Must!とCan't!の国、北欧

「しろ!」「するな!」

このところ毎年同じ事を言っているような気がするのですが、「今年の夏は暑い!」。しかも、毎年どんどん暑い日々が増えているような気がするのは私だけではないでしょう。これが地球温暖化のせいとすれば、年々、もっと暑く、暑い日々が増えることになるのでしょう。一方、少なくとも自分の体力が年々弱り、暑さ、寒さに弱くなっている事は確かです。

 暑い夏だからとは全然関係なく、このところ、毎年これが最後の海外旅行と言いつつ、今年は8月の終わりから9月初めに、連日30℃を超える名古屋から、天気予報では最高気温1518℃、最低気温数度の、”森と湖、フィヨルド、サーモン、…、高福祉、…、デザイン、ムーミンの国”、北欧、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドへ行ってきました。

 北欧というとメルカトル図法の地図で見ると左端にあって随分遠いような気がしますが、実はロシアの上を飛んでいく今の航空路では一番近いヨーロッパなのです。

出かけるについて、連日30℃を超える日々からは、どうしても最高気温10数度という、日本で言えば、秋冬の感覚が掴めず、事前の添乗員の話しでも「まー、薄手の上着をご用意いただければ良いのではないですか」などと言う話しだったのだが、まー、それでも万一の気持ちで、一応薄手のコートとベストなんぞを用意して出かけたのでした。
 
 非常に認識が甘かった事は、10時間弱後に、ヘルシンキで乗り継ぎ、オスロの空港に降り立った時に「ウン、ちょっと寒いぞ」と思ったのですが、オスロから鉄道で山を越えて、フィヨルドを航行しているときに思い知らされました。

 北欧は緯度の割にメキシコ湾流の御陰で意外と暖かい何て言うのは間違いです。緯度的には北海道の遙か北、樺太の北端より北なのですからやはりそれなりに寒いわけです。


 
冬一番

何と、私たちが到着した前日から“冬一番”と言うかどうか知りませんが、北極からの寒波が一気に吹き寄せ、到着した世界は、予報通り最高気温14℃、最低気温数度の世界になっていました。と言ってもそれまでも元々20℃を少し下回るくらいの気温だったそうで、現地の人にとっては大したことはないのでしょうか、半袖姿の人も少なくありませんでした。空気が乾燥してサラサラして、本来ならとても心地よいはずの気候なのですが、実際にはそれを通り越して寒い!と言う気分です。

 北極の氷が毎年減って地球温暖化は一層進行している様ですが、北国の人達にとっては厳しい冬が少しは緩んで、私のような寒がり屋にとっては当面はむしろ望ましいのかも知れません。が、とにかく、日々30℃を超える世界で暮らしていた体には、やはり一気の気温差20℃は堪えます。

この“冬一番”が吹くと北欧の短い夏は終わり、日本の残暑のように、夏がぶり返すようなことはなく、もう夏は来年まで来ないそうです。短い夏とほとんど無いような春と秋と長い冬が北欧の季節なのでしょうか。

空気が乾燥しているせいでしょうか、風が吹くと、一段と寒さが身にしみる感じで、特にシトシト雨の降るフィヨルドの航行では、毛皮付きの冬のコートを着た台湾人の団体が誠に羨ましくありました。しかし、日本より暑いはずの台湾からよくもマー冬のコートが用意できたモノだと感心してしまいました。キット添乗員が「コートを持っていかないと死んじゃいますよ」くらいの事を言っていたのではないでしょうか。沖縄の人でも殆ど冬衣装を持っていなかったともいますので、亜熱帯の台湾では冬物なんか無いと思うのです。
 可哀想なのは、我が添乗員で、本当にそれほど寒いとは思っていなかったらしく、半袖のポロシャツで風を避けてジッとしておりました。後で白状したところでは前回添乗のタイの服装のママだそうでした。

