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温泉旅行平成24年

その2・佐津温泉(平成24年6月30日脱稿)

   我が温泉旅行も今年で3年目。徐々に軌道に乗ってきたが、逆に我が温泉仲間を満足させられる温泉街を発見するのは、自称幹事の私には難しくなってきた。今年2回目となる平成24年3月26日には兵庫県北部(日本海側)の漁村『佐津温泉』(サヅではなく、サツ)に出掛けた。
   
   三河の国まで仕事を求めて遥々やって来た『難民』(全国各地からトヨタ自動車に就職した私と温泉仲間)の中には佐津温泉を知っている者は少なかった。しかし、近くには城崎(キノサキ)温泉や天橋立(アマノハシダテ)など超有名な観光地のほか、本場の松葉ガニも売っている日本海側最大の『日本海さかな街』もあるというのに!

   佐津温泉は有名観光地とは異なる鄙びた漁村にある小さな温泉郷。大きな観光ホテルも無く、あるのは露天風呂も見かけない小さな民宿群。民宿の売りは設備ではなく料理。今回の宿は『さだえ』(創業者の名前に由来。サザエの誤植に非ず)。女将とその娘さんが細々と経営する僅か4部屋の小さな民宿。

   流石は漁村。海鮮料理の素材の新鮮さは何にも勝る豪華さ。おまけに但馬(タジマ)牛のヒレ肉の炭火焼き(食卓に置かれた厚手の鋳物製個食用鍋で客が焼く)も加わった。同行者の誰もが今までの温泉旅行では、一番満足した夕食との予期せぬ嬉しい評価。
 
   今年は過去半世紀の中では最悪の寒冷気候に何度も襲われた。



   事前に仲間が周到に立てた筈の旅程計画は雪と交通事故による大渋滞に遭遇し、臨機応変に変更。仲間の一人が兵庫県(神戸市)の出身とあって、流石に現地の道路網にも詳しく大変お世話になった。
   


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はじめに

   今や日本では、僅か半世紀前までは顕著だった地域差が無くなりかけている。全国チェーンのコンビニ・ファミレス・専門店・スーパーなどの店舗網や、電話・テレビ・インターネットなどの情報網が普及した結果、観光旅行で出逢う人工的な物件には意外性が乏しく感じられて、私には退屈に感じることも多くなってきた。銘菓などの観光土産に至っては、同一工場で似たものを量産し、包装の写真等で恰もその地の特産物であるかのように演出している例も多いと聞く。

   とは言え、自然の景観や気象条件を人工的に変えることは不可能に近い。我が温泉旅行の候補地選びでは、小京都と呼ばれることを自慢しているような城下町などは敬遠し、大自然が織り成す景観美を次第に重視するようになってきた。

      海外旅行でも同じだ。私は欧州各地の大聖堂や中世の旧市街のような人工的な世界遺産への関心もすっかりなくなった。その地に住んでいる人たちの衣食住の実態に接する旅や、アトラス山脈・サハラ沙漠・イグアスの滝などの大自然の観照により深い魅力を感じるようになった。

   新婚旅行でもないのに、ミニ帝国ホテルを標榜するようなホテルではがっかりするだけだ。バブル崩壊後に建てられたホテルは部屋も広く、和洋折衷の快適さも兼ね備え、我が心を擽(くすぐ)るようになったが、安さを最大の売りにしているトクーにはなかなか登場しない。そんな折もおり、母娘二人だけで細々と営業している民宿を発見。我が心が突然ときめいた。

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高速道路のSA

   日本には欧州やアラブ諸国のような広場や産直市場が都心には無く、観光地の一角で細々と営業している朝市(輪島や高山が有名)がある程度だった。移設も簡単なテント張りの大型産直市場が長い間、何故か育たなかった。でも、高速道路が民営化されると、トイレを備えた単なる休憩所に過ぎなかったSA(全国には既に数百ヶ所もある)が、レストラン・お土産品売り場やコンビニ付きの産直市場へと変貌開始。

   更に、全国に1,000ヶ所も『道の駅』が開設され、高速道路のSAと一般道の『道の駅』が競い始めた。私は自宅から25Km地点にある愛知健康の森でテニス(希望者が多く、コートの予約は2ヶ月前の籤引き)を楽しんだ時は、その門前に開設されている『げんきの郷』に立ち寄るのがいつの間にか楽しみになった。

   げんきの郷は地元農協の直営。産直市場としての売り上げ(年商21億円強)では全国第3位だそうだ。温泉・レストラン・焼き立てパン屋・園芸店・1,100円床屋もあり、駐車場はいつも満杯。レストランは正午前後には平日でも30分待ちになることが多い。

   今回の旅では、松坂屋豊田店では見たことも無かった珍品を、どこだったか失念したSAで発見。早速、迷わず購入。長い間無関心だったSAにも私は魅力を感じ始めた。嬉しいことだ。いつの間にか旅の楽しみが更に増えた。

① 鯖のへしこ

      若狭地方および丹後半島の伝統料理で、越冬の保存食として重宝されている。現在では若狭の特産品・土産物として、漬け込む魚の種類も「鰯へしこ」「河豚へしこ」などが加わり、福井県で親しまれている。 糠を軽く落とし火であぶったものはお茶漬けや酒の肴に良い。新鮮なものであれば刺身で食べることもできる。

   名前の由来については、漁師が魚を樽に漬け込むことを「へし込む」と言ったことから、「へし込まれた物」が略されて「へしこ」となったという説、魚を塩漬けにする際に滲み出てくる水分のことを「干潮(ひしお)」と呼んだことから、これが訛ったものであるとする説などがある。

   帰宅後、1cm前後の厚さにスライスして試食した。その塩辛さにびっくり仰天。手持ちのパイレックスの一番小さな容器に入る量だけを2mm前後の厚さにスライス。残りは5cmの長さに切断し、一番大きなパイレックスの容器に入れて保存。腐敗の心配は全く無いと判断。毎日一回、僅か2切れずつ食べている。食べ慣れて来ると美味しく感じてくるから不思議だ。

パイレックスとは・・・

      ホウケイ酸ガラス(硼珪酸ガラス、ボロシリケイトガラス、英: borosilicate glass)とは、ホウ酸を混ぜて熔融し、軟化する温度や硬度を高めたガラスである。耐熱ガラス、硬質ガラスとして代表的な存在。

