本文へジャンプホームページ タイトル
健康
           
がん、その5回目の挑戦(平成20年5月27日脱稿)
上に戻る

   胃がんの手術(胃の2/3の摘出)から5年半が過ぎた。

   がんの世界では死亡率は使わない。(注。がんの死亡率≠1−生存率)。 がん患者ががん死したのか、その他の病気や事故で死んだのか死因の特定は難しいからである。一方、生存者の集計は簡単明瞭。

   がん患者にとっては5年経過は大きな節目。今や我が胃がんは幸いにも完治に近い。

上に戻る
はじめに

   でも、同時に発見され治療した食道がんには厄介な性質がある。食道の温存治療の場合には切り取り手術よりもQOL(生活の質)は高いものの、再発や転移に加えて寛解後も、新発(原発)食道がんが発生する確率が疫学(統計の意)調査では高いからである。
   
   そのための対策として寛解後も頻度高く検査を受け続けていたら、平成19年6月11日の2回目に引き続いて、平成20年5月19日には3回目となる新発食道がんの告知を受けた。
   
   国立がんセンターのホームページには食道がんの転移や再発の場合には、患者には絶望的に感じられる説明が掲載されている。しかし、3回目となった新発がんの大きさは過去最小なので少しは楽観している。
   
  
 インターネットから
   
   最初の治療で完全に消えたようにみえても、わずかに残っていたがん細胞が増殖して症状が出たり、検査などで発見されるようになった状態を再発といいます。
   
   食道がんの再発のほとんどはリンパ節と肺、肝臓などの臓器や、骨への転移です。首のつけ根のリンパ節に再発すると首が腫れてきたり声が擦(かす)れたりします。胸や腹部の奥のリンパ節に再発すると背中や腰に重苦しい痛みを感じます。肺や肝臓への転移は大きくなるまではっきりした症状は出ません。
   
   しかし、体重が減る、食欲が落ちる、疲れやすくなるといった症状が出ることがあります。肺の転移が大きくなると胸の壁を押して咳が出たり胸の痛みを感じたりします。肝臓の転移が大きくなると腹部が張って重苦しく感じます。骨への転移は痛みを感じます。もともとのがんが大きかった場合には、がんがあった場所に再発することがあります。気管や気管支に再発すると、咳が出たり血も混じった痰が出たりします。

   再発の場合には、再発した部位、症状、初回治療法およびその反応などを考慮して治療法を選択します。手術をすることはほとんどありません。
   
   胸の奥や腹部の奥のリンパ節への再発には、放射線治療か化学療法(抗がん剤治療)を行います。肺や肝臓、骨への転移は抗がん剤治療を行います。その他、モルヒネなどの痛み止めを用いる症状緩和のための治療が選択されます。

   どのような治療をしても、再発したがんが治る可能性は非常に少ないと考えねばなりません。再発した場合には、およそ半年ぐらいの余命と考えられます。放射線治療や化学療法で1年以上生きられることもありますが、がんの進行が早ければ3ヶ月以内のこともあります。
   

   
   私は過去5年間に、4回のがん治療を受けた。

1回目。胃がんの切除手術(平成14年12月19日)
2回目。食道がん2個の放射線照射治療(平成15年1/14〜3/18日)
3回目。新発食道がん2個の内視鏡による剥離手術(平成19年6月27日)
4回目。新発食道がん1個の陽子線照射治療(平成19年7/24〜9/13日)

   今回、6月18日に5回目のがん治療を受けることになった。その経緯を記録に残すべく今後も生きている限り刻々と書き綴り、ホームページに転載する予定だ。

 上に戻る
新発食道がんの発見

   昨年(平成19年)12月10に3回&4回目のがん治療が寛解したとのご託宣を聞くと、喜び勇んで西アフリカ旅行(平成20年1/15〜2/1)を楽しんだが、その後も検査は油断無く執拗に続けていた。

   平成20年2月25日。CTと血液検査⇒3月3日異常なしとの判定。
   平成20年4月22日。PET-CT⇒異常なしとの判定。
   平成20年5月2日。内視鏡による目視&ルゴール染色法⇒細胞採取と血液検査。
   平成20年5月19日。新発食道がん発生との告知。



   5月19日に主治医から病理医による細胞検査の報告書を見せられた。そこにはがん細胞とは認められるが、厳密な判定をするには再検査が望まれると書いてあった。

『再検査を希望されますか』
『希望しません。細胞の採取もがんの剥離切除も似たような作業だから、昨年と同じように内視鏡による剥離手術を希望します』
『6月でも7月でも手術日が取れます』
『善は急げ。6月を希望します。4人部屋で十分です』
『では6月18日に手術します。空きベッドを確認します⇒電話⇒空いていました。入院日は6月17日です』
『CTは混んでいるので、既に予約している2回分の次の検査日として10月24日を予約しました』
『今回の新発がんの大きさとステージは幾らですか?』
『大きさは1cmくらい。ステージは手術後に判明しますが、推定では悪くてもT期です』
『他に新発がんと疑われるものはありませんか』。写真を指差しながら
『此処に小さなものがありますが、判定できません。今後も適宜続ける検査で何れ判定できます』

   平成20年6月17日。愛知県がんセンターに入院予定。
   平成20年6月18日。内視鏡による切除手術予定。
   平成20年7月8日。CTの予定。
   平成20年8月29日。CTの予定。
   平成20年10月24日。CTの予定。

   CTの検査結果を聞きに通院する都度、必要に応じて内視鏡による検査や血液検査、PET−CTの予約も予定している。今回も昨年同様、直前のPETでは新発食道がんの検出はできなかった。今やPETを受ける我が目的は、新発食道がんの発見よりも他臓器への転移や他の種類のがんの発見に変わった。

