第18話 木漏れ日の中の再会
窓の外は、白い世界。温かくて、明るい世界。
それに対して、中はどうしてこんなに暗いのだろう。無機質なのだろう。
「おまえってさ、動物と話せるんだって?」
上から覗き込まれた。相手の顔は、黒くて誰だか判別できない。半ばからかうような声の質から、少年だということは分かるが。自分よりも背の高い少年3人に、彼は囲まれていた。前へ行こうとするのを遮られるかのように。
「お話……できるよ」
舌足らずな発音で返すと、彼等は突然騒ぎ出した。馬鹿にするような、怯えているような、奇妙な笑みを浮かべて。
「うわ、まじかよ」
「蛙とか、害虫とかとも話せんのかよ。気色悪い」
「こっえー」
距離を置き、遠巻きに見ながらも、大声で笑いたてる。幼い彼は、ただ俯いて耐える術しか知らなかった。自分の足元を映していた目が熱いと感じた時、少年達の逃げ去るような足音が聞こえた。それが遠くなると、自分の傍でもう1人分の足音が聞き取れた。
「出る杭は打たれる」
振り仰いで見ると、青年が立っていた。顔は……やはりよく分からないが、外からの光を受けた明るい髪が陽の光そのもののようで、とても綺麗に見える。
「人は、己より優れたもの、強いものに、一種の憧れと激しい畏怖を感じる」
彼の言葉は、難しいうえに言葉足らずで、セウスには理解できなかった。
「あいつらは、非常にもったいないことをしている。おまえは、こんなにも優れた力を持っているのに、と言っている」
反応を示さずに見上げ続けていると、言い方を変えてくれた。先の言葉のどこに、そのような意味が潜んでいるというのだろう。それでも涙が零れてくるのは、何故だろう。
泣き出したセウスに対して、彼はただ側にいてくれた。
「動物を手に入れたとしても手に負えねば簡単に捨ててしまうし、機械を発明したとしても制御できねばすぐに廃棄処分にする。元は己の利のためにしたことだというのに、勝手なものだ」
彼は、慰めてくれるというわけではない。
「俺も、己の利のために研究に参加しているから、あまり言えたものでもないのだがな」
ただ自嘲的に笑うのだった。
彼の空気には優しさという甘いものは感じられなかったが、心を静かにさせる。そんな温かさがあった。それは不思議なほど、心地の良いものだった。
セウスの涙が止まると、彼は静かに背を向けた。
「おまえに1人、話し相手をくれてやろう。あいつ等のように、おまえ自身を知ろうともしない馬鹿とは違う」
別れの言葉は告げられなかったが、代わりに一つの約束を残して去っていってしまった。後に彼に会うことは無かったと思うが、クランケットにはほぼ毎日会うことができるようになった。話し相手とは、クランケットのことだったのだ。
いつか再会した時、彼の言葉が少しでも理解できるようにするため、本を読むようになった。今に続くきっかけを与えてくれた人。友人に引き合わせてくれた人。両親でさえも使うことを快く思っていなかった能力を、一番最初に受け入れてくれた人。
そのような人に会ったことさえも、成長したセウスは忘れていたのだった。
◆◆◆
よく晴れ渡っている。風も気持ちが良い。絶好の洗濯日和というやつだ。
久し振りに『起きた時に、涙を零していた』という体験をしたセウスは、叔母と一緒に洗濯物を干していた。服は、昨夜のうちに直しておいた。家事をできるのは嬉しいが、さすがに干し終わったら出立しないといけないだろう。とても残念だと思うが。
あと2、3枚で全てが終わるといったところで、森の中からサリアが駆けてきた。かなり慌てた様子だ。走る姿が、少々危なっかしい。
「お兄ちゃん、大変っ」
頬を赤く染めて、肩で息をしながらセウスの腕を掴んだ妹は、言うなり引っ張っていこうとする。
「ちょ、ちょっと待てっ」
セウスは軽く抵抗して、サリアを押し留めた。
「いったい、何があったんだ」
「天使様が落ちてきたのよっ」
見上げた彼女は、半ば興奮状態で訴えた。セウスは、目を点にするしかない。天使様とは、いったい何を指しているのだろう。
「とにかく、こっちに来てっ」
