第23話 セウス、料理大会に参加する

 この日のセウスは、朝から緊張しっぱなしだ。ハイエロファントの屋敷から中央区への道中など、酷いものだった。既に慣れてきた学都祭用の挨拶を返すことができず、隣りでブライアンに話しかけられても上の空。終いにはハングから、「手と足が同時に出てますけど」と突っ込まれてしまう。
 トゥルーカフェでの約束通り、セウスは料理大会の舞台にルエルと立っている。先から鼓動が煩くて敵わない。手も震えているし、このような状態で包丁をまともに扱うことができるだろうか、と早くも不安だった。
「セウス君、大丈夫?」
 調理道具を確認していた手を止めて、ルエルが心配そうに尋ねてくる。昨年、一昨年と劇に出ていたらしい彼女は、少しは舞台慣れをしているのだろうか。少なくともセウスよりは、よほど落ち着いているように見える。
 思ったことを素直に伝えると、ルエルは困ったように笑った。
「そんなことないよ。私だって手、震えてるもん」
 ルエルが、セウスの手を取る。その瞬間、サエリハの叫び声が聞こえたような気がしたが、あえて観客席の方は見ないことにした。彼女の手は、小刻みに震えている。いつもの笑顔で話しているから分かりづらいが、明らかに緊張していた。
「私ね、まだお料理始めて半年経ってないんだ。だから、セウス君の足を引っ張っちゃうと思うけど」
 手を離すと、上目遣いで見上げてくる。サリアとは違うが、妹気質のようで微笑ましい。それでいて人に気を遣ってくれる女の子だ。サエリハが好きになるのも、分かるような気がした。
「大丈夫。俺だって、そんな凝ったものは作れないし、ハング達もおいしいって言ってくれたんだろ?一生懸命やればいいんだよ」
「うん、よろしくね」
 ルエルの爽やかな笑顔に救われた気がする。それでも会場にいる人々の声が聞こえると、新たに緊張感が生まれるのだ。こればかりは、もう仕方がないのかもしれない。
 そんな中、1羽の小鳥がセウスの傍に寄ってきた。手を出すと、指にとまって愛らしく語り始める。
『大丈夫、セウス?覚えてる?白い建物まで案内したこと』
 ああ、と気付く。クランケットがいた研究所まで案内してくれた渡り鳥の内の1羽だ。まだ、この辺りにいたらしい。
「あの時は、ありがとう。助かったよ」
 『どういたしまして』と言うように、鳥は喉を鳴らした。
『今日はまた随分と緊張してるみたいだけど、君なら平気さ。何かは知らないけど、頑張ってね』
 小さな鳥の気遣いに、思わず笑みが零れる。
「ああ、ありがとう」
 人差し指で頭を撫でて、とまっている方の手を少し上に向けてやる。小鳥は羽ばたいていった。これから仲間の元へと帰ってゆくのだろう。見送っていると、横からルエルの視線を感じた。
 振り返ると、彼女は笑顔だった。セウスの能力を嫌がるでもなく怖がるでもなく、当然のように受け入れて見守っている。
「セウス君の能力は、生まれつきなの?」
 そうか、とセウスは納得した。彼女も一応、未来視という特殊能力者だったのだ。そんなことさえ忘れてしまうほど、少女は自然だ。きっと周りの人間に恵まれているからだろう。
「ルエルは違うの?」
 途端に、彼女は首を傾げる。
「私も生まれつきではあるんだけど……うまく言えないよー」
 ルエルが悩むのも、無理はないのかもしれない。セウスにしても気が付いた時には、既に当たり前のように能力を使っていたのだ。いつから使えるのかとか、なぜ使えるのかなどと、あまり考えたこともない。
「いつからなんて、本当は分からないんだ。どうせ一生付き合っていくものだから、考えたこともなかったし」
 ルエルが、不思議そうな顔をしてセウスを見る。何か、おかしなことを言っただろうか。
「一生?」
「ああ。みんな、そうだろ?」
 問えば、ルエルは首を横に振った。
「ファント教授の知り合いの人にも、私と同じ未来視の人がいたんだって。でもその人は、ある日を境に何も見えなくなったって」