      アメリカのコーニング社が開発し、パイレックス (PYREX) という名前が商標登録される以前から総称してパイレックスと呼ばれていたが、現在パイレックスが商標登録され、上記の呼び名が一般的である。


   私は蓋付の食品保存容器として大中小の三点セット(大1個、中2個、小4個の7個)のパイレックスを愛用している。中身が見えるし、中(長方形)は小(正方形)の二倍、大(正方形)は中の二倍の大きさ、深さは皆同じ。冷蔵庫内の食品整理には大変便利。2セット追加買いをした結果、容器は21個になった。

② フナ寿司

      鮒寿司(ふなずし)は、フナを用いて作られる熟れ寿司(なれずし)の一種で、滋賀県の郷土料理。主に琵琶湖の固有種であるニゴロブナが使用される。オスメスともに使われるが、子持ちのメスのものは比較的高価である。

      発酵する事により、水分が浮かび固形分の体積が減じ、強い香りがする桶の中からフナの身は取り出される。 飯を除き魚だけを食べる場合が多いが、ペースト状に発酵した飯と一緒に食べる人もいる。フナの身はそのままスライスされて皿に盛られ食卓に出されたり、そのまま食したり、お茶漬けにするなど食べ方は様々である。卵の部分はチーズのような香りと食感である。


   いつの間にか琵琶湖名物となっていたフナ寿司の、スライス写真をテレビで見た。美味しそうだった。そのとき以来、一度は食べたいと思っていた。トイレ休憩で立ち寄ったどこかのSAでフナ寿司を偶々発見。すぐさま購入。外観からは大きなシシャモや抱卵期の鮎のスライス品を連想。黄色い卵にも魅力を感じた。歯ざわりも似ているだろうと推定した。

   帰宅するや否やこちらも早速試食。長時間漬け込まれていた魚肉は脱水されて大変薄くなり、スルメを食べているように感じられてがっかり。店頭の見本は断面が大きく見えるように限りなく斜めにスライスされていたと判明。
   
   急遽、インターネットで食べ方を調べた。その一つに、熱湯に浸せば数分で魚肉が膨らんで復元されるだけではなく、柔らかくなるとのアドバイスを発見。紹介されていた典型的な食べ方の一つ、お茶漬けを真似た。身は急に柔らかく復元された。
   
   醗酵食材としての特有の風味に最初の一口は違和感があったが、食べ慣れるにつれて美味しく感じてきた。蓼食う虫も好き好きとは言うものの、正しく淡水魚の珍品だ。
   
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姫路城

   温泉旅行の途中、大きく迂回しなくて済む場所に有名な観光対象があれば、短時間であっても立ち寄る習慣だ。今回は世界遺産姫路城を見学した。

      大天守は2009年(平成21年)10月9日から大規模な改修工事「平成の大修理」が行われています。工事期間は2014年(平成26年)まで約5年で、事業費は約28億円だそうです。外壁の漆喰の塗り替えや屋根瓦のふき替え、耐震性を高める補強も行われます。
      
      「昭和の大修理」から既に50年近く経過して、かなり痛んでいたようです。下の写真は入り口付近と西側面を2009年に撮影したものですが、自慢の白壁も薄汚れていました。


      工事は2009年秋から着手されましたが、準備期間となる2010年4月まで外観とその内部は通常どおり見学できました。その後、本格的な改修工事が始まり、大天守は鉄骨と鉄板でできた「素屋根(すやね)」で上からすっぽり覆われ、12月には外からは見えなくなりました。これが撤去されるのは2014年です。



      また、城内見学コースも通常とは違い、制限されている場所も有ります。天守内部は修理期間中も公開するとのことですが、工事状況に応じて公開休止となる場合もあるようです。姫路城にいってみたら天守閣が見えなくてガッカリって事にならないよう注意してください。でも逆に、下記の見学施設から天守を間近に見られるめったにない機会でもあると思います。

修理見学施設

      姫路城は「昭和の大修理」でも、大天守は数年間にわたって素屋根に覆われたそうです。今回の素屋根は高さ約52m、重さは約6,000t。(東京タワーは3,600t)その壁面に大天守の絵が描かれ、内部には見学施設が設けられました。高さ約40mの展望室から間近に修理のようすが眺められます。施設の愛称は公募の結果、「天空の白鷺」(てんくうのしらさぎ)と決まりました。



      見学料は従来の入城料400円と入館料200円。入館者数は1時間単位で制限され、トータルして1日当り2,500人程度。混乱を避けるためとして、入館の事前予約がホームページから出来るようになっています。個人の場合は希望日の1ヶ月前から予約可能です。当日券も有ります。ただ、その枚数は予約状況によって限定されるので、希望する時間帯の券が無い場合もあると思います。



        受付を済ませて中に入ると、先ずは専用のエレベーターで一気に8階の展望スペースに移動。そこからはガラス越しに天守最上層の屋根と軒唐破風が目の前です。次に、階段を使って7階に降りると望楼部の壁や四重目の千鳥破風が見えます。見学可能なのはこのツーフロアだけで、そこから又エレベーターで1階まで降ります。作業の様子を再現した模型などが各フロアに展示してあり、それらを見て回っても見学時間は30分ほどです。

   姫路城の敷地は大変広く、駐車場から工事現場までの歩行距離は概算500m。古希も過ぎた73歳の私は加齢に加えてがん治療の後遺症か、なだらかな坂道なのに歩くのに大変苦労した。膝など特定の部位が痛むことは無いのに、足が重く感じられ素早くは動かせないのだ。



   城の修理作業用として風雨を避けるためか、大きな城郭全体をすっぽりと覆う建物の巨大さには些か驚いた。それ自体が巨大な体育館のような無柱建造物だ。その一角には工事見学者用の8階建ての立派な建物が添えられ、2基のエレベーターまで取り付けられた贅沢さ。コスト意識が不要な公共工事の典型と私には思われた。

   見学可能なガラス窓からは城の屋根・側壁などに張り付くようにして働いている職人の姿も丸見え。床はピカピカに磨かれた立派なフローリング。壁面には各種図面や写真・工事内容を解説したポスター類も貼り出され、女性職員のガイドの説明も懇切丁寧。



