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温泉旅行平成24年

その4・猿ヶ京温泉(平成24年9月20日脱稿)

       豊田市から500Km圏内の温泉付き観光県で最も好きなところは群馬県だ。近くには岐阜・長野など全国的にも有名な温泉が目白押しの内陸県もあるが、混雑し過ぎて心に安らぎを感じなくなった。群馬県には定年退職後だけでも尾瀬(2回)・草津(1回)・嬬恋(つまごい・1回)などに出掛けたが、猿ヶ京温泉は初体験だ。

   群馬県は豊田市から見れば最果てにある辺境の地(逆も真)。仲間の交代運転を当てにしながら車内ではビール三昧。とは言え安全を期しての2連泊。余裕のある中日(なかび)には谷川岳観光に出掛けた。かつて谷川岳は岩登りで多発した遭難事故で有名だったが、今ではロープウエイも張り巡らされ、孫連れの高齢者でも気楽に雪渓見物が出来る観光名所に変貌していた。

   我が国では風光明媚なところを『山紫水明』と表現しているが、その語源は比較的新しい。江戸時代後期の儒学者・頼山陽が漢籍に独立して出てくる『山紫』と『水明』を連結し、あちこちの景観を評して使い始めた結果、普及したらしい。

   私はこの言葉に相応しい景観が最も豊富なのは、定年後だけでも那須(2回)や日光(1回)に出掛けて感動した栃木県よりも、群馬県だと思っている。風光明媚さにかけては大昔から有名な京都府もあるが、山は低く川は細くてその流れは貧弱。心ときめくほどの雄大さに欠ける。

   谷川連峰や利根川の源流地帯も広がる、立体感溢れる猿ヶ京こそ『山紫水明の地』と呼ぶに相応しいと、今回の旅で再確認した。これほどの景観美が随所に溢れている群馬県ほど、我が心を洗ってくれた都道府県(唯一の未訪問県である山形を除く評価)は残念ながら少ない。


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はじめに

頼山陽と浮き名を流した尾道生まれの閨秀画家平田玉薀を描いた、池田さんの『頼山陽と平田玉薀』(亜紀書房)に、この「山紫水明」の由来が紹介されている。それによると、山紫と水明それぞれの出典は漢籍にあるが、一つの熟語として使用したのは頼山陽だとある。

文化11年(1814年)10月、頼山陽が広島から京都への帰途、備後国鞆に立ち寄り、醸造業を営む三島家の家楼に滞在時に命名と文を求められた。山陽は、滞在した家楼を対仙酔楼と名付けて「対仙酔楼記」を書した。その末尾に記されているのが、「山紫水明」の初見。

山陽は、文化8年(1811年)、広島から32歳で京都に出て以後、塾を開くなどして生計を立てつつ転居を繰り返しました。4度目の転居で木屋町二条下ル(現在の中京区)に移ると、東山や鴨川の眺望が気に入ったらしく、屋敷を『山紫水明処』と名付けました。しかし、しばらくするうちに手狭になったのか、両替町押小路上ル(現在の中京区)に移り住みますが、その時から、自ら草木を植えて庭を作っていたことが史料からわかります。 


   今回は7/16(月曜日だが祭日)〜18(水)に仲間6人で出掛けた。集合場所はフォレスタ(トヨタ自動車の関連会社・都市ホテル)の駐車場に午前8時。仲間にはこの日は祭日(海の日)だが、トヨタ自動車の稼働日だから豊田市内はいつものように大渋滞になる。午前9時集合のいつもより30分早く家を出るように、遅刻は厳禁とメール連絡。

   何という失敗! 何時ものように8時から操業する現業部門は、この日は休日だったのだ。トヨタ独自の暦は大昔から7月には山や海に出掛ける従業員の家庭サービス用のミニ連休、お盆前後には帰省用に大型連休が組み込まれていたが、定年退職後14年も過ぎるとこんな習慣はすっかり忘れていた。
   
   トヨタ独自の暦とは気象台発行の暦を無視して独自に決めたもの。労使間で決めた年間総労働時間(かつては2,000時間/8=250日だったが、今では何時間に短縮されているのか私は知らない)から、春・夏・冬の長期連休を優先的に設定し、残りは土日を休日にしていた。その記憶から7/16は稼働日と無意識のうちに断定していたのだ。

