第14話 お迎えに行こう!
学都にも休日、というものは当然ある。しかも、週休2日制だ。ただ、ハングの休日と言えば、たいていは自分の課題をやるか、保護者の論文を手伝って終わってしまうのだが。
この週は珍しいことに、2人共やることが無い。学都祭の日時が迫っており、教授達も気を利かせて課題を出さない者が多いためだろうか。
「久し振りに、ゆっくりできるね。ま、放課後はいつも、のんびりしてるか」
ハイエロファントは笑いながら、温かいお茶を出してくれた。口をつければ『トゥルーカフェ』のブリーベリーティーと同じ味がする。この笑顔でどう店員を言いくるめたのかは知らないが、本当に店で習ってきたらしい。常に共にいるわけではないが、ブライアンのように彼を構いたがる人間は多く、習っている暇も無さそうに見えるのだが。いつの間に習得してきたというのだろう。
「おいしいかい?」
素直に頷いてやると、「それは良かった。習ってきた甲斐があったよ」と満足そうに笑う。この表情を見る度、強く思うのだ。彼だけは、絶対に敵に回してはならない、と。
「今日は、どうしようか?」
目の前でそのようなことを思われているとは知らないハイエロファントは、機嫌良さそうに手振りを付けて尋ねてくる。
「いつも本と、にらめっこしてるからね。たまには外でぱあっと遊ばないか、グドアール?」
「ぱあっと」というところがブライアンに染まってきたようで、どこか嫌な感じだ。
「今、何を考えたのかな?グドアール」
笑顔から見え隠れする、どす黒い気配が怖い。
「いや、別に。それより外で遊ぶなら、最近できた遊技場に行ってみないか?」
「最近できたって。『トゥルーカフェ』の向かいにできた、あれ?」
「そう。結構広かったって、リハ達が言ってたぞ」
「リハ君達は、そういうことには一所懸命だからね。その情熱を、授業にももっと向けてくれれば良いんだけど」
一応同期生であるサエリハは、いつもは数人の寮仲間とつるんでいるのだが、ハングやハイエロファントにもよく話し掛けてくる。遊び好きが玉に瑕だが嫌味の無い性格で、幅の広い会話も楽しむことができる。ハングの好感度を格付けしてみれば、ブライアンよりは上位に付けるだろう。
「簡単な賭け事やら電子ゲームやら、色々あるらしい。ブライアンを誘って、行ってみよう」
「それは、ブライアンを2人で鴨にしようってお誘いかい?」
「別にそういうわけではないが、面子は多い方がおもしろいと思わないか?」
「グドアールにしては、珍しい意見だね。それこそ、ブライアンの影響じゃないかい?それとも、セウス君効果かな?」
「どちらにしろ嫌だな、それは」
渋面を作ると、ハイエロファントは大声で笑った。人をからかって、何がおもしろいと言うのか。
「じゃあ、そうと決まれば出掛けようか。遊技場は待っていてくれるが、ブライアンはそうじゃないだろう。あれでいて、遊び仲間だけは欠かしたことが無いみたいだからね」
出掛ける用意を手早く済ませ、玄関に向かう。扉を開けようと取っ手を掴んだところで、ハングは動きを止めてしまった。背後から、保護者が訝るように聞いてくる。
「どうしたんだ?忘れ物でもしたのか?」
「俺はまだ、父さんがいないと、人とうまく接することができない、と思う」
「……さっきのこと?」
「誰の影響を受けようと、駄目なんだ。他人を信用なんかできないし、失うのも怖い」
「そうかな?」
「そうだよっ」
言葉の勢いに任せて扉を開いたと同時に、「何が『そう』なの?ハング」と真横から声がした。
「出てくるの、遅かったじゃん。俺、待ちくたびれちゃったんだけど?」
「サエリハ、さん?」
戸口の脇にしゃがみ込んでいる黒髪を逆立てた人物は、人の顔を見上げて笑った。白い歯を覗かせ、いたずらが成功した時の子供のような顔をしている。
「何してるんですか?こんな所で」
呆然とするハングの肩越しから、ハイエロファントも顔を覗かせる。
「え?あれ?リハ君?」
「おはようございます、ファント教授。相変わらず、仲が良いですね」
サエリハは立ち上がり、壁にもたれていた背中をはたいた。背はハングやハイエロファントよりも少し高めなものの、髪や肌の色、人懐こい性格などがデスを思い起こさせる。だからこそ、2人もこの人間を好ましく思えるのかもしれない。
「どうしたの?リハ君。もしかして、ハングと先約でもあったかな?」
「いえ、ハングは約束忘れるような奴じゃないでしょ」
どうやらハングは、仲間内での信頼度が高いらしい。セウスもやたらと信用しているが、本人としては何故そこまで容易く他人を信じられるのかが不思議でたまらない。
