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温泉旅行平成24年

その7・伊豆長岡(平成24年12月20日脱稿)

       60歳で定年退職。余生最大のテーマは国内外旅行だった。死ぬ準備の一環として平成23年末に完成した総重量15トンの我が墓の墓誌には、自作の戒名『世界百余国漫遊大居士』を早々と彫りこんだ。しかし、今年で既に99ヶ国まで辿り着いた私には、先回りした戒名に辿り着いたのも同然だ。
   
   未訪問国で今後出かけたいと思っている国は少なくなった。百余国の最小値は101ヶ国。去る11/15-22に南アジアの仏教国スリランカまでは往路(成田⇒コロンボ直行便)に10時間も要した。エコノミークラスの狭い椅子に座り続けたためか軽い腰痛が発生。少しは自由度がある車の座席よりも肉体的な打撃が大きい。さりとて、ビジネスクラスを利用する気も起きない。体力面からは海外旅行の限界距離(10,000Km)に近づいたと認識すると、何故か急に気合も抜けてきた。
   
   今後は国内旅行(自動車での限界距離は500Km)に軸足を移すべく、旅仲間に声を掛けやすい手ごろな観光地とホテルや旅館探しが我が日課になってきた。世はまさにインターネット時代。自宅に居ながらにして、膨大な情報が入手できるのだ。その上、各旅行業者からは無料の月刊雑誌が送られてくる。
   
   当初は『トクー』という会社の情報を活用していたが、候補地に偏りがあるだけではなく、紹介する旅館やホテルの数が少ない。そんな折に居抜きで急成長してきた『大江戸温泉物語』を発見。ここの傘下だけでも限界距離内に15箇所もある。
   
   今回の『伊豆長岡さかなや本陣』はトクー経由だが、来春予定している『芦原温泉あわら』は大江戸温泉物語傘下の95室もある観光ホテルだ。バイキングの夕食に回転寿司があるのも初体験だが、翌日の昼間は付属の劇場で大衆演劇が無料で楽しめるのも珍しい。
   


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はじめに

      温泉旅行では山岳地帯の本格的な温泉だけではなく、海鮮料理を売りにしている海岸の民宿にも何度か出掛けた。その折に、何時も疑問に思っていたのは山裾の崖下に居を構えた限界集落の存在だった。一方、天然の良港に恵まれている漁村はリアス式海岸に代表されるように、山裾から海岸までの僅かなスペースに密集している限界集落が多い。
   
   当初はその住民の多くは、本人が好んで選んだ場所ではなく、遺産相続で安く引き継いだ屋敷だから住み付いているのだろうと推定していた。しかし、それだけでは腑に落ちないものを感じ始めた。全国至る所に類似の限界集落を見かけるからだ。
   
   何故好き好んで山崩れや地滑りの危険性を孕(はら)んでいる上に、日当たりも悪く、子弟の教育にも不便な山岳地帯にも人は住むのだろうか? 狭くて車も通れないような道路しか無い上に、津波に襲われる危険すらある海岸地帯にも、何故人が住んでいるのだろうかと不思議に感じてきた。私だったら生活に便利な環境にさっさと引っ越すのに、という考えから発する疑問だ。
   
   今回の伊豆長岡は伊豆半島の中心部の温泉街だ。ご他聞に漏れずここも、生活には不便な場所だ。大型のショッピングセンターも見かけないし・・・。こんなところは更地に戻して元の住民、つまりは野生の動物に返却すればよいのに・・・。その上、住民が便利な場所に引っ越せば三方丸得⇒インフラなどの公共投資も不要となり、住民や行政だけではなく、野生の動物すら助かるのに・・・。
   
   あちこちで類似の光景に数知れないほど出逢うと、量は質に変化するのか、ある日突然その存在理由らしきものに気づいた。我が見解は『おわりに』に纏めた。 

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東名SA

      第2東名が部分開通(平成24年4月24日)した直後の5月28日に、東名1の売り上げを誇っていた近鉄直営の浜名湖SA(上下の合計が年商50億円!)に立ち寄ったとき、その余りにも閑散としていた御土産屋やレストランに驚いた。しかし、その後の変化を見届けるべく今回(12月3日)半年振りに立ち寄って見たら、客足は程々に戻っていた。従業員に聞くと、交通量は第2東名とほぼ半々になっているのだそうだ。

   交通量が二分された結果、渋滞は激減し大変運転し易くなった。客観的に見れば今が正常だ。駐車場にも空きが多く出入りも楽。御土産屋のレジの行列も短くなり、買い物もし易くなった。目出度しめでたし。第2東名は津波の心配もない山裾に作られた。とは言え、海が見えず景観美を欠き観光道路としての価値に乏しいのが玉に瑕・・・。

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沼津

       沼津の魚市場は一つの大きな建物内にあるのではなく、あちこちに分散。全貌が掴み難い。宿泊日の15:00(受付)から夕食までの間の酒宴用の摘み探しに立ち寄った。

   マグロの頭の兜煮を購入。大型マグロの兜煮は大鍋で長時間煮るとか。家庭で作るのは無理。でも食べたかった。旅館に着くや持ち込んだ兜煮を『手間賃は支払うから』と言って暖めるようにとお願いした。『手間賃など不用です』と即答してくれただけではない。取り皿と割り箸も用意してくれた。

   沼津の卸市場は概ね10:00に営業終了。漁港に隣接しているのに小売の主力製品は干物。仲間も私も干物にはイマイチ。御土産は帰路立ち寄る焼津の魚市場でのマグロに期待。

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本陣

   正規料金の半額以下でトクーから売り出されていたクーポンを今回は7,500円で購入。居抜き業者が買収した歴史ある観光ホテル『さかなや別館・本陣』だ。伊豆半島は温泉と景観を兼ねた巨大な観光地。観光ホテルが林立したがバブル崩壊後に倒産した業者も多い。でも、長い歴史に魅力が残っていたのか本陣は救済された。
  
   しかし、経営は厳しそうだ。大浴場の蛍光灯が1個、寿命が尽きたままチカチカと点滅。内装材は模様を印刷した紙を主力にした安物。仲居は産卵期がとっくの昔に過ぎたお婆さんばかり。従業員が限りなく少ない。我が家ですら見かけない古色蒼然とした古畳にがっくり。誰が思いついたのか『女房と畳は新しいほど・・・』。
  
   翌日の精算ではカードを拒否。カード会社に支払う手数料が高すぎるらしい。我がJCBゴールドカードによる年間支払額は高々100万円なのに。平成25年4月11日出発のメキシコ旅行も、カードによる支払いを阪急交通社から拒否されたばかりだ。何がカード社会だ!

   今回、クーポンの販売期限が切れた後に温泉仲間の一人から、割高になってもよいから忘年会に参加したいとの要望を受けた。過去の我が価格交渉の多くは50%引きの半額、25%引き程度で妥協している。今回は強く粘った結果クーポンと同額で決着。

   12月は忘年会シーズン。スリランカからの帰国後、11月下旬に予約日を交渉したら連日満員。自称幹事の私は困り果てた。料金先払いのクーポンは有効期限内に使わないと無効になるのだ。女将は団体客の予約部屋を圧縮(2人部屋に3人泊めるとか?)したのか、20畳の大部屋を何とか確保してくれた。3部屋の予定から一室に6人が押し込められる結果となったが我慢。しかし、実は私には快適だった。
   
   受験時代の10代でも足温器が欠かせなかった超寒がり屋の私は、加齢と共に耐寒体力は更に落ちた。かつて移動中の車内温度を30度にしたら、全仲間が暑い!と苦情連発。以後私は仲間の快適温度25度に合わせるべく真冬の防寒態勢で乗車。

   今回の20畳は6畳と14畳に襖で分割できた。私は6畳部屋のエアコンを30度に設定し、敷布団も掛け布団も2枚(仲間は各1枚)。丹前も脱がずに快眠。仲居に毛布も所望したが、用意していないのだそうだ。

   本陣の大浴場には『洞窟風呂』が隣接。岩壁に素掘りの跡がくっきり。大分県中津市本耶馬渓町の
『青の洞門』の壁面にそっくり。江戸時代以前の作業だろうか?