   城内のあちこちでは青い制服を着たボランティアガイドが、熱心に案内していたが、私は素通り。聞く時間が無いだけではない。私は聴いてもすぐに忘れる情報には関心が無くなった。視界に飛び込む情報で満足するようになった。世界遺産の説明役としてのボランティア達は職務に生き甲斐を感じるのか、生き生きとしているように感じられるのが嬉しかった。

   紫外線による絵画の劣化防止のためにフラッッシュを禁止している美術館は多いが、ここもフラッシュは厳禁。でも、ここの禁止理由は作業の安全性確保と推定。危険な足場に慣れているベテラン職人といえども、フラッシュが直接目に入ることは避けるに越したことは無い。最近のデジカメ類の感度は高く、夜間でもない限りフラッシュは不要にもなっており、何の支障も無い。

   展望フロアは遠方の市街地まで見通せる海抜100mの高さ。でも、旧八幡市(現在の北九州市八幡東区・八幡西区)同様、姫路市の衰退振りが悲しい。かつては文字通りの城下町として栄え、戦中(日本製鉄)・戦後(富士製鉄)には『姫路製鉄所』の企業城下町として、隆盛を極めた鉄の街も日本の経済成長の停滞と共に、自己努力だけでは運命を変えることは難しそうだ。

   新日鉄も今や八幡・大分・名古屋・君津の四大製鉄所を年産各1,000万トンで維持管理すれば十分なのに、室蘭・釜石・堺・姫路・光などの中・小型製鉄所を背負わされている。私企業としてこれらを維持管理する体力(財力=含み資産)がいつまで持つのか大変疑問だ。本心は更地にしたいのに地域社会が許さないようだ。その上、住友金属の小倉・和歌山・鹿島製鉄所まで背負い込まされた。鹿島だけで十分なのに。いと、哀れ!!

家老屋敷跡公園



      高級官僚の宿舎が豪華すぎるとのやっかみ報道が絶えないが、流石は天下の姫路城に勤務する家老。敷地は広いし豪邸だ。



   家老屋敷の直ぐ近くに喫茶店があった。生ビールが無くてがっかりしたが、お摘み付きの缶ビールがあった。

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蛇足

   世界的に見れば日本の城は特殊だ。かつての先進国である欧州・アラブ諸国・西アジア・南アジア・中国各地に今尚残る城郭都市は長大且つ強固な城壁に囲まれ、その内側には兵士と共に住民も住める構造になっている。
   
   彼らは侵入者を撃退するためには、住民も総動員して闘う全面戦争も想定して城郭都市を建設したのだ。東京に当てはめると山手線を厚さ10m、高さ20mの城壁にしたようなものだ。逆にウイーンは今や城壁を取り払い、その跡地に低床式市内電車のリングと称する環状線(一周一時間弱)を走らせている。城壁の意外な転用の成功例だ。
   
   日本の城は武士団の単なる本社事務所に過ぎない。建物の外観美は競ったものの、その内部には柱と階段が多く、暖房設備も無く事務所としては使いにくい木造建築。城主の趣味で日本庭園を造り、堀で囲んだだけ。でも、その堀の水の汚さには関心が無いらしい。皇居といえども例外ではない。国辱ものだ。乾燥地帯のイスラーム圏では水は天下の貴重品。庭園の水も噴水も飲めるほどに透明で且つ美しい。所得水準とは無関係な別の価値観に支配された世界だ。
   
   イスラームの水文化を真似たとも言われている欧州では、ローマ人の水道技術と組み合わせ、都心のあちこちに素晴らしい噴水設備を導入している。郊外には噴水や人工の滝を中核テーマにした巨大な庭園や宮殿を建設し、市民の憩いの場所となっているが、類似のものは日本にはあるかなしかの状況。ああ、情けない!!
   
   しかし江戸時時代に一国一城令が徹底され、今日までかろうじて維持されてきた城跡は、今や各城下町の貴重な緑地資産に変った。殆どの城跡は町の中心部にある。都市公園が少ない日本でこれだけの規模の緑地を、各都心に新たに確保することは不可能に近い。それだけにせめて堀の水くらいは綺麗にして欲しいと願わずにはいられない。盗人に追い銭みたいな生活保護費を少しだけカットすれば、財源は有り余るほども出てくるというのに!
   
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城崎温泉
   
   半世紀以上も前の受験生時代、小説のタイトル『城の崎にて』と著者『志賀直哉』とを無理やり結び付けて覚えた。でも、この有名な小説を読んだことも無く、城崎温泉に来たこともなかった。

城の崎にて・・・あらすじ

      東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に城崎温泉を訪れる。「自分」は一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が、石を投げられ必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の騒動が恐ろしくなる。そんなある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。

      驚かそうと投げた石がそのいもりに当って死んでしまう。哀れみを感じると同時に生き物の淋しさを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」を省みる。

   その日に泊まる民宿には露天風呂が無い。途中にある城崎温泉の入浴専門銭湯『御所の湯』に立ち寄る。入浴料は800円。幹事の指示で予めタオルは持参していた。素晴らしい設備も備えた掛け流しの温泉だ。豊田市近辺のスーパー銭湯(温泉と称してはいるが、深井戸からの汲み上げ加温温泉)とは別世界だ。幹事の入浴時間の指示は1時間。時間がもったいなくて、石鹸で体を洗う作業は省略。小説のタイトルには地名では使わない『の』の字が入っていることにやっと気がついた!





   お風呂の中で、高校生の大集団と出逢った。『修学旅行なの?』『卒業旅行です』。大学生の卒業海外旅行はバブル時代に発生したが、今や高校生が国内卒業旅行を始めているとはつゆ知らなかった。『では、大学も決めているのでは? 何処?』。嬉しそうに『**大学です』『頑張ってね。今後の日本を支える人になってね!』と励ました。

   でも、同じ**大学なのに、滑り止めで合格した者と、第一志望で合格した者とは、顔つきで峻別できた。難関大学で有名な早慶といえども、入学者の心境は**大学合格者と同じだ。過半数は国立難関大学からの落ちこぼれ学生だ。上には上があるのが人生だ!
   
