第13話 対峙

 どれくらい走っただろうか。舞い上がる砂の向こうに、空に伸びる細長い影が見えてくる。そこより東にあるのは、研究所の残骸だろうか。長い塊が砂に突き刺さり、黒光りする柱に見えるのが印象的だ。
 エンプレスが音に反応して顔を上げる頃には、人の影も徐々に近付いてきていた。塔の前には、既に朝一度別れた人たちが再び集結している。
 屋根が無いホバーカーが、先に到着していたマジシャンのそれに横付けされた。
「お待たせ」
 ホバーカーから降り、塔を改めて見上げる。土台は何も無く、本当に砂の中に塔だけが建っていた。確かに自分の父親の墓があった位置だとは思うのだが、その墓の痕跡がどこにも見当たらない。
「本当に、お墓の上に建ってるのね」
「違うわよ、エステス」
 呆然としていると、背後からストレングスに声を掛けられた。枷は外されているものの、足首に残った太い赤痣が痛々しい。
「この塔は、お墓の下に建っているの」
「えっ」
 慌てて塔をもう一度見上げるが、ここからでは頂上の様子が分かるはずもない。
「元々、このお墓の下に研究所の一部があったの。これは、ジャッヂメント自身の希望よ。更に、ここに永遠の命の技術を封印したのが、ジャスティス。仲が良かった私は、彼女と協力して、ある仕掛けを作ったの。エンプレス、こっちに来て」
 ストレングスに導かれるがままに、エンプレスは灰色の塔の壁に手を当てた。すると、それまで白い石が埋め込まれているだけだった壁の一部が、黄色く輝く。
「見ての通りよ。私達は、時が来たら塔が姿を現すように、細工を施した。そのうえで、中に進むために四つの鍵を作ることにしたの。それが、あなた達4兄妹よ。あなた達が何のために使用するのか……もしかしたら生涯必要ないかもしれない。それでも、ジャッヂメントの子供に託してみることにしたの。正直、あなた達が研究員に狙われていることも、利用させてもらったわ。誰が欠けても、最上階には辿り着けないことになっているの」
 ストレングスが、砂漠の上空を見上げている。目を向けてみると、1台の飛行機が、こちらに向かってきていた。恐らく、ハングマンとハイエロファント、数人の研究員を乗せているのだろう。
「早く入って。案内役が、いるなずなの」
「案内役?」
 人が首を傾げている間に、せっかちなテンパランスが塔の中へと飛び込んだ。聞こえてきたものは、みっともない悲鳴。
「うわーっ、お化けっ」
「えっ?」
 ぎょっとして中に入ると、テンパランスが震える手で中を指差していた。その先には、確かに半透明の少年が浮いている。
『お化けとは失礼だな。科学技術の結晶に向かって、なんてこと言うんだよ』
「科学技術の結晶?」
「ジャッヂメントッ」
 ワンドの声に、また驚かされた。父親の子供の頃の顔なんて知らない。目を凝らしてみても、本人かどうか分かりようがなかった。ただ、髪や目の色が、兄に似ているかもしれない。
『や、ワンド。久し振り』
 片手を教授の肩に乗せ、気さくに話しかける少年。父は、こんなにも軽い人物だったろうか。
『エステス、ラバーズ……エンプレス。皆、見違えるほど成長したんだな。ファントの姿が見えないようだが?』
「後で来る、はずだよ」
 デビルの答えに、ジャッヂメントだという少年は微笑んだ。デビルは塔に入ってから、ずっとしかめ面をしたままだ。どこか納得がいかないのは、自分も同じだ。
『そうか……じゃ、私達だけで先に行こうか』
「いえ、私は残りますよ」
「ワンド教授?」
 せっかく塔に来たのに、何もしないで下の階で待つとは、どういうことだろう。何か目的があって、ここに来たのではなかったのか。
 振り返り見ると、彼は既に壁に寄りかかり、座り込んでいた。絶対安静だった人物が、揺れの少ないホバーカーとはいえ、負担の多い旅をしてきたのだ。当然の結果だった。これでは、上まで歩くのは難しい。
『……老けたな、ワンド』
「まあ、それだけ月日が経った、ということですよ。口調だけ大人のままの子供には、言われたくありませんが」
『私も、教授職が抜けない友には、言われたくない』
 2人は、顔を見合わせて笑った。学生時代の様子を少しだけ垣間見ることができ、なんだか不思議な気分だ。
 彼等の笑いを制するように、ホイールが片手を上げる。
「僕とマジシャンも残るよ。まさか怪我人を置いて、全員で上がるわけにもいかないだろう」
『そうだね。そこに隠し部屋があるから、入ってやり過ごすといいよ』
 ジャッヂメントが手をかざすと、ワンドの横の壁にぽっかりと穴が開いた。
「念のため、エンプレスも残ってくれるかい? 足音を聞き分けられる人が欲しいんだ」