   7:30には全員集まった。でも、貴重な時間を活かすべく衆議一決、そのまま出発。2年前の8月26日に黒四ダム近くの宇奈月温泉へ出掛けた時とは、中部山岳地帯の景色は一変していた。
   
   2年前は豊田市から黒部までの高速道路の沿線の落葉樹は『カシノナガキクイムシ』の大繁殖で山の半分が紅葉したかのごとく、木々の葉は無残にも茶色に変色していた。今回は『カシノナガキクイムシ』の害は全く見かけず、全山が濃緑に包まれていた。日本中を消毒したとのニュースも無く、何故森が生き返ったのか私には見当も付かないままだ。

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往路

   早起きは三文の徳。ホテルのチェックインタイム15:00よりも1時間近く早く着いた結果、眼下の赤谷(あかや)湖見物に出掛けた。

@ 赤谷(あかや)湖

雄大な谷川連峰を望む赤谷湖は、谷川岳登山口(西口)や苗場スキー場の経路に当たることから新緑や紅葉の季節には多くの観光客が訪れ、春先は桜の名所として知られています。赤谷湖自然歩道は赤谷湖の半分を歩ける散歩コースです。

昭和33年に、洪水調整を主な任務として完成した多目的ダムが形成する人造湖です。ダムは重力式コンクリートダムで、水面の面積は約1平方q、湖面の標高は約560mです。湖底には、生井集落や三国街道関跡・笹の湯温泉などが水没し、新たな湖畔に移されました。

湖畔には国道17号線が通り、その脇には移転して出来た猿ヶ京温泉の、大きな旅館やホテルが建ち並んでいます。湖は温泉の行楽スポットとして、釣りやボート遊びなど一大観光地に変貌する一助となりました。平成17年3月には、ダム湖百選に選ばれています。

周辺には湖中堰・キャンプ場・遊歩道などが整備され、親水公園などがレクリエーションの場として活用されており、カッパまつり・赤谷湖上花火大会・Eボート大会などのイベントが開催されています。また、相俣ダム管理支所では、湖に流れ着いた流木の無料配布も行っています。




   赤谷湖はダム百選に選ばれたとは言え、空海が改修したとの伝説で有名な満濃池(1.421平方Km)よりも小さなダム湖だ。日ごろは着る機会も無かった派手なアロハシャツを、気分一新を兼ねて持ち出した。39年前の海外初出張の帰途、ハワイで買った記念品だ。

A 相俣ダム

相俣ダム(あいまたダム)は群馬県利根郡みなかみ町(旧新治村)相俣、一級河川・利根川水系赤谷川に建設されたダムである。

国土交通省関東地方整備局が管理する多目的ダムであり、高さは67.0mの重力式コンクリートダム。

東京都を始めとする首都圏の水がめ。利根川上流ダム群の一つである。旧月夜野町で利根川に合流する赤谷川の治水と、群馬県営の水力発電を目的としている。ダムによって出来た人造湖は赤谷湖(あかやこ)と呼ばれるが、こちらの方が有名である。




   赤谷湖を造った相俣ダムは人が股を広げて仰向けに寝ている姿に似ていることから名付けられた名称だろうか。堰堤への流木を阻止する目的か、ブイを浮かせた綱が張られていた。正面が人の陰部に相当する突起部である。その両側から上流に向かって広がる峡谷部が脚部に当たる形状だ。



   赤谷湖の直ぐ近くに巨大な桜の老木があった。桜切る馬鹿との言葉を無視するかのように大きな幹が切られ、切り口からの腐食防止目的か、鍍金鋼板が貼り付けられていた。

   荘川桜も移植の際に大きく幹を切られていたが逞しく復活。桜切る馬鹿の由来に疑問を抱かざるを得ない。

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ホテルシャトウ猿ヶ京



   部屋100室、駐車場200台。外観はホテルとは思えないデザイン。そこで支配人に早速質問。『ここはホテルとして設計されたのですか?』『もともとはコンドミニアムです。それを買い取り改装もせずにそのままホテルとして営業しています』。従業員はほんの僅か。東日本大震災後は来客が激減しているそうだ。2Kの大きな部屋だった。

   予約時に7/30〜7/31の連泊を申し込んだら、250人の学生の研修団体で満室と断られた。安さをセールスポイントにしての営業活動のようだ。居抜きホテルの生き残り作戦だ。トクーのフラッシュマーケットでは公表されている通常価格の50〜60%引きを謳っているし、過去の体験も概して外れてはいなかったが、今回は夕食のメニューは一般客とは異なっていた。トクーの客は食堂の一角に集められてのミニ会席料理。一般客はバイキング。

