風力発電の健康被害続発

しんぶん赤旗


2009/10/21()「しんぶん赤旗」が風力発電の健康被害続発として、やっと風車被害を採り上げた。採り上げたという点では注目すべきであるが、既にあまりに遅きに失した感があり、内容的にもこのところの他紙の記事のように今更というような既出内容のまとめ的な感は否めないが、読者はいつも直ぐに忘れてしまうので、実は何度同じ様な記事が出ても一向に構わないのであるが、特にこの記事には注目すべき内容がある。

それは「栃木県足利市にある足利工業大学で今年開かれた風力発電ミナーでは、この低周波音の健康被害の深刻さを前から製造会社や電力会社が把握していたことを、開発当事者が自らの体験などをまじえて報告しました。」という記述だ。どのマスコミもこの会に参加していれば拾えたはずの内容なのだがどこにもこうした内容は紹介されていない。

 正直こうした風車万歳の様な会で風車に否定的な内容が述べられることは意外だったので、呉越同舟の10月の「第10回 風力エネルギー利用総合セミナー」なのかなと思い、記者に電話したのだが、この事実は6月のセミナーの話しであったと言うことであった。
 そこにいた人は全て聞いているはずであり、その事に関して風車ファンのブログで見たのだが、どういった内容かまでは書いてなかったのでそのまま忘れていたが、
今になって見ると、同じ内容でも個々人により受け取り方が真反対になると言うことが、参加した人のブログなどを見ると良く解る。転載転用お断りとあるので割愛するが。


これが事実であるからには、現今の被害は、そもそもからして、「未必の故意」等と言う生やさしいモノではなく、風車製造会社や電力会社は「低周波音の健康被害の深刻さ」を十分に承知した上で風車を設置していたと言うことで、当初の予想通り低周波音による風車被害の発生は明らかなる確信犯=故意だったことになる

事業者は風車被害に関し、「周辺住民から文句が出なければラッキー。もし出てきたらその時はその時。とにかく行け行けドンドン」と言った思いであったのであろう。

とにかく、そうした思惑でもなければ、最近頓に問題となっている、とにかく交付金を取るまではとにかく手段を問わず的に秘密裏に事を運び、それさえ獲得すれば、後は”国のお墨付きが出た”とばかりに、建設へ一直線、着手すれば、もうこっちのモノで有無を言わせず建設してしまい、一旦、造ってしまえば、後は、国への面子も有るのであろうし、国も金を出した手前今更、虚偽とはっきり解らなければ黙認してしまう。となれば、どんな苦情であろうと何であろうと、そうそう簡単に立ち退くことなどできる訳もなく、のらりくらりと、とにかく営業を続けさえしてしまえば、もう事業としては成功したと言うことである。

と言うことで、万が一問題があっても、それは表向きは、「注意を欠いたため、(犯罪となる)結果の発生を予見しないこと」として事業を開始したのであろうが、それは、即ち、最悪の場合でも「不注意」と言うことで通る訳である。
 しかし、今回のような「事実」が関係者間に於いて既に共通認識で有ったとすれば、「結果の発生」は十分に認識されていたわけで、その業務に係わる専門家としては、「自分の行為が犯罪であることを判っているか」(認識)「犯罪となる行為を行ってもいいと思っているか」(認容)という両点において確信的であると言えよう。

被害者的には当然ながら当初から認識、認容とも有ったはずとは考える。しかし、これまでの一貫した国の「低周波音問題=被害を黙殺」という見解から予測すれば、「風車問題に関してのみ低周波音問題を黙殺しない」等と言うことは有り得ないと予測するのは当然であり、案の定、国は風車被害を黙認し続けた。その過程が現今の風車事業者の強気な言動を擁護、容認していることになる。


しかし、風車被害の予想外の規模的大きさは、必ずしも黙殺し得ないと国も考えたのか、環境省はひとまず調査を始め、エネ庁は交付金手続の非常な曖昧、杜撰さは流石に苦情者からの苦情かその他幾多の影響か解らないが、とにかくやっと「当たり前の手続」を申請に関して取らせるようになった訳だ。これまで如何に無茶苦茶に億単位の金が杜撰にばらまき続けられた来た訳だ。