   5月19日の主治医との会話は単純な確認や質問にすぎず、短時間で終わった。しかし、主治医への唯一の提案を言い忘れていたことに帰宅後、気付いた。入院直後の手術前に提案し相談する予定だ。

   それは『今度の手術ではがんとの判定が下りていなくても、疑わしいと思われた小さな斑点のような部分も一括して全て切除して欲しい』というものだ。私よりも一足早く食道がんに罹った大学時代の級友が『定期的な検診の都度、疑わしい部分はどんどん内視鏡で切除している』と語った治療法を真似たいのだ。幸い級友は今尚生き延びている。

   来る6月4日には20年来お付き合いを続けているゴルフ仲間と『ダイアモンド滋賀』に出かけ当日午後はテニス、翌日はゴルフを予定している。当夜はまたもや私への励ましの会になりそうだ。

蛇足(高額医療費還付制度)

   平成19年4月1日から国民保険の被保険者で70歳未満の患者が入院した時の医療費(食事代や自己負担費用は除く)は、医療機関の窓口で『国民健康保険限度額適用認定書』を提示し、計算されることになった。5月23日に豊田市役所に出かけ『国民健康保険限度額適用認定書』の交付を受けた。
   
   私は平成18年の基礎控除後の所得が600万円を超えていたので、不本意にも上位所得者扱いをされ15万円までの自己負担を強いられることになった。600万円未満ならば80,100円で済むのに・・・。
   
   今回の治療費が50万円の場合は自己負担が50*30%=15万円になるが、50万円を超えた場合はその超過額の1%を加算して窓口で支払う制度だ。
   
   医療費の計算は同一病気・同一医療機関での歴月単位。今回は6月中に退院できると予想しているので好都合だ。10日遅れの6月27日の入院だったら治療費が6月と7月に分割され両月ともに50万円以下の医療費になれば『国民健康保険限度額適用認定書』は私には何の価値もないからだ。
   
                                                                                    上に戻る
体力確保
   
      消化器系のがん手術後は患部保護のために絶食を強いられ、脱水防止を主目的とした点滴治療に突入し、毎日1Kgの速さで体重が減少し、たちまちにして基礎体力を失う。点滴治療が終わっても、重湯のようなお粥⇒3分粥⇒5分粥⇒7分粥⇒常食まで1週間は必要だ。

   私は治療後の減量に懲りて、何時の日かに新発食道がんが発見されないとも限らないと予想し、西アフリカ旅行からの帰国後、将来の『痩せ代』として一貫目を目標に、過去40年間維持管理していた54Kgからの脱出増量計画に取り組んでいた。

   胃がんの手術直後はマクドナルドのハンバーガーを20個単位で購入しては冷凍保存。おやつ代わりに食べてはカロリーの補給食にしていた。毎日続く間食の用意を荊妻にさせるのは忍びなかったのだ。

   でも、マクドナルドは美味しくなく長続きはしなかった。筋抜きが必須の牛肉料理なのにその工程を省いているのか、混在している堅い筋のかけらに時々出合って不快感が発生したのも、我がマクドナルド離れの一因だ。

   幸い、拙宅から僅か1.5Km地点に東証一部上場の回転寿司屋(スシロー)がオープン。朝11時に開店するや否や駆け込んでの昼食。同時に持ち帰り寿司を40貫注文。二日分のおやつだ。密封して冷蔵庫で保存すれば多少の味覚低減さえ我慢すれば、間食用には十分だ。毎週2回通った結果、目標の半分の増量まで到達していた。西アフリカからの帰国時には2Kgも減量していたので、概算100日で4Kg増量したのだ。

   この増量作戦は予期せぬ成果を挙げた。

   ゴルフの飛距離が伸びたのだ! 我がゴルフ倶楽部の一つ『加茂カントリー倶楽部』では150ヤードの谷越えがあり、最近の実績では成功率は1/3に落ちていた。OBを避けるべく倶楽部競技以外ではゴールドマークを愛用していた。

   もう一つの『ロイヤルカントリークラブ』には縦列3個の池越えと150ヤードの谷越えホールがあるのに、クラブ競技ではプレーング4は禁止。3回連続してOBが発生したら競技を放棄し、オープン参加に切り替えていた。

   体重が56Kgを越えたら、これらの魔のホールもやすやすと飛び越えられるようになっただけではなかった。5年半前の胃がんの手術以前は10ラウンドに一回の頻度でバーディが取れていたのに、手術後は一度もバーディが取れなくなっていた。飛距離が足りないのが主因だった。しかし、つい先日、遂にバーディが取れた!!

   テニスにも成果が現れた! 私は40年間テニスを続けていたのに腕は上がらず、我が『ナイスプレイテニス』の仲間と相談をして特別ルールを導入した。ダブルスの試合時に私がサーブをするときには『30-0』から開始していたのだ。ハンディ付きテニスだ。

   ところが体重が増加するにつれ球速が上がってきた。遂に仲間から『15-0』からのスタートに変更させられた。さらに勝率が上がってきた結果、とうとうハンディを全部取り上げられた。

   この体重増加は計画通りとはいえ、今回の入院治療には福音だ。
                                        
                                                                    上に戻る
剥離手術(平成20年7月11日脱稿)

@ 入院(6月17日)

   予約通り6月17日午前10:00に愛知県がんセンターに到着し、入院手続きをした。病室には西7階担当の看護師長、看護師他関係者が直ちに挨拶に来た。当日の昼食(うどん)から病院食。火曜日の昼食はいつも麺類だそうだ。

   病院内は全て、患者が点滴スタンドを転がしながら移動や散歩ができるようにと配慮したバリアフリーのフロアだ。しかし、がん患者には老齢者が多い上に、治療で体力も注意力も落ちているためか、転倒して骨折するケースもあるそうだ。患者に注意を喚起するためか、当日ふらつきテストを受けた。このテストは過去5回の入院では初体験だった。