   最近の若者には陰部を隠すという日本人特有の習慣(韓国人を始め、母国では陰部を隠さない外人は多い!とはいえ、外人も日本の銭湯では隠すようだ! 珍品観察をされているような視線が気になるためか?)が薄れてきたようだ。

   肉体美を誇っている様子はない。おかげで私には、一度に多くの物件を纏めて観察できる絶好の機会にもなった。陰茎の成熟度には身長よりも何故か個人差が大きい! 色・艶・形を初め発毛密度・大小・亀頭の剥け具合など様々。

   名古屋グリーンテニスクラブやげんきの郷のサウナに平日の昼間、屯(たむろ)しているのは老人が主。彼らには羞恥心が消滅している。お腹の出具合は千差万別。でも、婚活市場では人気がないといわれている『禿・チビ・デブ』も、陰茎の外観はどれもこれも似たり寄ったり。肉体の外形と陰茎との間には相似則は成立しないようだ。廃用萎縮のせいか、提灯を畳んだように小さく縮みこんでいる。
   
   あるとき、アジア系の女性に質問したことがある。『あなたは日本人・タイ人・中国人・インド人・インドネシア人・ベトナム人・韓国人など色んな人種や民族に出会ったことがあると思うが、どの人種・民族の陰茎が一番魅力的だったか?』と質問。『Same!!』と即答した。
   
   高校卒業時点の若者の陰茎の成熟度に個人差が大きい理由は今尚、私には解読できないまま。私は産卵期の新品(婚活期の頃には、今や中古品になっているらしい)にこの事実を教えてあげたい心境に駆られた。『禿・チビ・デブ』にこそ魅力ある青年が宝のように埋もれている。自己の肉体条件を自覚している彼らの売りは女性に優しい謙虚な心。配偶者に求めるべきは外観や三高などではなく、目には見えない心にこそある、と!!
   
   三河の奥地に閉じ篭もって生きていた私には、城崎温泉とは日本海側(かつて『裏日本』と表現されたが、この言葉の支配力は強烈。理性でいくら否定しても、太陽も滅多に拝めない暗くてじめじめとした地域との連想を呼ぶ)の苔むした僻地にあると想像していた。

   若いころは働いていても将来に備えての貯金はせざるを得ず、小遣いに余裕が無く、行程に時間も掛かる温泉旅行には関心が湧かなかった。定年退職までは人生最大のテーマ、結婚⇒育児⇒教育費の積み立て・住宅ローンの返済に明け暮れていた。末子が長女と次女の後を負うようにしてトヨタ自動車に就職した5ヶ月後の1998年9月1日には早くも定年到来。歳月人を待たず。末子もいつの間にか課長級に昇格していた。
   
   定年時に、残された人生は20年間と覚悟。退職金の一部で住宅ローンの残額清算と同時に、掛け捨ての生命保険は全て解約。残した保険は掛け捨ての火災保険と車の任意保険。手持ちの現金は個人終身年金に変換。余生は文字通り『細々と生きている年金生活者』人生に突進。でも、やっとお金の奴隷のような生活からは開放された。や~れ、やれ!!
   
   当日は小雨。温泉街を車で一巡。素晴らしい景観に久しぶりに感動。有名ではあっても狭苦しく、駐車場も少ない坂だらけの有馬温泉に幻滅した(笑点流に言えば『二度とは行きたくない典型的な温泉街』)のとは対照的。温泉街の中心を流れる川の両側の道には桜や柳なども植えられ、電飾の街灯も美しく、高層観光ホテルも少なく、主流は昔ながらの木造観光旅館。再訪問して連泊したくなった。


   
   大分県の黒川温泉の猿真似なのか、温泉巡回割引手形を持った観光客が揃いの浴衣と羽織を着て、傘を差しながらそぞろ歩いている姿は映画の世界のようだ。
   
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佐津温泉

   兵庫県の北、日本海側の漁村にある知る人ぞ知る小さな温泉郷である。予約時に女将に質問した。

  『トクーのフラッシュマーケットで50%引きとはいえ、民宿の6,300円は高いと感じる。お客様の評判は如何ですか?』。『料理が素晴らしかった、と満足していただいています』。『ビールの価格は幾らですか』。『大瓶で630円です』。良心的と判断した。観光ホテルではビールの価格は500ccの中瓶は700円が相場。且つ、大瓶は通常何故か用意していない。
   
   過去の体験からトクーの価格は一泊二食の通常価格から、一泊朝食付きの価格を引いた価格近辺だと、私は分析していた。つまり夕食だけの価格だ。償却費を除く一泊朝食の原価は2,000円位と推定すると、人件費の流出が無い家族経営の民宿は、客さえ来れば赤字にはならないと断定していた。
   
   当日の食材は見るからに新鮮。夕食のメインは食卓で客が個別に調理する炭焼きのバーベキュー。大正海老は生きていると勘違いするほどだった。刺身の盛り合わせや野菜類も新鮮だ。仲間が撮り忘れた但馬牛のヒレ肉3切れ(100g?)は炭焼きセットと一緒に出された。




   
   但馬の子牛は松阪牛の供給源としても有名だ。日本各地には地名を冠した銘柄牛は数え切れないほどあるが、その差は育て方の単なる違いに過ぎない。どんな産地の和牛の子牛でも、穀物肥育を長時間続ければ日本人好みの刺しが十分に入るのだ。
   


   建物や部屋の家具・電気製品・設備は、中流の下と自己評価している我が家と比べても貧弱だったが、私には何の支障も感じなかった。目的は美味しい食事を食べながらの仲間とのおしゃべりと温泉三昧にあるからだ。多すぎる料理の摘み食いでは申し訳ないと感じながらも突然睡魔に急襲され、仲間に一言お断りして早々と退席。大好きなはずの温泉にも入らず就寝の憂き目。
   
   冷酒がことのほか美味しくてうっかり飲み過ぎた。夜半に嘔吐の憂き目。翌朝目覚めたら女将が夕食に出された混ぜご飯でおにぎりと、沢庵を用意してくれていた。こんな親切さに接したのは仲間との温泉旅行会を軌道に乗せて以来の初体験だ。
   
   仲間より一足早く朝風呂を楽しんだ後、持参していたプレミアム・モルツ2缶を満喫。至福のひと時だ。

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伊藤清永美術館
 
         伊藤 清永(いとう きよなが、1911年2月24日 - 2001年6月5日)は、昭和期の洋画家である。裸婦像の名手として知られる。兵庫県出石郡出石町下谷(現在の豊岡市)生まれ。日展および白日会を中心に活躍した。元愛知学院大学教授。

    日ごろから芸術に関心の無い私は伊藤清永なる画家を知らなかった。小さな美術館だったが、故人の著名な絵が展示されていた。

    ルーブルでも見かけなかった初めて見た画法が印象に残った。ヒマラヤの雪男(イエティ)のように、全身を長い体毛で覆われたように描かれた裸婦が多かった。ポーズの多くは各地の美術館で見たような気がした。輪郭が曖昧とした画風がセールスポイントなのだろうか?

