由良町の風力発電2:低周波の健康被害の訴えに、町長「風車停止の権限ない」

風力発電施設に係る環境影響評価の基本的考え方に関する”地方自治体組長の立場”

 

 12/12/15の報道で、和歌山県由良町の風力発電:において、風車の低周波による健康被害を訴える住民に対し、町長は「風車停止の権限ない」と答弁したと言うことが報道された。確かに、風車の停止を命令するまでの権限はないのかも知れないが、組長なら地元で住民からどうしてこうした”訴え”が出るのか何らかの”調査”くらい出来ないモノかと思ったのだが、それが日本気象協会が行った「騒音・低周波音の事後調査」なのだろうが、その報告書は素人目にも非道い。

 まー、しかし、その結果は春の議会秋の議会での回答に見るところからも明らかで、”気象協会の「低周波による影響は極めて低いと言う報告…信用性を疑う根拠はない」”、更には、風車被害を訴えた33名の地元住民に対し、「健康被害については、風力発電と自覚症状の因果関係が分からない中で、健康調査を実施する予定はありません」「保健師による訪問相談等の対応を考えられます。また、保健所においても、指導をお願いしたいと考えてています」と答弁している。”苦情者よ、保健所に行け!”と言うことに収束するのであろ。

 詰まるところ、町長は答弁からすると、「気象協会の調査」は信じるに足るが、「地元住民の自覚症状」の訴えは「因果関係が分からない」から健康調査はしないと言うことなのだろうが、これは(風車騒音問題は)「問題としない」と言うことである。

 しかし、低周波音問題とか風車騒音問題に詳しくない人でも、「風力発電が始まり自覚症状は出てきて、風車が近くにある自宅を離れれば多くの自覚症状は無くなる」のであるから、「風車の稼働と自覚症状発症の因果関係は明らか」と言うのが常識的な考えで有ろうが、行政的も、科学的も「その因果関係は明らかでない」と言うのだから常識、非常識の判断は難しい。実際はこの問題はその問題が自分の身に実際に起こってみなければ解らないと言うことである。

 只しかし、一度死んでみないことにはあの世のことは解らないと同じように考えてはいけない。何せこれはこの世で地獄を味わうことになり、その地獄を語っている人が幾らでもいることであり、あの世の話より遙かに証言が多いからだ。

 と言うことで、言うまでもないことだが、実験室でなく地獄の被害現場でなくては出来ないモノの一つが、騒音源である風車のオン・オフと自覚症状のオン・オフである。このオン・オフの関係こそは低周波音問題対応のための「手引」に於いて「発生源の稼動状況と苦情内容の対応関係の把握」として多くの字数が割かれている。そして、これこそ、「推定される発生源(施設等)の稼動・停止を行える場合」に当たるわけで、事業者、測定業者が「手引き」に従って測定したとなるなら当全戸の作業が無くてはならない。そして、これこそ机上や実験室でなく被害現場でこそ調査できることなのである。ただ。その結果は恐らく「明らかなる変化は見られない」と言うことになるかも知れない。しかし、それが重要なのだ。

 現在”風車被害で明らかに分かっていない事は「人体への影響は極めて低いとされる風車等から出る低周波音により、現実に人体に切実な影響が現れる」と言うことであるからだ。そして、それは「低周波音被害は単なる数値で測りうるモノではない」という低周波音被害の本質を傍証することになるからである。

 少なくとも風車騒音については人体に影響が有り、多くの被害者が出現しており、それは、「参照値」より遙かに下回る数値で人体に影響が出ると言う、それまで国が低周波音被害切り捨ての錦の御旗のしてきた「参照値」では律しきれない状況が頻出しており、流石に国も「参照値」の”万能性”を引っ込めざるを得ず、かといって打つ手もないので、「因果関係が不明」等という”問題をウジャムジャにする際の常套表現”を使い、環境省が”ダラダラ”と調査をしているのである。