もちろん、いつもの様に単なる団体旅行の通り一遍の観光旅行で、首都近辺をほんの少し彷徨くだけの旅ですから、いずれにしても大したことは解りませんが、確かに評判通りの国々でした。

 訪れた首都はいずれも港町ですので、湖と言うより海(バルト海)に面しており、と言っても内海なので湖みたいなモノですが。森林面積は首都近辺でも多く、林の中に町が有ると言っては少しオーバーですが、中心繁華街を離れれば緑多き土地柄です。写真はストックホルムの中心街を展望地から見たモノ。


 
フィヨルド

まずはフィヨルドですが、こう言ってしまっては身も蓋もないのですが、水深が深いという特徴が有るには有るのですが、見た目には山間部の非常にスケールの大きい「ダム湖」の感じです。もちろん両側の山並みが絶壁風で有ると言うところが全然違うのですが…。

 ニンジンは果物か

そして、食べ物ですが、北欧のどこでも美味しいのはやはり断然サーモンです、と言うより逆にこれはと言う食べ物はサーモンくらいしかありません。その他の多くの食料はフランス、ドイツ、デンマークなどEU諸国からの輸入に依存するので、今のところ「中国のような農薬の心配がない」という点が取り柄のようです。
 写真は列車の駅のキオスクの「生もの売り場」ですが、なぜかどこもこんな品揃えで、おもしろいのは果物並みにニンジンが売ってあった事です。サラダ感覚で皮を剥かず生のママ食べるのでしょうか。

 日本の食生活の豊かさと言うより、間違いない贅沢さを喜ぶと同時に反省しきりでした。


 高福祉の老後は、実はほとんど無い?

高福祉は本当のようで、国々で多少のズレはあるものの40%の税金と20%超の消費税に耐え、現在67歳定年、更には今後は73歳定年まで働けば、老後満額の年金生活が保障されるようです。70過ぎまで働いて、日本的な”老後”と言うのは有るのだろうかと思わないではないが、逆にそれまでは国、企業などが何らかの形で雇用してくれるわけですから、大部分が基本的に60歳で使い捨てられ、年金はまだまだもらえず、貯えもなく、再就職か、老後の不安な日々を送らなければならない日本とは根本的な違いが有るとしか言いようがありません。要は、人間生きている間は働け!と言うことでしょう。

 退職したら、暇になったら、あれをしよう、これをしようと思ってもそうそう簡単にできることではありません。無為徒食とまでは言わないまでも、単に無職の老後はなるべく短い方が人間にとっては幸せなのかも知れません。全ての人に、金のための義務としての仕事でなく、仕事としての仕事ができるような時代が来てほしいモノです。

 ワーキング・シェア(一つの仕事を何人かで回す)がかなり一般化しているようで、もちろん実際には個々人の仕事能率の差もあり、公平感、平等感が強い日本では実現は容易ではないでしょう。しかし、一方では過重労働で自殺する人も居るわけですから、競争原理を超えて、いずれ多くの職種に取り入れていくべき業態でしょう。

 団塊世代が大量に退職せざるを得ない今の時期こそ働き方の仕組みを変えるのに千載一遇の時期だとは思うのですが、闘い生き残った定年延長者にはそう言った考えを持つことは難しいでしょう。

 年金は月20万円くらいの支給のようですが、それが全部生活消費に回せるような状況である、持ち家であることが老後の安泰には何よりも必要なようです。
20万円と言えば消費生活的には日本ではまずまずの感じがしますが、物価が非常に高く、ザッとの感じとして日本の2倍以上の感じですから、生活は非常に質素にならざるを得ないようです。ホテル近くのコンビニに行ったのですが、特に食料品は高いような感じがしました。TVの宣伝で描かれるような「悠々自適」と言う生活とは随分違うはずです。

 もちろん支給が完全に怪しい日本の国民年金や一体全体消費税がどこに消えてしまうのか解らないような日本の税金の仕組みに比べれば、安心して国に任せることができそうです。何となく国の仕組み自体が純粋な「生協的」な感じがしましたが、何と、世界で一番デカイと言う話しの生協の本部がストックホルムにありました。