山国川のほとりの競秀峰の裾に掘られた青の洞門。今は車が通るトンネルになっているが、昔の素掘りのトンネルも一部残っている。

菊池寛の小説「恩讐の彼方に」でよく知られる話が残っている。その話は、人を殺めてしまった償いに難所であったこの地にトンネルを掘ろうと決意した禅海が、ノミとツチだけで30年かけて完成させたと言う話である。

ここまでは、なかなか良い話であるが、その後、禅海さんはこのトンネルを有料
(日本最初の有料道路)にして、その“あがり”で優雅に暮らしたという。この話はいただけない。それも住み込みの女中と共に暮らしていたという話が残っている。


住み込の女中? 2部屋くらいしかない小さな家で坊主が同じ屋根の下に女性と? これは常識的に考えて愛人と思われてもしかたないことである。

だいたい、このトンネルを掘るのに後半は村人も手伝ったという事なので、タダにしろタダに! 禅海に対する私の評価は・・「おヌシなかなかの悪じゃの〜」と思うのである。なお、近くの羅漢寺の入口近くに禅海和尚を奉った禅海堂があり、この青の洞門を掘ったときに使用したノミやツチが置いてある。





   夕食には小さいながらも1人一匹出された伊勢海老の刺身に満足。何時ものことながら胃がん手術で胃が1/3になった私には、料理人の好意を気にしながらも摘み食いに終始。

   伊勢志摩各地の旅館の場合、夕食に伊勢海老の刺身が出されたときには、翌日の朝食には伊勢海老の殻を入れて出汁を採った味噌汁を出す習慣がある。『武士は食わねど、高楊枝』の気風が未だに残っているといわれる関東周辺では、伊勢海老の残骸で出汁を採るような貧乏くさい習慣はないと推定していた。

   所が、今回の本陣では伊勢志摩と同じ味噌汁が出されたのは想定外だった。花より団子主義に生きている私は、誰が食べた伊勢海老か解らなくても、その殻を使った味噌汁は鰹節・昆布・椎茸の出汁入りよりも大好きだ。

   夕食は大部屋の食堂。衝立でグループを分けていただけ。隣は17名の老人グループ。彼らが一列になって入室したときの姿勢に驚いた。蟷螂(かまきり)のように頭を垂れ、背中を丸めてとぼとぼと歩いていたからだ。隣のグループでは3〜4個の話題が同時進行。あるグループがやや大きな声でしゃべり始めると、その隣のグループが更に声を大きくして会話。この連鎖反応の結果、全員が大声で談笑する結果となった。

   我がグループの、小声での会話は継続不可能に陥った。私は意を決し隣に殴り込みをかけた。『貴方達は何様の積もりですか! 周囲の者には迷惑千万。もっと声を小さく出来ないのですか。日本人としての品格を欠く典型例ではありませんか!』と、大音声。『・・・』。


 
  翌朝、チェックアウトの時に17名グループの幹事と鉢合わせ。『歳を取ると耳が遠くなって・・・』。受付に広げてあった申し込み一覧表を見たら、東北大学の卒業50周年記念同窓会の一行だった。『私も卒業50周年。加齢と共に同窓会の懇親会は、だんだんと出席率が落ちますね』などと雑談。帰途はそれぞれ三々五々歩いて駅へと向かっていたから、全国から集まったクラス会と推定。

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遺影

   本陣の玄関の庭木は美しかった。死ぬ準備に関心が移り始めた我が仲間は揃って遺影撮影。幸い仲間の一人はカメラが最大の趣味。あちこちの展覧会では賞を取るほどの腕前。カメラ仲間とは毎月1回撮影旅行。日の出、日の入りが撮影のベストタイミングとかで、変則旅行だ。氏にあれこれ笑い方の指導を受けながら・・・。



   81歳。天然の歯は6本。8020など夢幻のかなた? 私は未だ一本も抜歯していないのに。

 
     1999年に行われた第八回歯科疾患実態調査によると、80歳での残存歯数は約8本、20本以上の残存歯を持つ者は約15%となっている。2005年に行われた第九回歯科疾患実態調査においては、80歳での残存歯数は約10本、80〜84歳で20本以上の残存歯を持つ者は21.1%。前回調査に比べて大幅に増加した。口腔衛生への関心の高まりを反映し、残存歯数、20本以上の残存歯を持つ者の割合共に増加してきてはいるが、まだ不十分な状態が続いている。

   何時も余生は後5年と思って生きている超元気翁。にこやかな表情の裏に幸せな人生が伺える。私は何度挑戦してもゴルフでは今なお勝てない。超勉強家⇒各部屋の壁面には本箱。床が抜け落ちると心配される奥様からは、本を廃棄するようにとのお小言⇒でも、廃棄する気持ちにはなれないらしい。私は『博学聖人』と呼んでいる。

   昨年、元気な奥様がゴルフ場で転び不幸にして右肘を骨折⇒爾来半年間、奥様の指示で重い食料品を買い求めては調理。毎日の主婦業の辛さを体験⇒男寡に万一なったときに備えて宅配夕食(ワタミとか・・)の体験をしたいとか。

本人の言葉⇒伊豆長岡旅行では、大変お世話になりました 楽しい旅行でした。早速きれいな写真を送っていただきありがとうございます。感心しています。



   78歳。我が友人・知人の中で唯一身長が縮まない方⇒普通の男は加齢と共に椎間板が圧縮されて1%(2cm)以上も身長が低くなるのに! 私は4歳も年上の高齢者に身長でもう直ぐ追い抜かれそうだ。毎日の健康体操で高い骨密度を維持。平日と土曜日は常に外出。日曜日は時々在宅。とても氏の生き方を私は真似できない。
   
   氏は半世紀以上もの昔から囲碁にも没頭され、三河地方の代表的な素人仲間の囲碁名人。私は『囲碁聖人』と呼んでいる。

その1

本人の言葉⇒さすがは戸軽プロの写真、いずれも素晴らしい出来栄え! 特に個人別の葬式用の写真を有難うございました。

急な旅立ちに家族が遺影を探すのに苦労をしたという話を聞いたことがあります。私も写真屋で撮っておこうと思いながら延び延びになっていたので助かりました。

ところで、撮影時に「表情が硬い!もっと笑え!まだ足りない!」とご指導を受け、そのうちに顔がこわばってきて自分は俳優に向かないなと悟りました。

その2

私はテニスでオーバーヘッドサーブやスマッシュが出来なくて悩んでいました。肘が頭の上に上げにくく、それは肩甲骨の関節が固いからだと思っています。今日(12/8)の朝日に高齢者の柔軟体操が紹介されていました。(添付)