 この町長が出来ることは多くはない。ただしかし、「気象協会の調査」は信じるに足るが、「地元住民の自覚症状」の訴えは「因果関係が分からない」から健康調査はしないとするのは余りに地元住民をバカにした話だ。因果関係が分からないからこそ「被害の現場であればこそ調査すべき」ではなかろうか。少なくとも風力発電が始まり自覚症状の有る苦情者が出たのであり、風車を止めれば多くの自覚症状は無くなる、のではないかくらいの調査は出来ないモノだろうか。もちろんそれにより、”風車の稼働と自覚症状が連動”しているような事になってはあまりに都合が悪いのかも知れない。

 さらに、町長が信じる「気象協会の調査」は、その後、私は調査書自体は見ていないが、それに対する専門家のコメントを拝見すると、素人目にも明らかに調査としては不備であると言うより、無意味で、「問題なし」と言うための結論を出すだけのための「とても信じられない調査」で有る事が解る。

 風車騒音の低周波音の影響は、
時としては、引っ越さねばならないほどであり、そして我慢すれば時には死なねばならないほどの影響があるのだが、それ程のモノが「極めて低い」影響といえるものなのだろうか。そして、風車が稼働を始めてから出始めた”苦情”が風車の稼働と”因果関係がない”とどうして言えるのだろうか。
 少なくとも”因果関係”等という科学的らしい言葉を使うのなら、少しは”言葉を字義の如く科学的に使ってほしい”モノである。


 従って、実際に保健所が健康調査をしたところで、被害者の苦情を聞くだけで、具体的な異常症状などが判っても、原因などが”ほいそれ”などと解るはずもなく、「保健師による訪問相談」とか、「保健所の指導」で何かが出来るなどとは思えない。しかし、被害の現場でそれなりの調査をすれば「何かできる」のではないか、と頭を巡らせるのが地元の長の思いではないかと思うのが素人の考えであり、一低周波音被害者の希望である。いずれにしてもとにかくこうした事案は”保健所にお任せ””県にお任せ→国にお任せ”、と言うことで、要は行政お得意の”盥回し”と言うことなのであろう。

 と保健所を少々虚仮にしたが、実は、その後寄せられた情報では、当該地の保健所所員がそれなりに頑張ったようで、アンケート調査をしよとしたり、被害者も当該地域に於いてアンケートを実施しようという動きが有ったのですが、後者に於いてはそれを当該地の区長の所に持っていき、区長が町役場に持って持っていったところ、町役場が、「そんなアンケートなどする必要ない」としたことで頓挫してしまったと言うことである。当時は、風車被害について口にする人も少なく、もちろん被害者の会もない時期であったが、その頃から所員の態度が変わっていったそうだ。”県の圧力”があったのではないか、と思っていると被害者の一人は言う。

 なお、昨年冬から今年の冬にかけて畑地区で3人が脳梗塞で亡くなり、その内2人はご夫婦だが、その家は”谷合”で、風車の音がまともにあたる所だそうだ。冬は特に低周波音の被害がきつく、この後も犠牲者が続くかもしれない、と言うことである。こうしたことが単に寿命によるモノなのか、風車騒音被害からくるものなのか因果関係を探ることは非常に難しいであろうが、それ故に、今の内にこそ自治体は調査すべきなのだ。”風車ができると、老人は死ぬ”かもしれないと言う風評が出来る前に。

 もちろん、保健所の調査で”面倒な結果”とか、更には何らかの効果的な解決策でも出てしまったら今まで40年以上も原因不明、因果関係不明としてきた国の態度は何だったのかと言うことになってしまう。
 ただしかし、この際、住民が一挙して保健所におしかけ行き、『低周波音の影響は問題無い』と言う「診断書」を取っておくことは、今後いつか「風車と低周波音に因果関係が有り」となったときキッと何か役に立つに違いない。

 「行政のたらい回し」を何かの役に立てるとすれば、「当部署は何も知りません」と言って問題をたらい回しにした証拠を取っておくしかない。何れにしても、問題は住民と風車に対する行政の姿勢なのだ。その態度は今後の風車建設、行政一般にも影響しないわけがない。