再びセウスを引っ張っていこうとする彼女に、今度は抵抗することを止めた。ここに来て4日目になるが、妹に押しの強い面があるとは思わなかった。よく考えてみれば、人にわざと水を掛けるような娘ではあるのだが。
知らず、溜め息が一つ落ちた。
◆◆◆
王都の科学者達と対峙した地点よりも奥に入ったところで、サリアは足を止めた。
「ほら、お兄ちゃん。あそこ」
彼女は大きな木の根元を指差し、駆けていった。確かに翼が見える。ルエルが背負っていたものと、おなじような翼だ。服にも見覚えがある。
「あ、クランケットッ」
纏っている人に対して大きく見える服は、研究所で会ったクランケットの物とまったく一緒なのだ。セウスは大慌てで、サリアの傍らに駆け寄った。
「お兄ちゃんの知り合いなの?この天使様」
「ああ。俺の友達なんだ」
膝をついて、顔を覗きこむ。掴んだ肩は、考えていたより幅があった。
「クランケット。おい、クランケットってば」
「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん。そんなに揺さぶっちゃ駄目よ」
『そうだよ、セウス。頭でも怪我してたら、どうするんだよっ』
クランケットの身体を揺さぶり起こそうとすると、先までは天使を見つけて興奮気味だったサリアとルージュが、制止の声を掛けられた。ここまで引っ張ってきた妹よりも焦っていたことを自覚する。
「ごめん」
恥ずかしい。素直に謝ると、クランケットを地面に寝かせた。
『とりあえず、家まで運ぼうよ。僕が大きくなれば、運びやすいでしょ?』
肩を落としていると、ルージュが提案してくれる。こういう時の冷静さは、ありがたい。
「そうだな。このままにしておくわけにも、いかないしな」
セウスは笛を吹いてルージュを大きくすると、サリアと協力してクランケットを引っ張り上げた。固定して合図の代わりに右耳を引っ張ると、ルージュは静かに歩き出した。枝が多くて進みにくいのもあるが、彼なりの心配りなのだろう。背に、振動があまり感じられなかった。
ルージュの背を、セウスは一撫でしたのだった。
◆◆◆
サリアの家に運ばれたクランケットは、昼を少し過ぎた辺りで目を覚ました。
「クランケット」
呼ぶと、まだ覚醒しきっていない緑色の瞳で、こちらを見上げる。瞬きを数回繰り返した後、呟くように「セウス?」と口にした。
「大丈夫か?どっか痛むところは?」
彼は確かめるように腕を動かしてみたり、指を開閉させたりした。気になる箇所があったのか、気だるそうに自分の指を見つめている。
「ああ、あちこちに切り傷があるね」
「曲げると痛い」と顔をしかめるクランケットの枕元に、ルージュが飛び乗った。耳が垂れ下がっていて、見ているだけで心配と不安が入り混じっているのが分かる。
『大丈夫?クランケット』
「心配しなくても、大丈夫だよ」
細く鳴いたルージュの頭を、クランケットがそっと撫でる。
『頭とかは痛くない?』
訳すと、彼はゆっくりと起き上がった。
「頭は別に。ルエルの羽が暴走したおかげで、意識は無かったけど。腰から落ちたみたいだから」
言いながら、腰を擦っている。骨を折らなかったのは幸いだった。
「それと、何故か両肩が痛い」
小さく言われ、セウスは手を合わせて頭を下げた。
「ごめん。それは、俺がおまえを起こそうとした時にっ」
それだけで、「ああ、なるほど」とクランケットは合点がいったように声を漏らした。
「本当に君は変わってないね、セウス」
幼い頃と同じ、優しい笑顔を零す。かなりの時間を離れていたというのに、セウスの行動が把握できるのはさすがだと思った。
「おまえだって、俺が何をしたのか悟れるとこ、変わってないよ」
「それは、セウスの行動経緯が単純だからだよ」
「なんだ、それはっ」
少し納得できないところはあるが、久し振りにクランケットが声を立てて笑うのを見て、セウスの方も笑いが込み上げてきた。ひとしきり2人と1匹で笑いあった後、クランケットは研究所から出た時のことを聞かせてくれた。
「ルエルとは、数日前に会ったぞ」
「うん。彼女から聞いたよ」
