[1]はじめに
平成元年の晩秋、急に中国へ行くことになった。それまでの海外体験とは全く異質の世界『共産圏』へと踏み込むことになった。時間不足で中国に関する一般的な勉強は殆ど出来ず、ただ観光案内書を買い込んだだけであった。これらの本は出張中、ホテルで夜と早朝に一所懸命に読んだ。
大学受験勉強中だった次女の気分転換にでもなればと、愛知県有数の観光名所でもある香嵐渓へ紅葉狩りに出掛けたら、足助三州屋敷では小さな中国祭を幸運にも開催していた。
建物の一角では書画を売りながら、中国人がお客さんの似顔絵を有料で素早く描いていた。手数料に相応しい素晴らしい技を見せていた。工業技術のように国家の中の集団が保有する力とは無関係な、個人の実力競争だけの世界では中国人の力は侮りがたいと思った。日本人そっくりの顔をした日本語を喋る中国人との対面は初体験である。
日本語の分かる若い中国人が『天津うどん』の実演販売をしていた。出張準備中だったためか、中国への親しみを急に感じて熱々のうどんを食べた。中国では安いのだろうが、日本では 500円/杯もした。腰のない柔らかな麺に特色があった。
後での体験だが、アジア各国のうどん類は例外なく何故か腰の弱い麺ばかりであった。麺の素材は麦だけではなく米の場合もある。米麺の場合は半透明になっている。何回か各国で名物の麺類にチャレンジしたが、歯応え不足で物足りなかった。お澄まし風のスープに各種の香草(薬味)が浮かんでいる。どくだみに似た野菜もある。
日本のうどんのスープはラーメンの影響か、最近は味噌煮込みを初めこってりとしたタイプが益々増えてきた。とは言うものの、大きい駅のホームでしばしば見掛ける、うどんと蕎麦共用スープのように、ワンランク下と見做されている麺類ではお澄ましタイプが未だに主流ではある。しかしどんなうどんでも香草だけは何故か日本では小さく刻んだ葱1本槍だが、アジア各国では多種多様だ。馴染みのない味や香りには親しみ難かった。
そんな体験にも触発されて、今年の正月から自宅で『手作りうどん』に挑戦している。参考書によれば日本人が望む究極のうどんは、アジア各国とは何故か正反対の腰が強い、歯では噛み切りにくい麺らしい。私の好みはしこしことした歯触りを感じる固茹でうどんだったんだと再認識した。
出張予定地は瀋陽・天津・北京・上海だった。『満州では11月末でも零下10度にもなるぞ!』と中国通に脅かされ極寒対策に戸惑った。ハイテク材料で出来たウインター・スポーツ用の靴の中敷きを薦められて買った。薄くても断熱性が高く、しかも保温力にも優れた機能材料が使われていた。
『北京事務所では、ダウンがたっぷりと入れてある防寒コートとブーツは用意するが、ブーツの中敷き用ホッカホカカイロは日本から持参するように』と言われた。ブーツの底は酸素不足になるので酸化反応速度を高めてある種類だそうだ。
ポケットに入れて試験してみたら火傷し兼ねないほどの高温になった。もともとはスキー客用に売られている特殊なカイロだった。スキーからゴルフとテニスに転向していた20年の間に、ハイテク材料がこんな分野にまでも進出していることを知り『我、老いたり!』と認めざるを得なかった。正しく泥縄並の出張準備であった。帰国時、使い残したカイロは北京事務所にお礼として押し付けて来た。
[2]振幅の大きい中国の評価
戦後50年の間、中国くらいその評価が大きく揺れてきた国も珍しい。中国政府の自己評価はもちろんのこと、中国通の日本人(学識経験者・マスコミ関係者・旅行業者など)の間でも両極端にまで広がっている。
今回の出張者の間でも中国の実力評価には大きな開きがあった。同行した豊田通商の関係者や当社アジア部等の、プロジェクトの積極的な推進派で中国通を自認していた方々には、中国の実力を大変高く評価する傾向があるように私には感じられた。
35年くらい前の事である。当時の日本のマスコミは中国政府の意向に反する報道をすると、特派員が国外追放されていた。その結果、朝日新聞にお笑い記事が真面目に報道されたのを私は記憶している。