   片足立ち、正面を向いたままの後退歩行など何種類かのテストを受けた。取り敢えずは合格だそうだ。がんだとの自覚症状もない健康体の患者にどれほどの価値があるテストかは不明だが、言われるままに体を動かした。6/14にはテニス、6/15にはゴルフを楽しめた体に支障が感じられないのは当たり前だ。

A 剥離手術(6月18日)

   朝から飲食は厳禁。病室に届けられた検査着(手術着)に着替えて内視鏡室前の長椅子にて待機。私が出会った全ての患者は手術(殆どの患者は検査のみ)時間から逆算して10分前に、口腔内にドロンとした麻痺剤を噴射され、5分経ったら麻痺剤を紙コップに吐き出させられている。

   私はこの麻痺剤との相性が何故かますます悪くなり、麻痺剤を噴射されるや否や反射的に嘔吐するようになった。医師と相談の結果、さらさらとした溶液を噴霧器で口腔内に噴射される方式に1年前から変えてもらっている。

   手術室で主治医に『前回の検査で、食道がんとは明らかには断定できない小さな斑点が数箇所あると聞いたが、今回の手術時に序に全部取って欲しい』と提案したら『場合によっては食道が引き連れたり狭窄したりするので、引き受けられません。大腸がんの検査で見つかるポリープは疣状の突起物が多くご希望に添えますが、食道の粘膜上皮がんの削除は簡単な手術ではありません。経過観察を今後も高頻度に実施し、小さながんを発見する都度手術をした方が良いと考えます』との理由で見送られた。

   前回の手術時と同じように、主治医に『私のホームページに載せるために、剥離したがんを撮影して欲しい』と言って、持参のデジタルカメラを手渡した。カメラの時刻は電波時計に予め合わせておいた。入室から撮影時刻までの経過時間は52分と後で判明した。

   ベッドに横たわった後、極めて苦い麻痺剤の噴射を受けた。この薬は即効性が高く、直ぐに次の作業に取り掛かれた。マウスピースを口に挿入し上下の歯で噛んだ。引き続き、粘着テープで顔面からマウスピースが外れないようにと固定された。

   内視鏡による検査時や手術時の鎮痛剤も、種類と量を過去何度かトライした結果、セルシン1カプセルの注射に落ち着いていた。痛み止めと導眠剤を兼ねているらしい。注射を開始すると、血管内を薬剤が移動するにつれて鋭い痛みの位置が移動するのを10秒間くらい感じたが、そのまま直ぐに昏睡状態に突入した。マウスピースをこの薬剤の注射前に取り付ける理由も納得できた。

   治療が終わった頃、自然に覚醒した。『これが切り取ったがんです』と主治医に粘膜片を見せられたが、意識が朦朧としていたためか、色や形は殆ど思い出せない。手術は主治医と医師免許を取って5年経ったという31歳のレジデント(研修医)が実施した。手術時には他のレジデントも見学するそうだ。多くの人が見学するのはレジデントの勉強に役立つだけではなく、医療ミス(うっかりミス)の防止にも有益だ。
   



内視鏡を使用して病変の真下に生理食塩水を注入し、病変全体を膨隆させる。その後、鉗子による把持や内視鏡による吸引等を病変に応じて併用しながら、金属製のワイヤー(スネア)で病変を絞扼し、高周波電流により切除する。
ワイヤーを病変部に当てているところ。



病変部を切除した食道の内壁部。

  

切除した病変部。

   剥離したがんの大きさは直径12mm程度。今までに発見されたがん6個の内では最少。昨年発見された過去最少の20mmのがんよりも格段に小さい。我が食道がんの成長速度は半年で約10mmと推定した。剥離したがんの状況は病理医(2名によるダブルチェック)による検査の後、7月8日に主治医から聞かされる予定。

B 入院生活(6/17〜6/25)
   
      手術の翌日(6/19)も飲食は厳禁。脱水症防止のための点滴は24時間継続(500cc*3袋=1,500CC/日)。夜中にも2時間おきに看護師が点滴の流れ具合の確認に来た。ドロンとした粘度の高い食道の粘膜保護剤(アルロイドG)を毎日3回、20ccずつ摂取。

   手術の翌々日(6/20)の昼食から食事は開始。五分粥とはいうものの米粒はないも同然。そのときに出されたカレースープの刺激に原因があったのか、突然嘔吐が始まった。一度嘔吐が始まると数時間は続いた。嘔吐止めの点滴も座薬も効かなかった。胸膜・肋膜・腹膜を総動員する嘔吐では肋膜の痛みが一番強かった。食道粘膜の痛みは鎮痛剤で取れた。

   天井を眺めながら水平に寝ているとやや痛みは治まったが、同じ姿勢を続けるのは苦痛だったので、横向きになったりベッドに腰掛けたりすると嘔吐がすかさず復活。胃の位置が変わると内容物が胃の中で移動し刺激を与えるためだろうか? 結局、昼夜を問わず間歇的に発生する連続嘔吐に襲われた。睡眠不足にも襲われ、嘔吐が止まった飛び飛びの短時間が睡眠時間だった。

   余りの痛みに耐えかねて主治医に『薬害のリスクは私が引き受けるので心配無用。モルヒネを注射するように』と注文したら『モルヒネはがんが大きくなって隣接する神経を圧迫し、激痛が発生した場合に使うものであり、筋肉痛には使わない』との説明を受けて拒否された。小さな肉離れの集合のような筋肉痛には、自然治癒を待つ以外に対策はないらしい。退院後に会った長男の嫁(医師)にも質問したが、この種の筋肉痛に効く薬はないと答えた。

