-地域紹介-
 若林東町三和は昔、あたり一帯が松林で覆われ、タヌキが住んでいたことから「狸山」と呼ばれていたそうです。この地域は台地になっており、水がまったくなく農業ができなかったといいます。
 この小高い丘に水を送り水田にしようと、大正3年、竹陽耕地整理事業を県知事に申請して昭和4年6月に竹陽用水が完成しました。
 しかし、この用水も水量が十分でなく、開墾の苦労は大変なものだったようです。足りない水を公平に分けるため、狸山に「円形分水桝」が造られました。これは今も第4若林会館の入口に残っています。こうした人々の苦労が実り、新しい分水桝も地中に造られ、狸山一帯は見事な美田が広がっています。
<豊田市発行「ぶらぶらてくてくガイド」より引用>