柔軟体操のNo.3 をトライしたら肩甲骨がゴキゴキ・・・。効果がありそうです。そのうちオーバーヘッドサーブをご披露します。朝日を購読されていない人がいるのでご参考までに。



   72歳。ゴルフもテニスも上手すぎる。露天風呂に一緒に入ったとき、何故か体毛もない滑々とした表皮の美しさに驚愕⇒先祖は南方系? 50歳代のときに腰痛が発生しゴルフも断念。でも、出向先の会社の帰途、温水プールで歩行リハビリ。10年もかけて遂に腰痛を治した頑張り屋。

   本物のクリスチャン。現役時代には毎年50万円も教会に寄進していたとか。表情には隠しきれない本物の幸せが溢れている。安上がりな葬儀が目的で、死ぬ直前に洗礼を受けて形式的にキリスト教徒になるだけの不埒者もいるが、そんな輩とは大違いなのだ。

   仲間との温泉旅行時にはインターネットで情報検索し、プロも顔負けの魅力溢れる観光旅行計画作りをしていただける方。私は『旅聖人』と呼んでいる。


本人の言葉⇒流石セミプロ写真家戸軽さんですね。
補正をかけておられるので実物よりいい男に写っています。

本人の希望により遺影は削除しました。

   70歳。スポーツ万能。学生時代には全国大学柔道大会に東海地方の代表としても参加。テニスでは知恵力(馬鹿力に非ず)を発揮。カラオケの達人。芸名は藤ゆたか⇒藤は氏名の中にある漢字、ゆたかはトヨタの漢字(豊)の訓読み。五木ひろしに心酔。15万円もかかった白い舞台衣装も五木と同じ白色。

   自宅には防音カラオケ練習室。地域のカラオケ大会(参加者100〜200人・一日がかり・参加料8,000〜1万円)では聴衆の多い午後3時頃の指定席。カラオケ同好会でカラオケの練習、サキソホーンはヤマハミュージックで個人レッスン。故村田秀雄のような太い喉や分厚い唇、大きな口から流れ出る声量豊かな歌声が連想される。私は『カラオケ聖人』と呼んでいる。

   統計によれば頭のよい親から生まれた子供の8割は親より頭が悪く、逆に頭の悪い親から生まれた子供の8割は親よりも頭がよいそうだ。『売り家と唐様で書く三代目』とは、真実なのだ。でも氏の家族の場合は例外の2割。親子ともども頭脳明晰な幸せ一家。


本人の言葉⇒写真ありがとうございました。先輩のお話とおいしい酒とマグロの兜煮も食べられて良かったです。




   68歳。女性週刊誌は本屋で立ち読み。芸能界やスポーツ選手の動向には特に詳しく、夫婦の会話が今なお濃密な雰囲気。甘いお菓子が大好き⇒痩せられないと嘆く⇒加齢と共に発生するはずの皺の代わりに臀部が肥大化。

   それなのに、テニスの時には猛獣のように素早く動ける運動能力には一目。ミイラ取りがミイラになるように、カメラ名人でもご自分が被写体になる機会が少ないのか、日頃の笑顔がイマイチ現れていないようだ。私は『カメラ聖人』と呼んでいる。




   可笑しくもないのに無理やり笑え、と言われた我が作り笑い⇒埴輪そっくりの仮面のような表情には心が抜け落ちている。

   あるとき偶々出逢った80歳代の住職の発言⇒引退しているのに坊主不足の折には葬儀業者から時々駆り出される。恨み骨髄に達したかのような仏の顔が多く、経を挙げるのが辛い。生きているうちに作り笑いでよいから笑顔作りの練習をして欲しい、と嘆いた。
   
   死者の顔の分析は住職の勘違い。老衰で大往生した死者は大変少ない。多くはがん・肺炎・自殺・事故死・呼吸不全・・・。これらは死の直前まで苦しむそうだ。私は死に際に立ち会った体験は一度もないが・・・。
   
   芸能人特に女性には、巨費を投じて整形したアーチ状の真っ白な歯列を強調したいためか、テレビカメラを向けられるとカバみたいに大口を開けて無理やり笑顔を作る傾向が見られる。しゃべっていないときにも口を開けるのが習慣化している女優も多い。

   あんな馬鹿面の真似は出来ないと思っている私は、心からの笑顔と勘違いされるような表現力を身につけるのが、今後の大いなる課題だ。

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源氏山




      緑溢れる丘全体が公園になっており、頂上と温泉街を結ぶいくつもの散策路がある。各登り口から山頂までは徒歩で約20分。散歩には最適である。
   
   本陣から歩いて行ける距離に高度差100m程度の山があった。手ごろなハイキング兼観光コースだった。でも、私には去る平成24年11月17日に登ったスリランカの高さ200mのシーギリアの岩山(垂直な岸壁に作られた1,200段の階段・山頂の宮殿跡は世界遺産)ほどではなかったが、仲間に就いて行くのがやっと。
   
   当日は小雨模様。山頂には弥生時代の吉野ヶ里遺跡のような櫓があり、展望台と称していた。眼下には庭もないマッチ箱のような住宅が密集していた。農林業に適した土地も殆どない山奥に住んでいる人たちの職業が思いつかなかった。郊外の単なる住宅地なのだろうか?

 
     吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)とは、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に、およそ50ヘクタールにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡である。

      1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見され、現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっている。物見やぐらや二重の環濠など防御的な性格が強く日本の城郭の始まりとも言えるもので、2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(88番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。




   
      展望台の下には真っ赤に紅葉したドウダンツツジ。微雨にも拘らず紅葉は美しかった。太陽が直接当たれば、楓の紅葉よりも美しいのではないかと・・・。私は寒季には何時も牛皮のジャンパーを着ている。欧州や中東では今でも皮ジャンが主流だが、日本では今や少数派に転落。

   ユニクロの軽くて温かい防寒具が花盛り。三葉虫や芋虫が立って歩くような姿が嫌いだったが、余りにも流行しているので、買う気になった⇒12/9遂に5,990円で購入した⇒試着したら愛用していたカシミヤのセーターよりも軽く、肩が凝らず超満足。

      ドウダンツツジ(灯台躑躅、満天星、学名Enkianthus perulatus)は、ツツジ科ドウダンツツジ属の植物。"ドウダン"は、枝分かれしている様子が昔夜間の明かりに用いた灯台(結び灯台)の脚部と似通っており、その"トウダイ"から転じたもの、また、漢字表記の"満天星"の方は、中国名に由来する。

      落葉広葉樹。低木で、大きくても3m程。本州、四国、九州の温暖な岩山に生えるが、自生地は少ない。庭木や植え込みとしてはごく普通に植えられる。寒冷地でも耐えるが、関東以西の温暖な地に多く植えられる。花期は、葉が出てから約1週間後(4月上旬〜5月中旬頃、地方によって違う)。花序は散形花序である。

      花は、白色、釣り鐘のような感じで、5mm程の大きさ。葉は、菱形に近く、大きさは通常約2cm、大きなものは、約5cmになる。ツツジ科の特徴として根が浅いので、乾燥に弱い。新緑、花期、紅葉と、見時が多い。紅葉は寒冷な地で、10月中旬〜11月上旬頃、温暖な地で11月中旬から12月中旬頃であり、まっ赤に紅葉する。

    帰途には往路とは異なる道を選択。結局源氏山を一周することになった。そろそろ着くころかと思って通りの店の店員に聞くと、後3Km。ここは丁度中間点になるという。微雨模様だし、道は狭いのに車がひっきりなしに通る。面倒になって81歳の大先輩にタクシーで戻りませんかと誘った。