   6/21も6/22も嘔吐が止まらなかった。嘔吐のたびにティッシュ1枚を使って口を拭いた。200枚入りのティッシュ1箱を殆ど使い終えたので、嘔吐の累積回数は200回に近い。その間、出されていた食事の内、食べた量は20〜30%に過ぎなかった。味噌汁・ジュース・牛乳・デザートが主。固形食は殆ど食べなかった。便も出ないので心配の余り6/21に座薬で浣腸したら、ほんの少量の硬い便が30分後に出た。血便ではなかったので一安心。

   嘔吐が昼夜を問わず発生した結果、摂取エネルギーが不足し退院までに4Kgも体重が減少した。入院前に努力して蓄積していた痩せ代をとうとう使い尽くした。金融資産がなくなったような不安を覚えた。嘔吐が続いていた間、カロリー不足を補うために後半には点滴液に栄養補給剤も追加された。手術後5日経過した6/23にやっと嘔吐が止まり点滴も外された。

   6/24から突然食欲が復活。病人食だけでは空腹を感じ、売店で調理済みのソウメンを買った。何時もは20時には眠り始めたのに、明日は退院できるかも知れないと思い始めたら興奮したのか、この日は24時になっても寝付けない。

   看護師に頼んで睡眠薬を取り寄せた。半分に切断された薬を半錠だけ飲んだら30分後には眠っていた。生まれて初めて、睡眠薬を飲んだ。今までは体験者に睡眠薬を勧められても躊躇していたが、今後の海外旅行の夜行便で飲む覚悟ができた。

   6/25に内視鏡による手術跡の検査を実施した。主治医は来院者の診察に追われていたので、内視鏡部中村部長がピンチヒッターとして検査。手術時と同じ薬剤を使って口腔内噴射、セルシンの注射をするようにと注文した。検査は20分程度で完了。意識朦朧としたまま車椅子で病室へ。

   検査結果が主治医経由で知らされた。予定通り退院の許可が下り、14時に迎えに来た荊妻運転の車で帰宅。やれやれ。医療費の自己負担金は92,150円だったので、昨年度の上位所得者の自己負担金15万円を下回り、高額医療費還付金の対象から外されてがっかり。

   退院時に、睡眠薬(錠剤)・嘔吐止め(座薬)・痛み止め(座薬)・便秘薬(座薬)と食道粘膜保護の飲み薬を支給されたが、食道粘膜保護薬以外は、幸い使わないままだ。

   蛇足・・・朝夕刊セットで日本経済新聞を取った。病室まで配達してくれた。でも記事を読む意欲は激減。14インチの小型液晶テレビはベッド横に設置されていたが、斜め方向から視聴することになり苦痛。殆ど見なかった。1,000円のテレビ視聴用カードは冷蔵庫(100円/日)にも使えた。粘膜保護薬は冷蔵保存薬だった。冷蔵庫は必需品と化していた。
   
   今回の入院で一番助かったのは、妻子を含めて見舞い客が一人も来なかった点にあった。事前にメールで初期がんだから心配無用と関係者に連絡したのが役立った。食道に違和感が残る手術後の患者にとって最も辛いのは、見舞い客との会話だったからだ。

                                                     上に戻る
経過観察(平成20年8月8日追加脱稿)

@ 自宅での静養

   6/25には予定通り退院した。毎日食間に20ccずつ飲んでいた粘膜保護剤『アルロイドG』には、昨年夏の内視鏡による切除手術時には体験しなかった予期せぬ副作用が現れた。食欲不振と下痢だ。体力は加齢と度重なるがん治療とで確実に低下していたと推定。
   
   自宅で最も警戒したのは嘔吐の復活。刺激性のある食べ物と消化器に負担をかけそうな食材は敬遠し、もっぱらお粥とソウメンに徹して数日間も過ごした。それでも原因が不明のママ、入院中には発症しなかった下痢が数日間も続いた。

   自宅ではエアコンで上半身は冷やし、下半身は炬燵で温めながら文字通り頭寒足熱の養生を心がけた。昼間は50インチのプラズマテレビで世界遺産などの録画番組を見ながらのんびりと過ごした。梅雨明け後にやっと炬燵の電源を切った。

   スポーツは直ぐに復活した。しかし、6/28と7/2のテニスの正味プレー時間は何時もの半分にした。食道がんの外科治療は術後の食事制限もあり、僅か9日間の入院でも体力は劇的に低下していた。

   スポーツへの早期復帰は無謀だった。とうとう歩行困難に遭遇。特に自宅内の階段では両手を壁面に当てながら一歩一歩ゆっくりと上った。遂に歩くのも苦痛になり意を決し、7/5のテニスと7/6のゴルフは仲間に悪いとは思ったがドタキャン。

   スポーツにほぼ復帰できたのは7/9のゴルフからである。7/9は駐車場からクラブハウスまでの100m足らずの距離を真っ直ぐには歩けず、ふらふらよたよたしながら歩いた。ところがプレー開始後なぜか急に元気になり、最後までプレーが出来てほっとした。

   退院後、ビールを飲む意欲(昨年夏以来、週にレギュラーサイズ2,3缶に既に激減していた)がとうとう消失してしまった。意識的に節酒しているのではなく、何故か飲酒欲が全く発生しないのだ。理由はイマイチ分からない。食欲も落ちた。好物の一つ、5Kg入りの段ボール箱単位で購入(近くのスーパーにいつも特注)しているスモークサーモンも美味しく感じないのだ。

   栄養失調を怖れて、松坂屋豊田店に出掛け、食材探し。テナントの伊藤ハムの売店でスモーク豚舌(トンタン)を発見。2.5Kgほどの纏め買いをしようとしたら店員に反対された。この豚舌は冷凍すると食味が落ちます。少しずつお買い下さいと言われ500gで我慢。黒胡椒の味付けが効いていて美味しかった。