御用学者の解説や証拠写真を添えながら『中国の先進米作技術では籾が 100俵以上/反も収穫できる。稲刈り直前には稲の上に子供が寝転んでも沈まない!』とまで卑屈にも報道していた。実態は収穫直前の稲の株を掘り取り、相互にくっつけて高密度に植え直して写真撮影したものであった。白髪三千丈の類いに今日でも油断していると騙され兼ねない。頼りになるのは自分の頭から滲み出てくる判断力だけだ。
出張当時も今もなお私には依然として『中国には4000年の歴史はあっても富や技術の蓄積は殆どなく、見せ掛けだけで実態のない貧しく弱々しい国』との確信に満ちた先入観からは残念ながら抜け出せない。
当時の所属長だった山氏からは『当社の中国プロジェクトに水をかけた』と苦情を言われたが、関係者からは私の『出張報告書(A3,1枚)やビデオ2巻延べ4時間』への具体的な反論なり、事実誤認の指摘は今に至るまで一度もない。
大連からの引き揚げ者で、中国には特別の思い入れもあった担当役員の大西常務に『私のビデオを御覧になったら、急に中国に行きたくなったでしょう?』と誘い水を掛けたら『松っつぁんのビデオを見て、現地へ出掛ける以上に良く分かったから、もう行く必要はない。今なお、松っつぁんのナレーションが耳にこびりついている』と言われる始末。しかし、程なく奥様と一緒に私費でこっそり中国へ観光旅行に行かれたそうだ。
英国の『エコノミスト誌(1992-11-28号)』が購買力平価説を突然持ち出して、中国は実質的な経済活動の総量では日米に次ぐ経済大国であると持ち上げた結果、その孫引きが世界中に蔓延した上に歩調も合わせて中国を礼讃しているが、財の質を無視した上でのみ成り立つ購買力平価説だけでは所詮、評価法としての限界と無理を感じる。中国政府自身がエコノミスト誌の影響力の大きさに驚き『中国は今なお貧しい発展途上国に過ぎない』と弁明し始める始末。
中国の経済水準を高く評価する人達の評価法としての1例を挙げれば『現在の中国の経済レベルは、今の中国のカラーTVの普及率とその普及率が同じだった年の日本の諸水準に等しい』の類いである。カラーTVの代わりに、電話普及率、カロリー取得量/人、繊維消費量/人など似たような指標は溢れるほどにある。
『その仮説の結論は正しい』との立場から、その時点からの日本の自動車の販売台数の伸び率を中国に適用して、近い将来にはこんなに車は売れると結論付ける予測の類いである。生産技術の進歩により急速に実質原価が下がる新商品を評価関数にすれば、後発国ほど実力が実態以上に高く現れるのは当然である。
一方登場してから 100年以上もの歴史を持ち、その構成部品や材料が多種多様な自動車のような商品の原価は1国の全産業の実力(労働生産性)に直結する。長い間に改善・改良が十分進んだ商品の原価低減は大変難しい。そこに大きな論理の飛躍・変数のすり替えが横行する余地が生まれる。
こんな単純な錯覚に関係者が気付かない筈がない。明白な嘘でない限り自分の都合に合せてデータ操作をするのはサラリーマンの職業病である。リスクを自ら背負っている本物の資本家には、こんな陥穽を本能的に避ける直感力がある。
国際間の真の実力比較は実質製造原価が長期に渡って改善し難いだけではなく、世界中何処でも普遍的な『Constant Value』を持ち、且つ家計でのウェイトの高い財の価格と所得比を使うべきだと確信している。このためのベストアイテムは『家』である。民家を評価すれば民度は簡単に分かる。私が今日までに訪れた26ヶ国を回想しても例外は思い出せない。
国際間だけではなく同一国の中でも、家を見れば貧富の評価はいとも簡単!わが国の名目国民所得が為替レートの急変により、ドル換算では断トツの世界一に突然なろうとも、平均的国民の住宅がゴミ箱レベルでは『英国に追い付いた』とすら簡単には言えない。
[3]遥か彼方にある遠い国
距離の上ではすぐ近くにある国なのに、時間の面では大変不便な国であった。当時は大阪空港からの早朝便に乗るため、心斉橋近くのホテルに泊った。2流ホテルのためか食堂の営業開始時刻は遅くて間に合わず、ロビーで弁当を食べた。名古屋発着便のあり難さを痛感した。新幹線で荷物を運ぶのも大変だ。フルサイズのVHSビデオカメラの重さには辟易した。当初は軽く感じていたバッテリーや充電器も、運んでいるうちにやけに重たく感じて来た。