 驚きのあまり、金属製の器を落としてしまう。慌てて拾い上げ洗いながらも、顔だけはルエルに向けた。
「何も見えなくなったって、どういうこと?」
「能力が無くなっちゃうってこと」
 能力が、無くなる。そのようなことが本当にあるのだろうか。
「昨日の夜、ファント教授と話をする機会があって教えてもらったの。私は明後日からの未来が、いまだに見えない。でもそれは、もしかしたら嫌な未来が起こるからじゃなくて、ただ私の能力が無くなるだけかもしれないって」
 ここのところルエルは、ずっと明後日以降のことを気に掛けていた。そこでハイエロファントが気を遣った、ということではないだろうか。しかし仮に彼の話が本当のことで、いつかセウスの能力が消える日もあるのだとしたら。嫌ではないけれど、どこか寂しい気がした。
「セウス君」
 自分の考えに没頭していたらしい。ルエルがセウスの袖を引っ張って、意識を外へと戻してくれる。
「ごめんね、こんな話になっちゃって。もう本番だけど、大丈夫?」
 また心配そうに見上げてくる彼女に、笑顔を見せた。
「ああ、大丈夫。おかげで、緊張もどっかに飛んでいったしね」
「そっか、良かった」
 肩までの髪を跳ねさせて、ルエルも笑った。
『選手の皆さん、準備はよろしいでしょうか?』
 張り上げられた司会の声に、手に力が入る。先のような悪い緊張ではない。
『それでは、始めっ』
 合図と共に、舞台上にいる人達が動き出す。全部で20組。前菜、主食、甘味、飲み物の合計得点で争われる。審査員は10人で、中にはブライアンの姿もあった。実は美食家でもあるらしい。贔屓などというものは、あってはならないし、期待もしていない。祭りだからこそ、公正であるべきだとセウスは思う。
 事前に、セウスが前菜と主食を担当、ルエルが甘味と飲み物の担当と振り分けておいた。そのうえで、ルエルに余裕があれば主食の手伝いに回ってもらう算段だ。
 セウスにとって、旅に出て初めての料理だ。気合も入る。
「セウス君って、手際がいいんだね」
 土台となる生地を混ぜているルエルが、セウスの包丁さばきに目を丸くしている。幼い頃からやっているのだから年季が違う。まだ初心者の域を抜けきっていないルエルと、手つきに差があって当然だ。
「ルエルこそ、始めたばかりとは思えないんだけど」
「そうかな?」
 ルエルが照れたように笑う。またサエリハの声が聞こえた気もするが、無視した。
「あ、ごめん。ちょっと、お願いがあるんだけど」
 セウスの手が止まる。機械の使い方が分からないのだ。村では薪を使っている家も少なくなく、最新の電子機器なんて見たこともない。
「こうやって、ボタンを押すだけだよ」
 温度と焼き時間を聞いたルエルが、器を片手に素早くボタンを押していく。
「これって、本当に焼けるの?」
 見たところ、火が出ていないようなのだが。
 首を傾げていると、ルエルに笑われた。
「それは、出してからのお楽しみだよ」
 箱の中身が気になりながらも、主食から一端離れて前菜に作業を移す。制限時間が設けてあり、呆けている余裕はなかった。

 ◆◆◆

「惜しくも商品獲得ならず、ですか。残念でしたね」
 ハングの言葉の通り、セウス達は5位に手が届かなかった。それでも一所懸命やったから、セウス自身には悔いが無いのだが。
「でも8位入賞なんて、よく頑張ったよ」
「そうそう。ルエルちゃんは料理を始めたばっかなんだし、セウスは機械慣れしてないもんな。よくやったぞ」
 ハイエロファントとサエリハが、ねぎらいの言葉を掛けてくれる。一つ気掛かりだったのは、セウスの機械不慣れの件だ。事あるごとにルエルを呼んで、作業を止めてしまったのだ。
「ごめん、ルエル。俺が、足引っ張っちゃって」
「ううん、そんなことないよ。私もお茶を煮出しすぎて、苦くなっちゃったし」
