第12話 再会
「あなたが、ハングマン?」
「そうだよ。君は……似たような顔を、どこかで。ああ、そうか」
彼は口の端だけで笑みの形を作ると、片手を上げることで研究員の銃を下げさせた。自分達と同じように研究員達に向き直り、彼等の後方を見るように首を伸ばす。人の群れを掻き分けて進む、金髪の男に目を遣ったようだ。
「あいつの妹、かな」
その言葉に、目を見開く。研究員が人1人分の道を開け、ようやく顔が見えた。
自分と同じ、輝く緑色の瞳。記憶よりも更に大人っぽくなり、落ち着いた感じはするが、間違いない。兄の姿だ。
「ハイエロファント兄さんっ」
「エステスッ」
確かに呼ばれた、自分の愛称。
しかし、兄に近付くことは許されなかった。足元で、硬質な何かが鋭く弾かれる。デビルに抱えられるようにしながら、後退せざるをえなかった。
ハングマンが、銃口と見る者を震え上がらせるほど冷たい微笑とを、こちらに向けている。
「今度は、外さない」
「ハングッ」
ハイエロファントが、抗議の声を上げる。彼は両腕を研究員に捕らえられ、動けないでいた。それを見た瞬間、頭に血が上った。銃も身の危険も、関係ない。
「兄さんを、離してっ」
デビルを押し退けようとするが、逆に壁に押さえつけられてしまった。こんなにも力の差があるのが悔しい。兄の元へ駆け寄れないのが恨めしい。
目の前にいる鳥の遣いを睨むが、彼は兄の方に顔を向けていて目が合わなかった。
「あれ、使ったから、ファント。下で待ってる。じゃあね」
デビルは自分を抱きこんで、耳元で「ごめんね」と小さく囁いた。
それを機に、もたれ掛かっていた壁が外側に倒れていく。強い風を感じ、青い空が見えたと思った時には、研究所の外へ投げ出されていた。
2人揃って、風と重力に身を任せるがまま堕ちていく。
◆◆◆
呼吸も心臓も太股も、何もかもが悲鳴を上げている。こんなことになると分かっていたら、仕事の合い間に身体を鍛えておいたのに。
ストレングスを横抱きにしているエンペラーに代わって、レーザー銃を乱射させる。次がどこに撃たれるか分からないところがより恐怖に感じるのか、思った以上の成果があった。追っ手が怯んで部屋に逃げ込んでいる隙に、細い通路へ身体を滑り込ませる。この階段を上れば、フールが待つ場所へと辿り着くことができる。
「エンペラー、大丈夫?」
ストレングスの気遣う声に、彼は「ああ」と短く返事をするだけだ。自分でも汗だくなのだ。いくら体格が良いとはいえ、人1人抱えてここまで駆け上がってきた彼の疲労は、きっと想像以上だろう。
白い光と黒い飛行機の影が、徐々に近付く。と同時に、後ろから来る足音の群れも大きくなってきている。
「げっ、もう追いついてきてるっ」
振り向かなくても良いのに、つい振り向いて足を止めてしまうのは、追い詰められた人間の性なのだろうか。慌ててレーザー銃を構える前に、上からフールの声が響いた。
「3人共、顔を伏せろっ」
考えるより先に、目を瞑る。目蓋の裏でも、辺りが瞬間的にまばゆい光に包まれたことが分かった。恐る恐る目を開けてみると、そこには光などはなく、代わりに研究員達が一様にうずくまっていた。顔を両手で覆う者、一心に目を擦る者など、様々だ。
いったい、何が起こった?