   翌日の夕食時に何食わぬ顔をしてバイキングの惣菜見物に出掛けた。100人以上もの一般客がいたのに目ざとく私を発見した従業員が『お客様には専用の席に夕食を準備しています』。『料理の見学に来ただけだ』。支配人に『バイキングに変更できますか?』『3,500円プラスになります』。仲間に『バイキングの惣菜の目玉はズワイガニだけだったが、乗り換える?』。賛同者は現れず。観光業者の苦闘ぶりを思い知らされた。何よりも驚いたのは皆同じ浴衣を着ているのに、私を記憶していた従業員の記憶力だ。

   夕食後、仲間はカラオケに出掛けたが、私は今冬の寒波を避けるべくビール三昧の篭城生活が祟り体調不良。一人、部屋に戻って就寝。でも、5/6からの断酒決行と大腿筋の強化運動の効果が徐々に現れ、現時点(8/5)では体調もほぼ復活。やれやれ・・・。

谷川岳



   山の天気は大局的に見れば午前中は晴れていても、午後は上昇気流が発生し曇る場合が多い。善は急げと早めに出発。

   谷川岳ロープウェイ(複式単線自動循環式ゴンドラ)は長さが何と2,400m、高低差573m(土合口駅746m⇒天神平駅1,319m、往復2,000円)。2本のロープで釣られたゴンドラに乗るのは初体験。そのロープの間隔はゴンドラの幅よりも広く、揺れも殆ど感じないほど安定していた。強風対策と推定。



   天神平駅の直ぐ近くの駅から天神峠観光リフト(長さ428m、高低差168m,天神平駅⇒天神峠駅1,502m、往復700円)に乗り継ぐと、日本百名山の一つ谷川岳(1,977m)を望める展望台に到着。あちこちの谷間では残雪が白く輝いていた。


   
   展望台から尾根伝いに目的地の熊穴沢避難小屋までの標準徒歩時間は片道50分。仲間の一人は今回のトレッキングのために靴を新調。価格を優先(798円)したのか不幸なことに靴擦れが発生。足の幅が広すぎたらしく痛々しいほどの擦り傷。『石松さ〜ん。ここの展望台でビールでも飲みながらゆっくり休みませんか?』
   
   大腿筋の強化途中の私は渡りに船とばかりに即座に賛同。でも、駅構内の広い売店にはビールなどの酒類が無くてがっかり。価格が倍でも買うつもりだったのに! 何故販売していないのか、理由は全く分からない。已む無くリフトを乗り継いで土合口駅に到着。そこでビールを飲みながら2人で雑談。仲間がばらばらになって下りてきた。



   避難小屋まで辿り着けたのは、上に貼り付けた証拠写真を送付してくれた元気な仲間一人だけ(読後感@を参照)だった。
  
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帰路

@ 月夜野ビードロパーク

関東の奥座敷谷川連峰の麓、水上温泉の入り口に位置する月夜野ビードロパークは技術力・生産高・歴史と、どれをとっても国内有数の装飾ガラスの工場として広く知られています。

工場で生産される数々の商品は高級装飾ガラスとして、有名デパートなどで販売されていますが、ビードロパークでも直販されています。水上温泉や猿ヶ京温泉を訪れるお客様が必ず訪れる観光の名所としても有名です。



   こんな山の中に日本一の技術を誇るガラス工房があったとは、夢にも思っていなかった。黄綬褒章・科学技術庁長官賞・卓越技能賞などの受賞者を5人、ふるさと伝統工芸士も5人も輩出。今上天皇ご夫妻や皇太子殿下も既に視察に来られていた。中尊寺・迎賓館赤坂離宮・国会議事堂などへの納品、皇居二重橋街路灯・正倉院宝物復刻品など、その実績に驚く。

   でも、私が一番驚いたのは灼熱の工場内で働いている多数の若い女性を発見したことにある。流石は『かかあ天下』の群馬県だ。群馬の女性は逞しいとの俗説が生まれるのも不思議ではない。製品展示館で専務の1時間に及ぶ熱弁を聞いているうちに、心を揺さぶられた素晴らしい花器を発見。

   『これを売っていただけますか』『売店で類似品が買えます。デザインと色目が全く同じ作品ではありませんが』。早速売店に出掛けた。でも、ほんの僅かな違いなのにあの感動が発生しない。『これは嫌だ。展示されている現物を買いたい』と無理難題。手作りだから一品ずつ異なる製品から選んだ最良の作品を展示品にしているのだから、当たり前ではあるが・・・。

   ご機嫌の良かった専務(貴方の説明力は素晴らしい、と褒めすぎていた影響か?)は即座に了解。見学記念を兼ねて3,000円で淡いピンクの花器を1個購入。でも、我が造り立ての花壇には、この花器に相応しい花が咲いていない!



