伊勢志摩旅行

   バブル崩壊後、ボンクラ評論家や浅はかなマスコミ関係者の『失われた20年』との愚か極まれる無責任放言(長いものには巻かれろのサラリーマン根性が丸見え)が止まらない。しかし、この間の我が国の設備投資額は何と1,000兆円を突破。高速道路・新幹線・地下鉄・空港・公共下水道を始めとしたインフラが充実しただけではない。大都市中心部には高層建築が林立し、無線通信網も整備された。

   充実したのはインフラだけではない。パソコン・インターネット・携帯電話・コンビニ・回転寿司・大型ショッピングセンター・ホームセンター・ドラッグストア・宅配便・道の駅などが本格的に普及。一方、かつて日本を支えた農林水産業・各種の職人・中小企業・中小百貨店・国民宿舎・家族経営の商店やサービス業は、真に存在価値あるもの以外は徐々に市場から退場。 

   各地の温泉観光地のホテルや旅館も一斉に更新され、広い部屋・充実した設備・世界に冠たる大浴場(海外の豪華ホテルでも何故か存在しない)も整備された。名目所得は伸びていなくとも、国民の生活基盤は格段に向上し、細々と生きている年金生活者の私ですら、生きている間に極楽浄土に辿り着いたと、勘違いするほどだ。外観は変らずとも蛹(サナギ)の体内では美しい羽化への準備が着々と進んでいるようなものだ。

   こんな時勢とも気づかないのか、老後に備えて蓄積したはずのお金も使わず、掘っ立て小屋に閉じ篭る定年退職者は、貴重な余生を溝(どぶ)に捨てているようなものだ。久しぶりに伊勢志摩に旅仲間と出掛けた。いつの間にか(私の知らない間に)豊田市から伊勢志摩への高速道路は1本に繋がり、SA・PAのみならず各地の無料温水洗浄トイレはこれまた世界一の充実振り。



はじめに

   温泉旅行仲間内での私の役割は毎朝トクーのホームページを開き、クーポンの販売枚数が多い業者を機械的に選ぶだけ。性能が仕様書に書かされている自動車・カメラ・電気製品などに代表される工業製品と異なるのがサービス業の世界。ホームページの写真や宣伝文だけで評価するのは私には不可能に近いほど難しい。

   一泊二食4,500円。クーポンの売れ行き抜群の9室からなる民宿を発見。素泊まりのビジネスホテルよりも安いほどだ。早速ホームページを覗いた。業者に委託して造ったホームページなのか、写真を始め素晴らしい出来栄えだった。

参考料金:お一人様 9,000円〜11,000円。夕食に「真鯛」のしゃぶしゃぶをお付けします。 とれたてピチピチを美味しくお召し上がり頂けますよ! 他にもお刺身・お吸い物・煮物・焼物・寿司等の会席料理がついています。

※お刺身はその日に獲れた魚のため、何がでるかは当日までのお楽しみ!!最後に、雑炊を楽しんでもらってもいいですね。

   この文面通りならば、仲間も満足してくれるだろうと推定したものの、一抹の不安が過(よ)ぎった。『ホームページの内容は変更しました』との言い逃れがないようにしておく必要性を感じた。早速、女将に電話。

   『夕食と朝食のメニューは手書きで十分です。FAXで送っていただけませんか? ビールの大瓶は幾らでしょうか?』『畏まりました。ビールは630円です』。積年の体験からビールの価格は宿泊価格の象徴だ。630円ならば良心的だ。630円とはゴルフ場の小瓶価格だ。

   このままでは仲間それぞれの想定予算が余る。偶には少し贅沢をすべく、翌日の昼食には松阪牛専門のレストランに出掛けることを提案した。以前から体験したいと思っていた『瀬古食品の直営店』だ。

魚釣り


   腹が減っては戦が出来ぬ。さりとて昼食をたっぷり食べると夕食に影響すると判断するほどの、せこい三つ子の魂は死ぬまで消えそうにない。仲間はコンビニ弁当を購入したが、私には胃に重すぎる。おでんこそは救世主。価格はゴルフ場の半値なのに遥かに美味しい。ここ数年、コンビニおでんの涙ぐましい品質向上努力には目を見張るものがある。大根を一口食べればその差は歴然。家庭では真似ができない。