    こんな画法のアイディアだけが異色の絵が、内外の専門家にはどのように評価されているのか知りたかったが、解らないまま・・・。ルネッサンスの巨人ラファエロとは比べるべくもなく、さりとてゴッホやピカソほどに人を驚かせるほどのテーマ性も汲み取れず・・・。

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天橋立

   天橋立(アマノハシダテ)の表記を間違えて覚えていた。『天の川』のように『の』の字を入れて『天の橋立』と書くものといつの間にか信じ込んでいただけではない。私は下記の松原名の表記法とも同じと、勝手に勘違いしていたのだ。
   
   福岡市近辺(唐津を含む)には有名な松原が二つある。『生(いき)の松原』と『虹の松原』だ。

      福岡市は長い海岸線を有し、海風を感じることが出来る都市。今回ご紹介する場所は、福岡市西区にある、生の松原。福岡市中心地から福岡市西部・糸島半島をつなぐ国道202号線沿いにあり、その国道の両サイドに松原が広がっています。

      海側ではキラキラと海面を彩る光や、行き交う船やヨットなどを眺めながら海風を感じ、陸地側では柔らかな陽射しを浴びながらの森林浴などを楽しめ、とてもリラックスできる場所。福岡市天神地区から西にわずか約7kmのところにあるここでは、風光明媚な自然の中でゆっくりとした時間を過ごせます。

      松林は福岡市内には以前、箱崎
(注。ここの松原を切り開いて101年前の明治44年に、我が母校九州帝国大学が創設された)・千代・百道にも生の松原と同じように存在していたのですが、都市化の波にのまれ、今ではここ生の松原地区のみになってしまいました。今は森林公園となっており、海側・陸地側とも散策が出来るように道も整備されています。約140万人の市民が暮らす都会で、海風を感じながら散策が楽しめ、まぶしい海と心安らぐ森が同居する自然豊かな場所。

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注。

   
私にはこの松原には特別の思い出がありました。我が母校の親睦会では例年4月の初め、名鉄豊田ホテルで総会を開くと同時に新入社員の歓迎会を開催していました。私は最近は欠席していました。参加しても出席者の殆どは知らない人ばかりだったからです。

   ところが今年3月に突然親睦会会長からの呼び出しを受けました。『松原会の名称の由来』を出席者に紹介するようにとの趣旨でした。私がトヨタに入社したころの母校出身者は存在感も無いいわば少数民族。ところが今や在籍者数は1,000人に近い大集団に成長。ランキングでは名古屋・早稲田・大阪・慶応に次ぐ5位に躍進。ちなみに六位以降は京都・名古屋工業・東北・東京・東京工業・北海道の順。殆どは日本各地からの難民集団に様変わり。

   メインスピーチとして与えられた時間は3分間。無料招待かと思っていたら、参加費の1万円は忘れることなく徴収されました。

松原会の由来(平成2445日脱稿) 

私がトヨタに就職したのは丁度半世紀前の昭和37年でした。先輩はたったの4人。3人は既に亡くなられ、若いと思っていた私もいつの間にか長老になりました。

当社は今もそうですがいわゆる学閥の色合いが薄いとはいえ、九大も同窓生が適宜集まり懇親会を開いてはいました。そのうちに自然発生的に九大会と呼ぶようになりました。

でも、周りを見ると各大学とも同窓会の名称に学校名を使ってはいないことに気づきました。御器所会とか三田会とか、青葉会と称していました。

かれこれ25年位前だったと思います。卒業生の魂に響くような名称を提案するのは、老人の役割と自然に考えるようになりました。私の脳裏には、仲間と一緒に歌った『松原に』という学生歌がごく自然に甦りました。

ご承知のように母校は箱崎海岸の松原を切り開いて101年前の明治44年に開学されました。校章も松葉に由来していました。そこで私は当時の黒岩幹事長他関係者の賛同を得て、九大会を松原会に改称したいとの提案を九大会総会でしてもらいました。満場一致で瞬時に承認されました。提案者としては大変嬉しく感じました。

さて、この機会に私の近況報告と、皆さんへの遺言を申し上げたいと思います。

過去10年間に胃がんと食道がんで5回も入院した私は、死ぬ準備の一つとして昨年末には、豊田市営古瀬間墓地に総重量15トンの墓も造り、墓誌には『世界百余国漫遊大居士』との自作の戒名を掘り込みました。

私は5年前に『石松良彦の海外旅行記』というタイトルのホームページを開設しました。累積クリック数は30万件を、いつの間にか超えました。今ではホームページの更新が生き甲斐の一つにまで育ちました。

最後に、新入社員の皆様への遺言を、一言申し上げます。

新入社員の皆様は自分が優秀だから就活もせずに採用されたのだ、などと呑気に錯覚しないでください。ここに集まっているあなた達の先輩一人ひとりの、輝かしい業績に只乗りをしているだけに過ぎません。諸先輩に負けないような実績を後輩達のためにも残されるように、お墓の中からも忘れずに強く希望し続けています。

ご静聴、ありがとうございました。

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      虹の松原(にじのまつばら)は、佐賀県唐津市の唐津湾沿岸に広がる松原。日本三大松原のひとつで特別名勝に指定され、日本の白砂青松100選、日本の渚百選、かおり風景100選、日本の道100選にも選ばれている。玄海国定公園の一部。長さ約5kmにわたって弧状にクロマツの林が続く。海水浴場と隣接することでも知られる。
   
      天橋立も初体験の世界だ。この種の砂洲は大小の差はあれ、日本だけでもあちこちに存在する。ここが特別視される理由とは何か?