   入院中に発覚した丸明(飛騨牛の4割を取り扱っていた年商100億円の大手)のブランド肉偽装発覚以来、豊田市のスーパーのチラシから飛騨牛の名前が消えた。さては今までの飛騨牛は偽物だったか・・・。

   松坂屋ならば本物を売っているだろうと思って飛騨牛はあるかと質問したら『松坂牛と宮崎牛ならあります』とかわされた。脂肪過多の松阪牛は敬遠し、宮崎牛のしゃぶしゃぶを購入した。サランラップで一枚ずつ包装されているし、チルドルームで保存すれば1週間は大丈夫と判断。しゃぶしゃぶならばお湯を沸かすだけで食べられるので、荊妻が不在でも病人の間食用には最適だ。
  
A 病理組織の説明(7月8日)

   7/8の午前には、6/25に内視鏡によって撮影した映像と病理検査のカルテを見ながらの説明を主治医から受けた。

   切除したがんを食道の水平方向に8分割して検査したら、中央部の2箇所からがんを発見。病変は粘膜上皮に留まっており、水平断端、垂直断端は陰性。脈管もリンパ管の浸襲もなしとの所見。

   既に準備してあった手術時の写真41枚入りのCDとカルテのコピー(全部で3枚)を受け取った。これらは兵庫県立医療センターへ届けるものである。

   3時間後には予定通り、造影剤注入前・後のCT検査を受けた。標準コースのCTを受けた後に造影剤を注入して2回目のCT撮影。主治医との面談後3時間も待たされたのは2台しかないCTが大変混んでいたからだ。病院内の長椅子に座って長時間待つのは耐え難く、看護師と交渉した結果、回復室の空きベッドが使える特別待遇を獲得し感謝しながら休んだ。

   7/18には患部の治癒状況の確認のためまたもや内視鏡による検査。それらの結果の説明を8/4に受けることになった。
 
B 内視鏡による検査(7/18)

   廊下兼用の待合室の長椅子に座り、胃の中の泡を消す透明な飲み薬を紙コップに一杯分渡された。この待合室にはドロンとした喉の麻痺剤を吐き出した紙コップを廃棄するゴミ箱があるが、その箱から発する嫌な臭いが充満している。私はこの臭いを嗅ぐだけで嘔吐しそうになるのを必死で我慢していた。

   前回までは泡消し飲み薬は一息に飲めた。しかし今回は、一口飲んだ途端に嘔吐しそうになり、傍らの洗面台に駆けつけ薄い黄色い液体を嘔吐。胆汁と胃液の混合だろうか。残りの飲み薬はほんの少しずつ、5分間も掛けて用心しながらやっと飲み込んだ。

   治療室に入り、マウスピースを口に嵌めた。マウスピースの隙間から主治医が麻痺剤を噴射した途端に、反射的に嘔吐した。初めての体験だ。飯盒(はんごう)の蓋に似た形状をしたステンレス製の深皿に向って嘔吐した。嘔吐しても麻痺剤の追加噴射はしなかった。喉の粘膜表面に薬が張り付いていれば十分のようだ。

   レジデントが何時ものセルシンを静脈注射。直ぐに昏睡。内視鏡による検査は熟睡中につつがなく完了。車の運転は危険なので、当日は已む無く荊妻に送迎を依頼していた。

C 主治医による検査結果の所見説明(8/4)

   主治医に、兵庫県立粒子線医療センターの医療部長村上医師から受け取っていた7/30付けの所見の報告をした。村上医師はCDの41枚の写真の中から代表的な3枚を選んで印刷し、別紙で一枚のレポートを作成されていた。

   『画像を送付いただきありがとうございました。粒子線治療部分、また6月の治療後の経過、体調とも良好の様子で当方も安心しました。7/8CTの検査結果がお分かりになりましたら、ぜひまた教えてください』 ⇒ 主治医から受け取っていたカルテのコピーを帰宅後直ちに郵送した。
 
   主治医は内視鏡による7/18の検査結果の写真を見せながら『手術後の経過は順調です。がんを疑うような小さな斑点は、今回はありません』

   『肺への転移を疑うような箇所はありませんか?』。鮮明なCT画像(新聞紙1ページ大の印画紙に小さな写真が数十枚も並んでいる)2枚を隈なく確認しながら『疑問な点はありません。ところでCTの写真も粒子線医療センターに送られますか?』『印画紙が大きいので送るのが大変。村上部長に聞いてみます』 ⇒ メールで問い合わせたら、次回から送って欲しいとの指示。
 
   『村上医師も菱川センター長(院長)も元はといえば食道がんの専門医。私には主治医が二箇所におられるようなものです。自覚症状の推移から今回の手術は成功したと自己判断し、後1年は元気な余生が与えられたと考え、南部アフリカ8ヶ国旅行(10/14〜10/30)を申し込みました。そこで10/24のCTを11月に変更したいのですが・・・』
   
   11月のCT枠は予約で既に満杯だったが、緊急予約制度もあるらしく11/18の一番乗りに潜りこませていただいた。更に11/14の内視鏡による検査と血液検査及び来年1/23のCTの予約もした。今回はPETの予約は希望しなかった。過去9回、3箇所の病院や医院でPETを受けたが、我が食道がんを一度も発見できなかったからだ。食道の粘膜に薄く広がった我が食道がんの発見には、PETは向かないと判断した。年末には検査結果の所見を聴く予定だ。
   
   今後は4ヶ月に一回くらいの頻度でCT、血液検査、内視鏡による目視とルゴール染色法による検査で原発食道がんの発生の有無を根気よく追い続ける方針だ。漫画家の赤塚不二夫氏が8/2に肺炎で永眠されたが、トリガーとなったのは10年半前の食道がんだ。私は食道がんが発見されて5年半経過した。氏と同じ努力をすれば後5年は生きられそうだ、とご冥福を祈りつつ狸算。
   
   順調に回復すれば、10/14出発の南部アフリカ8ヶ国の海外旅行に行けるはずだったのに、8/7旅行社から参加者がとうとう6名に減少したので催行中止(最少催行条件は15名の参加)との連絡がありがっくり! 
   