   宿には直ぐ着いた。ドライバーに聞くと1.5Kmの走行距離だったそうだ。たったの670円。残りの仲間も誘ったのに歩くという。途中コンビニで買った大根のおでんを本陣のロビーで食べたが、超満足。コンビニ戦争の成果はおでんの味覚にも現れている。

トヨタ先輩による補足

旅先ではその土地を歩いてみると本当の良さが判る。「さかなや別館本陣」のフロントで尋ねたら、源氏山公園を推薦してくれた。

急な坂道で「45度はあるよね」と仲間に話しかけたら、元スキー選手のKさんが「これくらいなら滑降出来るから30度もないよ!」さすがに説得力がある。頂上の展望台から伊豆長岡温泉全景が見渡せた。狩野川l流域の街並みは小雨の中でも絵のようだった。

帰途、二股の分かれ道で足の弱い I さんが居るからと往路と違うなだらかな道を選んだ。結果、道を間違え四角形の三辺を歩くことになった。タクシーに乗る人も出てご迷惑をかけた。

途中に大きな菓子屋があった。Nさんが「地元のおばさんが買いに入っているよ! 美味しいに違いないから入ろう」。ガラス窓越しに自動機械で大量生産している様子が見えた。「黒柳温泉まんじゅう」の専用ラインだ。

長岡温泉にはたくさんの温泉まんじゅうのお店が並んでいるけど、ここの温泉まんじゅうは別格。甘すぎず、いくつでも食べられるさっぱりとした味わい。ご主人曰く、あんは北海道産の小豆を1日かけて何度も何度も晒し、皮は醤油で軽く色付けして軽やかに仕上げるからだそうだ。甘さが苦手な人にもお勧めだ。

客は行列で数人待ち。前の客は10箱ほどまとめ買い。私は15個入り(¥800)を2箱。生産ラインのほうから親方みたいなおじさんが売り場を覗きに来た。「生産ラインに惚れこんで入ってきたよ!」と聞こえるように話したら、おじさんはニターと相を崩した。「日に1万個ほど売れますか?」 「土日はそれくらいですね」笑いが止まらぬようだ。

土産を買って帰ってもうちの奥さんは褒めてくれたことがない。「近くのスーパーのほうが安いよ!」といった具合に。黒柳温泉まんじゅうには「まあまあね!」と言いながら、長男一家用に買ってきたのも全部我が家で食べた。合格の証か。

道を間違えたために伊豆長岡温泉随一の名物まんじゅうを買えた。「塞翁が馬」というのでしょうか?




たまたま我が家の床の間に家内が書いた「塞翁が馬」の色紙が飾ってあったので添付します。

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焼津





水産地総合市場。官民一体の第三セクター。水産都市焼津が水産産地総合市場を一般開放。71店舗を併設(8,028m)。特産・物産コーナー、ファストフード。

   流石は日本有数の漁港に近い魚市場。観光バス25台、乗用車600台の大駐車場。総売り場面積2万坪クラス、年商1,000億円超の巨艦デパート(愛知県では松坂屋本店とJR名古屋高島屋のみ)のデパ地下(魚市場だけの比較)とは月と鼈(すっぽん)。旅聖人から与えられた時間は1時間。

   縦横に碁盤目状に整然と通路が張り巡らされているとは言うものの、壁が多く全貌が視野に入らない。店舗配置図を案内所で受け取らなかったのが失敗の原因。迷子になるほどだ。


   漁港に隣接しているのに最も多い食品は、タラバガニ・ズワイガニ・毛蟹など甲殻類の冷凍品。もちろんマグロもピンからキリまで豊富。場内を一巡して理解したことは、同業者が多数なので商品の単価のばらつきは大変小さく、どの店で買っても大同小異。

   正月用食材は配達日を12/31と指定して、何時も買っている北海道の蟹屋に荊妻が指定したタラバ・ウニ・イクラ・甘海老・ホタテ・ホッケなど4.1Kgを発注済。更に、シャブシャブ用に殻剥き済みのズワイガニを4Kg、12/1に別の業者に発注していたので他の商品を探した。

   結局、皮なし・骨なしの真空包装された半身の刺身用鮭・生食用の剥き牡蠣・刺身用のホタテの貝柱、合計3Kgだけを購入。残念ながら最近、マグロの刺身に何故か飽きてきた。仲間は夫々大量の買い物で超満足したようだ。

   私は孫達が喜びそうな見栄えのする御節料理も偶には松坂屋から取り寄せたいのに、荊妻は価値の乏しい品目も同梱されていると主張して買う気がない。一方、人気度日本一の新潟県の『久保田』よりも、愛知県下では人気が高い関谷酒造の
『空(くう)』も楽天市場から調達済み。かくして我が迎春準備もつつがなく完了。

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おわりに

   平成10年9月1日、60歳でトヨタを定年退職。末子の長男も長女と次女に続いて同年4月1日にトヨタに就職。育児義務もつつがなく完了。元気な余生は後20年と推定し、現役時代に遣り残していた課題を楽しみたくて再就職はしなかった。とは言え、ささやかな国内外旅行・スポーツ(ゴルフとテニス)・家庭菜園程度に過ぎないが・・・。

   しかし、順調だったのは最初の4年間だけ。平成14年11月28日の定期健診で胃がんが発見され、引き続き行った詳細な検査で食道がんも発見。余生の計画は突然頓挫。以後今日までの10年間は5回に及ぶがん治療に伴う入院も含む闘病生活。その間にペースは落ちたとは言うものの、初心のテーマは細々とは言え継続。定年時には40ヶ国に満たなかった海外訪問国も99ヶ国にまで到達。

   尋ねた国で出逢った人に『この広い地球上のどこに住むのが一番幸せと感じますか?』との我が質問に、どこの国の人も口を揃えたかのように『生まれ育ったこの国、この場所ですよ』との答えばかりだった。

   ある沙漠地帯のお爺さんは『沙漠ほど快適な場所はない。空気は澄み星空が綺麗だ。壁に取り囲まれた家は牢獄のようだ』。世界の最貧国の人すら同じ答えを出すのが不思議だった。ベドウィンなど遊牧の民は政府の定住化政策に従いつつも、折り畳み式の移動住宅は捨てられないそうだ。

   今年その謎が私なりに突然解けたような気がしてきた。インターネットで調べると、私が偶々認識していなかっただけと解ったが・・・。

母語

        ある人が最もうまく使いこなせる言語を「第一言語」と呼ぶ。ただし、その言語がその人の唯一の母語であるとは限らない。幼少期に複数の言語を身につけることによって母語が複数になることもあるが、完全なバイリンガル(マルチリンガル)は極めて稀で、大抵は複数の母語のうちの一つだけが第一言語となる。

      また、日常生活で母語以外の言語をもっぱら使用することによって、母語以外の言語が第一言語となる場合もあり、多くの場合、その人が受けた学校教育の教授言語が第一言語になる。


   人は誰でも生まれて僅か1〜2年で母語の基本を習得している。文法を学んだわけでもないのに意識化にもない文法も自然に身につけている。この学習能力は驚異的だ。この種の能力は言語の習得にのみ限られるとは、私には思えなくなった。