事業者の性善説を期待してはいけないという事は役人こそが一番よく知っているはずなのだが、それを承知で“野放し”状態にしておくことが、この事業と言うより、新しい事業の普及には常に必要なのであろう。

こういった、億単位の政府がらみのカネが動くのであるから、ダムほどではないにしても“それなりの人間”が事業者と関係官庁の間に介在しているであろうことは想像に難くないのだが、なかなか明白になってこないのは、”このシステム”は余程上手く機能しているのであろう。ただし、それは「利権」の独占と言うことに直結し、日本の政治的利権としてはその存続はなかなかに難しいのでは無かろうかと私考するところだ。

 記事は、「こうした問題の根源には、周辺住民に低周波(騒音)被害を招くことを政府やメーカーなどが早くから把握しながら、政府が環境影響評価法の対象とせず、安全基準や環境基準をつくらなかったためです。大型風車の立地指針の策定と環境影響評価の義務付けとともに、健康被害を起こす「欠陥風車」の運転規制や撤去が急がれます。」

と結ばれているが、産官学の三位一体は普及のみを考え、意図的に「…対象とせず、…つくらなかった…」と考えるしかない。


奇しくも、昨日(09/11/10)、田原で、巨大風車から出る低周波音と健康への影響調査が、環境省の委託を受けた愛知県環境調査センターにより始まった。当該センターは既に該当地を過去に2回測定している。今回の測定が過去の測定とどこがどう違うのか、センター側から明確な返事はないそうだ。測定結果はそうそう変わりようがないはずであり、もし大きく違うようであればそれはそれで大問題である。
 
 問題はデータの解釈の仕方の違いとでも言うことになるのであろうが、根本は「このデータで被害が有る」とするか「このデータではそう言った被害は有り得ない」とするかによる。即ち、被害が先か、理論が先かである。

 恐らく、測定される数値はこれまでの”科学的知見における健康に影響を与えるとされるような数値”には及ばないであろう。従って、「これまでの科学的知見」からすれば、低周波音は風車騒音問題に関しては問題無し、と言うことになるはずである。
 よって、
@これまでの低周波音問題通り「参照値的に低周波音は問題無い」と言う国家的結論ありきの結論に被害の現実を前にして、”専門家がどう言い繕うかかが腕の見せ場なのだが、風車には「参照値」は使うなと環境省は言っている訳であるから逃げ切る手がない。Aあるいは、はたまた素人には思いも依らないような”結論”を出すのか、と言うことになろう。

万が一「被害が有る」と言う現実的な観点を顧慮したとすれば、これまでの知見が間違っていたと言う”新しいと言うより、正しい”科学的と言うより”事実としての知見”を認め、被害者的には当たり前のことなのだが、"専門家"たるモノがそんなことをしては、これまでの長年の「低周波音問題における解決=黙殺の整合性」が保ち得ず学会&業界的に大変なことになってしまう。

もちろん、そんな面倒なことはせず、エネ庁、環境省、風力発電事業者、そして、関係専門家は、全国の風車近辺の“風力発電被害者”は全て「嘘つき」「詐病」…、であるとすることもできる。ただ、流石に「低周波音問題と言えば風車騒音問題」となってしまた感のある今日、被害者は一人二人では無いのであるから、そうした言説を述べるのは、最早まともな風力発電推進派ではなく、単に風車万歳を叫び続ける単なる風車××××と同レベルと言うことになる。こうした存在は風車建設に強引な事業体と同じく風力発電全体のイメージを大きく損なう。

 いずれにしても、こうした環境省のたった一度の調査により一気に問題解決へ向かう等と言うことはこれまでの公害問題の歴史を見るまでもなく有り得ないことで、ひとまずは、延々と”風車低周波苦情者”を黙殺ではないかもしれないが、放置し続ける状態には格別の変化はないのであろう。

 しかし、被害者的には、風力発電被害の犯人が低周波でないのならば、現実に自分たちに被害をもたらしているのは、一体全体何ものなのか早急に、国や"専門家"が大好きな”科学的知見”から解明して提示して欲しいモノである。


最後まで読んでくれて有難う

091111


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