「先日、ルエルちゃんに占ってもらったところ、ハングとファント教授のところに行くと吉って出てたんですよ」
「なに、リハ君。君も、ルエル信者なのかい?」
目を丸くするハイエロファントに、「んー、まあ、そんなところです」とサエリハが照れながら答える。
『ルエル信者』とは、ルエルの占いを予言と称して信じ込んでいる、少々はた迷惑な学都の住人達のことだ。確かにルエルの占いは外れた試しが無いため信じ込む気持ちも解らないでもないとハングでも思うが、実のところ信者は増えていく一方らしい。少し前は彼等と共にいることが他人より多いルエルに対して嫉妬の目が凄かったそうだが、今ではそれが無くなったばかりか学都の有名人の仲間入りを果たし、半ば尊敬にも似た目で見られているという。
ちなみに学都の有名人とは、美形に入るらしいハングや親代わりで人気教授のハイエロファント。彼の友人であり、貴族かぶれのブライアン。ハングの同期生で、人好きのするサエリハ。ハングの妹分で、占い好きのルエル。自治領主の孫で、危ないが名医のフルールなどだ。はっきり言うと碌な奴がいないとハング自身は思うのだが、世間一般ではそれを「普通とは違う空気を纏っている」と言うようだ。確かに、間違ってはいない。
「それで教授達は、今からどちらへお出掛けですか?」
サエリハの期待に満ちた目に、ハイエロファントは苦笑する。
「新しくできた遊技場に、ブライアンを誘って、ね」
「ほんとですか?やっぱ、ルエルちゃん最高っ。な、ハング。俺も、もちろん付いてっていいよな?」
「聞かなくたって、付いてくるんでしょう?どうして、いちいち僕に聞くんですか?」
もう癖になっているのか、彼はハングと行動を共にしようとする前に確認を取ることが多いが。
「えー、なんとなく?」
本人も分かっていないのか、尋ねても首を傾げるばかりだ。本能的に、ハングが人嫌いだと知っているのだろうか。
「ま、いいじゃん。それより、早くブライアン教授のとこに行こうぜ。せっかくの鴨だしな」
仮にも教授なのだから、いくらなんでもその発言は失礼だろう。と思ったものの、本当のことではあるので、突っ込むことは止めておく。第一、ハングもサエリハも、今日は賭け事をするつもりはないはずだった。ハイエロファントがいる時点で、彼の1人勝ちは決定したようなものだからだ。
「さあ、鴨を誘いに行こう」と足を踏み出したところで、すぐに後方から呼び止められる。学都で、泣く子も失神するという恐怖の存在の声。フルールだ。
「おはようございます。あら、サエリハ君もいるの?実験台にしたくても、周りの眼が厳しくてできない人が集まっちゃって、何してたんですか?」
彼女の基準は、実験台にできるかできないか以外にないのだろうか。風邪もひいたことが無いサエリハは、免疫が無いようだ。肌の色で分かりづらいが、すっかり青褪めてしまった彼を背に庇いながらも、爽やかな笑顔でハイエロファントが口を開いた。
「おはよう、フルール。朝、こっちに来るなんて珍しいね。どうかしたの?」
「診断書、ルエルだけ未提出なんですよ。こちらとしては早くまとめたいので、昨日のうちに出しなさい、と言っておいたんですけど」
「ルエル」の名前に、サエリハが顔を上げる。
「ああ、それはきっと忘れてるね」
「ええ。私も、そう思って探してるんですけどね。寮には戻ってきていないと言われたので、もしかしたらこちらかと」
「いくらなんでも、女の子を1人で泊めたりしないよ。それに、ルエルは学都にいないよ」
「そうですか。それじゃ」
「なにっ、本当ですか?」
サエリハが、ハイエロファントの袖を掴んで問いただす。仕立ての良い服が、今にも破れそうだ。
「え、うん、本当だけど。昨日、1人で」
「1人っ?それは大変だ。すぐに迎えに行かないと。フルール女医も、急用があることだし」
大変なのは、ルエル信者だけだ。フルールの方が、うろたえてしまっている。もっとも今の彼には、何も目に映っていないだろうが。
「わ、私は別に、休み明けでも」
「やっぱり女の子1人じゃ心配だし。ハング、居場所分かるか?」
「知ってますけど、別にルエルは大丈夫だと」
「冷たい兄貴だな、おまえは。ファント教授は、連絡係として待機していてください。フルール女医は運転、ハングは案内役。そうと決まれば、出発だ」
むりやり配役を終えたサエリハは、呆気に取られているフルールとハングの首根っこを持って、引きずっていく。残されたハイエロファントが徐々に遠くなっていくのを見ながら、ハングはサエリハの人物像を改め直すことにするのだった。
◆◆◆
「どちら様、ですか?」