持ち家率は日本の約60%に比べて少し落ちますが、50%だそうです。主に観光で行く都市中心部では戸建てはあまり見かけず、日本的に言えば程度の良いアパート、安めのマンションと言った集合住宅が主です。

 もちろん、市街地を少し離れれば、湖に面し、木々に囲まれた、日本で言えば別荘としか言い様の無いような戸建てが多くなります。

2,3不動産屋の張り出し広告を眺めたところ、値段は4,0008,000万円くらいと言うところが主でした。もちろん戸建ての立派そうなのは「億」です。フィンラドでは土地は全て国有と言うことですから土地に関しては長期借地権付きと言うことでしょう。後の国は聞き忘れました。


 歴史的遺産は安くない

建物で注目すべきは市内の壁のはげた、傾いたような築100200年と言ったような「アパート」が「億」だそうです。客観的に見れば単に裏通りの家並みなのですが、石畳の道路と建物は間違いなく歴史の重みを感じさせます。そこでどんな生活が営まれているかは知るよしもないのですが、実にここに住むことがスェーデンでは「ステイタス」なんだそうです。歴史の重みを日々享受する事に意味があるのでしょうね。

フト、億という金があったら、私ならもっと南の方の暖かい国にでも別荘を買うだろうな、と考えて、ヒョトしたらここらの感覚が昔からヴァイキングとして南の方の国へ交易に出かけて行ったまま住み着き、帰ってこなくなってしまった北欧の人たちの本音ではなかろうかと思いました。

ここらでは冬はマイナス10何度以下の世界ですから、強力且つ確実な暖房が生死を決する訳で、集合住宅の水道、電気などは家賃に込みだそうです。暖房は最近はガスから電気に移行しているそうで、そう言えば私たちが泊まったホテルはどこも欧州で一般的なスチーム暖房ではなく、電気ヒーターでした。ところがこれの効きが鈍く、23時間経たないと暖かくなってきません。電気料が込みで、効いてくるのに時間が掛かるとなれば、いったん入った暖房は、冬中は入れっぱなしと言うことになるのは当然でしょう。と言うことで、昔なら薪、石炭でしょうが今では電気の確保と言うことは我々以上にライフラインと言うことになるのでしょう。

家賃を聞くのを忘れましたが、税金に半分近く持って行かれてしまった残りのかなりの部分をとられる訳で、18才になれば家を出るのが当たり前だそうですから、働かざる者食うべからずの”国民皆勤務”が当たり前にならざるを得ず、基本的には日本的な専業主婦とかニートとか財産も年金もする事もない60代のリタイア組等と言う存在はない事になります。

 働くと言うことに何らかの意味を見出さないことには人生やってられない、と言うことになるのでしょう。それを支えてくれるのが、宗教でありアルコールなのでしょう。公園には酒瓶が沢山落ちていました。


 無意味な結婚
 
 生活の効率を考えると、共同生活がよろしいのではないかと言うことになるわけで、この延長上に結婚があるのでしょう。従って、いざとなれば経済的な不利さに少し目をつぶれば、敢えて、夫婦で居る必要はなく、結果として結婚という形式が崩壊してしまったのでしょう。特に都市部では日本的に言えば同棲か独身が非常に多いようです。

仮に結婚しても離婚の確率60%以上と非常に高いそうです。結婚率・離婚率(人口1000人当たり 日本6.0  2.3スウェーデン4.0 2.42002年))と言う統計数字などで、離婚率2.32.4だけ見ると、日本もあまり変わりない様な気がしますが、元々の結婚率を加味すると、日本2.3/6.0=0.38スウェーデン2.4/4.0=0.6と言うことで、結婚しても半分以上のカップルが離婚しまう訳ですから、日本的に言えば「スウェーデンの夫婦は大抵の人は離婚する」と言うことになり、特に都市部では「結婚などどうでもいいや」と言うことになるのは当然の成り行きとしか言いようがありません。

