悪の場合1時間までの無料延長を取り付けた。出発前に風呂にも実は入りたかったのだ。

   例によって、送迎バスは各ホテルで客を拾い、海岸沿いの御土産物屋兼レストランで休憩。波打ち際は珊瑚礁だった。珊瑚礁の粉末からなる砂は本物の石のかけらとは感触が異なり柔らく感じた。

   2本の椰子の木にくくり付けられたハンモックがあった。このハンモックには寝転んだ時に体が締め付けられないように木の枠が嵌めてあった。寝てみたらそよ風が肌に気持ちよく快適だった。1分間の体験だ。

   やがてグアム島最大のタロフォロ川の河口に辿り着いた。波止場だ。40人乗りくらいのボートに乗る。説明役と船の操縦役が各1名。ほぼ満席だ。満水の川だが流れはなきに等しい。潮の満干で海水も溯上し、魚の種類が豊富らしい。川の両岸には道路がない。密林が川岸まで迫る。川の上には両岸から椰子を初め種々の樹木が覆いかぶさる。

   26年前に出かけたロス・アンジェルスのディズニーランドにあったアドベンチャーランドを思い出す。ディズニーは狭い場所に盛り沢山な仕掛けを用意したが、こちらは正しく本物の自然だ。各種の果物も豊富。横井さんが生き延びられた理由の一端も理解。

   ディズニーの場合は、両岸にロボットの先住民やその住居、猛獣なども配置されていたが、こちらは静かで単調な密林だけ。しかし、前後左右に人影一つない上流までくると、階層的(大木〜灌木〜下草)に繁茂する植物層の複雑さに目を奪われる。本物と偽物との迫力差は一目瞭然。

   船頭は植物(果物、木、花)や動物(鳥、魚、獣)に詳しい。実物中心の説明だが、植物と違い動物は必ずしも見つからない場合もあるのはやむを得ない。後で分かった作戦が彼にはあった。説明時には『野生の**』と必ず『野生』と言う修飾語を付け加えた。    

   途中、帰路立ち寄った船着き場があった。そこでは先住民の子供が遊んでいた。『あれは、野生の人間です』。不謹慎な説明にも関わらず、皆がドッと笑った。

   30分位で川幅はいよいよ狭くなり、船は溯上できずUターン。途中、上陸して先住民の住居跡の礎石と復元住宅を見学。住宅の周りはアメリカ式の芝生。家は高床式の木組み構造。階段状の斜めに掛けられた乗降口が付いていた。椰子の葉で覆った屋根は南国に普遍的に見られる急勾配。下から見上げると穴だらけ。人が住んでいないから、雨漏りは気にならないらしい。おおらかな性格そのものだ。

   観光客を楽しませるために、3百坪程のバナナ園があった。8列位に植えてある。列の中央に立つと、薄暗い。7〜8mにも達するバナナの巨木から伸びている葉は予期せぬ大きさだ。日本の温室に植えられているバナナは可愛い大きさだ。

   近くには、ドリアンなどの果物も小数だが植えてあった。散歩道を抜けて、火起こしの実演場へと移動。『野生の人間』がいた場所だ。細い溝(幅5mm、深さ1cm、長さ30cm位)が掘られたハイビスカスの幹を横たえ、丁度嵌合する『へら状の板』を差し込み、専任の実演者が力を込めて往復動を繰り返すと10秒足らずで火の粉が現れた。ハイビスカスがこんな役に立つとは露知らず。

   椰子の実の殻に火の粉を受け、体を軸にして左右に回転しながら風を優しく通すとパッと燃え上がった。かつて、紐を使った火起こし術をテレビで見たことがあるが、今回のやり方を知ったのは初めてだ。

   『誰かチャレンジしませんか?』に誘われて、またもや真っ先に挑戦。必死に擦ったが火の粉1つ現れることなく疲れ切った。『ノー・パワー』とガイドの評価。しかし今回もまた、隣のテーブルに飾られていた椰子の葉の製品を指し示し、『1つだけ、お好きな物をお持ち帰り下さい』

   『誰か挑戦しませんか?』。老いも若きもお土産に釣られて次々に挑戦したが『ノー・パワー』の連続。結局成功者は現れず。簡単に見えてもコツがありそうだ。皆が楽しんだ一時だ。

[2]タモロ料理

   チェックアウト後、荷物はホテルに預けた。妻の希望で最後の昼食は先住民の郷土料理『タモロ料理』を食べに、近くのホテル内にある専門レストランに出かけた。タモロ料理とは味付けにココナッツ・ミルクを使ったり、島固有の食材を使った料理の総称らしい。

   真昼のレストランは観光地であっても客が少ない。ファースト・フード店は満員だが、こちらは閑散としていた。午後2時には閉店だ。観光客は昼間は遊びで忙しく、メインの食事は時間にゆとりのある夜、ゆっくりと酒を飲みながら摂る習慣のようだ。

   本当は、追加でヤシ蟹(冷凍品なのに1匹300グラム相当で158$。伊勢えびの5倍以上)を食べたかったが、タモロ料理セットの量が多過ぎ諦めた。タモロ料理は珍しかったが、特別美味しいとは思えなかった。
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おわりに

   久し振りに出かけた夫婦水入らず(他人を交えず、身内の者だけとの意)の海外小旅行だった。妻にも今までの海外旅行(文化遺産見学中心)とは違った、新鮮な面白みがあったらしく、友達にも写真を見せながらお土産話を繰り返していた。

   しかし、今回ほど驚いた海外旅行(出張も含む)は初めてだった。その理由は観光地としての面白さにあったのではなく、子供(小学生〜幼稚園児〜赤ちゃん)連れの家族旅行客が帰路のビジネス・クラスの中を初め、現地でもおよそ3割も見掛けたからだ。一体、どんな職業の人達なのだろうか?。定年直前までトヨタ社内では『一家全員で海外へ遊びに行く』などといった計画は聞いた事がなかった。

   我が世代だと、家族旅行とは帰省か、さもなくば保険組合の保養所巡り位が平均的な姿だった。不景気に沈んでいるとはいえ、日本も豊かになったものよと喜ぶべきものなのか?。それとも、家庭サービスに日頃手が回らなかった自営業の金持ちが、罪滅ぼしの贅沢旅行として、冬休みを活かしているのだろうか?。真相は分からず終いだが、何にしても結構な現象だ。

   『灯台下暗らし』。去る平成12年1月21日に長女の婿がケルンに赴任。春には長女と孫も出国予定。今夏には孫の成長確認を兼ねてケルンに婿の両親と出かける予定。何時の間にか我が家にすらも、海外旅行と国内旅行とを区別しない時代が来てしまったとは!。
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