天橋立の入り口の橋

      天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て全長3.6キロメートルある。湾口砂洲とされる。形成についての詳細には諸説ある。2万年前に宮津湾が完全陸地化して後、約7~8千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2~3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる[1] 。
      

      砂嘴(さし)の幅は20メートルから最長170メートルに達し公路となっている。宮津湾の西側沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積して形成されたとされている。

      日本では、外洋に面さない湾内の砂洲としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。風土記(丹後国風土記逸文)では、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通うために梯子を作って立てたため「天の橋立」といったが、大神が寝ている間に倒れて現在の姿になったとされる。


   天橋立を縦貫する公道から目にするのは松だけではない。数は少ないが各種の木も育っている。無理に切り倒すニーズはない。砂洲誕生以来何千年も経っているとは信じがたい景観に驚く。松の木が小さいのだ。高くても20mか? 松喰い虫の被害が理由とは思えないが、全国各地の海岸の松林も、歴史を誇る神社仏閣の松に比べると何処も育ちが悪いのは不思議だ。肥料不足か?それとも塩害か?

   あちこちに切り株の跡が残っていた。松喰い虫の被害を防ぐ最良の方法は枯れた松の焼却と薬剤散布。ところどころの松には薬剤散布用らしいホースが松の幹に巻かれていた。薬剤散布車のホースと繋ぐホース端が2mの高さに固定されていた。でも数が少ない。公道だけではなく、薬剤散布車が縦横に走りながら薬を撒けるように、邪魔になる枝は切り取ればよいのに!


長い砂洲の中にある井戸

   股から絶景を覗く展望台は入り口からは遠くにあった。途中で引き返したので経験しないまま。海岸に出て股覗きを真似たが特別の感動は発生せず、がっかり。場所依存性があるようだ。



   砂洲なのに海水が浸透しないのか立派な井戸があった。陸地側の地下水が砂洲の地下に到達しているのだろうか?観光船に乗る時間も無くて・・・。



   松の手入れは不十分。各地の著名な公園の松のように庭師が手入れをしている様子は無い。砂洲の入り口は限られているから1,000円程度の入場料を徴収するゲートの設置は簡単だ。公的な予算は当てにせず自ら財源を確保し、外国人にも憧れの観光砂洲になるような維持管理努力を望みたい。

   世界は広い。天橋立とは逆に砂洲の発生で困っている観光地もある。大西洋岸にあるフランスの『モンサンミッシェル』だ。ここは干満差が大きく、かつては干潮時でも海に浮かぶ岩石島だった。この岩石島に建設されたのが、世界遺産にも登録された円錐型をした修道院。今や西のモンサンミッシェル、東のマチュピチュと称され、日本人には何故か人気抜群の観光地だ。

   観光客の便のためにと、浅はかにも大陸と島とを自動車道路で結んだ。その結果、速い潮汐流がせき止められ砂洲が発生しただけではない。島全体がヘドロ由来の沼地に囲まれ、満潮時にも海面は復活せず景観は台無し。

   フランス政府は埋め立てて建設した道路は撤去、橋に置き換える工事を決定し、自動車道路の便利さは残した。干潟の消滅も時間の問題になった。自然との共存は洞察力を欠く盆暗(ボンクラ)には厄介な仕事のようだ。

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日本海さかな街
      

      福井県敦賀市の若葉町にある魚市場。地元敦賀の水産業者を中心に70店舗余りが軒を並べる。市場内は漁港から直送された新鮮な魚であふれ、昔ながらの威勢のいい売り子の声が響く。

      鮮魚店のほか、乾物専門店、若狭名物の焼きサバの店、握りたての寿司やボリュームたっぷりの海鮮丼の店などがあり、買い物と食事をゆっくり楽しむことができる。営業は10:00~18:00(毎日、朝市開催につき8:30頃から順次開店)。年中無休。JR敦賀駅から車で10分。北陸自動車道敦賀I.C.から7分。
  
   往路に立ち寄る予定だったのに降雪に阻まれ、往路と帰路の予定を入れ替えた。帰路に立ち寄れたのは逆に良かった。買った魚を持ち帰れる! これぞまさしく塞翁が馬(魚と書くほうが良いのかも?)。
   
   レストランと魚屋の合計で70店舗もある日本海側最大と謳っている巨大な市場だ。私にとって海外旅行でも一番関心があるのは、今や世界遺産ではなくその国の庶民の衣食住。市場の観察くらい面白い対象はない。
   
   旅程作成者(幹事)から与えられた時間はたったの45分。売り場面積2万坪・年商1,000億円以上のいわゆる『巨艦デパート』(日本全国で15店前後。売り上げ日本一は新宿の伊勢丹本店。中部地方では松坂屋本店とJR名古屋高島屋の2店だけ)の地下では200-250店もの食品関係のテナントが競い合っているが、お菓子などのお土産品や弁当屋も多く、海鮮専門店は意外に少なく、多くても高々数店。この『日本海さかな街』と比べるとまさに月と鼈(すっぽん)だ。
   
① 中トロ
   
   3,000坪はありそうな平屋の売り場を大急ぎで一覧。重かったはずの足が急に軽くなった。今回はマグロの中トロと毛蟹を買うことにした。松葉ガニもあったが、残念ながら私には蟹の外観からは本物と偽物との区別ができない。店舗で表示されている価格は仕入れ値の2倍と推定。価格交渉の落とし処は売値の2/3を目標にした。中トロだと1,000円/100g。
   
   人気店での売れ残りのパックは2個。『私はたった2個の在庫から選ぶ気はない。冷凍庫に保管しているはずの全商品を見せろ!』。平たい容器に10個くらいの中トロを発見。霜降り部位が一番多かった中トロを選択。柵の重さは丁度200gだった。『2,000円ならば買う』。『無理!』と、店員。結局、やり取りを聴いていた店長の鶴の一声『イイヨ!』で一件落着。
   
   回転寿司の売り上げ日本一のスシローの寿司ネタの重さは10g/貫。帰宅後200gを20個にスライス。3個食べたら満腹。脂肪過多の中トロは、私には少ししか食べられないのだ。