 スウェーデン
の現地ガイドの話では(この人の話は社会状況の説明に関して丁寧で、日本で言えば昔の“活動家”のような雰囲気でした)、現在離婚率は更に増えており、70%は離婚するそうですから、(その原因の多くは男女ともに家庭内暴力とアル中だそうです。)、結果として結婚そのものが意味無いとばかりに、仮に結婚するとしても書類上の結婚が殆どのようで、それも面倒とばかりに、”共住”という形になるのではなるのでしょう。これでは日本的なブライダル産業は完全に成立しません。

しかし、街中の写真店の店先にある展示写真は全て結婚式の衣装を着たカップルだったのですが、結婚の記念にせめて写真でも撮っておくかと言うことなのでしょうか。


 維持される出生率

それほど「結婚」が少なくても出生率や人口増加率は日本を上回っていますから、日本的に言えば未婚の母とか母子家庭、あるいは父子家庭が多いと言うことになるのでしょう。

それが可能なのは女性の育児休業が3年、男の育児休暇など法律的に“男女共同育児”と”子どもの養育・教育”が法的にしっかり担保されているからで、レストランでは男性が一人で子どもの面倒を見ている姿が沢山見られました。ただ、詳しく聞いてみると、女性の育児休業の給料保障は1年目は80%(90%?)ですが、2年目、3年目となると急激に低減するので、実際は女性も1年の休業で職場復帰していくとの話しでした。

写真は道で出逢った園外保育か校外学習の行列ですが、10数人の子どもに3人の引率者ですから手が入っています。日本の40人学級、30人学級とは比較になりません。これ一つとっても実現していれば税金が高いのも仕方ないでしょうが、現在の日本の様に教育への公的支出が先進国の中で最低レベルでは、まずは税金を上げる、と言う話しは通りにくいでしょう。

 何をもって”豊か”とするかは難しいところです。


 
男の育児

“男女共同育児”と言っても、書店にわざわざ男性のための育児書コーナーが有るくらいですから、逆に実はまだまだ完全には男性の育児参加が十分ではないと言うことでしょう。
 しかし、少なくとも男性が一人で乳母車を押して赤ちゃんの食事の世話をする姿が街中で頻繁に見られますから、日本でも巷のファミレスなどで同じ様な姿が見られるようにならない限り、日本の出生率は今後とも決して上がることはないでしょう。
少なくとも自分で子どもを育てたことのない様な政治家や企業の社長が実権を握って法律を律している限り日本の現状は金輪際変わることはないでしょう。

 あるいは、子育てのために国民全部が、人を出し抜くようなことなく仕事を投げ打ってでも育児をする「覚悟の革命」でもしない限り日本の仕組みは変わらないでしょう。


 残業は御法度

この第一歩は、まずは残業は御法度とまでは行かずとも、最低限、サービス残業に対しては雇用者、被雇用者ともに厳罰を与えるくらいの法制化が必要でしょう。

現地の日本人ガイドも時間を過ぎての仕事は絶対にせず、もしそんなことをして、ばれたら次から仕事が無くなるそうです。日本も、スウェーデン式高福祉社会を目指しているとか聞きましたが、少なくともまずはこうした罰則に担保された労働感環境の法的な整備がなされない限り絶対に不可能でしょう。

 「残業をしない」の徹底は、飛行機の乗り継ぎ手続きで、並んでいたら、ちょうど私の目の前で、何となく係員が立ち上がったのでトイレかなと思って、しばらく待っていたら、後ろの方から「ここは終わりだよ」と聞こえて別の列に移る事になったのですが、こんなのが当たり前のようです。私も日本的感覚に汚染されていました。

いずれにしても北欧の福祉社会等については、当面日本では成立しそうも有りませんが、聞き間違いなどが少なくないでしょうから、詳しいサイトなどがあるでしょうから詳細についてはそちらが正しいでしょうからご参考下さい。


