第16話 未来視の予感
フルールの荒い運転のおかげで生死の境を彷徨い、「帰りは自分で運転する」と宣言したサエリハの技術は、それは酷いものだった。これはもう同情に値する、とハングが思ったほどだ。
迎えが無ければ平和に帰ることができただろうルエルは、悲鳴を通り越して失神寸前だ。そろそろ止めて降ろしてやらないと、さすがに可哀相かもしれない。サエリハに声を掛けようとした時、ルエルが顔を真っ青にしながら何事か呟いた。
「……する」
「え、なんですか?」
「悪い、予感がする」
このような状況でさえも、未来が視えてしまうのか。
ふと、そう思った。その一瞬が無かったとしたら、もう少し結果が違っていたのかもしれない。
「サエリハさん、もう少し速度を緩めて」
顔を上げようとした時には、ルエルが叫んでいた。
「危ない、避けてっ」
顔を上げきった瞬間に視界に飛び込んできたものは、驚き目を見開いた子供の顔。その子供に、腕に抱えていた袋から取り出した赤い筒を向けるルエル。空砲が見事に当たり身体一つ分近く飛ばされた子供と、寸でのところで止まったホバーカーの先端だった。
停止した時間の中で、一番に動いたのはルエルだった。
「大丈夫?」
慌ててホバーカーを降り、子供に駆け寄っていく。サエリハが、ハングに振り向いた。
「俺、ひいちゃった、かな?」
「いえ、音もしませんでしたし、ひいてはないでしょうけど」
「無事でもないでしょうね」
フルールが降りざま呟くと、サエリハも慌てて続いた。一つ溜め息を吐いてから、ハングもホバーカーを降りる。咄嗟だったとは言え、ルエルも無茶をしたものだ。のん気に思いながら倒れている子供を覗き込んで、驚いた。
「カナが、どうして1人で」
あの女が近くにいるのかと考えたが、細い樹木くらいしか身を潜める場所もなく、気配もしない。一応ルエルに目配せをして確認を取るが、微かに首を横に振るのを見て警戒を解いた。
しかし、なぜ1人で何も無いようなところを歩いていたのだろうか。迷子になって彷徨っていた、くらいのことかと思われるが。彼と自分が、ほぼ同一人物であるかと思うと悲しくもなる。
ハングにとって、彼は気に食わない存在であり、忌々しい女の所有物でもあるため、放っておこうかとも考えた。だが、人形は専門外とはいえ見捨てておけないらしいフルールと、純粋に心配しているらしく涙まで浮かべているルエルの視線が痛くて、できそうにない。
仕方がない、とカナの傍らに膝を付き、様子を診てやる。衝撃で気を失っているものの、外傷は多くない。
「心配しなくても大丈夫ですよ。自動人形は、人よりも自己治癒能力が高いんです。これなら今夜中にでも、回復するでしょうね」
「良かったー」
ルエルは胸を撫で下ろし、目尻を拭った。
「へー、これが自動人形ね」
サエリハは、顔を突いている。
「俺、初めて見るけど、本当に人間みたいだな。な、ハング。こいつ、おまえに似てない?」
思わず、「えっ」と声が上がる。頭では分かっているが、認めたくはない。
「そんなことありませんよ、絶対」
「そっか?ま、いーや。それより、なんで自動人形のことに詳しいんだよ?見たことあんの?」
口を開く前に、フルールが助け舟を出してくれる。
「私の祖父が、『ハミットの娘』の所有者と知り合いですからね。それに、元『ペンタクル・エース』の最高責任者だった人ですから、存外そういうことには詳しいんですよ」
「あの伝説の?本当に昔に、今以上の技術があったんですか?」
驚くサエリハに、ハングは一つ溜め息を吐いた。好奇心が旺盛であるのは結構なことだが、今は好ましい状況ではない。
「実際にフール氏がいたと言うなら、本当のことでしょう。それより、この先はどうされますか?」
尋ねるまでもなく、検討はついているが。
「ま、自動人形とはいえ捨てとくわけにもいかないし、とりあえず近くの町で様子見ようぜ?もしかしたら、持ち主見付かるかもしれないし。学都まで、まだちょっと距離があるもんな」
予想通りの展開に、もう一つ溜め息を吐いた。右手で免許証を取り出す。先日の反省点から、フールに頼んで偽造してもらったものだ。
「それでは、ここから先は僕が運転しますよ。なるべく振動しないように気を付けてはみますが、注意深く様子を見ていてくださいね」
提示された免許証を、サエリハは穴が開くのではないかと思うほど見つめている。いつの間に取得したのか、と驚いているに違いない。
「ま、いっか。任せたぞ、ハング」