   死神に追いかけられているので一刻の猶予もならない! 本日(8/8)、旅行各社のカタログを急遽再点検し、11/3〜11/19の中米7ヶ国(パナマ・コスタリカ・ニカラグア・エルサルバドル・ホンジュラス・ベリーズ・グアテマラ)を申し込んだが、催行未定なので不安半分。
   
                                                         上に戻る
おわりに

   胃がんの手術に引き続いて実施した食道がんの放射線照射治療が終わったとき、何とか古希(還暦以外の年寿は数え年だが、私は満年齢を勝手に採用している)まで生き延びたいとの強い願望が生まれた。その待望久しかった古希(平成20年8月20日)は遂に3ヶ月後に迫った。

   55年前の昭和28年、高校受験準備の一貫としての国語では4文字熟語や諺などを機械的に暗記させられた。そのときに還暦や古希の意味を知ったが、当然の事ながら実感は湧かなかった。しかし、がんと闘いながらも古希が近づくと、この言葉を創案した杜甫の洞察力の凄さには我が体験と重なるが故か身につまされる思いだ。

   
蛇足。古希の由来=唐の詩人杜甫の曲江(きょっこう)詩「酒債は尋常行く処に有り。人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。しかし、人生七十年生きる人は古くから稀である)
   
   過去数年をふと振り返ると、我がメールの返信の結びには条件反射のように『感謝』と書く習慣が自然に生まれていた。ゴルフやテニスで仲間が我が拙いプレーでも褒めてくれると瞬間的に『有難う』という言葉が出てくるようになった。
   
   繰り返しがんの治療を受けるに連れ、余生の一秒一刻がますます貴重な時間に思えるようになってきた。何とか次の年寿『喜寿』まで生き延びたいとの夢は、如何に儚くとも意地でも失いたくないのだ。

                                                               上に戻る
                                                                        
読後感(励ましのメール)

胃がんの完治おめでとう御座います。

食道がんの油断の無い執拗な早期検査及び小さな斑点も一括切除の手術の手法は大変参考になります。次の年寿までの生きる夢を持つ不屈の意欲に敬服します。私は自然体で充実した毎日の生活を過ごす事に満足する今日この頃です。

<早期診断の質問>

抗がん剤の副作用で食欲減退と体重維持とのバトルに悩まされています。抗がん剤投与開始から休止まで(4week)に約2kg体重減少です。体重増加の石松先輩の復活法は参考にさせて頂きます。不屈の根性が無い為,中々沢山食べる事は難儀ですが---。

質問ですが;

抗がん剤治療を1年間実施する訳ですが,中間の3ケ月or6ケ月位に転移状況の診断を受けた方が良いと思っていますが,その必要は有りませんか?

今の所は2week毎の血液検査だけでCT,PET-CT,内視鏡による目視&ルゴール染色法等は実施されていません。患者(私)から要望するのが良いのでしょうか?アドバイス有ればお願いします。

@ トヨタ後輩・工・今年胃の全摘手術・経過観察中

=================

5回目の挑戦、拝読いたしました。

何たる緊張!何たる執念!読んでいて胸がつぶれるようでした。

H19.12.10の寛解宣告から、わずか5ケ月で新発がんを発見!治療に臨んでは3回目の挑戦の時と同じでしょうが、がんを発見することそのものが強力な精神力を必要とするように感じられます。

寛解宣告を受けても緊張を解かずに、執拗に検査を続ける!そうかもしれません、命に関することですから・・・・

これまでも、たくさんの示唆をいただいてきましたが、今回もまた強い、強い指針を受けることが出来たように思います。ありがとうございました。

A トヨタ&大学後輩・工・技術士の資格を取り東奔西走しながら活躍中

====================================

定期的に検査を受けられての早期発見ですので、その部分を削除すれば治りも早いでしょう。

でも癌症状はやっかいですね、どこかに潜んでいて、ある日突然にまた現れてくるとは・・・貴兄の生命力の夢は必ず実現されるとみています。

B 荊妻の知人・経営コンサルタントとして活躍中・奥様は不幸にしてがん死

=======================================

壮絶なガンとの闘い、自分も同じ立場に変わりしみじみと読ませていただきました。

小生は大腸癌で今のところ転移は不明な状況ですが、定期点検の必要性は痛感しております。確り実行に移す予定であります。

お互いに少しでも楽しい人生にしたいものです。

C ゴルフ仲間・経営監査に東奔西走・大腸がん手術⇒平成20年5月24日退院⇒体重9Kg減⇒6月初めから復職予定!

=====================================


  食道がんを克服しつつあるのを拝見し、さすが石松様と褒め称えたいと思います。人知によって病気と戦い、勝利することは大変困難なことです。それを貴殿は財力・体力・気力によって現代の最先端医療をフルに活用して達成しようとしている実績は貴重なものです。

  今後はいち早く新発細胞を発見し、ことごとく小さい内に撲滅していつまでもゴルフができる健康体を祈っています。

  今回のメールで体重を増やしてドライバーの距離が伸びたとありますが、これは私にとって大変興味深い事柄です。我輩の体重は57kgです。メタボになりそうなのでこれ以上の増加は控えています。

  体重と距離の関係が比例するのか迷っています。貴殿の最適体重と最大距離の関係が判明すれば教えて下さい。

  それから屋久島の件ですが、私はS35年に5日間、島に滞在し宮之浦岳縦走と島を一周しました。その間の宿泊費は2,000円(テント泊、小学校の教室泊等)で今では考えられない行動力で青春を楽しみました。それでは良き情報を待っています。

D 中学同期生・工・57年前の昭和26年中学1年の時、身長130cm・体重30Kgだった方。今や私より重いとは!