合間に簡単な会話も入り交ざりながら、ルエルが主要コンピュータにプログラムを流して内部機能を破壊したこと。その間、セウスに出会ったことや学都のことを散々聞かされたこと。研究所を出てみると、ハングが迎えに来ていたこと。そうして、ルエルに無理に背負わされた羽が暴走し、ここまで飛ばされてしまったのだと語られた。
「ところで、ここはどこなんだい?」
最後に、クランケットは首を傾げた。見慣れない所にいる。話すことでやっと意識がはっきりしたクランケットは気付いたのだろう。
「ここは、俺の妹の家なんだ」
「妹さんの?」
「両親が死んで、別々のところに引き取られたんだよ」
なんでもない事のように言ったのだが、クランケットは戸惑った顔をしている。仕方がないのかもしれない。セウスだって聞かされる側に立たされたら、きっと彼と同じ反応をしてしまうだろうから。
「ルエルと妹のおかげで、再会することができたんだ」
笑顔を作って明るく言うと、クランケットにも笑顔が戻った。
「ああ、彼女は未来視なんだったね」
その時、戸が静かに押し開かれた。
「お兄ちゃん。話し声がするんだけど」
部屋の外から覗き込んだサリアの瞳が、見開かれる。
「あ、起きたのね。天使様っ」
クランケットを見ると、いまだに「天使様」と呼ぶサリアを目の前にして呆然となっている。
「天使様?」
「悪いな、クランケット。おまえが羽を背負ってたもんだからさ」
苦笑して言うと、彼は「気にするな」と小さく首を横に振った。
「さっき言ってた、俺の妹。サリアっていうんだ」
サリアを呼んで傍らに立たせると、クランケットに紹介した。
「この人は、クランケット。『天使様』じゃ、ないからな」
今度は、サリアに言い聞かせるように紹介する。彼女は素直に頷いた。
「ああ、でも、クランケットさんを見つけた時は、本当に驚いたのよ?学都祭の演出かとも思ったけど、こんな所にまで来るわけないしって」
「学都祭っ。今日って、何日だっ?」
『学都祭』という言葉に弾かれたように尋ねたクランケットに驚きながら、サリアは日付を教えてくれる。セウスも驚いた。学都を発って、もうそんなに経っていたのだと改めて実感する。
「僕、学都に行かないと。ルエルが」
「ルエルが?」
全身が痛む身体を立たせようとするクランケットを寝床に押し戻しつつ、聞いてみる。
「ルエルが、嫌な予感がすると言っていた。祭りの日は危険だと。もう、彼等も学都に戻っているだろうし」
不安からか顔が青褪めているクランケットの肩を、言い聞かせるように強く掴んだ。
「俺が、おまえの代わりに学都に行く。様子を見てくる」
覗きこむと痛そうに表情を歪めていたため、慌てて肩を放した。
「彼等って、ルエルやハングのことだろ?俺も他人事じゃないし、守りたいって思ってるからさ」
「だから、おまえは寝てろよ」と言って、背中を向けた。肩にルージュが飛び乗ってくる。
「サリア。クランケットを任せたぞ」
サリアを見れば、「うん、任せてお兄ちゃん」と返ってきた。やる気がある彼女というのは不器用さを見せ付けられているだけに心配だが、叔母もいるから大丈夫だろう。
「セウス」
取っ手を握ると、後ろから呼ばれた。手はそのままに、振り返る。
「なに?クランケット」
「あの……いや、後で必ず学都に向かうから」
少しの間が気にはなったが、あえて言及することはしなかった。
「ああ、待ってる」
笑顔でそれだけを返して、部屋を出た。外で待っていた叔母に、クランケットが目を覚ましたことと、今まで世話になった礼を告げる。
「こっちこそ、世話になったね。また来なさい。いつでも歓迎するからさ」
背中を叩いて、景気よく送り出してくれた。養母とはまた違った温かみを感じた。
◆◆◆
笛の使い方を覚えたセウスは、ルージュに乗って学都へ移動している。徒歩の何倍も速く、空が朱色に染まった頃には学都が完全に視界に入っている。そこには彼の、クランケットの、守りたい人達がいる。
クランケット。彼の名前に、不意に朝見た夢を思い出して首を横に振る。小さくなったルージュを肩に乗せて、カエサルが守る北西門へと歩き出した。
受け入れてくれた人。理解したいと、追いつきたいと思った人。いつかは乗り越えていかなければならない存在。今、思い出した。
彼の名前は、グドアールといった。