  問題の隠蔽というより”黙殺”は既にこれまで幾つかの自治体で行われていることで、少なくとも、組長は設置の許可に際し、風車近くの住民のように、その影響の可能性を一切知らなかったでは済まないはずだ。特に昨今では。もし、組長が何も知らない内に風車が造られたとすれば、建設当時には、地元理解や承認は要らなかったのかもしれないが、少なくとも形だけでも有ったはずで、現在計画が進んでいる愛知県西尾市ではこうした住民説明会が実施されている

 そして、その中で、風車事業者は建設に際し、形だけでも、”面倒は起こしません。後の苦情の面倒は見ます”等と言ったはずだ。そして、それこそ、今こそ”面倒”なのだ。その面倒の処理は、業者が防音サッシを付けたり、区費を払ったりして解決するような問題では決してないことはこれまでの例から明らかである。

 そもそも被害は区民全部ではない。それを結果として区民に金をばらまくことにより、被害区民を無被害区民により牽制しようという狙いしか感じられない。もちろん仮に被害者に1千万とまでは言わない、数百万円の被害補償金でも出してご覧なさい、今まで風車の音が全然聞こえなかった人たちが、急に聞こえるようになり、風車病の症状を呈する様になるかも知れない。こうしたいざというときの混乱の収拾を考えるなら事業者こそ、少なくとも複数人の被害者がいるなら「健康調査」を一度はしておくべきであろう。

 平成24年12月6日、「大間風力発電所建設事業に係る環境影響評価準備書に対する環境大臣意見において、「今後、事業者には、環境大臣及び関係自治体の長の意見を受けた経済産業大臣勧告を踏まえ、法に基づく環境影響評価書の作成等の手続が求められる。 」と言うことなのだが、こうした組長の元ではどんな準備書がだされても”無問題(モーマンタイ)”、いや共通語という”没問題(メイウェンティー)”と言うのがピッタリになるのではなかろうか。


 12/19、町長は「風車停止の権限ない」とした事に関し、町長と面談した由良町風車被害関係者から、「町長は”被害者には保健所に相談するように何度も言っているのに、だれも相談に行こうとしない”などと、一方的に延々としゃべり、被害者が漸く質問をしようとすると、”忙しい。時間がない”と追い払われた」ようだと連絡が有りました。

 更に、12/12/23に至り、由良町長が「風車停止の権限ない」とした、普通なら有るべきはずの町議会の議事録の作成と録画放送がないと言う連絡が関係者の方から有りました。再確認してもらいましたところ、ビデオの隠滅というようなこともなく、録画放送は28日にされ、議事録も作ることになったそうです。連絡ありがとうございました。

 意図的かどうかは別として、そもそもが、既に新聞報道されてしまった内容を、今更議事録を作らないことや、録画放送をしないことで”無かった”事に出来る時代でもなく、むしろ後で、完全にその事orその日の記録が欠けていることが解ったりすれば、内容そのものよりもむしろ「当然あるべきモノが無いと言う事実」の方が一人歩きし、「隠滅」と言うことになり寧ろ”痛くもない腹を探られる”ことになり、返ってみんなの記憶に残る可能性の方が大であることが予想できないのであろうか。

 こうした態度の根本には、風車騒音問題やエコキュートの低周波音問題の様に現実に低周波音による被害者が惨状を訴えているにかかわらず、産官学打ち揃って「そうした事実はない」と長い間否定し続け、それがいよいよ難しくなると、「苦情はある」事は認めたモノの、そうした事実は”科学的知見ではあり得ない”とするのみで、、己が新たなる科学的に知見の創成に携わるわけではなく、単に”海外の知見の収拾に努めるだけ”で、詰まるところは、”更に知見の収拾に努め、現在調査中”を延々と続けると言う、問題の解決を延々と先延ばしするという国の態度に倣ったに過ぎないのかも知れないが。 

121225


こうした事になった経緯を遡ると

黙殺の音  続 和歌山県由良町3:風力発電低周波健康被害私論 究極の静けさの中で微かに聞こえる風車音 研究室よりも理想的な低周波音長期暴露"人体実験"  141019


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