===================================

がん、5回目の挑戦を拝読しました。

一言で言えば人間性を超越した聖人の域に達せられたと感じました。これからも続き寛解間違いないであろう闘病記は、癌の青史に残るのではと思っています。

故に次の続編も楽しみにしています。

E トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間・ゴルフは年間100回以上・財テク長者


==========================

はじめまして永野と言います。私は有馬氏と大学の同窓生ですが、彼のヴィパッサナー講話要約の配布を頂いている者です。

石松様におかれてはがんの手術を2週間後に控えておられ、大変な心労の時におられるということを知りました。石松様のメールでは現状がとても厳しいように受け取れましたので、面識はありませんが何かの縁があることを感じ、声援を送ります。

(祈ることしかできませんが)どうぞ希望を持って病と闘ってください。病に打克って下さい。手術が成功裏に行なわれ、一日も早くご回復されるよう、ご家族の皆様の祈りに合わせて神様にお祈り致します。

F 大学1年後輩・工・在学中同じ建物に1年半も出入りしていたのに全く記憶にない方

*****************************************************************

読後感その2(退院後の励まし)

*****************************************************************

わりと早く退院できてよかったですね。剥離するだけで、問題が解決するのなら、いいですね。

癌細胞は、どういうアタックを受けると、患部の細胞の遺伝子が癌細胞を作る様に指令を出す様に変わるのでしょうね。

癌細胞の遺伝子は自分の細胞の遺伝子が変形したものであろうと、勝手に想像してこんな事を言っているのですが。

G 大学&トヨタ後輩・工・仏教の本質に魅力を感じ『ゴエンカ師のヴィパッサナー瞑想』を体験修行中

**********************************************

術後の養生をしっかりなさいますように。


H 大学後輩・工・まだお会いしたこともない方

**************************************************************

ホームページ拝見。結果が良くてよかったですね。

I トヨタ後輩・工・ゴルフ仲間

*************************************

ホームページの更新、拝読しました(妻も一緒に)。

麻酔での手術から入院中の嘔吐、痛さ等との闘い、帰宅後の体力回復とは言え、手術20日後の7月9日の18ホールプレー完遂の強靭さに感服しました。と同時に生きる姿勢への感動と勇気を妻ともども戴きました(いつもながらの事ですが・・・今回も・・・)。

新たなる目標(喜寿)を祝すと共に、当面の南アフリカの旅遂行を祈ります。

J ゴルフ仲間・奥様はすい臓がんから寛解⇒海外旅行に夢中

**********************************

その1。

ガンとの闘いの記録を公開され、それを拝見していて、石松様の精神的な闘争心の強さに感銘しています。

また、講演記録を読んで、多くの方にも感銘を与えた情報に接し、社会貢献大と思います。

ところで、質問があります。

PETのついてはNet検索で読みました。タイムリーなPETの検査をしていれば、早期発見で治療も簡単に済みかなりの人が助かるように思われます。

例えば、TMC(トヨタ自動車の略称)の役員などは、毎年PETを受けているのでしょうか?しかし、手遅れで無くなる先輩もかなりいたと思います。PETの検査の普及が気になります。(10万円/回+α)

私は、トヨタ記念病院で毎年『充実コース』の健康診断を受けていますが、これは、気休めのようにも思います。(5万円/回)

従って、2年に1回のPETにした方が良さそうにも思います。もし、PETを受けるとしたら、何処でどのように受けたらよいのでしょうか?

お大事に!

石松の回答

励ましに感謝。

一昨日のテニスも昨日のゴルフも体力不足からへとへと。富士山に登ったときの疲労感に似ていました。最後は歩くのが精一杯!メールの返信を書く気力もなくて遅くなりました。

PETは10年位前から鳴り物入りで喧伝されました。しかし、そのPETで発見しやすいがんと発見し難いがんがあることが除々に判明してきました。私は9回PETを受けましたが、一度も食道がんは発見されず、全てはルゴール染色法で見つかりました。

PETはブドウ糖の吸収力の差で正常部とがん部とを見分けるものです。そのため最もPET向きなのはがんの形状が球に近い塊状のがんです。私の食道がんのように面積は広くても薄く広がっているがんの発見には向きません。

がん検診は従来からあるCT・超音波・ルゴール染色・MRI・バリウム⇒X線・生検・血液検査他実績のある手段を総動員して実施するしかありません。殆どの検査を一度に受けると30万円くらいは掛かります。

PETに限らず画像診断には読影医師の経験が重要になります。そのため、数年間の実績のある病院が向いていると思います。

私が出かけているのは愛知県で最初にPETを導入した『名古屋共立病院』です。ことし1月にはがんセンターの敷地の中にも共立病院のPETセンターが進出しています。

詳しくは http://www.nagoya-pet.com/ をクリックしてご確認下さい。私の友人達が大勢PETを受け始めました。

TMCの役員がどの程度PETを受けているかは存じません。

がんの自覚症状が出てから治療した人は私の周りに限定した場合、全員死んでいます。如何にして無自覚状態のときに検査でがんを発見するかに掛かっています。そのためには半年おきの検査は不可避です。