セウスとルージュが去った後、もうこの研究所には誰の訪れも無いだろうと考えていた。ルージュがいない今となっては、少なくとも王都側にとって用の無い代物だからだ。
ところが、どうだろう。クランケットの目の前には、1人の少女が立っている。白い羽を背負っていることを除けば、どこの町に行っても見かけそうな背格好だ。まさか、迷い込んだということはあるまい。高い網で囲まれた檻は、世界から隔絶するかのように小さな集落さえ近くに見当たらない場所に存在している。
「はじめまして。私は、ルエル。グドアール博士の頼みで、あなたを迎えにきました」
「グドアール、の?」
頷くルエルに含むところは見受けられないというのに、クランケットは目の前の存在が怖いと思った。数年の間、狭い世界で暮らしてきた彼には、外で何がどれくらい進んでいるのか検討が付かないからだ。
「さっそく、えーと、親玉に案内してくれる?」
思わず、目を丸くする。間違ってはいないが、その表現はいかがなものだろう。グドアールが寄越したにしては、少し不安な人材だ。
「それは、主要コンピュータのこと?」
「そう、それ。あまり時間が無いの。できれば連休中に帰りたいから。この奥かな?」
「あ、ちょっと待って」
1人で廊下を歩いていこうとするルエルを、クランケットは慌てて引き止めた。立ち止まった彼女は、首を軽く捻る。
「違った?」
「そうじゃなくて。僕は、ここから出るつもりは無いんだけど」
「どうして?」
茶色い大きな目が、数回瞬く。明るく澄んだそれは、クランケットの心には少しだけ重かった。
「迷ってる、から」
「迷うにしても、こんな分厚い殻の中に閉じこもってるより、外で考えた方がいいと思うんだけど」
心に、更に陰りが生じる。本気で迷ったことの無い人間だから簡単に言えるのだ、という憤りが首をもたげた。
「外の世界も、君の目も、僕には眩しすぎて痛い」
ルエルは「目?」と呟いて、首を傾げた。次いで、天井に視線を廻らせる。何か考える風に唸ること数度して、再びクランケットに視線を合わせた。
「なんかよく分からないんだけど。ただ、痛いと思うのも、怖いと思うのも、辛いと思うのも、生きてる証の内だと思うよ?こんな狭いところにいたら、もったいないよ」
「だから、外に出よう」と手を差し出すルエルの存在が、やはり眩しいとクランケットは思った。初めは異様に見えた白い羽も、今は彼女に似合いの物だと思える。清い明るいだけではない。強さと潔さの象徴のようだ。
「主要コンピュータは、廊下の奥だ。慣れてないと、扉が開きにくいかもしれない」
差し出された手を取ることなく、クランケットは先に立って歩き出した。ルエルやグドアールと相容れることは無いかもしれないが、もう一度セウスと外の世界で話してみたいとは思えたのだ。
ルエルは手のことは何も振れずに、黙って横に並んだ。柔らかい笑顔だけを浮かべて。
「ところで、どうやって僕をここから出す気なの?」
主要コンピュータのことを親玉と呼ぶくらいなのだから、機械系等にはあまり慣れていないのだろう。かと言って、何も勝算が無いまま少女を研究所に送り込むようなことを、グドアールがするはずがない。下準備も何もしない人間なら、王都から出て数年隔てた今になって、あえて動き出す意味が無いのだ。
「それはー」
背負っている黒い鞄の横を器用に開けて、薄っぺらい板を取り出す。機械類に詳しくない獣医でも、箱に入れられた銀色の円盤が何か分かった。プログラムだ。
「じゃーん、改造ー」
「改造?」
「聞き慣れないのも、無理はないよ。最近、学都で流行ってるゲームなの。これに、破壊機能を組み込ませてあるの。で、攻略したと同時に、どかんってわけ」
両手で輪を描いたルエルの言葉は不穏だが、実際にはコンピュータの内部を破壊するだけで爆発するわけではないだろう。それくらいは、クランケットにも推察できる。主が壊れれば、研究所全ての電子系統が死滅する。警報も鳴らなければ、高圧電流も流れない。金属の扉の重さに辟易するだろうが開けたら最後、自動的に閉まることは二度と無い。
「なるほど」
セウスに見せるために訪れてから一度も開いていない扉に、手を掛ける。中に入ると、さっそくルエルはディスクを取り出して、立ち上げた。正面の大画面に絵が現れるところなど、既に住人として馴染んでしまっているクランケットでも見たことがない。目を見張る彼を尻目に、ルエルはさっさと『菓子屋の再建編』を選んだ。出だしの説明を目で追っていけば、だいたいの内容は飲み込むことができる。倒産寸前の菓子屋の商品に工夫を重ねるなどをして、目標として定められた金額に到達させれば良い。