   海岸に係留されていた無人の筏を発見。直径80cmはありそうな3本の丸太に柱にもなるほどの大きな角材を取り付け、その上に厚板が釘付けされていた。持ち主は不明。無断で乗筏。

   天気予報は真冬並みの寒さ。上下の下着は共に2枚重ねて着用し、その上には下着用のウィンドブレーカー。25年前北京で1万円出して購入したミンク(中国人はミンケと発音)の帽子。ペルーで購入したお気に入りのアルパカ(ラマに似たラクダ科の家畜)のセーターに牛皮のジャンパーで防寒。



   私には過去60年間で2回目の釣り体験。1回目は49年前、職場の懇親会でのハゼ釣り。今回はスポーツ万能の仲間が準備万端支援してくれた。コンビニで何と釣り餌を売っていた。釣り道具の半世紀の進歩に驚く。

   60年以上もの前、小学生のころ釣竿は雌竹を使っての自作。錘は自宅近くの鉄橋から勝手に切り出した鉛(橋脚と鉄鋼構造物との間には振動吸収材として鉛板が挟まれている。その鉛が外部へ徐々に押し出されてくる)。糸はタコ糸。餌は胴体に縞がある赤茶色の細いミミズ。それでもフナも釣れて面白かった。しかし、昭和26年(中学1年)から爆発的に普及した水田用の除草剤『2−4−D』により、灌漑用の川に生息していた川魚は水田のタニシと共に一挙に死滅。釣りとの縁も切れた。

   全長10〜15cm程度の小さな魚だったが、文字通り入れ食い状態。我が仲間は私の釣竿への餌の取り付けに追われ、本人は釣りをする時間もない状態。感謝しつつも申し訳なかった。

   一寸の虫にも五分の魂を感じた。小さな魚だったが推進力は抜群。命がけで逃げようとするその力の大きさに驚く。細心の注意を払って釣り針から魚を外さないと逃げられてしまう。10匹位釣れたので超満足。2匹同時に釣れたこともあった。風が強くなってきた。私は超満足したので、仲間に陸に上がって待っていると伝えた。

   程なくどこからともなく漁師風の老人が現れた。『風が強くなってきた。危ないぞ!』と言うだけではなかった。『東日本大震災で、五ヶ所湾の養殖鯛3万匹とブリが逃げた』などと雑談。でも仲間には『沖には私の筏がある。もっと大きな魚が釣れるぞ』と勧誘したそうだ。

さざなみ


   さざなみは丘の上にある民宿だった。露天風呂からは眺望抜群。どんなに大きな津波が押し寄せても安全。でも、ご他聞に漏れずここも経営は厳しそうだ。民宿はいつの間にか3ちゃん(爺ちゃん・婆ちゃん・母ちゃん)経営。中核となるはずの大黒柱は現金収入を求めて出稼ぎ。

   夕食前に調理場を覗き見したら、3ちゃんが総出で調理中。入り口にいた母ちゃんに『実はここへ来る前に海で魚を釣った。空揚げにしていただけませんか?』『畏まりました。夕食に間に合わせます』との即答に心打たれるものを感じた。

   その上、チェックアウト時には母ちゃんから『伊勢名物の煎餅です。皆さんでお召し上がりください』と、1箱受け取った。読後感@とAを拝受後の追伸⇒旅館やホテル側から御土産を貰ったのは初体験。不思議に感じて領収書の明細を見たら、空揚げ代金として500円が請求されていた。そのお返しではないかと・・・。
   


   大きな鯛のシャブシャブを初体験。鯛とは刺身が定番と思い込んでいたが、河豚に近い美味しさだ。その他の料理もFAX通りのメニューが出されたが、何時ものように私は食べきれず摘み食い。

   素晴らしい景観の露天風呂で出逢った中年男に質問。『平日なのにこんなところで、のんびり過ごせるとは現代の貴族ですね。私たちは一泊二食4,500円で泊まっていますが、貴方は幾ら?』『過去数年、仕事で半単身赴任しているような者です。通常料金9,000円から1,000円割り引いてもらっています』。