   去る1月末には園芸店に20万円(10社に相見積もりを照会したら、何と20〜77万円までばらついた。見積もりの差は主として庭木の抜根作業に起因)で発注していた我が念願のミニ花壇工事(棚田式の5段からなる土留め工事付き)も完了していた。
   
   しかし、花壇全体の植栽の構想を立てる知識も企画力(デザイン力)も無く、管理の手抜きを優先して半年は咲き続ける苗(サルビア・マリーゴールド・ベゴニア・日々草やペチュニアなど)を適当に選んで購入し、培養土と完熟牛糞堆肥をばら撒いて移植。毎週一回程度の化成肥料の散布・草取り・散水をしていただけ。切花は全く想定していなかった。でも、3年前の春に佐渡島で買った大きなユリの花は咲いたし、秋には待望の菊も20株は咲く予定。
   
   去る7/25にゴルフ場(加茂ゴルフ倶楽部⇒体力の衰えた今では第4水曜日だけ・第2水曜日はロイヤルカントリー。その他の水曜日と全ての金曜日はテニスが、我がスポーツの年間計画)のお気に入りの茶店で、花器から溢れるばかりの色とりどりのグラジオラスの切花を発見。
   
   花壇の管理目標が一つ見つかった。せめて毎月一回分の切花は我が愛しの花壇からと・・・。水仙やグラジオラスも植えなくてはと、突然考えるようになった。バラも植えたいが難しいらしく今年は敬遠。
   
   華道などのややこしい有職故実を勉強する必要性はなさそうだ。世界各地の豪華ホテルのロビーには通常、大きな花器に溢れるばかりの切花が活けてあるが、量は質を呼ぶようだ。1輪挿しでは寂し過ぎる。茶店の後家さんは何時も季節の花を自宅(広い屋敷が自慢)から持ち込んで茶店の窓際に飾っていたが、私には花への関心が無かった。茶店での7分間は、ビールを楽しみながらの後家さんとの会話に夢中になっていた。



   花瓶は買ったものの我が愛しの花壇には切花用の花が無い。どの花も背が低い。黄色のマリーゴールドとピンクの日々草は何とか様になった。背後のユリと小さなひまわりのような黄色の花は庭の片隅で咲いていたもの。

   今秋の菊の開花が待ち遠しい。

A かかあ天下

富岡の製糸工場でも有名な群馬県は、江戸時代から昭和初期にかけて桐生織を中心に、当時の基幹産業である絹織物生産の中心地となった[10]。上州の女性が家庭社会において従属的な位置に甘んじることなく元気溌剌としている大きな理由は、養蚕織物業によって女性であっても多くの収入を得られたからである。

これは加齢年齢にも影響を受けない練達技巧である。いわゆる「かかあ天下(でんか)と空っ風」である。「かかあ天下」は、「女性(妻)に頭が上がらない男性(夫)」とか「妻の尻に敷かれている夫」と取られがちだが、そうではなく、上州の男が自分の妻を感謝・尊敬し、自慢する意味で「ウチの母(かかあ)は天下一」という意味を持っている。

養蚕業は原始的ながら複雑な工程を経るため、群馬県(埼玉県北部上武地域を含む)では養蚕業に由来する社会行事が多く残っている。民俗学的に優れた材料の宝庫ともいえ、評価が高い。往々にして写真美術の題材になるなど、養蚕業の深奥はいまだに尽きるところがない。養蚕製糸業は当然製造工学的な技術発展をうながしており、これを背景に大正時代には日本最大の飛行機会社となった中島飛行機が設立された。


   群馬県の名産は生糸だけではない。輸入税が今尚350%もかけられている『こんにゃく』がある。でも、戦後4人も首相(後述)を輩出した群馬県。これでは県の超有名な特産物保護のために、輸入税が下がる見込みは当面なさそうだ。