カナを運ぼうとする中、1人浮かない顔をしていたルエルに気付いた者は誰もいなかった。
◆◆◆
学都手前の町の宿に運良く落ち着くことができたものの、夜になってもカナは目覚めなかった。
どうせ熟睡などできず、自動人形に詳しい人間も自分しかいない。ハングは自ら、カナの看病を買って出た。サエリハに酷く心配された結果、「明け方にフルールと交替する」という条件を付けられたが。
サエリハ達が別の部屋で就寝して随分経っても、一向にカナが起きる気配はなかった。自在に動く姿に欠陥は無いものだと思っていたが、自己治癒能力が他に比べて低いのかもしれない。
穏やかに呼吸を繰り返すカナに、溜め息が出た。家族を、幸せを、壊した過去の自分の姿を見る度に、嫌悪感が生まれる。同時に、不安や悩みの影は感じさせず、純粋な好奇心のみがある人形を羨ましいと思うのも、また事実だった。
もう1人の自分の手を握る。温かい。
「過ぎたことに過程づけるのは意味の無いことだ。だが、もしおまえのような子供だったなら、みんな死なずに済んでいただろうか。もし、事故が起きなかったとしたら、俺はおまえのような子供になっていただろうか」
背後で、微かに物音がした。振り返ると、入り口にルエルが立っている。
「ルエルか」
「ごめんね、博士。邪魔しちゃった?」
いつになく不安げに尋ねる彼女に、疑問を感じつつ首を横に振った。
「いや。どうした?眠れないのか?」
「うん、ちょっと」
ルエルは答えを濁すと、静かに戸を閉める。足音を忍ばせてカナの傍らまで来ると、顔を覗きこんだ。茶色の瞳が、瞬く。
「まだ起きないんだね。空砲撃っちゃったから」
赤い筒を思い出す。痴漢撃退用にと、ブライアンが作ったものだ。これは造る工程を傍で見ていたため、威力があまり無いことを知っている。
「そう心配することはない。自己治癒力が低いだけで、全く無いわけではないようだからな。見ろ。現に、かすり傷は塞がっている」
「あ、本当だ」
ルエルは楽しそうに、カナの頬を突いてる。
「ふかふかほっぺだー。ほんと、人と変わらないだね」
「人形とは言え、自分の顔で遊ばれるのは、あまり面白くないんだがな」
常より少し低めの声で言ってやると、慌てて指を離した。
「ご、ごめんね博士。あの、カナ君って、小さい頃の博士が元なんだよね?」
「事故から数ヵ月後のな」
「こんな小さい時に、いろんなもの失っちゃったんだね」
1度はカナの顔を見た大きな瞳は、次いでこちらに向けられた。
「でもね、不謹慎かもしれないんだけどね。事故あって、ちょこっとだけ良かったなって思ってるの。事故が無かったら、博士にもファント教授にも会えなかった。博士がいなかったら私、学都に入ることも無かった。リハ君にもフルール先生にも、学校の友達にも会えなかったよ?博士も、リハ君に会えなかったよ?」
「ルエル」
「ごめんね、博士。私、カナ君と会った時から、ずっと不安を感じてるの。でも自動人形を介してだと、そこまでしか分からないの。役立たずだし、勝手なこと言ってるし。博士は、私と会えない方が良かった?」
語尾を震わせて訴え掛けるルエルの頭に、そっと手を置いた。
「役立たずとは思っていないし、会えて良かったと……本当の妹のように思っている」
ルエルが涙を拭くのと同時に、微かな笑い声を漏らした。
「てことは、勝手なこと言ってるとは思ってるわけなんだ」
そう返ってくるとは予想もしていなかったハングは、思わず吹き出した。
「そういうことになるな」
声を立てて笑う彼を、ルエルは嬉しそうに見上げる。
「博士は、大丈夫だよ。悲しいことがあっても、みんなが付いててくれるからね」
「え?」
どういうことだろう。また、例の占いだろうか。
聞き返したかったが、突然飛び起きたカナに、できなくなってしまった。
「あ、カナ君、だいじょ」
様子を尋ねたルエルを無視し、ハングに飛びついた彼は一気にまくし立てる。
「学都までは付いてきたけど、なんか嫌な感じがしたからこっちに知らせに来たのに、車にひかれそうになるし、なんか撃たれるし、もう何がなんだかっ。早く帰ろうよっ」
ハングにはまず、カナが何を言っているかが理解できない。
「落ち着け、カナ。学都まで付いてきた、ということは、ピエロが来たのか?奴は入れんはずだろう」
カナは勢いよく首を横に振った。
「違うー、ドゥランセルが来たんだってばっ」
「お兄ちゃんが?」
ルエルが身を乗り出すと、カナが今度は大きく首を縦に振った。