五ヶ所湾巡り








   観光船の発着場近くの駐車場に到着。まごまごする間もなく、紺の制服に帽子を被った老人が現れた。『我々の観光船は正式な業者とは異なり時刻表もなく、いつでも出発します。乗船料金は同じですが、駐車場の料金は無料になります』との勧誘に飛びついた。

   流石は白タクのような観光船。皆さんでお使いくださいとカモメの餌を一袋くれた。カモメの動体視力は素晴らしい。餌を空中に放り投げると海上に落下する前に嘴で直接受け取る。風が吹いて餌の動きも急変するのに飛びながら追いつく。岩手県の浄土ヶ浜の観光船でも、カモメに餌を投げ与えたが、動体視力と敏捷な飛行能力は全く同じだった。

   ここの駐車場は一時間まで無料。乗船時間は40分。すいすいと移動すればお爺さんの言う通りになると理解。船の操縦者は中年のベテラン。操縦しながらマイクを使った観光案内もこなした。こちらも本職と同じ制服。下船時に乗船料金を支払ったが、何としたこと領収書は発行されなかった。駐車時間は59分⇒勧誘老人に騙されてはいなかった。

松阪牛

   松阪牛と言う品種の牛は存在しない。単なるブランド名に過ぎないが、一度そのブランド名が有名になると、日本では特別な待遇を受けるようだ。消費者に商品の評価能力が乏しい世界では、類似の現象が多発している。

   我が脳裏に直ぐにも浮かぶ食材としては、氷見の寒ブリ・鳥取の松葉ガニ・大分の関サバ・宮崎の完熟マンゴー・夕張のメロン・北海道当麻町の伝助スイカ・魚沼のコシヒカリ・・・。

   これらのブランド名に誘惑されて試食を試みた。それなりに美味しいとはいうものの、美味しさと価格とには正比例の関係は存在せず、僅かの差が極端に拡大されるのが常。それらに共通する要素には、宗教界のように神話化した各種伝説が付きまとい、煩わしい。

松阪牛(まつさかうし)は、但馬牛の他、全国各地から黒毛和種の子牛を買い入れ、三重県松阪市及びその近郊で肥育された牛。品種としての呼称ではない。「まつさかうし、まつざかうし」と様々に呼ばれる。日本三大和牛の1つ。

