第27話 シンクロ

 気付くと、セウスは暗い場所に立っていた。森の中に囲まれて暮らしてきた彼は暗闇に慣れているが、今は少しだけ恐怖を感じていた。
 次第に、目が慣れてくる。薄っすらと見える人物に、セウスの目は丸くなった。目の前に、幼い頃の自分が立っている。
 周囲を見回して、自分がいる場所に検討が着いた。心臓が一度、大きく鳴った。
「研究所……か?」
 後方にある部屋から、ほの明るい光が漏れている。そちらへ向かって、幼いセウスが歩き出す。つられるように、セウスも歩き出した。動きは遅く、鼓動だけは早く、前に進んでいく。少し扉が開かれた部屋に一歩一歩近付くにつれ、幼い頃の記憶が蘇ってくるかのようだった。
 とうとう部屋に辿り着き、幼いセウスが扉を内へ押す。開けた視界に現れたのは、アーベルが入っていたものと同じ、円柱形の玻璃だった。
「そうだ……そうだ!」
 セウスは、玻璃に駆け寄った。体の奥底から、記憶があふれてくる。
 幼い頃、落ち込んだ時に、必ず訪れる部屋があった。玻璃に触れれば、人肌の温もり。耳を近づければ、空気が水の中を移動していく音が聞こえた。もっと集中すると、心音さえ届く。
「これだったんだ」
 今まで、記憶の底に沈められ、失われていたと思ってきたもの。少年の心を落ち着けてくれ、両親の命と共に奪われたもの。
 上を見上げ、囚われの人物を見て驚いた。
「ファント……教授?」
 やはり、という思いと、そんな馬鹿な、という思いが入り混じる。彼の雰囲気と玻璃のぬくもりは、同じ感じがする。
 しかし、一方は囚人、一方は教授として活躍している人物だ。仮にアーベルのように外へ出られたとしても、年齢の計算が微妙におかしい。
 動揺していると、傍から歌が聴こえてきた。最近、聴いたことがある曲だ。搾り出すようにして得られた答えは、夜の教授室だった。寝ぼけていて歌詞まで覚えていないが、確かにハングが歌っていたものと同じだと思われる。ただ、歌い手が随分と若い。
 円柱に沿って進んでいくと、ちょうど反対側に黄色い頭が見えた。
「ハング?」
 玻璃の傍らで、膝を抱えて座り込んでいる幼い少年がいた。先の幼いセウスより、まだ小さい。こちらに気付いていないのか、振り返りもせずに歌い続けている。
 セウスは、彼の前に回りこみ、しゃがみ込んで目線を合わせた。そこで初めて、自分の記憶の中の研究所との違いに気付く。草や木、自然を感じられるものが何も無いのだ。
「そうか……これ、もしかしてハングの記憶?」
 ふと、少年が歌をやめ、顔を上げた。綺麗な緑色の瞳と目が合う。
 不意に、少年の足元から小さな動物が走り出した。
「え……ルージュッ」
「ごめんなさいね。そのこは、『ルージュ』ではないのよ」
 見慣れた毛並みを追おうとしたセウスは、闇の中から聞こえた声に思わず足を止める。小動物はそのまま、地に付くほど長い黒のスカートを身に纏った女性の元へと走り寄っていく。顔を見て、セウスは一瞬彼女がピエロに見えた。しかし、瞬時に違うと否定する。目の前の女性はピエロと同じ赤い瞳をしているが、輝きが無い。全体的に落ち着いており、儚げに見えた。
「あなたは、あの童話が好きなのね? 私も好きだわ」
 女性はセウスではなく、彼の背後で座り込んだままのハングに話しかけているようだった。セウスのことなど、見えていないのだ。
「分かった、分かった。早く行きたいんだろ? でも、あんまり急ぐと転ぶぞ?」
 左から、ファントの声が聞こえる。振り返ると、男女5人が笑顔で歩いていた。
「ほら、もう着くぞ……なんか俺まで、わくわくしてきたな」
「私も。来て良かった」
 サエリハに感じがよく似た少年が笑うと、隣りに立つ少女も柔らかく微笑む。
「ふふ。本当に嬉しそうね」
 青銀色の女性は、たまに腹部を愛おしそうに撫でながら歩いている。水色の瞳は、優しい光を湛えていた。