「今のうちに、上がってこいっ」
鋭い声に、上を見上げる。そうだ、今は驚いて竦んでいる場合ではない。
脱出できる唯一の手段に向かって、1歩ずつ踏みしめる。もう、研究員達が追ってくる様子はない。
「あんな物まで、隠し持っているとはな」
お互いが触れられる距離まで近くなったところで、エンペラーが呟いた。
「ま、護身にね」
フールは苦笑して、肩を竦める。
「ところで、デビルとエステスは?」
「ごめん、途中ではぐれたんだ。2人は、たぶん一緒だ」
正直に告げると、フールはしばらく目を伏せて考えている風だった。
「デビルが一緒なら、何とでもなる……かな。今は彼を信じよう。乗って」
一様に頷いて、飛行機に乗り込む。身体を椅子に固定する前から、プロペラが旋回し始めた。固定具に金具を差し込んだと同時に、大きな機体が床から浮き上がる。着陸時以上に、揺れは激しい。舌を噛まないようにするので、精一杯だ。
まるで勢い良く剥がされたかのように、一気に研究所から遠ざかる。飛行機が自分の力だけで飛べるようになり、ようやく揺れが少なくなった。詰めていた息を吐いて、身を乗り出して下を探す。気に食わない男だが、ハイプリースティスだけは助けるのだろう。絶対に。
さっきまで中を走り回っていた、白い鳥の更に下。後方に流れていく、小さな小さな黒い点……いた。
◆◆◆
「ごめんね、エステス。怖い目に遭わせた」
しばらく自由落下をしていたものの、今は空中に留まっている。望まない能力を手に入れてから何かと活用させてもらっているが、今ほど持っていて良かったと実感したこともそうは無い。
自分の肩口に顔を押し付けたままのハイプリースティスの髪を、慰めるように優しく梳いてやる。謝罪の言葉にゆるく首を振って否定する彼女に、思わず苦笑が漏れた。人の群れと敵対することも、空を駆けることも無かった彼女には、言いようも無い恐怖を感じただろうに。
「あ、フール達も無事だったみたいだ。今頃、ファント達も研究員を逃がすのに大忙しのはずだよ。時間は充分に与えてあるし、次に向かうべきところも指示した。彼等が動く前に、僕達も塔に向かおう」
自分は、遥か下に存在する地面と平行になる形で、仰向けの状態になっている。その上に、抱き合うような形でハイプリースティスがいる。これはこれで彼女を落とす心配もなく、一応男としては嬉しい状況なわけだけど。
「このまま前進っていうのは、ちょっと間抜けかな?」
できないわけではないが、笑える光景かもしれない。今は、そんな笑いは相応しくない。
背筋を伸ばして首を反らし、塔の方向を確認する。おや、あれは。
「前にホイール達がいる……意外と早かったな。エステス、ちょっと速度上げても良い? ま、僕は、このままでも役得で良いんだけどね」
途端に、背に回された手に力が込められる。怒ったかとも思ったが、小刻みに震える肩とくぐもった声から、笑っていることが分かった。それを了承だと受け取り、涙に濡れた服には一切構うことなく、そのまま速度を上げて飛ぶ。どんな鳥よりも速いそれは、あっと言う間に砂煙を上げて疾走するホバーカーに追いついた。
「ホイールー」
振り返り見てぎょっとしたのは、名を呼ばれた本人ではなかった。
「な、何やってんだよ、2人ともっ」
目を丸くしたまま、デスが叫ぶ。後部座席に座るのは、彼とエンプレス。あと大人1人くらいなら、納まりそうだ。
「研究所から、堕ちてきたんだよ。それより、そこ空けてくれる?」
デスが言われた通りにエンプレスに寄って場所を空けてくれたので、体の位置を入れ替え、ハイプリースティスを横抱きにしたまま飛び込んだ。
「うーん、やっぱりちょっと狭かったかな」
苦笑する自分に、彼女は顔を赤くしながらも、しがみ付いたままだ。恥ずかしくて顔を上げられないのもあるだろう。離そうものなら、ホバーカーから転がり落ちそうだというのもあるだろう。
「で、堕ちたってのは、どういうこと? 皆は?」
質問するのは、さっきからデスばかりだ。ホイールは先が読めていたのか運転に集中しているのか、こちらに意識を振り分けることをしない。もっとも、自分達が乗り込みやすいように速度を緩めてくれはしたが。彼以外に状況が飲み込めているとしたら、今のところデス1人だろう。
「んーとりあえず、さっき研究所から飛行機が塔に向かって飛び立つのが見えたから、フール達は無事だね。レンも、ちゃんと助けてきたよ」
「そっか、良かった。研究所の遣いも、伊達じゃないんだね」
安堵したデスは、なんて素直な子供なのだろう。再び、苦笑が浮かんだ。
「まあね」
「研究所の遣い……久し振りですね」
不意に前の座席から声がして、目が丸くなる。どこかで見た頭だとは思ったのだが。首だけで振り向いた白髪の男は、足を固定されたままだった。