 彼女は人を責めることはせず、笑顔で首を振るのみだ。とても優しくて、強い。1日一緒にいることで、なんとなくルエルの人となりが分かってきた気がする。
「これからも、アリスちゃんと一緒に練習するね。うまくいったら、差し入れに行くから」
 ルエルの言葉に、カエサルも柔らかい笑顔を浮かべる。
「ええ。楽しみにしていますよ」
「俺もっ。ルエルちゃんの料理、食べたいな」
 ルエルとカエサルの間を、サエリハが割って入る。
「いつか、俺にも作ってよ」
「うん、いいよ」
 心なしか、ルエルの声が弾んでいる。サエリハに言われたことが嬉しいのか、ただ単に食べてくれる人がいることが嬉しいのか。どちらなのだろう。
「やった。今日のルエルちゃんは、手際良かったもんなー。料理姿も似合ってたし、かき混ぜる姿もかわいかったし」
 サエリハの心と頭の色が、妄想へと切り替わりつつあるらしい。ハングの視線が、徐々に冷たいものへと変わっていく。
「絶対、良いお嫁さんになるよな。温かい家に、おいしいご飯。疲れも吹っ飛ぶよな。『お風呂にする?ご飯にする?それとも……』なんてなっ」
 同意を求められても困る。ルエルの真似をしているようだが、裏返った声が気持ち悪い。彼のルエル馬鹿には付いていけそうもなかった。
「君は、俺の最高の癒しです。俺と付き合ってください、なんてね」
「はい」
 サエリハは右を向いて、固まった。そこにいたはずのルエルはハングの手によって、とうの昔に前方へと連れ出されている。快く承諾したのは、眼鏡を光らせた女医だった。人の悪い笑みを湛えている。セウスは寒気すら覚えた。
「うわっ、これは癒しじゃないっ」
 驚き慌てふためくサエリハに、フルールは憮然とした表情を浮かべた。
「失礼ですね。実験台にしますよ」
 こういうところが癒し系にはほど遠いのだが、余計な口出しは寿命を縮めるだけなので止めておく。
「話は終わりましたか?」
 確認を取ってから、ハングはルエルの耳を塞いでいた手を退ける。彼女には、サエリハの告白など聞こえていなかっただろう。双方にとって、少し気の毒にも思えた。
 首を傾げていたルエルは、急にハングに向き直る。
「そう言えば、昨日の話なんだけどね」
 唐突の話題変換に、さすがのハングも目を丸くする。
「私は、みーんなに支えてもらってるよ」
 無力だと言ったハングに対する答え、だろうか。
「今日、大会に出て、今、みんなと話して、思ったの」
 料理中も、ずっと考えていたのだ。呆然としていたハングが、徐々に笑顔へと変わっていく。
「そうですか」
「昨日の話って、なんだーっ」
 叫び声で、昨日はサエリハが不在だったことを思い出す。憤る彼に温和な空気を壊されることなく、2人は話し続ける。その光景を、サエリハは頬を膨らませて見ていた。
「あいつらって、すっごく仲良いだろ?信頼し合ってるっていうか」
 サエリハの横顔を見、次いで2人を見た。確かにハングも気を許しているようだし、仲も悪くはないだろう。
「ルエルちゃん、ハングのことが好きなのかな?」
「は?」
 聞き返した時には、もうサエリハは2人の邪魔をしに走っていくところだった。いわゆる嫉妬というもののようだが、サエリハには彼等の間に恋愛感情があると思っているのだろうか。セウスには兄と妹というか、もっと家族愛的なものに見えるというのに。しかも昨日のルエルの様子から察すると、恐らくは。
「じれったいだろ?」
 飛びついたサエリハをハングが追い払っているのを眺めていると、後ろからハイエロファントに声を掛けられた。振り返ると、苦笑を浮かべている。
「協力してあげたいところだけど、まだルエルが自分の気持ちに気付いていないみたいだからね」
 優しい風が、髪を揺らす。大人達は温かい眼差しで見守っているのだ。
「さあ、行きましょうか」
「はい」
 カエサルに同意して、歩き出す。
 たとえ能力が失われたとしても、この空気さえ変わらなければきっと自分達は成長していける。心のどこかで、セウスは確信した。