「最高の贈り物になりそうで、私としても嬉しいのですよ」
 女性と血縁者だろうか。同じ水色の瞳だが、髪だけは白が多い。足が不自由なようで、杖で身体を支えている。
「もうそろそろ実験が始まるな。どうだ? 見えるか……グ……」
 いつの間にかハングを抱き上げていたファントの前方が、痛いほどの光に包まれる。咄嗟に、ファントがハングを庇うように光に背を向けた。そんな2人を庇うように女性が前に立ち、更に彼等を庇うように杖を付いた初老の男が立ちふさがって緑色の光を発生させる。
 セウスがまともに見ることができたのは、そこまでだった。目映い光が勝り、目を開いていることができなかったのだ。
 ようやく光がまぶたの向こうから消え去り、恐る恐る目を開いてみる。すると、辺りは瓦礫の山と化していた。数日前に見た光景と、よく似ている。
「……まさか」
 よく似てはいるが、更に酷い惨状が目に焼きついた。崩れた石の中に、人の手足と思われるものが見え隠れしている。思わず目を反らすと、自分のすぐ近くにハングが半身を起き上がらせていることに気付いた。更にその傍らには、ファントが傷だらけで倒れている。
 ハングに声を掛けようとする前に、人の足音に気付いて顔を上げた。そのまま、目を見開く。赤いくせ毛を揺らした女性がこちらを、正確にはハングを見下ろしていた。
「久し振りね。私のことは覚えているかしら?」
 輝きの無かった赤い瞳に、光が灯っている。背筋が寒くなるような、激しい紅玉だった。彼女は愛おしそうに箱を抱え、微笑み掛けている。事故直後の現場には、とても似合わない表情だった。
「マグノリア、ファントの様子はどうだ? やり過ぎたのではあるまいな」
 セウスは初め、誰が話しているのか分からなかった。確かに青年男性の声がしたのだが、ハングでも自分でも、ましてや女性であるはずもない。
「彼の手紙に、万が一ということは無いと思うけれど……」
 彼女が愛おしそうに箱を撫でたお陰で、一つの推理が浮かんだ。
「まさか、箱が?」
 セウスにはどういう仕組み化分からないが、学都祭で滞在していただけでも驚かされたのだ。そういった技術があっても不思議ではないかもしれない。
 それから、女性の名前はマグノリアというらしい。マグノリアといえば北方の王女が有名だが、同一人物かどうかまでは彼には分からなかった。
 マグノリアは、ファントの傍に跪いた。黒い箱をいったん側の地面に置いて、ファントの手首を取る。しばらく注意深く彼を見下ろしていたが、やがて手首を戻して、一つ息を吐いた。
「脈は打っているようですが、一刻も早く液に入れた方が良いでしょう。彼が到着するのを待たなければ……」
「そうだな……しかし、あいつも人が悪い。あの頃の敵が、いまや味方に変わるとは」
「よほど嫌だったのでしょう。私だって、貴方を失うことは怖いわ」
 マグノリアが箱を拾い上げ、大切そうに抱きしめる。
「たとえ貴方が捨石だと思っていても、いいの。私の執着は貴方だもの」
「……あいつが到着したようだぞ」
「そのようね」
 マグノリアが、ハングを見る。
「貴方もいらっしゃい、グドアール。王都まで、冒険をしにいらっしゃい。私と勝負をしましょう?」
 恋をする王女は、ピエロよりも誰よりも残酷な笑顔を浮かべていた。
「この人……ハングの思うように事が運べば、私の勝ち。永遠の命を根絶やしにできれば、貴方の勝ち」
 マグノリアが後ろを振り返る。遠くから複数の人間が近付いてきているようだ。
「未来視が描いた童話は、本当に物語だったのかしら?」
 そうして、また彼女はハング……いや、グドアール少年の目を見た。
「預言書だったとしても、私は負けない。ルージュも仲間も何も無い少年に、7年前に大人ができなかったことができるかしら?」

