トヨタ自動車勤務の長女の婿が本年1月よりドイツの子会社(ケルン在)に駐在。そのため長女はトヨタ自動車を昨秋退職し、3月より孫と共にドイツへ。現地生活にも慣れた頃だろうと推定し、荊妻と共に様子見がてら、8月16日〜9月3日の間、ドイツヘと出かけた。その序でに、ベネルックス三国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)を漫遊。
各航空会社は海外居住者へのサービスとして『呼び寄せ便』と『里帰り便』とを提供している。市販のどんな安売り切符よりも同一条件ならば更に安い。『細々と生きている年金生活者』には大変あり難い。蛇足だが、里帰り便は呼び寄せ便よりも更に安い。
各社の条件を比較して、オランダ航空を選択。名古屋⇒札幌⇒アムステルダム⇒ケルンの往復だった。娘に切符を予約させたら、旅行社からマルク振込先の銀行口座番号がFAXで送られてきた。送金1週間後に宅配便で切符は到着。シーズン中だったのに、送金代込みで往復1人分12万円弱。エコノミーなのに、手荷物はビジネス・クラス並(30Kg)のサービス付き。
娘から依頼された雑貨をバッグに詰め込んだ結果、2人で3個計70Kgになったが超過料金は勿論免除された。しかし、我が大型バッグは38Kgにも達しており、予期せぬ誓約書に署名させられた。『1個のバッグの最大許容重量は30Kgです。それを越えているので荷物が損傷しても、損害賠償の請求は受け付けられませんが、宜しいですか?』。今までも何度か30Kg以上のバッグを持ち込んだ体験はあるが、誓約書は初めてだ。オランダ航空独自のルールかも知れない。
アムステルダムからケルンへは50人乗り位の小形プロペラ機に乗った。その客席から荷物の積み込み作業が覗けた。大男が我がカバンに手を掛けたが、見掛けでは分からぬ(実は6.25Kgの変圧器が2個入っていた)予期せぬ重量に困惑。『エイッ!』を意味するような掛け声を、オランダ語で叫んだ。大きな力を出す時に思わず声を出すのは、人間には普遍的な習慣だろうか?。苦笑。
入れ違いに婿の両親と妹が日本航空で9月7日出発した(5人一緒に行くと寝具が足りない!)が、こちらには1人20Kgの制限があり、JALに問い合わせたら『超過重量1Kgに付き6千円』と言われたそうだ。『担当者がルールを説明したのであって、超過料金を取られるとは思いませんよ』と説明。結果は勿論フリーパスだったそうだ。
旅行に先立ち、酒氏(昭和40年トヨタ自動車入社。東大計数工学卒。ふとした機会に友人が我が追憶記を氏に回送して以来、何時も読んで頂けるようになり、毎回的確な読後感を拝受してはいるものの、未だにお会いしたこともないお方)から電子メールで下記のような宿題を頂いた。本追憶記がまともな回答にはほど遠いとは知りつつも、氏にお届けすべく取り急ぎ書き纏めたものである。
…………………………………酒氏からの宿題全文転載………………………………
来月中旬からドイツにやや長い間滞在されるということですので、日頃考えています『ドイツと日本』のことの中から自然の美しさや自然環境について書かせて載きます。そして帰国の後貴兄の博識から感じられたことなどについてご意見を伺わせて載きたいと存じます。
私のような無粋な人間でも最近の日本の田舎の美しさには感動を覚えています。戦後半世紀を経て、ここまで戦争もなく何とか平和な社会が続いているとこのように美しくなるのでしょうか。通勤途中でも農家の庭に花が、また農道のそこここに花が咲いているのを目にします。
先日故郷へ戻った折りのことですが、流石に近くは小さな小さな住宅で埋まっていました。しかし少し田舎まで出てみましたところ、昔では考えられないことですが、小路に花が溢れていました。自分の家の周りではなくて人家もないこうした人気(ひとけ)のない通りがフラワーパークの如しといった様子なので、すっかり感動してしまいました。
初めて欧州(主にドイツ)へ出張に行きましたときに、一番感動したことは『日本に比べて公共の場が何と美しいのだろう!』ということでした。しかし今の私は少し考えを改めました。川端康成氏がノーベル文学賞の受賞記念講演で話されたように『美しき日本』なのではないかと思い出しております。
戦後半世紀を越えて漸くドイツに追い付く環境になって来たと思うのですが、ここまでに至る途中過程では同じ戦災を受け国土の荒廃から立ち直る取り組み方が、少なくとも環境という点では随分異なっていたのではないかと思います。経済成長だけにしか目が行かなかった我が国と、あれほどの壊滅的なダメージを受けながらも環境を整備して行こう、更には戦前のままの町並みに復旧して行こうとしたドイツとで、何が根底の違いだったのか考えてみました。