2002年(平成14年)8月19日以前は「松阪牛」全てが高級銘柄牛肉であったが、以後は区域内の生産であれば格付けが低いものまで「松阪牛」との呼称が許され、全てが高級とは限らなくなっている[1]。
松阪牛とは「黒毛和種」の「未経産(子を産んでいない)雌牛」で、2004年(平成16年)11月1日時点での三重県・中勢地方を中心とした旧22市町村[3]、および、旧松阪肉牛生産者の会会員の元で肥育され、松阪牛個体識別管理システムに登録している牛をいう。
格付け [編集]
現在では素牛(もとうし)の産地や枝肉の格付に関係なくシステムに登録した牛は松阪牛となるが、独自の基準で以下のような表示がなされる。
* 「特産松阪牛」:但馬系の黒毛和種の雌牛を900日以上肥育したもの[1]。
* 「金」:肉質等級が5[1]
* 「銀」:肉質等級が4[1]
すなわち、2002年(平成14年)8月19日の規約改訂前の松阪牛に該当するのは、「特産松阪牛」かつ「金」の枝肉のみである。
三大和牛との呼称がいつ頃、誰によって命名されたかは不明である。また、どの3銘柄かは公式に決まっていない。
三大和牛の1つであるとされる銘柄牛肉には以下のものがある。
* 神戸ビーフ[1][2][3]は「Kobe Beef」として最高品質の和牛肉として海外での知名度を独占している。神戸港が明治維新後に国際貿易港として活躍したことが知名度に貢献した。兵庫県産で、但馬牛を素牛とし、肉質等級、脂肪交雑のBMS値No.6以上で歩留等級がA・B等級、枝肉重量が450kg以下で雌牛・去勢された雄牛を認証している。
* 近江牛[1][4][5][6]は、江戸時代に彦根藩から徳川将軍家に養生薬の名目で献上されており、歴史的にも非常に由緒がある。併せて、近江商人(日本三大商人の一角)が活躍したことも知名度に貢献した。滋賀県内で肥育された黒毛和種で、雌牛・去勢された雄牛を認証している。
* 松阪牛[1][2][4][5][3]は、三重県の雲出川以南・宮川以北の地域で肥育日数500日以上で雌の処女牛を認証している。1935年(昭和10年)に東京で行なわれた『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことで知名度を得ることになった。実際に松阪牛がブランド牛として認知されるようになったのは戦後で、ブランド牛としての歴史は浅い。
* 米沢牛(山形県)[2][3]
* 前沢牛(岩手県)[4][5]
3つを並べて三大和牛と言う場合には、神戸ビーフ・松阪牛・近江牛、または、神戸ビーフ・松阪牛・米沢牛[7]という組み合わせがよく見られる。
   30年近く前、子供たちが中高校生のころ出かけた参宮の帰途、何時ものファミリーレストランは避けて、松阪牛のレストランとしてはすき焼きで超有名な『和田金』に立ち寄った。一人前がたった2切れの薄肉(40g*2=80g)。仲居が目の前で調理するサービスでも有名だ。当時の価格は8,000円/人。
   5人家族で4万円。子供たちに高級レストランで食事をする機会が訪れたとき、ごく自然に振舞えるようになれればよいがなと、思いつつの親心からだった。
瀬古食品
   私は数年前にインターネットで瀬古食品を発見。ホームページを見て松阪牛の肥育システム(整然とした牛小屋での管理状況)の素晴らしさや価格の安さに驚き、時々大好きなヒレ肉を注文していた。
   デパートでは100g当たり4,000〜5,000円もする松阪牛のヒレ肉が半額程度の2,000〜3,000円で買えることに疑問を感じ、電話にて質問。『どうして、そんなに安いの?』『デパートでは生産者からの物流過程に多くの取引業者が介在。当社は産直販売。中間業者が入っていないからです』。通販は店頭購入とは異なり、現物を目で見て確認することも出来ず、業者の言い分を信ずるしかないリスクはあるものの、電話での回答に誠実さを感じて4枚を初注文。
   次回の購入時に『オーダーカットできるか?』と質問。『承ります』と即答。爾来私は5cmの厚さを指定。これだと1枚約300g。ビフテキは私のような素人でも調理できる最も簡単な牛肉料理。両面をウェルダンに焼くと、中心部はレア、中間部はミディアム。調味料は塩と胡椒のみ。
   10年前(2002年12月19日)に胃がんの手術で胃の2/3を摘出した私は、300gのビフテキで満腹。ビールは飲まず、ご飯も食べられず・・・。爾来、時々購入していたものの、一度は直営レストランに出掛けたいと思ってはいた。
   昨春(2011年)、宮崎県で口蹄疫が発生。主として宮崎産の子牛を肥育していた瀬古食品は大打撃。60歳代に感じた瀬古社長はNHKだけではなく、民放キー局(日本テレビ放送網・テレビ朝日・TBSテレビ・テレビ東京・フジテレビジョン)の取材班に連日、追い回されていた。その筋では知る人ぞ知る有名な会社だったのだ。

瀬古食品直営レストラン


   直営レストランの大きさに改めて驚愕。椅子は数百席? 程なく大型バス数台の団体客が到着。彼らのお目当ては和牛(松阪牛に非ず)の焼肉バイキング。定食注文客とは座席が分断されていた。定食注文客がバイキング用の食材を無断で食べないようにするためだろうか?



   超大型レストランなのに、メニューは大変少ない。我がグループは大食漢1人と定食組3人とに別れた。定食組は何故か皆同じメニューを選択。



   『松阪牛(150g)ステーキ御前(3,500*1.05=3,675円)』で超満足。300gのヒレ肉ステーキのみよりも、肉を半分にしてビールやご飯も食べられる方が私のような細々と生きている年金生活者には身分相応だ。ステーキ御前の肉は店頭販売では1,500円/100gだそうだ。ヒレ肉ではなかったが柔らかくて美味しかった。



   スポーツ万能。学生時代黒帯で国体にも出場した大食漢はバイキング。同行の仲間のさり気無い観察では3回も食材を取りに席を立っていたそうだ。本人に確認すると500gくらい食べたらしい。