その2。

こんばんは、お疲れのところ貴重なアドバイスに感謝しています。ありがとうございました。

如何にして無自覚状態で、早期発見するかが、ガン克服のポイントであることを再認識しました。

しかし、元気なうちは、それが出来ないのが現実のようです。せめて、1回/年の定期健診はサボらないように努力したいと思います。

K トヨタ先輩・工・立派なホームページを作られた方
JA2TKO & B29 http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/
Yamabiko http://www48.tok2.com/home/yamabiko/

***********************************************

5回目のがん治療の経過を拝読して感動しました。

幾度もの新発癌の告知に自暴自棄にならず冷静さを堅持されていらっしゃる。剥離した癌を撮影して欲しいとデジカメを手渡されたとは!主治医は、こんな患者に初めて出くわしたと驚嘆されていたことでしょう。

手術後、ちょっとした刺激で昼夜を問わず激しい嘔吐が何百回も続き、4Kgも体重が減ったとは! 想像を絶します。私など1〜2回の嘔吐感も嫌で胃カメラを拒んでいるのが恥ずかしい。

見舞い客に関する記述に眼から鱗です。今まで気軽に先輩や友人を見舞っていましたが、今後は慎重を期したいと念じています。

石松さんの幾たびもの癌との死闘のたびに、月並みな励ましの言葉を掛けていましたが、これも反省しております。

貴殿の癌との闘争の人生はひ弱な健常者をはるかに凌ぐ有意義な生き方です。執筆されたホームページは既に6万人が拝読し生き方を教わっていると思います。私も少しずつ人生観が変わっていくのを感じます。今後ともよろしくお願いします。

L トヨタ先輩・工・ゴルフ&テニス仲間・囲碁はトヨタOBではNo.1

**********************************************

愛知県がんセンター定期健診時に石松さんのお見舞いに行きましたが,早期に退院されていました。会話に問題あるかなと気遣いましたが,お顔だけでも拝見と思って!

手術の成功,お喜び申し上げます。私は抗がん剤投与の3サイクル目に入りましたが,食欲減退等の副作用が激しくなった為,山村先生(氏の手術を頼んだ私の胃がんの主治医)に相談した所,投与を副作用の少ない前の状態に戻る迄,中断する事になりました。

夏バテもあるかも知れませんが,食事との格闘が毎日続いています。そんな中でも,気分晴らしにTEC(株)へのボランティア訪問とか(株)黒坂鍍金のコンサル情報活動を少しずつ遣り始めました。石松先輩のホームページ等の情報も参考にさせて頂きながら,闘病生活を頑張り抜きます。

M トヨタ後輩・工・半年前に胃の全摘手術・1年半前に同じ手術を山村先生から受けたトヨタ後輩は先月寛解とのご託宣。

*****************************************************************

読後感その3(経過観察の励まし)

*****************************************************************

残暑お見舞い申し上げます。

HPを拝見しました。手術、治療、検査、その後の回復のご様子がとても良くわかりました。現実を直視し、冷静に治療を受けておられることに敬服いたします。

また、それをものともせずに、テニス、ゴルフ、海外旅行を楽しんでおられる姿もとても素晴らしいと思います。ご家族の支えも素晴らしいのだと思います。

今年の夏は一段と暑さが厳しくなっていますが、くれぐれも御自愛ください。

その2。

早速私のメールをHPに載せて頂き恐縮です。

今日も名古屋は暑かったようでしたが、いかがお過ごしでしょうか?私は日曜日から夏休みで自宅がある千葉県白井市に戻っています。ここは千葉県の西部の内陸部にあり、梨の産地として有名で、周囲は梨畑や田畑、雑木林が多く残る地区です。

住宅公団が20年前から開発してきたニュータウンで、そちらで言えば高蔵寺ニュータウンのようなところです。その一角に私の自宅はあります。気温は都心より1,2℃は低く、従って名古屋よりは多分4,5℃は涼しいと思います。今週一杯、自宅ベースで身体を休めるつもりです。

例年はお盆にコートを借りて仲間とテニスをしていましたが、今年は暑すぎるのか盛り上がらず、予定無しです。

暑い時期ですから石松様もどうぞ無理をなさらず、一日も早く体力を回復されるようお祈りしております。

PS.

私は一級建築士です。早稲田の大学院を出て電電公社建築局に入社し、電話局や逓信病院などの公社施設の設計をずっとやってきました。15年前にNTTグループの先頭を切ってNTTファシリティーズが設立され、その時に転籍し現在に至っています。

現在ではNTTグループの仕事以外にも一般のお客様から設計の仕事を頂く、一級建築士数は設計事務所としては日本一の会社です。

私は今では支店長としてマネージャー職で、技術者として最後に設計を担当したのはドコモ代々木ビルです。エンパイヤステートビルに似ている、と良く言われますが、合理的必然性から導き出したデザインで、自分では自信作です。毎朝、NHKテレビのニュースのバックに出てくるのでうれしくなります。

N 名古屋市に単身赴任されている、まだお会いしたこともない方・工

******************************************************************

残暑お見舞い申し上げます。

立秋を過ぎても暑い日が続いています。いつもメールを頂き有り難うございます。お陰様で癌検診や治療に関し勉強させて頂き糠漬けへの取り組みに感心したりしています。

旅行記は私どもの行き先が違うので、たぶん私は西アフリカとか中央アジア、中近東には行かないと思いますので、これらの国々を知るのに重宝しています。

今度行かれる中米はメキシコ、キューバを除き知りません。北京オリンピツクに参加する204ヶ国のなかにはカリブ海にも沢山の国があるようでした。今回は是非、催行されんことを祈念いたします。

残暑厳しい折、お体ご自愛のほどを。

O トヨタ&大学後輩・経済・自宅に社交ダンスの練習場を作った方

*********************************

                                                               上に戻る