② 毛蟹

   既に茹でられている大きな毛蟹が一杯4,500円/750g。活だと900g前後の大物だ。タラバガニは大きくて食べやすいが味覚では毛蟹に軍配。小さな毛蟹は美味しくても食べるのが大変。カニ類は過去10年来、釧路の『金橋水産』から宅配便で購入しているが、商品はインターネットでの写真判定。そのため重視したのは外観よりも重量。5Kg以上のタラバか1Kg以上の毛蟹の活を主に選んで買っていた。

   ここの市場は商品を目視できるのが魅力。売り子とのやり取りは一発勝負。『2杯で6,000円!』と提案。売り子は例によって拒否。でも、閉店時間(18:00)が近づいてきたためか、ヤケクソになったのか『好いよ』と回答した上に、辛子明太子とイクラを各1パック、自主的におまけしてくれた。
   
   帰宅後早速、毛蟹一杯を荊妻と賞味。酒を飲みのみ食べていたら一時間も掛かったが、金橋水産の活と変らぬ味覚に満足。

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おわりに

   今回の旅も我が期待に違(たが)わず、仲間にも満足度が高い温泉旅行となった。小さな民宿にとっては全国的な営業活動は無理。ホームページを更新するのが精一杯だ。どんなに安値を強要されても彼らにはトクーは救世主だ。通常料金とは割引率をもっともらしく計算するための見せ掛けの表示に思えてきた。

   我が仲間がお世話になったホテルや旅館などで、トクーが何度も取り上げていたのは『さだえ』だけではない。平成24年6月4日現在、かつて利用した伊東温泉の『たぬきの里』、熱川温泉の『志なよし』も今まさにクーポンの売り出し中だ。情報網が世界的に普及した結果、バブル崩壊後の価格破壊は内需業界にも現れているようだ。パソコンやテレビを初め、国際競争を繰り返している工業製品はその大先輩だ。
   
   マスコミはバブル崩壊後の日本人の名目家族収入が15%も落ちていると、空騒ぎをしているが必然的な経済現象に過ぎない。円高の影響もあってかサービス物価だけではなく衣食住全般に亘る物価の低下は、私のような文字通り『細々と生きている年金生活者』には有難い現象だ。
   
   それにつけても、独占価格の電力や公務員の賃金の高止まりは忌々(いまいま)しいだけではない。今やそれらを放任している守銭奴国会議員の存在意義がますます問われ始めている。
   
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読後感
      
      
      査読を依頼されたが、誤字脱字はパソコンの特技! 私自身その名手故、他人様のは気になりません。

      仲間と一緒の旅行で同行者が書いた旅行記は「百聞は一見に如かず」の例え通り興味がありません。しかし、石松旅行記は例外。旅行中の会話に無いことや、歴史・背景など様々な知識の教科書!

      天橋立を散策中、海に突き出たこの細長い軒先が何故 波に削られて消滅しないのか不思議でした。形成の起源を拝聴して、野田川の存在と海流の変化が生じない限り、太ることこそあれ痩せ細ることは無いと安心しました。ここは素晴らしい景観を保ちながら、あるがままの自然が残されていることに感激しました。一つは自動車道が無いこと、今一つは対岸まで渡り切るのに距離があり過ぎ、早々に引き返すためでしょうか?

「日本海さかな街」は売り子とのやり取りがわくわくドキドキ!
仲間のKさんが両手に買い物袋を提げながら、また 獲物を見つけて商談中。3割ほど値下げしたところで売り子は
「エーイ、これもおまけだ!」
「それはどうやって料理するの?」
「三枚におろして醤油で煮て・・・・・・・・・」。説明は微に入り細に入り懇切丁寧を極める。

      Kさんが納得顔になった瞬間、「サー行こう!」。刺すように凛と響く掛け声。躊躇無用の雰囲気に。Kさんはズボンから徐(おもむろ)に財布を出した。

① トヨタ先輩・工・テニス・ゴルフ・温泉旅行仲間

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石松さんのメール嬉しく読んでいます。

旅行記も精力的な物で感心しますが、健康関連はとても関心があります。食道癌という難癌をよくぞ克服しましたね。しかも4回も入院治療とは!

全身のこむら返りも印象が深い。それだけ、全力運動をしたのですね。私は運動下手でしたが、歩くだけは良く歩きました。

ところが、このところ簡単に足が疲れ痛くなります。膝小僧も筋肉も両方です。夜中トイレに行くときは柱に掴まって体を持ち上げる有様です。朝起きたときも同様です。昼間は普通に、というか手で掴まること無しに、歩けますが・・・。

お互い長生きしましょう。

② 高校同期・工・千葉大学名誉教授

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B29の岡田です。

温泉旅行も3年目のようで、お元気で何よりです。佐津の民宿温泉の様な所へ、気の合った友人と出かけることは高齢者の我々としては最高ですよね。

これからも、素敵な企画で友人を喜ばせて下さいね。

私もそうありたいと思いますが、なかなか実行が出来ません。

③ 未だお会いしたこともないトヨタ知人。B29の情報収集では日本のトップクラス。

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佐津温泉は、初めて知りました。城崎には何度か行きましたが、その近くの木津温泉なら知っていたので、その間違いかと思った程でした。

価格交渉力に脱帽。

堀の水の汚さに同感。城の堀は大きく深いので、まだあまり気にはなりませんが、旅先の水が汚いのは気になります。

日本の観光資源である日本庭園は、枯山水を含め、水が不可欠ですが、特にがっかりしたのが桂離宮。ブルーノ・タウトが絶賛し、日本庭園の最高傑作と言われる池の水には興ざめでした。

観光立国を目指すなら、国土交通省・自治体・宮内庁は、その点も考えてほしいですね。

ご参考

ブルーノ・タウトBruno Julius Florian Taut1880年5月4日-1938年12月24日)は、ドイツ東プロイセンケーニヒスベルク生まれの建築家都市計画家鉄のモニュメント1910年)、ガラスの家1914年)が評価され、表現主義の建築家として知られる。ジャポニスムアール・ヌーヴォーを通して日本に関心をもち、晩年来日し長期滞在した。