 この世の極楽

今回の旅行で私が一番興味があったのは、高福祉社会の「老後死ぬまで金の心配をせず暮らしていける暮らしとはどんなものであろうか」と言うことでした。即ち「この世の極楽」とはどんなモノであろうかと言うことです。もちろん通りすがりの旅行者ですから、暮らしている人々の心情を知ることはできませんが、私の目に入った状景はある程度予想はしていましたが当に百聞は一見にしかず、予想を上回るモノでした。

一番強烈だったのは、場所はノルウェーの首都オスロの高級デパート。ここのデパートは日本的感覚ではデパートではなく幾つかの独立店舗が入っているだけで、総合案内所の類等と言うモノは有りません。日本的に言えば、テナントなどだけで成立している感じの雑居ビルのデカイものと言った感じでした。トイレは各階に男女1箇所、文字通り“ブース”が一つです。規模が小さいのでそれでも良いのでしょうか。有料です。

まーそれは置いて、無難に何か昼食を食べようと最上階の食堂に行ったのですが、そこの狭い食堂で目にした光景は、3,40人くらいしか居ませんでしたが、全て白髪の老人が椅子に座るか、ノソノソと動く姿でした。私ももう老人かも知れませんが、敬老の日の御祝い会場のように一部屋全てが男も女も女も女も綺麗に着飾っていると言うより、日本風に言えばお出かけの恰好をした老人ばかりという景色で、こういった風景を普通の場で見たことがなかったのでハッキリ言って、ビックリしてしまいました。多分そこには若い人も居たはずなのですが、私の目には全然入りませんでした。自分の存在の場違いさを感じ、早々にその場を退散しました。

 後で思えば、日本も寝たきり介護が少なくなれば、本来こういった風景が日常的なモノとなるのだろうか?あるいはこうならなくてはいけないのではないかと思った光景でした。

では若い人やまだある程度元気に動けそうな老人はどこで食事するかというと、最近になって流行りだしたそうですが、夏で天気が良ければカフェの外や公園のベンチでファースト・フード的なモノを食べるのだそうで、事実この日の天気は「晴れ・曇り・雨」で、実はこの時期はそう言った予報が多いのですが、雨が突然降り始めたのですが、少しくらいの雨は関係なく公園のベンチで傘をさして食べている人が結構居ました。冬では決してこうは行かないでしょう。貴重な夏の日々なのでしょう。
 
 まあまあのレストランに言ったのですが、正式な食事は内容から見てえらく高く、ビュッフェ・スタイルの方はメインはエビかサーモンが水菜のような葉っぱと一緒にパンの上にのったオープン・サンドイッチで、それが1000円以上しました。マックも”通”の仰るところに依ればかなり割高のようでした。とにかく、食事は日本人から見ると内容に比して「高い!」の一言につきました。日本のように安価でサービスに徹するという感覚が無いのか、全く不可能なのでしょう。

結局この日の昼食はホテルに戻って、日本から持参のカップラーメンを食べました。外国のホテルで食べるインスタント・ラーメンは意外と美味しいモノです。この日の夕食は何人かの人はオプショナル・ツアーの「甘エビ食べ放題の湾内クルーズ」に出かけましたが、翌日話しを聞いたら、「確かにエビは食べ放題だが、本当にエビとマヨネーズだけで2時間過ごさねばならず、本当に寒かった」と言う話しでしたから、看板には偽りはなかった訳です。

外国旅行の初日は美味くても不味くても良いから、ひとまずは泊まるホテルでの食事くらいが無難でしょう。

 北欧にはムーミン・ママが一杯

 二つ目はストックホルムのお城を訪れた時です。かなり高齢の何歳か判らない
ような現地の女性が数人チャンとした恰好をして、縫いぐるみのようにゆったりとした動きで公園を散歩してこっちの方のやってきました。北欧の男性はもちろん見上げるばかりに体がデカイのですが、我々から見ると女性も結構デカく、遙か彼方から針路を譲ってしまいました。