瀬古食品直営売店

   レストラン横の別棟に直営売店があった。私は1枚1,050円の和牛のヒレ肉を10枚購入。店頭の冷蔵庫内の商品は8枚だった。不足分は即座にカットしてくれた。帰宅後の夕食に1枚食べたが、我が舌では松阪牛との差を感じることは出来なかった。何も松阪牛というブランド名に拘る必要はないのだ。

本居宣長記念館



   高校1年のときの化学の先生(受験戦争は5教科8科目。好きな科目だけを勉強するのは禁物と言うのが口癖)の夏休みの宿題は『敷島の大和心を人(ひと)問はば 朝日に匂ふ山桜花』の英訳だった。直訳は無意味。日本語の意味を考えて外国人にも理解できるように意訳するしかない。そのとき、私は本居宣長なる国学者の名前を知った。

   その後、日本史や国文学史を受験勉強の一環として学んだとき、宣長の35年間の研究成果である全44巻からなる『古事記伝』や『日本固有の情緒、もののあはれが文学の本質である』と喝破した『源氏物語玉の小櫛』なる不朽の著書の存在を知った。

   私には受験時代、日本文学の特徴に『もののあはれ・おかし・わび・さび』があるとの解説を何度読み返しても、その言葉が持つ意味を理解することは出来なかった。もののあわれとは、人間が感じる喜怒哀楽のことだろうと推定していただけだ。

   箱根の関所に展示されている役人の墨で書かれていた業務記録を見たとき、飛び上がるほど驚いたことがある。達筆な上に誤字もなく、書き損じもない。ワープロは大変便利だ。推敲結果を直ぐに上書きできるからだ。精神をどんなに集中させても、私には当時の役人の真似は出来ないと思った。

   本居宣長記念館で本人自筆の原稿を見て、ほっとした。最初の文章の上に無数の修正結果が上書きされていたからだ。箱根の関所の業務日誌は下書きした原稿を清書したのではないかと思えてきた。

おわりに

   我がトヨタ同期の1人は奥様に在宅率を管理されているそうだ。目的のない家出は出来ず、ボランティアとしてデイサービスのドライバーに。81歳のゴルフ仲間は何時も家出をし、裁判の見学や大学の公開講座などにも出席。別のゴルフ仲間は毎日4時間もの散歩。78歳のテニス仲間の一人は囲碁を始め席の暖まる暇もない。外出が大好きな友人・知人に共通する特徴は大変元気なことにある。瞼に浮かぶのは年金所得が続く奥様の笑顔・・・。

   去る11/15〜22にスリランカに出かけた。世界遺産シギリア・ロックは高さ200mの垂直の岩山。1,200段の階段を登ると山頂に王宮遺跡。階段は坂道よりも負担が重い。ヘルパーと称する筋肉隆々の若者は体力不足の観光客を発見するや売り込みに接近。1人20$。一日に1人客を見つければ十分な所得水準。85歳の同行の翁は2人も採用。

   私は元気に振舞っていた積りだったが、彼らの目は誤魔化せなかった。何人ものヘルパーに売り込みを掛けられたが、心を鬼にしてお断りをした。しかし、階段登りに挑戦して体力の衰えを嫌と言うほど体感。
   
   昭和42年に初代カローラを購入以来45年間の自動車生活は足腰の衰弱化に拍車を掛けていた。スリランカ旅行に参加した東京在住者で車を所有しない老人は意外に元気。温泉旅行程度の遠出や毎週のゴルフやテニス程度では足腰の衰弱化を阻止できないようだ。何とかしなければもう直ぐ寝たきり老人に・・・。

読後感

「失われた20年はない」とする石松説だが、これは珍説。年金生活者にはこれ以上地盤沈下はないかもしれないが、現役人間には減収、リストラは当たり前。また海外から見れば日本は年々沈んでいる。景気対策と金融緩和で公共事業やビル建築は進んだが、それは都心の話。地方はすっかり疲弊。

観光地のホテルも安くなったが、助かるのは年金生活者のお客だけ。現役人間は温泉にも行けないし、従業員にとっては低賃金の長時間重労働地獄だ。宅配便など石松利用者には便利だが、ドライバー地獄だ。

日本のいいところは温水トイレの普及だね。北京でも住宅には普及しているが、一流ホテルでも温水ホテルは皆無。世界中の高級ホテルでも温水トイレは皆無。

今回の伊勢志摩旅行記も例によって「地図なし、行程表なし」、空間識、時間識のない石松旅行記は読みにくい。いろいろ調べて五か所湾に面した「民宿さざなみ」と判明。立派なホームページだ。

