「当時、君達のお父さんは、ある研究会に所属していた。光線の研究だ。彼等は、あの小高い山……」
ホイールが指し示した先には、ここよりも高い山があった。距離としては、ホバーカーで半刻程度といったところだろうか。
「あそこから旧の研究所に向かって、光線を投射した。威力は弱めてあったし、目標物が要る実験だったんだろう。ところが」
「失敗だったのね?」
「そう。拡散された光線は思いのほか広がり、強力なものとなった。幸い、その頃には空飛ぶ研究所の開発が進んでいてね。所員は留守だったんだが、森が一瞬にしてあれだけの砂漠になったわけだ」
地図上で見ても、実際に船の上から観察しても、かなりの広さがあるのだ。驚異的な武器と言えるだろう。
「投射機器を操作した研究員は翌日自殺し、また君達家族もワンド氏がいる大陸へと引っ越した。その後の君達のお父さんは知っての通り、いっさい科学に触れようとしなかった」
「……」
「砂漠の中に墓を建てたのは、お父さんの遺言だというのは知っていたか?」
黙したままでいる自分達姉妹に、エンペラーが声を掛ける。重たく感じる頭を、ゆっくりと持ち上げた。
「幸せに暮らす一方で、ずっと島のことを気に掛けていたようだ」
「そうだったの」
なぜ人が通うのに困難な所に、あえて墓を建てたのか。幼さが抜けない姉妹には、分からなかったのだ。こんな事実があったことを知るのは、母とワンド。それから。
「兄さんは、そのことを知っていたのかしら?」
「知っていたよ」
兄と友人だったフールは、昔を思い出すように静かに目を伏せた。
「僕は、彼と幼馴染だからね。彼自身も、あまり科学には乗り気じゃなかった。しかし、主席の彼を研究所の連中は引っ張ろうと躍起になっていたらしい。実際に僕も、研究員が彼に接触しているのを何度か見たことがある」
「そうなの?」
彼の隣りにいるラバーズが、顔を上げる。
「君にも話していなかったが、中学の卒業生の内1人研究所に寄越せ、と学校側に脅しを掛けるほどの強行振りだった。その時は、あいつの代わりに僕が所員となったが」
「随分、横暴なのね」
「だが、一時は良かった。良かった……と言うには誤りがあるだろうが、ジャスティスのおかげで生命科学の研究が順調に進んだ。そのため、君達一家を追い掛け回すことは無かった」
「ジャスティス……デスの母親は、兄であるジャッヂメントから無理矢理引き継いだ研究から、『永遠の命』という技法を編み出した。これはハミットにとって、満足のいく結果に終わった。彼女は……彼女と俺やホイール、マジシャンやレンの研究会は、ジュニアを作り出した」
一斉に視線を集めたジュニアは、小首を傾げる。
「私は、ハミットの娘が元になった人形。ハミットの娘の染色体の一部が、使われているの。ハミットは、とても優しくしてくれたわ。皆がどう言おうと、私はハミットが好きよ」
幸せそうに笑う少女は、今でも心から彼を慕っているのだろう。
「ハミットは僕に所長の座を譲り、ジュニアと共に生涯、今の僕の屋敷で静かに過ごした。これで、盲目的に『永遠の命』を望む者はいない。研究員達も、自ら残って独自の研究を続ける者、ホイール達のように研究所を降りる者など様々だった」
「ところが、だ」
エンペラーが、中指で机を2度3度弾いた。
「再び、永遠の命を欲しがる奴が現れた。彼はハミットを脅し、各地の子供をさらい、俺やデスを瀕死に追いやってまでもかつての研究会の会員を集め、無理に『永遠の命』の研究を進めさせた。デビルなどは実験台にされた、いわば被害者だ。ジャスティスは嫌がったが、俺とデスのために『永遠の命』をとうとう完成させた」
「……フールが今、自治領主をしてるってことは、フールが所長だったわけじゃないのよね?」
不安そうなラバーズに代わり、気になることを質問してみる。
「そんなの、あいつが来た時点でお役ごめんさ。ハミットに無理矢理自治領主にさせられ、今に至る。ま、そのおかげで攫われたラバーズを助けられたわけだけど」
「今の所長は、ハングマンという男だ」
デビルが告げた名を、頭の中で繰り返す。どこかで聞いた覚えがある気がした。
「君のお兄さんは、研究のため東の国に行った時、交通事故に遭った。ハングマンを助けるために犠牲になり、彼は瀕死の重傷を負った。そこで、ハングマンは彼を助けたいと思ったんだよ」
そんなことを聞かされても、ありがたいのか怖いのか、訳の分からない気持ちにさせられるだけだ。
「君のお兄さんは隙を見て、ホイール達を逃がしてくれた。今、ハングマンが暴走していないのは、彼のおかげでもあるんだ」
「ちょっと待って。兄さんは、生きてるの?」
慌てて止めに入ると、デビルに笑われた。
「さっき、『永遠の命』を完成させたって言ったじゃないか。もっとも、そんなの無くても彼は助かったんだけどね」
確かに、そうは言われたが、長年生き別れていた人のことをあっさりと口に出されると、どこか腑に落ちないものがあるのだ。
「レンが無事なのも、彼のおかげだ。彼は、空飛ぶ研究所の『善』の部分として支えてるんだよ」
「そう……兄さんが」
『永遠の命』と呼ばれる技法を使うまでもなく治癒した兄と、今まで一度も会えなかったことには少なからず腹が立つのは事実だ。しかし、彼もまた自分達以上に大変な思いをしてきたのかもしれない。