「そうっ。でも、なんか様子が違ってたから、ファントに場所聞いて、ここまで来たんだよっ」
「そんな……だって、全然感じられなかったのに」
カナに呆然としているルエルをホバーカーまで連れて行くよう指示し、ハングは2人を叩き起こす。サエリハの追求を無視し、5人が乗ったホバーカーを全速力で学都へと飛ばしたのだった。
◆◆◆
唯一王都方面に向いていることとルエルの予想から、目的地を北西門にしたのは正解だった。大慌てで帰ってきたハング達を迎え出た門衛のカエサルが、ルエルを見てこう言ったのだ。
「調度良いところに帰ってきてくれました。今、お兄さんがお帰りになるところだったんですよ」
「お兄ちゃん、今いるんですか?」
ルエルが尋ねると、カエサルより後ろで声がした。ハイエロファントとブライアンと話していた人物は、こちらを見て一瞬だけ人を見下したような笑顔を浮かべた。
「お帰り、ルエル」
ルエルに近付くドゥランセルの笑顔には、既に影すら見えない。彼は人格者であるため、見間違いだったのかもしれないが。
「カナがどうしてもハング君に会いたいって、出ていっちゃってね。ブライアンの勧めで、待たせてもらっていたんだ。もう少し遅かったら、帰っているところだったよ」
「すみません。俺がホバーカーで、ひきそうになっちゃって」
申し訳無さそうな顔をして一歩前に出たサエリハの横に、ルエルが並び立つ。
「私が慌てて空砲を撃ったら、そのまま気絶しちゃったの」
「おいおい、それで大丈夫だったのか?」
ブライアンが、大げさなほど目を見開く。
「まったく。相変わらずだね、ルエルは」
ドゥランセルは苦笑しただけで、咎める気はないようだ。カナが何の異常もなく、立って歩いているからかもしれない。そのままサエリハを交え、ルエルと他愛もない会話をしだす。
しかし、1番にカナの心配をしそうなハイエロファントが、まったく反応を示さない。なにか考え事をしているようで、カナが彼の袖を引っ張ったことで、ようやく気が付いたみたいだった。彼の行動を目で追っていたハングに、ブライアンが耳打ちする。
「悪い、ハング。俺がファントの様子を見に行った時には、もう奴がファントと会った後だったんだ」
「いえ、様子を見に行って頂いただけでも、ありがたく思っていますよ」
ブライアンが現れるまでの間に、どのような会話があったというのだろう。相手がドゥランセルであるなら、突飛なことではないと思うのだが。
ハングの様子に気が付いたのか、カナを引き連れたハイエロファントも傍に寄ってきた。
「私は大丈夫。それよりハング、だいぶ疲れてるんじゃないか?」
彼の言葉を受けて、ドゥランセルがルエルとの会話を切り上げる。
「それじゃ、そろそろ帰るよ。ルエルも疲れてるだろうしね。おいで、カナ」
しかし、ドゥランセルの呼びかけにカナは応じず、ハイエロファントの袖を掴んだままだ。緑色の瞳をドゥランセルに向け、無言の抵抗をしている。
「ね、お兄ちゃん。カナ君、しばらく預かっていい?」
「うーん。しかし、持ち主がいることだし」
「私からもお願いします。まだ気絶から回復したばかりですから、あまり動かさない方がいいかもしれません。もし万が一ということがあっても、知識のある者に診せますので安心してください」
ルエルの問い掛けに渋っていたドゥランセルは、提示されたフルールの医師免許を見つめる。
「そうか。君は、フール氏のお孫さんだったね。解った。持ち主には、適当に言って誤魔化してみるよ。それじゃ、失礼するよ。元気で、ルエル」
ドゥランセルは一礼すると、去っていった。
「んじゃ、まだ朝までちょっとあるし、みんなして寝不足みたいだから。おとなしく帰るってことで」
彼の後姿を見送った後、ブライアンの言葉で解散となった。カエサルもまた、待機室へと戻っていく。制服を着てはいたが、趣味であるエアバイクが傍に置いてあるところを見ると、本来なら非番だったのかもしれない。
ハングも帰ろうと門の内側を見たが、裾を引っ張られ、歩き出すのを止める。
「どうした、ルエ」
振り返らずとも、手の震え方で泣いていることが解った。
「ね、博士。誰、なんだろうね」
「ルエル?」
「あの人、誰なのかな?」
泣き笑いするルエルの顔を見ていられず、思わず抱き締める。
「あの人、誰?お兄ちゃんは、どこ行っちゃったの?どうして、何も感じられないの?分からない、分からないよっ」
今まで不安を必死に押さえつけていたルエルが泣き叫ぶのを聞きながら、ハングは夜明けの空をずっと睨んでいた。