   54年前、ドイツ語を学び始めたとき、当時最も有名だった木村・相良独和辞典の編集委員の一名でもあった恩師の言葉を思い出す。長い間、ドイツ語を教えていた結果気づいたことがある。『同じ努力をしても、語学には得意な学生と不得意な学生がいる。ドイツ語は残念ながら今後、重要な言語になるとは思えない。不得意な者は単位さえ取れれば十分』。

   言語習得能力は10代になれば個人差があるとは言え、加齢と共に急速に衰えるようだ。バイリンガルとは小学校入学以前に身につけた人だけに現れる現象のようだ。いわんや学校教育で学んだ2個目の言語はどんなに頑張っても、最初に身につけた母語を上回るほどには上手くはならないらしい。第2外国語としての日本語が得意な外国人との出会いは数え切れないが、私を超えるほどの流暢な日本語が話せる人には会ったことがない。
   
   赤ん坊には、生後間もなくすれば視力が現れる。このとき、視野に入り込んだ生活環境は言語と同じように無意識下で脳裏に、人生の原風景として刻み込まれるのではないか。この刻み込まれた原風景の中で生きることこそ、大人になっても最も快適な環境に感じられるのではないかと、思えるようになった。

   お袋の味という言葉も同じ性格を現しているように私には感じられる。本人の意識下にはなくても、幼少時に体験した食べ物こそ、大人になっても最も懐かしく美味しく感じられる料理なのではないか。脳の発育期に蓄積した体験こそが、それぞれの人生において快適に感じられる基本なのではないか。このようなテーマは無数にあると私には感じられてきた。

   海外各国の人々が美味しそうにその国の郷土料理を食べている姿を見るたびに、その思いを強く感じた。先月のスリランカ旅行でも、数え切れないほど種類が豊富なバイキング式カレーを、私は体重減を恐れる余り必死になって食べたがほんの僅かな量だった。スリランカ人が指先を巧妙に使いながら美味しそうに食べる姿に接すると、不思議に思えてならなかった。


原体験
   
   インターネットで原体験とは何かを検索したら『記憶の底にいつまでも残り、その人が何らかの形でこだわり続けることになる幼少期の体験』なのだそうだ。
   
   地球上のどの地域で生を受けても、人は生まれた場所で生き延びることにこそ、最も幸せと感じていたのだ。私がその事実に気づくのが遅かっただけだ。海外旅行には飽きても国内旅行には飽きが来ない理由も納得できた。私には温泉・懐石料理・刺身・握り寿司・おでんなどには飽きが来ないからだ。
  

国内旅行

   海外旅行にも飽きてきて、平成22年からは一部方針転換。気の合った仲間を国内温泉旅行に誘い、平成22年は10回、平成23年は6回、平成24年の今年は7回(伊東・佐津・土肥・猿ヶ京・蓼科・伊勢志摩・伊豆長岡)を数えた。回数を重ねるごとに仲間の意見も概ね収束してきた。

   頻度は2ヶ月に1回。候補地は車で無理なく一泊旅行が出来る500Km圏内。同じ場所でも構わない。無駄話を交わすとストレスも解消され、気分転換にも役立てば十分なのだ。車での相乗りは行動に自由が利くだけではなく、交通費の実費は意外に安くつく。
   
   総旅費は一泊二食の温泉旅行では15,000円程度。年間高々10万円。細々と生きている年金生活者である私にだって、何らの負担にも感じないレベルで済むのだ。来年からも体力の許す限り、我が生き甲斐のひとつとして仲間を誘い続けたい・・・。


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読後感

母語・原体験は同感です。

小生、石松様と同じ福岡県生まれです。30代〜40代の10年間、関西にも住みましたが、やはり九州が良く、現在、便利な福岡市に住んでおります。

関西、名古屋、首都圏の人達から見れば田舎ですが、常々、これ以上住みやすい都市はないと感じ、満足しております。

海外旅行の訪問国数は未だ一桁で、諸先輩方とは桁違いですが、行く度に、母国が一番と感じております。

@ 大学後輩・医・勤務医・お会いしたことも無い方

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伊豆長岡読後感(第一部)

1220日午後、関空から北京空港到着。例によって北京空港混雑のために、関空離陸は30分遅れ。昔は、国際線では到着空港の上空で旋回していたものだが、今は北京空港の管制塔の許可がないと成田や関空から離陸できない。日本の地方空港でよく羽田空港混雑のために出発遅れというのがあるが、今や同様の状況になった。 

北京空港は北京五輪で第三ターミナルができ、空港アクセスもモノレールと第二高速道路が追加されたが滑走路は増えていないようだ。北京第二空港は2017年秋開港(最終的には滑走路9本だそうだ)、2017年までのつなぎに軍用飛行場(北京南苑空港)も一時民間用にも兼用するといわれているがよく知らない。

さて今回も読後感の矢の催促、暇を持て余している余生老人と74歳でも現役の国際人で猫の手も借りたい当方では波長がかみ合わない。年金生活者というと聞こえがいいが要するに「無職者」だ。

そもそも読後感がなぜ必要なのかわからない。旅行記を書くことも必要ないのではないか?突き詰めれば旅行にも行く必要もないだろうし、根本的には生きている必要ないのではないか?「即コロリ」で年金財政負担を軽くするのが、最後のご奉公だ。

しかも、今回は遺影撮影旅行だ。遺影にも賞味期限があるだろう。90代の葬儀に、70代の写真というのもふさわしくない。旅券写真同様、過去6か月以内とか遺影写真にも鮮度を要求すべきだ。

でもそろって遺影写真をインターネットで公開するなんてどうかと最初は思った。各自の奥様はご主人が遺影をインターネットで公開していることは知らないだろう。どうせ公開するなら偕老同穴で、御夫人方の遺影写真も並列掲載したらどうか?

ところで全日空機の中で、遺影写真を繰り返し見ていたが、最初は「バカ丸出し」だと思った。トヨタの高級技術者OB御一行様と聞いていたから、予断ではインテリだと先入観を持っていたが、よく見ると、どう考えても「バカ丸出し」。ずばりいえば「アホづらシリーズ」に見えた。

しかし、撮影者の腕は非凡だ。さらに時間をかけて見ていると、ずばり故人の写真に見えるね。もうこの世の人ではない。仏様の写真だ。葬儀場の祭壇に飾られた写真に見えるね。現場臨場感がある。白菊に囲まれた写真を連想する。
 

人物写真は、微弱な電磁波(?)を発しており、それを分析することによって病気が診断できる。私は何度か分析の名手に(京都の青木氏?)世話になったが、私の病名のどんぴしゃり判定には本当に驚いたものだ。 

それで、ウィーンの国連勤務中に急死した元嫁の病名を写真から診断できないかとその名手に聞いたら、「人間が死ぬと写真も死ぬ」、「死者の写真は電磁波を発しない」ので病気は診断できないといわれた。

この遺影写真をみてそう思った。もう生命の証である電磁波(オーラ?生気?)を発していない。撮影の名手は流石だ。生きた人間から死者の写真を作った。これぞ神業だ。しかし、遺影写真を早々と作った「たたり」はあると思うね。予備写真の積りが、間も無く写真が役立つときが来るかも知れない。これが「予測の自己実現性」だ。南無阿弥陀仏。チーン。 

例によって、地理に弱い石松旅行記、地図も、行程表もない。

第一行の「余生」という単語でまず引っかかった。60歳時点で旅行が最大のテーマとは?