 ◆◆◆

「できるさ」
 グドアールは、1人呟いた。揺れる髪の向こうで、カエサルを乗せた狼と生物学部棟へ急ぐサエリハが遠ざかっていく。可愛い妹代わりは、彼等に任せておけばきっと大丈夫だろう。
 思えば、随分と環境が変わったものだ。一度目にここから王都へ向かう時、彼は6歳という若さだった。家族を失い、住み慣れた環境からも引き離された。彼の手には、何一つ無かったと言って良かった。
 それが、今では少なくとも仲間がいる。未来視のルエルと、兄代わりによく似たサエリハ。役に立たないようでいて、王都で顔を広げることができたのはブライアンのおかげでもある。
 セウスは……グドアールの味方とは、いかないかもしれないが。
「あれは、ハングの味方だったからな」
 苦笑して、北西門へ足を向ける。彼とはもう、会うことはないかもしれない。いや、敵と称して追われることになるだろうか。はたまた自分の記憶を盗み見て、同情されることになるだろうか。
「ハングーッ」
 振り返ると、過去の自分がルージュを抱いて駆けてくる。小さな歩幅でよく追いついたものだと思ったが、そう言えばまだ文学部棟からそれほど離れていなかったのだと思い直す。サエリハとの喧嘩がよほど効いたのか、6歳の子供の足でも追いついてしまったのだ。という事は、同時にファントとはかなりの差が開いたことにもなる。行き先が分かっているから良いようなものの、カエサルに「何やってるんだ」と怒られても仕方ないかもしれない。
「えーと……グドアール、の方がいい?」
 息を弾ませ、頬を紅潮させて、1番に聞くことが、それだろうか。思わず、笑いがこぼれる。
「どちらでも、呼びやすい方で。セウスは、どうした?」
「まだ、倒れたままだよ。とりあえず大人に任せて、追いかけてきた」
 大人というのは、部屋になだれこんできた教授達のことだろう。
「僕も、一緒に行く。ピエロの所に戻った方がいいでしょ?」
 彼等に任せきりにするのもどうかと思い、「戻れ」と出掛かった言葉が引っ込んでしまう。なんて切ないことを尋ねるのだろう。
「……分かって言っているのか? それに、結果的には、どこにいようが同じことだぞ?」
「分かってる。俺だって、『グドアール』の端くれだよ?」
 幼い人形にも、グドアールの分身である自覚があったことを初めて知った。無邪気に見せる一方で、オリジナルや彼の所有者が暗躍している意味も知っていたのだ。
「2度目の失敗はない。王女には絶対に勝てる。だから俺は、アルといたいんだ」
 ルージュごと、過去の自分の姿をした人形を抱きしめる。彼こそ、童話の主人公に相応しい。たとえ同じ細胞を使ったとしても、育った環境で自己は育まれるのだ。幼い頃の自分は、これほど強い人間だったろうか。
「おまえは、カナだ。カナ以外の何者でもない……すまない」
「謝らなくてもいいよ」
 身体を離すと、カナは笑顔だった。
「それに、俺は俺以外の何者でもないって、人形にとって最高の褒め言葉だ!」
 空いた方の手を大きく広げて喜ぶカナの頭に、優しく手を置く。自分よりも更に柔らかい毛だ。
「行くぞ、カナ」
 手を差し出すと、小さな手がしっかりと握られた。
「うん。一緒に冒険をしに行こう!」
 今の自分は、確かに仲間を手にしている。