後で考えれば素直に「ムーミン・ママ」が数人来たと考えれば良かったのですが、進行方向の全面をふさがれてしまった感じで、本能的に“物理的脅威“を感じてしまったようです。ベンチに座る男女のペアも見ましたが、圧倒的にムーミン・ママの団体が多かったです。

「日本人の女性は歳をとってもコロコロと小さくて可愛いので北欧ではとっても、もてます」とかなり陰気そうなそれなりの年の現地の日本人ガイドの女性が言っていましたから、本当に本当なのでしょう。彼女も北欧的同棲をしているそうです。


 三つ目はオスロの路面電車内です。ちょうど通勤時に市内に行くのに乗ったのですが、日本のように新聞とか本を見る人はなく、みんな通夜のように静かで、ちょうどベルイマン映画の様な雰囲気で黙して乗っていました。その中で若者だけがでかい声で延々と携帯で話しているのですね。このアンバランスが異様でした。ノキアの国ですから携帯の普及は凄いのでしょう。

 北欧の原色極彩色

 四つ目は幾つかの美術館に入ったのですが、どこも荷物が大きいと預けなくてはならないのですが、どこも係は20代らしいアルバイトのような雰囲気の男性でした。ズーッとこの仕事かどうか解りませんが、もう少し力仕事でも良いのではないかと思ったのですが、なかなか仕事が無い様な話しでしたから、それが良い仕事なのかも知れません。都市部のトイレの有料化も仕事の“創造”なのだそうです。

絵画はいずれも暗色系の中間色が多く、明るい原色の作品に出逢うことは有りませんでした。写真は美術館の奥の隅で開かれていた子どもの作品展の絵です。デザイン的な絵が多いのはそう言った主旨で描かれたのでしょうか。

 これらの北欧的雰囲気を日本的にすると東山魁偉の「白の世界」とか「青の世界」となるのでしょうか。

 最近は家の外装にもパステルカラーが流行っているようで、それまでは茶色とかグレーが多かったそうです。北欧には南米や地中海の様なギンギラの明るい原色は合わないと思っているのでしょう。

 実は、フィンランドの有名ブランド「マリメッコmarimekko」には原色溢れる色彩の布地がお店には溢れていたのですが、日本での紹介さはどうも地味目のようです。

北欧は単純に独系人が北上して来たと考えれば良い様ですが、シェーンブルン宮殿に見られる様な黄色系は王宮を始め結構溢れていました。写真はオスロからベルゲンへ行く鉄道沿線の駅舎ですが、伝統的な色なのでしょう。

何故かここにエアコンの室外機が見えます。ここは冷房など決して要らないような高地ですから暖房のためとしか考えようがないのですが、こんなのでここの冬が凌げるのでしょうか。


 騒音は有る

室外機が出たところで、騒音の話しとなります。基本的に住宅が密集したような地域では個別的冷暖房施設の室外機は必要ないわけですから、日本的な近隣騒音は有り得ません。

ところが、私たちが最初に泊まったホテルの部屋は、わざわざ添乗員がなるべく静かな部屋という希望を聞いてくれたのか、フロアの端っこの奥の部屋にしてくれたのですが、生憎そこは隣のビルとの境でした。これが何とも不幸に、そこには巨大な室外機がゴーゴーと鳴っていました。「何で冷房」が必要なの?と思ったのですが、建物の部屋には灯りが付いていたのですが、事務所風なので夜になれば止まるだろうと思ったのが大きな間違いで、何時になっても止まらず、結局朝になっても動いていました。後で思えば、残業がない国なのだからそんなに遅くまで人が居るはずはなかったのです。