国語辞書で「余生」を引いたが大した説明は出てこない。パソコン搭載英和辞書「英辞郎」の逆引きで「余生」を調べると、いろいろ含蓄のある英文が出て来るね。でも長くなるのでここでは省略する。 

石松人生マイナス余生イコール何?もし右辺がゼロに近いとすると、余生を右辺に移項して石松人生=余生。そういうことはないだろうが、全知全霊を固めた旅行記シリーズだね。 

しかし、15トンの墓地の戒名については、今からでもお寺と仲直りして改訂すべきだ。石屋は文字の訂正など簡単にできる。現行戒名でも10字。これはOK。11字のフルハウスは大名格だから豊田家以外は使えない。トヨタ家臣は1字減らして10字が上限だ。 

しかし、石松氏自製無料戒名(いわば偽札)とはいえ、「大居士」とはちょっと厚かましい。奥様は「清大姉」となる。当家と同格だ。それはないでしょ。先日郵送した当家先代の葬儀のDVD見たでしょ。大居士の葬儀は格式・規模が大事、「棺を覆って人定まる」。お寺とケンカしたままという状態は修復した方がいいね。(続く)

伊豆長岡読後感二部

ところでどうして石松氏は海外旅行をビジネスクラスで行く気がしないのか分からない。石松氏余生最大の行事で、お金も余っているのに。やはり未体験の贅沢は居心地が悪いということだろう。 

私は東京⇒関西の移動は、JRジパング老人割引で「ひかり」乗車などはしない。「のぞみ」よりも安い「ひかり」は今や老人専用列車だ。名古屋以遠は各駅停車、いらいらするね。私は飛行機、それもJALのプラス1,000円のJシートだね。でもそこまで。国内線ファーストクラスにはまだ乗っていない。わずか水平飛行10分間に飲食自由でもね。8000円差額は高い。新幹線もバブルの頃はグリーン車から売り切れたそうだが。 

しかし海外出張は、70歳を過ぎればファーストクラスで行きたいね。ビジネスクラスのチンピラ会社員の仏頂面は見飽きた。最近はエコノミーで海外出張の会社が多く、ビジネスクラスの乗客はエリート客意識のようだ。 

祇園女性の書いた本に「昇る人、昇り切らずに終わる人」という本がある。昇る人の例示には本田宗一郎とか、祇園での気配り、金遣いがスマートだそうだ。私は「昇り切らずに終わる人」の典型だね。成層圏のはるか下の雲の下を水平飛行、「赤じゅうたん」も無縁だ。北朝鮮ロケットにはるか及ばない。 

芋を洗うようなJALANAの空港ビジネスラウンジでいつもそう思う。飲食メニューは同じだがファーストクラスラウンジは静かだ。私も「芋」仲間だ。でも慰め言葉は「下を見たらきりがない。籠に乗る人、かつぐ人、そのまた草鞋を作る人」。私の下にはJCBゴールドカードラウンジ愛用のトヨタOB氏がいる。 

大江戸温泉物語は知らなかった。私はホテル予約に直接申し込みか、一休経由。

限界集落問題には同感、土地は動物にお返しすべき、ただし集落の集約移転は費用が掛かるので、自然淘汰にまかせるべき。老人の生活の基盤(=収入&食糧)を破壊してはいけない。現住所なら野菜ぐらいは自給できる。時間がたてば老人は死ぬ。あわてることはない。 

漁港などの復旧は無駄。GDP1%の農山漁村に金を掛ける必要はない。第二東名に引き続き、第三東名も建設し、温暖で便利な太平洋岸に人口集中すべきだ。私は兜煮は嫌い。栄養はあるようだが、ほぐすのに手間が掛かる。今回も弱みに付け込んで只で作らせる。惻隠の情がないね。 

さていよいよ本陣到着、ケチケチムード旅館らしい。過日泊まった京都の宝ヶ池プリンスも素泊まり2泊(ツインに2人)で8万円だったが、ケチケチムードだったね。西武グループは地盤沈下のようだ。 

「本陣」を辞書で引くと上は勅使、下は旗本以上の宿舎。ちょっと名前が利用客にふさわしくないね。ぼろアパートをマンションというようなものだ。 

カードが使えないような安い商品を購入していて、怒るのはお門違い。カードでは代金回収も遅れ、手数料も取られる。同じゴールドカードでも、私はJALダイナース。年会費夫婦で5万円。石松氏愛用のJCBゴールドとは格が違う 

3ページ下段の強引な値切りがいやらしいね。石松億万長者が不況に苦しむ弱小業者をいじめる。パートの報酬は更に下がる。これからインフレが来るというのに。これは地獄だ。第二豊和寮ではおおらかだった石松氏が、晩年富豪になってこの強引根切りはどういう訳か? 

奥様の教育か?乾いたタオルを絞るというトヨタ精神か?もし後者だとすると問題だね。トヨタとしてもOBの品質管理も考える必要があるね。OBがいたずらに生き長らえて、過度に弱いものいじめを全国各地でやっている、これは不祥事だ。 

現役時代のしつけに問題があったといわざるを得ない。放置すれば、いずれ企業イメージに響く。驕れる者久しからず。第二のPSS(パナソニック、シャープ、ソニー)になりかねない。青の洞門は有名だが有料道路とは知らなかった。あとで調べる。今は多忙。 

ところで今回は夕食の写真が掲載されているが、これは朝食写真ではないか?夕食とするとやはり7,500円相当だね。昔の国民宿舎並みだ。本陣の料理ではない。小さい伊勢海老の出し殻を翌日使う。それも他人の伊勢海老。遺影撮影旅行なのにパッとしないね。そのスタイルだと葬儀屋も値切って、「地味葬」か?最近は「直葬」というのもあるらしい。儀式は火葬場での「釜前経」だけ。棺桶も燃えやすい材質(北京ではすでに段ボールだ)。 

遺影は本当に遺影に見える。ズバリ言えば死体写真だ。生きていない。立派な写真技術だ。 

源氏山は知らないが、詳細地図で丘陵を確認。伊豆長岡にも吉野ヶ里にも私は行ったことない。しかし、卑弥呼は奈良の纏向遺跡で確定のようだ。人生万事塞翁が馬、奥様の揮毫は初めて拝見、私にも一筆頂きたいね。 

大学におけるドイツ語の地盤沈下はすごいらしい。私のころは週3コマ、2年で12単位だったがそれでも旧制高校よりはるかに少ないと当時いわれていた。今は第二外国語は1年間で終わるらしい。 

母語、故郷についての認識は私も同じ、でも「故郷は遠きにありて思うもの」も真理、 

役所は年末年始休みに入るので、パキスタン出張準備を急いでいる。現地レンタカー(官給品)の準備その他。9か月分の英文作業計画書も事前提出、これから作成。私は後期高齢者は来年9月にパキスタンで迎える。 

読後感の納期を急げばこれで終わり。

A トヨタ同期・74歳・東大工&経・1年で依願退職⇒波乱万丈の人生⇒再々婚の奥様は北京美人・中国人の対日感情の根底にあるものは僻み・妬み⇒今尚平均的な中国人並みの掘っ立て小屋での乞食生活⇒読後感には中国人にそっくりの僻みや妬みが感じられてきた。