政治的にも首都圏にありながら保守土着の性質がいまだに残り、自由民主党の勢力が強く「保守王国」と呼ばれる。また、有力議員が当選回数を重ねて首班指名を受けるという現代保守政治の手続に忠実な意識である。戦後には福田赳夫(高崎市)、中曽根康弘(高崎市)、小渕恵三(中之条町)、福田康夫(高崎市)と4人の総理大臣を輩出している。

   同行者の中には青春時代、こんにゃくの目的外使用経験者が告白しただけで何と2人もいた。『楽しんだ後はどうしたの?』。仲間の一人は『洗って食べた』そうだ。

B お土産屋

   群馬県に来たからには何としても名物のこんにゃくを買わなくてはと思った。余りにも商品の種類が多く選択に迷った。スーパーで見かける板状に加工されたものではなく、丸く団子状に固められた物を購入。帰宅後、刺身のように薄く切って芥子味噌を付けて食べたら超満足。

   別の売り場で十割そばを発見。松坂屋豊田店では2食420円だが、こちらは4食1,050円。産地なのに少し高いとは思ったが迷わず購入。帰宅後食べ比べたが我が舌では味覚差は区別できず。

   流石は山国。天然の自然薯があった。形のよさそうなものを一本購入。松坂屋豊田店でも時々1本2,000円で販売しているが、こちらはパイプを使った栽培物。曲がりくねった本物が食べたかった。我が家庭菜園でも天然物が1本生育中。山芋掘り専用の道具を使っても例年1時間の悪戦苦闘。こちらは根よりも、むかご(実)を獲って『むかご御飯』にするのが楽しみ。むかごは何故か松坂屋では売っていないのだ。


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おわりに

   定年後は友人や知人が自然に減少する。転居・病気や死亡、理由はいろいろ。そのためもあって好きなゴルフとテニス仲間との付き合いを大切にしてきたが、仲間も高齢化するに連れて徐々に引退。それを補うためにも、僅か年6回に過ぎないが温泉旅行を企画し仲間を集めた。でも、古希を過ぎても週に1〜2回はしぶとく働いている仲間も含まれており、4〜6人を集めるのが難しくなってきた。

   旅の嫌いな人は滅多にいない。それ故に共通の趣味としては最適だ。その上、円高で安くなったとは言え海外旅行に比べれば、国内の温泉旅行はまだまだ安上がりだ。中でも我が計画のように、多少の不自由さはあるがフラッシュマーケットでクーポンを調達すれば、宿泊費は更に安くなり、車で移動すれば行動の自由度も高くなる。死ぬ準備と並行して、三年後の喜寿までは何としてでも頑張りたい。


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読後感

谷川岳麓の土合口駅から谷川岳ロープウエイで天神平駅に至る。更に峠リフトで天神駅へ。 これより天神尾根伝いに「熊穴沢避難小屋」までの天神尾根ウォーキング(往復100分)を目指した。靴擦れの人等二人は天神峠駅で待機。残りの4人でスタートした。

間もなく、Kさんのトレッキングシューズのヒールが外れた。ひもで応急修理したが耐久性に自信が持てず引き返した。

先頭のNさんはどんどん先へ。私とTさんが後を追ったが、Tさんが弱音を吐き出した。登山道の右側は急斜面で、もしよろけたらと足が竦(すく)むところも・・・ここらで待機することに同意し、岩に腰をかけた。「熊穴沢避難小屋」までの路程の三分の一ほどの所か。Nさんが引き返すまでの時間は60〜70分と推定。

その時間になっても戻らない。若干心配になってきた。通り過ぎる登山客を呼び止め、頼んだ。「熊穴沢避難小屋近辺に私ほどの年配のNさんが居たら、私らがこの岩で待っていると伝えてほしい」。快く引き受けてくれ、手持ちのデジカメで私の写真を撮りNさんに見せると、誠意のある方だった。

100分を過ぎても戻らず。Tさん曰く、「他の道を戻ったのではないか?」「それは無い。実は、今朝 Nさんと天神尾根ウォーキングコースについて話し合った折、Nさんが帰路に別ルートを提案したが、私は山では同じ道を引き返すのが安全と主張し、彼は同意したから」。