序盤こそ目新しいものを興味深く見守っていたクランケットだったが、中盤も終わる頃になってくると単調な作業にも飽き、次第に手持ち無沙汰になってくる。様子を横目で見ていたらしいルエルが笑って「話し掛けても大丈夫だよ」と言ってくれたため、言葉に甘えることにした。
「あの、どうしてこの時期に?セウスとグドアールが、接触したのかな?」
存在を忘れられたわけではないことは、セウスを寄越された時点で悟れている。彼が去ってもう幾日か経過しているから、グドアールの耳に報告がいってもおかしくはない。彼等が接触したということは、少なくとも研究所から出てしばらくは幼馴染が無事だったと分かり安堵できる。
「うーん、それもあるし。もうすぐ学都祭が近いからってこともあるかも」
「学都祭?」
「うん。とっても楽しいお祭りで、外の人も自由に出入りできるの。でも、教授みたいな偉い人達は危険だからって、警備の人が必ず護衛に付いて回るんだ。グドアール博士のお父さんは教授職だから、警護が付くでしょ?そうすると、博士自身も動きにくくなっちゃうってわけ」
「そうか、あの人が教授職、か」
クランケットは眠っている姿しか記憶にないが、知識が豊富だと祖父母から聞いたことはある。能力的には問題ないだろうが、すんなりと溶け込む父子にも手引きしただろう自治領主にも、薄ら寒い思いがする。この一族は、本気で事を起こすつもりだ。
「でもね、今年の学都祭は、ちょっと危険かも」
「え?」
ルエルを見るが、彼女は画面から目を離すことも指を動かすことも止めなかった。
「私、未来視なの。近い未来なら読むことができるのに、学都祭の中日以降が真っ暗で何も見えないんだ」
「未来視……特殊能力者なのか」
クランケットが生まれる前にも、未来視がいたという話は耳にしたことがある。彼は、永遠の命に関わりのある人物だった。目の前の少女も、同じく関係者なのだろうか。ふと、ルエルという名前に聞き覚えがある気がした。
「君は、計画の一部じゃないか。何故、グドアールに協力する?」
ルエルはクランケットを一瞥したが、「おっと」と声を上げて再び視線を画面に戻した。
「なんでって、私がそう望むからだよ」
「望むからって、計画が破綻したら、君は」
「うん、分かってる。それでも私は、それを望むの」
クランケットは愕然として、少女の黒髪を見下ろした。平然と画面に向かう姿が信じられない。なにが迷ったことが無い人間なのだろう。迷わない人間など、いないではないか。彼女は怖さを感じていて、それでも毅然として立ち向かおうとしているだけだ。
「事情を知ったら皆が迷いだすから、何も知らない振りをしているのか?」
「そんな演技力ないよ、私」
声を立てて笑うルエルが座る椅子の背もたれに、額を乗せる。獣医であっても、彼女の心を癒す術を知らない。自分の心の痛みを、どこかへやる術を知らない。それでも彼女は、想いを受け止めてくれたようだった。
「人の優しさが好きだよ。迷いながら、手探りで歩く人の不器用さが好きだよ。王都で初めてできた友達は、憤りながらも問題に立ち向かおうとする人だった。王都から連れ出してくれた人は、頭は良いけど実は照れ屋で寂しがりな人だった。学都で出会った人は、自分の夢に希望を抱いている人だった。みんなの一生懸命に生きる姿が、私は大好きなの」
ルエルは一言一言を噛み締めるように、口にする。
「大好きって気持ちが降り積もっていって、いつか自分の身体が消えても温かい気持ちだけは残るんだって、私は信じてる」
照れたように笑って、画面を指差した。
「見て、もうすぐ終わるよ」
画面を見ると、ゲームとしては終了していた。後は操作をしなくても、制作に関わった人間の名前を勝手に流してくれる。
「もうすぐ、檻から出られるね。私ね、王都から出た時に思ったの。この世界は、なんて輝かしいんだろうって」
「眩しい」のではなく、「輝かしい」と少女は評した。受け止め方のわずかな違いだけで、心持ちは随分と変わってくる。
「王都もつまらなかったとは言わないけど、門を出たらずっと広くて楽しい世界が私を待ってた。ねえ、ここから出たくないだなんて、そんなもったいないこと言わないで」
下から上に流れていた文字が止まる。主要コンピュータの電源が落ちたと同時に、人工的な明かりも次々と消えていったようだ。幸い、天窓を多用している施設内を歩き回ることに苦はないほどの明るさが保たれているが、薄暗いことに変わりはない。
今なら、外を出ることができる。唯一の鍵は、自分の心だ。
「今すぐ君に付いていくには、まだ迷いがある。少しだけ考える時間が欲しい……外の世界で」
反射的に顔を上げたルエルは、「うん」と跳ねるような言葉を発して、笑った。