大阪空港は初めてだったが『これが日本第2の大都市圏である関西の中核空港か!』と思うと、目を覆いたくなるほど貧弱に感じる小ささだった。良くもまあ長い間、関西人は我慢して来たものだ。
平成7年3/26〜3/29、夫婦で北海道の温泉巡りに出掛けたおりに利用した、新千歳空港は世界に恥じないレベルだったし、帰省時に使う福岡空港はJR博多駅から地下鉄で僅か5分(2駅)の位置にあり、その利便性は日本一!などを思い出すに付け、関西新空港の建設がかくも遅れたのは何故なのか理解できない。
苦労して大阪まで来ても、人口では中国第4の大都市『瀋陽』行きですら日本からの直行便はなく、北京経由だった。その北京へ行くためにも遥か南の上海の上空まで飛んだ後、北上するルートだった。北朝鮮の上を飛べなかったからである。4時間も掛かった。直線ならたったの2時間の距離である。
北京は既に豊田市の真冬の寒さ。真昼と雖も、暖房がないも同然の空港の待合室は寒かった。見栄えのしないぶくぶくとした質素なジャンパーを着た中国人の長い行列を目にした。『広大な中国では低所得とは無関係に飛行機は必需品なんだろうか?貧乏な中国人に飛行機の運賃が払えるのだろうか?』などと新鮮な驚きを感じた。聞いて見るとビジネス客(もちろん、幹部社員)だった。
待てど暮らせど瀋陽行きの搭乗案内はない。延着の説明もない。この程度の簡単なお客への情報サービスですらやる気のない国だと聞かされてはいたが、実際に体験すると、寒さは募るし、頭では諦めていても腹が立ち苛々してくる。『日本のすぐ隣なのに全くの見知らぬ別世界がある』との現実を認めざるを得なかった。
日中間には幸いなことに海があり、相互にはお互いの暮らしを直接覗き見ることはできないが、ナイヤガラの滝を挟んで自由な往来が可能なアメリカ合衆国とカナダ(民家が急に小さくなる)、アジアではシンガポールとマレーシア、欧州ではロマンティック街道観光で通り過ぎると、嫌でも出会うドイツとオーストリー、オーストリーとスイスのような地続きの国境では、国力の明らかな差(インフラと民家の質が顕著に変わる)を嫌でも目撃させられた。格差を見せ付けられながら生きている、国境の民の心境は如何ばかりかと胸が痛む。
7〜8時間後になってやっと事情が知らされた。北京空港へ来る筈の搭乗予定機が雪のため、直前の空港を離陸出来ないとのこと。『情報提供もサービスの内という観念など、微塵もない国とのお付き合いの難しさ』を計らずも初体験させられた。その日は北京市内の超高級ホテル崑崙に泊まることになった。
崑崙とはチベット高原とタクラマカン砂漠との間にある山脈名で、天山山脈と向き合っている中国人が誇りにしている大山脈である。この夏、天安門事件が発生して観光客が激減しホテルはガラガラ。予約なしでも泊まれて助かった。
北京空港から北京市内へ向かう道は日本レベルの高速道路ではなかったが、新設道路だった。大平原の中の盛り土道路だ。盛り土は道に沿って川の様な溝を掘ることで確保されていた。国有地だからこんな勝手な造成が出来るのかと驚くものの、工事費の節約の面には合理性が感じられた。お負けに結果的には道路の側溝をも兼ねている。道路の両側には4列くらいの鬱蒼とした並木列があった。ベトナムでも複列の素晴らしい並木を見たが、複列並木の壮観さ・迫力には率直に感動。
『複列並木の目的は美観か?』と推定していたら違うそうだ。北京空港に降りる要人がこの道を通る時、周辺の農地から銃撃されないための目隠しだそうだ。外国では時々この種の意外な発想に出会って驚く。時々現れる隙間から遠くを見ると、1本も木のない寒々とした大平原が続く。
オーストラリアのゴルフ場で直径1m・高さ20m以上もある4〜5列のコース・セパレータがあったのを思い出した。球がそれてこのセパレータに飛び込むと、ほぼ 100%木に捕まってラフに落ち、フェアウエーへ出すのに木が再び邪魔になって四苦八苦させられた。
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