谷川岳からの下山者が散見されるようになってきた。話しかけると、「山頂の天気予報は夕方に雷雨とのことで、急いで下山した」とのこと。

少し焦り出した。「避難小屋近くまで探しに行くのは却って危険だろうね?」Tさんの腹を探った。会話が少なくなってきたので。「夕方になっても戻らなければ、捜索願を出すことになるね。あまり早く出しても空足を踏むことになって迷惑をかけることになるし。日が落ちるまでは我慢しますか?」

Tさんは再度 別ルートで下山したと主張。「それではあと10分待って、来なかったら引き揚げましょう」。天神峠駅の方角から「おーい」と呼ぶ声がした。Nさんだ! ズボンが破れ、膝頭に血が滲んでいた。しかし、無事。Tさんの推測していた別ルート経由だった。

宿に戻り、露天風呂から谷川岳を眺めると、山頂に黒い雲がかかっていた。やはり雷雨か! 最悪のシナリオを連想した。遭難はかくして起きるものかとも。

@ トヨタ先輩・ゴルフ・テニス・温泉旅行仲間・囲碁はセミプロ級・超元気翁・愛妻家兼恐妻家

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今日ようやく返信する気になり二回目の拝読をしました。良く調べ観察されておられることは何時もの通りで感心するのみです。

興味あることはやはり身近なビールの泡の観察。一般の店で生ビールを注文すると6分目ビールを入れ後は泡注入、何時も損した気分になっています。でも生ビールは美味くやめられません。

旅行記で何時も興味あるのが同行者の人物評ですが、今回は貴兄も興味無かったとのこと、次回は期待しています。

体力の衰え、自分は貴兄以上で旅行そのものへの意欲減で困っています。貴兄の益々のご活躍を願いつつ居ります。

A トヨタ先輩・工・ゴルフ仲間・イタリア縦断旅行にも一緒に出掛けた方。毎年ご夫妻で海外に長期逗留⇒海外ゴルフだけでも40ラウンドされていたのに、昨年からお止めになったらしい。

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例によって石松旅行記は未完成論文。地図がない。行程表がない。どのように移動したのかが判らない。「山紫水明」は日本製とは知らなかった。中国伝来の四字熟語と思っていた。北京で小学生用の四字熟語集を見たことがある。私はその中で10%も知らなかった。中国文化は奥深い。頼山陽が京都に住んでいたのも知らなかった。知人に頼山陽の末裔がいるが(阪大工学部⇒ミサイル技術者)。

全員30分前に集合とはトヨタ精神だ。いいね。でも群馬県が山紫水明でベスト(我が主観)かどうか判らないね。赤谷湖も名前しか知らない。国道17号線に近いはずだ。39年前の初出張というと1973年?(1973年春。同年秋に石油危機が発生した。アメリカが一番輝いていたとき)当方は1970年に144日かけて世界一周(防衛施設庁に再就職したとき、キャリア組は演習船で世界一周の研修教育を受けたそうだ)3年早いね。

上越新幹線沿線には分譲別荘マンションが多いがホテルに転用とは知らなかった。トクーの客とは、要するに「特別低料金客」。少食の老人グループだから、料理が一品少なくてもOKだろうが、バイキング料理泥棒をしないか監視されての食事とは情けないね。同じ浴衣でも、すぐに誰何されるとは、要するに、石松氏の人相、目つきが悪かったのだろう。最近の写真は工学士らしさ、インテリらしさがないね。意地悪爺さん? 

老人グループといっても、目玉料理のズワイガニなしで、「別区画」で細々と食べるのはわびしいね。バイキング客からみれば、「格下客」だし。カラオケといえば、天才石松氏も音痴な筈だ。今からでも奥様による特訓はいかが? 

山の天気が午後悪くなる理由はこの旅行記で初めて知った。やはり物理学、気象学に強い石松工学士だ。天神平には学生時代いったことはあるが、当時ロープウェイはなかった。天神峠と天神平の区別は知らなかった。熊穴沢避難小屋も知らない。行ったことのない場所の読後感作成はしんどい。 

群馬県の工業基盤については同感。養蚕がベースにあるのだろう。「西関東+甲信」は昔からレベルが高かった。ラホールにも群馬に本社のあるサンデンが進出していた(車載用エアコンメーカー)。展示品を褒めて値切るとはいやらしいね。資産家らしく1万円は出すべし。 

Bトヨタ同期・東大工・1年で依願退職⇒東大経済・その後は波乱万丈の人生・再々婚の相手は北京美人・掘っ立て小屋の住人⇒写真に撮って送れと催促しても恥ずかしいと言って拒否