 ホイールの言葉に頷いたエンプレスは、こちらを振り返って「気をつけてね」と言った。その顔は、どことなく誇らしげにも見える。そんな彼女を先頭に、4人は隠し部屋へと入っていった。
『すまない、ワンド。本当なら、私の役目なんだが』
「構いませんよ。それでは」
 最後にワンドが部屋に入りきると、穴は塞がり、壁と同化してしまった。見た目では、奥に部屋があるとは、とても思えない。
『この研究所の構造を正確に知るのは、今じゃ私とワンドだけだ。恐らく、見付かることはないと思うよ』
 浮き上がったジャッヂメントに従って、塔の上へと続く螺旋階段を上る。元は、何の管轄を請け負っていたのだろう。パイプなどがむき出しになった壁は、研究をするには不向きに思える。
『さあ、今度はラバーズの番だよ』
 ジャッヂメントの言葉を受けて、ラバーズが戸惑いながら前に出る。扉には、白い点と線で冬の星座が描かれている。その中央に一際大きく輝く石に手をかざすと、扉は難なく開かれた。目の前に、正円状の部屋が現れる。床にもまた、扉と同じような星座が描かれていた。
「ここなら、暴れられそうかな」
「ランス?」
 いつになく楽しそうなテンパランスを、横目で窺い見る。右手にレーザーナイフを起動させた姿は、床に描かれた巨人のようだ。
「俺、ここに残る。研究員くらいなら、何とかなるかもしれない」
「1人じゃ無理よ。私も残るわ」
「レンまでっ」
 皆が止めに入る前に、ストレングスは黒く長いスカートの中からレーザー銃を取り出して、微笑んでみせた。
「降りる前に、飛行機から一丁拝借しておいたのよ」
 小首を傾げ、悪びれる様子のない彼女に、本来の持ち主であるフールが目を丸くする。手渡された武器以外にも、在庫があったのだ。それを目聡く見つけ出し、持ってきてしまった彼女。春を呼ぶ女神のような笑顔とは、程遠い内面を持っているのかもしれない。
「道案内役もいるんだから、私が付いていなくても大丈夫よ。頼んだわね、ジャッヂメント」
『ありがとう。気をつけて』
 2人を部屋に残し、更に上を目指して歩き出す。鉄の棒と板だけで作られた階段は、踏む度に高い音が響いた。反響がすごく、誰の音なのか分からない。
 次の扉が見える頃には、足音の他に、下から複数の人の声が聞こえていた。星の間で、2人と研究員達が出会ったらしい。
「もう追いついてきたか」
『障害が、あるわけじゃないからね。さ、エステス。君の出番だよ』
 淡い黄色で描かれた、月の扉の前に立つ。生唾を飲み込んで、青白い石に手をかざした。黄色く輝くと、先と同じように簡単に扉が開かれ、少し安心する。
 再び現れた円形の部屋に入る前に、螺旋階段の下を覗きこんだデビルが愉快そうに笑った。
「なるほど。ランス達の相手を、研究員に完全に任せたか。ハングとファントが、こっちに来るよ。ハング相手なら、僕の出番でしょ?」
「私も残ろう。一度、本気で相手をしてみたかった」
 名乗りを上げるフールの顔を、デビルはまじまじと眺める。
「へえ、物好きだね」
「一応、幼馴染だしね」
 2人は同時に、ジャッヂメントを見上げた。
「てことで、僕達は残る。映像がどうやって現状を把握し、喋ってるのかは知らないけど……エステスを泣かせたら、承知しないからね」
「同じく、だ」
 怪しさが残っているとはいえ、半透明の少年が自分とラバーズの父親であるということを、忘れてしまっているのではないだろうか。
 青い瞳と赤い瞳を交互に見比べて、ジャッヂメントは困ったように笑った。
『心しておくよ』
 デビルとフールを気にしつつも、また螺旋階段を上っていく。今度は、直接踊り場へ出てしまった。自分の家の辺りや島はもちろん、スプレッド朝よりも更に東まで描かれた丸い地図。その先には、ただ直線状の鉄の階段があるだけだ。
「封印の扉が、無い? 兄さんは、鍵になっていないの?」
 最後尾に付いていた自分は、ふとした疑問を口にした。しかし深く考える間もなく、近付きつつある一つの足音に気が付いた。
 ハイエロファントだ。
 迷うことなく、一度は上りかけた階段から飛び降りる。履き慣れた靴は、しっかりと踊り場を捉えてくれた。
「エステスッ」
「先に行ってて。兄さんと話してくるわ」
 最初は渋っていたエンペラー達は、こちらの意思が固いと悟ると、仕方無さそうに上がっていってしまう。それを見届けた後しばらくして、兄の顔が踊り場の奥にいるこの位置からでも見えるようになった。彼が自分を無視して行ってしまうことがないよう、上へと続く階段の真ん中に仁王立ちして待ち構える。