長期滞在者ですら1,000円引きなのに、半値で鯛シャブを食べようとする根性がいやらしいね。当世のはやり言葉でいえば「品格」の問題だ。調理場をのぞきこんだり、釣った魚を無料で調理させたり。もしトヨタ社員人生でこういう品格を身に付けたとすると社風も問題だね。若い時の石松氏はもっと鷹揚だったはずだ。九州の豪農出身と理解していた。

五か所湾も行ったことない。伊勢志摩は昭和37年にトヨタ淡青会(東大同窓会)の旅行で賢島に行っただけだ。50年前の話だ。先年、志摩観光ホテル(高級ホテルですぞ)のアワビステーキに誘われたことがあったが流れてしまった。

松坂牛も食べたことない、但馬牛、神戸牛は何度か食べた。三大和牛も知らないね。昭和47年秋に潜水艦の試運転同乗で和歌山沖に行った。ホテルのテレビで田中角栄訪中を放映していた。帰りに紀勢線で名古屋へ。風水害で鉄道不通、新宮から松坂までバス。松坂駅前で松坂牛を買った。近鉄に乗って、近鉄名古屋駅で網棚に置き忘れた。それ以来松坂牛とは縁なし。和田金も知らないね。有名ブランドは京都の三嶋屋のすき焼き程度だね。鯛シャブも一度は食べてみたいものだ。

帰途も、バイキング客とは区分され、店員に監視されてでは牛肉もおいしくないだろう。でも3,675円も昼食に払ったとは大したものだが、一層、4,500円の民宿がかわいそうだ。

本居宣長は、高1の時に「玉勝間」を習った。内容は忘れた。私は古文、漢文は好きだった。敷島の大和心も、もののあはれも、この頃は無縁だね。私は大和心を振り回す最近の偏狭な右翼は嫌いだ。

スリランカにはODAで数回出張したが、岩山には行ったことない。1,200段どころか私は12段でもしんどいね。1階から2階へもエレベーターを使っている。下りも同様。やむを得ない時は手すりに?まって昇降。

しかし、この読後感で私が強調したいのは、ズバリ因果応報あるべし。

民宿業者、旅行業者を安く使ったと思うのが浅はか。石松富豪ご一行に4,500円で鯛シャブ、せんべい、無料唐揚げを提供させられた恨みは、必ずはね返ってくるね。石松年金生活者は無奉仕、受け取るだけ。しかも値切り続けた。各業者に溜まっている「無形債務(=恨み)」は、いずれ清算させられる。逃げ切れると思うのは甘いね。

これからの余生は、罪滅ぼしに定価+チップを払うべし。

@ トヨタ同期・工&経・波乱万丈の人生⇒最近の言動には僻みが感じられてきた。


石松旅行会は代表幹事の石松さんが行き先と宿を手配してくださる。宿は安くて超満足。

今回はその上、もてなしが抜群のようでしたね。釣った魚を持ち込んで空揚げにしてくれたとか。レストランに酒類を持ち込むと必ず持ち込み料を取られる。レストラン側は何の労苦も伴わないのに。空揚げの料理をさせられるなら幾倍もの持ち込み料を取っても良いはず!

カモメが空中の餌を捕まえる曲芸は見た人にしか判らぬ。

去る5月、石松旅行で土肥温泉へ行った折、近くのコバルト堤防で海釣りをした。隣に常連と思われるおじさんが釣りをしていた。私どもは10センチほどの小魚しか釣れなかったが、隣のおじさんは長大な投げ竿で20数センチの鯖を釣り上げた。

彼は堤防の突端の高い所に登り、鯖を持ち空に向かってぐるぐる回した。10秒もしたかどこからともなくカモメが上空に飛来した。20数メートル上に投げ上げると見事にキャッチ!動体視力も飛翔能力もまた、餌をくれそうな人を常時見張っている学習能力にも脱帽!

野生の動物に比べると人間はオリンピック選手といえども大したことは無い!

A トヨタ先輩・工・ゴルフ&テニス&温泉旅行仲間⇒今回の旅行は都合が付かず欠席された。





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