 ◆◆◆

「冒険? 僕が?」
 利発そうな子供が、小首を傾げている。とても意外な一言だったようだ。
 グドアールの記憶らしき世界は、順序だてて進んでいるわけではないらしい。隣りに立つグドアールは、今や幼い子供ではない。白衣を黒衣に替えてしまえば、学生・ハングのできあがりだ。
 不思議そうにグドアールを見上げている少年は、よく見知った顔をしている。黄色の髪に、優しい色合いの茶色の瞳。幼い頃のクランケットは、あどけなく、頬がややふっくらとしていた。
「そう。主人公のクランケット少年は研究所を冒険し、最高の友を得る。エステスおば……少年のお祖母さんも、喜んで賛成してくれていたぞ」
 クランケットはしばらく瞬きを繰り返していたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。
「僕、友達になれるかな?」
「ああ。クランケットなら問題ない」
 この後、グドアールは自分の元にクランケットを連れてきたのだ。不覚にも、断言した彼の言葉が嬉しいと思った。
「冒険か……どんな子だろう。楽しみだな」
 頬を染め、瞳を細めるクランケット。自分に会うのを心待ちにしてくれていたのだと思うと、どこか気恥ずかしいような、会いたいような気持ちになった。

 ◆◆◆

 北西門に着くと、意外な人物が学都に向かって歩いてくるのが見えた。自分のものより温かみのある、茶色混じりの黄色い髪。丸眼鏡に付けられた細い鎖が、陽の光で輝いている。
「クランケット」
 こちらに進んでくること自体も気になったが、白い羽と連れの存在がもっと気になった。白い羽は、恐らくルエルのものだろう。返しにきたのだろうが、目的はそれだけではあるまい。
「グドアール博士……とうとう、ですか?」
 頷くと、クランケットは一度目を閉じ、意を決したように再び目を開いた。研究所にいた時のような迷いを、今は感じ取れない。
「僕も一緒に行きます」
「多くのものを失うかもしれんぞ?」
「それでも動くことが、僕達親族の使命……でしょう?」
 クランケットが、寂しそうに笑う。幼い頃に一緒にいた、姉のアーベル。研究所で共に暮らしたルージュ。グドアールに付いてくることで、セウスまで失うかもしれない。それでも、仕方がないと言うのだろうか。
「因果なことだな」
「人のことは言えないでしょう」
「ああ、そうだな」
 自嘲気味に笑う。グドアールにとっては、それこそ今更なことだ。
「ところで、そちらの女性は?」
 連れの方に、視線を移す。おっとりとした感じの女性だ。薄い緑色の髪は、くせ毛で長い。紫の瞳は、純朴な誰かを思い出させるが。
「こちらは、サリアさんです。セウスの妹ですよ」
「はじめまして」
 サリアが頭を下げるので、こちらも軽く会釈する。セウスとは幼い頃にも話した記憶があるが、妹の方は初めて見た。幼すぎて、連れてくることを遠慮していたかもしれない。彼等の両親は、そういう人達だった。
「セウスの妹なら、一つ頼みがある。奴を起こしてやってくれ」
「どういうことですか?」
 サリアが首を傾げるが、詳しく話してやる時間はあいにく無い。
「詳細は、あいつが起きたら聞いてくれ。今は恐らく、俺の記憶をさまよっている……が、あまり良い記憶とは言えない。セウスと近い存在である君なら、きっと引っ張りあげることもできるだろう」
 サリアがまだ何かを言いかけたが、その前にクランケットが羽を彼女に押し付けた。
「ごめん。すまないけど、この羽を持ち主に返してもらえないかな? ルエルっていうんだ。セウスも顔なじみだと思うから」
「あ、はい」
 何の疑いもせず、素直に頷く。穢れなく育った少女を、少しだけ羨ましくも思った。
「ルージュ。セウスの元まで案内してやってくれ」
 そう言うと、ルージュは抗議するように何度も泣き喚いた。セウスの通訳を聞くまでもなく、意志の固いことだけは分かる。
 だが、何となく連れて行く気にはなれなかった。セウスの形見だということもあるだろうし、自分が少年に相応しくないとも思っていたかもしれない。
「頼むよ、ルージュ」
 念を押すと、ルージュは諦めたように黙ったのだった。