これはドイツが自然に恵まれていない、一方日本は恵まれている。この違いが一番大きいのではないでしょうか。我が国は恵まれているからそれ故に、環境に対して甘えが有ったと言えるのではないでしょうか。聞くところによると、ドイツは緯度でカラフトと同じくらいだから、日照時間が少なく降水量は亜熱帯日本の三分の一とのこと。樹木の成長には日本の三倍の年月が掛かるそうです。日本で五十年(杉を例とした場合)で育つとすればドイツでは百五十年掛かる計算です。また樹木や花の種類が乏しく、厳しい環境にあるということなのではないでしょうか。
マルチン・ルターの言葉を思い出します。『世界が明日滅びると言われても、私は今日リンゴの苗木を庭に植える』。ドイツ人の魂を表しているように思います。一度破壊してしまったら、回復するのに膨大な労力を必要とする国と、我が国のように簡単に樹木が生長し、木造の建築がたちどころにできてしまう国とでは、環境保護への意識にどれほどか差がついてしまうと考えても良いのではないかと思うのです。
日本でも最近は環境は水と同じくタダで手に入るという従来の意識から、随分と変化してきたと思います。根尾村の『薄墨桜』と言えば樹齢千五百年と言われる大変な老木ですが、伊勢湾台風で枯れ朽ちる寸前になっていたのを、宇野千代さんが保護を訴え、今は見事に甦っているとのことです。樹齢何百年というような木を保護する気運も盛んになって来ました。
元祿三年(1690)から五年(1692)までの僅か2年間ですが、長崎の出島の『オランダ商館』に医師として勤務した人でケンペル(エンゲルベルト・ケンペル)というドイツ人(北部ドイツのレムゴー生れ)がいるそうです。2度の参勤交代で長崎から江戸までの自然や風物に接しています。
医師であるだけでなく宗教・哲学・自然科学(特に植物学)など幅広く勉学してきた人でもあり、また日本に来るまでに北欧・ロシア・中近東・インド・インドネシアなどの国を見て来た人なので、日本という国を短期間で深く見通しているようです。この人が次のようなことを書き残しています。(『日本誌』1727年英訳版)
『日本には美しい花や葉の植物が他の国に比べて断然多い』『日本の家屋にはどんなに粗末であろうとも必ず目を楽しませる草花がある』『キクやユリには数え切れないほどの変種がある。ユリは山野に咲き乱れる。スイセン・アヤメ・ナデシコ、などの咲く自然は他の諸国では見られぬ美しさである』
幕末に来日したイギリス人ロバート・フォーチュンという人も『もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本人の低い層の人々は、英国の同じ階級の人達に比べ、ずっと優れている』。こうしたイギリス人やドイツ人や他の欧州の人も、江戸時代の日本に来て、『国全体が公園の如くに美しい』と感嘆していた…ということを知りました。
ケンペルなどは母国ドイツに比べて『国の美しさ』『平和』の点で如何に日本が素晴らしいかということを感動して綴っています。ケンペルは『かくて日本人は世界でも稀に見るほどの幸福な国民である』とまで言っています。ここまで言われるとこそばゆい観を抱きますが、とにかくもともとは日本は自然環境を大切にする美しい国であったのであり、むしろドイツなどはこうした極東の国の話を手本にして営々として自然に立ち向かい木々を守り育て、花々を育て各自の家々の窓を飾ってきたとも言えるのではないでしょうか。
貴兄は世界を見聞して来ておられます。前述のケンペルよりもずっと幅広くまた深く見て来ておられます。そうした貴兄がドイツを更に深く見てこられるということで、私は大変期待しております。前述のような見解を修正するべきか否かを判断する為の良き指針になると思っているからです。そんな訳で一方的に私の私見を書いてきましたが、頭の片隅にでも置いて戴ければ幸いです。平成12年7月4日
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今回の旅行では娘婿に大変お世話になった。2回あった週末のうちの初回は月曜日に有給休暇を取ってくれたので、2泊3日でベネルックス三国計6都市、延べ走行距離1100Km、2回目は北部ドイツのメルヘン街道に向かい1泊2日3都市、走行距離
900Km。孫の生活リズムに合わせたゆとり十分の計画だったが、天気にも恵まれた上、アウトバーンを 150Km以上の猛スピードで飛ばしてくれた結果、訪問地も増え、期待以上に旅が楽しめた。
婿は高校〜大学時代にラグビーで鍛えた体力の故か、疲れた様子も見せなかった。彼は不幸にして体質的にお酒が全く飲めない。一方私には酒なしの旅など想像すらもできない。道中、『悪いなあ〜』と思いつつも、とうとう断酒はできなかった。ここに改めて、謹謝。
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