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はじめまして。

九大農学部昭和54年卒の大須賀といいます。漏水個所発見方法の記事をネットで探していましたら、石松さんのブログにたどり着きました。

水道業者さんとのやり取り見事です。なかなかあんなに納得いくまでやり取りできません。頑固おやじのようでわたしも見習いたいものです。

海外旅行に関し、世界地図のアフリカがまだ白い部分が多いようですね。ぜひアフリカをもっと攻めて下さい。私は、仕事で途上国の農業開発のお手伝いをしていますが、アフリカは約20カ国訪問しました。

税関とかではあまりいい思い出はありませんが、農民はだいたい皆人が良いです。

これからもお元気で、世界制覇に向かって御旅行続けて下さい。

水道の漏水は何度か体験。今春の厳寒では露天風呂とセントラルヒーティングの配管の破裂を体験。直近では台所の湯水混合栓の破損。水周りの配管寿命の短さにはがっかりしています。

私のアフリカ訪問は北アフリカ2ヶ国・西アフリカ8ヶ国・南部アフリカ11ヶ国です。後数ヶ国(チュニジア・リビア・アルジェリア・ケニア・エチオピア)などに出掛けたいと思いつつも、体力に不安を感じ始めました。

B 大学後輩・農・初めてメールを拝受した、お会いしたこともない方

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何時もは愚者の拙リポートに即刻、適切なコメントいただき感謝していました。貴リポートをいただく度に何か感想を述べねばと思っていましたが、今日が初めてです。申し訳ありません。

貴兄に比べて小生の知見があまりにも低いのが理由でしたが、本日は思い切って返信させていただきます。

1.健康

がんと闘う壮絶な闘病記は同病の人にはとても元気付けになる記録でしたでしょう。平成22年8月以来リポートが有りません。旅行記本年7月モロッコアラブの冒頭には若干述べられていますが、すっかり健康になられたものと察します。

2.随想

随想の中で数々の功績を論じられています。膨大な報告で充分消化出来ていませんが立派な人生を送ってこられました。

多くの後輩読者の道しるべになっていることと思います。今後も発表されることと思いますが、現役、後輩の為にご苦労されて来た歴史をもう少し書いて欲しいと思っています。

3.旅行記


楽しく読ませていただいています。概ね賛成出来ますが、特に最近の海外、国内の見解に賛成です。

1)世界100ヵ国目標。最後はスリランカでしょうか。

スリランカは99ヶ国目です。100ヶ国目は来春(4/13−20)のメキシコを想定しています。セントレア発着が魅力です。

良き体験をされましたね。誰にでも出来る事ではありません。公私いずれでも飛行時間10時間を超える旅は何度も経験しました。いまでは4時間が限界です。近くのシンガポールやタイ、ベトナム等まででも香港で宿泊経由にしています。

業務上欧米への必要もありますが、それほどまでして仕事もないだろうと避けています。エコノミーでは疲れるからビジネスならどうだろうか?次のリポートで若干報告する積りです。

2)鉄道旅行

飛行機に比べて鉄道旅行は疲れません。中国内鉄道旅行は7万kmを超えました。最近は目的地が無くなったのとなぜか意欲がなくなり遠くへは出掛けていません。

中国は新幹線タイプが普及しました。間もなく北京ー広州2,000km超える直通が開通します。日本でも同じですが新幹線には車中の楽しみが有りません。車内のローカル人と話したり、ホームに降りて外の空気を吸ったり駅弁を買うのが楽しみでした。

3年前ハノイからホーチンミン36時間の旅はベトナムの鉄道技術、ローカルベトナム人のふれあいを楽しむことが出来ました。

来年辺りアメリカ又はカナダ大陸横断鉄道をしたいと思っていますが、そこまでの飛行が苦痛だろうと躊躇しています。 

3)国内温泉旅行

インターネットでの宿探し参考になります。掛け流し温泉を探すのも賛成です。あまりにも偽温泉が多すぎますね。 

私は荊妻と年間10-20泊旅行しています。今年は北海道、白馬、信貴山の外、下呂、下諏訪はリピターです。

宿探しはインターネットですがホットシーズン直前、直後の週日に出掛けます。何回も確認したのですが、格安日でもシーズン中の週末と食事内容は同じだと思います。勤め人には無理ですが我々は時間が有るのですから宿が空いている時に旅するべきでしょう。

他には同窓会、同期会 昔の仕事仲間と年3,4回宿泊旅行があります。出来るだけ参加する様にしています。お陰さまで健康なので皆に元気付けの宴会要員です。大学同窓会には河合君も毎回出ています。

先日「飛鳥U」によるXmasクルーズに夫婦で参加しました。大阪ー九州間のフェリー「サンフラワー」はよく利用するのですが「飛鳥U」はドレスコード等あり若干窮屈でした。世界1周何百万コース等有りますが我々特に荊妻には向いていないと思いました。
 
車の話にします。社用車は香港社員はジャガー、ベンツで、小生は以前セルシオでした。小生の持論は自家用車には二種類しかない。セルシオとその他です。セルシオ名が消えてさみしく思っています。

前便でいただいたレクサス論、中国人の多くはレクサスはすごい車だが、日本車トヨタ車の認識は少ないと推しました。中国ではトヨタ中国を中国トヨタと前後を変えました。プライドを持って欲しいと思いましたが、11月も日本車売れ行きは低調だったとの日本での報道でした。

日本では日産に決めています。現在スカイラインですが残り少ない人生最後はフーガにしようと思いましたが、荊妻の猛反対に遭っています。防犯上小さい車にせよと言います。いずれにせよ来年買い換えが人生最後の車になります。80歳で免許証返上の積りです。

現在安全の為(荊妻は運転しない)1日走行距離は250kmにしています。年間走行は約5,000kmです。

4.身辺整理、年賀状

貴兄の身辺整理論賛成です。記念の書類、アルバム等どんどん処理して来ました。何年か前に「死んだらそのまま捨ててくれ」と段ボールの上に書いて置きましたが、その後見ることなく捨ててしまいました。

今年リポート再開で残しておけば良かったなとも思いましたが、まだ残していたもので充分と思っています。とりわけ昔の8ミリ映画やスライド、カセット、ビデオ全く見る機会はなくなりました。

年賀状は「以降良い話が有ったらお知らせする」として年30通づつお断りし、投函しない友人累計は100通になりました。親族除き先日投函した友人宛は50通、業務上は14通でした。リポートの年最終便は xmas card と年賀状を兼ねています。


5.随想、旅行記に戻ります。

愛知県の名門高校「明和」昭和32年卒の学年同窓会は今まで毎月開催されて来ました。その同窓生が出版した書籍は50冊を超えています。小生は2冊です。

2.で上述しましたが貴兄の随想を若干編集し直したら立派な著作になると思います。技術、立地条件開発歴史は後輩に残して欲しいと思います。小生の場合アルバムや古い記録は捨てましたが著作は残っていますし、自身時々読み直しています。

旅行記は個人ならではの記述も有りますが、多くの書籍が有りますし、今日この頃くだらぬテレビ番組の代表格ですから本にはどうかと思います。

ご承知の通り現在「あの時・・・」を月一のペースだ書いています。後3年後の喜寿に出版しようと思っています。ご意見伺いたく思います。

「リポートでは臨場感が出る様に出来るだけ実名を入れる様にしていますが、友人関係者から非難の記事とその実名は止せ」と言われています。失敗も大切な記録だと思うのですが貴兄はどう思われますか?⇒当初は世の中の習慣に合わせて実名を伏せていましたが臨場感が無く、後半からは実名も必要に応じて入れています。一度も本人からの苦情は受けていません。本人の知人に読まれて、本人が困るようなことは書かないことにしているからでもあります。