翌日、早々に何の建物かグルリと廻って確認しに行ったら、どうも普通の建物と雰囲気が違います。早速フロントで確認したら、「油工場」だと言うではありませんか。こんなホテルやアパート群が建つ地域に24時間稼働の工場が有るとは一体どういう事なのだろうかと思ったのですが、まー、それを言ったところで始まりません。
 生憎運悪くこのホテルで連泊なので、「あの騒音が煩くて敵わん。静かな部屋にしてくれ」と言ったら、部屋が空いていたのか案外すんなりと「ノー・プロブレム」と言う返事でホットしたのですが…。

実はこのホテルは、場所的には町の中心部にも近く、王宮にも近いという観光立地的には悪くはないのですが、部屋は道路側か裏側と言う二者択一で、裏側が工場側、道路側は路面電車が通っているという音アレルギー患者には最悪の立地だったのです。結局電車は一晩中走っているわけではないので選択の余地無く道路側にしたのですが、電車の音と振動は深夜まで、そして、早朝からそれなりにしたのですが、一晩中続く室外機の音とは全く違い「ノー・プロブレム」なのでした。

 しかし、どうしてああした場所で24時間室外機を稼働させておく必要が有るのでしょうか。いずれにしても騒音規制値内なのでしょうか。

そして、もう一つの騒音課題はストックホルムからヘルシンキまでの大型客船の一泊でした。

部屋は10畳くらいで意外と広かったのですが、案の定「ウオン・ウオン」と言う音がしており、眠れるかしらと思ったのですが、振動と共に眠れたようです。

それよりも立っているときのゆったりとした揺れに酔いそうになってしまいました。写真は少し遅れてしまった船上からの日ノ出ですが寒い!の一言に尽きました。


 セカンド・ステージ
 
 最終日は幸いに小春日和のような日になり、他に何か有ればそっちに行っても良かったのですが、格別何もなく折角近くにある世界遺産であるからここまで来て見ないのももったいないと言うことで、ヘルシンキの波止場から20分ほどの船旅でいけるスオメンリナ要塞に出かけました。

 結局、ここで出逢ったアメリカ人とのチョットした会話が旅の一番の想い出になりました。

丘の上(写真)でぼーっとしている一人旅の外人が居るので無視していたのですが、彼がおずおずと「シャッターを切ってくれないか」というのでOKと切ってあげたついでに、「どこから来たの」と聞いたら、帽子を指したので見たら「HAWAII」のロゴが付いていました。

「一人で旅行ですか」と聞いたら、黙っているので、うん何かまずいことでも聞いたのかなと思って、「仕事は何に」と聞いたら、直ぐさま、「TVの衛星中継の仕事をやっていたが、とってもハードだった。退職して、2ヶ月のバカンスを取り、ここへは北極から降りてきたところだ」と言うことであった。

“From Hawaii to North Pole, you are frozen”なんて言ったら、キョトッとした後、彼はとっても嬉しそうに笑って“Oh! Yes. It's very cold. I'm rearlly frozen.”何て言って、しばらくとりとめもないない話しをした。北極から降りてくれば、北欧は随分と暖かいのだ。少なくとも”凍る”程ではない。オーロラを見たとか言っていたが、私には無理だ。
 最後に彼は”I have little nice talk. You speak good English.” 何て言ってました。陽気なアメリカ人にしても長期の一人旅は流石に「人寂しく」なるのでしょうか。

しばらく近辺を彷徨いて船着き場に向かおうと丘を見上げたら、大型レッサーパンダのような彼は、まだ丘の上で、海の方を眺めていました。


有色人種に対する差別感なんぞを時々感じる旅で、(@ホテルでエレベーター近くの部屋や階下は大抵外人A団体で乗り場に同時に待っていると大抵外人の団体が先B個人的にレストランで「ここに座って待て」と書いてあるので大人しく待っていたが、我々がいることを知っていながら何時まで経っても案内人は来なかったC建築的に有名なホールを見に入ったのだが「今日はクローズであるから出て行け」と言われた。入ったのは単なるロビーで他にも人は居た。会議開催中などの掲示はなかった。BCはヘルシンキのことで他にやりよう、言いようが有るのではないかと思い、とっても不愉快になった。そう言えば、フィンランドは未だに移民を受け入れていないそうです。)30年くらい前の欧米のようで、久々にあまり愉快な旅ではありませんでした。