革命への憧れをもっていたタウトは、1932年から1933年までソ連で活動するが、建築界の硬直性に直面し、結局ドイツに帰国する。ところが、その直前にドイツではナチスが政権を掌握。

親ソ連派の「文化ボルシェヴィキ主義者」という烙印を押されたタウトは職と地位を奪われ、ドイツに戻ってわずか二週間後にスイスに移動、フランス、ギリシャ経由し、イスタンブールを通過し、黒海を渡ってソヴィエトに入り、シベリア鉄道でウラジオストックに到達し、海路で敦賀に上陸した。祖国ドイツに家族を残したまま、日本インターナショナル建築会からの招待を機に1933年5月、日本を訪れ、そのまま亡命した。

来日の翌日、桂離宮へ案内された。桂離宮を世界に広めた最初の建築家であった。当初は京都大丸当主の下村正太郎邸に滞在し、まもなく仙台商工省工芸指導所(現在の産業技術総合研究所の前身の1つ)に着任。その後は井上房一郎の招きにより、高崎に移り、約2年間を高崎で過ごした。群馬県工業試験場高崎分場に着任し、家具、和紙漆器など日本の素材を生かし、モダンな作品を発表。

1935年に東京・銀座に開店した「ミラテス」で販売を始めた。また東京・日本橋丸善本店および大阪の大丸にて「ブルーノ・タウト氏指導小工芸品展覧会」を開催した。日本では建築方面の仕事に、余り恵まれなかったことを少なからず不満に思っていたが、その一方で建築理論の構築に勤しみ、
桂離宮を評価した著書を著したり、熱海の日向利兵衛別邸でインテリアデザインを行った。

④ 大学後輩・医・勤務医・未だお会いしたこともない方

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前略 年を重ねればあちこち何処か悪いところが次々と出てくるようです。わたしも昨年央、前立腺がんが見つかり20回の放射線治療(約1ヶ月)を受ける羽目になりました。幸いにもひとまず寛解し、経過観察中です。

安静にしていましたら,左足の関節が痛むようになりました。整形外科医の診断では半月板が無いのでセラミックスの半月板を植え込む、とのご託宣。これを断り,スポーツクラブでトレーニングを受けているうちに快癒。心もちも快癒。

おかげさまで畑仕事などで機嫌よくすごしております。
 
⑤ トヨタ同期・工・気が向いたときには読後感をいただける方。前立腺がんの放射線照射治療は通常35回前後。20回で寛解とはラッキー。それにしても整形外科医の藪医者振りには驚愕!

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ご無沙汰しております。でも、貴兄におかれては益々お盛んなご様子でご同慶の至りでございます。

先日は「振り込め詐欺」をまんまと見破られました。 (でも反応が少し遅かった様ですが……)

さっそく旅行記を拝読いたしました。良いお仲間と楽しい旅行、羨ましい限りです。文中、同感する箇所が有りまして……

私も定年後は、引き続き「退職後プラン」に加入しておりましたが、よく考えて見た上で今年度の更新から「死亡保障」を解約し、その分を「医療保障」に振り向けることに致しました。

ところで「トクー旅行」、次回のメンバに余裕が有ったら一度お仲間に入れて頂けますか? 8人乗りエスティマを、ご提供できます。

⑥ トヨタ後輩・工・テニス仲間・男3兄弟が全員東大卒・奥様一足先にご逝去⇒死亡保障解約の引き金??。次回の旅行(7/16-18)は群馬県猿ヶ京温泉での連泊。参加していただくことになりました。

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ご無沙汰しています。相変わらず貴先輩の体調管理を考慮されつつのご活躍ぶりに感服しています。6/15日のがんの定期検査結果は??。(幸い異常なしでした。でも、今後も3ヶ月間隔の定期検査は続けます。5/6からの断酒効果も肝腎機能の回復に徐々に寄与しています)。

小生は帰国中の娘と孫の付き合い・・・先週は東京・千葉・箱根の856㎞を車で動きました(凄い体力に驚愕。私は仲間との温泉旅行では過去3年間、車の運転は一度もしていません)。息子からは「親父よ、年を考えて車はやめよ」とうるさく言われていますが、まだまだ車にしがみつきながら楽しんでいます。あと2週間付き合う予定。

さて、前置き長くなり恐縮です。「佐津温泉」の読後感・・・・・・

「さだえ」インターネットとで検索・・・・まずは定価表にびっくり。確かに民宿としてはこの価格では躊躇しますね。貴先輩のコメントでようやく機会あれば、という気持ちになりました。

数年前に行きました「天橋立」を思い出しながら拝読しました。最後の「日本海さかな街」のトロと毛ガニに石松流買い物手法をご披露いただき拍手です。「石松様、もうそのようなエネルギーは別のところにお使いください」という読者がいるかもしれませんが、小生は「その精神を忘れたら石松様でなくなりますから、いつまでもその心意気を貫いてください」と思っています。

検査結果は「良」と信じながら益々のご活躍を祈っています。

⑦ 大学後輩・経・元銀行員

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石松さん、こんにちは! いつもメールの送信を頂きありがとうございます。

近況を拝読。貴殿には節制・自己管理が出来ているからこそ、今日の充実した生活が在るのだと思います。尊敬すると同時に見習いたいです。

" 一病息災 " と言われます。私は" 糖尿病 " (1型) の持病を持っていますが、今のところ、薬と自己注射と“摂取(=食べ物)と消費(=運動)カロリーのバランス” の心掛けに努めています。

参考)好きなアルコールは月に1,2度=ビール250ccで我慢‥。 月、金曜の午前中は卓球、午後はカラオケ、土曜は英語会話倶楽部、他の日は花、菜園の作業で楽しみと同時に暇無しです。 

2ヶ月に1度の経過観察では『よく管理されています』と云われていて、自覚症状も感じていないのですが、どうしても“自分に甘い”面があり、もっと努力をする事の実践を決意する次第です。 (石松さんを見習います)

私も仲間と西伊豆(土肥温泉、天城峠)方面に旅行してきたのですよ!見聞を広める事は脳の活性化でも良いものですものね!

また、H/Pの配信をお願いします。楽しみにしています。

⑧ トヨタ後輩・未だお会いしたこともない方

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