「無理するなって、言ったじゃないか」
「痛みが無い、とも言いましたよ」
その優しい微笑みは、なんだか悪趣味に見える。大人は、どうしてこう素直じゃないのだろう。
「ワンド教授っ」
ようやく顔を上げて聞き慣れているだろう声の主を確認し、驚き仰け反った彼女を落ちないように支えてやる。素直な反応も、時には困るかもしれない。
「教授、絶対安静って……動いても、大丈夫なんですか?」
「ええ。まだ足が不自由なんですが、隙を見て出てきてしまいました」
「隙を見てって」
ワンドの声は明らかに掠れていて、顔も青白い。痛み以上の苦労もあるだろう。そうまでして、塔に来たかったのだろうか。
「そう言えば、研究所で兄に会ったんです」
来てしまったものを今更問うても無駄だと思ったのか、ハイプリースティスは話題を切り替えた。
「そうですか……やはり、彼は抑え役になっていたんですね」
「やはりって、知っていたんですか?」
「薄々は……だから、迎えに来たんですよ。私達のために、犠牲になっている彼を」
ワンドに倣って、研究所を見上げた。だいぶ高度が下がっているのは、気のせいではない。空中を彷徨っていたのが、どれくらいになるのか正確な時間は自分には分からない。が、もう爆発が始まっている時間ではあるだろう。
研究員達の中には、比較的良くしてくれた人もいる。彼等は皆、逃げ出せただろうか。
ハイエロファントは、無事だろうか。
そう考えている合間にも大きな音がし、目に見えるほど研究所が傾いている。それは黒い煙を上げながら、塔よりも少し東に落下していく。
「白い鳥が堕ちる」
呟いたデスの腕に、エンプレスがしがみついた。彼女には爆発音が聞こえるだけで、いまだ状況を把握しきれていないのだ。
「永遠の命の研究で、エステスの家族は散り散りになった。罪の意識を引き摺ったままだったジャッヂメント。研究の鎖に繋がれたジャスティス。実験台にされたエンペラーにデス。研究所に執拗に追われたファント。ラバーズもまた、研究所に攫われかけたところをフールが保護した。ファントは、ハングマンが暴走するのを防ぐと同時に、二つのことをしようとしていた」
いったん言葉を切り、ハイプリースティスの顔を見る。涙に濡れた瞳が、一際輝いていた。
「一つは、残された家族を、君を守ること。ファントは下の姉妹の中でも、特にエステスをずっとずっと気にしていた。僕はハングのお使いをする一方で、ファントに代わって見守り続けてきた」
「やっぱり、白い鳥は貴方だったのね」
彼女の言葉に、思わず笑みが零れる。
「もう一つは、永遠の命を封じること。ペンタクル・エースを落としたのも、ファントの考えあってのことだ」
ハイエロファントが仕掛け、自分が作動させた爆弾によって心臓を失った巨大な鳥は、上空で爆発炎上。破片が、砂の中へと次々に落下していった。
「……随分、派手な考えだね。犯罪一歩手前じゃない?」
「と言うより、犯罪よね。誰かが訴えたら、の話だけど」
脱出した研究員達が法に訴えることは、きっとしないのだろう。彼等の多くは面倒なことを嫌うし、いかにも怪しい自分のことを疑っても、『善』の部分を支えていたハイエロファントを疑うことはしない。第一、この島では自治領主であるフールが法だから、訴えが受理されることもまず無いと言って良い。
「ハングの命令で、ジャスティスと親しい間柄だったレンを攫った。けど、塔に詳しい人物がもう1人、傍にいた。それがファントだ。彼は塔が建って以来、どこか様子がおかしかった。いや、迷ってたんだ。彼は優しいから、僕達やジュニアのことで悩んでいたんだ。何故なら、あそこにこそ永遠の命を絶つ方法があるから」
「何故、そう思うの?」
「最初は勘でしかなかったけど、ホイールの話で確信に変わった。言ったじゃないか。ホイールが、ある時点から先が見えないって。それがホイールの死を示していないなら、考えられるのはもう一つ。副作用が無くなる時だ」
はっとして振り向かなかったのは、運転しているホイールくらいのものだった。
「……なるほどね」
ワンドが、溜め息と共に呟く。彼でさえ、全てを知っているわけではないのだ。
「副作用が無くなる……つまり、永遠の命を絶つ方法が、あそこにあるわけね」
「可能性の話だけどね」
「行きましょう。どの道、ハングマンより早く着かないと、面倒なことだけは確かだわ」
ハイプリースティスの言葉を受けて、ホイールが操るホバーカーの速度が上がった。風圧の力で、先ほどよりも更に舞い上がる砂の量が増す。屋根の無いホバーカーの上で、後部座席にいる自分達は、なるべく砂を吸い込まないようにしながら座っていなければならなかった。
まったく、どいつもこいつも無茶をする。