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群馬県等への旅日記、拝読しました。

善き仲間との旅心が洗われますよね、日々謳歌する様に接しこちらも気分良くさせて頂きました。小生も時間を無駄にさせない様に楽しみたいと思うことしきりです。

猛暑も徐々に去りつつあります、また風情のある秋の到来です。秋は日本語の季語が似合う時節ですね、日本語を大事にしたいものです。お元気にてエンジョイライフ、をお過ごしください。楽しく読ませていただきました。有難う御座いました。

C 知人・成人病で倒れて10年間プールでの歩行⇒回復。頑張り屋

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私は群馬県には、仕事で高崎市に行ったことはありますが、観光で訪れたことはなく、
今回の旅行記を読んでもピンとこずに戸惑いました。

でも、2台のパソコンを使っているので一台は旅行記、もう一台はヤフーの地図で、並行して読んでいくと、ほぼルートが解明できよくわかりました。地図を拡大すればダム湖もホテルもロープウェイも避難小屋もビードロパークまで見つけることができ、楽しめました。

以前ほどではないにしても、まだまだ活力がありますね。

10社相見積もりとは恐れ入りました。

建築土木の世界は医師と同じピンキリの世界。一見の客の特注工事には標準価格がない。最強の手段は相見積もり。

私の友人・知人の数名は藪医者の外科手術で切り殺された。私は医師は単なる職人と見なし経験・実績を聞く。個人医院の医師が怪しげな解答をする場合は即お断り。場合によっては診察料金も払わず『文句があるならば、裁判で解決したいから訴えなさい』と言って帰る。裁判所で尋問したいのに、訴えられたためしがない。

医療には属人性が強い。病院の知名度は二の次。スーパードクターを探す努力は惜しまない。


D 大学後輩・医・保険会社の勤務医・未だお会いしたこともない方。

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ご無沙汰しています。土肥温泉・猿ヶ京温泉と拝読させていただき、これだけの行動力にはいつもながら頭がさがります。

● 土肥温泉について

当地は小生東京勤務時に3回程(1回は社内旅行?)の記憶ありますが、何としても羨ましかったのはお一人100匹ですか??

小生は、川・海でも孫と釣りに行くのが夢ですが・・・・・・(勿論釣れるところで)・・・・思いました。

81歳77歳のお二人には勇気をいただきました。いかにもお元気のご様子で。

● 猿ヶ京温泉について

群馬の草津温泉には一度行きたいと(大昔、群馬銀行東京事務所長の方の実家がホテル経営をされ、退職後お誘いを受け・・)思いながら実現できていません。今回当地の名前を初めて知り、貴先輩の「山紫水明の地」・・・・・というお言葉ですので群馬への機会あれば当地に行きたい(早く行かないと、死神に追いつかれますよ)と思います。

今回はN様が無事帰還されたことにつきますね。本当に貴殿はじめT様のご心労をお察しします。小生もは中学時代を中心に恩師がリーダーで多くの(遭難一歩手前の・・・)経験をしました。よかったですね。

貴先輩が無理をせず自己体力を見極め(9/24に9/14のがん検診の結果の告知。5/6からの断酒決行⇒画期的な成果⇒肝機能もコレストロールも正常値に復帰)自重されながら行動されておられることに敬意を表します。

小生6月から7月はアメリカから帰国の孫の子守 (東京・千葉・箱根・・・856q) 9月は、妻の生花教室・孫の盆踊り(東京・千葉・浜名湖・・・・765q)と車と付き合っています。来月石川県粟津温泉(私は来春の新年会に温泉仲間と出掛ける予定)連泊半額クーポン購入して予定しています。

息子からは「親父よ。年を考えて車はやめよ」との忠告がありますが、まだまだ車と付き合える自信あり頑張るつもりです。

小生は第二東名を走りたい気持ちですが、妻は海寄りの東名希望。少しだけ第二東名を走りました。確かに第二東名の方が走りやすいようです・・・・・。

楽しい仲間の皆様があっての先輩ですね。小生に最初に貴先輩を紹介いただいたNTTの斎藤様は6月副社長ご就任(祝。ご昇格)で益々ご活躍のようです。先日昼食時に石松様の「エネルギー」に感服と言っておられました。      

次回もまた楽しい旅(99ヶ国目・スリランカに11/15-22出掛けます)を祈っています。

D 大学後輩・経・銀行OB

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