「ただ、それも長くは続かないかもしれないね。塔のことを、ハングマンが怪しがってる」
「あいつも知らないのか……レンが攫われたということは、中身はジャスティス絡みかもしれないね」
「おばさんの?」
顎に手をあてて思考を廻らせていたらしいフールが、一つ頷いた。
「レンとジャスティスは、仲が良かったからね。とりあえず、後はこちらから動かないと解決しなさそうだ」
「結局、あまり分かったことなんて無いじゃないか」
テンパランスが頬を膨らませるのを、肩を軽く叩くことで宥める。
「私達には、兄さんが生きていると分かっただけでも大収穫だわ。でも、空飛ぶ研究所に向かう手立てなんて」
「うちになら、あるよ。だてに空飛ぶ研究所の所長をしていたわけじゃない」
フールが肩を竦めて、片目を瞑る。
「いったん、ホバーカーでうちに行こう。どのみち飛行機は小型だから、乗用のホバーカーに乗れる人数しか案内できないな」
「大人だったら、フールを入れて4人ね」
無理をすればもう少し乗れるのだが、帰りはストレングスを……もしかしたら、兄も乗ることになるかもしれない。
「僕は飛べるから、ホバーカーは必要ないよ」
椅子ごと中に浮いたデビルに、テンパランスが呆れた顔をする。
「便利だな、その副作用。て、俺達に付いてくる気かよ」
「エステスの傍にいる方が楽しいし、どのみち僕の家は空の上だし。副作用は、ありがたく活用させてもらってるよ」
「じゃ、私とフールとランスとエンペラーとデビルの5人で上に行くってことで、良いかしら?」
指を折り曲げながら、ホイールの顔を窺う。
「ああ、頼むよ。僕は少しやることがあるから……少し、エンプレスを借りるよ」
彼は逆にこちらに一言伺いをたてると、エンプレスの前に屈んだ。
「悪いけど、少し手伝ってほしいことがあるんだ」
自分でも手伝えることがあるのが、嬉しくて仕方ないらしい。エンプレスは、頬を染めて頷いた。
「うん、わかった」
「エンプレスが行くなら、僕も行くよ」
すっかりエンプレスの騎士気取りなデスに、ホイールが苦笑する。
「ああ、よろしく頼むよ。マジシャンは、ラバーズを連れて先に塔に向かってくれ。勘が正しければ、4兄妹は必要になる」
「分かったわ」
「それじゃ、各自成功を祈る。解散……と、いきたいところだけど」
「まだ何かあるのかよ?」
研究所に向かう手段があると分かった途端にそわそわと落ち着かない様子のテンパランスが、うんざりしたようにホイールを見上げる。
「みんな、おなかは空いていないかな?」
指摘されて、思わず胃の辺りを擦る。急に空腹を感じるのは、現金だろうか。
「そう言われてみれば」
「気付かない内に、昼もだいぶ過ぎていたようだな」
「俺、2日連続で昼飯逃してるっ」
今まで、よほど規則正しい生活を送ってきたのだろう。テンパランスは、さっきホイールを睨みつけたことも忘れて、大きな衝撃を受けている。
「これから動いても、塔に着いた頃には暗くなってしまっているだろうし、僕の用も明日の方が都合が良い。今日のところは、皆でここに泊まっていくということで、どうだろう?」
空腹はともかく、砂漠に明かりがあるとは思えない。ホイールの『用』というのが塔関連だとするなら、賛成するしか道が無かった。
◆◆◆
若い頃は、運動神経が良い方だと自負していた。誰にも気付かれることなく、容易に部屋から抜け出せると軽んじていた。
ところが、どうだろう。今、目の前には自分の娘が、毅然とした態度で立っている。
「何をされているんですか?」
常は1歩引いたところがある娘が、こちらを睨みつけている。明らかに、怒っている。
「それは、少し語弊がありますよ。今から、しようと思っていたところです」
穏やかに言ってみても、揶揄してみても、彼女の表情は変わらない。明確な理由が無ければ、絶対に引く気がないのだと知れる。
その一本気な面が、若かりし頃に心揺らした女性を連想させた。次いで、彼女の長女をも。
自分の娘は、こんなにも強い女性だっただろうか。勉学や友人の家族に現を抜かしすぎて、一番身近な者の成長を見過ごしてきたとでも言うのだろうか。彼女が生まれてからこの方、最も大切なのはかつての片恋の相手でも亡くした友人でもなく、目の前のその人だと言うのに。
「私は、大事な教え子を迎えに行かねばなりません。怪我をおしてでも、動かなければなりません。過去を、清算しなければ」
「塔へ行けば、清算されるんですか?」
鋭い声音に、思わず苦笑する。
「されると言うか……自己満足なんでしょうね。しかし、それで折り合いをつけることができる。思い出は大切です。でも、今も大切なんですよ」
彼女はいったん廊下へ出ると、平らに折り畳まれた何かを持って戻ってきた。細く白い彼女の手によって組み立てられたものは、空気椅子だった。車椅子ではなく、空気椅子なのだ。その意図が分かり、目を見張る。
「ソード……それは」
「砂の上を行くなら、こちらの方が良いでしょう?」
硬い土の上ならともかく、砂漠の上で細い車輪を動かすのは容易ではない。すぐに砂に埋もれてしまうからだ。
「今からなら、明日の昼前には島の中部に着けますよ。そこまで、私も付いていきます」
なんということだろう。理由さえ分かれば、彼女は最初から自分を島へ送り届ける気でいたのだ。本当に知らぬ間に、素晴らしい娘へ成長してくれた。
ああ、私も歳を取ったものだと、この時改めて思った。