出版第1冊の住友電工辞職の項で、編集者から数頁削除されました。結果はそれで良かったのですが、読者は知りたい事でした。

貴兄のリポートをよく読まずに思いつくまま記しました。冒頭にも述べましたが貴兄の見識に比べて小生のそれは幼稚ですので今日はこの程度にしておきます。

今後も配信お願いします。しかし読後感、コメントはお返し出来ないと思いますがお許しください。

良いお年をお迎えください。

C トヨタ先輩の大学時代の友人・工・香港で起業⇒大成功!!・瀬戸市の豪邸で一度お目にかかった方

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温泉旅行記は、正直、昔日の石松さんの切れ味がなくなりました。 昔の旅行記の事前準備と現地でのやり取りの切れ味は、流石と感服し 尊敬しています。今は、国内だからでしょうか、それとも・・・。

国内旅行の目的は観光ではなくて気の合った仲間とのおしゃべり。事前勉強の意志は全く無く、観光計画の作成は仲間にまる投げ。海外旅行にも飽きが来て、事前勉強も中止しています。

でも、旅行記の中に散りばめられた論説は素晴らしいです。石松さんの 面目躍如で尊敬します。

限界集落・母語説は、納得させられました。小生も限界集落は疑問です。

加えて、小生は、住居を定めるときの、忘却による配慮項目の欠如が あると思っています。小さなメリットを過大評価し、大きなデメリットを見落とす。

物事を決めるときに、長期的・戦略的思考の欠如の特性。誠に日本人的。 それと、みんなで渡れば怖くない、心理。 日本人、モンスーン民族は集団の協力で弥生の昔から生きてきました ので、隣が居れば安心してしまうのでは。 これなどは、母語・おふくろの味説では説明できません。

小生、我が家の土地を購入&建築するときに、洪水によるリスクは 配慮しました。九州に居たときに洪水に何度となく苦しめられて、 対処ノウハウを持っていたからです。 ですが、地震対策までは思いつきませんでした。よって、矢作川沖積地 の我が家は液状化地盤の真っ只中にあります。

⇒私は多少考えました。今の住所は山の切り土の上にあり、盛り土は避けました。トヨタ自動車の大型鉄筋建築の殆どは不等沈下に見舞われ雨漏れがしています。

耐震性・耐火性・防音性・耐久性を考慮して、現場打ち鉄筋コンクリートを選択。更に38年前の建築基準法には経年劣化の概念が取り入れられていないと判断し、住宅公団の二倍の鉄筋と生コンを投入。一級建築士は無駄といったものの、お金は私が払うのだといって、総重量450トンの家を建てました。

豊田市は岩盤まで200mの粘土層があるとの噂を信じ、船のように揺れても剛性が確保されるように、柱の最下部での接地面は2.5*2.5mにし、更に80*30cmの断面を有する地中梁で連結しました。一番心配したのはアルカリ反応によるコンクリートの劣化でした。壁面は防水モルタルでガードした上に、防水リシンを吹き付けました。

快適性を確保するために室内にいるときには、コンクリートを意識しなくて済むように内部は木造と同じようにしました。更に全館冷暖房完備にしました。10年前にリフォームしました。

エアコンの性能が向上したので、セントラルクーリングの設備と配管は除去し、エアコンを増設。そのときに壁面に直径10cmの穴を開けて、抜き取った円柱を目視と打音検査。アルカリ反応が発生していなかったので安心しました。でも、セントラルヒーティングの機能は残しました。外気温が下がるとエアコンの暖房能力(熱力学的に言えば成績係数)が下がるため、予備として温存しました。


遺影は良いことですね。でも続けることも大事では? 小生は、毎年元日に家族写真をフォトスタジオで撮ります。 結婚して家族が独立すると、それぞれの家族写真と全員集合写真と。 これで自動的に遺影になります。家族が承知の物で。

このやり方で、元日の正午には一族全員が集合します。これも余禄。 写真は、毎年少しずつ変化しますね。 居間に飾って、家族無事を眺めています。

⇒立派! 几帳面さに驚愕。遺影は免許証やパスポートの更新時に序に撮るとよいとは聞いていましたが、免許証の写真は警察署での撮影に切り替わり、パスポートの写真は街頭の証明写真撮影機が使えるようになり、ついついスタディオに出掛けるのが億劫になったままです。次回、がんが再発したら治療前に写真屋に駆け込む覚悟です。

D 大学とトヨタ後輩・工・退職後に猛勉強⇒技術士の資格を取り、中小企業の経営指導に没頭中

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遅まきながらエッセーへの感想を送ります。

日本のインフラは随分進みましたよね。百近い訪問国の体験でも色々感じられるのでしょうね。

ただ過日の笹子トンネルの天板落下のようなインフラ老朽化が心配です。通常50年ほどで老朽破損が目立つ施設が多く、ちょうど東京オリンピックのころのインフラがそのタイミングに来ています。

土木・建築・材料技術は進歩したはずなのに、ローマ時代よりも退化したのではないかと疑っています。近代経済学が進歩し、コスト計算を始めたからでしょうか?

がんの次に死者が多いのは、脳梗塞・脳内出血・心筋梗塞などの心肺障害。いずれもパイプ(血管)の故障。

原子力発電所・製鉄所・化学プラントなどでの大型事故の主因も、配管(パイプ)の破損からスタート。

これらには共通する原因がありますね。パイプの内部には流体が流れており、経年変化と共にパイプの肉厚が薄くなるだけではなく、内部に不純物が沈着し機能が低下。遂にはちょっとした原因からでも破損・破裂⇒大災害へと発展。

ローマ人はこのことに気づき、ポンペイの水道管では鉛管を採用⇒しかし、不幸にして鉛害に気付かなかったローマ人は鉛中毒。

私は自宅のセントラル冷暖房の冷温水循環用配管には業者が薦めた亜鉛引き鉄管は拒否し、高価でも耐久性の高い銅管を採用。でも、迂闊だったのは水道メーターからボイラーまでの配管に亜鉛引き鉄管を使ったことにありました。電腐により鉄管に穴が開き漏水。どこから漏れているのか場所を特定するのに苦労しました。

室外のクーリングタワー用の冷却水循環用の配管や屋上のシスターンへの水の供給用配管には銅は不用と判断し、亜鉛引き鉄管を採用し断熱材を巻き付けましたが、豊田市の予期せぬほどの夜間放射冷却に急襲され一部破裂。パイプ問題には今尚、頭を抱え込んでいます。

通常施設を作る際、初期投資はマスコミでも盛んに報じますが、そのメンテ費用はあまり論じられません。トンネル、鉄橋、水道管破裂、ダムの堆砂等々その維持更新は国家予算に多大な影響を与えざるを得ません。

先進国は、どう乗り切ろうとしているのか、途上国は整備と維持をどうバランスさせようとしているのか、多数の海外訪問での感想を機会があれば聞かせてください。

痛感しているのは人間が繁殖しすぎたこと。せめて今の1/3になれば地球温暖化問題を初め諸課題の解決が格段に楽になるのに!!

私は肩身の狭い思いでタバコを吸っている喫煙者を励ましています。喫煙を遠慮することはありませんよ。税金は納めているし、早死にして医療費の節約にも貢献しているのだから。但し、天井の無い空き地で喫煙はしてください・・・。

E トヨタ先輩・経・テニス仲間・膝の故障修理中

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