海外に行っていつも思うことは、結構立派なホテルでも、バスタブは立派でデカイのに、なんで洗面器のようにあんなに浅いのか!北欧人なら寝転がっても間違いなく体が半分は出てしまうはず。あくまで、バスは洗面器の大型の”洗体器”なのでしょう。お湯に浸かって暖まるという意識感覚がないのでしょう。
 そして、また、湯を入れすぎた時に「漏れる」ようにして無くて、「溢れて」しまうのか!単に二重槽にして配水管を繋げば済むのに、できないのか!

 日本に帰ってきて、お風呂に首まで浸かり、湯船の外でジャバジャバ洗うと生き返った気がします。

そして、もう一つ、どうしてトイレはシャワートイレとまでは言わないまでも、せめて北欧なら温便座にしないのかという事。お尻の皮が厚くて冷たさを感じないのか!便秘の人は居ないのか?!

その昔バリ島に旅行したとき、どんなトイレのブースにも水を汲んだバケツに柄杓(ひしゃく)があるか、水道に繋いだゴムホースがあり、トイレの床がビシャビシャに濡れていた。いつも掃除しているのかと思ったのだが、それからしばらく経って日本にシャワートイレができては初めてトイレの水の意味が解ったのです。

 シャワートイレも、最初は何となく気持ち悪くつかえなかったのですが、今ではシャワートイレでないと気持ち悪くなってしまう。どこの国の生活習慣もそれなりの意味があるのであって、人間の意識感覚はそうそう簡単には変わるモノではないのでしょう。洋式トイレでも最初は何となく座り心地が悪かったのですが、今では何の違和感もありません。日本メーカーの全世界に渡る強力な販売攻略を是非とも期待したいところです。


もちろん私が北欧で目にし、感じた、高齢者や若者や子育ての姿の現況などは、北欧諸国の30年以上に渡る国民・行政の英知の成果のホンの一端なのでしょうが、これが現在人類が達成可能な高福祉社会を始めとした最終理想形態なのか、あるいは今後も変化を続けていくのかは解りません。が、少なくとも、現在の日本がひとまずは目指すべき姿であることは確かでしょう。

 特に子育て、教育の変革には最低でも一世代30年間は要するはずですから、現在のような生ぬるい施策でなく有効的に急加速的に適切に行われないと、少数の大企業は残っても、国民は疲弊してしまうことになってしまうのではないでしょうか。

 そして、生きたいのに死ななければならない多くの人の居る日本の現況は決して是とされうるモノではありません。しかし、一方、単に死なないからと言って寝たきりで生き続けることが本当に是なのか。
 これは個々人の考え方、生き方、詰まるところ多くの物事により裏打ちされた個人の哲学の問題なのですが、国民的哲学(≒日本の常識)からすると乖離するところが大きく非常に難しいところです。

 北欧では「人生、もう良い」と考えて自殺する高齢者が少なくないと聞きました。そして、それは肯定も否定もされないそうです。それにはルター派の宗教的理念が基盤に有るからのようです。いずれにしても、フト自分の行く末を考えてしまうような、ある程度歳をとってから北欧に旅行するのは、あくまで、私の個人的趣味としてはお薦めできません。滞在中もそうでしたが、帰ってきてから一層暗く落ち込んでしまっている日々です。
 
 もちろん”森と湖、フィヨルド、サーモン、…、高福祉、…、デザイン、ムーミンの国”北欧を目指すなら何ら問題有りません。


※ここでは北欧を一まとめ的に述べていますが、それぞれに国民性があり単純に同一に述べることは明らかに適切でないのは十分承知しています。それは恐らく、西欧人が日本、韓国、台湾、中国などの東アジア諸国を一概に述べてしまうのと同じ程度の事なのでしょう。


最後まで読んでくれてありがとう。


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070927